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きょうもほぼ一日、絵の制作。 バック・ミュージックは、私と同じく民生委員で合唱団員でもあるSさんが貸してくださったCD。 バッハの「ハープシコード協奏曲」から、グスタフ・レオンハルトでBWV1062、トレヴァー・ピノックでBWV1060,1061,1064,1066。 グスタフ・マーラーの「交響曲10番」クルト・ザンデルリング指揮 ベルリン交響楽団。 ビル・エヴァンスの「ユー・マスト・ビリーヴ・イン・スプリング」と「コンセクレーション」。 ミッシェル・ルグランの「パリジャン・ブルー」。 それに私の手持ちCDから。がらりとムードを変えてR&B、ディアンジェロ「ヴードゥー」「ブラウン・シュガー」それに「ライヴ・アト・ジャズ・カフェ・ロンドン」等等。
Feb 28, 2015
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寒さはさほどでもないが、風が強い。終日、執筆。 きょうはなぜか古い手紙のことがしきりに思い出された。札幌の母から会津若松市で独り暮ししながら中・高校に通っていた私宛の手紙。それから、結婚前の父が戦地から婚約者の母に宛てた手紙。いずれも現在、私が保存している。 母から私宛のものは5cm程の厚さの束。父から母宛のものは、もう半分壊れかけの昔々の朱塗の文箱に入って、100通もあろうか。 父が亡くなる前のある日、居間にしつらえた病床からまじまじと母の顔を見ながら、「お母ちゃんはお父さんの手紙をまだ持っているのかい?」と言った。「持っていますよ」と母は応え、「そうかい」と父は言った。私はそばにいて、そんな二人の短いやり取りを聞くともなく聞いた。 今朝、小倉智昭氏が司会するテレビ番組にふと注意が向いた。 私より二つ三つ若いイギリスの男性が、14年前に亡くなった妻の留守番電話に録音された声を、宝物として保存していた。ところが最近、電話局がシステム変更を通知してきたので、「留守番電話に録音された亡妻の声は消えないでしょうね」と確認したら、「消えません」との返答。しかし、システム変更後、録音が消えてしまっていた。電話局は消えた音声を復元するために、システムエンジニアを総動員して数十万件の消えた音声を一件一件確認しながら、ついにその男性の亡くなった妻の音声を探し当て、復元に成功した、というのだ。男性は、これでまた妻の声が聞ける、と涙ぐんでいた。 私は、母からの少年時代の手紙を一度も読み返したことはないが、今私が晩年に向かって、あの手紙類をどうしようか、と思うのだ。
Feb 27, 2015
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そぼ降る雨が一日中つづいた。そのなかを、午後、画材店に出かける。が、あいにく求める物が品切れ、ほかにもイギリス製の特殊製品がほしかったのだが取り扱っていないとのこと。他日、別の店にゆくしかない。時間の余裕がないので、これには参った。 帰途、本屋に立ち寄り、1冊購入。 カフェで軽食で腹ごしらえしてから、合唱の練習所に向かった。 合唱練習は、来週に本番を控えて細部の仕上げ。武島羽衣作詞・滝廉太郎作曲『花』、杉本竜一作詞作曲『ビリーブ』、財津和夫作詞作曲『切手のないおくりもの』をうたう。声部構成は、ソプラノ、アルト、テノールの混声三部。 残念ながらバスがいない。アマチュアで、本物のバスというのはなかなかいないものだ。先生としては、4月からは本格的な合唱曲に進みたい意向。専属のピアニストも付くという。もちろんギャラを支払ってである。 私たち民生委員合唱団「かしの木」の衣装は、女性は白のブラウスに黒のロングスカート、左胸に黄色い薔薇のコサージュ。男性はホワイトシャツに黒のベスト、黒のズボン、黄色の蝶ネクタイ。譜面は、ほとんど暗譜なのだが、一応、クリーム色のバインダーを携えている。 何はともあれ、私は本番のステージを楽しみにしているのである。アガル? 人生70年やっていると、もう人前でアガルなんてことはありません。先日のステージもそうだったけれど、お客さんの顔が一人一人良く見えました。ははは。
Feb 26, 2015
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ほぼ終日制作。いま描いている絵は、テーマは従来通りだが、対象物が印象する画面の趣が異なる。これで良いのかどうか---。暗中模索とまでは言わないが、胸中に手探りの感があるのは否めない。もう時間的に引き返せないので、このまま突き進むが、一作ごとに何か新しい事をやらなければ飽き足らないのが私のサガだ。こればかりは自分でもどうしようもない。---子供の頃からずっと一つ事をやって来たように思うのだが、飽きっぽさと抱き合わせになっているのかもしれないなー。
Feb 25, 2015
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午後、民生委員の月例会議。年度変わりになるので、平成27年度1年間の基本スケジュールが渡された。つまり来年3月末日までの仕事の予定の期日時間表。そこのところには他のスケジュールを入れないでくれということだ。---まあ、私は、「元気で福祉に励め、死ぬなよ」と言われたと思っている。そう思えば、1年先までのカレンダーが埋まることはありがたいことである。 歌舞伎界は、中村勘三郎さん、市川団十郎さんを亡くし、このたびまた坂東三津五郎さんが亡くなられた。団十郎さんは私より1歳年下だが、御三方のなかでは最も年長で、享年66。みなさん、随分お若いうちに亡くなられた。 歌舞伎界を担う柱だっただけに、行く末に危機感を抱く人もいるようだ。しかし、私は、知らぬ世界ではあるが、歌舞伎の存続にそんな危機感は持たない。伝統芸能の強みといおうか、長老たちの偉さであろうか、伝えるべきことは伝わっているのだと思うからだ。坂東玉三郎さんのように、伝えるための入念な映像作りをしていられる方もいる。 ---「芸」が、その真髄としての「型」が、後代に伝わるということは、実は恐るべきことである。 絵描きには思いよらないことだ。絵描きは、「我は独り、唯独り、なぜかここに生じ、我一人に見える幻影を定着できたなら、それを良しと心得て、子々孫々に何も伝えるものなく亡失するのみ」である。「絵」はひとつの「芸」である。だが、その芸は他に伝えることは絶対にできない。
Feb 24, 2015
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昼間、暖房していると少し暑いくらいの陽気。猫達も暖房している部屋より、それをしていない部屋の窓辺で陽を浴びていた。紅梅も白梅もいまを盛りに咲いている。朝、水道の流水に冷たさを感じなかった。これも昨日と違う。 制作を急がなくてはならない時日になった。明日から3月半ばまで、他の仕事のスケジュールが入っている。で、今日は終日執筆。
Feb 23, 2015
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私の町内に住んでいられるオペラ歌手チェン・シ(陳曦)さんのミニ・コンサートへ行ってきた。自治集会所の小さなホール。お年寄りのための音楽会である。昨年11月にも開催していただいた。 チェンさんは中国雲南省出身。来日20年。そのメゾソプラノの声は圧倒的にすばらしい。ホール全体がビリビリと揺れるのだ。私は制作の手を休めて、我家から歩いて5分ばかりの会場へ行ってきたのである。第一部は来場者全員で春の歌(朧月夜、四季の歌、花、早春賦、故郷)をうたい、第二部にチェンさんの独唱。チェンさんの曲目は;江間章子作詞・團伊玖磨作曲「花の街」加藤周一作詞・中田喜直作曲「さくら横丁」北原白秋作詞・山田耕筰作曲「この道」中国歌曲 「春思(chūn sī=春を思う)」中国雲南省民族歌曲 「小川の流れ」ピアノ独奏----梶ひとみさん シベリウス作曲「樹の組曲」より「樅の木」 ショパン作曲「ノクターン」ブラームス作曲「歌曲集」よりモーツァルト作曲 オペラ「フィガロの結婚」より ケルビーノのアリア「自分で自分が分からない」ピエトロ・マスカーニ作曲 オペラ「田舎の騎士」より「ママも知るとおり」ビゼー作曲 オペラ「カルメン」より「ハバネラ」
Feb 22, 2015
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音楽愛好家の知り合いの某氏が、レコードの再生装置(ターン・テーブルやアンプやスピーカのセット)を持っていると言うので、私の昔のコレクションから数点をお貸しする約束をした。 ギター演奏もされる方で、私がフィリップスでジャケットを描いた、ストラビンスキーの交響詩「シエラザード」を、ジャズギターの名手ラリー・コリエルがギター1本の超絶技巧で演奏した盤の話から、それをお貸ししましょう、ついでに他のお聴きいただきたいレコードもあるので、それも、というわけだ。 実は、ラリー・コリエルの「シエラザード」盤は、フィリップスから届いた見本盤も発売後の盤も、みな友人知人にプレゼントしてしまい、自分用の保存盤は1枚も持っていなかった。過去の仕事を整理していて気付き、しかしそのときはすでに廃盤になっていた。そのことをこのブログに書いたところ、いつも読んでくださっている下関市のちゃれさんがネットで見つけて購入し、なんと私にプレゼントして下さった。私は自分の過去の仕事とおよそ20年振りに再会したというわけである。 さて、レコード・コレクションを保存している倉庫のキャビネットを物色していると、私が中学1年のときの帰省土産に、当時4歳だった末弟に買って行ったSP盤の童謡レコードが4枚見つかった。これらのレコードは、会津若松市大町四つ角にあった同級生・矢内君の家の店で買ったものだ。10年ほど前に会津若松市を40年振りに訪ね、大町四つ角にも行ってみたが、矢内レコード店はすでになかった。ちなみに矢内レコード店の向いに、幕末時代には、戊辰戦争のときに会津の助っ人として駆けつけた土方歳三が逗留した清水屋旅館があった。現在はその旨を記した案内板が立っている。 弟にレコードをお土産にしたのは良いとして、私はこの頃さかんにレコード・ジャケットのデザインを試作し、ダミーを作っている。それも今に残っている。なぜ、そんなことをやっていたのだろう。弟へプレゼントしたレコードは、ジャケットというより紙袋に近い簡単なもので、当時の童謡盤はみなそんなものだったが、私はそれに飽き足らなかったのだろうか。同じ頃、同級生で、やはり大町の大きな金物店の息子の省吾ちゃんの家に遊びに行ったとき、彼のお兄さんの集めたポップスのレコード・コレクションを見せてもらったことがある。ニール・セダカやポール・アンカの歌が流行し、あるいは黒い稲妻といわれたスキーヤーのトニー・ザイラーも歌っていた頃だ。たぶんそういうレコードだったのではあるまいか。そして、それらのジャケットは、童謡のそれとはまるで違っていた。私は、そんなことにインスパイアーされたのかもしれない。 ---それにしても、ずっと後年に、自分が本物のレコード・ジャケットを描くなどとは、想いもしなかったことだ。 昼間、倉庫を掻き回しながら、ちょっと懐かしい気持ちになった。 某氏には、ジャケットの素晴らしさが気に入っているジャズレコード、ブルーノート盤も数枚お貸ししよう。とりあえず、ジョン・コルトレーン「ブルー・トレイン」、バド・パウエル「ジ・アメイジング・バド・パウエル」、ハービー・ハンコック「メイデン・ヴォヤージュ」、マイルス・デイヴィス「マイルス・デイヴィス Vol.1」。それに、プレスティジ盤のマイルス・デイヴィス「ウォーキン」。気にいっていただけたら、また次の機会に。
Feb 20, 2015
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さきほどまでNHKBS2で「喝采 蜷川幸雄と老年俳優たち」を観ていた(21~22時)。演出家・蜷川幸雄氏が主宰する俳優の平均年齢75歳の「さいたまゴールド・シアター」が、昨年12月、清水邦夫作『鴉よ、おれたちは弾丸(たま)をこめる』をパリで上演した。その公演までの1ヶ月半の稽古に密着したドキュメンタリーである。 詳細を書いている余裕はないが、私も間もなく70歳になろうとしている。この日記でもたびたび書いているが、大江健三郎氏の言葉「晩年様式;レイト・スタイル」に倣ってそれを考え模索している私としては、蜷川氏と老俳優達の志向は分かり過ぎるほど分かる。老女優の「私は時間がほしい」という言葉も、「若くなりたいとは思わない。しかし、枯れてたまるかと思う」という言葉も、そして蜷川氏の「年をとって、若いときのように思うように身体が動かず、そこらにあるものに手をついたりする。全体がなめらかでなく、ゴツゴツしている。昔はそれではダメだと思っていたが、今はそれでいいんだと思うようになった。盆栽のようなゴツゴツした感じだ。盆栽を見るときのように、まったく新しい演劇表現が生まれているのだ」と、正確ではないが、そのような言葉。---私には実に示唆的な言葉だ。 ピカソが最晩年に言っていた。「ようやく子供のように自由に絵が描けるようになった。誰が何と言おうと、もう私には関係ない」 そう、彼の絵は、一般の人が言うようには全然子供のような絵ではなかった。引用と、直感の素早い変異による修正の積み重ねの結果だった。 キリコは、晩年、ローマの大邸宅で自己模倣に陥ったけれど、私はそこにさえ行かなければ---
Feb 19, 2015
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早朝から雨。雪になるかもしれないという予報だったが、そうはならず、一日中ぐずぐずとした小雨模様。天気予報も、ピンポイントで予報するのは難しいであろうが、私の気のせいかもしれないが、近年、あまり確度がよくないように思う。私の住まう所が、地形的に、一般的な予報をくつがえすのであろうか。---しかしまあ、今までのところ、予報がはずれたからといって、何か支障を来したことはない。 そういえば、昨日の岩手県近縁に起った地震は、あの東北大震災の余震だという。あれから間もなく4年が経過し、5年目を迎える。あの大地震時に褶曲したか歪んだ太平洋プレートが、物理的平衡を得るためにこの4年間、なおも活動しつづけているというわけだ。人間の力ではどうにもならないことだから、むしろ少しずつエネルギーを放出して、溜込むことのないほうが、その上に住む人間にとってはありがたい。 ドカンと来ないことを願いつつ、ドカンと来ても自分がやられなければ鈍感に活断層の上で原発再稼動を推進する奴ばらがいる。「馬鹿は死ななきゃ分からない」というのは、本当だね。「死んでもらいましょう!」とは、健さんのセリフだったが。
Feb 18, 2015
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CNN.co.jp が伝えるところによれば、カナダの或る会社が開発した「切っても変色しない遺伝子組み換えリンゴ」を、米農務省が承認したという。「遺伝子組み換えリンゴが米国内の農業や他の植物に危険を及ぼすことはないと思われ、規制撤廃によって人間環境に重大な影響が及ぶこともないと思われる」とは、米農務省の弁。 これには当然、賛否両論がある。2年前から遺伝子組み換えリンゴに反対してきた人は、「遺伝子組み換えが危険だという確証はない。しかし人間に対する研究はまだ不十分。モルモットにされるのはご免だ」と訴えている、と、これもCNN が書いている。 私は、自作絵画のシリーズ、「新アダムとイヴ」で「りんご」を描いて来た。スーパーマーケットや八百屋から、そのつどモデルになりそうな「りんご」を買って来る。日本産はもちろんだが、あまりにも立派過ぎて、最近では某国からの輸入品を使うことが多い。やや小振で、美しい色つやをしている。ところどころに混じる黄緑色も美しい。 アダムとイヴの神話の「智慧の木の実」として同定されている「りんご」だが、元来、旧約聖書にもミルトンの『失楽園』にも、「智慧の木の実」が「りんご」であるとは書いていない。ミルトンは「黄金の実」と書いている。そう言えば、1979年のアメリカ映画、ジョン・ヘイマン監督制作の『創世記』は、新約聖書の「ルカ福音書」を忠実に映像化したことで知られるが、この中の「エデンの園」のシークエンスに登場した「智慧の木の実」は、---いま確認している余裕はないが---たしか、銀色をしていた。 そんな蘊蓄はともかくとして、「りんご」に関心をもっている私としては、「遺伝子組み換えリンゴ」は、願い下げだ。 研究が本末転倒してはいまいか。つまり、「色が変わる酵素を抑制」すべく、遺伝子組み換えをするよりも、リンゴがなぜ切ると変色する必要があるのか、なぜ、その生物的仕組みとして変色するための酵素が元来含まれているのか。その研究の方が先決であろう、と私は思う。 「遺伝子組み換えリンゴ」は、もはや「智慧の木の実」ではない、と私は思う。アダムとイヴに「智慧の木の実」を食べることを禁じた神に、私は神の傲岸を思い、すなわち神話に神の名を借りた支配者の「知の独占」を見るのだけれど、しかし、いま、「遺伝子組み換えリンゴ」の出現は、利口ぶった人間の浅はかな知恵---科学者の非科学の笑うに笑えぬ滑稽な寓意かもしれない。 私は自作のモデルとなる真のリンゴ探しに腐心しなければなるまい。【関連報道】CNN.co.jp 切っても変色しない遺伝子組み換えリンゴ、米当局が承認 2015.02.17 Tue posted at 15:01 JST
Feb 17, 2015
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きょうは午前中は、主治医のクリニックに行き、2ヶ月に1度の簡単な健康チェック。血圧110ー70。すべてきわめて良好。これで安心してまた仕事に打ち込める。
Feb 16, 2015
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前日の日記に書いた署名のことで思い出したことがある。 中学1年生のとき、私はスコットランド、グラスゴー市の少女と文通をしていた。たしかグラスゴーから私の学校、会津若松市の第三中学校に、文通相手の照会があったのだと記憶する。授業で英語を習い始めたばかりの私は、それを使ってみたくて申し込んだのだった。少女の名前は、---ああ、忘れてしまったなぁ---。 当時はコンピューターなんてないし、中学生ではタイプライターもない。手紙はペンとインク(ボールペンもない時代だ!)の直筆。で、末尾におきまりの〈Yours sincerely〉と書き、そして署名する段になって、はたとペンを止めてしまった。書き慣れた、オリジナリティーのある書体など、思いつかないのだ。 ああでもない、こうでもないと、いくら格好つけようと工夫しても、ちっとも「サイン」らしくならない。随分練習したように思い出す。結局、---どうしたのだったろう? そのあたりのことは全然憶えていないが、ともかくも何日か試行錯誤の末に、手紙に署名したのだった。 現在、私が作品に書き入れる署名は、何の飾り気もない単純なものだ。随分昔のことだが、署名を求められて書いて差し上げたら「意外に普通の書き方なんですね」と言われて、笑ったことがある。たぶん拍子抜けしたのだろう。まあ、そんなわけで、ちっともありがたみのない書体なのだが、実はアルファベット綴りの1字だけ、中学1年生のときに工夫した字体、グラスゴーの少女への手紙の末尾に記したと同じ字体なのである。 そのときから、56年が過ぎた。少女はどうしているかしら---
Feb 14, 2015
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古今東西、芸術家たちはその作品に署名を書き入れて来た。1800年以降の世界中のそうした芸術家の署名を収集し、そのリスト・アップした芸術家の出身国や生没年月日を記録した10数巻の参照事典がある。著者はジョン・カスタニョ( John Castagno)。出版社はアメリカ、メリーランド州ランハムに本社を置くthe Rowman & Littlefield Publishing Group 傘下の、スケアクロウ出版(Scarecrow Press)。スケアクロウ出版は1995年にアメリカ大学出版によって買収され,その後、現在のロウマン・アンド・リトルフィールド出版グループの一員となった。人文系学術図書やリファレンスブック、政府出版物、教育図書を出版している。 こんな紹介をしたのは、実は、上記の参照事典の一冊、『アフリカ、アジア及び中東の芸術家 ; 署名とモノグラム、1800年以降』(African, Asian and Middle Eastern Artists: Signatures and Monograms From 1800)に、私、山田維史(Tadami Yamada)の署名が掲載されています。本の価格、125ドル(80ポンド)。約14,900円、ちょっと高価な本です。【註】モノグラム;姓名のイニシャル組合せのこと。例えば、TadamiYamada を TY と記したり T.Yamada と書いたもの。 このような参照事典は、美術市場における作品の真贋鑑定や、年代による署名の変遷を比較して作品の制作年を決定するなどに使用されます。African, Asian and Middle Eastern Artists: Signatures and Monograms From 1800978-0-8108-6357-6 (December 2008)By John CastagnoScarecrow Press
Feb 12, 2015
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E・T・A・ホフマンの怪奇小説のような、あるいは、もっと現実的な肉体感覚のある、アルジャーノン・ブラックウッドの怪奇小説のような、と言えばよいだろうか。 こんな夢を見た。 ある集合住宅風の建物の何階かの通路で、いまどき珍しい黒い詰襟学生服の若者を、20メートルほど先に見かけた。たぶん高校生なのだろう。ほかには誰もいなかったが、彼はその場に立ち止まって何やら独りごとを言っていた。 私は特別気にもせずに近づき、やがて擦れ違うだろうと思ったそのとき、「おやっ?」と、歩みを止めた。彼は、独りごとというより、誰かに面と向かって話しているのだ。しかも時々、「ちがいます、ちがいます」と言いながら、顔の前で手を振ったり、方角を指差すのだ。 私は、どうも奇妙な奴に出逢ってしまったな、と思いながら、通り過ぎようとすると、彼は私より早く駆け出し、階下への階段を走り下りて行った。 私もそのあとをゆっくり下りて行くと、またしても彼が通路の曲り角に立ちすくんでいた。私がそのまま通り過ぎようとすると、「行かない方がいいです!」と、ささやくように言った。 「どうかしましたか?」と、私は半ば振り返って聞いた。 「あの突き当たりがボクの部屋なんですが、ボクを付け回している人が、あすこに先回りしているんです」 私はその突き当たりを見やった。誰もいなかった。 「誰もいませんよ---」 「います---こっちを見ています」 「ここで待っていて。私が見てきますから」 「やめてください、だめです、行かない方がいいです」 しかしこの若者をこのままにして立去るわけにもいかない。それに私もまた、この通路数メートル先の右側にある階段を下りて行かなければならない。 震えているようにも見える彼をその場に残して、私は彼の部屋のドアに近づいて行った。 が、歩いて行く私の正面からもの凄い圧力がかかった。空気が厚い壁になり、進めないのだ。その感じは、まるで、自転車のタイヤにエアを注入していたポンプが、エアが十分入ったのでシリンダーの内部に抵抗が生じる、そんな喩えで言えばよいだろうか。私に圧をかけているのは、ただ透明な空気だ。 私は両手で空気の壁を押しながら、「出てこい! そこにいるなら、出てこい!」と、むしろ脅すように言った。ずずっと,私の身体が押し返された。「出てこい! 出て来てオレに取り憑いてみろ!」 私は、肩ごと空気の壁にぶつかって行った。 その途端だった、廊下の床にドスンと音をたてて、黒髪を逆立て振り乱した、何やら奇態なものが芋虫のように転がった。7、8歳の子供ほどの大きさで、顔は乱れた髪に埋もれて見えない。一瞬のうちに跳ね起きて、無言のまま私に飛びかかって来た。が、そのとき私は、火事場の馬鹿力ではないが身体に力が漲り、そいつを両手で抱え込み、目の高さまで持ち上げざまに床に叩き付けた。そいつは髪のなかから凶暴な目をのぞかせたが、たちまち床の中に溶け込むように消えてしまった。 私は振り返って若者を見やった。 そこには誰もいなかった-----
Feb 10, 2015
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3月の美術講義の準備は、すべて完了した。講義用原稿400字詰64枚、パワーポイントで制作したスライド66ページ、全159点の関連画像を収録した。これに新技法による拙作1点と、古写本のレプリカ、そしてラップトップPCを持参する。 この講義日の4日前に、民生委員合唱団の大ホールでの出演が控えている。本番前の練習もあったりで、何かとスケジュールが入っている。そんなわけで、講義の準備を早々と済ましたのだ。 明日からはまた絵の執筆に集中する。新しく取りかかっていた作品を、一部分手を入れたまま、数日間放っておいた。と,言っても、気持ちが途切れないように、横目で見やりながら、ここをこうして、あそこをこうして、と頭の中で筆を揮っていたのだけれど。
Feb 8, 2015
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昨日深夜から雨が降りだし、そのまま朝を迎えた。雪にはならずに済んだと思っていたら、雨は昼頃に細雪となった。庭の何も植わっていないプランターに、うっすらと積もった。それもすぐに止んでしまったが、6日はどうも積雪となると予報がでた。もし雪となれば,東京は今年7回目だという。それには、ちょっと驚いた。私の知るかぎり4回目だと思ったからだ。都心より気温が低いと思っていたが、そうでもないようだ。まあ、そんなことはどうでもいい。昨日も書いたが、とにかく雪は願い下げだ。 講義用原稿は、今日5枚書いて、結局、55枚とした。なるべく沢山の参考画像を見せたいので、話をしながらコンピューター操作をするのだから、原稿はそのぐらいの分量にしておかないと最後にあわてることになる。まあ、講義が終わったら書き足して、ちゃんとした論文にすればよい。 というわけで、21時から先ほど0時まで、パワーポイント(マイクロソフトのコンピューター・ソフト)で、スライド原稿を作っていた。まだ冒頭の部分僅かしか出来ていない。画像は60点程になろうか。これでも今回のテーマに関する私のコレクション6分の1の数だ。 ----実は、こんなふうに準備しているときが、一番楽しい。----しかし、もうそろそろ眠くなってきた。毎晩、ベッドに入ってからしばらく読書するのだが、昨夜など、本を開いたまま眠ってしまっていた。わずかなページずつ途切れ途切れに読んでいて、著者の論理が頭に入っているのかしら、と朝になると自問している。
Feb 5, 2015
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23時を過ぎて何だか冷え込んで来た。気象予報は関東甲信の5日は降雪となっている。東京も積雪になりそうだ。街には先日掻き揚げられた雪が溶けきらずにまだ残っているところがある。今日、昼間は比較的温かい日差しがあったけれど、日陰の雪を溶かしきるまでの気温ではなかったようだ。あちらこちらの地方から花の便りも聞えているが、我家の盆栽の桜は屋内に入れたままだ。ちらほらの雪には、「冬将軍じゃなくて一兵卒だね」と、家人と笑いながら窓越しに眺めていたが、積もる程の雪は願い下げである。 講義用の原稿は、毎日執筆しているわけではないが、400字詰40枚の予定が書き進めるうちに50枚になり、できるだけ端折っているものの、完璧に論説したいという気持ちに折り合いをつけるのに苦労している。最後をばたばたとやって尻切れトンボになるのも嫌だし、60枚くらいで早口でまくしたてようか----。大阪のシルフちゃんだったかな?、私の話ぶりをマシンガン・トークと言ったのは。
Feb 4, 2015
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「ミケランジェロの現存する唯一のブロンズ像か?」と、今朝のCNNが報じた。豹にまたがって片手を上げる男性裸体像で、左右対称の2体。高さ1mほどだそうだ。 かつて19世紀に一度、ミケランジェロ作品ではないかと言われながら、無署名であったために否定されていた。今回、ケンブリッジ大学のポール・ジョアニデス教授が、1508年にミケランジェロの弟子が研究のために師匠の作品をスケッチしたものが、一体だけながら、この豹にまたがる男性裸体像に一致することに気づいた【山田後註】。X線調査の結果、1500年代のブロンズと判明した。また、脚の腱の造り方がミケランジェロの方法だった、と言う。もし、ミケランジェロの作品だとすると、ブロンズ像としては本作が、現存する唯一のものとなる。 ミケランジェロの彫刻作品の新たな発見と真贋論争はかつてもあり、19世紀のカーサ・ブオナローティの目録に記載されていた横木と両腕の欠けた小さな木彫のキリスト磔刑像が、1965年、イタリアの碩学トルナイ博士によって、様々な資料からミケランジェロ作と断定されている。一昨年、2013年に東京・国立西洋美術館で開催された「システィーナ礼拝堂500年祭記念 ミケランジェロ展」に貸与され、来日した。 近年、7、8年程前だったろうか、骨董屋で買った小さな木彫のキリスト磔刑像が、1490年頃のミケランジェロ作品と推定された。発見者の個人蔵となっていたが、たしかこの彫像だと思うが、2009年にオークションに出品され、イタリア政府が3.3million ユーロで落札した。現在のレートで4億4千万円。ミケランジェロの作と断定されたわけでないものを、高額で買ったことが論争になったようだ。---たしかに公金を使うと批難する人も出てこようが、私はイタリア政府は利口な買い物をしたと思ったものだ。現段階で真作と断定できなくとも、限りなくミケランジェロ作品と推測されるなら、国外に持出される前にきっちり手を打っておくべきだろう、と。ミケランジェロの彫刻が美術市場に出回るのは稀というより、異例のことと言ってよい「事件」である。 そうそう、やはりCNNが伝えた昨日のニュース。2013年にロンドンのクリスティーズのオークションに出品されて60万円で愛好家の手に渡った19世紀のイギリスの風景画が、今度はニューヨークのサザビーズのオークションに出品され、6億円で落札されたという。どういうことかと言えば、クリスティーズ社では作者不明とされたが、サザビーズ社はジョン・コンスタブルの新発見作品と鑑定したのだ。 いずれの鑑定が正しいかは不明。両者それぞれの言い分で論争中というところか。 鑑定と言えば、日本のテレビ局の有名番組で、かなり初期の頃、ドイツで購入して大金をかけて輸送したと言っていた大きな木彫が出た。三日月の上に乗った聖母子だった。鑑定に当たった現在のレギュラー鑑定家でない方が、偽物と鑑定した。理由は、たしか、「三日月の上に乗っている」ことを指摘したと記憶している。 私はこのとき、「おいおい,待ってくれよ」と呆れたのだが、「三日月の上に乗った聖母子像」は図像学的に存在するばかりか、ドイツの後期ゴシックの木彫聖母像は、その使われている木によって、どこで作られたかはっきりしているのである。当時、ライン河を使って搬送されていたその木材は、彫刻家組合の協定で、産地によって運ばれる工房の町が決められていたからだ。もちろんメヘレンの彫刻家組合のように、彫刻作品のどこかに「M」と、認証を刻んだ場合もある。そういう認証がなくても、科学測定で木材の年代や材質を調べればほぼ正確に、どこで制作された木彫聖像かがわかるのである。 件の鑑定家はそれを知り、かつそのような科学調査をおこなったうえで、「偽物」と言ったのだろうか。偽作者は、ずいぶん苦労して、一般人が買えるような骨董品が並ぶ店で売られる、無名職人工房の彫刻を作ったものである。それも、たしかな技術で。---番組に出演した所蔵家さんは、どうぞ大切に所持なさってください。たぶん日本の美術館には、それほど大きなドイツの後期ゴシックの木彫聖母像は存在しないかもしれませんから。---そう、私は思ったものだった。 ところで、冒頭のミケランジェロ作とされた「豹にまたがった男性裸体像」だが、研究者を前に言うのは勇気がいるが、ひとつ浮かんでいる疑念が私にはある。疑念、と言うよりちょっとチェックを入れておいたというところだが、まあ、そのことについてはここに書かないでおこう。かつてミケランジェロ研究者が言っているかどうか、浅学の私には分からないから。【山田註】 この弟子のスケッチと言われる画像を、ここに掲載できないのは残念だが、実はブロンズ像と完全に一致するものではない。裸体の男性が豹にまたがっているのは同じで、それを背後から描いているけれども、腕は二の腕を少し描いているばかりで、さらにその僅かな腕の姿勢は、ブロンズの拳をにぎって高く突き上げている極めて特徴的な姿勢とはかけ離れている。完成したブロンズを写生したとは考えられないので、師匠の構想中のスケッチを写したのかもしれないが、この弟子のスケッチがどのような状況下で描かれたのか、補助的な史料は発見されていないのかもしれない。ともかく、スケッチとブロンズ像とには異同があることを書いておく。 念のために言うが、この註に記した事と、私に浮かんだ疑念は、まったく別の事である。
Feb 3, 2015
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昨日31日、ドイツ統一後の最初の大統領だったリヒャルト・フォン・ワイツゼッカー氏が亡くなられたという。享年94。 ワイツゼッカー元大統領は、第二次世界大戦敗戦後40年目にあたる1985年5月、ドイツ連邦議会において、「過去に目を閉ざす者は、現在にも盲目となる」という演説をし、ドイツが背負わなければならないナチス・ドイツの過去に国民が正面から向き合うよう求め、そのように国を導いた。 その問題に関して、今、世界はドイツ国民に対して非をとなえる者はいない。ネオ・ナチと称して無恥な極右民族主義が胚胎すると、憲法によって叩き潰してきた。そして、今後も叩き潰しつづけるだろう。 私はそのようなドイツ国民に敬意を表明しつつ、リヒャルト・フォン・ワイツゼッカー氏の透徹した知性と勇気に私の衷心より敬意を捧呈し、逝去を悼みます。RIP
Feb 1, 2015
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