全6件 (6件中 1-6件目)
1

★☆ ドイツ 2号戦車G型 ★☆ Panzer KampfwagenII Ausf.G 大戦初期からアフリカ戦でも戦ったドイツ軽戦車 この作品は、「1/35 PanzerkampfwagenII Ausf.G(ドイツ 2号戦車G型)」(TAMIYA)です。また、最後に1/35の「ドイツ・ドラム缶セット(1/35 GERAMAN FUEL DRUM SET)」も完成品を紹介します。Box Art (By Tamiya)★☆『 DAK(ドイツ・アフリカ軍団) 』★☆ ★☆ 解説 ★☆ 6年間にわたって全世界を揺るがした第2次世界大戦の始まりは、1939年9月1日の朝、空陸一体の怒濤のような奇襲作戦となったドイツ軍の「電撃作戦(電撃戦)」と呼ばれるもので、ポーランドへの侵攻でした。その作戦終了後から7ヶ月後には、難攻不落と言われたマジノ線を突破し、当時ヨーロッパ第一の軍事力を誇るフランスをわずか6週間で占領、降伏させています。この電撃作戦の主役こそ、この2号戦車だったのです。電撃作戦当時のドイツの総戦車台数2580両のうち2号戦車が955両を占めていたからです。 1934年、国防軍兵器局は当時開発中であった主力戦車(3号及び4号戦車)の完成の遅れを予想し、その空白を埋める手段として新戦車の開発を決定、スペイン戦争で明らかとなった1号戦車の欠点を補い、マン社とダイムラーベンツ社の共同開発によって、まず最初のa1型から始まり、その最後のL型に至るまで実に多くのバリエーションが生産され、その軽快な機動性は当時のドイツ陸軍の戦車用法に十分活用されて大戦初期の華々しい勝利から大戦中期までを活躍しました。 2号戦車のうち、今回のモデルであるG型は、1940年に量産開始されたF型に続いて量産されたもので、両者の違いはG型になって砲塔後部に雑物箱が装着され、主砲が20mm機関砲KwK30より強力なKWK38に換装された点にありました。2号戦車G型の主要データは、全長:4.81m、全幅:2.28m、全高:2.02m、重量:9.5トン、武装:20mm機関砲KWK38×1、7.92mm機銃MG34×1、エンジン:マイバッハHL-62水冷6気筒6191cc、出力:140bhp/2600rpm、最高速度:40km/h、航続距離:125km、乗員:3名でした。 ★☆作品について★☆ 作成した車両は、1941年3月から1943年5月まで北アフリカでイギリス・アメリカ軍を相手に奮戦したドイツ・アフリカ軍団(DAK)のうち、1941年4月にリビアのトリポリ港に上陸派遣された「第15機甲師団」所属車両を想定して、指定されたダークーエローに塗装し、所属部隊表示マーク、車両番号のデカールを貼付しました。1/35の「ドイツ・ドラム缶セット(1/35 GERAMAN FUEL DRUM SET)」も作成したので、最後に給油所での情景をイメージしてみました。 ★☆ 感想 ★☆ このモデルは、タミヤの製品の中ではかなり古典の部類に入るのではないかと思います。なぜなら、中学生頃に作成した記憶があるからです。久々の再会となった作品でとても感慨深いものがありました。店頭陳列された箱絵の中で遙か昔に見覚えのあるその箱絵を見て、とても懐かしく思いつい購入(1000円)してそのまま数年間も眠り姫状態のものでしたが、作成してみるとその完成度の高さは今でも十分に通用するものでした。戦車兵1体、アフリカ軍団兵士4体のフィギュアも付属したセットでとてもお得な製品でした。今回は、アフリカ軍団兵士フィギュアは一部未完成のため、作成後に別途紹介させていただくことにします。Box Art (By Tamiya)☆10月20日エントリー楽天カード利用で店内全品ポイント12倍☆タミヤ 1/35 ミリタリーミニチュアシリーズ No.9 ドイツ・II号戦車 F/G型【35009】楽天で購入ご訪問していただきDanke!(Thanks) !!(ありがとう)^^)/~♪どのページへのリンクもご自由にどうぞ。
2007/04/30
コメント(6)

★☆ WWII ドイツ戦闘歩兵(迷彩野戦服) ★☆1/16 WWII GERMAN ELITE INFANTRYMAN この作品は、「1/16 WWII GERMAN ELITE INFANTRYMAN ~ WWII ドイツ戦闘歩兵(迷彩野戦服)」(TAMIYA)です。Box Art (By Tamiya) ★☆ 解説 ★☆ このフィギュアは、第二次世界大戦末期の1944年春以降から多用された迷彩野戦服を着用した戦闘歩兵を再現しています。当時の戦闘歩兵によく見られた腰のバックル部分に杖付き手榴弾を差し込み、ドイツ軍の自動小銃の中でも最もポピュラーなMP40シュマイザー(9mm短機関銃)を手に持った立位の射撃姿勢が表現されています。 ★☆迷彩野戦服の先駆となったドイツ兵の服装について★☆ 現在のアメリカ軍海兵隊やロシア軍をはじめ世界各国の陸軍兵士や特殊部隊に使用されている迷彩野戦服の先駆は第二次世界大戦中のドイツ軍でした。当時のドイツ軍は既に1937年頃から様々なパターンの迷彩服(スモック)を開発していますが、特に制式化された迷彩野戦戦闘服を多用したのは大戦末期の武装親衛隊でした。そのなかでも1944年春から支給されたものが今回の作品のフィギュアが着用しているM44型迷彩野戦服でした。開襟タイプで5個ボタン、ブリーツのない4個のポケット付きで、裏地のない薄いコットン製生地の表面にはエンドウ豆パターンと呼ばれる独特な迷彩模様がプリントされていました。この迷彩パターンは薄茶色をベースに木の葉をイメージしたグリーンとブラウン系の斑点模様で構成され、非常にカモフラージュ効果の高いものでした。また、迷彩野戦服には肩章や襟章などは付属せず、通常の制服の上に着用して使用されました。ズボンは足首部分をひもで縛るタイプで、編み上げ靴とともに着用されました。 ★☆作品について★☆ 野戦迷彩服の塗装は規定に従ってはフラットアース(薄茶色)をベースに塗装し、その後からブラックグリーンやフラットグリーン、フラットホワイトとの混合色の斑点模様で迷彩に塗装しました。その他の個々の装備品についても、ヘルメット、ガスマスクケース、手榴弾はフィールドグレイで、その他の個々の物についてもそれぞれ定められたカラーで塗装しました。 ★☆ 感想 ★☆ 今回のような服装への迷彩塗装ははじめての挑戦で多少の不安があったものの、実際にやってみると思ったほど困難なものでもないことがわかった。ご訪問していただきDanke!(Thanks) !!(ありがとう)^^)/~♪どのページへのリンクもご自由にどうぞ。
2007/04/27
コメント(6)

☆★全国学力テストについて☆★ 昨日、43年振りに小学校6年生、中学3年生に対する全国学力テストが実施され、国公私立の約3万2700校で実施された。対象となる小6、中3の児童・生徒約233万人が取り組んだそうだ。 ☆★廃止された過去の経緯☆★ この学力テストは、1960年代に数年間実施されたが、過激な労働運動や学生運動の激しい時代であったその時期に、日教組(日本教職員組合)という教職員の労働組合の強い反対で廃止に追い込まれた経緯があるそうである。廃止を求める理由は、「教育の地域格差を生む!、いたずらに競争を煽(あお)る!」・・・などというのが理由だそうである。 ☆★再び始まった理由は何か?☆★ しかし、それが43年振りに再び始まったのは、・・・?それなりの理由があるからだ。それは、最近の小学生を含む日本の学生達の著しい学力低下にある ということだそうだ。あれだけ最近の学生達は親の手厚い保護の下で塾地獄とか言われて、学習漬けというイメージがあったにもかかわらずである!ちなみに、中学生の数学の学力が世界41カ国中2000年では1位であったのが、2003年には6位に転落、読解力では、2000年では8位であったのが、2003年では14位に転落しており、この低下傾向は止まることなくますます悪化しつつあるからだ。今や、世界でも韓国がトップクラスで中国の学生よりも学力が低いというのが現状だそうである。こんな現状に危機感を抱いたのが文部科学省や教育機関である。 ☆★この動きに対するマスコミの姿勢☆★ 政治ゴシップやハレンチ事件には飛びつくマスコミは、こんな国の存亡に繋がる重大な事実について国民に正確に知らしめる義務があるはずである。であるのに・・・・国の将来の力となる国民の教育の国際的な現状分析や世界ランク等の数値で判明する報道を怠り、消極的であることには理解できない。危機感を煽るのではなく、警鐘を鳴らすべきだと思う。しかし、ある一部の報道機関では、この動きの批判勢力の声ばかり、あるいは77億円の巨費がかかったという批判的声だけに終始する姿勢にははなはだ疑念を覚える。国の宝となる貴重な教育に投資することに誰が不満を言うであろうか??一部の勢力の声だけでなく、これまでの経緯、現状と分析・・そしてその必要性・・と国民にわかりやすい報道をすべきであると思う。 ☆★ずるい大人の考え方のみを押しつける一部自治体☆★ 報道では、今回の全国学力テストの実施を拒否、あるいは今後も実施しない自治体があるそうだ。しかも、当事者である子供達の意思を全く無視して、ずるい怠け癖のある大人の論理で決めているのだ。こうしたことで気の毒なのは、大人の犠牲となるその自治体の子供達である。 拒否の理由は・・「教育差別を生む!、子供の学力の実態を国が統制して把握することはプライバシーの侵害だ!」・・と、半世紀近く前の日教組の主張と同じ様な訳のわからないことを言っているその自治体の教育機関に属する初老男性のインタビューをTVで拝見した。 ☆★教育の基本はやはり学校!☆★ 最近、学校の授業はダメだから、塾や家庭教師で学習能力をカバーするというのが当たり前のようになっている。特に・・公立はダメ!・・らしい。これは、何故なのか? それは、私立は学校経営そのものがかかっているから、そこで働く教職員は、自分たちの学習指導能力ややり方次第でたちまち子供達の結果としての学力が数値で判定されてしまうので、常に創意工夫で競争意識を持ちながら切磋琢磨して努力せざるおえないという事情がある。実績が悪ければ、それが給与や人事の査定にそのまま反映されてしまうのである。個々の教員全体がそうすることで学校には活力が高まり、自然と学校の知名度も高まっていくわけで、そうして学校経営も順調となる。 一方、公立や国立の教職員は、いわゆる公務員である。私立のようにその教職員の能力や実績がまったく反映されずに、ただ年功序列だけで決められた給与表に基づいて給与が支払われている。そこには私立ほどの緊張感や危機感もない。しかも、彼ら公務員教職員の給与は、人材確保法(1974年成立)という法律で他の一般公務員、公安職(警察・消防)よりも高いランクの給与が手厚く保障されているのだ(ただ、最近は見直しの動きもある)。彼らには、こうした保障された給与に見合うような努力が必要だと思う。多分、今回の全国学力テストの復活により、データの解析・分析により全国の学校がランク付けされるとともに、教職員のレベルも数値化されるであろう。これまでのように、たいした努力もせずに怠け癖で済んでいた一部の教職員には確かに職責の自覚を再確認する良い契機になると思う。 教職員や学生にとってもこうした競争原理は必要だと思う。甲子園の高校野球でもオリンピックでもインターハイでも・・・・教育水準も例外ではないと思う。これは世界レベルでも競争原理が働いており、その国の将来像や今後の国力の推移を示す一つの重要な指標となるからだ。(Thanks) !!↓(ありがとう)^^)/~~♪どのページへのリンクもご自由にどうぞ。♪
2007/04/25
コメント(4)

★☆ ドイツ 3号戦車L型 ★☆PanzerkampfwagenIII Ausf.L この作品は、「1/35 PanzerkampfwagenIII Ausf.LSd.Kfz.141/1(ドイツ 3号戦車L型)」(TAMIYA)です。Box Art (By Tamiya)★☆『 Panzer III Tank at Bovington Tankfest 2008 1/2 』★☆ ★☆ 解説 ★☆ 3号戦車は、第二次世界大戦初頭のドイツ軍戦車部隊の中核的存在で4号戦車とともに電撃作戦の主役で活躍しました。独ソ戦の開始からは、ソ連軍のT34やKV1などの強力な新型戦車の出現とともにたちまち劣勢となり、軍首脳部はこれに対抗するために6号(タイガーI)や5号(パンサー)などの新型戦車の開発を急がせましたが、その間の戦力の維持を図るために既存の3号、4号戦車に対する攻撃力・防御力の改造強化が同時に進められたわけです。3号戦車については当初のA型から様々な改造強化で、最終のN型までが順次開発生産されました。このL型は、その中でも最も完成されたタイプとされているもので、1942年6月の生産開始から同12月までに653両が生産され、その高い信頼性と強化された装甲により、1943年半ばまでを戦車連隊の一翼を担ってタイガーIなど新型戦車と共に東部戦線及びアフリカ戦線で活躍したのです。 L型は、乗員が5名、エンジンはマイバッハ製のHL120TRM型(出力300馬力)、最高時速は40km/h、サスペンションはトーションバー方式でした。手動旋回砲塔には、改良された長砲身の60口径50ミリ戦車砲39型が搭載され、T34戦車に対して射程600m以内での撃破能力がありました。他のL型の進歩は装甲強化であり、砲塔前面装甲が57ミリに増強され、50ミリの主砲防盾には間隔をおいて20ミリの装甲板が取り付けられ、操縦手席前面の50ミリ装甲板にも新たに20ミリ装甲板が取り付けられています。そのため、車体重量は22.7トンになりました。 ★☆ 作品について ★☆ 作成した車両は、1942年冬当時のロシア東部戦線に配置された国防軍所属の「第18戦車師団」を想定して、指定されたダークーエローに塗装し、所属部隊表示マーク、車両番号のデカールを貼付しました。今回は汚れの感じはあまり出さずに、敢えて新型戦車が輸送列車でようやく今まさにロシアの地を踏み、これを受領したばかりの戦車兵もまたフランスから到着したピカピカ状態を演出しました。 ★☆ 感想 ★☆ このモデルは、タミヤの製品の中では割と新しいものですが、こだわりのあるその正確さは見事なものだと思います。中戦車でも軽戦車に近いものですが、バランスの取れたその形状はなんとなく愛着がもてるような気もしました。組み立て作業では、砲塔部分の組立が少し複雑であったように感じました。転輪の外輪部が黒色のゴム製であったため、その部分の塗装が少し手間取りました。戦車兵のフィギア1体が付属していますが、首には戦闘中の他の戦車との通信用や車内の搭乗員同士の通話や指示を伝えるためのヘッドフォンを装着し、顔の表情なども、まさにドイツ人戦車兵ピッタリの表情が描写されています。金髪はゴールドリーフで塗装し、細かい作業でしたが、鉄十字章や襟章、ベルト金具などの細部まで正確にペイントすることでよりリアルな雰囲気を醸し出すことができました。1/35 ミリタリーミニチュアシリーズ ドイツ III号戦車L型 【35215】 タミヤ楽天で購入ご訪問していただきDanke!(Thanks) !!(ありがとう)^^)/~♪どのページへのリンクもご自由にどうぞ。
2007/04/22
コメント(9)

★☆ 偶然見かけた・・・映画ロケでした!! ☆★ I saw the location of the movie by chance. 4月10日(火)の午後・・・・山口県宇部市中心部にある「宇部市渡辺翁記念会館」の前を偶然、車で通りかかったところ、その会館の駐車場には駐車車両がほぼ満車状態でした。そのとき、何かここでは講演会かコンサートでも開催中なのかな?・・・と思いましたが、ふとその会館の正面玄関に目を向けると、玄関前が工事中のような感じになっていて外部から見えにくいような衝立の様な板壁が一部張り巡らされていました。それから・・・そこにいる人々の服装が決して派手ではないけど妙にキチンとした上品さが今の時代にはそぐわない感じだったのが印象的で少し気になりましたが、それ以上は深く考えずにそこを立ち去りました。 それから、その日の夜のローカルニュースをTVで見ていたところ・・・・な、なんと!!それが、映画「ALWAYS・三丁目の夕日」の続編で、11月公開の「ALWAYS-続・三丁目の夕日」(山崎貴監督)のロケ風景であったことをそれで初めて知ったわけです。宇部市民のエキストラも370人が参加したそうですが、どうも撮影時の混乱を避けてロケのことは積極的に広報せずに極秘で行われたためか、ギャラリーの姿などはほとんどありませんでした。 地方ロケは全国9カ所で、今回の宇部ロケがその最後だそうです。この日の撮影は、昭和30年代の銀座の映画館前に石原裕次郎の映画を観るために多くの人が行列を作っている場面、見終えて映画館から出てくる場面が主であり、エキストラは昭和30年代の衣装や髪型でリアルに当時の風景を忠実に再現したそうです。 この場所がロケ地に設定された理由は、昭和30年代のモダンな映画館を再現できる場所として全国の建物を探したところ、1937年(昭和12年)に建造されて以来の外観を有する「宇部市渡辺翁記念会館」が最適で、しっかりしたつくりで設定年代にピッタリだということらしいのです。 まぁ・・・この作品がどんなものなのか・・・そのリアルな時代風景を早く観てみたいととても待ち遠しく思いました。芸術もリアリズムの追求、そして時代考証が必要なのです。「ALWAYS 三丁目の夕日」の公式HP「ALWAYS-続・三丁目の夕日」の公式HP(Thanks) !!↓(ありがとう)^^)/~~♪どのページへのリンクもご自由にどうぞ。♪
2007/04/12
コメント(6)

☆★愛着のあった携帯電話さん、ご苦労様!そして・・さらば!!☆★4年間も長く使い慣れた携帯電話(DOCOMOのムーブ、SONY製)をようやく他の新型に買い換えました。楽しい思い出や辛い出来事もいっぱい詰まってたけど、これでこの携帯電話にきっぱりお別れしました。職場のメンバーも一新したので・・アドレス帳も200人以上を書き換えるのにとても手間がかかりましたねぇ。でもなぁ・・・これは、画面サイズも大きくて、機能的にもTV電話が可能で高機能ではあるのだが、不慣れもあって以前の使い慣れた携帯電話に比べ操作性がイマイチで不満なんだよなぁー!これでは、来年になれば再び買い換える可能性大ですねー。やはり、見た目とかで買ってはいけませんね。買う前にもう少しじっくり研究しておけばよかったと思いました。(Thanks) !!↓(ありがとう)^^)/~~♪どのページへのリンクもご自由にどうぞ。♪★チリも積もれば何とやら!☆
2007/04/10
コメント(6)
全6件 (6件中 1-6件目)
1


