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きょう大晦日恒例のパーティは取止めと、弟に電話したとき、弟が我が家の家系図を知りたいと言った。これまで一向に関心なさそうだったが、どうした風の吹き回しか。理由は訊かない。「忙しくないときに書いて送る」とだけ言った。我が家の家系図など、親戚中の誰も知らないだろう。おそらく知っているのは私だけだろう。 さて、パーティは取止めにしたので、午前中から制作に入った。しかし、年末年始、何も食べないではいられない。おせち料理、いつもの全品とはいかないが、結局、3時から料理を始めて、4品だけ作った。材料は全部揃っているようなので、正月中にぼつぼつ作ることにしよう。 20時30分から再び制作。
Dec 31, 2018
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今日も斯くて暮れなむ・・・そう、制作に追われるままに。 大晦日に弟一家が我が家にやってくる慣いだが、私がそのための時間がつくれない。元気でいればそれでいいから、挨拶に来るにはおよばないと電話した。例年、彼らに持たせてやる御節料理をつくっていたが、作らなければならないのは御節料理ではなくニューヨークに送るための絵だ。期限まで1ヶ月半を切った。さきほど22時まで執筆。・・・このところ日記にこんなことばかり書いている。
Dec 29, 2018
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昨夜はこの冬一番の寒さだったと言う。私はさほどとも思わなかった。床に就いて本を読み始めたがたちまち眠くなって、朝まで熟睡。 私はよく眠る。主治医が「眠れますか」と訊くが、心配していただくには及ばない。快眠。ついでに言えば、快便である。 さて、きょうも終日、作品制作。夕方近くに一時中断して、門松を飾り付けた。正月もなにもありはしないほど制作に追われているが、いつの年だったか、あまりの忙しさに松飾りをしなかったことがあった。すると正月明けてから、ご近所さんに「ご不幸がおありでしたか?」と尋ねられた。一瞬、何のことだろうと思った。が、あっ門松!、と気づいた。まさか忙しかったからとも言えず、「ええ、まあ」と、言葉を濁したことがあったのだ。 急がば回れと言うけれど、ほんとうだねー。忙しいものだから同時に二つのことをやる。すると必ず何かひっくり返す。両手がふさがっているので、口を使おうとして返って時間をくったりする。蹴つまずくわ、その拍子に立てかけてあったキャンヴァスが倒れて、後頭部をいやというほど叩かれるわ。わかっていても、失敗が身につかない。いまに、慌て床屋のように耳をちょん切るかもしれない。・・・とにかく、じっくり描いてはいても、気持ちはあせっているのである。
Dec 28, 2018
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弟が年賀状のデザインしてくれと言うので、忙しかったが、作ってやった。 制作が中断したついでに、会津若松のEさんに電話。ほぼ1年ぶり。じつは昨日電話したのだが、外出しているのだと娘さんが応対してくれた。きょうは最初にお孫さんが出た。「お祖母様はご在宅でしょうか?」と問いながら、おばあさんと言うのは可哀想だなと思いながら、しかしお孫さんにとってはお祖母さんだしなー、と一瞬の思いがよぎった。向こうの電話口の遠くで、「やまだ君だ!」とEさんの声が聞こえた。その声は娘さんより若々しく(お嬢さん、失礼!)、元気そうだ。 しばらくお互いの近況を話して、「じゃあ、また来年ね!」と言って別れた。 その後、制作に取り掛かったが、夕方、新聞を取りに行くと、ポストに会津高校16回卒業生同窓会の報告書が届いていた。「おやおや、会津日和だな」と思いながら目を通した。 鬼籍に入った名前が幾人も列記されていた。中学1年時からの同級生の名前もあった。60年前の彼の家への道筋が思い浮かんできた。彼と仲良しだったK君も、数年前に亡くなっている。 ・・・同窓会報告書に寄せられている各人の近況を読むと、いずれも老境の日々の暮らしぶり。・・・これが私を悩ませる。 私も勿論73歳の老人にはちがいない。しかし無病息災。人間ドックの検査では健全な内臓を保持していると診断され、体力気力ともに充実して創作三昧の日々。つまり、同窓会との付き合いがごく淡いものながら煩わしくなっているのだ。こんなことを言うのも、どうかと思うが、老人話が嫌いな私は、心の衛生上、あまり歓迎できなくなっている。 いや、ほんとうのところは、自分の老いを感じていればこそである。先日も、出演した合唱のステージ写真をもらって、私の無残なほどの老人ぶりに呆れてしまったのだから。内臓は若くても、外観は見る影もない。 ・・・ああ、こんなことを書いている場合でない。ただいま19時30分になるところ。もうすこし作品を執筆しなければ・・・・
Dec 27, 2018
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ただいま丁度22時40分。30分に今日の執筆を終了した。気力も体力もまだ残っているが、目が疲れた。もう寝るだけだ。ベッドに入って、いつものように英語の小説を2、3ページも読んでいるうちに、睡魔がやってくる。いま読んでいるのは、Irwin Shawの短編集"FIVE DECADES"。
Dec 26, 2018
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先程、午後7時、どこかで花火を打ち上げたらしく、何事ならんと耳をすませたが、2.3度ポポポポン、ポポポポンと遠雷のように轟いて、それきりになった。 それはともかく、昨日一昨日の連休も、また今日も、相変わらず作品制作に追われている。構想段階でのイメージをようやく四分の一程度描き進んだ。しかしここからが問題。思想的表徴と絵画的美的表現とは、一致しているものではないからだ。そして、それは一致させなければならない。「ここからが問題」と言ったのは、そういうこと。 話を変えて・・・ 作曲家の新実徳英氏から先日の新作発表コンサートについての葉書を頂戴した。ご案内もあり、招待してくださったにもかかわらず、私はどうしても伺えなかった。 新実さんは、「ピアノのためのエチュード第四番はすばらしい演奏でした」とお書きになっていられる。作曲者が自ら初演を「すばらしい演奏」と言うのは、稀有とは私は言わないけれど、まあ、観客の耳とはまったく異なる耳で聴いていると想像できる。どのように演奏するべきかを稽古の段階で、作曲者と演奏者との間で事前の打ち合わせがあるであろうが、なにしろ初演の出来がその後の演奏のスタンダードになるのだから、作曲者としては神経が尖りもしようし、不満のような感情がくすぶるのも皆無ではあるまい。 そんな私の下品な「忖度」を、新実さんの葉書は吹き飛ばしていられる。演奏者に対するリスペクトを、わずかな言葉から私は感じた。いやー、聴きたかった。今年はどんな曲ができるだろうと、楽しみにしていたのだったのに。残念、残念。 NHK・FMが録音したというから、その放送を楽しみに待とう。放送日時が決まったら、新実さんが知らせてくださる。ピアニストは寺嶋陸也氏。
Dec 25, 2018
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予報では終日雨のはずが、夕方にわずかに霧雨のように降った。私は仕事場に閉じこもりきりだ。 家人が「今月はまだ外出仕事の予定があるのですか」と訊いてきた。私の制作が遅れていることをそれとなく心配しているらしい。先日も、韓国で発表した作品とこれからニューヨークで発表する作品とが、逆の方が良かったのじゃないかと、めったに口出ししないことを言った。 「そうかなぁ?」と応えながら、その点は、私の意図まで理解がおよばないのだろうと思った。 尤も、何を何処で発言するかということは、私自身が世界の情勢を明確にわかっているわけではない。言葉での表現と、絵画での表現とでは、同じ問題をとりあげても、観衆のこころや思考回路への入り方はことなる。それぞれ異なる他国の観衆の「目」がどんな目をしているか、それに関してはまったく一か八かのような私の判断しかない。 私はそこが面白いのではあるが。 と、まあ、かくして今日も一日中制作。(近頃、一日の仕事の終わりが近付くと、目がひどく疲れる。焦点が定まらないというか、視界が少々乱れる。眠い。)
Dec 22, 2018
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ニュースとしては旧聞であろうが、ポーランドで開催されていた第24回国連気候変動枠組み条約締約国会議(CSOP24)は、パリ協定のルールを採択して閉幕した。すなわち地球温暖化対策の国際枠組みとして、先進国と途上国が共通のルールによって温室効果ガスの削減に取り組むことになった。 注目すべきは「先進国と途上国が共通のルールによる」ということだ。つまり、これまで議論停滞の原因だった先進国の身勝手には行かないということ。会議は前進したというべきだろう。 とは言え、わが日本は、率先して人類のため・地球の未来のためにリーダーシップをとることはなかった。二酸化炭素の排出量の削減目標を強化するつもりがないからだ。国際会議に参加はすれど、あいかわらずの国際ヤクザのような恥知らずな心情を抱いている。 この会議の場でひとりの15歳の少女がみごとな演説をした。スウェーデンのグレタ・トゥーンベリさんである。日本の無教養で愚かしい国会議員どもの言動など、この15歳の少女の足元にも及ばない。 私はこの演説全文(英語)をここに掲載したいのだが、それはできまい。 CNN-Worldのアーカイブでご覧いただこう。Teen tells climate negotiators they aren't mature enoughBy John Sutter and Lawrence Davidson, CNNUpdated 1438 GMT (2238 HKT) December 17, 201Teen tells climate negotiators they aren't mature enough
Dec 21, 2018
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制作を中断して昼食を摂りながら思い出したことがる。 私は中学1年生のころから眼鏡を常用していて、就寝時以外は掛けっぱなしだ。昼前から描いていたのは眼鏡をかけた人物像で、自画像ではないのだが、眼鏡のレンズを描いたことから思い出したのである。 44、5年前に講談社から刊行された怪奇系児童書「ドラゴンブックス」については、すでにこの日記で書いた。もう10年以上昔の記事だが、現在もほぼ毎日のようにアクセスされている。出版社の復刊ドットコムが、読者からのリクエストに応じて『悪魔全書』を復刊したばかりであるし、さらに第2段として『吸血鬼百科』が2月に復刊されることになっている。私の昔の記事にアクセスがあるのも、そうした状況と無関係ではないだろう。 さて、私が思い出したこと。「ドラゴンブックス」執筆当時、講談社の編集者土屋氏が、新人イラストレーターの私を伴って諸先輩のご自宅を訪問して紹介してくださった。そのおひとり、柳柊二氏にお目にかかったとき、昔の日記に書いたこと以外に柳先生が私に教えてくださったことがある。水彩でガラスを描く方法だ。物語のイラストレーションとして、たとえば背景にガラス窓があったとする、そのガラスをガラスらしく見せる描き方である。ちょっとしたことなのだが、それだけで印刷後の絵にガラスらしさがでてくる。 私は同業者・・・イラストレーターや画家・・・と、ほとんど皆無といっていいほど付き合いがない。まして先輩諸氏から印刷効果のあがる実際的な描画法などは教わったことはないし、おそらく大抵の人は教える気もないだろう。右も左も暗中模索状態の新人の私に、具体的に「ちょっとしたコツ」を伝授してくださったのは、ただひとり柳柊二氏だけである。 なぜガラスの描き方だったのか、話の道筋は忘れてしまった。そして、その描法が即座に仕事に役立ったわけではなかったと思うが、それから数年後に、私はある本の表紙絵のなかで先生から教わったことを実践したのだった。 ・・・今日、眼鏡を描くことを考えながら昼食を摂っていて、不意に「ああ、そういえば・・・」と、思い出したのである。
Dec 19, 2018
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午後2時から4時半まで、民生・児童委員の年末の総会に出席。来年度に任期終了の改選がある。辞めるべきか、つづけるべきか、私に今日迷いが生じて来た。
Dec 18, 2018
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あいかわらず制作に明け暮れ。引渡し期限まで丁度2ヶ月。約束の作品数が揃わないかもしれぬ。寒気がしてきた。
Dec 17, 2018
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昼前から作品執筆を始め、ただいま21時に今日の仕事を終了。BGMはマイケル・ジャクソン。彼の優れてグローバルな視点で社会を見据えた歌にいつも考えさせられる。この視点。この信念。そしてその確信的な世界観。悲観的でないのが素晴らしい。
Dec 16, 2018
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毎年恒例の児童館の餅つき。私たち男性スタッフが代わる代わるに6臼搗いた。もっとも、大ベテランのTさん、Nさんが居てこそだ。 子供達の体験コーナーも別に設けてあり、これが楽しみのようだ。おそらく自宅で餅を搗く習慣は、今ではもうないであろう。お母さんお父さんが我が子の餅つきを写真に撮る。「インスタ映え」などという言葉が、今年初めて出て来た。漫画に描かれているように、餅が杵にくっついてビヨ〜ンと空中にのびると、「インスタ映え」だそうだ。「ハハハ、なるほどね」と私は笑った。ほとんどそんなふうにはならないのだが。 かくいう我が家も、自宅での餅搗きは遠の昔に失われてしまった習慣だ。私が中学入学と同時に家を出て家族と離れるまでは、父の会社の方が我が家に餅つきに来てくれていた。それは憶えている。我が家におそらく祖父の代からの臼と杵があったのだ。大人たちの仕事をそばで見ている私たち子供たちは、搗き立てのまだ温かく柔らかい餅を丸めてもらって食べるのが嬉しかった。家族全員の好物は、黒豆をたくさん入れた豆餅。なまこ型のそれを、のし餅や餡餅よりも多くつくったものだ。 さて、明日あさってには、身体のふしぶしが筋肉痛をおこすかもしれない。
Dec 15, 2018
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今夜と明日の午後、二日連続で作曲家・新実徳英氏の新曲の世界初演コンサートがあった(ある)。 私は招待たまわっていたが、私自身の作品制作のため、伺えなかった。まことに残念。新実さん、ごめんなさい。 一作ごとに境地を深めていられる新実さんの新曲を楽しみにしていたのだが。私の作品完成が遅れていて、引渡し期限をにらみながらのていたらくである。家人が予定していた両親の墓参も取りやめた。町の自治会からも出席を求められたが、これも勘弁してもらった。明日は朝から午後まで、児童館の餅つきをたのまれている。こちらは男性スタッフが少ないので、行って、杵を振るう約束をした。子供達が楽しみにしている年末の行事だ。
Dec 14, 2018
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一日中仕事場に籠って制作していると、日記に特別書くこともないのだが、絵筆を執りながら不意に思い出した歌がある。しかもロシア語で。『ステンカラージン』である。 この歌をロシア語で覚えたのは55、6年も昔、高校生のときだ。当時、ロシア(ソ連)から「ドン・コサック合唱団」がしばしば来日して公演していた。初来日は、たしか私が小学校5、6年生の頃。ラジオから流れてきた男性低音の重厚な歌声に、驚きとともに魅了された。 『ステンカラージン』のロシア語の歌詞を、どこから入手したか忘れたが、キリル文字にカナが振ってあったのか、カナだけだったのか。それすらも忘れてしまったが、今日、不意に口をついて出てきたのはその時に覚えたロシア語だった。 「イズザ オストロヴァナ ストリェジェン、 ナ プラストル リェチノイ ヴォァルヌイ、 ヴィブルイヴァユト ラスピスヌイエ スチェンキ ラジズィナ チェルヌイ、 ナ ピリェドニェム スチェンカ ラズィン、 アブニャフシス ス クニャジノイ ムラドイ スヴャヂヴ ノヴユ スプラヴリャイエト、 サム ヴェソルイ イ フミェリノイ」 どうだろう? 記憶に間違いがないかしら。・・・あのときから55.6年も経っている。もし正しいとしたら・・・。 いま、自分でも驚いている。
Dec 13, 2018
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人間の長い歴史は強欲と憎悪と狂信によって血みどろではあるが、それでも人智は廃れることなく万人共生と平和のための思想を探ってきた。国際政治においては侃々諤々の議論があったにしろ、そのためのパラダイム(範例)を築く努力をしてきた、と言ってもさほど間違いとは言えないだろう。 しかし、「あの日」を境にして(と私は考えるが)、そのパラダイムは完全に崩壊してしまった。世界は分断し、各国内外の政治は、強欲な詐欺師と殺人者の魂を持った愚者たちの牛耳るところのようだ。彼らの一度汚れた手は、マクベス夫人の血にまみれた手のように、洗っても洗っても、いつかな汚れを落とすことはできないかも知れぬ。彼らは気づく者を陥れ、人智を嘲笑う。彼らは自らの「信念」を誤解する。「虚仮(虚仮)の一念」と言うのが、むしろ正しいのだが、誤りを正すことは政治家として失格と思っているかのようだ。 さて、こんなことを書き連ねたのは、現在取り組んでいる作品の基底に置いた私の考えなのである。この考えをイメージ化しようとしているのだ。 今日も一日中、制作。
Dec 12, 2018
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この冬一番の寒い日だったのではなかろうか。揮発オイルを使用しての制作段階なので、用心に用心を重ねて仕事場を暖房していない。足元から冷えてきて、さすがに居ても立っても居られず、靴下の足裏に使い捨てカイロを貼って更に靴下を履いた。 私は普段の制作に揮発オイルはほとんど使わない。絵肌が弱くなるからだ。しかし冬場は絵具の乾燥が遅くなるので、完成までに期限がある今、プルミエール・ド・クーシュ(塗りの初回)は揮発油を混合している。この段階が終わって、二層目に入り、寒気が強くなる頃には温風暖房にする。もっとも、箔を使用する作品ならば、温風暖房はもってのほか。室内の空気を動かさないためである。 夜に入って雨が降り出した。その音すらも冷たい。仕事を終えて、イギリスの少年合唱団「Libera」のアンジェリクな歌声を聴いている。
Dec 11, 2018
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一日が作品制作に明け暮れ。描写の度合いを手探りしながらなので、遅々としてはかどらない。この手探り状態はしばらくつづくだろう。
Dec 10, 2018
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終日、何にも邪魔されずに執筆。なんだかこんな状況が久しぶりのような気がする。 作品は、全画面を描写・描写で埋めて行くことになろう。考えると気が遠くなりそうなので、考えないことにした。ハハハ。俺って、ほんと楽天的。
Dec 9, 2018
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今日土曜日は、合唱団「かしの木」にオファーがあった、市内旭ヶ丘中央公園で開催の「たきび祭」に出演。合唱団、今年最後の公演である。 実は私たち合唱団にとって初めての野外ステージ。4本のスタンド・マイクを通して聴いていただくのも初めて。また、高性能とは言え電子ピアノというのも初めて。初めて尽くしの面白さはあったけれど、電子ピアノの音は、私はやはり耳慣れぬ音として・・・特に前奏中の数秒間の気持ちはなんだかヘンな感じだった。歌いだしてしまえば、どうということもないのだけれど。 はたして観客にはどのように伝わったのだろう。歌い出したら、シンと静まり、身じろぎもなくなったのが、ステージからわかった。もちろん「祭」なので、客席の周囲は食べ物の露店が並び、子供達の賑やかな声が止むことはない。・・・しかし、そんなこと全く問題無かった。私たち合唱団にとって。・・・その賑やかな歓声を圧倒していたと自負したのは、私だけだろうか? 次の公演は来年2月である。新曲が入るのかどうか・・・ さて、もう今日のことは忘れて、私は作品制作に専念しなければ!
Dec 8, 2018
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10月半ば頃から毎朝、柿落葉を掃き集めるのが日課だったが、とうとう全ての葉が落ち尽くした。昨日、ただ一葉が上枝(ほずえ)に残っていた。それも今朝は枝を離れ、すでに地に落ちていた枯葉に紛れていた。夏、鬱蒼とした緑葉が陽を翳っていたが、今は細枝太枝の網目を透かして薄い日差しの冬空がのぞく。そして柿落葉の代わりのように、隣家の寒椿の紅の花びらが、風もないのに、我が家の庭に降りしきる。今日からは椿の花弁を掃き集めるのが日課だ。椿三十郎のあの「椿屋敷」も、さぞかし庭掃きが大変だったろうと、ヘンなことを想いながら。 仕事場に入り、制作に取り掛かる。
Dec 7, 2018
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午前中、民生委員と包括支援センターおよび市との会議。議論白熱。
Dec 6, 2018
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今日もほぼ終日仕事場に。作品の支持体を作る。思い通りのものができた。こんなにすんなり行くとは想っていなかった。まだまったく筆を入れていないが、イメージの大半ができたようなものだ。【下の写真は、私の作品『Contemporary Eve』を観る韓国の観客】
Dec 5, 2018
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終日、仕事場で過ごした。私のエイジェントでありプロモーターである画商から電話。韓国の画商の私の作品に対する反応について。また、若い人たちが関心を示している、と。 どう言ったら良いか、私はそういうことにほとんど一喜一憂しない。だから、どうだって言うの、と口にこそ出さないが、心中に思っている。未来に何か企画があれば、話は別だ。現実的と言えば現実的。 作者としては、作品が完成するとほぼ同時に、それは「過去」のものになってしまう。もう次のことを考えている。現在は、来年のニューヨーク展のための新作のことしか頭に無い。プロモートの担当者と電話で話しても、新しい構想の話に比重がかかる。私が何を考え、それをどう具体的にイメージし、作品として表現するためにどんな準備をし、想像をどのように物質的に構造化するか。・・・そんなことを自分自身に確認するかのように話していたのだ。
Dec 4, 2018
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昨夜作成した図面を携えて昼前に家を出て新宿のTHに行く。現在構想中の新作のための、基盤となる部分を、加工してもらう。4時間かかるという。是非とも今日中に引き取りたいので、4時間待つことに。 とはいえ、街を目的もなくブラブラ歩く趣味はない。映画を観ることにした。 ブライアン・シンガー監督『ボヘミアン・ラプソディー』(2018年、20世紀フォックス)。ロック・バンド「クイーン」のボーカルで、1991年に死去したフレディ・マーキュリーの伝記映画。 フレディを演じているのはラミ・マレック。「クイーン」の現メンバー、ブライアン・メイならびにロジャー・テイラーが音楽総指揮を手がけ、劇中の歌はフレディ自身の歌声を使用している。・・・この映画の成功はこの点にあるだろう。「クイーン」そのものを聴いているのだから。映画の最終部、アフリカ飢餓救済のための20世紀最大のチャリティー・コンサートの20数分間のステージ・シーンは圧巻だ。 予定外の映画鑑賞だったが、むしろ4時間待ちがなければ、現在の私のスケジュールでは到底映画館へ足を運べなかった。 依頼した加工は、図面と寸分の誤差もなく見事に仕上げてくれた。これで新作の基盤とすべき素材は揃った。いよいよ構想を実現するために筆をとることになる。
Dec 3, 2018
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今日は社会福祉協議会主催恒例の「歳末たすけあいバザー」。朝9時半から午後3時まで出動。 毎年、市民のみなさんから多くの物品を寄せていただき、多くの来場を仰いで購入していただき、多額の浄財を寄付することができた。ありがとうございました。私自身も10点の商品を買った。少しでもお役に立てれば、という気持ちである。 12月は、このバザーを皮切りに、民生委員協働の大きな案件がまだ5件ある。多忙多忙で今年も暮れようとしている。もちろん2月半ばまでに完成しなければならない本業の作品制作は、尻に火が付いた状態。暮れも正月もありはしない。
Dec 2, 2018
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新作の新たな技法をめぐって頭の中であれこれシミュレートしているが、昼前に材料を探しに外出。 山の上から自転車で下り、駅近くの駐輪場に預ける。改札を抜けてプラットホームで電車を待っていると、構内放送。人身事故のため上下線ともに不通、一部分で折返し運転する、と。 材料探しを今日やめると、他の日は動けない。制作日数も残り少ない。折返し運転をしているなら、遠回りになるが別の路線を使おうと、目的方向とは逆に行き、途中で1キロばかり歩き、およそ1時間のロスで目的地に行った。 あれこれ探し回り、また、DIYのTHに行った。そこで見つけた資材を一部加工してもらい、全部で4種類の材料を購入。THで相談すると、正確な図面を添付すればどうやら私が希望している物ができそうだという。しかし最も使いたい素材では、その加工ができない、とも。・・・大阪の或る工場が、その加工ができるらしいのだが。・・・迷いながら、他日、もう一度図面を作って、その加工の仕上がりを見てから、大阪工場を検討しよう・・・。 絵を描いているのだか何だか、傍目には分かりかねるだろう。が、要するに絵を描くための「仕掛」なのである。私の構想は、観客に参加してもらおうというもの。観客が私の作品を目にするだけで否応無く参加させられ、且つ、私の思想に否応無く巻き込まれる。観客が納得してくれようが反発しようが、とにかく私は或る事態を「気づかせる」・・・そういうことを、考えているのである。 電車事故の始末はついたようで、帰りはいつもの路線。我が家の最寄り駅に到着し、預けてあった自転車にまたがり、(電動自転車なので)スイッチを入れた。 ところが電気が入らないのだ。何度繰り返しても、モーターは始動しない。壊れたか? と思ったところで、はたと気づいた。バッテリーを充電して、そのまま家を飛び出した。バッテリーを装填し忘れたのだ。山を下るときはモーターに頼らなかったので、気がつかなかった。頭の中は作品構想でいっぱい。時間に急かれるは、駅に着けば電車は不通。バッテリー充電のことなどまるっきり忘れていたのだ。 やれやれである。重い資材を自転車に乗せ、普通車より重い電動でない電動自転車を押して歩き、山道を登った。散々なめにあったと言えば、それは人のせい。自分のうっかりなのだから、散々な思いをした、と言うのが正しい。
Dec 1, 2018
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