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Cry Cry Cry(クライ・クライ・クライ)/ Jack Scott(ジャック・スコット) この曲は日本で、彼の代表的なビック・ヒットですが、アメリカでは不発でした・・・1962年に「Grizzily Bear」と組み合わせでシングル発売、ビル・サンフォード楽団をバックに従えて録音の自作自演のナンバーです!! 1936年1月24日カナダのオンタリオ州ウインドソー生まれのジャック・スコット(Jack Scott)の本名は^ジャック・スキャフォン・ジュニア・・・父親がギタリストであったことから8歳の頃からギターを手にていしました~~~彼が10歳の時一家はミシガン州ヘイゼルバーグに移住し、この時から彼の音楽活動(ショー・ビジネスの進出)が始まりました!! ローヤル・ラジオのショー番組に出演し歌い始め、21歳(1957年)の時に最初のレコーディング・・・ABCパラマウントから「Baby、She’s Gone/You Can Bet Your Bottom Dollar」、更にもう1枚「Two Timin’Womann/I Need Your Love」が発売されましたがヒットは記録していません~~~デビューに失敗した彼は、翌58年カールトン・レーベルに移籍し、夏に発表した「My True Love」で全米第3位のビック・ヒツト(ようやくかれの存在を知られるようになりました)!! カールトンには59年までと2年間の短期レコーディングでしたが、「Leroy」(58年),「Goodbye Baby」(59年)など9曲ものヒットが発売され、彼の人気を決定付けました・・・1960年からはトップ・ランクに籍を置き、「What In The World’s Come Over You」や「Burning Bridges」などの代表作を含む7曲のヒットを残し、1961年にキャピトル・レコードと契約を結びました~~~キャピトルでは「My Dream Come True」などの3曲のヒットが1961年に記録されていますが、日本だけのビック・ヒットとなった「クライ・クライ・クライ」のような決定打は残されていません!! ジャック・スコットはカナダ出身のロカビリー&ロックンロール歌手・・・(Gene Vincent(ジーン・ヴィンセント)に負けないほどのロガビリー魂の持ち主しですが、ロカビリーよりもバラード分野で成功!! 1970年代のイギリスでの50年代ロカビリーがリバイバル・・・”That Certain Female”がヒットしたCharlie Feathers(チャーリー・フェザース)、”Party Doll”がヒットしたテキサス出身のBuddy Knox(バディ・ノックス)等とイギリスにツアー~~~1990年代にはカントリー界に戻りました。 子供の頃にデトロイトに移りヒルビリー、特にHank Williams(ハンク・ウィリアムス)を聴いて育ったそうで、18歳でカントリー・ロック・バンドを結成した後にソロデビューしたのが1957年・・・1958年にリリースしたシングルの”Leroy”と”My True Love”AB両面がヒットしてミリオンセラーとなり最初のゴールド・レコードを獲得~~~その後に吹き込んだ”With Your Love”なども次ぎ次ぎとチャート入りしました!! ジャック・スコットが1958年に吹き込んだ初アルバム「Jack Scott、My True Love」に収録された全曲の半分がヒットました!! 1959年に吹き込んだ”Goodbye Baby”がトップテン入りを果たして直ぐ、兵役に付きました!! 1960年の”Burning Bridges(燃ゆる橋)”以外は殆どの曲を自分で作ったそうです・・・1960年に ”What In The World's Come Over You(夜ごとの願い)”同様にBillboard Top 10 Singlesで上位にランクした”Burning Bridges”はJerry Lee LewisやConway Twittyなども参加~~~1991年のRonnie McDowellのアルバム「Unchained Melody」(ASIN: B000000CYM)でロニー・マクドウェルとデュエットしていますが1992年には本国カナダのカントリー歌手のCarroll Baker(キャロル・ベイカー)ともデュエットしています。<Baby Doll(ベビイドール)に出演した女優のキャロルベイカーではありません>!! ジャック・スコットはカントリーやカントリー・ポップスに始まり、ロカビリー、ロックンロール、そしてバラードと変化して再びカントリーに戻りました!!
2012.05.30

スターダスト(stardust)アーティ・ショウ(Artie Shaw)楽団 ホーギー・カーマイクル(Hoagy Carmichael)曲 スターダスト(stardust)・・・ホーギー・カーマイケル(Hoagy Carmichael)が、1927年に発表したジャズのスタンダードナンバー・・・トランペット・ソロは^ビリー・バタフィールドです~~~「ビギン・ザ・ビギン」と共にアーティ・ショウの代表作となっているヒット盤!! 最初のレコーディングは、カーマイケル楽団によりインディアナ州リッチモンドにあるゲネット・レコード(英語版)のスタジオにて行われました・・・元々はミディアムテンポの楽曲であったが、1928年にスローテンポのレコーディングが行われ、1930年5月16日にアイシャム・ジョーンズ(英語版)がバラードナンバーとしてレコーディングして以来、スローバラードとして定着しています~~~1929年に、ミッチェル・パリッシュ(英語版)により歌詞がつけられ、1931年にはビング・クロスビーが発表して以来、多数のヴォーカリストによって歌い継がれている曲でもある。 ●アーティ・ショウ(Artie Shaw : Arthur Jacob Arshawsky)は、1910年5月23日生まれで、アメリカ・ニューヨーク出身のジャズクラリネット奏者~~~作曲家としても知られ、自らのバンドを率い、更にフィクションおよびノンフィクションの著述家としても知られます~~~ブル・バンドにストリングスを加えたり、あるいは室内楽的なジャズを演奏するコンボ、グラマシー・ファイブを作ったり、なかなか意欲的な活躍をみせていました・・・1930年代後半から40年代はじめにかけて、ベニー・グットマンと人気を争った立派なビック・バンド(ジャズ界における最も素晴らしいクラリネット奏者の一人と広く見なされ、アメリカの1930~40年代のポピュラーなビッグバンドのリーダーとして君臨)!! 1938年、コール・ポーター作曲の「ビギン・ザ・ビギン(Begin the Beguine)」を編曲、RCAレコードからのリリース盤は大いに成功したシングルとして、この時代を代表する録音・・・1954年45歳で音楽から引退するまで、ビ・バップに影響された小集団によるいくつかのセッションを録音しました(2004年12月30日、ロサンゼルス近郊の自宅で死去。享年94歳)!! ●ホーギー・カーマイケル(Hoagy Carmichael)・・・本名は、ホーグランド・ハワード・カーマイケル(Hoagland Howard Carmichael)で、インディアナ州ブルーミントンに生まれました~~~電気技師の父親と、ピアニストの母親の子として生まれ、6歳の時よりピアノと歌を始めました(中学高校と、あまり裕福でない生活を送り、オートバイのチェーン工場や食肉工場で働くこともあったそうです)!! 18歳の時にピアノで稼ぎ始め、インディアナのジャズの大御所のレッグ・デュヴァル(Reg DuValle)と頻繁に共演し、デュヴァルよりジャズ・ピアノの即興演奏を学び、インディアナ大学に入学し、ピアノで学費を稼ぎながら1925年に卒業し、1926年にインディアナ大学ブルーミントン校ロー・スクールを卒業し学位をとりました!! 学生生活のかたわら、 ビックス・バイダーベッケ(Bix Beiderbecke)のバンドで演奏し、コルネットにも挑戦しましたが失敗・・・ビックスの即興演奏およびクラシック音楽の感覚を学び、ビックスの紹介で、ルイ・アームストロングに会います~~~このころより、作曲を始めて、1924年『リバーボード・シャッフル』(Riverboat Shuffle)を作曲し、レコード録音がされ、1926年、マイアミ州で弁護士の仕事につき、インディアナ州に戻っても続けますが、1927年に弁護士業務をやめて音楽業界での活躍に専念!! ホーギー・カーマイケル(Hoagy Carmichael)は、1927年、ジャズのスタンダードナンバーで知られる『スターダスト』を作曲し、インディアナ州リッチモンドの Gennett 社より、作曲者カーマイケルのピアノの演奏でのレコード録音されたのがヒット!! この曲にミッチェル・パリッシュ(Mitchell Parish)によって歌詞がつけられ、全世界中に知られました・・・日本でも広く聴かれ、第11回NHK紅白歌合戦1960年度)の歌唱曲にもなりザ・ピーナッツらにカヴァーされました~~~1930年、我が心のジョージアを作曲(この曲もヒットして、レイ・チャールズのカヴァーで後々まで世界中の聴衆に知られるようになりました)!! 1931年に、米国作曲家作詞家出版者協会に加盟多くの曲を作曲し、また演奏もして、人気を集め、スウィング・ジャズの全盛期に、一斉を風靡しました!! 1937年からピアニスト役その他で、映画に出演していました・・・1942年には、スカイラーク(Skylark)を作曲、1952年には、映画「花嫁来たる」の曲『冷たき宵に』(In the Cool, Cool, Cool of the Evening)で、アカデミー歌曲賞を受賞~~~1953年に、アメリカのテレビ番組 "Saturday Night Review" の司会者に抜擢されました(しばらくして辞めていますが)!! 1959年から1963年にかけて、アメリカのテレビ局NBCで放映され、日本でもNETで放映された『ララミー牧場』(Laramie)にも、出演していました!! 1960年にレイ・チャールズふたたびヒットさせた『我が心のジョージア』が注目されましたが、作曲者のカーマイケルはレコード業界と折り合いが悪くなりましたが、作曲活動は続けられていました!! 1962年封切りの映画『ハタリ』で、自分であるはずの音楽担当責任者をヘンリー・マンシーニに代えられることもありました・・・1971年に、ソングライターズ・ホール・オブ・フェイム(Songwriters Hall of Fame) に殿堂入りを果たしました!! (1981年12月27日、カリフォルニア州で、82歳で心不全のため死亡)
2012.05.26
2012年5月20日 5-20 ピザ(1枚)、フォカッチャ(4個分) 生地=【 A=(強力粉150g、砂糖5g、インスタントドライイースト3g、仕込み水(ぬるま湯)175g、)、 B=(強力粉90g、薄力粉60g、塩5g、) ピザのトッピング直径29センチ1台分=(玉葱(スライス1/4個、ピーマン(輪切り)1個、トマト(スライス)1/3個、サラミ(スライス)8枚、ピザソース70g、チーズ(溶けるタイプ)150g程度、)】 生地を作ります!! 1 ボウルに(A)の材料を入れ、粘り気が出るまで5分間よく混ぜます。 2 (1)に(B)を加え、生地が纏まる迄ヘラで混ぜます・・・生地が一つに纏まったらボウルの中で叩きながら纏めます。 3 生地を作業台の上に移します・・・作業台に叩きつけながら、7分程度捏ねます。 4 ボウルの中で生地を3つに千切り、オリーブオイルを加え、生地に揉み込みます。 5 生地が纏まったら作業台の上に移します・・・作業台に叩きつけながら、生地が滑らかになるまで7分程度捏ねます。 6 生地を分けます(ピザ用=1/3、フォカッチャ用=2/3)・・・それぞれを丸めてボウルに入れます。 7 大きなボウルに約30℃の湯をはり、生地を入れたボウルを置き、ラップでキッチリ覆い、約30分、2倍程度に膨らむまで発酵させる・・・この後、ピザとフォカッチャ、それぞれを作ります。 8 ピザ= <生地を直径29センチの円形に伸ばします・・・ある程度の大きさまで綿棒で伸ばしたら、ピザ皿又はオイルを塗った天板に移します(手で広げると取り易いです)~~~生地全体にフォークで穴をあけ、ピザソースを塗り、トッピング、チーズをのせ、200℃のオーブンで8~10分焼きます。 9 フォカッチャ=【ピザ生地の2/3、オリーブの実12個、ローズマリー(生)適量、オリーブオイル適量、 具(ベビーリーフ適量、ベーコン適量、モッツァレラチーズ適量、トマト、など】 作ります <ピザ生地((1)から(7)の後、発酵した生地をキャンパス地の上に出し、4分割し、手のひらで丸く纏め、直径約12センチに平らに伸ばし、生地を、オーブンシートを敷いた天板にのせ、その中に湯を入れたマグカップ2個を置き、約20分発行させ(途中湯が冷たくなったら取り替えます)、生地を、オリーブオイルをたっぷり塗り、オリーブの実やローズマリーをのせて、200℃のオーブンで12~15分焼成・・・焼き上がったら上面にハケでオリーブオイルを塗ります~~~冷めたら半分に切り、横に切り込みを入れ、具を挟みます>。 出来上がりです\(~o~)/
2012.05.20

Al di l?(アルディラ)/Emilio Pericoli(エミリオ・ペリコーリ) 1962年公開のアメリカ映画「Rome Adventure(恋愛専科)」主題曲 監督:Delmer Daves(デルマー・ディヴィス) 音楽:Max Steiner(マックス・スタイナー) サントラの指揮:Dino Olivieri(ディノ・オリヴィエリ) 出演者:Suzanne Pleshetteスザンヌ・プレシェット(プルー・デンス)、Troy Donahueトロイ・ドナヒュー(ドーン・ポーター)、Rossano Brazziロッサノ・ブラッツィ(ロベルト)、ハンプトン・ハンチャー(アルバート)、Angie Dickinsonアンジー・ディキンソン(リダ)、など!! 主題曲のAl di l?(アルディラ)は、映画で聞いているだけでも酔わされる情熱的なメロディなので大ヒット・・・「アルディラ」は「恋愛専科」の前年の1961年度サンレモ音楽祭で第一位を獲得したエミリオ・ペリコーリの大ヒット曲・・・"Al di l?"のイタリア語の意味は「~の向こう」にというイディオムで「世界の彼方」とか「彼岸」という意味もありそうです!! Al di l? by Emilio Pericoli(アルディラ/エミリオ・ペリコーリ) イタリアの恋歌「アルディラ」を、エミリオ・ペリコーリの唄は同じなのにイントロで長く序奏が入っているバージョン、映画「恋愛専科」ではカンツォーネのAl di l?(アルディラ)が何度も聴かれます・・・最初は二人がロッジで物売りから買ってしまった蜀台を手に入ったJazz Jointクラブのシーン~~~プロシュートや白ワインを注文した後に、カンツォーネ歌手のEmilio Pericoli(エミリオ・ペリコーリ)がAl Di L?(アルディラ)を歌ってロマンティックなムードを高め、トロイ・ドナヒューがスザンヌの手を握りながら歌の意味を教えます!! その後にもAl(アル)役で特別出演のAl Hirt(アル・ハート)が陽気な"アルディラ"を吹きます・・・Al Hirt(アル・ハート)はニューオリンズ出身のジャズ・トランペッターで、アルが二人に紹介したガーターベルトにナイフを挿したセクシー美女がアルの恋人らしくアルの演奏中に浮気したので乱闘が始まってしまいます(蝋燭立てを手に二人は慌てて店を出て馬車で邸宅に戻ることに)~~~"アルディラ"を演奏したAl Hirt(アル・ハート)はソーシャル・ミュージック・プラットフォームのLast.fmでも一番人気のGreen Hornet(グリーン・ホーネット)のテーマで知られていますが、米空軍楽隊で演奏した後にTommy and Jimmy Dorseys(ドーシー兄弟)やBenny Goodman(ベニー・グッドマン)と共演しましたが、ニューオリンズに戻って自分のバンド「アル・ハート楽団」を結成しました(日本でもヒットした有名な曲はAllen Toussaint(アレン・トゥーサン)が作曲した1964年の、Java<ジャワの夜は更けて>!! 映画Rome Adventure(恋愛専科) トロイ・ドナヒューがスザンヌ・プレシェットと共演したロマンス風イタリア観光映画で、プラトニックな恋愛をテーマにした青春映画(イタリア語のタイトルは"Gli amanti devono imparare")!! Angie Dickinson(アンジー・ディキンソン)が演じるプレイガールにふられたトロイ・ドナヒューとロマンスを学びにイタリアにやって来たスザンヌ・プレシェットが60年代のローマの名所旧跡をスクーターで走り回ります!! 「恋愛選科」はかなり冗長な映画ですがともかく観光バス旅行の後のリフトで上った山頂でも"アルディラ"が流れ、サン・ピエトロ寺院、水道橋、円形劇場コロッセオ、トレビの泉、ネプチューンの噴水やムーア人の噴水、ダビデ像のあるアカデミア美術館や伝統芸の旗回し、ピサの斜塔などイタリア観光が楽しめます!! 大学図書館の司書をつとめるスザンヌ・プレシェットがロマンス小説「Lovers Must Learn」を生徒に貸し出したことを大学当局に咎められるシーンで始まります・・・スザンヌは恋愛のメッカ、イタリアに修行に出かけようと即決心し、アリベデルチ!とオールドミス先生一同に挨拶すると両親等に見送られてイタリア旅客船の船上の人となります~~~偶然乗り合わせた母の友達の息子と隣のイタリア人を取り違えたことから話は展開!! ニューヨークの港を出たところではママからの電報で間違いだと気付き無事二人で窓から自由の女神像を見ました・・・ひょんなことからスザンヌ・プレシェットと知り合ったロマンスグレーが母の友人の息子も誘ってのドライブで名所巡りの後、豪邸に招待されます(このプレイボーイは何者?)~~~この時2階からけたたましく駆け下りてきたのが、トロイ・ドナヒュー演じる金髪に赤いセーターの大柄なアメリカ青年でした!! 元カノにふられていらついていたトロイ・ドナヒュー・・・最初はスザンヌのイタリア語の勉強にもうるさいと怒鳴り込んだのですが、邸宅のディナーの席で隣り合わせになったことからじきに親しくなってジャズクラブに行ったり大きなむく犬のいる本屋の帰りに二人で赤いスクーターから観光バスに乗り換えてイタリア名所巡りを堪能しました~~~ところが、その後に問題が起きます!! トロイ・ドナヒューにセクシーな年上のガールフレンドがいたことを知りショックを受けたスザンヌ・プレシェット・・・イタリア風恋愛テクニックを学ぼうと一度はスザンヌに言い寄ってきたロマンスグレーのもとを訪れますがプレイガールにならないようにと諭されてしまいます!! 傷心のスザンヌ・プレシェットはアメリカへと戻ったのですが港にはなんとイタリアにいるはずのトロイ・ドナヒューが待っていたのです!! トロイ・ドナヒューは、1962年に「恋愛専科」に続きスザンヌ・プレシェットとは1963年のA Distant Trumpet(遠い喇叭)でも共演して結婚しましたが、撮影後には性(格)の不一致から離婚(トロイ・ドナヒューは最低でも4度ほど結婚しているそうです)・・・子供時代からブロードウェイなどの芝居に参加していたスザンヌ・プレシェットは、Jerry Lewis(ジェリー・ルイス)の目に止まり1958年にFrank Tashlin(フランク・タシュリン)監督の「The Geisha Boy(底抜け慰問屋行ったり来たり)」に軍曹役でデビュー~~~スザンヌ・プレシェットは、1963年にAlfred Hitchcock(ヒッチコック)の「The Birds(鳥)」で鳥に目玉をえぐられた教師役を演じた後、1965年に「A Rage to Live(生きる情熱)」で恋多き富豪の娘役で主演し、1970年代にテレビの「Bob Newhart Show(ボブ・ニューハート・ショー)」に5年間出演、2007年のショーの同窓会には肺がんに侵されながらも車椅子で出演したそうです(2008年に70歳で亡くなりました)!! 「恋愛専科」でトロイ・ドナヒューの恋人を演じたアンジー・ディキンソンは男女問わず好かれるタイプの女優で50年代にはフットボール選手と結婚、その後に1980年までBurt Bacharach(バート・バカラック)と結婚していましたがFrank Sinatra(フランク・シナトラ)との関係なども有名・・・"The Yellow Rose of Texas(テキサスの黄色いバラ)"のテーマ曲が有名な1955年のHarold D. Schuster(ハロルド・シュスター)監督のThe Return of Jack Slade(拳銃稼業)や1960年にシナトラが主演したOcean's Eleven(オーシャンと十一人の仲間)などたくさんの映画に出演!! Troy Donahue(トロイ・ドナヒュー) 引き締まったボディのトロイ・ドナヒューは当時流行のビーチムービーの花形となり、1950年代後期から1960年代前半にはティーンのアイドルスター・・・北欧系で金髪に青い目、スラりと背が高く、ハンサムでマッチョな"トロイ・ドナヒュー"はニューヨーク出身の俳優~~~実際の年齢よりずっと若く見え、甘いマスクのドナヒューはWarner Brothers(ワーナー映画社)のドル箱スターでした!! メジャーな映画デビューはドナヒューと同じ北欧系(デンマーク)のDouglas Sirk(ダグラス・サーク)監督の1958年の「The Tarnished Angels(翼に賭ける命)です・・・ダグラス・サークが監督した1959年の「Imitation of Life(悲しみは空の彼方に)」にも出演、この映画では主役級ではありませんでしたが平素は穏やかな好青年を演じるトロイ・ドナヒューが人種差別をする若者を演じています!! 既にティーンアイドルだったサンドラ・ディーと共演した「Summer Place(避暑地の出来事)」によりトロイ・ドナヒューは一躍アイドルスターの座を獲得(青春メロドラマのプリンスとなりました)・・・「悲しみは空の彼方に」では「避暑地の出来事」に続いて、サンドラ・ディーと共演しています!! トロイ・ドナヒューは「恋愛専科」で共演したスザンヌ・プレシャットと結婚、サンディは19歳で「九月になれば」で共演したBobby Darin(ボビーダーリン)に見染められて結婚・・・「避暑地の出来事」の以降、暫くはトロイ・ドナヒューが主演で連続して青春メロドラマが作られました~~~ドナヒューの主なファンは当時大学生でしたから彼女らの成長とともに徐々に離れていき、その次の世代は時代の流れでもっと過激なロックスターに現を抜かすこととなります(トロイ・ドナヒューは2001年に65歳で心臓発作により亡くなり、サンドラ・ディーはボビー・ダーリン伝記映画「Beyond the Sea(ビヨンドtheシー)」の制作に協力した後、2005年に62歳、腎不全で亡くなりました)!! 初老のプレイボーイを演じたのは一世を風靡したイタリア人の歌手で映画俳優のRossano Brazzi(ロッサノ・ブラッツィ)・・・1958年のSouth Pacific(南太平洋)ではSome Enchanted Evening(魅惑の宵)を歌ったイタリアの歌手で俳優で、1955年のSummertime(旅情)ではA.Icini(アレッサンドロ・イチーニ)が作曲してイタリア語の歌詞をPinchi(ピンチ)が英語の歌詞を"Ebb Tide(ひき潮)"で有名なCarl Sigman(カール・.シグマン)が書いた"Summertime In Venice(ベニスの夏の日)"を歌っています(ベニスの夏の日のイタリア語のタイトルは"Tempo d'estate")!!
2012.05.19

MEMPHIS(メンフィス) Johnny Rivers (ジョニー・リバース) 1959年チャック・ベリーの自作自演でシングル発売されました・・・最初のヒット、ベスト・セラー・レコードは‘ロニー・マック’が1963年に記録しています~~~Johnny Rivers (ジョニー・リバース)は1964年「It Wouldn’t Happen With Me」とカップリングでシングル発売し、全米第2位を記録し初ヒット&ゴールド・レコードを記録しました!! Johnny Rivers (ジョニー・リバース)・・・本名をジョン・ラミステラといい、1942年11月7日ニューヨークで生まれ、8歳でギターを学びカントリーやブルースなど様々な音楽の影響を受けていき、10歳で自分のバンドを結成、14歳でプロ・ミュージシャンに憧れニューヨークやナッシュビルのレコーディング・スタジオを訪ね、活発な売り込みを行ったと伝えられています~~~ジョニー・リバースの「熱意・念願」がかなったのはハイ・スクール卒業してから、ニューヨークやナッシュビルを活動ベースに歌を作り、デモ・テープ作りの仕事について、やがてヒル&レンジ音楽出版社に迎えられ、ここでジョニー・リバースは他のアーティストの為に書くばかりではなく、自分でも歌いレコードデビューするチャンスに恵まれました(Baby Come Back/Long, Long Walk)がそれです!! 以後、1959年から1963年には、8社(カブ、ディー・ディー、エラ、ガイデン、チャンセラー、キャピトル、ユナイテッド・アーチスツ、など)から14枚のシングルを発売しましたが、ヒット曲は1曲も記録されていません・・・1963年からクラブ出演が日課になっていたジョニー・リバースのもとに、LAサンセット通りに新しくオープンする「ウイスキー・ア・ゴー・ゴー」の出演依頼が舞い込みました~~~当初はアトラクション・スターとして「ウイスキー・ア・ゴー・ゴー」に出演したリヴァースでしたが、回数を重ねる毎に人気を集め“ミスター・ゴー・ゴー”と異名をとるまでになり、これがインペリアル・レコードでのデビュー5年目にして、ジョニー・リバースの初ヒットに繋がりました!! リヴァースの全盛時代は、1964年から1967年までインペリアル・レコードを通じ、「Mountain Of Love(1964年)」、「Seventh Son(1965年)」、「Poor Side Of Town(1966年)」、などのビック・ヒットが作られています・・・1970年以降もユナイテット・アーチスツ、アトランティック、ビック・トゥーリー、RSO,などを通じて作品が発表されていました!! F&B/ブライアントの作で、「Knock Three Time/Oh What A Kiss」に続いてユナイト2枚目のシングルの「To Be Loved」とカップリングで発売された1964年「ドリーム・ドール(Dream Doll)は、日本でも当時シングル発売され、ジョニー・リバースのロカ・バラード・ナンバーの傑作として注目を集めました!! SECRET AGENT MAN(秘密諜報員)は66年全米3位・・・テレビ番組の主題歌で、グラス・ルーツ、ファンタスティック・バギーズのP.F.スローンとスティーブ・バリのコンビの作品!! ジョニー・リバースはデビュー当時の64年、「Memphis」で全米2位となり、ゴーゴーのイメージで売ったが、アルバムタイトル「Changes」が示すように、2年で路線を大きく変更し、66年には「Poor Side Of Town(僕等の街)」が全米1位、67年に出したアルバム「REWIND」は主にジム・ウェップの書いた曲、「BY THE TIME I GET PHENIX」は最初ジョニーが歌うはずでしたが、ジム・ウェップのためを思い、グレン・キャンベルにオファーを出し、結果としてグラミー賞を獲得した。また、フィフス・ディメンションを自ら発掘し、ジムを主要コンポーザーに抜擢をしたのもジョニー・リバースでした!! Johnny Rivers (ジョニー・リバース)は77年に最後のトップテンヒットとなった「SWAYIN' TO THE MUSIC」まで、レコード会社を12社も渡り歩いた記録も持っていますが、自作の曲も作るものの、多数の他人の曲もしくはカバーを歌っていて、ロック、R&B、レゲエ、カントリーなどほとんどのジャンルにカバーセンスを見せていました。
2012.05.16
2012年5月12日 5-12 ゴーヤチャンブルーで焼きうどん(2人分) 【ゴーヤ1/4本、玉葱1/4個、舞茸50g、人参1/4本、豚細切り肉50g、うどん2玉、ビール大さじ1杯、鰹節少々、塩・コショウ各適量、お好みソース適量、】 1 ゴーヤは種を取り除いて細切りにします(苦味が苦手の場合は塩もみをします)・・・他の材料も細切りにします~~~舞茸は手で千切ります。 2 豚細切り肉に、塩・コショウをします。 3 フライパンにサラダ油(分量外)を敷きます・・・豚細切り肉を炒めます~~~ビールを注ぎます。 4 アルコールを飛ばしたら野菜を入れます・・・塩・コショウで味付けをします。 5 うどんを加えます・・・お好みソースを入れます~~~火が通ったら、仕上げに鰹節を振り掛けます。 ●ビア餃子(4人分) 【豚ひき肉100g、キャベツ2枚、白菜1枚、韮1束、舞茸50g、玉葱1/4個、餃子の皮25枚、味噌小さじ1杯、ソース小さじ1杯、ビール大さじ2杯、おろし大蒜適量、おろし生姜適量、水100cc、】 1 キャベツ、白菜、韮、舞茸、玉葱を全て^みじん切り^にします。 2 調味料と大蒜、生姜、ビールを加え、よく混ぜて冷蔵庫で30分~40分寝かせます。 3 餃子の皮で(2)を包みます。 4 サラダ油(分量外)をフライパンに敷き、餃子を並べます・・・強火で1分程度焼いたら、水を入れます~~~蓋をして蒸し焼きにします。 5 水が全て蒸発したら出来上がりです!! 出来上がりです\(~o~)/
2012.05.12

Be Bop A Lula(ビー・バップ・ア・ルーラ)/ジーン・ヴィンセント(Gene Vincent) ジーン・ヴィンセント(Gene Vincent)は、1956年、ブルー・キャップスを率いて「Be Bop A Lula(ビー・バップ・ア・ルーラ)」でデビューした50年代のロックンロール黄金時代を代表する伝説のロッカー(エルヴィス・プレスリーのものまねコンテストに出場し、優勝したことから大手レコード会社「キャピトル・レコード」と契約)・・・キング・オブ・ロカビリーとして君臨していたエルヴィス・プレスリーとは異なる路線を見出した、ジーン・ヴィンセントの「Be Bop A Lula(ビー・バップ・ア・ルーラ)」は大ヒット・・・同年、ロックンロール映画『女はそれを我慢できない』への出演で、エルヴィス・プレスリーや、エディ・コクランと並ぶ ロカビリー・スターとなったのです!! 「Be Bop A Lula(ビー・バップ・ア・ルーラ)」・・・ジーン・ヴィンセント(Gene Vincent)とシェリフ・テックス・デイビスの作で、1956年夏に、作者ジーンの歌で‘Woman Love’と組み合わせてシングル発売し、全米第9位(初ヒット&ゴールド・レコード)~~~この曲はリヴァイバルでのヒットも、1960年には‘エヴァリー・ブラザーズ’の作品、その他に^ジョン・レノン^を始め多くのアーティストが!! この曲に関するエピソード・・・「ラジオでこの曲を聴いた、プレスリーのお母さんは、エルヴィスが歌っていると思い込んだという」!! 本名は、“ヴィンセント・ユージン・クラドック”です・・・1935年2月11日にヴァージニア州ノーフォークで貧しい家庭に生まれ、教会で歌うことが子供時代の唯一の楽しみだったそうで、後に独学でギターを学びました(この時はプロ・ミュージシャンになるなど思っていなかったといわれます)~~~徴兵されて海軍に入隊、韓国に駐留、1953年にオートバイ事故で胸を負傷し、日本の海軍病院で入院生活を、入院生活中にラジオから流れるカントリー音楽に熱中したそうで、ギターを弾きながら歌うことが日課のようになり、それが最高の楽しみだったといわれます!! デビューのチャンス・・・WCMS放送局の「カントリー・ショー・タイム」番組の出演、これを機会にその後も何度もマイクに向かって自分の歌を電波に乗せることに成功~~~WCMS放送局のDJ、シェリフ・テックス・デイビスから^ヴィンセントに^二人で曲を作り、デモンストレーション・テープを製作しようという計画が持ちかけられました(シェリフはヴィンセントの親友で、彼はその歌声を凄く気に入っていたので、計画は即実行)!! 二人は1953年にシェシー・ストーンの作った「マネー・ハニー」をモチーフにしたオリジナル作品を共同で書き上げたのが、「ビー・バップ・ア・ルーラ」で、このテープは早速キャピトル・レコードに送付・・・テープを受け取ったキャピタル・レコード側では大いに揉めたそうで(カントリー歌手という彼の触れ込みに大きなマイナスだったとか)~~~キャピトルの首脳陣はレコード発売に難色を示しましたが、ただ一人プロデューサーの“ケン・ネルソン”が推薦(強力に)!! 1956年夏にキャピトルから「Be Bop A Lula(ビー・バップ・ア・ルーラ)」がデビューし、ロックン・ロール・スターへ!! レコーディング歌手ジーン・ヴィンセント(Gene Vincent)のバックには“ブルー・キャップス(ガロッピング・クリフ・ギャラップ、ウィー・ウィリー・ウィリアムス、ジャンセン・ジャック・ニール、ビー・バップ・ハーレル)の4人を従えていました(1956年から1957年までが最盛期)・・・1960年迄に「‘Race With Devil(56年)’、‘Dance To The Bop(57年)’など4曲のシングル、6枚のアルバムを製作発表~~~その後は、活動の場所をイギリスとかヨーヨッパへ移したこともあってか、人気は急落、あの栄光は何処へ(チャレンジ、フォーエヴァー、カーマストラ、などからもレコードを発表していますが)!! 1960年4月16日、イギリスツアー中だったコクランらと共に乗ったタクシーが街路樹に衝突し、ヴィンセントらは助かったものの、コクランは重傷を負い翌日死亡・・・1971年10月12日、キャピトルのあるロサンゼルスのインターバリー・コミュニティー・ホスピタルで、胃潰瘍のため息を引取る(往年36歳)~~~ロサンゼルスのEternal Valley Memorial Park に埋葬されました!! 1996年に「ロックの殿堂入り」!!
2012.05.12
今日は晴れ時々曇りの天気予報です!! 五月一日は八十八夜でした 「♪♪♪ 夏も近づく八十八夜~♪♪♪」 ・・・春から夏に移る節目の日で、夏への準備をする決まりの日で縁起のいい日といいます~~~この頃から霜もなく安定した気候となり、一般に農作業の目安とされているhずですが、今年は天候異常なのか五月らしくない前半でした!! 先週土曜日h「初夏」でしたが悪天候でしたが、今日の土曜日は五月らしい天候(気温は少し低めですが)です・・・「八十八夜の忘れ霜」「さつき寒」とも言われ、急に気温が下がって霜が降ることもあって、農作物や果樹に思いがけぬ被害を与えることを警戒も必要ともいわれます~~~先週は関東では、雹や大竜巻の被害に見舞われ大変でした!! 茶摘の時期は各産地により異なりますが、唱歌の歌詞にある^♪♪♪ あれに見えるは茶摘ぢゃないか あかねたすきに菅(すげ)の笠~♪♪♪^は・・・昔からいわれる^八十八夜に摘み取られるお茶^は、不老長寿の縁起物と言われ、お茶の新芽には前年の秋からひと冬越えて蓄えられた成分が溢れて、この時期のお茶は極上で若々しい香りが失われないうちに製茶された一番茶は旨味のもとである「テアニンなどの成分」を豊富に含んでいるそうです~~~茶摘というと、新茶時期の出始めは、新芽を手で摘んだ上質なお茶が手摘み茶で、その後摘み取りのピーク時にはハサミ摘みや機械摘みとなるようです!! 五月の空を見上げ、庭に出て^(^。^)y-.。o○^“茶摘み”をイメージしながら、今日は「お茶」のことを少し調べてみようかと思っていた今朝でした。
2012.05.12
2012年5月9日 5-9 春キャベツと肉団子のサラダ、鶏と新じゃが芋の漬け揚げ、(各4人分) ※<基本のソース「新玉葱ダレ」>を作ります(450cc分) 【新玉葱(大)1個、酢75cc、サラダ油75cc、 A(砂糖小さじ1杯、酒50cc、みりん50cc、醤油50cc、)】 1 新玉葱の皮を剥き^すりおろします。 2 耐熱ボウルに(1)と(A)を入れ^ラップをしないで 電子レンジで2分位加熱します。(貯蔵玉葱を使用する場合は加熱時間を1分位プラスします) 3 酢を入れて混ぜ合わせ^更にサラダ油を少しずつ加えて混ぜます。 新玉葱は冷蔵で2週間位保存できます。 ●春キャベツと肉団子のサラダ =【春キャベツ1/4個、スイートコーン(缶詰)1/2缶、パセリ適量、新玉葱ダレ200cc、 肉団子(豚ひき肉150g、木綿豆腐1/8丁、生姜汁小さじ1杯、長葱のみじん切り大さじ1杯、片栗粉小さじ1杯、) 合わせ調味料(混ぜておきます)「 塩小さじ1/4杯、砂糖小さじ1杯、醤油小さじ1/4杯、ゴマ油小さじ1/4杯、」、】 1 春キャベツは千切りにします。 2 ボウルに豚ひき肉を入れ、手で捏ねてキッチンペーパーで水気を切った豆腐を潰して入れ、よく混ぜます・・・合わせ調味料と生姜汁、長葱のみじん切り、を加えて捏ね、更に片栗粉を入れて混ぜ合わせます~~~手で丸めながら直径3センチ程度の肉団子を12個位作ります。 3 耐熱皿に(2)を並べます・・・両端を少し開けてラップをします~~~電子レンジで5分位加熱します。 4 (1)にスイートコーンと手で千切ったパセリを混ぜ合わせます・・・器に盛ります~~~(3)の肉団子を飾り^新玉葱ダレ^をかけます。(キャベツがシンナリして食べ易くなります) ●鶏と新じゃが芋の漬け揚げ =【鶏むね肉400g、新玉葱ダレ200cc、新じゃが芋(小)4個、たらの芽4個、こごみ4本、片栗粉45g、揚げ油適量、ミニトマト4個、パセリ適量、】 1 鶏むね肉を一口大に切り、ビニール袋に入れ^新玉葱ダレを加えて揉みます・・・10分位おきます。 2 新じゃが芋は皮を剥いて耐熱皿に並べます・・・両端を少し開けてラップをします~~~電子レンジで3分位加熱します。(電子レンジで加熱することで新じゃが芋の揚げ時間が短縮されます) 3 たらの芽、このみ、に軽く片栗粉を塗します・・・170度位の油で揚げます。 4 (1)の鶏むね肉の汁気を切って片栗粉を塗します・・・(2)の新じゃが芋は何も付けないで170度位の油でキツネ色になるまで揚げます。 5 (3)、(1)、を器に盛り付けます・・・ミニトマトとパセリを飾ります~~~残った^新玉葱ダレ^をかけます。 出来上がりですo(*⌒―⌒*)oにこっ♪
2012.05.09
2012年5月8日 5ー8 ヨモギ白玉イチゴ(12個分) 【ヨモギ30g、白玉粉100g、あん150g、苺(小さめ)12粒、】 1 ヨモギは軟らかい新芽の部分を摘み取って使います・・・水にさらして汚れを洗い落とします。 2 お湯を沸かし、重曹少々を加えます・・・少し塩辛い位に塩を加えます~~~〈1〉を茹でて水にとります。 3 水を何回か取り替えてヨモギを暫く晒し、水気を絞ります・・・包丁で細かく刻みます~~~更にペースト状になるまで叩きます。 4 白玉粉に〈3〉と水80cc位、を加え、よく捏ねます・・・水分は硬さをみながら加えます~~~軟らかくなり過ぎたら、ペーパータオルを貼り付けて水分を吸い取ります。 5 12等分して丸めます・・・平らにします~~~更に、中心をくぼませます。 6 たっぷりの湯で〈5〉を茹でます・・・浮いてきたら、更に一回り大きく膨らむまで茹でます~~~冷水に取ります。 7 水気を拭き取り、白玉の中心に^あん^をのせます・・・その上に苺をのせます。 出来上がりですo(*⌒―⌒*)oにこっ♪
2012.05.08
2012年5月7日 5ー7 ヨモギ入り2色白玉(4人分) 【ヨモギ10g、白玉粉150g、牛乳150cc、】 1 ヨモギは芽の軟らかい所を使います・・・よく洗います。 2 たっぷりの^お湯^で、重曹少々を加えサッと茹でます・・・冷水にとります~~~水を2回程度替え、食べてみてアクがなければ水気を絞ります。 3 細かく叩くように刻みペースト状にします。 4 白玉粉に牛乳を加えます・・・滑らかになるまで、よく捏ねたら2等分にします~~~片方にヨモギを加えて捏ねます。 5 それぞれ小さく丸め、中心部を指でくぼませます・・・たっぷりの熱湯で茹でます。 6 浮いてきたら、更に2分位茹でます・・・冷水に取ります。 7 水気を切ります・・・きな粉、黒みつ、茹で小豆、などで食べます。 出来上がりですo(*⌒―⌒*)oにこっ♪
2012.05.07
今日は晴れていますが、予報では午後から天候が崩れる(?)ようです!! 昨日は「だし汁」をかんがえていましたが、今朝も続き・・・五原味という言葉を聞きますが、私たちの感じる味には、「甘味、塩味、酸味、苦味」の四つはよく耳にしていましたが、これに、「うま味」が加わって使う言葉だそうです!! 鰹節、昆布、椎茸、煮干など「だし」が数多く揃っているから、日常的に取り入れるような食生活だと健康的・・・小さい時から「だし」の味に慣れ親しんでいるので、いつまでも「だし」の味は忘れません~~~「だし」を考えると、「だし」の香りに惹きつけられ、「和食」がイメージされて^ホット^しますし、元気の源だから大切にしないと!! 外食をの時も、だしの良い料理を頂くと、本当に^ホット^します!! 昆布に煮干し、干し椎茸、鰹節、などで「だし」を取ってから、具を入れて半煮え状態になったところで火を止め、粗熱を取り冷蔵庫に保存しておいて、朝食の時に食べたい分だけ暖め、ご飯は茶碗に少量だけで十分(1週間分位の味噌汁の作り置き)です!! 朝の忙しい時間は、この方法などを活用し、味噌汁の具には「人参、大根、茄子、じゃが芋、(季節によっては栗とか茸なども)・・・根菜を中心に8種類位だと、栄養満点でお腹も一杯になります~~~朝に少な目のご飯と大き目の器で具が沢山入っている味噌汁を毎日(元気がでるのは目に見えます)~~~家庭で食べる味噌汁に具をたっぷりと入れて健康食として、家庭のこの素朴な味いいです(外食の場でも、具が沢山入っている味噌汁などをみると嬉しい^高級な一品の味噌汁^というような感じがします!! 全国で作られている味噌の種類は沢山あります(「信州味噌とか仙台味噌」と呼ばれているように)・・・それぞれ、栄養成分が少しずつ異なる^のだそうですが~~~共通しているのは健康に良いということ、主原料となる大豆はコレステロールの低下とか老化防止などに有効な成分が豊富に含まれているというから!! 連休最後の日曜日、庭に出て^(^。^)y-.。o○^ しながら、家庭料理の「だし」の使い方一つで^ホット^」する、うま味を自然に取り入れた「五原味」を意識し、毎日の朝食には、出勤前の慌しい時間でも^作り置きの味噌汁を^用意しておけば便利だなと思っていた今朝でした。
2012.05.06
2012年5月6日 5-6 おやつ(各4人分) ●黒糖ラスク =【バター60g、黒糖(粉状に刻んだもの)大さじ8杯位、バゲット40センチ分、白ゴマ少々、】 1 室温に戻したバターに黒糖を練り混ぜます・・・バゲット(細長いフランスパン)の薄切りに塗ります~~~白ゴマを振り、160度のオーブンで^カリッ^とするまで焼きます(15分程度)。 ●南瓜とムラサキ芋のお汁粉 =【南瓜1/4個、砂糖大さじ7杯位、ココナツミルク1カップ、牛乳1カップ、ムラサキ芋1本、白玉粉1/2カップ、】 1 南瓜は種、ワタ、皮を除いて3センチ位の角に切ります・・・水1カップと1/2カップ、で軟らかくなるまで煮て、砂糖を加えて潰します~~~ココナツミルク、牛乳、を加えて温めます。 2 ムラサキ芋は皮つきのまま半分に切って蒸し2センチ角に切ります・・・白玉粉に水を少しずつ加え耳たぶ位の柔らかさにして、一口大に丸めて少し潰して茹でます~~~浮き上がったら更に1分位煮て冷水に取ります。 3 南瓜のお汁粉にムラサキ芋と白玉を入れます。 ●韮のヒラヤーチー =【薄力粉1カップと1/2カップ、粉昆布茶小さじ1/2杯、韮1束、】 1 薄力粉に、塩小さじ1/2杯、昆布茶小さじ1/2杯を混ぜます・・・冷水1カップと1/2カップを加えて溶きます~~~ざく切りにした韮を加えます。 2 フライパンにサラダ油大さじ2杯位を熱し、生地の半量を広げます・・・3分間位強めの中火で焼き、縁が白っぽくなったら返し、裏面も色付くまで軽く焼きます~~~残りも同様に焼き、食べ易い大きさに切ります。 ●トウガンとスイカのデザート =【トウガン1/4個、グラニュー糖1/2カップ、レモン汁大さじ1杯、スイカ1/8個、】 1 小鍋でグラニュー糖、お湯1カップを熱し、レモン汁を加えて「シロップ」を作ります。 2 トウガンは種とワタを除いて皮を剥き、1.5センチ角に切ります・・・沸騰したお湯で8分程度トウガンが透明になるまで茹でます・・・お湯を切って、熱いうちにシロップに加えます~~~冷めたら1.5センチ角に切ったスイカを加えます。。。スイカの白い部分も少量^薄切り^にして飾りにします。 3 冷蔵庫で冷やします。 出来上がりですo(*⌒―⌒*)oにこっ♪
2012.05.06
5月5日 今日は「こどもの日」:天候は曇り時々晴れです!! 和食の基本ともいわれる「だし」は、煮物や汁物などの和食のベースになります・・・具材の美味しさを補ったり、引き出したりします~~~鰹節などを煮だして作る、うま味のある汁!! 「鰹節と昆布のだし」は、熱湯1リットルをボウル入れて、5センチ角の昆布5gと鰹節10gを湯に1分漬けて濾して一番だしを取りますが、鍋で煮過ぎると、渋み、えぐみがでてしますので、ボウルに入れて取ると温度も80度位に下がり丁度いいです・・・この出し殻で二番だしを:ボウルに熱湯500ccを入れ、出し殻を入れ、5分置いて濾します!! 一番だし、二番だしとも澄んだ色で、ほのかな鰹節の香りがし、うま味が淡く感じられ、味見をすると^すっきり^した後味・・・煮立たせないから素材のうまみだけが取り出せるのです~~~普通は一番だし、二番だしを区別しないで一緒に使うと思いますが、一般には:一番だしは「すまし汁」、二番出しは「味噌汁や煮物」に使うそうです!! 「煮干しのだし」は、水に漬けるだけで取れます・・・煮干し20gは頭とハラワタを除いて水1リットルに漬け3時間置き、煮干しを濾して出来上がりです(使うときは加熱)~~~二番だしは、昆布でうま味を補って、煮だしを取ります:水1リットルに出し殻の煮干しと、昆布5センチ角1枚を加え、火にかけ一煮立ちさせます。沸騰したら時間をおかないで濾すと、透き通り、魚臭さは感じません(煮立て過ぎると生臭いです)!! 鶏だし(鶏もも肉を使います)は、煮物の他ラーメンにも使え、和風で^すっきり^心地よく、全部飲み干せるスープ:軽く湯通しした鶏もも肉300gと水1.2リットルを鍋に入れ、火にかけ、煮立つ直前に弱火にし、25分煮だして濾すと、約1リットルの「だし」ができます・・・湯通しして弱火で煮だすため、アクは取らなくてもいいです~~~気を付けるのは、加熱し過ぎずに、また出し殻を取り出すタイミングだそうです!! 「出し殻は捨てないで=おかずになります」・・・昆布と鰹節は、刻んでポン酢漬け(茹でたホウレンソウなどに和える=小鉢)、出し殻の煮干しと昆布は、刻んだ葱と椎茸を加えて炒め、醤油で味を付け^お弁当のおかず^に、だしを取った後の鶏肉には、うま味が残っています(バンバンジーにするのも美味しいそうです)!! 「こどもの日」の今朝、庭に出て^(^。^)y-.。o○^しながら、今年の連休は天候が良くないので、家で^のんびり^してるので、朝から料理に関することを考えていた今朝でした。、
2012.05.05
2012年5月5日 5-5 親子でお菓子を(こどもの日) ●ブルーベリージャムのレアチーズケーキ =【クリームチーズ200g、生クリーム200cc、砂糖30g、ミルクビスケット8枚、ブルーベリージャム適量、】 1 生クリームをボウルに入れ、氷水を張った容器で冷やしながら、6分立手間で泡立てます。 2 別のボウルでクリームチーズを練り、砂糖を加えて擦り混ぜます・・・これに、泡立てた生クリームを3回に分けて加え混ぜます~~~これを絞り袋に入れて、ビスケットの上に丸く2回ほど絞り出します。 3 絞ったクリームの中心にブルーベリージャムをのせます・・・ミントの葉(あれば)を添えます。 ●食パンで蜂蜜ラスク =【食パン(サンドイッチ用又は10枚切り)4枚、蜂蜜大さじ2杯、デコレーションペン(チョコレート)1本、】 1 数種類のクッキー型でパンを型抜きします。 2 クッキー型で抜いたパンを110度のオーブンで15分焼き、表面に蜂蜜を塗ります・・・足つきの網にのせて乾燥させます~~~デコレーションペンで好きな模様を描きます。 ※オーブンの代わりにトースターを使う場合:最初にトースターを熱しておいて、スイッチを切ってから型抜きしたパンを5分間入れます・・・これを3回繰り返し、蜂蜜を塗ってから、更に同じ作業を3回繰り返します(焦げ目が付かないように気を配る)!! 出来上がりです\(~o~)/
2012.05.05

Hurt( 涙の思い出)/ Timi Yuro(ティミー・ユーロ) ティミー・ユーロは、60年代前半に活躍した女性シンガーです・・・ジミー・クレーンとアル・ジャコブの1953年の作のこの曲は、最初のレコード化はロイ・ハミルトンです~~~ティミー・ユーロは1961年に「I Apologize」と組み合わせでシングル・カット(全米第4位で、初ヒットを記録しました)!! 1991年は、ティミー・ユーロにとってデビューで初ヒット・・・レコーディング歌手生活活動の開始と同時に幸運な滑り出しでした~~~1963年までに10曲のヒットを発表しています・・・'62年に全米12位まで上がった「What's A Matter Baby」(邦題「涙が頬をぬらす時」、「Make The World Go Away(1963年)」、など!! 本名はローズマリー・ユーローです・・・1941年8月4日にイリノイ州シカゴで生まれ、1952年に一家はロスに転居しここで、歌手ティミーの活動が始まります~~~きっかけは、彼女の母が経営するイタリアン・レストランで、ティミーが歌い、それを店に来た客の口伝えとして徐々に評判になり、これが後にリバティ・レコードの社長、アル・ベネットの注目するところとなり、ティミーのレコーディング歌手への出発点となったのです!! この曲は、1976年にはエルヴィス・プレスリーのレコードで~~~リバイバル・ヒットしました!!
2012.05.04
2012年5月4日 5-4 兜ハンバーグと三色すあま(4人分) ●兜ハンバーグ=【ハンバーグ(合いびき肉500g玉葱1/4個、バター大さじ1/2杯、パン粉50g、卵(小)1個、塩小さじ1杯、 調味料;コショウ少々、ナツメグ少々、)、マッシュポテト(ジャガイモ(小3個)、バター大さじ1杯、牛乳大さじ4杯、塩小さじ1/4杯、コショウ少々、)、ソース(トマトケチャップ大さじ4杯、ウスターソース大さじ4杯、)、飾り(厚さ5ミリの人参輪切り1枚、さやえんどう(小)8枚、)、】 1 みじん切りにした玉葱を色が透き通るまでバターで炒め、冷まします・・・パン粉は水につけて柔らかくし、キッチンペーパーなどで水気を絞ります~~~ボウルにひき肉を入れ、塩を加えて捏ねます。 2 炒めた玉葱とパン粉、卵、調味料を加えて混ぜ、4等分にし、叩いて空気を抜きながら、平たく纏めます・・・熱したフライパンに油を入れ、強火で焼き、焼き目がついたら裏返して、弱火にして計約10分焼きます。 3 マッシュポテトを作ります(ジャガイモは皮を剥き、暑さ1センチに切って水から焼く10分茹でます・・・他の材料を加え混ぜ、絞り出し袋に入れます。 4 盛り付けは、まずソースの材料を混ぜ合わせて皿に敷き、その上にハンバーグを載せます・・・ハンバーグの上にマッシュポテトを山の形に絞り、茹でたサヤエンドウを山の両側に、茹でて小さな星形などに抜いた人参を山の頂上付近に飾り、兜に見立てます。 ●三色すあま(12個分)=【生地(上新粉150g、砂糖150g、水300cc、)、カボチャあん(カボチャ1/8個、砂糖大さじ1杯、)、叩いた梅干し(大)1粒分、すりつぶしたホウレンソウ小さじ1杯、青のり小さじ1杯、】 1 耐熱容器に生地の材料の1/3の分量を入れ、ラップをして電子レンジ(600W)で約1分半加熱します・・・取り出して木べらで混ぜ、約2分加熱して、木べらで練ります~~~これを3回繰り返して、3個分の生地を作ります(1個はそのまま・1個は梅干し・1個はホウレンソウと青のりを)くわえて赤、緑の色を付けます)。 2 それぞれ、固く絞った濡れ布巾に取り、滑らかになるまで捏ね、片栗粉を塗したまな板などの上に取ります・・・赤、緑の生地は厚さ1センチにめん棒でのばし型抜きをします。 3 カボチャを茹で、水気を切って木べらで潰し、砂糖を加えて練り、カボチャあんを作ります・・・しろいままの生地を厚さ5ミリの正方形にのばし、カボチャあんを上面に塗って巻きます~~~好みの厚さに切ります。 出来上がりです\(~o~)/
2012.05.04

Boogie Woogie(ブギー・ウギー)/Tommy Dorsey(トミー・ドーシー楽団) パイントップ・スミス(Pinetop Smith)曲 トミー・ドーシー楽団は、スイング王ベニー・グットマンの楽団と共に1930年代後半のスイング黄金時代を築き上げたジャズ史上忘れられない楽団・・・1938年録音のBoogie Woogie(ブギー・ウギー)はディーン・キンケイドの名編曲による傑作で、当時500万枚も売れたビック・ヒット盤~~~トミー・ドーシーは1905年生まれの名トロンボーン奏者“センチメンタル・ジェントルマン”の愛称^で親しまれました!! Boogie Woogie(ブギー・ウギー)は、ブルースのピアノによる変奏ともいうべき音楽の・・・手で8拍子をとり右手でブルースのヴァリエーションを弾いたホットで賑やかなジャズ~~~ピアノによる演奏でブルースの変奏である点が特色なので、その特殊性から‘20年代から‘30年代にかけて一時代流行しました!! Boogie Woogie(ブギー・ウギー)は、酒場やパーティで盛んに演奏されました(中西部やシカゴで特に盛ん)、・・・ブギー・ウギー・ピアノの名手としては、ジミ・ヤンシー、パイントップ・スミス、カウ・カウ・ダヴェンポート、アルバート・アモンズ、ビート・ジョンソン、などが知られています~~~後には、ブギーのオーケストラ化も行われ、ライオネル・ハンプトン楽団らが盛んに「ハンプス・ブギー・ウギー」などを演奏しました!! レコード製作の再開の頃・・・ブギー・ウギーはハウス・レント・パーティーやジューク・ジョイントでよく演奏されました~~~不況下でレコードの製作が数年間中止されていて、再開されたのが‘30年頃だというので、レコードとして聴かれるのは1930年代の中頃からが多くなります!! ブギ・ウギ以前の音楽なのでしょうが、1920年代のジャグ・バンドのレコードなどでは、ブルースもかなりやっていたりしました・・・このような多様な音楽から、ブルースの王道とも言えるBoogie Woogie(ブギー・ウギー)のリズムが生まれて、シカゴではピアノが主流のようでしたが、南部などに行けば、ギターを抱えたブルースマンもブギーのリズムを演奏~~~いずれにしても、Boogie Woogie(ブギー・ウギー)と言う言葉はこの頃に使われ始めたようです!! ハウス・レント・パーティーというのは、間借りをしている人が家賃を捻出するために、自分のアパートの部屋なりをパーティ会場にして、会費を集め、酒を出し、ピアニストの一人二人に演奏をしてもらい、そのアガリを家賃にしたもの・・・南部時代から慣習的にやられていたようです!! クリップル・クラレンス・ロフトン(CRIPPLE CLARENCE LOFTON)は、曲のタイプも、Boogie Woogie(ブギー・ウギー)からスロー・ブルースまで広く、また歌もよく歌い、愉しめるブギー・ウギー・ピアニスト・・・1896年生まれ(?)で、1957年が没年といわれます~~~1930年代にBoogie Woogie(ブギー・ウギー)の録音をした人達の中では少し年長かも!! 彼は生まれつき足が悪かったらしいですが、踊りながら弾いたり、後ろ手に弾いたりのサーカスのようなプレイをしたそうです!! 禁酒法が続くこの頃は、毎夜いたる所でハウス・レント・パーティが行われ、ピアニストは引っ張りだこで、が、かなりの有名・無名のピアニストがいたようですが、録音が少ないのは、鑑賞音楽とは考えられていなくて、あくまでもダンスの伴奏として、パーティのセットの一部のように思われていたからだそうです・・・そして世界恐慌になり、レコード業界そのものが根底から覆され、数年間の間レコーディングそのものが中止されていたなどの事情があります~~~1928年に録音された、Pinetop Smith(パイントップ・クラレンス・スミス)の「Pinetop's Boogie Woogie」は、曲のタイトルに「ブギー・ウギー」と付く最初の曲と言われていますが、翌年に拳銃の流れ弾に当って死亡し、残された録音は20曲ほどしかないといわれます!! 彼が偶然住んだアパートには、当時組んで演奏していたと言うミード・ルクス・ルイスとアルバート・アモンズが住んでいました・・・そのパイントップ・スミスと仲が良かったのが、カウ・カウ・ダヴェンポート(チャールズ・エドワード・ダヴェンポート)です~~~汽車の音を模したという1928年にヒットした「カウ・カウ・ブルース」は後のピアニストがよくカヴァーした曲(スタイル)で、クリップル・クラレンス・ロフトンなどにも影響を与えています(ニックネームのカウ・カウはもちろん曲からだそうです)!!
2012.05.03
連休後半の今日は「荒れ模様」の天候です!! 憲法記念日、みどりの日、子供の日、そして日曜日、と4連休・・・「こどもの日」は「端午の節句」でもあります・・・月の端(はじめ)の午(うま)の日ということで5月に限りませんが、午(ご)と五(ご)の音が同じなので「5月5日」を示すようになったと伝えらる端午の節句!! 奈良時代~平安時代~室町時代~江戸時代~と、当時の日本では季節の変わり目である端午の日に、病気や災厄を避けるための行事などが盛んに行われていました・・・暦の上では「立夏」です!! 宮廷での端午の行事は廃れても、武士の間では、<尚武(武をたっとぶ)>の気風が強く、<菖蒲と尚武>をかけて“端午の節句”を『尚武の節日』として盛んに祝うようになったのだそうです。 端午が男の子の節句になったのは江戸時代からで、5月5日は幕府の重要な式日に定められ、将軍にお祝いを奉じるようになったのです・・・また将軍に「男の子」が生まれると御殿の玄関に馬印や幟(のぼり)をたてて祝ったのだそうで!! 薬草を摘んで邪気を祓うという端午の行事が、「男の子の誕生の祝い」へと結びついたと考えられるといわれます!! 「笹だんご」は、戦国の頃、上杉謙信と武田信玄の合戦で、携帯保存食として生まれたと伝えられ、最近までは端午の節句の頃になると、「笹だんご」を作っていましたが・・・今ではどうでしょう(?)~~~あたりに漂う笹と餅草(よもぎの葉)の香りや、軒先に笹だんごが吊るされた風情も今では懐かしい!!餅につきこまれた「よもぎ」には食物繊維や各種栄養素も多く、笹には殺菌効果もあり、緑の食品としてはバランスの良い食べ物です(先人たちがつくった知恵と工夫の結晶)・・・素朴な味わいをお楽しみたいものです!! ♪♪♪ ちまきたべたべにいさんが~ ♪♪♪ の歌詞にある、粽(ちまき)・・・国語辞典には、【もと茅(ちがや)の葉で包んだことから、米や米の粉などを笹の葉・竹の皮などで包み、藺草(いぐさ)で三角形に巻き上げて蒸したもの。中国で汨羅(べきら)に身を投じた屈原を弔うために五月五日に餅を投じたという故事から、端午の節句に食べる習慣がある。】 とあります!! 憲法記念日の今日^荒れた天候^の庭に出て^(^。^)y-.。o○^端午の節句の明後日、五月晴れのもとで、ちまき(柏餅もいいね)を食べながら、端午の節句(こどもの日)を祝いたいと思っていた今朝でした。
2012.05.03
2012年5月3日 5-3 ●ちまき(50個分) 【もち米1.5kg、笹の葉100枚、すげ50本、きな粉150g、砂糖150g、塩少々、】 <※ 乾燥笹を使う場合、熱湯の中に入れ、もどしてから使います> 1 .生笹の葉は、きれいに洗って水気をきります。 2 もち米は、きれいに洗い水をきっておきます。 3 笹を1枚中表にして三角に曲げ、(2)のもち米をつめます・・・もう1枚の笹でフタをし、すげで結びます~~~5個づつ束ね、10個1組にします。 4 (3)のちまきを1晩水に浸しておきます。 5 大きな鍋を用意し、ぬるま湯から入れます(時々水を差しながら弱火で2時間煮ます)。 6 きな粉、砂糖、塩少々を混ぜ合わせ、つけて食べます。 ●小さめの中華ちまき(4人分) <※ 豚肉と干しエビ旨味をたっぷり^もちもち味わえる^ちまき、一粒入れた点心甘栗がアクセント、小さめに包みます>!! 【もち米 3合、醤油大さじ1,5杯、 サラダ油 大さじ2杯、豚バラ肉 (塊)200g、 <豚肉の下味: 酒大さじ1杯、 濃口醤油大さじ1杯、土生姜汁小さじ1杯、コショウ 少々、サラダ油大さじ2杯、竹皮16枚分、干しエビ大さじ2杯、干し椎茸3枚分、人参1/3本、筍(茹でたもの)100g、天津甘栗16粒、> <調味料:醤油大さじ2杯、砂糖 大さじ1杯、 酒大さじ1杯、塩小さじ1/2杯、戻し汁 (干しエビ)100cc、> 】 (※ もち米は洗って水に1時間浸しておく・・・椎茸ぬるま湯で戻て石づきを落とし1センチに切ります!!) 1 豚バラ肉は1センチ角に切り、<下味>を揉み込みます・・・皮を剥いた人参、筍は1センチ角に切ります。 2 干しエビはぬるま湯に10分つけ、柔らかくなれば足を取り除き、戻し汁は取っておく(干しエビは戻し汁も美味しいだしがでています)。 3 中華鍋にサラダ油大2を熱し、豚バラ肉を炒めます(鉄の中華鍋の場合は、鍋を強火にかけ、サラダ油を鍋全体になじませてうっすらと煙りがたつまで熱してから、豚バラ肉を炒めると具がくっつきません)。 4 干しエビのおいしい戻し汁もここで加え、豚バラ肉の色が変われば、干しエビ、干し椎茸、人参、筍を加えて炒めあわせ、<調味料>を加え、中火にして味をしみ込ませるため4分位炒め煮にします・・・汁が少し残る程度に煮つめ、汁ごといったん取り出します。 5 中華鍋にサラダ油大さじ2杯を熱し、水気を切ったもち米を入れ全体に油をなじませる様に手早く炒め、透き通ってくれば、醤油を加え、よく混ぜ合わせます・・・具を戻してひと混ぜし、バットなどにひろげて冷まします。 6 小さめの四角に包んで、タコ糸でしばります。 7 竹皮の内側に薄くゴマ油を塗り、16等分に分けたもち米を入れて、間に栗を1粒入れます・・・解けない様にキッチリと四角に包み、タコ糸でしばり、16個作ります。 8 たっぷりの熱湯に入れ、落とし蓋をして45分常に煮立った状態で茹でます・・・冷蔵庫で5日、冷凍庫でも1ヶ月保存できます・・・温め直しは、蒸しの場合は30分、電子レンジなら5分でOK!! ●笹だんご(60個分)<※ 馴れた手つきで生地をだんごの大きさに(大きさは慎重にデジタル量りで)、笹の色や笹離れなど美味しいダンゴを!!> 【もち米の粉700g、うるち米の粉300g、小麦粉(薄力粉)45g、よもぎ(乾燥したものだと80g、生なら250g)、水3~4カップ、あんこ1250g、笹180枚、すげ何本か 、】 1 もち粉、小麦粉、よもぎ、(加水し、こねる)。 2 うるち粉(加水し、こねる、蒸す)。 3 熱い内に混合してこねつけ、ねかせ2~3時間。 4 包あん。 5 笹包み(蒸し15分~20分)。 出来上がりです\(~o~)/
2012.05.03

Blame It On The Bossa Nova(恋はボサノヴァ)・Desafinado(デサフィナード):歌Eydie Gorme(イーディ・ゴーメ) アメリカのポピュラー歌手で、歌に明るさがあり、アストラッド・ジルベルトのような無表情な冷たさはありませんが、それが彼女の魅力・・・この曲は少々ボサ・ノヴァからはなれた明るさがあります!! ポルトガル語の発音どおり「ジサフィナード」と呼ぶこともある「デサフナード」・・・調子が狂う、乱れる、という意味の言葉で、ボサ・ノバ、の元祖である「アントノアオ・カルロス・ジョビン」の作品を~~~イーディ・ゴーメの歌も上出来!! イーディ・ゴーメ(Eydie Gorme)は、ニューヨーク市ブロンクス区で生まれ・・・父親はユダヤ系イタリア人、母親はユダヤ系トルコ人で、本名はイーディス・ゴーメザーノ(Edith Gormezano)~~~高校卒業後に、国際連合の機関で通訳の仕事に従事!! 1950年に、トミー・タッカー楽団でデビューし、そこそこのヒットを飛ばしました・・・1951年に、テックス・ベネケ楽団に所属~~~1957年に、歌手のスティーブ・ローレンス(Steve Lawrence)と結婚(後に、夫のローレンスとのデュエットの録音やステージも注目を集めました)!! 「悲しき足音」のヒットで有名なスティーブ・ローレンス、その奥さんがイーディ・ゴーメ(Eydie Gorme)・・・二人はおしどり夫婦としてお茶の間でも人気で、何曲かデュエットでもレコーディングしていましたが、彼女単独のヒットにはあまり恵まれませんでしたが、1963年2月リリースのこの曲「恋はボサノヴァ Blame it on the Bossa Nova」で、全米7位のヒット!! ハスキーで魅力的な声の持ち主で、このボサノヴァの曲にピッタリ・・・本来のボサノヴァのクールな雰囲気とはだいぶ違っていて、POP調にミックスされていて、それがかえってヒットした要因なのかもしれません!! 1964年より、トリオ・ロス・パンチョスとの共演などで「ある恋の物語」や「キエン・セラ」などのスペイン語の歌のパフォーマンスおよびレコード録音も、積極的に展開(ゴーメは、スペイン語が流暢でした)・・・1995年、ソングライターズ・ホール・オブ・フェイム(Songwriters Hall of Fame) に、夫のスティーブ・ローレンスと共に、殿堂入りを果たしました!! ブラジルのポップスであるボサノヴァの曲 "Recado" に英語の歌をつけた「ザ・ギフト(The Gift)」 も、1963年発表のゴーメの歌のレコード録音より好評を得ていて、ジャズのスタンダードナンバーとして定着しています!! 「恋はボサノヴァ」(Blame It on the Bossa Nova)は、ボサノヴァが最先端の音楽としてアメリカに持ち込まれ、最初のブームになっていた頃に制作され、ボサノヴァを下敷きにしたポップスの古典ともいえるヒット曲!! ニューヨークを拠点とするアルドン音楽出版のヒット・メイカー“バリー・マン&シンシア・ワイル”によるオリジナルのボッサ・ナンバーを、それまでポップス畑とはあまり縁のなかったイーディが歌うというアイデアが実に秀逸!! ラテンやボサノヴァの要素を加えたアメリカン・ポップス・・・この曲は、ボサノヴァを題材にしたポップスの最初の成功例です~~~その後、ルビー&ザ・ロマンティックスの「Our Day Will Come」(63年全米1位)やエルヴィス・プレスリーの「Bossa Nova Baby」(63年全米8位)などがこれに続きます!!
2012.05.01
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