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昭和30年代、船橋ヘルスセンターのCMありましたよね。「長生きしたけりゃ ちょっとおいでチョチョンノパ、チョチョンノパ」おじさんのアニメが手拍子で踊っていましたっけね。あのCMで船ヘルスさんは、莫大な集客を得たのでしょうね。昭和の頃、盛んだった「手踊り」手拍子で踊るから 手踊り手軽にするから手踊り盆踊りなど 大勢が揃って、同じ手振りで踊るから、手踊りなぜ、手踊りかというと そんなところなのでしょうか。ここ最近、規模がますます 縮小化していますよね。昭和の頃は、3重丸くらい輪を作り、祭りでも、盆踊りでも それは、それは、盛大でした。それは その頃の人々の手踊りに対する情熱と娯楽が 占領するシェアは膨大だったのでした。
2013.03.31
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昭和40年代に入ると、GSが次から次へとデビューし始めました。特にタイガースの沢田研二さんは それまでのイケメン(もし、その頃この単語使ったら、池にお面が浮いているんだと、その頃の人は、思ったことでしょう。)の概念を一掃して、新たに女の子のいい男度の計り方を変えさせましたよね。 和子ちゃんもテレビで、初めてタイガースを観たとき、仰天しました。 でもその頃、やはり35歳以上の女性は、怪訝な顔で、GSの女の子ぽいボーカルを見ていました。それはそれでいいのでした。時代の価値観をそれぞれ持つのは、当然なのですから。
2013.03.27
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厳寒のこの冬、滑って転んで左手首の橈骨(とうこつ)を 骨折して、50日経ちました。40日間、ギプス固定していて、今は、通院の電気治療と、自身のリハビリをしています。橈骨は親指の付け根にある骨なのですが、車に乗ってハンドルに触れたら下の絵のようになっていました。 あわてて、兄夫婦に電話して、ヘルプに来てもらい、近くのクリニックへ、直行しました。骨折は、初めてなので、どんな治療をするのか 全く無知で、また治るのか、溢れる不安でいっぱいでした。下の絵は、骨の整復操作の再現場面です。 ドクターの、お歳は、60代おそらく半ばかと思いますが、整形外科の先生は、怪力がないとできませんね。びっくり感激しました。私の骨折は、この引っ張る力をゆるめて、骨がずれなかったようすなので手術には至らす゛、ギプス固定だけで済みました。骨折は くっつけたら自然治癒なのですね。色々なことを骨身に吸収できました。ありがとう!
2013.03.18
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騎馬戦は、もう運動会で消滅したことを、前提としてブログを 描こうとし、あっ、でもその前に、情報を、ということでネットで調べましたら、やあ~~~っうれしいい~っ。まだ実在していて、運動会のプログラムに入ってはいたのでした。(勿論、取り入れている学校は少ないですけどね。)昭和の頃は、怪我の危険を伴いながらでしたけど、今は 安全第一で、対戦の場面に父兄や先生が付き添ってとりおこなわれていました。そして、 女子も参加していますよね。 昭和騎馬戦は、中学生からで、身に付けるのは、シヨートパンツだけ。男子は 闘志を漲らせて、臨んだのです。正に川中島の合戦でした。 まず、強いカルテット組は 弱そうな相手から倒していきます。騎馬戦のチームは必ずしも騎士役が腕力があり、強い、というより馬役の3人ががっちり、騎士を強固に振り落とされないよう 保持させるというのが 一番の決め手です。騎馬戦は、チームの対戦になるわけですが、最終ステージで、3組残ったとき、グランドを雄堂と闊歩しながら、作戦を組む姿がなんとカッコよかったことか騎馬戦、大好きでした。
2013.03.17
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大正8年~昭和36年まで 群馬県の草津温泉と、長野県の軽井沢町を結ぶ電車路線がありました。(全長55.5キロメートル)その かぶと虫電車、下の絵は、正面です。パンタグラフが こんなに雄大なので、そう 愛称で呼ばれていました。昭和30年代は、台風年代とも言い換えられるほど、台風に襲われた時代でした。この草軽電鉄も 昭和34年の 第7号台風で 鉄橋が落下し、それがきっかけもあり、世の動向による経営不振もあり、惜しまれつつ 廃線となりました。深い山の中を走る電車なのですが、トンネルが 皆無でした。ですから急曲線やスイッチバックがいくつも存在しけたたましいブレーキ音を響かせながらも、時速20キロで走行していました。走っている電車に飛び乗ることもできましたし、車窓から昆虫採集なども可能だったのです。高原列車として、深く親しまれながら引退したのです。 電車のムービー、ご覧になれます。
2013.03.12
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スピッツが、大流行しましたよね。よく吠えるので 番犬にはうってつけで、昭和30年代日本で登録された 飼い犬の、なんと4割を占めていたとか。 現代は、愛好者により 性格が改良され、無駄吠えのしない静かな 日本スピッツが 再び静かなブームになっているようです。
2013.03.08
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豆炭使用の、あんかとこたつがデビューしたときはとても驚きました。それまでは、ブリキの湯たんぽと、堀りこたつに炭を入れ、網をかぶせて使っていました。両者とも、今も使ってらっしゃるご家庭ありますよね。省エネで 優れものですね。堀りこたつの時は、猫がよく落ちて 灰だらけになっていました。フーテンの寅さんが 「猫灰だらけ」と言ったのは、猫は寒がりだから、かまどや掘りごたつに入ったからなのです。豆炭こたつは、悠々と手足を猫は 伸ばせたのですが、一酸化炭素が、敵でしたね。
2013.03.04
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昨年11月に(昭和の子供の遊び)を載せましたが、「38度線」という 格闘的な遊びがあったのを ふと 思い出しました。それは 2組に分かれ、引っ張りっこで人を獲得し、相手組の人が0人になったら勝ちという遊びです。朝鮮戦争が、1953年で 休戦となったので、それがきっかけか、どなたかが 発案した遊びだと思うのですが、かなり、ハードな遊びでしたね。とにかく昭和30年代は、戦う遊びが主流でしたね。そして子どたちが遊ぶその場面は、まるで喧嘩している風でした。
2013.03.02
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