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喫茶店でボーイさんを呼ぼうとしたら女性のウェイトレスがいて ガールさんお水と言えばいいのに チェイサー昭和であっても略してレモンスカッシュを レスカクリームソーダのこと、クッソ などと呼んでいたのです。昭和40年代、とにかく20代男性は格好つけるのが大好きだったのですね。また それが許される時代にも突入していたのですね。頑なに 、ライスはフォークの背に乗せて食べるものと信じた一時期ありました。そんなルールやマナーは存在しないと昭和の終わり頃皆さん気付きました。ですけれど、右手にナイフ、左手にフォークを持って洋食をいただく場合、今になって思えば合理的な食べ方なのですね。お米はくっつくので、押さえれば上手く口に運べます。現在でも 偶に見かけますが(ほとんど男性)きっと食べ易いからそうしているのだと思いますね。主観念かと思いますが、昭和は今の時代に照らし合わせると、虚栄心が大きく働き、羞恥心を常に維持し続け、ばれてしまうことに怯えていたのですね。若い女性は見ていて気の毒になるほど麺類を食べるとき音を立てないよう1~2本ずつ食べたのです。中には「私、すすること出来ないんです。」なんて言って。今の時代 女性は豪快にズズズッとすするようになったのはそうでなければおかしい と気づいたのでしょうね。
2020.04.26
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戦国~江戸時代にいた忍者が技を子孫に伝承して、現代まで磨き続けていたら体操競技では、確実にメダルを獲得していたでしょうね。伊賀の影丸昭和36年に少年サンデーに連載されました。忍者の黒装束ファッション、この頃から確立されたようです。影丸は伊賀流で、徳川家に対する勢力と闘ったのです。闘ったとはいえ、忍者の任務は諜報活動で、敵方の状況を主君に伝えるというのがメインだったのです。猿飛佐助 が大正時代に発刊されて、昭和中後期に至るまで、一連の忍者ブームが湧き上がったのでした。こちらの方、架空の忍者だったようです が 真田十勇士の人員に登録されているのですね。どうであっても、こういうのは、歴史上の夢としておきましょう。ちょっと顔が金太郎人形 似になってしまいましたけれど。昭和39年 忍者部隊月光 です。伊賀と甲賀 両流の忍法を巧みに使い正義と平和を守り、悪と闘う部隊です。伊賀忍法は戦闘が得意甲賀忍法は薬術が得意拳銃も所持はしていましたが、手裏剣 刀 忍術で闘うことを基本としていました。それらが少年少女たちを虜にしていたのでした。この三日月役を演じた 森槇子さん 美しい女優さんですね。パーツ一つ一つが歌手の浜崎あゆみさんのような形相でしたね。日本特撮史上、初めての戦うヒロインだったのですね。 仮面の忍者赤影 です。こちらは昭和42年から 一年チョッとフジテレビ系で 放映されました。まあ 何て 見た目が派手で気障な忍者だったのでしょう。こちらは、織田信長に雇用されていました。もうこの時代まで来ると、SF的な生物が登場したりアクシュデントも、そうであったりで 無限夢想の混沌さが人気を博したのでした。 忍者を忍者と呼称するようになったのは、昭和に入ってからのようです。彼らはスパイ 諜報者です。忍者は、ばれないよう人々の中に溶け込み敵の状況を主君に伝えるのが最大の使命だったのです。
2020.04.19
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江戸時代ではありません。昭和30年代の農村の佇まいです。この頃、人と共に必ずや動物 家畜が同居していました。鶏は、卵を産ませ 家人が食べるため飼い鶏小屋をけっこう自由に出入りしていました。兎は丸々と太らせるため小さな兎小屋を作り飼い捌き屋さんが集落には数人いたので、捌いてもらい晩餐として賞味三昧したのでした。兎の肉は、日本の伝統食文化で甲信越 東北 北関東 では昭和30年代まで飼って食すことが日常だったのです。しかしながら、子供たちにとってはショックでしたね。羊は伸びた毛を刈って、その毛を売ったのでした。電動バリカンなどない時代、上の図のような大きなハサミで、ジョキジヨキ毛をカットしたのでした。山羊は、搾った乳を家人が飲むためです。当時オッパイの出が悪い母さんは、山羊の乳を赤ちゃんに飲ませたそうです。当時は動物をペットとして飼う認識は無く雇用して、役目を果たしてもらうことを願ったのでした。大きな家畜は、同屋根下で同居していました。愛情は注いでいたのですね。家畜たちは、重い 苦しい 暑い 冷たい の苦難もいやな顔ひとつも見せることなく、指図されるがままに馬も牛も、馬車馬のように働き抜いたのでした。農業が機械化されていない昭和30年代、農村の子供たち、具に家業をお手伝いしていましたね。
2020.04.12
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ライオン油脂 の ママレモン 昭和では、天下統一に等しかったですね。ライオン油脂は圧倒的勢力を持っていたのです。世間一般に浸透しすぎた商品はそのアイテムを呼称するとき使われてしまいました。今でも、中高年以上の方には、使われています。救急絆創膏は、皆 バンドエイド と呼ばれているのかと思いきや、日本各地では堂々とそれぞれ登録商標を名詞にしているのですね。救急バンは何百種類とあるのでしょうね。昭和では消費者が間違えるような、類似品パッケージを真面目に作っていました。アロンアルファー という接着剤が発売されたとき驚倒しましたね。復元は可能なんだと・・・その後 他社も続々製造し、アロンアルファーはトップであったため堂々と使われてしまっています。CRC錆止めの潤滑スプレーでは、圧倒的なシェアを誇っていますね。呉工業 が米国のインダストリーCRCと提携して日本で発売されたのは昭和37年のようです。その頃 サビ取りと予防がスプレーで出来てしまうなんて工場関係者 一般の人々は驚愕したのですね。CRCという英文字商品名もカッコよかったのです。現代と比べれば、名前や言葉に関してさほど気を使わなかった昭和でしたね。
2020.04.05
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