全4件 (4件中 1-4件目)
1

1950年頃まで、バスは普通にボンネット型だったので、そういう呼称はありませんでした。1971年に製造が中止されましたが、山間部の路線では まだ元気に走っていました。前輪が運転手の位置より前にあるため、狭い路肩の位置を 把握しやすく 運転しやすかったのでした。女性がほとんどだったのですが、路線バスには 車掌さんが乗っていて切符を売ったり パンチしたり、車内放送もしていました。そして 何といっても乗客からは、いつも見つめられていました。バスの車掌さんという職業は、わずか20年くらいしか 存在しませんでした。1970年以降 ワンマンバスになっていったからです。 舗装されていない凹凸道路をバスが行くわけですから、揺れは激しく 平衡感覚を維持するのがむずかしかったのです。昭和に在た、バスの車掌さんは、いつも元気で明るく働いていました。
2013.10.25
コメント(0)

このようなたらいと、洗濯板で 固形石鹸をつけて手洗いしていました。 昭和40年代は、洗濯機2槽式が 全盛で けっこう外に洗濯機を置いてるお家 多かったですね。そして大きな粉せっけんを脇に置く。上の絵にラベンダーとチューリップがベランダに置いてありますが、チューリップはオランダの花だから・・・・、ラベンダーとオランダとベランダ似ているでしょ。ちなみに、ベランダはポルトガル語、英語ではバルコニーです。ちょっとタイトルからずれてきてしまいました。 とにかく 昭和の洗剤は、大きくて 買って持ち帰るのが大変でした。まるで キャリーケースを連れているようでした。 だけど あの大きな洗剤の中に、某メーカーの(その頃はセンセーショナルな企画)ラッキーカード混入というのがあって、けっこうアクセサリーいただいていた人多かったですね。日常用品は、ある期を境に変革が起きるのですが、その驚きと 戸惑いが変革そのものを膨大にしたものです。変革前の用品を当たり前に思って使っていたシーンを思い浮かべるとほんとに面白いですね。
2013.10.18
コメント(0)

昭和では タバコの煙だけでなく色々な煙が上がっていました。今は煙あまり見かけないですね。JTの喫煙率の推移グラフによると、男性の喫煙者は 1960~1970年頃までがピークで8割方がたばこを吸っていたいたようですね。年々喫煙をやめる人が増えていますが、女性は1950年から横這いで減らないようです。 ストレス解消にたばこを吸うと言いますが、体がニコチン依存症でない人が、ストレスたまった時 別にたばこで解消しようとは思わないわけです。体からニコチンを抜けば、たばこは吸わなくていられるということですよね。上の絵は喫煙しない女性と喫煙女性、40代の顔をシミュレーションして描いてみました。やはり歳を重ねるにつれ、喫煙者の顔は、男性も女性もスモーカーズフェイスになってきます。特に嫌煙者でもなく、禁煙を勧めているわけではないのですが、それにしても 喫煙者は、高額納税者ですよね。
2013.10.11
コメント(0)

きょうは 山手線の話ではないのですが・・・・山手線は発鉄して、50年期ということで、緑の記念復刻カラーで 12月までくるくる数本が走っているそうですね。黄緑と緑の中間のカラーですよね。地方の人が上京して、初めて山手線にのったとき、反対回りによく乗ってしまうんですよね。まあ、それほど慌てることなく 下車してまた、 反対回りに乗ればいいのですから。 昭和46年頃の真夏だったと薄憶えなのですが、上京して 山手線に乗ったとき、多くの若いカップルやシングルが、なんと長袖とパンツのファッションなのです。その頃パンツはパンタロンとよんでいたのですが、 まだミニスカが全盛のはずだった頃です。「ええ~っ!」とびっくりしたものです。 後に 人から「それも 都会のファッションなんだよ。」と訊きましたが。その頃 都会で流行るものは、田舎には伝わってきませんでした。そういえば 最近3年前頃、ギャル達の間で 真冬にノースリーブを着るなんてこと流行っていた気もするのですが、生理的に我慢することのファッション、時々風潮になるのですね。
2013.10.04
コメント(0)
全4件 (4件中 1-4件目)
1


![]()