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簡単なスキンシップの一つに握手があります。握手は武器など危害を加えるものを手中に隠していないことを示し会うと同時に、利き手を相手にゆだねて敵対しないことを示し、信頼と友愛を表す挨拶です。先天的に耳のない子供たちの耳を作り続けている整形外科医の荻原さんは、握手を信頼のバロメーターと考えているそうです。子供は不信感や警戒心がある間は、決して手を握らせてくれません。先生は、初めて会う子供には、しゃがんで目の高さを子供に合わせ、「幾つ」「何処から来たの」「電車に乗ってきたの」「何が見えた」などと、あれこれと問いかけながら緊張をほぐし、「ちょっと手を見せて」と手を握るそうです。また、激痛に叫び声を上げるほどの病人でも、看護婦さんや家族が手を握っていてくれると痛みが和らぐといいます。形式的な挨拶の握手でさえも、手の温もり、冷たさ、大きさ、しなやかさなど、さまざまな情報を伝えてくれます。握手を交わすと、出会いの喜びも別れの切なさも、言葉の何倍にも感じられます。おざなりではなく、しっかりと心をこめて握り合いたいものです。
2017.03.31
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スキンシップがあると、人間関係が飛躍的に向上することがわかっています。大学の図書館で、本を返しにきた学生に司書が無愛想に何も言わず嫌な態度で接した後、出口で調査員が学生に尋ねたところ、全員が「空調が悪い」「照明がよくない」「椅子の高さが高すぎる」などと不平不満を口にしました。同じ図書館で、今度は「いいお天気ですね」「毎週土曜日に来るけど授業はないんですか」というふうに笑顔で相手の目を見て一言声をかけさせ、本を受け取るときにさりげなく司書が学生の手に触れた後、同様に出口で調査員が尋ねたところ、「照明が明るくて良い」「椅子と机の高さがピッタリ」「空調がちょうど良い」などとすべてに肯定的な意見が続出しました。全く同じ設備なのに、声を掛けたり、好意を持って質問したり、微笑んだり、手に触れたりしてスキンシップすることによって、こんなにも好意的に変わってしまいます。以前、近所のローソンが釣り銭を返すときに、意識的に手に触れるようにしていたことがあります。ある青年は、「僕、マッサージが得意なんですよ」と口実を作り、年配者に触れて人気者です。あなたも、気持ち良い応対とスキンシップによって人間関係をよくしてみませんか? ただし、セクハラにならないように注意して下さい。
2017.03.30
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夏目房之介著『人生の達人』の一節「与太郎大逆転」は、誰もが聞き名人になって好かれる人になるための秘訣のような気がします。伊豆のコテージを借りて合コンを行ったS君たちは、皆格好良く自己紹介を行った。ところが中に一人、ニコニコして悪い人ではないが、なんとなく頼りなく、泳げもしない与太郎タイプのA君がいた。彼の自己紹介は次のようなものだったという。「中学のとき? そうだなぁー、授業中におしっこを漏らしちゃって・・・」「高校んときは、下級生に殴られたことがあって・・・」「今も一生懸命に仕事しているつもりだけど、同僚によく怒鳴られるんだ」ところが後日談があり、なんと参加女性5名中3名が彼とデートをしたという。その訳は、他の連中が泳いでいる時に女の子の愚痴を聞いてやったことだという。彼女たちは、こんな彼には飾らずに悩みを語れる上に、「ふーん、君なんかいいよ。僕なんかさぁ」という調子の彼の情けない告白が逆に慰めになってしまったという訳だが、誰もサジェッションなんか期待していません。ただ黙って聞いてもらったり、優越感を抱かせてくれるだけで心は晴れるものです。あなたは、何時も自分の良いところを見せよう、見せようと思っていませんか?
2017.03.29
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この世はすべて人と人との関係で成り立っているが、それを取り持つのがコミュニケーションです。大は国家から小は二人の間まで、すべての争いは両者のコミュニケーションがうまくいかないところからおきます。十分なコミュニケーションを図るには、誠意をもって正確に思いを伝えることが大切だが、それだけでは十分ではありません。まず、心と心を開け合うことが大切です。すごい美人や論理的で隙のない人には、私たち凡人はなかなか近づきがたいものを感じて、敬して遠ざける傾向があります。弱点や隙がない人と長く一緒にいると、相手の心に入り込もうと思っても、どこから入っていったらいいのかわからなくて、息が詰まり肩が凝ってきます。だから、コミュニケーションも発展しません。人間の感情は空気と同じで、どこかに隙間があれば入っていくことができます。自分とかけ離れていて近寄りがたいと思っていた人でも、どこかに弱点があるとホッとして親しみを感じるものです。それが隙間です。弱みのない人間はいません。自分の弱点を隠そうとするのが人間だが、弱みを適度に出すことが人間関係を良くするコツです。
2017.03.28
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人間関係を築くには、自分の気持ちを伝えることも必要です。その場合、素直に爽やかに伝えることが大切です。「私は」を頭につけて、「事実」「気持ち」「提案」の順番で話すと、自分の気持ちを相手に伝えやすくなり、円滑な人間関係を保つ手助けになります。そんなときも、「いつもお元気ですね。そして、僕も元気をいただいていますよ」というような感じで、接続詞の「そして」を上手く使って、「目に見える事実」と「私の気持ち」を繋ぐといいでしょう。自分の気持ちを、明確に柔らかく伝えるのはなかなか難しいものです。特に提案をする場合、強制調にならないようにするには、「私はこう思う」と「私」をつけると柔らかく感じられ、良い人間関係を維持するのに役立ちます。事実は、例えば部屋を何時も散らかして彼に、「何よ、全然整理できてないじゃない」ではなく、「物が沢山あるのね」と主観を挟まず客観的に描写するのがポイントです。そして、「忙しくて、そこまで手が回らないのかもしれないね」と相手にも共感しつつ自分の気持ちを伝え、「私も手伝うから、すこし片付けない」と具体的ですぐにできそうな提案をするのがポイントです。「さっさと片付けたら」では、提案ではなく命令になっています。
2017.03.27
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否定されると、私たちは心を閉ざしたり、怒り出したり、感情的になって反発したり、拒絶したりする傾向があります。お互いに否定しあっていては、人間関係を築くことはできません。私たちは、「しかし・でも」という言葉を使いがちだが、その後には否定的な言葉が続くことが多くなります。また、たとえ肯定的なことがつながっても、相手は自分の意見に反対されたように感じることが多いものです。「しかし・でも」の変わりに、「そして」を使ってみることをお勧めします。例えば、女性が髪を切ったとき、「髪切ったんだね。でも、短い方が似合うね」では、髪を切ったことを否定されているような感じがします。「髪切ったんだね。そして、短いのも似合うね」と、「そして」で言い換えてみると、髪を切ったという行為や今の状態も肯定しつつ、別の可能性を知って褒めてくれているような気になるはずです。相手の立場にたって、相手の言ってもらいたいことを想像し、言い方一つにも心を込めるのが豊かな人間関係のベースです。相手の長所も短所も認め、その人全体を見て肯定してあげたうえで、気になる点については、それとなく柔らかく言ってあげるようにすることです。
2017.03.26
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森清範清水寺貫主は、師だった大西良慶和尚から「宗教的には、自分のことを言うのが汚いこと。人様のことを言うのが綺麗なこと。いくら苦しくても、一旦それが口から出ると汚いものになってしまう」と教わったそうです。私たちは、楽しいことだけでなく、苦しい事や辛い事があっても、自分のことを言いたくなるものです。もっと言えば、人様のことなど考えられなくなってしまい、自分のことしか話さなくなりがちです。自分は苦しい、自分だけが辛いと、延々と話すのを聞くのは辛いものです。愚痴や悩みを延々と聞かされると、人様の苦をもらって聞く側もぐったりとしてしまいます。「苦しいのは誰しもですよ」と言っても聞く耳を持たず、「あなたにはこの辛さが分かるわけがない」となる。これでは、同情も何もする気もなくなってしまいます。愚痴だけでなく、人の悪口を聞かされるのも嫌なものだが、自分や身内の自慢話も多少のことなら愛嬌だが、延々と聞かされたり、いつもいつもとなるとうんざりとしてきます。人間は、本質的には他人のことなどどうでもいいのです。自分のことは心にそっと仕舞っておいて、相手のことを話題にするのが良い人間関係を築くコツです。
2017.03.25
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挨拶はすべてのコミュニケーションの初めだが、名前を呼ばれたり、何かを言われたときに、明るく元気に「ハイ」と返事を返していますか?「ハイ」は単なる返事ではなく、「あなたの仰ったことを聞いています」という傾聴挨拶言葉です。応答、承諾、肯定、同意、謙遜、服従などの広い意味合いを含んだ便利な言葉で、互いの心をより細やかに通わせる小道の役割を果たします。ところが、この頃では「ハイ」と気持ちの良い返事をする人が少なくなっています。「ハイ」「ありがとう」などは、癖になれば意識しなくても口から出るようになります。「ハイ」が癖になるまで、毎日繰り返して下さい。知り合いの大学教授の話では、この頃ではレポートなどを返すときに名前を呼ばれて、「ハイ」と答える学生は3,4人しかいないと嘆いていました。病院でも名前を呼ばれて「ハイ」と返事する人はほとんどなく、返事をすると却って変な目で見られたりするそうです。ある病院の先生は、無言で診察室へ入ってくると、「もう一度待合室へ帰りなさい」と言って注意し、返事しない人は順番を飛ばすそうです。それは、医者と患者の信頼関係が良い治療のもとと考え、呼ばれたら答えることからその第一歩を築こうとされているからです。
2017.03.24
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呼び掛け方一つにも気をつけることです。見知らぬ人に「おじいちゃん」「おばあちゃん」と呼ばれて気を悪くする人も多いが、後期高齢者という呼び方に反発を感じている人も多いものです。携帯電話を買いに行ったら店員に「おじいちゃん」と呼ばれて「あの店には絶対行かない」と立腹する人や、デパートの外商で若い店員に「おばあちゃん」と言われて二度と行かないという70代の婦人もいます。60前の女性が「おばあさん、と初めて呼ばれた日の気持を忘れる女性はいない」と言えば、40前の女性も「自分がおばあさんと呼ばれて凄くショック。年配者でも同じでは」と言うように、何気ない「おじいちゃん」「おばあちゃん」という呼び方には幾つになっても不快に思う人は多いものです。参考までに、高齢者とは何歳以上と思っているのでしょうか?朝日アスパラ会員調べでは、60歳から3%、65歳から8%、70歳から36%、75歳から18%、80歳から21%、85歳から3%、区別すべきでない11%という結果でした。相手を不快にさせないためには、やはり名前をチャンと呼びたいものですね。
2017.03.23
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若い人たちのなかには「自分は孤独だ」と言う人が多いようだが、それはあなたがキチンと挨拶や言葉を交わしていないからです。人間関係とは、言葉、挨拶、気遣い、助言、慰め、優しい視線、時間を割くといった目に見えないもののやり取りから成り立っていて、それを無視すると孤立してしまいます。自分から挨拶をすることが第1だが、人から「おはよう」と声を掛けられたらキチンと「おはようございます」と挨拶を返す。「今日はなんだか元気がないね」と気遣ってくれたら、面倒くさがらずに「ちょっと風邪気味でね」などと返事をする。このようなお返しをしないと、相手は離れていってしまいます。相手の記憶に残るような思いやりのある言葉を、必ず一言付け加えることも大切です。「お早うございます」のあと「いつもお元気そうでございますね」とか「お寒くなりました。どうぞお風邪を召さぬように」とか、それを口先だけでなく、心から相手を案じる心込めて言うことです。要するに少しの触れ合いの縁でも断ち切らないように、上下の隔てなく大切に扱えば人は寄ってきます。言葉だけでなく、労力の提供やもっと現実的にお中元やお歳暮をはじめとした物やお金などをやりとりすることで、人と人とのつながりができていきます。
2017.03.22
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関心の示し方にも色々あるが、簡単な方法を少し示しておきます。①出会った時に一声かける挨拶は、相手を無視していないことの証です。挨拶は、人間関係の出発点であり生活のケジメです。出会いの挨拶は「仲良くやりましょう」という平和宣言、別れの挨拶は「今後ともよろしく」という友好宣言、挨拶をしないのは相手への無視宣言あるいは敵対宣言です。朗らかに元気良く先手で挨拶すれば、自分の気持ちもよく、周りも明るくなります。②人は自分のことに最も関心があるから、自分のことを聞いてくれる人には好意を待ちます。だから、上司や営業マンにとって大切なことは、話すことではなく、部下やお客様の話を聴くことです。質問や相談するのも効果的です。③相手が興味を持っていることに関連する情報や耳より情報などを提供すれば、自分のことに関心を持っていてくれたのかと好意を持ち、感謝もします。あなたは、自分がそんな情報を得ることだけに夢中になっていませんか?④誰でも、知り合いからの手紙や葉書をもらった時の喜び、心のときめきを経験したことがあるはずだが、自分からはなかなか書こうとしません。メールでも良いから、写真を添付するなりチョット工夫して出してみませんか?
2017.03.21
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私たちの日常には不愉快なことが多く、廻りの人のわがままや利己心から不愉快な目にあうことも多いものです。ゲーテは「不機嫌は怠惰と同じである」と言ったが、私たちは人のことは言う割には、自分のこととなるとズルズルと引きずられて怠惰に傾きがちです。手をこまねいているだけでなく、人に好かれるコツを少し身につけてみませんか?では、あなたが好きな人ってどんな人ですか?・人好きで、人を愉しませる雰囲気を漂わせている。・明るく前向きで、人を励まし、人を安心させてくれる。・静かで、穏やか、素直な心の持ち主である。・人の長所を見つけ、ほめることが上手な人である。・自分のことよりも相手のことを話題にし、人の話に真剣に耳を傾ける。・一言も弁解せず、愚痴も言わず、人を恨まない、湿っぽくない・・・。「相手が喜ぶことを、自分も一緒に喜ぶのが共に暮らす者のルール」と言った奥さんがいるが、これは何も夫婦の間だけでなく、この世に共に暮らすもの同士のルールであり、人が人に好かれる絶対条件だと思います。
2017.03.20
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携帯電話やメールが全盛だが、だからこそ葉書や手紙は印象的です。手書きのハガキで礼状などを戴くと、もらった方も悪い気はしません。たまに季節の絵手紙などを戴くと、フッと心が和んできます。一枚の葉書を待つ気持ちが、自殺を思い止めさせることもあります。ある女性は、「フッと思いついて、自分で自分に葉書を書いて投函してみたの。夫はずっと午前様だし、子供たちは食事がすむと自分の部屋に閉じこもってしまい、ちょっと寂しかったのかな」と笑う。寂しくなったとき、自分への歯の浮くようなラブレターを時には出してみるのもいいかも知れません。ましてや、他人からの心のこもった手紙なら。①相手のことを真剣に思っていると、不思議とピッタリの手紙が書けるものです。初めての会社の人なら、社内報などで相手のことを知るように心掛ける。②季節感も加味し 相手に一番伝えたいことや一番思っていることを書く。③最後に、「お会いできる時間を戴けたら幸福です」などとさらっと書く。④内容よりも早さが命です。普段からハガキや切手を用意しておくことです。私も自著などを差し上げることがあるが、忙しい経営者ほど返事が早く、人の上に立つ人はさすがだと思わされることが多いものです。
2017.03.19
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好かれるのも嫌われるのもほんの紙一重で、チョットした心遣いを忘れないことが大切です。人は自分のことだけで精一杯の自己中心的な生き物だから、自分に関心や好意を持ってくれ、自分を立ててくれる人を求め歓迎します。その相手を思う気持ちを、相手に伝えるためにどう表現するかです。どんな簡単な会話でも、前と後ろに相手の名前をつける。自分の名前を呼ばれて悪い気がする人はいません。笑顔が浮かび、仲良くなれるから不思議です。永六輔さんのあだ名は電報葉書だったそうだが、人に会われたらすぐに葉書を書いて出されるそうです。私も何時もハガキを持ち歩き、訪問先を出た後に一筆書いてすぐに投函します。誰でも、郵便受けを開けて、知り合いからの手紙や葉書をもらったときの喜び、心のときめきを経験したことがあるはずです。メールも使い方次第で、勝間さんは「お礼のメールをBCCで一括配信する人がいるが、それでは失礼だし、折角相手との距離を縮められるチャンスなのに勿体ない。新刊本の献本の手紙も、この方はテレビのプロデューサーだから、この方は書店の店長さんだからこういう内容と、一人ひとりに分けて出しています。ひと手間かけると、その後の展開が違ってきます」と言う。
2017.03.18
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聖徳太子が「和をもって尊しとなす」とうたったように、人が争うことなく仲良くするためには和は欠かせません。和え物のように、それぞれに違う味わいをもったものが、上手く交じり合うことによって本当の和はうまれます。自分の人生という廻り舞台では、誰もが自分自身が主役で、他の登場人物は皆、それぞれの場面で自分を引き立ててくれる脇役でしかありません。そこで、自分勝手に振る舞いがちです。でも、それでは和はうまれません。考えてみれば、自分の人生では主役の私も、他人の人生では脇役にしかすぎません。全く当たり前のことだが、このことに思いがいたらない人が意外に多いものです。人間関係がうまくいかないのは、このことを忘れているからです。例えば、家庭では夫は妻を自分の脇役と思い、妻は夫を自分の脇役でしかないと思いがちです。親子の間でも同じです。相手にとっては、自分は脇役でしかすぎないのに、お互いに自分が主役面をして振る舞うところから諍いが起きます。会社でも、国家間でも、諍いが起きるのは同じ原理です。従って、人間関係をよくするコツは、お互いが相手にとっては、自分は脇役でしかないことをよくわきまえ、相手を主役として立てることです。そこから和がうまれます。
2017.03.17
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偉いお坊さん方の色紙にも「和」という字がとても多いように、この心の大切さは分かりきっていると思います。みんなで仲良くしていくために、お互いに「堪えなければならない」「我慢しなければならない」「譲り合い、自分を抑えなければならない」などと常識的には言われます。しかし、和の心を育て仲良くするために、そんなことは必要ないと荒崎良徳住職は言われます。堪えたり我慢しなければならない相手の気に食わないところ、つまり欠点や短所が、相手だけのもので自分には一片もないかと尋ねたい。自分の方も欠点だらけの、どうしようもない人間なのに、自分の欠点だけは棚に上げて、他人の欠点だけに神経を尖らせ、それを我慢するなんて奢り以外の何物でもない。答えは簡単です。相手の欠点を見ないことです。欠点を見なければ、こらえることも我慢することもいりません。そのかわり、そのエネルギーを相手の長所探しに使えばいいというわけです。そんなことは難しいと思う人は、新婚時代を思いだして下さい。アバタもエクボで、何もかもが可愛かったはずです。心の持ち方次第で、欠点も長所に見えてくるものです。
2017.03.16
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道元禅師は「人の非を見るべからず」と言ったが、私たちは他人の良いところよりも、どうも欠点や過ちに興味を持ちすぎるきらいがあります。そして、自分だけが正しいと決めつけて、相手を一方的に非難しがちです。そんな時の自分の心の奥底を覗いてみると、相手を見下そうとする奢った気持ちや、自己を誇り優越感をむさぼる気持ちなどが見え隠れします。明恵上人(鎌倉時代高山寺)は「人の過ちをいうほどの者は、わが身に徳のなきおりのことなり」と、他人の非が目に付くのは自分自身が虚ろだから他人の過失が面白いのであって、そんな己自身の心の浅さを省みろと諭してみえます。長所も短所も併せ持つのが人間で、誰にでも必ず素晴らしい点があるはずだから、相手の美点発見に取り組むことです。相手に対する温かい心を持って美点発見に取り組んでいるうちに、自然と人の非は見えなくなってきます。妻を何時も見守り、美点を見つけてはメモしておき、美点を100個書き出して誕生日にプレゼントした人がいます。美点を100個見つけようと思うと、なまじっかなことではできません。「笑顔がいい・辛抱強い・何事にも一生懸命」などと、なんとか10位まではいっても、それからさきは遅々として進みません。そうやっていつも相手に関心をもって見つめているうちに、感謝や労りの気持ちも湧いてきて、その気持ちは自然と相手にも伝わるものです。100個書き描き出すことよりも、その相手を見つめることに意義があります。関心とは愛です。その証拠に、愛情が覚めてくると、相手に対する関心が薄れて、何をしていても気にならなくなります。憎悪も、ある意味では愛の裏返しです。その証拠に、嫌いな人のことは実によく知っているものです。それは、関心があって相手をよく観察しているからです。でも、短所も見方を変えれば長所にもなります。だから、愛憎はよくひっくり返ります。どうせ見つめるのなら、相手の良い面を見たいものです。
2017.03.15
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人間の好き嫌いの感情は激しく、道元禅師ですら、時の権力者から貢ぎ物をもらって帰った弟子を怒って破門にしたばかりか、その弟子が座禅を組んでいた所の土を何尺も掘って捨てさせたというほどです。「嫌い」という感情は、道元禅師にすらそこまでさせるように、相手だけでなく自分をも傷つけます。京都の人は、嫌いな人でも「嫌い」とは言わず、「嫌いやあらしません。好きになれへんだけどす」と言います。「嫌い」と切り捨ててしまえば終わりだが、「今は好きになれないだけ」なら、いつかは好きになれる可能性もあります。狭い地域の中で、つまらない喧嘩や摩擦を起こさない生活の知恵ともいえます。無理に好きになれとは言わないが、「嫌い」と切り捨ててしまうのではなく、「いまは好きになれないだけ」と思ってみませんか。嫌いも好きも相手に関心があればこそ、いつ何かの機会にひっくり返るかも分からないのですから。相手を好きになれない理由を聞くと、「その性格が嫌いだ」と答える人が多いが、そんな二人を比べてみると、意外と似たもの同士であることが多いものです。逆に「感じがいい」と言う人は、全く違ったタイプだったりします。このように、自分に似ている人を嫌い、自分とは違った人を好きになりがちです。
2017.03.14
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好きになるには、相手の良いところを探す努力が必要です。そうしているうちに、段々と良いところが見えてきて、自然と好きになってくるものです。人間は誰でも、長所も短所も併せ持っています。見方によっては、短所は長所になり、長所が短所にもなります。例えば、「訥々と話す人」がいるとします。その人に好意を持っていれば「何と誠実な人」と思い、好感を持っていなければ、なんて愚図な人だろう」などと思うかもしれません。このように、自分の心の持ち方一つで、相手への感情はどのようにも変化します。思考をポジティブに変え、相手を褒めているうちに、次第に相手の良いところが見えてくるから不思議です。すると、段々と気が合うようになってきます。要は、気が合わないと思われる人を、自分の中でどう消化するかです。うまく消化できれば、人生は楽しいものになってきます。大切なことは、お互いに他との違いを認め合うことです。人間は、一人ひとり違います。だからこそ、一人ひとりに存在価値があり、お互いに助け合う必要があるのです。二人の人間が、お互いの違いを認識し理解しあって、お互いが共感し尊重しあう。良い人間関係はそこから始まります。
2017.03.13
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毎日お読みいただきありがとうございます。このブログも早13年になります。 「人間、生まれてきたからには、人のためにちょっと何かをすること」という意味のフランスの詩があったが、沢山しようと思うと大変だが、ちょっとしたことなら誰にでもできるのではないでしょうか? エミリー・ディキンソンは、「一羽の小鳥を癒しなば、我が人生に悔いあらじ」と言ったが、ニッコリ微笑むことだっていい。人の心を楽しませる努力をしたいものです。そんな思いで、「一人でも良いから、私の言葉に励まされる人がいれば」という気持ちで、パソコンを買ったときから13年間毎日ブログを書いてきました。 そんななかで、心に残るコメントが幾つかあります。◆ある介護士の女性より 私は、一度死んで生まれ変わりました。正確には、死を覚悟したほど、苦しみ、そして泣き、やっと笑顔を取り戻しました。 お医者さんが看護師さんに「結婚していたことを隠し、妊娠させ、堕胎させた」というニュースが放送されましたが、正に私にも同じようなことが起こりました。妊娠、堕胎ということまではありませんでしたが。(中略) 私は、ずっとずっと信じていただけに、本当にショックで、その日から食事が一切できなくなりました。食べようとしても吐き出し、眠ろうと思っても眠れず、何かあるたびに吐き気と涙が止まらずに精神的にもぼろぼろでした。 彼に依存しないといいながら、本当は、私のすべてが彼で、彼を失った私は生きる希望すら見えなくなっていました。食べられない、眠れない、無気力・・・。ただただ苦しくて、この苦しさから逃れるのは死ぬしかないのかなと思うほどでした。毎日、友達に支えられ、どうにか一日、一日を過ごしていました。 彼を恨むとか、見返してやるとかそんな元気もなく、その反対に一緒にいた6年間は幸せだった。決して無駄ではないと言い聞かせていました。仕事に穴を開けるわけにはいけないと、どんな状況でも仕事には行きました。人間相手の仕事なのに、心ここにあらず状態の私の仕事はこの1ヶ月いい加減でした。最低だなと自分でも思います。 そんな私を支えてくれたのは、友達以上に利用者でした。私の目の前での浴室内での発作は、私を復活させてくれました。私の目の前で、発作を起し、ブクブクブクと沈んでいく利用者を見た私はとっさに声を発し、駆けつけ、湯船から持ち上げて出し、そして気道確保を瞬間的に行いました。私は、今まで何をやっていたのだろうと反省しました。それから、少しずつ食事ができるようになりました。(中略) 太田さんのブログ「命一杯に生ききるための釈迦の智慧」 とても今の私に勇気をくれました。特に「塞翁が馬」 中学のときに勉強はしましたが、本当に苦しいときには忘れているもので、こうしてこの言葉に今、このタイミングでまためぐり合えたのも何かの縁なのかもしれません。(中略) お医者さんと看護師さんのニュースがなければ、私は間違いなく、不倫覚悟で彼に連絡を取っていたかもしれません。だけど、それを踏みとどまらせたのもあのニュースでした。 また「生きたくても生きられない命」もあるのに、ただ苦しいからといって自ら命を絶ってはいけないことも身にしみました。本当にありがとうございました。ブログの言葉、本当にうれしかったです。 それから10年近く、彼女も今年幸せな結婚をしたとの知らせがありました。◆東関東大震災の後 昔、大野勝彦さんの個展を観にいったことがあります。涙がこみ上げてきたのを覚えています。今回の地震で友人を一人亡くしました。彼女は何年も不妊治療をし、先月可愛い赤ちゃんを生んだばかりでした。旦那さん一人を残し、赤ちゃんと両親と一緒に亡くなってしまいました。悔しくつらい状況ですが、私は彼女の分まで精一杯生きようと思いました。 この日記を読んでより強くそう思いました。毎日、素敵な日記をありがとうございます。◆作家の五木寛之さんは、弟さんが亡くなられてからしばらくの間、ものが書けなくなってしまいました。そこで新しいノートを買って来て、どんなちっぽけなことでもいいから、その日嬉しいと感じたことを書き留めるようにしたところ、毎日の些細なことに喜びを感じて、気力を取り戻したのだそうです。 このエピソードを紹介したところ、長野県のご婦人から次のようなお手紙をいただきました。 息子のことで悩んでいましたが、私も正月から『喜びノート』を作って、身近に感じた楽しいこと、嬉しいことを書き始めました。『喜びノート』が一週間を過ぎた頃、不思議な力を発揮しだしました。 毎日、楽しいこと、嬉しいことを書いていると、自然に「ありがとう」の言葉を書きたくなるのです。楽しいこと、嬉しいことが有り難く思えて、感謝の気持ちに変わるのが不思議でした。神々しい日の出、家の前を流れる清らかな千曲川の流れ、四方の山々の雄大さ、青く高く静けさに満ちている空、夜空には無数の星の輝き、電話の孫の声・・・。 今までは当たり前と思っていたことが、有り難いと思えるようになりました。 「私の小さな悩みなんてたいしたことはない。な~んだこれしきのことで悩んだりして」と、大きな気持ちになることができました。去年の日記を見ると、愚痴の何と多いことか。心の持ち方一つで、こんなに人生が楽しくなるなんて知りませんでした。私、56歳。これからの人生、楽しい、楽しい人生になります。
2017.03.12
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この世の悩みも争いも、また楽しみや幸せさも、そのほとんどは人間関係から発していると言っても過言ではありません。ですから、楽しく幸せな人生をおくるためには、人間関係が良いことが絶対条件だが、人間関係ほど難しいものはありません。あなたには、どうしても好きになれない人はいませんか?「この世の中に、根っから悪い人はいません。自分と気が合う人と、気が合わない人がいるだけです」と精神科医の齋藤茂太さんは言っています。誰にでも気が合わない人はいます。要は接し方で、「なぜこんなに物わかりが悪いのだろう」「何と扱いにくい奴なんだ」などと、相手のことを非難したところで、相手を変えることはできません。相手に変わることを強要するのではなく、まず自分を少しでも変える努力をしてみることです最初から「話が合いそうにもない」と思ってしまうと、そういう気持ちは、相手にもなんとなく伝わります。そこで、気が合わない人ほど、心の中でほめてみることをお勧めします。どんなことでも自分だけ、相手だけが一方的に正しいということはなく、自分が正しいと思って、相手を一方的にやっつけても問題は解決しません。まずは相手の意見を認め、相手をほめてみましょう。
2017.03.12
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佐藤さんには、顔を合わせるのも嫌な上司がいました。その上司は、人使いが荒く、陰険で、口うるさく、言うことなすことがいちいち神経に障ります。そこで、彼女はできるだけ顔を見ないように努め、廊下で会っても走りながら挨拶するという有り様でした。「どうして、こんなことになってしまったのか」と原因を考えてみるが、考えれば考えるほど、彼にまつわる不快な出来事が思い出され、「ひどい上司にあったものだ」と不運が悔やまれてなりません。そして、とうとう会社を辞めようとまで思いつめるようになりました。そんなある日曜日のこと、街で偶然その上司を見かけました。上司は奥さんと子供と一緒に穏やかに笑っていました。その光景を見た途端に、彼女にとって嫌で嫌でたまらない人も、他の人にとってはそうとは限らないという事実に、そのとき始めて気がついたのです。その時以来、その上司はそれほど問題でなくなりました。彼は物分かりが悪いと思い込むと、その人と何があっても「あいつが物分かりが悪いから」と思い込んでしまうのが人間です。その己の心が問題なのです。人に好かれたかったら、まず自分から相手を好きになることです。
2017.03.11
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「人に好かれたい、良く思われたい」というのは人間の本質だが、そう言いながら自分は「あの人は好きになれない」と好き嫌いを言っていませんか?自分は嫌っているのに、相手には自分を好きになれというのでは虫が良すぎます。自分が相手を「嫌い」思うから、その気持ちが相手に伝わって相手も自分を嫌う。相手を好きになれば、相手も自分を好きになってくれます。これがエコーの法則で、人に好かれたかったらまず自分が相手を好きになることです。誰でもよい面と悪い面を併せ持っているだけでなく、何事にも二面性があって見方や立場によっては見え方が180度違ってきます。仕事熱心で評判のエース的存在の彼が好きになって結婚したら、仕事一途で全然家庭を顧みなかったりします。逆に、仕事はもう一つで出世には縁遠い彼と結婚したら家庭的には申し分なかったというふうに、長所は短所、短所は長所にもなります。だから、恋愛中はあんなに熱々だったのが、成田離婚をすることだってあります。「嫌い」と思って悪い面ばかりみれば益々嫌いになり、「好き」と思って良い面ばかりみれば益々好きになります。だから、まず自分から相手を好きになって善い面だけを見るようになれば、人間関係も自ずと良くなってきます。
2017.03.10
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私たちは、自分以外の全てのものとの関係なしには存在できません。関係は、他との違いによってはじめて成り立ちます。ですから、人間関係とは、二人の人間がお互いの違いを認識し理解しあって、お互いが共感し合うことなしには成り立ちません。人間関係がうまくいかないという人は、相手には相手の思いや考えがあることを理解せず、自分の思いや考えだけで物事を判断したり、押し通そうとすることから起きます。例えば、あなたはなぜ部長や社長になりたいのかを考えてみて下さい。・大勢の人の上に立って偉そうにしたいから・肩書きが欲しいから・お金が沢山欲しいからなどと、人により様々な理由があるはずです。逆に、部下や社員の身になって考えてみると、自分たちが一生懸命に働いているからこそ、部長や社長は偉そうにもできるし、金も儲かるのだと思えてくるはずです。このように、両者の思いや考えが違うところに人間関係の悩ましさがあります。でも、この世は「私」と「私以外の全ての貴方」という1対無限大の関係で成り立っているから、相手の気持ちを自分寄りに変えさせることは不可能で、自分が相手志向に態度を変えるしか良い人間関係を築く道はありません。
2017.03.09
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私たちは、他人が自分をどう見るかという他者の物差しを気にしがちです。そういう思考は、無意識のうちに自分がやらないことは人もやってはいけないという、いわば一つの世間標準、仲間標準を創りだし、同じでない人を爪弾きします。そのことは、逆に皆で渡れば怖くないという風土も創り出します。一方アメリカ人は、考え方や行動が他人となんでも同じで、皆と群れたがる方が、逆に仲間外れにされる傾向にあります。一人ひとりがみんなちがっていることを認識して、それぞれが個を確立しているからです。「お節介な人たちに何か言われても、とにかく気にしない。人間的社会的ルールに外れているとか、他人に不快感を与えない限り、他人のことを気にする人たちのために生きているのではないのですから、自分のために、自分流でやっていこう」と石垣綾さんは言うが、まったくその通りだと思います。多くの場合、私たちは自分にとって都合が良いか悪いか、好きか嫌いかで判断をするが、人の道に外れていない限り「他人は他人、自分は自分」と好きなように行動すればよいのです。それには、まず他人の違いに寛容になることが前提だと思います。そこから、真の人間関係も始まるのではないでしょうか?
2017.03.08
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④気を遣いすぎないつい周りに気を遣いすぎて発言や行動を我慢してしまいがちだが、お互いに、「ノー」は「ノー」と素直に言い合い(相手に対する心遣いは必要)、ありのままの姿を見せ合って付き合ったほうが良い人間関係が長続きします。つい、「ノー」というと友達が去っていくのではと恐れがちだが、「去る者は追わず」で、それで去るような人なら付き合う価値はないと割り切ることです。⑤人のせいにしない上手く行かないときは人や環境のせいにしがちだが、自分以外に原因を求めても何も解決しません。人のせいにして責任をなすりつけようとすれば、周囲の人はあなたを避けるようにもなります。何事も、総ての責任は自分にありと潔く対応すれば、周りの人に信用され、良い人間関係が築けます。⑥お互いに距離をおいて接する 近づき過ぎると、その一部分しか見えなくなるし息も詰まります。ハリネズミのジレンマではないが、客観的に見るための距離を置き、それぞれの生き方を尊重していくことです。⑦他人を先にする心 人間は自愛と我欲の塊だから、つい「自分が」「自分の」が先に立つが、それは相手にしても同じだから、互いの自愛と我欲がぶつかりあって上手く行かなくなります。ましてや、自分は一人だが、相手は自分以外の総ての人だから、自分を通せば風当たりは凄いものになりがちです。お釈迦様は慈悲の心を説き、「自分のして欲しいことを、まず他人にせよ」と聖書にもあるように、自己中心の心を押さえて「あなたからどうぞ」と一歩引く心のゆとりが大切です。言葉で言えば簡単だが、実践するとなるとなかなか難しいことばかりです。これらを心の隅において、コミュニケーションを丁寧に重ねるしかありません。
2017.03.07
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まず、心の持ち方が大切です。なかなか難しいことだが精進したいものです。①ゆとりのある心を持つ 自愛と我欲が強く自己中心的で、互いに奪いあったり押しつけあったりすることに終始して、相手を受け入れようとしないところに人間関係の難しい原因があります。自分の心が、どれほど他人に開かれているか、他人を受け入れるゆとりがあるかにすべてがかかっています。②他人と比較しない 人間は一人ひとり違う存在価値を持って生まれてきているのに、自他を比較して劣等感や優越感を持ちがちです。相対比較の価値観を持つと、相手の足を引っ張るほうが楽だから人間関係が悪くなります。「人と違っていい」が人間関係の基本で、「人は人、吾は吾」と、それぞれの存在価値の違いを認め合い、ありのままの自分を活かしていくことです。八方美人になろうとして周りの人とあわせようとしすぎると、人によって違う対応をとらなくてはならなくなり、かえって信用されなくなります。人は一人ひとり違うから各人の存在価値があり、助け合う必要があるのです。③期待を持ちすぎない自分が何かを頼んだりしたとき、人は当然それに応えてくれるものなどという期待を持ちすぎないことです。人は人、みな自分のことで精一杯なのです。それなのに期待を持ちすぎると、期待に応えてくれなかったときには相手に失望し、印象も悪くなって人間関係がへんになってきます。へんに人からも期待をもたれすぎると、自分も息苦しくなるのと同じです。
2017.03.06
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成功した方々のお話しを伺うと、誰もが「人の縁があったから」と仰います。それも、親兄弟や親戚よりも、友人や取引先などの助けが大きかったと言います。私たちは、自分で気付いているよりも遙かに大きな周囲の人たちの力によって生かされているように思います。そして、井戸を掘ってくれた(縁の切っ掛けを作ってくれた)人や恩を受けた人への感謝の気持ちを忘れないことです。自分自身も縁の切っ掛けとなり、報恩の輪ができれば最高です。それが、最大の恩返しではないでしょうか。「情けは人のためならず」とはよく言ったもので、チョットした親切や情け、援助などをしたことが、とてつもない大きなものとなって自分にはね返ってくることがあります。自分にとっては大したことではなくても、困っている人にとっては、そのチョットした助けや情が非常に大きく身にしみるものです。そのことは、自分が困ったときによくわかります。自分が生きるために相手を利用するのではなく、相手を生かすことをまず考えたいものです。そうすることで、自ずと自分が生かされていきます。自分や身内ではなく、まず他人を大切にすることです。自分を全ての出発点にすると、全てが行き詰まりうまく進展しないことが多いものです。
2017.03.05
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私たちは無意識のうちにいろんな縁を戴いているにもかかわらず、それに気づかないことさえ多いものです。従って、受けた恩に感謝することもなく、それに報いることもしません。それでは、成功も長続きしません。バブル期に青年経営者が「自分は高卒だが、人よりも一生懸命に努力したから成功した。大卒の大会社の皆さんよりも良い生活をしている。それは皆さんよりも努力したからだ。成功するか否かは99%以上が努力で、運は1%以下もない」と得意げに話していたが、私はその話を聞きながら危険なものを感じました。案の定、バブル崩壊と共に助けてくれる人もなく潰れてしまいました。努力したから成功したという一面も確かにあるだろうが、努力するだけで成功するならことは簡単です。努力したという原因と成功したという結果の間に、多くの善い縁があったことを知り(=知恩)、それに感謝する心が大切です。西濃運輸を興した田口利八は郷土の代議士大野伴睦から「人生ではいろいろな人から恩を受ける。恩を受けたことは絶対に忘れてはならん。これだけは守ってくれ。そうすれば君は必ず志を達することができる」と言われたそうだが、この世は自分一人では何もできません。出会いの恩を忘れないことです。注)今お付き合いしている人は、誰との縁で始まったものかの関連図を描いてみると、そのルーツは何人もいないことに気づくはずです。
2017.03.04
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人間関係を大きく分けると、「素交」と「利交」とに別れます。素交とは、「素=白い生地」という意味で、地位だの名誉だのといった、いわゆる何かの為にするところのない、人間そのものの自然な付き合い、裸の付き合いをいいます。何かを求めるところがある交わりを利交というが、『文選』の「絶交論」では「勢力のある人と交わっていく勢交、目的達成のために金品を贈って交わっていく賄交、語り合うために交わる談交、窮乏や同情のために交わされる窮交、打算的な目的で交わる量交」の五つを諫めています。『荘子』に「君子の交わりは淡きこと水の如し、小人の交わりは甘きこと醴(甘酒)の如し」とあるが、甘い蜜にたかるような交わりは利害関係が無くなれば終わりです。ドイツ人に「あなたには友人がどれくらいいるか」と尋ねられた人が、「100人が200人くらいかなあ」と答えると、ドイツ人は驚いたという。ドイツでは、「その人のために自分を犠牲にできる人」「自分が何も言わなくても自分をわかってくれる人」、この二つが満たされて初めて友人といえるという。ドイツ人のいうような素交の友というのは、一生に一人得られるか否かであろうと思うが、死ぬまでの間に真の友人に巡り会えた人は幸せです。
2017.03.03
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動物の飼い慣らし方に、永続性のある人間関係を築くヒントがあります。相手に気持ちの準備ができていないうちに迫り過ぎると、驚いて逃げられたり拒否反応を起こされたりします。少しずつ距離を狭めて、徐々に慣れるようにすると抵抗も少ないものです。人間関係も同じで、お互いによく知らないうちに多弁に迫られると、却って真実味が薄いと警戒されがちです。時間をかけて徐々に相手の心に働きかけて、お互いの心が通い合うようにすることです。そうやって築き上げた信頼関係は、永続性のある強固な結びつきとなります。『ヤマアラシのジレンマ』という寓話があります。寒い冬の夜、ヤマアラシの夫婦が添い寝をするとき、くっつき過ぎると互いの針が体に刺さって痛いので離れる。離れると寒いので、またくっつく。こうして、寒くも痛くもない適度の距離を見つけるそうです。人間関係でも、適度な距離を置くことが、相手の気持ちになって考えることにつながり、相手への思いやりの心となって、かえって精神的な距離を縮めて、永続的な温もりを得ることになると思います。また、人間関係の糸はチョット手入れを怠ればすぐに切れてしまいます。都合の良いときだけ頼るのではなく、普段の気配りを怠らないことが大切です。(このことは、10年日記をつけている私にはよくわかります。)
2017.03.02
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お店で何かを買ったとき、代金を支払えば自分のものとなるが、その時、黙って手渡されるよりも、笑顔で「ありがとうございました」と言われるだけでも気分が違います。品物と代金のやりとりだけなら、その場だけの単なる取引関係で終わってしまいます。チョット気持ちや言葉、ときにはティッシュやサンプルなどのおまけをつけることで、気持ちが明るくなり次にも繋がります。逆に、お店でお水やおしぼりを持ってきた人に、そんなことは当たり前と黙っていずに、自分から「ありがとう」と言うだけで、相手もニッコリして気持ちが通じ合い、和やかな時が流れることが多いものです。豊かな人間関係を築いている人は、こうしたおまけをつけるのが上手な気がします。何かをしてもらったら「ありがとう」と一声掛けるとか、相手に聞かれた質問に対してただ答えるだけでなく、「私はこう思うのですが、あなたはいかがですか」などと聞き返して、相手の話したいという気持ちに応えてあげるなど、チョットした感謝や心遣いの気持ちを乗せたおまけをプラスしています。もっと積極的に、相手の役に立ちそうな情報などを提供すれば、善意のお返しも期待できます。「与えよ、さらば与えられん」で、この逆ではありません。
2017.03.01
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