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まだ腐り切っていない組織があった。関東学生アメリカンフットボール連盟の理事会のことである。 日大選手が対戦相手の関西学院大学の選手を悪質なタックルで負傷させた問題で、同連盟理事会は綿密公平な調査結果等をふまえて、事件以来の日大前監督および前コーチの主張を「虚偽」と一蹴し、当該選手に対して権力を傘に有無を言わせぬ精神的な圧迫により、相手選手に対してケガを負わせしめる指示をしたと認定した。 私が今あえてこれを書き留めておくのは、司法事件以外のいわば一般の民間組織、少なからず公益性ないし公共性を付与されている組織が、問題の核心に迫る調査をして事件当事者の命令系統の上位部分(権力者)を断罪し排除した事例を、私はかつて知らない。今回の事件が突出した事例と言うにせよ、日本の組織に出来(しゅったい)する「腐臭」は、関東学生アメリカンフットボール連盟理事会の認定事実とほぼ共通するのである。 学問的な組織論において取り上げられてこなかったにもかかわらず、そのような事実の横行は、武士道などという権力者御都合主義の「美名」に絡めとられた社会構造にはじまり、やがて「教育」という美名にとってかわって、日本軍隊から暴力団まで、宗教教団内の盲従から、果ては近年とみに多発する他人の人格を崩壊せしめて家畜化・奴隷化する事件構造に、さらに文部科学省を頂点とする各教育関係機関のなかに、そしてまさに現在の政治中枢にまで、意識の通奏低音として脈々として存在する。組織の腐敗を温存させる「日本文化」がある。とうてい個人の「人格」の問題としてすむものではなさそうだ。 アメリカンフットボール悪質反則事件における関東学生アメリカンフットボール連盟理事会の判断は、ケガを追わせた当該選手の自主的な謝罪および告白の記者会見における真摯さと、加えて世論の後押しがあったかもしれないが、じつにまっとうな判断だと、私は、理事会代表による記者会見のライヴ報道をあますところなく見て、思った。ただし、全会一致ではなかったという。16対4で、4人の処分反対者がいた。しかしながら、前監督ならびに前コーチに対して、まだ決定したわけではないというものの、関東学生アメフト連盟からの永久追放に等しい「除名」処分の判断は、そこに到る検証技術をふくめて、おおげさと言われるかもしれないが、社会学的に、あるいは日本文化論として、かなり重要な事例だと思ったのである。
May 30, 2018
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夏風邪は治りにくいというが、まったくそのとおりだ。寝込むほどでないのも、なんだか中途半端な感じ。 作品制作は中止している。それはまあ良いとして、困ったのは今度の日曜日、6月3日、合唱で「童謡と唱歌のフェスティバル」に出演することになっている。いまのところ声は出るが、本番中に咳が出はすまいかとそれが心配だ。 合唱の強みといおうか、私が出演しなくてもどうということはない。が、練習してきた時間が無駄になると思えば、個人的にはそれが悔しい。しかし、演奏中に咳だけは、どうもねー、こんな迷惑をかけることはない。明後日、最後の練習があるので、それで自分の進退をきめよう。
May 29, 2018
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映画キャメラマン・たむらまさき(田村正毅)氏が今月23日に亡くなられたという。享年79。 『竜馬暗殺』(黒木和雄監督)や『さらば愛しき大地』(柳町光男監督)など優れた撮影をされたが、私はドキュメンタリー + ドラマの『1000年刻みの日時計 牧野村物語』(小川紳介監督、1986年)1本によって、田村氏の逝去を追悼いたします。すばらしい撮影でした。
May 28, 2018
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ああ,風邪の熱が引かない。制作は休みだ。 身体の調子が悪いときに描くと、絵も病気になる。私は20代半ばの出発当初に、大失敗をしている。病気の絵が、画廊で販売された最初の作品になってしまったのだ。他人の所蔵になった作品をとりもどすことはできない。 どういうことだったかと言うと、病熱でふらふらしながら描いていると、たとえば描線などを訂正したくとも、訂正するだけの気力がないのだ。イイ気になってふりしぼったつもりでも、そんな芝居じみたごまかしで作品は成立しない。他人にはさとられなかったとしても、私自身にはよくわかる。ダメなものはダメ、ということ。しかし、職業となると、いろいろな約束に縛られる事情もあって、----後々、「アア、クソーッ!」と後悔するのである。 制作機械が突然ストップしたようなぐあいだから、「工場休止」の看板を心につり下げて、なにもしないで一日を過ごすのもなかなか辛い。一種のワーク・ホリック状態だったのだ。
May 26, 2018
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風邪ひいた。熱がある。こんなことも7年ぶりくらいだろうか。鬼のカクラン(霍乱)と、自分で言っておこう。
May 25, 2018
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アメリカの小説家フィリップ・ロス氏が昨日亡くなったという。享年85。 現代アメリカ文学の最も偉大な作家といわれている。 私はかつて、25,6年前、『さようならコロンバス(GOODBYE COLUMBUS)』(英語本)をポケットにいれて持ち歩いていた。1959年に出版されたこの長編小説は全米図書賞を受賞して、ロス氏は一躍脚光を浴びることとなった。ユダヤ系アメリカ人としてのロス氏の思い出を反映して、階級のちがう若者の恋を描いた、ときめきと喪失の青春小説である。 「The first time I saw Brenda she asked me to hold her glasses. (ぼくがブレンダを初めて見たとき、彼女はぼくに眼鏡を持っていてくださらない、と言った)」という、印象的な最初の一行。今しも水泳のダイビングをしようとしている彼女は近眼なのだ。---そして、最後の行。「I did not look very much longer, but took a train that got me into Newark just as the sun was rising on the first day of the Jewish New Year. I was back in plenty of time for work. (ぼくはそれ以上見ていなかった。そしてぼくをニュワークに運ぶ列車に乗り込んだ。ちょうどそのときユダヤ暦新年の第一日目の太陽がのぼった。ぼくは仕事に忙殺される日々に帰った)」(日本語訳は山田) ふたつの「first」という言葉、そして「saw (see)」と「look」という言葉が、最初と最後で反射しあっていると考えられるだろう。 さらにこの最後のセンテンスは完全韻(full-rhyme)と不完全韻(imperfect-rhyme)で構成されていて、詩のようなそのリズムは、若さと別れて人生のあらたな曲面への出発を表現しているかもしれない。 look - longer - took - Newark - Year - work 下の画像はいつもポケットにつっこんでいた『さようならコロンバス』(講談社英語文庫)である。 フィリップ・ロス氏の逝去を悼みます。
May 23, 2018
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あいもかわらず閉じこもって作品を描いている。背景となる1,500個の5〜7ミリ四方大の物の描写は、きょうで1,350個まで描いた。 が、である。すでに下塗りしたその物をあらためてざっと数えたら1,500個以上だった。2,000個もあった。自分で構想しておきながら、「ギョエーッ!」である。 しかし、1,350個も描写してくると、自分のイメージしていることが、色調もふくめて具体的に見えてきて、やらなければならない気持の勢いがある。----とはいえ、目は疲れますワ。ホンマニ。気休めかもしれないが、一日二回目薬をさしながらだ。 7月末日を目処に完成させたいと思っている。そしてその頃に、年に一度の大腸がん検査をふくむ健康検診を受けようと思い、主治医に予約を入れた。ニューヨークに送る作品制作が、完成したものの出品を取り止めた作品制作をふくめて6ヶ月間つづき、終わった途端に腰痛になったことを話すと、「背筋が固くなってしまったのだ」と言われた。 「ヤマダさんは、ウツ気味になることはないですか」と訊く。「わたしはストレスがたまらない性格なんです」と応えると、「そのようですねー」。 なんでもおもしろがってしまうからだろう。悩みだって、こんなことで悩んでいる、と自分の小ささにを笑っちゃうのだから、ストレスなんてたまるわけがないのだ。ハハハのハー、である。
May 22, 2018
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一日中、制作。現在21時45分、きょうの仕事を終わり筆を洗った。目が疲れた。
May 20, 2018
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きょうは朝から昼過ぎまで地域の児童館「こどもまつり」の手伝い。 私の担当は「段ボールでパズルを作ろう」。児童館職員が完璧に下準備をしてくれたおかげで、私は、未就学児から小学3年生くらいの子供たちがそれぞれ自分の好みで着色して作ったパズルを、「じょうずにできたねー!」とか「きれいな色だねー」などと褒めながら、カッターで切り離してあげるだけ。 毎年手伝いながら子供たちを見ていて思うのは、ほんとうに個性が表われること。色彩はもちろん、その綿密さや大雑把さ。しかし、「いいねー、うまくできたねー!」と言うと、誰もが嬉しそうな顔になるのは、いっしょうけんめい取組んだからなのだ。途端に私にいろいろ説明しはじめる子もいる。表現がたくさん詰まっているのである。 きょうのお母さんお父さんたち、あるいは祖父母さんは、子供の作業をそれが完了するまで15分20分---かたわらで口出しせずにジッと待っていた。すばらしい。物を作る子供に対して、親としてその態度はとても大切。---私はおよそ200人あまりを相手にして、半日、私自身の作品制作から離れていたのだった。
May 19, 2018
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「ニューヨーク・アート・エキスポ 2018」において展示した私の作品 『1945年8月6日、広島で死亡した25万人の原爆犠牲者のための250,000の黒い点』(後註)『私は人智を信じる;No.1, 2, 3, 4』 Tadami Yamada"THE 250,000 BLACK DOTS FOR AS 250,000 ATOMIC BOMB VICTIMS OF DEATH IN HIROSHIMA, IN 6th AUGUST 1945" Indian ink on carton mounted canvas with oil and partly with resin. 2018. "I BELIEVE HUMANITY; No.1, 2, 3, 4" Oil on canvas with resin. 2017/2018.【註】この作品は、中央部は厚紙に墨汁で実数25万個の点を描いてキャンヴァスに貼り、周囲を白い油絵の具を厚塗りしてその部分のみを特殊技術によって透明樹脂をガラス状に覆いかぶせてある。また、キャンヴァスの下部に英語で作品タイトルと私の署名がグレーの油絵の具で書き込んである。
May 18, 2018
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我家のナツグミが豊作であると書いた。ナツグミという名称は正式な和名である。『牧野 新日本植物圖鑑』によれば、「ぐみ科」植物は他に7種ある。じつは我家のグミは、果実が大きいので、トウグミではないかと思ったことがあるが、トウグミは低木で枝にトゲがない。しかし我家のグミは丈4メートルもあり、長さ3センチメートルを越すトゲがある。しばしば庭木として栽培されるナワシログミもトゲがあり、丈2.5メートルほどになるようだが、ナツグミと異なるのは葉が厚い。いずれの種類も果実は食すことができる。 さて、私があらためて書いたのは、「グミ」という名称のことだ。牧野富太郎博士は、元来、「グイの実」の訛ったもので、グイは杭のこと、すなわちトゲ(棘)、---トゲの木になる実なので「グイミ」がいつしか「グミ」になった、と。ナツグミは夏に実がなるからで、アキグミは秋に実がなるからだという。 なかなか素直な名称だが、私はじつは「グイ」がトゲのことだということを知らなかった。漢和辞典や国語辞典、古語辞典などを調べたけれども、「グイ」という言葉が出てこない。どこか地方の言葉かと思い、その方面をさらに調べてみると、高知のほうでグミを「グイ実」と言っているらしい記事にであった。牧野博士も著書『植物一日一題』において、土佐ではそのように言うと書いていた。まさに転訛以前の元来の名称ということになろう。 なお、同書において牧野博士は、グミを「茱萸」と書くのは誤りと言っている。全然別の植物であり、いわゆる権威筋の漢和辞典においても訂正されずにあることを強く批判している。 たしかに博士の指摘のとおり、種々の漢和辞典はいずれも「茱萸」について別称として「グミ」と記しているのである。国語学者の怠慢、知識の狭量であろう。あるいは編集方針として「俗」も立てたのだとしたら、まさに現代の国語辞典のスタンダードを喪失した言語破壊に通じかねない軽薄な編集方針だ。私が常々感じて慨嘆している、「役にたたない国語辞典」の横行である。 ついでながらお菓子のグミは、ドイツ語のGummiだろう。つまり、ゴムである。あるいはチューインガム(英語;chewing-gum) のガムである。
May 17, 2018
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小庭のナツグミが真っ赤に熟れ、祭提灯のように緑陰に灯っている。籠に柔らか紙を敷いて、収穫した。随分な量である。豊作だ。一度には食べ切れないが、夕食後のデザートにした。ほんのり甘酸っぱく、かすかな渋みがある。いささかの野趣が楽しい。 ちなみに夕食はブイヤベース。真鯛、海老、帆立貝、そして玉葱、ジャガイモ、キャベツ、トマトを、コンソメスープで月桂樹、セージ、タイム、胡椒とともに煮込んだ。---私は夕食に御飯やパンや麺類は、ほとんど食べない。それらは朝食や昼食で食べ、一日の炭水化物の摂取を調整している。もっともブイヤベースに入っているジャガイモは炭水化物ではある。 さて、きょうも一日中、制作にかかりきりだった。真っ白な何も無いキャンヴァスに、私の頭の中にしか存在しないイメージが、少しずつ少しずつ形を現してくる。 目に見える形に、本当に成るのだろうか? そういう不安が、かすかにではあるが、常に心の中にある。そうやって長い年月、孤独な時間をしのいできた。----我ながらヘンな人生だと思うよ。目に見えなかったモノをキャンヴァスに定着したと思った瞬間だけ、私の喜びがある。その一瞬以外に私自身の喜びも楽しみも、苦しみも悲しみも、この世にはない。急いで付け加えれば、私は「あの世」なんていう幻想にひたる人間ではない。したがって私には「あの世」は無い。この世で作品が完成して筆を置きホッとする、その一瞬のなにものにも変え難い喜びのために、執念深く生きているようなものだ。 そういえば、先日、医療クリニックでの美術講義のあとで、「ニューヨーク・アート・エキスポ」に出品した私の作品、『1945年8月6日、広島で死亡した25万人の原爆犠牲者のための250,000の黒い点』と『私は人智を信じる;No.1,2,3,4』とについて少し話した。すると院長先生が質問した。 「『私は人智を信じる』というのは、ヤマダさんの皮肉ですか、それとも本当にそう思っていらっしゃるのですか?」と。 私は笑ったが、おもしろい質問だと思った。 というのは、私は冗談はしょっちゅう言うけれど、「皮肉」は言わないからだ。私の思想は「虚無」とは無縁である。おそらく「言葉」として私と同様のことを言う人はたくさんいるだろう。何がちがうかというと、私には「虚無」がないことだ。私が「人智を信じる」と言ったとき、人間のもっとも不幸な状況、絶望的な状況、----そこから脱出し、変革するのは人智以外には無いことを、私は知っているからだ。 たとえば、この世界から核兵器を排除し、非核化しようと思えば、その思いの根底にあるのは核兵器保持とその使用が人類滅亡へつきすすむだけで決して人類の幸福を保証するものではないと知っているからで---あるいはイメージできるからで---、そのイメージにはすでに人智がはたらいているのである。 そうでしょう? 人智以外に、何が人類を絶望から救うことができますか? 人類の先行きのことを考えると、「虚無」など入り込む余地はない。ましてその場限りでしかない「皮肉」など、口走って何になりましょうや。 つまり、院長先生、山田維史はまったくロマンチストではないのです。現実主義者として、私は人智を信じるのです。 きょう16日、広島平和記念公園で、原爆死没者名簿114冊の「風通し」があった。昨年8月6日時点で亡くなった方々、30万8,725人。 私の作品はさらに10万余人を書き加えなければならないだろう。【追記】 広島市によると昨年8月6日以後、今年6月7日現在、新たに2676人の死亡が確認された。したがって名簿に記載された原爆による死没者は31万1401人となった。 〈朝日新聞〉による
May 16, 2018
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ここ数日間、一歩も外出せずに作品制作にかかりきりだ。したがって日記に書くほどのこともないのだが、きょうは「母の日」だというので、亡母が私に宛てた手紙の画像を掲載しようと思う。 すでに何度も書いてきたが、私が家族と暮らしたのは小学生まで。その後は勉学のために家を出た。母の手紙は、親戚も知人もいない地で孤独に勉強する私へ宛たもの。中学・高校・大学時代を通して、毎月の仕送りの現金書留にそえられたものや、折々の手紙である。古いのは60年前の手紙ということになる。画像のとおり、紐でひとまとめに結わえて捨てずに保存してある。 私の両親は、私に対して世間で言う親らしい説教とか教えとか、叱るとか、---そんなことを一度たりともしたことがなかった。子供に対して全幅の信頼をおき、まったく疑ったことがない。自分の子供の名前を呼び捨てにしたこともない。 勉強しなさい、なんてことも、言われたことがないなー。 私は学校の勉強を家で復習予習することはなかった。学校の勉強は学校で。家に帰ったら自分のやりたいことをする。---そんなことを一々考えていたわけでは全くないが、それが事実だ。家を出てから後の私の日常生活を両親は知らないのだが、勉強について訊きもしなかった。受験勉強さへしたことがないので、高校の担任教師があきれたように「みんなが灰色の高校生活だと言っているが、ヤマダくんは薔薇色のようだな」と言ったものだ。別の教師は、「どうして一浪二浪してでも某大に行こうとしないんだ!」と言った。私は、何と応えたか忘れてしまったが、とにかく一から万事そんな調子だったのだ。それでも両親は私をまったく疑わなかったし、心配もしなかったようだ。 ----母の手紙はその信頼の証。60年間、私は一度も読み返したことはない。が、捨てずに持っているのは、たぶんそれらが私という人間を造っていると心のどこかで思っているからだろう。考えたことはない。特別なものと思っているわけでもない。---しかし、特別なものなのだ。言葉に表わせられないけれども。私は両親から「人間の尊厳」ということをおそわったのである。 母は、亡くなる直前、看護している私に、「にいちゃんと暮らせて楽しかった!」と言った。「ハハハ、そうかい。それはどうもありがとう」と私は言った。
May 13, 2018
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寒いねー。この時季、気温11℃とは! それでというわけではないが、私はこの夏、NASAの「太陽に触れる旅」のミッションに加わり、太陽探査船に乗って宇宙に飛び立つ。そのチケットが下の画像。3月の初めに送られてきた。私の名前(Tadami YAMADA) が記されているでしょう? フフフ、燃え尽きてしまうわけ! というわけで、きょうも一日中、仕事場にこもって制作。さきほど20時30分、区切りが良いところで、今日の作業を終わった。夏まで頑張らなくちゃ!
May 9, 2018
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広大な会場の「ニューヨーク・アート・エキスポ」。あの大勢の観客のなかに、私の名前と画風を覚えていて観に来てくれる人たちがいたというのは、なんとも嬉しい事である。あるいは、真っすぐ私の作品にむかった観客も---。 そんな観客を思いながら、きょうは韓国展のための作品を終日制作。降り止まない雨。寒い。シャツ一枚を重ね着してキャンヴァスに向かっていた。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ところで、訃報である。 イタリアの映画監督エルマンノ・オルミ氏が亡くなったという。新聞には何日に亡くなったかは書いていない。享年86。 『木靴の樹』(1978)、『偽りの晩餐』(1987)、『聖なる酔っぱらいの伝説』(1988)。私がスクリーンで観ているのはこの3作品だけだが、いずれも忘れ難いすばらしい映画。急遽、劇場パンフレットをさがしたが、『木靴の樹』と『偽りの晩餐』は倉庫のようだ。『聖なる酔っぱらいの伝説』(主演;ルトガー・ハウアー)だけが本棚の上の資料箱のひとつに見つかった。「シネマスクエア とうきゅう』のパンフレットである。それを掲載して、エルマンノ・オルミ監督を追悼する。
May 8, 2018
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「ニューヨーク・アート.エキスポ・2018」の写真をご覧ください。会場の様子と、つづく4点は私の作品『1945年8月6日、広島で死亡した25万人の原爆犠牲者のための250,000の黒い点』と『私は人智を信じる;No.1,2,3,4』を観るお客さんです。
May 3, 2018
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お気の毒というより、「まぬけ」と言いたくなるフランスの地方美術館のニュース。出身画家を讃えて美術館を開設したはいいが、収蔵作品の60パーセント、すなわち全140点のうちの82点が贋作だと判明したという。美術館は1994年に開設され、最近になって80点をあらたに購入し、建物を改修してつい先日、4月27日に再オープンしたばかり。そして学芸員が気がついた。その画家が存命中には存在しなかった建物が作品のなかに描かれていることに。---全収蔵作品を鑑定した結果、82点が贋作と判明した、と。 この地方自治体の当局は、贋作の犯人を徹底的に捜索すると言っている、とニュースが伝えている。世界中にひろまってしまったこの話、どうもあまり同情されていないような--- 贋作者をつきとめるのは良いとして、そんな偽物を大量に買い込んだ美術館関係者の存在のほうが問題じゃないのかなー。贋作と判明した82点をどのような経緯で収蔵するに到ったか、もとの所蔵家の情報がどのように美術館側に入ってきたのか。そうしたことは今回の報道からはまったく分からないが、すくなくとも購入決定前の鑑定力というか学芸員の真贋判断能力は、ほとんど信じられないほど低劣だったということだろう。はっきり言うと、美術館員としては審美眼もなければ学力もないのだ。贋作者捜索よりも、無能の学芸員の存在はのちのち同様の事態を引き起こしかねない。 インク画の署名に、手袋をはめた手で触ったら、署名が消えてしまった、と今回の鑑定家は言っているらしいが、この鑑定家もバカか。消えてしまったから贋作だ、という判断も奇怪だが(つまり消えなければ真作? 消えれば贋作? その科学的および化学的な仕組が私には良くわからない)、手袋をしているからとは言え、インク画に直接触れるというのもどうかと思う。 なんだかこの話、バカかマヌケばっかりという感じがする。 世に盗人の種は尽きまじ、というが、贋作者も尽きないのだ。美術館がマヌケでは同情もできない。
May 1, 2018
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ドアを開けると母が机の前に立って小皿に何かを盛りつけていた。お客様にお出しするのだという。「それでは足りないよ。お客様はもっと大勢いらっしゃる」と私。「そう? ともかく---」と、母は手をうごかしつづけた。 そのあとで私が別室に行くと、母が坐って何か紙切れを見ていた。お客様たちは、なんだか曖昧な姿かたちで部屋の一方の隅にかたまって坐っている。 紙切れは写真を印刷した出版物の断片のようだ。 「これはストンでなくてストーンの方がよくないかしら?」と、母は私に言った。私は立ったまま紙切れをのぞきこんだ。何かグレイの色をした物の写真の上に鉛筆で、ストン、と大きく書いてある。「英語をカタカナで書いているのだから、どっちでもいいんじゃないかなー」と私は言った。ヘッジ・ストンと読めた。hedge stone のことだろうと思った。すると母は次に、「タイム・シェド・オータム」と言った。time shed autumn のことか、あるいはtime sheds autumn、と私は思い、発音してみた。「time sheds autumn----time sheds autumn----」 つぶやきながら、目が覚めた。夢を見ていたのだ。 母が亡くなって7年、母を夢にみることはほとんどなかった。一二度あったかどうか。目覚めて、めずらしいことだと思った。time sheds autumn という言葉がいつまでも舌のさきに残っていた。そんな英語表現が成立するだろうか。あえて日本語にするなら、「時は流れていく」。あるいは、「人生は過ぎ行く」。
May 1, 2018
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