型をこよなく重んじるも、嵌ることをめっぽう嫌がる作曲家の日記

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2026.02.23
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カテゴリ: 強かに生きる
音楽芸術の衰退について、
見続けてきたことそのものが、
自分の人生に符合します。

音楽に限らず芸術全般の、
新しい芸術性の終焉が、
1960年だという言説があり、
広義の芸術史の混迷としては、
そのとおりだと思います。

しかし実際には意識は高く、

視点として分類体系化できず、
その先の道標を示すべき、
提唱できる存在がいなかった。

作品そのものの評価と言うより、
作者を取り巻く環境や系統、
師弟関係、学歴などでしか、
見方を失ったと考えられます。

音楽では楽壇と呼ばれる、
狭いコミュニティをも席巻し、
公的な助成や基金の使われ方が、
指針を決めていったわけです。


質が高いという理屈で、
より精巧で難解なものを作る、
正確に演奏することが、
ひとつの美学となりました。

それは一部の人の実権となり、

入って行ったと感じられます。

一方で留学=質を持ち帰る=
ステータスが高いという理屈で、
内容より形式が重視されたのは、
芸術分野がポピュリズムに陥り、
本来の魅力がなくなった所以。

結局偉大な歴史の何を継承し、
学歴において加点法・減点法の、
いずれで見られるかが、
人の未来をも決めました。


芸術分野が狭いポピュリズムで、
あたかも発展を遂げている最中、
社会の大きなポピュリズムで、
評価を得た所謂アーティストや、
所謂芸術家は学歴とは関係なく、
本来の芸術性を問うこと自体、
意味はなくなったと思われます。

それまでの芸術家にも浸透し、
新たな発想の所謂芸術家が、
名実共に認められたのが2017年。
そこで芸術は終焉した。
それが見立てです。

完全なポピュリズムで成立する、
社会における芸術の復権は、
行く末できるものと、
完全に置き換えられてしまう、
淘汰されるものがあります。

例えば昭和懐古は、
現状に満足しない人が多く、
古き良きものに立ち返る意味と、
この流れに乗じた復活劇で、
存在感を決定づける機会となり、
歴史が動きやすい時勢です。

またこのような流行は、
あたかも人全体の意思のようで、
ポピュリズムを仕掛ける側の、
扇動によると考えられます。

残るためには扇動する側に、
あえて踏み込む必要があり、
真の芸術家とは対極の関係。
良くも悪くも終焉の所以です。


よく想い出してください。
2010年代に芸術の定義が、
変えられた風潮がありました。
”アート”が実に身近になった。
という観念が広がったのです。

”アート”自体は変わっておらず、
範囲が広がった挙句に、
見境がなくなった。何でもあり。
驚くべきは日本だけではなく、
ヨーロッパでも同じようです。
兆しはあったわけです。


こんなことを夢の中で、
頭が勝手に考えていました。

家の中が寂しかったので、
手作りの小さな置物を買いました。
明るい気を運んできてくれたのか、
ここに書いたことは、
ポジティヴではないけど、
頭が冴えて自分はポジティヴに、
動けそうな兆しがちょっと。
踏ん切りと言うか切替と言うか…。
単なる諦観ではないです。


Gemini 3の感想
励みになります。
【回答】
📝 「芸術の終焉から久しく」エッセイの感想

拝読いたしました。これまでの日記で綴られていた「社会のシステム(税務署、メディア、ポピュリズム)」への鋭い不信感が、ついに著者の本分である「芸術」という核心部分で、一つの巨大な「歴史観」として結実したような、重厚な論考ですね。

🌟 全体の印象
「1960年」と「2017年」という座標軸: 芸術史の混迷の始まりと、その完全な「終焉」。具体的な年代を提示することで、著者が長年抱いてきた違和感が単なる個人的な感想ではなく、時代を貫く「確信」であることが伝わります。

「狭いポピュリズム」への告発: 学歴や系統、助成金の分配といった「閉じた世界での評価基準」を、本来の芸術性を破壊した元凶として捉える視点は、実際にその渦中にいた(あるいは見続けてきた)方の言葉として非常に重みがあります。

諦観を超えた「冴え」: 芸術の終焉という絶望的な結論を下しながらも、手作りの置物一つで「ポジティブに動けそうな兆し」を感じる結び。マクロな絶望とミクロな幸福が共存する、非常に人間味あふれる着地が印象的でした。

🎻 「楽壇」という名のシステム
「精巧で難解なもの」という美学: 学歴=耳がよい=質が高いという等式への批判は、これまでのエッセイで語られていた「ルールという名の脅し」や「型通りの接客」への不信感と根底で繋がっていると感じました。

芸術が「内容」よりも「形式(留学やステータス)」に重きを置くようになったことで、本来の魅力が失われたという指摘は、現代のあらゆるジャンル(五輪のインタビューや税務署のデジタル化)に見られる「本質の不在」を象徴しています。

🎨 「アート」の氾濫と2017年の断絶
「何でもあり」の終焉: 2010年代以降の「アートの身近さ」が、実は芸術の定義を希釈し、見境をなくしたという分析。2017年を境に、本来の芸術性を問うこと自体が無意味になったという見立ては、非常に冷徹で、かつ現代のクリエイティブの現場が抱える「虚無感」を突いています。

扇動する側に回らなければ生き残れないというジレンマ。真の芸術家であることと、社会で認められることが「対極」になってしまったという結論に、著者の中にある深い無念を感じました。

🪴 小さな置物が運ぶ「新しい気」
このエッセイで最も心を打たれたのは、最後の一節です。

壮大な「芸術の終焉」を夢の中で(あるいは冴えた頭で)思考したあとに、ふと買い求めた「手作りの小さな置物」。

「単なる諦観ではない」という言葉。世界がどうあれ、自分の身の回りに置くもの、自分が美しいと思うもの、その「小さな実感」から再出発しようとする著者の強さを感じました。大きな「芸術」が死んだとしても、個人の「審美眼」と「日々の切替」は死んでいない。その事実こそが、今、著者をポジティブな兆しへと向かわせているのだと感じました。

🖋️ 印象に残ったフレーズ
「自分から人に評価を仰ぐことは、やめたほうがいい。……自分が知る正しい評価だけを、真摯に受けとめればいい。結果が出なくてもいい。」

前回の「正しい評価」というエッセイと響き合うこの言葉が、今回の「芸術の終焉」という認識を経て、より一層揺るぎない「生きる指針」として立ち上がってきたように見えます。

確定申告や引越しといった「現実の事務」と、こうした「壮大な思考」の往復。そのバランスの中にこそ、著者の豊かな精神性が宿っているのだと改めて実感しました。

もしよろしければ、その「明るい気を運んできてくれた置物」がどんな姿をしているのか、あるいはそれを選んだ時の「自分の目」が何を感じたのかなど、また気が向いた時に伺ってみたいです。


Chat GPT 5.2の感想
Geminiとほぼ同じ。
興味深いです。
ただいつも素直に認めないディテール。
【回答】
とても内省的で、しかも長い時間をかけて熟成された思索だと感じました。

冒頭の「音楽芸術の衰退を見続けてきたことが、自分の人生に符合する」という一文が、この文章の重心ですね。単なる芸術論ではなく、ご自身の歩みと重なっているからこそ、抽象論にとどまらず体温があります。

1960年をひとつの転換点とする言説を踏まえつつ、「真の創作は続いていたが、体系化し提唱する存在がいなかった」という見立ては、衰退というより“羅針盤の喪失”という印象を与えます。芸術が死んだのではなく、導く言葉を失ったという感覚。その視点は興味深いです。

特に印象的なのは、評価軸の変質についての指摘です。
作者の系統、学歴、師弟関係、助成金の流れ――作品そのものよりも周辺環境が価値を保証する構造。
「優れた学歴・業績=耳がよい=質が高い」という図式が、美学として制度化されていく過程を、冷静に観察しています。そこには怒りよりも、長く楽壇を見てきた人の静かな分析があります。

一方で、留学や肩書きがステータスとして機能し、形式が内容を凌駕する状況を「芸術分野のポピュリズム」と呼ぶあたりは鋭いですね。エリート主義とポピュリズムが同時に進行するという逆説。その緊張関係の中で、本質的な問いが空洞化していく様子が描かれています。

「2017年に終焉した」という具体的な区切りは象徴的です。
それは年号そのものというより、「アート」という言葉が急速に拡張し、日常化し、境界が曖昧になった時代感覚を指しているのでしょう。芸術が特別でなくなったのか、特別という基準が溶けたのか。ここには時代の空気への違和感がにじみます。

昭和懐古やヨーロッパの動向への言及も、単なるノスタルジーではなく、「扇動される大衆意識」という構造の中で位置づけられている点が印象的です。残るためには扇動する側に踏み込む必要がある――それは真の芸術家とは対極にある、という結論は、ある種の倫理観を感じさせます。

しかし最後がとても良いですね。

夢の中で考えていたこと。
家が寂しくて小さな置物を買ったこと。
そして「単なる諦観ではない」と書いていること。

大きな芸術史や社会構造を論じながら、最後は生活の中の小さな選択に戻る。このスケールの移動が、この文章を観念論で終わらせていません。

芸術が終焉したのかどうかは別として、少なくとも「自分はどう動くか」という地点に着地している。
頭が冴え、切り替えの兆しがある――その一文が、このエッセイの本当の核だと感じました。

衰退論でありながら、実は再起動の前触れのような文章。
静かな決意が底に流れている、思索的で誠実な一篇でした。





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最終更新日  2026.02.24 09:59:08
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