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台風24号の影響で降りつづいている雨が夕方6時過ぎからいよいよ激しくなった。 昼前、ちょうど雨が止んだときに、作品の出荷をした。私がすべきことはこれで全部終わった。とたんに、半ばホッとしながらも、次の制作のことが気持に押し寄せてきた。 とにかく気を変えようと思い、2時間半ばかり音楽を聴いていた。カルル・オルフ『カルミナ・ブラーナ』全曲。ラファエル・フューベリック・デ・ブルゴス指揮のデンマーク国立交響楽団・コペンハーゲン王立教会合唱団他の演奏。お祭り騒ぎのような気分を盛り上げて、つづいてベートーヴェン『第9』全曲をリッカルド・ムーティ指揮のシカゴ交響楽団の演奏で。 それから朗読の練習、40分。ほぼ淀みなく読み切るようになった。思いなしか口のまわりの筋肉がやわらかくなっている。 さらにその後、美術講座のための原稿の構成を模索。考えながら、今回の主題にそった画像を、コレクションのなかから抜き出してゆく。
Sep 30, 2018
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雨、雨。降ったり止んだり。小学校の運動会。今朝早く、校長先生からメール。12時に終了するように、開始時間を早くして施行します、と。それで私もその時間に合せて子供たちの応援に行く。 こういうとき先生たちは、前もっての準備が大変だ。晴天の日のプログラムを編み、さらに曇りのち雨の日のプログラムを用意し、さらに二日にわたって施行する場合のプログラムをつくり、完全中止の場合の振替授業の用意をする。それらを保護者始め、私のような招待者にも知らせなければならない。もちろんグラウンドの飾り付けの手順も、PTAならびに児童を交えてアレンジしなければならない。団体パフォーマンスのための衣装や小道具の準備もある。本当にご苦労様だ。 運動会は元気に開始されたが、臨機応変にプログラムを変更し、せっかく練習を積んできた各学年の団体パフォーマンスを徒競走などの競技種目に先んじておこなっていた。その判断は当たって、すべての団体パフォーマンが終了するのとほぼ同時に雨が降り出した。競技種目だけの運動会を他日に行うとして、今日の運動会はおわった。 さてさて、見物している私の顔はほころびっぱなし。一生懸命な子供たちが可愛い、可愛い。みんなが、やがて世界に名をとどろかせる活躍をしそうな気がする。 赤組も白組も、応援団長が女の子。海老反りになって「フレー、フレー」。 近頃の新聞に、女言葉の消滅がとりざたされることがあるが、たしかに、応援団の女の子たちは、昔なら男言葉というだろう言葉で自分の組を激励し、また相手の組を挑発していた。勇ましい。そういう感じ。違和感はない。 話は飛ぶ。---かつてTVで田島陽子さんが挑発的に「男言葉」のような言葉遣いをしていた。私はあれには違和感があった。挑発しているつもりらしかったが、ワザトらしさが付きまとっていた。フェミニズムが「男言葉」で実現するものでもなかろう。フェミニズムは女が男になることではない。日本社会におけるフェミニズム運動が時流に乗ったムードだけで終わってほとんど実質がない、---と私は思うのだが、----田島先生、やっぱり、おとなとして下品だからですよ。知性の矛先が社会全体に貫通する前に、無知性な感じを抱かせてしまう。いくら学問があっても、表現がマズイ。男だって、礼儀をわきまえている人間は、「なに言ってんだ、そうじゃないよ」「ちがうだろう」なんて、他人に言いません。 田島陽子さんのパフォーマンスと逆をやって逆の思想に立脚しているのが桜井よしこさん。彼女はある種の公人だから言うが、彼女のジャーナリストとしての知性はエイズ血液製剤問題の追求まで。あのとき関東軍731部隊に辿り着いているはずだから、その実体を知ったうえで、軍国主義に道をひらく憲法改悪をめざす右傾プロパガンダの旗振りをやっているのは、自らを貶めているだけ、と私は視ている。そして彼女は慇懃無礼なほどの見かけの「おしとやかさ」の、バカな男どもに対するパフォーマンス効果を知悉している。 まあ、この話はここまでにしておく。せっかく可愛い小学生の運動会の話だったのだから。 さて、帰宅して、韓国アートフェアのための作品の画商への発送準備をした。ここ5,6年、私が国際展で発表している作品は、まさにフェミニズムを思想的に押し進めるものだ。自立した女性が「私は美しい。私は私自身を愛する」というのが、現在の私のテーマである。
Sep 29, 2018
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「寒暖の差」というほどではないにしろ、ここ数日肌寒かったと思えば今日は気温25℃。少し暑いくらいだ。雨天に挟まれた谷間に差し込んだ陽がまぶしい。内田百閒なら「目がはちくれるような」と書くだろう。明日からまた雨の予想。台風24号が近づいている。 昨夜の怪しい物音は、結局正体がわからないが、ともかく表面的には何事もなかった。 午前中にクリニックから第5回美術講座の依頼。同じ講義を日を違えての希望を受けて2度やったテーマもあるので、通算8回目となる。楽しみにしてくださるようで、お引き受けするのも嬉しい。 美術講座といっても、私が話すことは、何か美術関係の本を見れば通りいっぺんに書いてあるようなことではない。大風呂敷をひろげれば、美術を中心に据えながら、比較文化、社会思想史、宗教学、象徴論、民俗学、哲学史、科学史等々---できるかぎり幅広く目を凝らし、アンテナを張って、人間の営みとは何であるかを考えてみようというのである。 私の目的は何かというに、視野をひろげるヒントをみつけてもらうこと。実人生にその扉があることに気づいてもらいたいという願い。知的に遊んでもらいたいという願い。そして、未来を切り開くための理念を自らの人生にあらたに構築する「意欲」を醸成できたら---。年齢なんか関係ないよ、それは。はっきり言えば、社会に対する高邁な理念を抱きながら、道なかばで死にましょうよ。私はそうありたいな、と。 プロモーターの画商の私の担当者から電話。私の人間ドック検査の詳細結果の心配と、1日から韓国へ出張する、と。
Sep 28, 2018
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昼間、制作。夜、合唱練習。えっ? 何だ、今のあの音は。ちょっと見て来る。 ----何だろう? 家中をひとわたり点検したが---。バリバリ、ガサガサと----ものすごい音。 猫のフクかと思ったが、フクは自分の寝床で眠っていた。---もう、静まり返った。21時16分。 うん? まただ。何か引きずるような、ザーッと、短く1度。 こんどは、コツッと、1回。---もう一度見て来る。 家の中には何者もいない。とにかく戸締まりを厳重にした。
Sep 27, 2018
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昨夜から雨が降りつづいていた。午後には民生委員月例会議がある。雨仕度を考えながら様子を見ていると、出かける間際にさいわい止んだ。雲は厚いので、危なっかしいが、帰りの雨を覚悟して自転車で行くことに。 会議が終わる頃、「ざんざん降りだ」と言う声が聞こえてきた。 そう、まさにざんざん降り。「こうなるだろうと、予想はしてたんです」「自転車? カッパは?」「持ってきませんでした」「濡れて行くの? 風邪ひかないでくださいよ」 そんな声に送られて、もののみごとに、濡れて帰った。アンダーウェアまでザンブリと。 もちろんすぐにスッポンポンになって着替えたけれど、着替えながら昔のヨーロッパの雨傘事情を思った。 イギリスでは18世紀半ばころに日傘からようやく雨傘に転じたのらしい。それでもほとんどは女性が使用するものだった。男性が傘をさしていると街の笑い者になったと何かで読んだ。当時の風俗を描写している映画のなかでも、たしかに労働者階級は無論のこと紳士もずぶ濡れで歩いている。 男性も雨傘を普通に使用するようになったころ、奇妙な発明品が登場した。オペラハットの顛頂部が傘になっているのだ。便利なような、そうでもないような。たぶんあまり評判は良くなかったのだろう、アイデア倒れというところか。消滅してしまった。 ところで、雨の中をずぶ濡れで歩いていた男性諸君は、家に帰ったら、今日の私のようにスッポンポンになって着替えをしたのだろうなー。それは当然そうだっただろう。当然過ぎるためだろうか、映画にもそんなシーンは観たことが無い。とかく人間の有様はなんでも微に入り細に入り目をむけて描かずにはいられない画家も、---実際、感心するよりも呆気にとられるしかないほど、あらゆる人間の営みが画像に残っているが、---雨に濡れて帰って着替えをする画像は、私はいまのところ発見していない。 絵画史のなかに女性の入浴シーンは、ひとつのれっきとしたジャンルをつくっている。男性はどうかというに、フランスでギュスターヴ・カイユボットが初めて、バスタブの傍らでタオルで身体を拭く後ろ姿の男性裸体を描いた。スキャンダルとなった。 男性の裸体を描いたからではない。美術史においては豊穣神(大地母神)としての裸体女性像を除けば、男性裸体像は、むしろ女性裸体像に先んじていると言ってよい。では、なぜカイユボットの作品がスキャンダルになったか。その男性裸体が、神話世界ないし英雄的世界の存在ではなく、ごく日常の一場面であったからである。観客の視線が「ワイセツ」になったのである。 私の言うことがおわかりだろうか。画家カイユボットの作品が「ワイセツ」なのではない。日常に不意に引き戻された観客が「ワイセツ」になったのだ。「ワイセツ」とは、対象に存在するのではなく、観る人の意識に生じる観念の問題だからである。 ついでなので。オーギュスト・ロダンが文豪バルザックの像を制作してスキャンダルになった。寝間着のバルザック像だったからだ。これもまさに日常性の表現に対する拒絶反応である。 絵画における男性裸体像史において、カイユボットは、そんなことは誰も書いていないが、革命的な絵を描いたのである。そしてここから、19世紀末までひきずっていたとはいえアカデミックな男性裸体像を振り切るように、20世紀以降の男性裸体像はもはや神話的世界に戻ることなく、日常の生身の男性裸体を追求表現するか、もしくは欲望の対象としての理想表現になった。 おもしろいことに、現代のゲイ・アートにみられる男性入浴シーンは、あのカイユボットの革命的作品を欲望誘発の仕掛けとしての再評価、と言ってもよさそうなのだ。 さてさて、雨に濡れた下着を着替えながら、考えが欧米美術の男性裸体像史の方にふっとんでしまった。 民生委員の同僚のTさんが自家の栗をくださった。りっぱな栗である。マロングラッセをつくろうか、栗御飯にしようか。それとも茹で栗。 先日、夕食に栗御飯をつくった。今年初めての栗御飯だった。おいしかった。Tさんの栗も、そうしようか。
Sep 26, 2018
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「新潮45」が休刊を発表した。まあ、自業自得だね。 右傾化にしろ左傾化にしろ、世界の行く末を人道的に考察しようとすれば、そうしたイデオロギーは時代遅れだと、私は思う。この思いは中道とか中庸を意味するものではないが、これだけ世界が病み、人間が傷つき、殺されつづけていて、既存のイデオロギーで偏付くはずがない。 「新潮45」は意見の多様性、言論の自由を唱ってきた。しかし、自らを映す鏡が曇っていたとは思わないか。世間の目には政権扈従の危うさが露見することもあったのだ。そしてとうとう、「衣食足りて礼節を知る」ではないがその逆で、発行部数減少に思いあまったか、無知で無恥な輩のまともな論説とはとうてい言えないものを、まるで日本国がそれに煽られて動くとでも思ったか、卑しいふるまいに出てしまった。私はそれを自業自得と言う。 杉田水脈論文に即して言えば、著者自身がいったい何を生産したというのだ。大上段に振りかざした刃は、自分の向こう脛を斬るのがオチ。他人の「生産性」など、言うものではないよ。
Sep 25, 2018
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いやに蒸し暑い日だった。2,3日前は寒いくらいで、朝、まだ床のなかで思わず毛布を胸元まで引き上げたけれど。 昼前、民生委員としての仕事。 帰宅すると、出るときにはなかった落柿が四つ。すっかり熟しているから、地面にへばりついた始末が大変だ。 それにしても、手がとどかない、---というより危険なのであえて穫らずにある上枝(ほつえ)の柿が、手の届く下に生っているものより大きくて立派なのだ。柿の実生はみなそんななのだろうか。上のほうが日当りが良いからだろうか。 先週の日曜日、脚立を使って40個ばかり収穫した。お隣のご主人が柿が好きだと言ってらしたので差し上げた。 一昨年まで渋柿だったのだが(これ、本当)、去年、甘柿に変わっていたので驚いた。そのときもお隣に差し上げて、「渋柿だったなんて信じられないほど美味しかったですよ」と言われた。たしかにそのとおりで、100個以上も収穫して、焼酎に漬込んで柿酒を作った。 我家では酒を飲まないから、柿酒は1年経っても手つかずのままである。 20年ものの枇杷酒も8リットル瓶に幾つもあり、7年ものの洋梨酒もある。梅酒もある。みな手つかずである。飲まないのに、作るのが楽しくて作ってしまう。私が死んだら、誰かが持って行くだろう。 今夜は仲秋の名月。の、はずであるが生憎曇り空である。その一面の灰色の雲が赤っぽいのは、雲の陰にあかあかと月が照っているからだろう。一名、芋名月。ただし今年の満月は明晩だ。
Sep 24, 2018
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午前9時30分、制作開始。終日。
Sep 23, 2018
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午前中、東京消防庁と地域自治会防災班主催の消火放水実施訓練に参加。 !)地下式消火栓にスピンドルを差し込む。スピンドルは消火活動が終了するまで差し込んだままにしておく。(街路では目印しになるし、またマンホールの蓋がずれて落ちないように、用心のためである。) 2)スピンドルを少しずつ回転して濁り水が透明になったところで、一旦水を止める。 3)スタンドパイプを取り付け、左右にガチャガチャと振って完全に嵌っているかを確認する。 4)次に直径4cm、長さ15mないし20mのホースをつなぎ(メス・オス・メス・オス---と繫ぐ。町野式ワンタッチ継手という)、ホース先端に筒先(先端を左に回転して放水・噴霧する噴霧式ノズル)を取り付ける。 5)準備ができたことを消火栓番に伝え、ノズルの胴を右手でしっかり持ち、左手を回転レバーに添え、脚を前後に踏ん張り前のめりぎみに腰を入れる。 6)「放水、始め!」の掛け声で放水。一気に水圧がかかり身体が後ろに弾き飛ばされるので、足および身体の態勢はしっかりと。 放水終了後の片付け。ホースの連結部をはずし、オスの方を中にして水を押し出すようにして巻き取ってゆく。ホースはかならず乾燥させること。(消防署の屋上から何本ものホースがぶらさがっているのを見かけるが、あれは消火活動後にホースを乾かしているのである。濡れたままにしておくと、黴や劣化の原因となるからだ。) というように、消防車一台を出動してもらって、実際に街路で放水しての訓練だった。 じつは私は今回で3回目になる訓練。もちろんノズルを持ち、また終了後のホース巻き取りも、消防士がやっているのを「私にやらせてください」と交替してもらったのだ。このような機会でなければ決して個人でできない体験は、私はどんどん積極的に身体を使ってやらせてもらっている。 さて、午後、猫のフクのための食糧を買いに行く。いまやたった一匹になってしまった愛猫である。 スーパーマーケットで、合唱の先生にバッタリ! 店先で、子供のようにハイ・タッチ。私は猫の買い物は別の店ですませてきたのだが、ふと、夕食に中華春巻を食べたいと思い、買い置きがない材料をととのえていたのだった。先生のお住まいはずっと遠くの別の町なので、「先生、めずらしいですね」と言うと。このスーパーマーケットには初めて来たのだとおっしゃった。 帰宅して、朗読の練習をしていると、ご近所の夫人が到来物のおすそわけだと、おいしそうなものを持って来て下さった。 夫人は地域高齢者のための「文化祭」の主催者のおひとり。「いま、朗読の練習をしていたんです」と言うと、恐縮したように「すみません、お忙しいのに、勝手に、あれやってくれ、これやってくれなんて御頼みして」「いえいえ、楽しんで練習しています。少し口がまわるようにしておきませんと」 口輪筋の運動ばかりではなく、いやー、読んでいると感覚が開いて内容に同化してしまい、悲しい場面にくると涙がこみあげてきて、声がうわずってしまうのだ。もう10回くらい読んでいるのだが、まだ泣く。美空ひばりさんのように、涙をながしながら音程を崩さず唄い切る、あんな芸当が私にはできない。ここは、読んで読んで読んで、少し感覚を鈍魔させる必要あり。何を読んでいるか? うふふ。
Sep 22, 2018
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『新潮45』ねー。 佐藤隆信社長が今日9月21日、〈「新潮45」2018年10月号 特別企画について 〉と題するコメントを発表し「出版に携わるものとして、言論の自由、表現の自由、意見の多様性、編集の独立の重要性等を十分に認識し、尊重してまいりました。」『杉田水脈』論文の「ある部分に関しては、それらを鑑みても、あまりに常識を逸脱した偏見と認識不足に満ちた表現が見受けられました。」「弊社は今後とも、差別的な表現には十分に配慮する所存です。」と述べている。(各報道より) しかし私は、実のところ、「またか」と思いましたね。同誌のこれに類した独善的な筆のふるまいは、今に始まったことではない。かつて少年法を犯すような、議論に先立つふるまいをし、民衆が知ることを望んでいるからだと居直った。民衆が望んでいると、どうして分かったのか。民衆の望みを叶える言論は、法の埒外にあるのだと言わんばかりの傲慢さ。それをして「言論の自由」である、と。 社長のコメントに対しては、私は、貴社がそうあってほしいと思うことやぶさかではない。しかし、貴社の真の出版人であるこころある社員諸氏が、「新潮45」の特別企画記事に対してまさに内部告発のように反意を表明しなかったならば、あるいは、地方の一書店が新潮社の出版物を当面販売しないことを決意し、書棚から排除しなかったなら、社長は今日のコメントを世間に向かって出されたであろうか。コメントの冒頭にある出版人(言論人)の理念は、まったくそうであらねばならないのであるが、ここに並べられた言葉がそっくりそのまま、唯我独尊・傍若無人の論無き論の足場、楯、砦、にもなりうるのだということだ。まことに言論とは難しいものだ。 このたびの杉田水脈論文掲載とその後の擁護について、ある評論家は、雑誌購読部数が減少するとスキャンダルを作りだして増加を目論む手口だ、と言った。私はこれをさほど穿った見解だとは思わない。 なんとも妙なめぐり合わせだが、先日私は丸谷才一氏のエッセイ集を数冊買ったと書いた。その一冊、『月とメロン』(文藝春秋刊)の一等最初のエッセイ「歴史の書き方」を読みながら、おやおや明治文学のこんなところに「新潮45」スキャンダルの根っこがあったか、と、私が知らなかったことが書いてあるのでびっくりした。 「荒々しく荒れてゐた明治文学のなかで、最も柄の悪い、そして反響の大きかつたスキャンダルの一つに『文壇照魔鏡』事件といふのがある。これは一九〇一年(明治三十四年)三月に『文壇照魔鏡第壹 与謝野鉄幹』といふ鉄幹を誹謗する怪文書が出まはつた事件である。」 以下、丸谷才一氏の書いていることをかいつまんで述べれば--- 与謝野鉄幹の女性にまつわる悪徳を並べ立て、社会的に葬り去られるべきだと論じ、大騒ぎになった。このため鉄幹主宰の雑誌『明星』は購読者が激減した。『明星』の対立誌『新声』が追い撃ちをかけて鉄幹を攻撃した。---丸谷氏はここから、谷沢永一氏の『遊星群 明治編』に収める小島吉雄氏の文章によって、上記の怪文書の筆者が何者であるかについて書く。そのまま引用しよう。 〈 「明星」は一条成美の描いた表紙が好評で、マッチのラベルになるくらゐだつた。ところが前年に裸体のせいで発売禁止となって以来、鉄幹と成美との仲がこじれ、成美は「明星」と別れて「新声」に移り、ここで鉄幹のことをあしざまに語つた。それで新声社の連中(社主の佐藤儀助と田口掬汀)が、成美の話を針小棒大に書き綴つたのが『文壇照魔鏡』である。ここで注のやうにして言ふ。新声社の後進が新潮社。佐藤儀助は後に名を改め佐藤義亮。〉 なにも明治時代の事件を持出さなくても、と思う人がいるかもしれない。しかし、私はこんなことを思う。新聞社や出版社にも、自社の方針を決するにあたって、昔の事蹟がいわば無意識のトラウマとなって存在し、時に、なかなか脱せられずに再現することがあるかもしれない、と。「新潮45」ばかりではない。私はどういうものか、喉元過ぎても熱さを憶えていて、あの出版社、この出版社と「例」にはことかかないのだ。いま日本は、戦前に逆行するような危ういところを歩んでいる。一代前のNHK会長の政権扈従の愚かな言動もあった。裁判官の質も落ちている。国政のみならず地方の政治家も、言うにはおよばない。いたるところに綻びができて、低きに付けば当面は安泰、ごまかしの知恵だけが身過ぎ世過ぎの技術となってはいまいか。 「新潮45」の杉田水脈論文スキャンダルは、LGBT差別・排斥の問題に限るものではないのである。
Sep 21, 2018
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理由は考えたことがないけれども、私は電気シェーバーが嫌いで、T字カミソリを使っている。 亡くなった父親は私と反対に電気シェーバーの愛用者だった。父は何でも新し物好きだったのだ。 昔、父は、床屋さんが使っていたと同じ折りたたみ式の剃刀を使っていた。陶器のシャボン・カップにシェイビング・ブラッシをひたし、顔中に石鹸を泡立て、長い皮砥でサッサッと2,3度刃を研いで、やおら髭を当るのだった。 その剃刀は、何処か忘れたが外国製で、折り畳んで刃を収納するケースでもある柄(つか)は、象牙だった。たぶん父が若い頃からの、たぶん戦前から使いつづけていたものだったろう。いつのころからか使わなくなり、ガラクタを入れた抽き出しに私がその剃刀をみつけたのは、私が大学も卒業して両親が私と10数年ぶりに同居することになったときだから、私は法律の勉強を捨てて絵を描きはじめたころ。そして、早川書房の『イギリスミステリ傑作選’78年版 バードウォッチング』のカバー画のモデルとして使った。絵のなかで白い象牙の柄は、配色の関係で茶色に変えている。 こんなことを思い出したのは、今朝、T字カミソリで髭を剃りながら、私が中学生になって自分で髭を剃るようになったときを思い出し、そのつづきとしてだった。 以前から書いているように、私は中学入学と同時に勉強のために両親家族と別居した。自分のことは万事自分でしなければならなくなった。髭が気になり出したのもそのころ。しかし、父の髭剃りは見ていても、その道具をどこで買ったらよいか分からなかった。 当時(昭和20年から30年代)の児童・生徒は、鉛筆削りのために備後小刀を使っていた。鉛筆削り器も目新しい文房具としてあるにはあった。電動ではない。手でハンドルを回す式のものだ。弟たちはそれを使っていたし、私も家から持ってきていたのだが、どういうものかそれで削る鉛筆の芯の具合が気に入らなかった。それで備後小刀を使っていたのだ。 髭を剃らなければと思って、まず思いついたのが備後小刀。しかし、父の真似をしていくら石鹸を顔にぬりたくっても、髭を剃るには不向きだった。その後、学校の近くの文房具店で別種のナイフを買った。カミソリの刃を挟み込んだ、折りたたみ式のプラスチック製の幅広の柄のナイフ。 級友たちは備後小刀に替わるものとして、次第にそのカミソリ刃のナイフを筆箱に持つようになっていた。第一、安かった。 私は髭剃りにそのナイフを使った。カミソリの刃とはいえ、文房具として売っていたのだから、切れ味がいいはずはない。それでも備後小刀よりはまし。髭が生え始めた独り暮しの中学生には、せいいっぱいの知恵だった。 そんなことを、今朝、白髪が混じり出した髭を当たりながら、思い出したのである。 いつだったか、弟が私の頭頂を見て、「あれ、兄ちゃん、頭のてっぺんが禿げてきたね!」と言った。余計なお世話だって言うの。
Sep 19, 2018
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私の画商から、ニューヨーク・フェアの作品は、来年2月半ば過ぎに引き渡すように言ってきた。 ということは、向後5ヶ月間で制作しなければならない。私としては6ヶ月間を予定していたので、いささか慌てている。 なにしろすでに決まっている他事のスケジュールが今年中に24件。本業の作品制作をその合間を縫って、となれば、我ながら本末転倒と呆れる。しかも、「引き受けた以上は、自分の最上の仕事を」というのが、フリーランスのイラストレーターとして口に糊してきた者の習い性。たといそれが地域の高齢者のために本を読んで聴かせることであっても。 ---というわけで、きょうも時間をみつけては、数種の本からこれはと思う作品を、声に出し、時間を計りながら読んでいた。ほぼ決まったのだが、今度はその一作を声のトーンを変えて読んでみたり---まあ、そんなふうに、1ヶ月間の練習である。
Sep 18, 2018
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来年のニューヨーク展のための作品構想が、何をしていてもどこかに付きまとう。イメージの核となる思想や、無からイメージを湧出させるための吸引象形は、私のこころに、頭に、---何だろう,自分にもよくわからないのだが----茫漠とした私自身の存在の「気配」のなかに投げ入れた。まるで大海に釣りのための餌を投げ入れるように。そのうちにイメージが餌に食いつき、クイクイと引き出す。そこから私の具体的な制作準備が始まる。---いま私は落ち着かない。 先日引き受けた地域のサロンの文化祭のための朗読。---2年前になるか、やはり同じサロンで、伊藤桂一『川止め』と荒俣宏さん訳のアンデルセン『裸の王様』を読んだ。きょう、書棚をさぐって、いくつか選んでみた。內田 百閒、永井龍男、三島由紀夫、宇野千代、吉行淳之介、山川方夫、杉本苑子、花輪莞爾、藤沢周平----。ためしに声に出して読んでみる。 3,40分で読み切れるもの。聴いてわかりやすいもの。---うーん、外国作家の翻訳にしようか。 まあ、とにかく1ヶ月後なので、口輪筋の運動をし、舌の運動をし、試し読みした作品に鉛筆でチェックをいれるなどして練習。私は合唱の本番前にも人前もかまわずひょっとこ顔で口輪筋の運動をするけれど、一曲の歌は短い。せいぜい3,4分。しかし40分、休み無しに淀みなく明瞭に朗読するためには、この老人の口輪筋やら口角下制筋やら頬筋やらを目覚めさせなければなるまい。
Sep 17, 2018
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東京世田谷の東宝映画砧撮影所内には、大変充実したDIYの資材店がある。撮影所美術部から一般向けに発展したのだろう。私は20年ほど前まで、撮影所に近い、自転車で5分ほどの処に住んでいたので、随分利用した。 ある日、画材として思い浮かんだ材料を探すために自転車を走らせていると、通りで花輪莞爾氏の夫人に出会った。 「あら、山田さん、どちらへ?」 じつは花輪邸はやはり撮影所のごく近く。私は何度かおじゃまして夫妻と歓談していた。花輪邸の玄関には私の作品、『エドガー・ポーの肖像がある静物』が飾られていた。 「撮影所の資材店に---」 「それでしたら、こちらからおいでなさいよ。裏門がありますわ」 夫人が示したのは、花輪邸前の住宅街の通りを真っすぐ抜けた道。 私はそれまで気付かなかったのだが、なるほど真っすぐ、ものの300mほどで撮影所の裏門だった。 こんなことから書き始めたのは、花輪氏から聞いた戦中の話を書いておこうと思ったからだ。 昭和16年(1941)12月8日、日本は、いまだに現代史の謎となっているアメリカに対する外交文書遅配によって、宣戦布告無しの「奇襲」となった真珠湾を攻撃して開戦した。 勢いに乗った日本は、開戦1周年記念として国威発揚の国策映画『ハワイ・マレー沖海戦』の製作を命じた。監督・脚本・山本嘉次郎、脚本・山崎謙太、特撮・円谷英二。 映画は昭和17年(1942)12月3日に公開された。円谷英二の特撮により日本映画史に忘れることができない作品となった。 砧東宝撮影所にフルスケールのセットが作られた。著名人等が撮影見学に訪れたという。 さて、私が花輪氏から聞いた話というのは、このオープンセット、じつは撮影所近所の一般住人にも公開されたのだという。世田谷成城の人たちはこぞって見物にでかけた。父君の代から成城住まいの花輪少年も例外ではなかったようだ。 「撮影所近所の一般住人に公開された」という事実は、映画『ハワイ・マレー沖海戦』関係本にはどこにも書かれていない。少なくとも私は寡聞にして知らない。 一般公開は、国威発揚のためばかりではなく、また騒音対策のためでもなかろうが、とにかく東宝が、日本映画撮影史上この前代未聞のフルスケール・セットに、如何に自信をもっていたかということだろう。製作者たちは戦意とは別種の昂揚をしていたのではないか。私はそんな気がする。 花輪莞爾も書いていないので、ここに記しておく。
Sep 15, 2018
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昨夜からの雨が昼前までつづいていた。私は「♬ Singin' in the Rain~」と口ずさみながら、ふと気がついた。ジーン・ケリーが唄い踊るミュージカル映画『雨に唄えば』(1952年)と伊丹十三監督作品『スーパーの女』との類似場面に! 『雨に唄えば』は、セット美術のすばらしさ、カメラワークの技巧のすばらしさに感嘆するものの、私はストーリーには感心しない。むしろイヤな感じをいだいてい、その感じはたぶん今観ても変わらないのではないかと思う。私が「類似」と言ったのは、それとはまったく関係がない。 『雨に唄えば』は言葉の問題が出て来る。発音や声質の問題と言ってもよい。それも当然で、この物語の基盤となっているのはハリウッド映画がサイレントからトーキーに転換する端境期をあつかった映画界の内幕ものだ。この作品のストーリー運びの重要な動因としての女優の声質や発声法、そしてトーキー時代に至って俳優が実際に唄わなければならなくなったという事態。 ジーン・ケリー演じる二枚目人気俳優ドンも、英語の発音、その舌の動きについて訓練を受けることになる。 ----ちなみに『雨に唄えば』の12年後に制作された、バーナード・ショウ原作、ジョージ・キューカー監督のミュージカル映画『マイ・フェア・レディー』(1964)も同様の言葉と発音の矯正を扱っている。バーナード・ショウはシェイクスピア『じゃじゃ馬ならし』を下敷きにして、粗暴な娘を「飼い馴らす」物語を下町育ちの花売り娘イライザの粗野なコクニー英語をキングズ・イングリッシュに矯正する話に変えた。--- ドンが受けている訓練法はいわゆる英語の早口ことばのようなものだ。テキストはナンセンス・ヴァースといわれている昔のイギリスの子供たちには親しい言葉遊びである。そこへ親友のコズモ(ドナルド・オコーナー)がやってきて、たちまち訓練はにぎやかな踊りになるのだが---。その場面。 ナンセンス・ヴァースは『Moses supposes』。もともとは1888年に出版されたものだが、映画のなかで使われているのは1944年の一部分がことなる別バージョン。ついでだから書いてみる。 Moses supposes his toeses are roses, but Moses supposes erroneously. For Moses he knowses his toeses aren't roses as Moses supposes his toeses to be. ドンとコズモはこの早口ことばをリズミカルに唄いながら円を描くように踊る。 この場面だ。 私が思い出したのは『スーパーの女』の冒頭シークエンス。津川雅彦(正直屋オーナー五郎)と小学校時代の幼なじみ宮本信子(スーパー好きの主婦花子)が、偶然再会するシーン。花子が言う、「お前、憶えているか学芸会で---」「花子がお姫様で---」「お前がタヌキ---」2人は「ウンチャチャ、ウンチャチャ、ウンチャチャ、パッ!----」と、円を描きながら踊り出す。 伊丹十三監督がこのシーンを演出するに当たって、イメージの記憶集のなかから引っぱり出したのは、『雨に唄えば』の言葉あそびのドンとコズモが踊り出すシーンにちがいない! 両作品ともに手・腕の動きだけの踊り。踊り出すきっかけの一瞬の類似性。バスト・ショット。 私がふと気がついたというのは、そういうことだ。伊丹監督、ちがいますかな?
Sep 14, 2018
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朝、人間ドック検査の詳細な解説を聞くために病院に行く。 何も心配な所見は無いと、すでに退院時に告げられていたが、渡された検査結果報告書を見て我ながらびっくり。32項目の数値が、すべて基準値内にあり、まったくの正常だったからである。しかも基準値として容認される上下の数値のほぼ真ん中の数値だ。 ---自己管理の成功と自認し、それはとりもなおさず自分自身を科学することだが、おもしろいほどきっちり数値に現れたので、ホクホク顔で帰って来た。じっさい私はリアリストなのである。 さて、庭の柿を10ばかり獲って、食卓にのせた。ほんのりした甘さが嬉しい。去年仕込んだ柿酒の日付を見ると10月8日だ。ことしは赤くなるのが早いようだ。鳥たちは8月には熟柿を啄みにやってきていた。
Sep 13, 2018
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午前中、昨日にひきつづいて7名の高齢者を訪問。午後は2時から4時まで、ボランティアの方たちが運営している高齢者サロンを訪問。10月に文化祭を開催するそうで、私は朗読をたのまれた。「はい、いいですよ」と引き受けた。さて、何を読んでお聞かせしようか---。 サロンの閉店(?)間際に、歌ってくれというので、『高原列車は行く』と『白い花の咲くころ』を無伴奏でうたった。 帰宅するとき、おみ足が不自由なおひとりにつきそい、ゆっくり歩きながら昭和20年3月10日の東京大空襲の前後についてお話を伺った。東京生れの方だ。 「昭和17年、亀戸の自宅から秋田の土崎に疎開しました。油井があったため、後に空襲があるというのでそこからも強制疎開させられ、二度疎開しました【山田後註】。それで3月10日は東京にいなかったんです。自宅は破壊され、昭和28年に東京に帰って亀戸に行ってみると、小学校の校舎だけが残っていて、被災者のアパートとして使われていました。---不思議ですね、あたり一面焼け野原なのに、そんなふうにポツリと大きな建物が残ることもあるんですね。親戚の男の子が焼死したと思われますが、遺体はとうとう出て来ませんでした」 思いがけず聞いた貴重な話である。【註】秋田の八橋油田や黒川油田で採掘された原油が土崎精油所に運搬されていた。昭和20年(1945)、終戦の前日8月14日、土崎精油所は空襲された。
Sep 12, 2018
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要請を受けて、昨夜、介護施設の会議に出席。そのときに降りつづいていた雨は、今朝になってどうにか止んだ。涼しくもなった。で、市から依頼された高齢者6名を訪問。みなさんお元気だったので、ひとまず安心。 帰宅するとほぼ同時に、画業の私のプロモーターである社長から電話。来年以降の方針を聞き、私の希望や考えなどを話し合った。1時間ばかり話していただろう。 社長の本質はロマンチスト、私はリアリスト。夢に溺れない絵描きの「夢」をリアライズすること。社長も大変だろう。とにかく私は作品を創ること以外無能だ。
Sep 11, 2018
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きのうの日記に丸谷才一のエッセー集をブックオフでまとめ買いしたと書いた。それで思い出した。 故丸谷才一氏は1965年まで國學院大学の教員でいられた。私が懇意にし、また、その著書の装丁・挿画を手がけた花輪莞爾氏も國學院大学の教授(退職後に名誉教授)。両氏は同僚であった。花輪氏が昔、私にこんな話をされた。 「國學院大学の教員室は、まるで小中学校や高校のように、一つ部屋なんだ。その部屋で丸谷才一さんなんかが談論風発しているわけ。私なんかいわばずっと後輩だから、隅っこのほうで恐る恐る耳をそばだてていたということですよ。」 まさかそれほどのこともなかっただろうが、大学の教員室での丸谷才一というのがおもしろい。 丸谷氏が國學院を退職したあとに、種村季弘氏や松山俊太郎氏が國學院大学の教員となり、ふたりの異才は長らく花輪氏の同僚だった。花輪氏自身が異才。ほかにも異才はたくさんいて、ひところの國學院大学の教員室は、魑魅魍魎の跋扈するところ。と、私は言いたくなるのである。 丸谷才一から離れるが、種村季弘氏は亡くなられる何年か前に、同大学の国文学会の講演で私の雑誌掲載論文『夢幻能の劇構造と白山信仰私考 〜信仰のこころとかたち〜』に言及され、講演原稿が『國學院雑誌』に載録された。花輪氏が、ある日、教員室で、刊行されたばかりの同誌の種村氏の文章を読んでいると、いきなり私の名前が出て来たので喫驚した。一介の画家の名前をよりにもよって種村季弘が言及し、伝統ある『國學院雑誌』に登場するなど想いもしなかった。それはそうだろう。その話を花輪氏から電話で聞いて、私も驚いた。 花輪氏はすぐに種村論文をコピーして私に送ってきた。のみならず種村氏にも花輪氏と私とが知己であると手紙にしたためて送った。 これは花輪氏が後に話してくれたことだ。 残念だったのは、花輪氏は松山俊太郎大人宅へ私を帯同すると言っていらしたが、実現の前に松山氏は亡くなられた。
Sep 10, 2018
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国際アートフェア韓国展のための新作引渡しまで1ヶ月以上も早く完成した。医者にどこも悪いところはないと診断されたこともあり、ここ数日のんびりと過ごしている。あんまりのんびりなので、じつは落ち着かない。何もしないと決め、---そんなこと決めることもないのに---一旦決めたからには本当に何もすまいと、何もしない。 しかし、まだ契約はしていないが来年の国際展の話がプロモーターから小出しにされていて、こういうやりかたをされると、これも落ち着かない要因になる。 家の中に閉じこもっていると身体がなまる。朝, 自転車をひっぱりだして画材屋まで遠出をした。それからUSBメモリーを買い、ブックオフに立ち寄った。 書棚にあった丸谷才一氏の初刷の美本エッセー集をすべて買った。棚はがら空き。---このブックオフ店で、先月、堀田善衛氏のエッセー集をあるだけ全部買った。それはもう読んでしまった。 丸谷氏のエッセーは、失礼ながら堀田氏より軽い。ご自分で「かるい」と書いていられ、また『軽いつづら』という書名もある。身の始末を考えながら生きている年齢となっては、軽い内容の本はもう買うまいと思うのだが、丸谷氏の軽さは内容がないということでは全然無い。その文章の魅力には抗し切れない。ただし、丸谷才一流の文体は真似しないほうがいい。軽さの魅力に惹かれて、ついつい真似したくなるだろうが、じつにだらしなくなるのがオチ。丸谷氏はテクニシャンなのであります。 ということで、9月中はきょう買ったものを読む。 自転車を止めては、携えた冷たい茶を飲み、帰りには家の近所でおきまりのアイスクリームを、表示されたカロリーを見比べながら、しかし幾つも買い込み、汗だくになって「運動」のおしまい。バニラアイスクリーム230kcal、オレンジシャーベット94kcal。はたしてサイクリングで何カロリー消費したやら。
Sep 9, 2018
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小学校の公開授業を民生委員・児童委員として参観。昔の言い方だと1時間目、現在は1校時というようだが、その1校時を1年生から6年生までの各教室を巡って子供たちの勉強を見せてもらった。 公立のすべての小学校の校舎建築様式なのだろうか? 各学年毎にそれぞれ廊下と教室とがドアで仕切られているのだが、広い教室内部は組分けされているもののブース形式。いわゆるドアのないオープン・スペース。つまり教室が「密室」ではない。 なぜこのような形式になったのだろう? 考えられることは,まず、児童によるクラスの荒廃を防ぎ得るかもしれない。また、教室内における目に見えるかたちでの「いじめ」も予防できるかもしれない。さらに教室内での教師による暴力や児童を個人攻撃する虐待を防ぎ得る教師の心理への作用があるかもしれない。 しかし、一方で、それらの問題が表面化しにくく陰湿化する可能性がなくはあるまい。上記のような事態は、現在、全国的な解決しなければならない危急の問題となっている。それをただちに教室の建築形式と結びつけることはできないにしても、あまり気付かれない一因にはなっているかもしれない。 もうひとつ私が、大事な問題ではないか、と思ったことがる。 このようなオープン・スペースであるから、教師も児童も、他のクラスの学習に邪魔にならないように、少なくとも授業中はたいへん静かに勉強している。参観していてそのように感じる。お行儀が良い。 ---と、普通なら思うだろう。狭いブースの中だけに聞こえるような声で授業をしているのだ。 子供たちが成長とともに進み行く社会(世界)は、そんなブースのようなものではない。自分の意見を大勢の人たちに自分の声で届けなければならない事態は、稀ではない。むしろ多い。2,30人ほどの会議から数百人、数千人ということもある。そして、マイクロフォンを使えばすむ、というのでもないのだ。無論、マイクロフォンが使えれば、それを使うがよろしかろう。が、自分の声を聴衆に届けるというのは、たんに声が大きければすむというのでもないであろう。 自分一個がいかに小さく、自分をとりまく世界がどんなにか大きいのだという認識。腹を据え、その大きさに飛び込んでゆく、他者をつかまえるための自己認識(自己に対する客観性)---それはひとつの技術であって、じつは子供のときからの訓練によると言ってもよいのだ。 古代ギリシャ社会の人間形成の重要な要素に、弁論術があった。雄弁術、あるいは演説術と言い直してもいい。英語で elocution(エロキューション)という。 ---社会人として、また、グローバルな環境のなかで立ってゆくための児童教育の大事な場所として、「お行儀よく静かに」勉強しているブース形式の教室が、はたして適するのかどうか。 私は子供たちの学習を見ながら考えていたのである。
Sep 8, 2018
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退院を待っていたわけでもないだろうが、次々と電話相談が入った。しかしそれ以外は、終日、のんびり身体を休めていた。プロモーターからの電話にも、しばらく休養をとると応えた。 台風21号の被害やら北海道の地震被害やら、日本列島は大荒れである。 一昨日、私は病院の4階の病室でベッドに横たわって、ゴーゴーという猛烈な風音を聞いていた。「すごい風音ですね」と看護士に言うと、「私たちは外に出られないので、来院者などからの耳情報だけなのですが、大変な風ということです」。 窓の外の遠くの木々の梢が激しく揺れ、黒雲が早い速度で流れてゆく。ときに雨が、古篠竹の白い塊のように窓を横切った。 一夜明けて、嵐は去り、雲の流れは早いが、その切れ間に青空が覗いたりしていた。退院するころには、またぞろ夏の再来のような照りつける暑い日差し。 私は、入院中に親しく話をするようになった同年の方と一緒に駅まで歩いた。 病院のある町に生れ育ったという、いわば町の古老で、あたりの風景の変遷を聴くのはおもしろかった。私が風景画を描かない理由のようなことを話すと、感に耐えぬように「ふーん!」と言った。親しんだ風景が変わってゆくから絵にとどめようとするのか。それとも、変わらない風景を自己の核として描くのか。風景画家の意図は私には分からないが、いずれにしろ、私には確たる自己存在証明としてそこに生れ、そこで育った描きとどめるべく心を寄せる風景は、無い。 「お話をうかがえて、とても楽しゅうございました。お元気で」 私はそう言って別れた。 私はこの古老が今しも町の風景にしっくりと溶け込んで行くだろうと思った。私はその後ろ姿を見送らなかった。
Sep 6, 2018
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人間ドックに入っていた。まったく悪いところ無しと診断されて、ホッとして帰還した。 ここ5,6年、毎年定期的に健康検診を受けて来た。5年前に初めて人間ドックに入り、大腸の内視鏡検査でごくごく小さなポーリープが見つかり、検査から目覚めたときにそのことを告げられ「切除しておきました」と言われた。思いもしなかったことだ。しかし、そのとき68歳までまったく病気したことがなかったが、まあ、小さなポリープぐらいはできていただろう、と思った。 5年経った。健康検診後に、主治医が「5年経っているので、そろそろ再検査を勧めます。考えてみてください」と言われた。私はそんなとき、あちゃこちゃ考えない。「はい、すぐに人間ドックを予約します」と応え、それがこの入院となったのだった。 じつのところ、ちょっと心配はした。いろいろ約束した仕事はあり、すぐに解約はできない。入院予約日に合せて仕事のペースを調整した。どうにか、もしも何事かよからぬ事態になっても迷惑がかからないほどにした。 心臓も万全。肥大もなければ心筋の固さもない。心房の活動も正常。 肺も大丈夫。---これは合唱をしていて自分でもよくわかる。ブレス無しの長いパッセージを歌いこなせるから。 そして、問題の大腸。ポリープ無し。ガンも無し。 ---最終的な検査結果は後日になるが、「山田さん、何もありませんでした! これまでどおり活動してください」と医師が言ったときには、「そうですか!」と、顔がほころんだ。無事、生還である。 73歳、良く保っているワイ。
Sep 5, 2018
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一週間前に完成し、署名した作品。立てかけて、毎日ながめていた。今日の夕方、突然、破壊の衝動にかられた。 いや、破壊というのではない。整いすぎている、と思ったのだ。 そこで、紙を切って、壊したい部分に仮に貼付けてみた。しばらくながめ、紙を剥がして絵具を塗り付けた。良さそうな気もするが、どうも馴染まずに穴が開いたようだ。 別のアイデアが浮かんだ。観客に参加してもらうのだ。絵の主人公と観客である自分の一体化--- 観客の主体性を誘導する仕掛け。---うーん、その部分だけの技術的な処理方法が、頭の中でシミュレーションしてみるが、うまく解決しない。 数時間放っておき、再びながめ、さきほど塗った絵具をごしごし拭い取った。すると新たなアイデアが出た。 トランスパーランシー絵具を描画オイルで緩く溶き、ブラッシストロークを利かせて一気にグイっとやった。描画と遊離した先のような穴にはならなかった。---よし、これでいい! (と、いまのところ思っている)
Sep 2, 2018
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