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昨日も今日も12月とは思えないほど暖かい日でした。年末なので庭の草むしりや仏壇の掃除に取り掛かりました。終わったあとの清々しさ・・・月日の経つのは早いもので今年も残すところ4日。年を重ねる毎に老化?していく身体と反比例して心の財産を増やしていきたいと思っています。23日祝日に第三回の若い難聴者の集いを行いました。いつも土曜日なのですが、皆さんの都合が合わなくて三連休の中日、日曜日です。クリスマスなのでお菓子などを持ち寄ろう・・・ということになっていて重ならないように私のところへ連絡が入りました。「私はミニケーキ」「僕はシュークリーム」「私は何にしよう?」とメールがきました。おやおや甘いものばかり・・・私も和菓子にしようかと思ったけれどサンドイッチを作りました。一時半の定刻前にボツボツ「久しぶり~」「こんにちは~」と手土産を手に笑顔で入ってこられました。早速持ち寄ったお菓子でテーブルが賑やかになりました。もう席に座った途端、待ちきれないようにペチャクチャ、お喋りが始まっています。今回は第一回目の五人(私を入れて)の他に新顔が二人来られました。その内1人の方は第一回目から「参加したい」と言われておりながら、仕事が休めず今回も出席できない・・・と連絡が来ていました。話が弾んで暫く経った頃に「今から来てもいいですか?」とメールが入り「勿論オッケーです」と返信したら車で50分の道程を走ってきたのです。仕事を早めに切り上げて「どうしても来たかったので・・・」と笑顔で来られたkさん。kさんは新聞に掲載された私の記事を見て仕事が休みの平日に二回ほど来られていました。小さい頃から自然に聞こえなくなって障害手帳は3級とのこと。三十代半ばで二人の子供のお母さんです。他の6人と初めて会ったにも関わらず旧知の友のようにすぐ打ち解けてお喋り全開です。この会の最初のきっかけになったMさんも二児の母親なので子供と接する話も飛び出しました。「子供に何回か聞き返すと、もういい・・・と言われちゃってグサッとくる」と共通の悩みを話していました。また「お母さん、何で聞えないと?」と五歳の子供は正直に言うので、それもグサッ!「これから子供達が大きくなってPTAとか進路など不安・・」と本音も出ました。そういえば私も子供達のPTAは、とてもいやだった記憶があります。進路に至っては、子供の希望が第一なので三者面談の時は「自分で決めなさいよ。お母さんは聞えないから先生の言う事よ~く聞いててよ」と私は貝になってました。うっかり口を挟めなかったのです。なぜなら先生が何の話をしているか聞き取れなかったから。だから我が家の子供達は三人共自分で先生の質問に答えて私は黙って座っているだけだった・・・添え物?のように。子供達は何にも言わなかったけれど普通の親のように先生と相談できずにいる私・・が母親であることをどう感じていたのでしょうか?聞いてみたこともないけれど、自分のことは自分でしっかり聞いておかなくては・・と自覚していたのかもしれません。子供の話が結構出ていて、どう接するか?という話の中で「忙しいし聞えないから、ついあとで・・・とか言ってしまう」と言われていました。私は聞えないなら、尚更、子供の目や口を見て真剣に聞いたほうがいいと思います。いつも目や口を見て一生懸命話を聞こう・・・とするその姿勢が大切だと思います。実際私はそうして子育てをしてきました。一言も聞き漏らさないように、いつも子供の顔を見ながら話していました。一生懸命聞かないと聞き取れないからです。私が真剣に話を聞くと子供達は自然と私が聞き取れているか確認しながら真剣に話してくれるのです。だから会話は多かったと思います。勿論亡き主人とも一生懸命口元を見ながら話していました。だから聞えないから会話ができない・・とか、会話が少ない・・・というのは違うのではないでしょうか。相手の気持ちを受け止める・・・その姿勢が通じれば心も通じるのです。もう一つは「小さなことでも必ず”ありがとう”をいうこと。親であっても悪かった時は”ごめんね”ということ」は大事だと思います。親が”ありがとう”を言っていると子供も自然に”ありがとう”を言うようになるものです。新顔のあと1人のEさんは、以前私の新聞を見られていたお母さんが店に来てくださっていたので「若い難聴の方が集まります」と連絡しました。Eさんのお母さんが娘さんのことを心配しておられ私の頭の隅っこで気にかかっていました。来られる前にEさんとメールでやり取りしていましたので初対面にも関わらずスムーズに話せました。Eさんは片耳は聞えずあと一方補聴器を使っていて今まで自分以外の難聴者と一度も会ったことがないそうです。驚いたことにMさんの家の近くに住んでいるそうで又ビックリ。Mさんは「自分以外に難聴の方って絶対いるよね?会ってみたい」といつも言ってました。それなのにすぐ近くに住んでいる事さえ知らなかったのです。MさんとEさんは勿論すぐアドレス交換もして帰りも一緒に帰ったほど打ち解けました。こうしてここが皆さんの出会いの場となりそれぞれ仲良くなって悩みなど話せたら嬉しいことです。途中私の友人のaさんも回転焼きをお土産に顔を出してくれ勿論、輪の中に入りました。aさん(健聴者)には、いつも近況報告していて「私も来てみたい」というので参加してもらいました。とても明るい人で「皆さん美人ばかり・・若い方の話に入れてもらって楽しい」と大喜びです。食ぺたり、喋ったり、笑い声が響いたりと、とても難聴者の集いとは思えない賑やかさ。一番おとなしい若い女性もニコニコしながら加わっていました。軽い難聴で補聴器も使ってないけれど一回目に比べたらリラックスしていて笑顔も増えました。このことをtotoさんやNさんが素直に「笑顔が増えてよかったね」と喜んでくれるのも嬉しいものです。第一回目から参加しているtotoさんとNさんは私同様、独身貴族?の気楽さ、皆さんが帰ってからもずっと話が弾みました。totoさんは新聞記者のように私に取材?して、この店の経緯を聞いてきました。普通の喫茶店だったのを息子tomoのアイデアで”難聴者のための喫茶店”にしたので「息子さんにお礼を言いたい。こんな場所を作ってくれて感謝している」とまで言ってもらいました。totoさんもNさんも私も「細く長く続けていきたいね。来るもの拒まず、去るもの追わず・・・自然体でやっていきたい。押し付けがましくなく、さりげなく、難聴者の癒しの場でありたい」と考えが一致しました。ますます楽しい集いになりました。totoさんとNさんは集いの要のような役割りで補聴器などのアドバイスをしてくれます。こちらのブログで知りあった仲間です。いろんな話が弾んで食事もとらず、お腹が少し空いたね・・・と残りのお菓子をつまんで、時計を見たら、何と日付が変わった午前一時になっていました。午後一時半から午前一時まで延々と11時間半お喋り最高記録を更新しました。Nさんは目がショボショボなっていました。次回は1月26日一時半からです。興味のある方はどうぞおいでください。お待ちしています。 では また・・・
2007年12月27日
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ずっと引いていた風邪が少し治ったので一ヶ月ぶりに卓球へ行きました。寒い中、チャリンコを漕いで体育館へ・・・久しぶりの卓球だったので体を動かすことが、楽しくて時間が経つのが早く感じられました。運動もいいものです。2009年5月までに施行される裁判員制度。これは選挙人名簿から無作為に選ばれた国民が裁判官と一緒に一審を審理し、判決を言い渡すことです。この制度は一般国民が審理に加わることで、専門家以外のチェックや感覚を取り入れ、より良い裁判を目指す事が目的です。この頃は考えられないほど凶悪な事件が多くなっています。なので裁判の数も増えてくると思います。私はこれを知った時まず、聞えない人や聞き取り難い人はどうなるのか?と疑問を持ちました。一年間に国民の大体4100人中、1人が対象になると言われ、この確率では当然、難聴者も対象になることが考えられます。裁判員候補者へは、呼び出し状と質問票が送られてきます。但し、次の理由で辞退できるそうです。*妊娠中、出産直後*親族、同居人の介護をする必要がある人*重い病気や傷害*自らが処理しないと著しい損害が出る場合*70歳以上の高齢者、学生*会期中の議員等の理由があれば本人が申し立て後、地裁が事情を聞き、診断書や通院記録などの資料を提出すれば辞退が認められるそうです。もし私のような難聴だったら傷害にはならないだろうし、かといって聞き取り難いと正しい判断もできないので、マサカと思うが要約筆記者や手話通訳者に付いてきてもらうのか?などと色々考えを巡らしています。例えて言うと障害でも手足の不自由な方や車椅子の方、視覚障害者は聞えて正しい判断もできると思うが、難聴者は 聞き取り難いので、どうなるのか??聞えないけれど内容が判れば正しい判断ができるのですから。これについては、正当な理由がなくて指定の日に地裁へ出向かないと10万円以下の罰金、過料が科されるそうです。私は関係ないわ・・・と思いたいが、こればかりは無作為に選ぶので一応きちんとした制度の内容を把握する必要があるようです。質問票では”不公平な裁判をする恐れ”があるか陪席裁判官、弁護人、検察官などの質問を受け”被告人と関係があるかどうか、事件の捜査に関与していないか?”など聞かれ「はい」と答えた人はさらに詳しい説明を求められるそうです。本当に大変です。裁判という人の罪に関わるのですから・・・まだハッキリした政令が出来上がっていないので、如何こうはいえませんが心積もりは、しておかなければならないようです。ちょっと不謹慎ですが北朝鮮に拉致された方のことを思っていたのですが、もし私が拉致されていたら補聴器をつけていたので、北朝鮮に水銀電池があるのだろうか?なかったら全く聞えないからどうなるのだろうか?なんて考えていました。私は何か事があると必ず”自分だったら?どういう判断がいいのか?”と 考える癖がついています。もし聞えていたら?という判断ではなく、聞えない自分だったらどう思うのか?どうするのか?と常に想いを巡らすのです。いよいよ2009年が差し迫ってきたら政令次第では、裁判所に聞きに行くかもしれません。納得ができるように把握しておきたいと思うこの頃です。 では また・・
2007年12月19日
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最近寒い日が続いてましたが、今日は少し暖かくなり助かりました。寒いのも暑いのも苦手な私・・忍耐力がないのです。これから冬本番なのに、春が待ち遠しいのが本音です。先日難聴会の定例会がありました。いつも、どうやって皆さんが笑顔を見せてくれるのか苦心しています。なので前々回、唄の訪問に来て下さったHさんに又お願いすることにしました。二回目なので顔馴染になり、部屋に入ってこられたHさんに七十代の女性が早速「この袋が開からないから、開けて頂戴」と食べ物の袋を差し出されました。いきなりだから、おかしいやら気の毒やら・・・勿論Hさんに開けて頂きました。(アララ、Hさんは、唄の訪問に来たのよ。小間使いじゃないけれど・・・)と思いながら袋を開けてくださっているHさんに親しみを感じているおばあちゃんに苦笑せざるをえませんでした。さてギターの調整の後ボロローンと楽しい演奏会が始まりました。「お富さん」をギター片手に唄ったHさん、話も始まりました。「この頃のテレビはキスシーンが多いですねぇ。いつもチュツチュツとやっている。ところで、ちょっと、お父さん!(と一番前に座っていた70代のEさんに向かって)お父さん、初めてチュッチュッとしたのは何歳の頃だった?」私は人工内耳で聞えたので思わずアハッと吹き出しましたがOHPを読んだ皆さん、「アッハッハー」の爆笑です。Eさんは、OHPとHさんの顔を代わる代わる見ながら「26歳くらいやったかなぁ」「俺もそのくらいじゃったぁ」と別の70代の男性も笑いながら言いました。「そうですよねぇ。昔は好きでたまらなくても、な~んも言えなかった。恋しい、恋しいと胸いっぱいに想いをとめていたもんです。では今から”君恋し”を唄います」と情感タップリ唄ってくれました。歌詞は要約筆記スクリーン(OHP)に映し出され、筆記者がなぞってくれます。「続いて”芸者ワルツ”です。私が小さい時に流行りました」と50代半ばのHさん。♪あなたのリードで島田もゆれる チークダンスの悩ましさ 乱れる裾も恥ずかしうれし♪「島田って、人の名前だと思っていたから、島田さんが揺れて歩いていると思っていました」で、爆笑・・・八ッハッハー「”乱れる裾も~”と大きな声で歌っていたら母親が嫌な顔する。意味がわかりませんでしたもんね~ 今じゃ、乱れる裾が大好きですけど」と話されたのでまた爆笑・・・もう皆さんニコニコ顔です。腹の底から笑うと生きている~って感じます。「続いて”人生劇場”です」・・私の大好きな唄です。一緒に手拍子で歌いました。「皆さん、手拍子で!」とHさんが言われるのですが、皆バラバラに手拍子・・・それでもいいのです。楽しければいいのだから。歌った後、Hさんが「♪あんな女に未練はないが・・♪とありますよねぇ。男なら一度は言ってみたいもんです。でも言ったらおしまい。”私も未練はないよ”といわれたら大変!もうそれで最後です。ウッカリ言えません」でまたまた爆笑・・・難聴会員はテレビを見ても聞き取れない。落語や漫才のオチもわからない。話を聞いて笑う・・・ということが常日頃ないと思います。若いとき、聞えていた頃はテレビやラジオで漫才や落語を楽しまれていたことでしょう。そんな楽しみがない最近、心から笑う話に縁遠くなっていると思います。だから今回はHさんのお陰で楽しめたと思います。殆ど聞えない70代女性のTさんは、あまりのおかしさにテーブル叩いて笑っておられました。そんな笑顔を見れてホッとしました。生きていることって笑う事だと思う。笑う楽しさがないとつまらないです。聞えなくても聞き取り難くても読書だけではなく直に話しを楽しみたいのです。数曲の最後は”林檎の唄”で締めくくりました。唄あり、話しありの楽しい一時間、アッというまに終わりました。「また、来ます。声を掛けてください」とHさんは帰られました。楽しい時間をありがとう!今日は店に若い難聴の方が仕事がなかなか見つからない・・・と来られました。私がどうこうできる問題ではないけれど、少しでも話し相手になりたいし、なんとかできないかなァと思います。私に話すことで第一歩を踏み出されたら嬉しいことです。そのきっかけになれたらいい・・・最初に来られた時は思いつめたような顔が笑顔に変わっていく・・・それだけでも嬉しいです。 では また・・
2007年12月11日
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最近、風邪を引いて何とか、だましだまし店を開けていましたが、昨日はとうとうダウン。発熱して布団の中でした。知人にフリーマーケットの手伝いを頼まれていたのに早朝から断る羽目になり迷惑をかけて、本当に申しわけなかったです。今日は熱も下がりいつものように店を開けられてホッとしました。店のお客様に画を書かれるTさん・・・男性50代の方がおられます。その仲間のKさん共々店に時々来てくれています。(Kさんも画を書かれています)Tさんとは、どうして知り合いになったかというと、私が難聴の活動をしていった上での延長です。最初に活動し始めた頃、市民活動プラザに顔を出し、当時印刷の仕方を教えてもらった人から又別の方を紹介され、次から次へと知り合って店に来られるようになりました。3年前のことです。Tさんは当時、福祉連絡会の仕事もされていたので活動のやり方をいろいろと私にアドバイスしてくれました。活動などと無縁だった私は本当に勉強になりました。来られる毎に「難聴者の相談を受けて困っている事」や近況を話していました。その度に適切なアドバイスも受け助成金申請のことも教えてもらったりしました。難聴会で助成金が採択された時のポスター、チラシ作成もTさんにお願いしました。というのはTさんは、県美術展のデザイン部門で知事賞を数回受賞されたほどの腕前なのです。そのTさんが私のために「チャリティギャラリーをしたい」と言われました。もう、本当に驚きました。私がアドバイスを受けて教えてもらう事が多いのに、反対にTさんが私に支援してくださるなんて、勿体ないほどありがたいことです。画家の仲間10人ほどに声をかけてくれました。その中には二科展会員も3名おられるそうです。皆さんに私のことを話し、快く応じてもらえたそうです。そのお願いの文書を私も見せて頂きました。以下のように書いてあります。本当におこがましくて恥ずかしいのですが・・・[今年も残すところあとひと月。忙しくなってまいりました。さて、この度の賛助出品の内容と主旨ですが、佐賀市内に、難聴のママが営まれている喫茶店こうひいの木があり、ママは店の傍ら難聴会の代表として講演、サークル活動などに尽力されておられます。また店の一角をギャラリーとして無料で開放され、若い作家や障がい者の作品発表の場となっています。活動の成果でしょう。ここにニートの青年や障がいを隠しながら過ごす若者が顔を出し始め、個々の悩みや愚痴を話していくようになりました。引きこもりや対人不安の状態からすれば、これは大きな進歩。ママはこれを機会と捉えて「お話会」を発足されました。これを長く続ける為の活動費支援として発案した次第です。]これを聞いた私は「とんでもない。売れた代金はTさんが使ってください。私は絵を見に来られた人にコーヒーを飲んで頂けるだけで充分です」といいましたがTさんは「活動するのにもお金は、いるから少しでも(売れたら)とっておきなさい」と言ってくれています。本当に何と有難いことでしょう。私は悩んでいる方をほっておけなくて話し相手になっているだけなのに・・・それを認めてくださっている・・・胸がいっぱいになりました。実は相談に見えている人は難聴者ばかりではありません。躁鬱の方も来られています。今まで公に話したことはありませんが、多くはないけれど何人か見えておられます。難聴と同じように外見ではわからない障害・・・中味は違うけれどなかなか理解してもらえない苦しさは同じだと思うのです。精神のことは病気の内容も詳しくわからないのでアドバイスもできませんが、ただ彼らの話を真剣に聞くだけ・・・そのくらいしかできません。それでも話を聞くだけでも救われるようなのです。彼らの気持ちが軽くなるように・・・と思って聞いています。いつも、もし自分だったら・・・と立場を置き換えて聞いています。人は真剣に{話を聞いてくれる人がいる}と思うと安心するのではないでしょうか。障害はなんであれ、悩む気持ちは同じだと思います。これからもこの想いを失わないで店をやっていきたいです。決して多くはない閑散とした店ですが、私を必要としてくれる人がいる限り続けていきたいと思っています。自分が好きでやっている「難聴者の店」ですが、こうして支えてくださっている人がおられることに勇気百倍・・・励ましてもらっています。有難うございます。尚チャリティギャラ―リの開催日は12月10日~20日まで (11時~18時、日曜休み) こうひいの木店内お近くの方はどうぞご覧になってくださいね。 では また・・
2007年12月03日
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