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最近、ku-chanのブログを書き始めてから犬、猫のブログをよく読む。マンガ風のがあったり、海外での生活があったりで人気のあるブログはおもしろいのも多い。おもしろいのも読むけれど、真面目に書かれているのも読む。捨てられた犬を助けている里親探しのブログや病気と闘っている犬のブログなども初めて読んだ。その中で癌になってしまった愛犬を家族で支えているブログがあった。読み始めたばかりだったけれど、家族の温かさを感じて素直に感動した。癌治療を続けていくことは、治療費などをふくめていろんな大変なことがある。ブログを読んでいて書いている人の葛藤も感じた。このまま、治療を続けていくことが愛犬にとっていい選択なのかどうかと。でも闘病のランキングに参加していたそのブログがある日、一位になった時、その人のところにあるコメントが届いたそうだ。「犬の命をおもちゃにするな。」「一位になってうれしい?」と。そのブログはその後ランキングからいなくなってしまった。きっとよほどショックだったのだと思う。検索してもみつからなくて読めなくなってしまった。ほとんどの読者はいい人で応援者なんだと思う。でもいろんな人がいる。いろんな思いがある。あっていいと思う。でもそんな方法で傷つけるのはまちがっていると思う。その飼い主さんだって悩んで悩んで治してあげれるものなら治してあげたいと思って選んだ選択なのに。私も2年前、この起立性調節障害のブログで、あるコメントをもらってとてもショックを受けたことがある。その時初めて、いろんな人がいて、いろんな思いがあって私のブログを読んで嫌な思いをする人もいることを知った。それでも今日まで続けてこれたのはいい先輩たちや仲間がいっぱいいるって感じられたからだと思う。ブログを書くことで私は救われてきた。息子とのことを吐き出すことでストレスを軽くしていたのだと思う。でも最近もまたちょっとブログ書くのが怖くなってきたかもしれない。誰が読んで何を考えているか、そんなこと思い出したら、ブログは書けなくなる。ku-chanが生きているときはこんなことあんまり考えなかったと思うのに。でも嫌な思いをする人がいても、きっと子供さんが起立性になって悩んで悩んでこのブログにたどり着いて、ほんのちょっとでも助けになるかもしれない。そんな気持ちもある。だから書かないにしてもこのまま残しておこう。書くのも書かないのも私の選択。また書きたくなったら書けばいいんだよね。深く考えずに。
November 10, 2010
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今日NHKのあさイチでほめパワーについてやっていた。ほめられると「社会適応力」が二倍になり、認知症になる確率も減るそう。「ほめ日記」を書いて一日10個自分をほめてあげることでうつ病の主婦も治ったそうだ。ほめられてうれしくない人はいないし、私も単純なのでほめられるの大好き。私が英語が大好きになった理由の一つは米国に住んでいた時に上手に先生にほめられたのが大きいと思う。中学のときは英語の先生がきらいで全然勉強しなかったから、英語の成績もよくなかった私が今は英語が大好きだって思えるのはあの時の先生の"Wow! Good job, ○○○○○."の言葉のおかげだと思う。とはいうものの、ほめられるのは好きだけど、自然に人をほめるのはむずかしい。考えてみると私は結構旦那に対しては抵抗なくほめてるかもしれない。というか「ありがとう。」はよく言ってる。休みの日、私が起きる前に起きて、庭の草取っておいてくれるときもあるし、垣根も上手に切ってくれる。私が夕方仕事で忙しくて洗い物を残しておくと、洗っておいてくれるときもある。そんなときは自然に「ありがとうね。」がでる。会社の二十代三十代の人にまじって一人五十代なのにテニスやっている旦那にも「若いね。」ってほめてあげられる。なのにどうして息子に対しては自然にほめられないのかな。意識してへたにほめると息子の場合すぐ見破られる。家で英語の勉強しているとき、私「すごいじゃん。たくさんやったね。」息子「え、でもまだここ、中1中2のレベルだよ。」私「このページ全部まるだよ。文法よくわかるようになったね。」息子「でも数日したら、また忘れそう。」てな感じであんまり喜んでる様子もない。息子は中学3年間学校に行かなかったっていうコンプレックスがすごくある。地理とか歴史とか私よりよっぽど知っているのに勉強に対して自信がない。勉強だけでなく、他のことにも自信なさそう。私「高校になって、彼女とかできそうかな。」息子「おれ、そういうのあきらめてる。」私「なんで?」息子「体弱いから。」何に対しても自信がない様子。息子には今自己肯定感が必要なんだと思うんだけど。そんな私と息子の関係だけれど、私が心から、自然と息子に言えた言葉があった。それはku-chanが輸血を初めて受けた日。輸血しなければ、今日の夜までもたないと朝一番に獣医さんで言われた。ku-chanを獣医さんに預けていったん家に帰ってきた。心が引き裂かれそうな気持ちだった。、その日はまだ部屋で寝ていた息子の部屋に飛び込んだ私。寝ている息子のベッドの横でおお泣きした。眠そうに起きてきた息子にただただku-chanのことを話した。だまって聞いてくれた息子。私が泣くのもあたりまえって言ってくれた息子。「○○くんがいてくれてほんとによかった。」「一人だったら心が引き裂かれそうだったよ。」自然にでた言葉だった。あの子がいてくれてほんとによかった。今でも息子と一番たくさんku-chanの思い出を話す。それだけで救われるし、癒される。自然に心に浮かぶ気持ちを伝えればいい。無理してほめる必要はないんだよね。
November 1, 2010
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