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金色の子犬と呼ばれているとはつゆ知らず、リベールは炎に包まれた街を眺め下ろしていた。そこは学校の屋上だった。「上からなら、見つかるとおもったんだけど」ぼやきながら、フェンスにもたれ掛かる。朔も、ここから眺めていて偶然見つけた。がむしゃらに街を駆け探すのに疲れたので、あてもないのでここにまた来たのだ。少々期待していたのだが、見事に裏切られた。はぁ、とため息がもれる。(何故、俺がこんなことしてんだ?)理由を、必要性を分かっているが、納得できずにいた。少しだけでも、信用を得ようとしているのだろう。信用を得た方が、口が滑らせやすいのは、分かっている。暴力で口を割らせるより、信憑性があり、即効性があるのだ。だが、朔という少女は暴力の耐性があるとは思えない。意外にあっさりと口が割れたかもしれない、と考えるとますますやる気がそがれていく。外見を除けば信じられないぐらい、普通の少女のように見えた。体を鍛えていないのか、動きが鈍いと思った。手は白く、傷一つ付いていない。剣など、握ったこともないのだろう。大事に、大事に、真綿にくるまれたように育てられたのだと推測できた。そう思うと、ざわりと胸の奥を黒いものが撫でた。八つ当たりに、フェンスを蹴ろうと足を振り上げたが、空を切った。空を切らせたのだ。リベールはさっと、身構えた。息を殺し、気配を消す。足音をさせず、さっと屋上のてっぺんにあるタンクの裏に隠れた。(…………一人、か)足音が止まり、重い扉の開く音がした。タンクの裏から、体勢を低くし、そっと様子を覗いた。現れたのは、まだ年若い青年だった。不思議な髪の色に、リベールは驚く。黒かと思えば、濃紺や濃い紫にも見えた。フェンスに近づき、赤く染まった街を見下ろしていた。炎に照らされた整った顔は、距離があるせいか何を考えているか読めなかった(……………あいつの兄貴か?)年頃は、朔より少し上の年齢ぐらいだろう。人が極端に少ないこの町だ。可能性は、高い。たとえ間違っていても、黙らせればいいだけだ。あたってみるか、と意気込んだときだった。「ここにいたのですか」やわらかな声がリベールの耳に届く。ぎくりと、身体を強張らせた。(もう一人かよッ)気配を感じられなかった自身に苛立ちながらも、体勢を整えるため身をさっと隠す。「これは………」不思議な色の髪をした青年の声は、深みがあり心地の良かった。大げさとも言えるように、驚きを表現していた。背の高い男に視線をやり、不思議だ、と言わんばかりに尋ねた。「わざわざこんなところにおいでとは。サクシードさま」リベールは身体がびくりと跳ね、血の気が引いていくのをはっきりと感じた。まるで心臓から流れ出した血は、氷のように冷たく感じた。血管を流れて全身が凍っていくような錯覚が、リベールを襲った。「八代崇さまと、ここではお呼びした方が良かったですか?」「嫌味、ですか」「まさか。めっそうもない……下の、コントロールセンターの様子は?」「てんてこ舞い、の一言に尽きますね。半狂乱になっていますよ」リベールの体内の変調を気にせず、どんどんと会話は続いていく。凍り付いていた心臓が、ふいにどくりと跳ねた。血が一瞬で沸騰し始める。心臓が急に活発に活動し始め、呼吸機能が狂いそうになるのを必死に押さえた。信じられないほど心臓が跳ねている。体の中で灼熱炎が駆けめぐる。目の前が真っ赤に染まり、凶暴な衝動に身体が流されそうになる。リベールは朔の両親と友人を捜し出したら、詰問するつもりだった。銀髪である朔の関係者だ。何か、知っているはずだ。知っていないはずがないのだ。朔が、もし何も知らなかった場合の保険、と考えた。朔の様子を見る限り、何も知らない可能性が高まった。だから、なんだかんだ言ってリベールは探し続けたのだ。カイもだから、行かせたのだ。実のところ、信頼うんぬんよりこちらのほうが主な目的だった。だが、苦労の末やっと、八代を名乗る男を見つけた喜びはなかった。達成感や苦労からの解放感の代わりに、どろどろとした暗闇が、胸の奥に閉じこめていた扉の向こう側からあふれ出てきた。(………よりによって…サ、クシード…だ、と?)『succeed』受け継がれる者。その名で呼ばれるのは、この世に一人しかいない。その忌まわしい名を、リベールは忘れたことがなかった。殺してしまいたい。その欲求が、せっかく気配を消しているのに、殺気を纏わせようとする。(落ち着け、落ち着け、落ち着け、落ち着け)必死に苛烈な感情を押し殺そうとする。『お前は、目の前のことばかりだ。その先を少しは見ろ』この数年、一緒に行動していた男がいつも言っていた言葉だ。(わかっている)ここで、あの男を殺すのはまずい。自分は、あの日、あのとき、あの場所で誓ったのだ。俺の全てを奪った者達を、滅ぼすと。トップを殺すのではおさまらない。凶暴な暗い瞳の獣が胸の奥で訴えているのだ。関係者、全てを、滅び尽くせと。この男を今、ここで殺せば、今まで以上警戒される。それでは、まずいのだ。ただでさえ、情報を得られにくいのだ。把握できていないのに、トップに近い人間を殺す。それは下手したら、下のほうの人間が蜘蛛の子を散らすように逃げる可能性があった。それでは、ダメなのだ。リベールは一度、同じ失敗をしていた。怒りに任せ、殺した。そのとき、リスクを嫌というほど実感した。必死に唇をかみしめ、耐える。渾身の力を込め、視線を二人から外した。そうでなければ、背の高い、茶色の髪をした男を。憎くて、憎くてたまらない男を殺してしまいそうになる。視線で人が殺せるなら、確実に殺せるほど、穴が空くほど睨みつけてしまうだおう。今は身を隠しているのだ。ばれるわけにはいかない。(この機を、逃すのか?)そう、問いかけてくる声が聞こえた。(そうやって、この機を逃していいのか?もしかしたらこれが最後の機会かもしれないぞ?)その誘惑を振り切るように、リベールは給水タンクについていた梯子を握りしめた。手の色が変わり、真っ白になっていく。だが、リベールは縋るように握り続けた。そんなことは、させない。リベールは暗い瞳で、ささやきかける見えない相手を見つめた。必ず、どんな手をつかってでも、殺してやる。最後の機会などには、させやしない。「サクシード様」高くやわらかな声に、リベールははっと、顔をあげる。若い女の声だった。後ろ姿しか見えないが、ゆったりとした三つ編みをしていた。サクシード、と呼ぶということはこの少女も関係者なのだろう。数年間、探し続け、見つからなかった。見つけたと思っても、それは全てダミーや間違いで。どんなに苦労しても、手を伸ばしても届かなかった。だが、今、目の前に探し続けていた標的がいる。関係者が、どんどんと目の前で増えていく。これ以上増えたら、と考えてリベールの両手に力がこもる。鉄製の梯子が、その形をリベールの手に合わせるように変形した。耐えられない。リベールは、カイを呼ぼうと決意した。自分より、冷静に対処するはずだ。殺してしまえ。そう暗い瞳の獣がささやきかけてくる。それを振り切るように、リベールはその場所を離れた。
2005年05月30日
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「おい…誰が殺っていい、って言った」青年は軽く髪を掻き上げ、呆れた声音で所在なさ気に立ちつくしてる男達に語りかけた。恐縮している男達を見やって、さらに呆れる。恐縮している暇があれば、打開策ぐらい考えて、申し立ててみればよいのに。言い訳などは、絶対に聞かないが。「俺は、話、できるように、テイチョーにお連れしろ、って言ったはずだが?」言い換えれば、話が出きるならいくら殴ろうが、傷つけようが構わなかった。意識があり、口が利ける状況なら。が、目の前に積まれているのは口利けぬ屍だ。その山の向こうで、どことなくおびえている男達をみて、顔をしかめる。男が怯えて、縋るようにみられても、気色悪いだけだ。名も知らぬ、新顔たちゆえ、仕方ないかと思えばいいのだが、どうもよっぽど退屈で面倒くさいので気が立っているようだ。心の何処かで期待していた何かが裏切られた気分だった。びくついている男達の向こうに新たなる一団が見えた。恰幅の良い男が先頭に、闊歩し、近づいてきている。大柄な恰幅のよい男が、にっと青年に笑いかけた。「へい、おまちどう」どこかの厨房の親父のように、豪快な声とともに男の前に肩に背負っていたモノを投げ捨てた。屍の上に新たに重なったのは、まだ生きている人間だった。恰幅のよい男の後ろに付き添っていた者達が、続いて目の前の小山に真似るように投げ重ねる。投げ捨てられた五人が五人とも気を失っている様子に、眉をひそめる。「おい……お前もか」思わず、ため息混じりの声になってしまった。新米の連中ではなく、この男とその部下たちは古株に位置する者達までこの体たらくとは。恰幅の良い男は、苦笑混じりに「勘違い、せんでくれ。せっかく途中で拾ってきたってのに」「拾った?」「おう。道に落ちとった」一番上に転がっている男の身体を足で転がす。そのせいで山から転がり落ちたが、青年は気にせず検分する。目立った外傷はない。口の辺りに唾液か胃液らしきものが、付着している。(鳩尾を……一発か?手慣れているな)恰幅の良い男が嘘を付いている可能性はゼロに近かった。嘘を付く必要もないし、例え嘘を付いても青年には分かる自信があった。「どの辺だ」「以外と近いぞ?200メートル、といったとこか」青年の氷を埋め込んだような瞳が細められる。そんな近くでのされていたのなら、気づかないわけがない。と、言うことは時間が経っているということだ。「…………うっ」青年の思考を遮るうめき声が聞こえた。声の主は青年の足下に転がり落とされた男だった。聞き心地の良いとはいえないだみ声に、青年の眉がひそめられる。起きあがろうとしているのか、身体が青年にもたれてしまいそうになる。青年は、迷うことなく腹の辺りを蹴りつけた。蹴られ、男の身体は青年と反対の方向に転がった。「………ぐがぁッ」青年は薄氷の瞳で、藻掻いている男を見下ろしていた。「若造がぁ!」「副頭目、殺っちゃっていいっすか?」呪詛のように吐き出された言葉に、青年自身よりも回りが殺気だった。男は回りの雰囲気と、低く言われた言葉に顔を青ざめた。「あ、あんた……まさか、旅団の………」頭目、とトップをそう呼ぶ組織は一つしかない。どこも、その組織が怖くて、恐れ多くて使用しないのだ。『旅団』そう言葉に出したとたん恐怖が増したのか、身体が震えだしている。「あんたら、こんなとこで何やってんの?」青年の猫なで声に、気力を取り戻したのか舌を必死に回し始めた。「こ、ここは…政府の重要、機密があるとッ。お、おれ、ら。旅団にはいり、参加にはいり、たく…て、手土産に」青年は漆黒のバンダナを下げ、視界を覆った。真紅の髪がずり落ちる感覚が、ため息を促す。あまりに醜く、見るに耐えない。(……めんどくせぇ)何故、こんな七面倒な役目を引き受けてしまったのか。にっこりと笑い、『退屈を潰せることがおきるだろう』と言った男の言葉に乗った自分が愚かだった。この話を押し付けられたのは、今から数日前だった。不穏な話が、街の片隅で囁かれていた。不穏な話は、このご時世、いくらでもある。だが、今度のだけは見過ごせなかったのだ。旅団の名が、あったからだ。旅団が、この場所を襲うというデマだ。どこでどう噂がねじ曲がったのか知らないが、確かめる必要があった。(で、やってきたら、こんなバカ)どうせ、旅団の名と、力に憧れて、というやつだ。掟も、旅団の理念も、何もわかっていない。『反政府』で『実力主義』。『盗賊行為』をして、貴族たちを困らせているぐらいしか認識していないのだろう。確かに間違いはない。だが、事実が真実ではないのだ。男達の勝手な都合や推測で真実はねじ曲がっている。黙りこんだ青年に居たたまれなくなったのか、男は更に言葉を紡ぐ。「そ、そうだ!…銀、銀がッ。銀髪の女が、いたッ」青年はその言葉にバンダナをあげ、男を見下ろした。聞き捨てならない言葉だった。銀髪。この時世で、それは禁忌といって差し障りはない。「どこに、いた?」「し、しら…二人組の、連れて」青年の低い声音に、男は喘ぎ喘ぎ告げる。これ以上、有力な情報は得られそうにない。そう判断した青年は、剣を抜いた。男は蝋人形のように顔を白くする。「俺が。副頭目自ら手を汚さなくても」横から、言葉がかかるが青年は鼻で笑う。「副頭目?」青年は冷めた笑いを浮かべた。薄氷の瞳は、氷点下の冷たい炎が灯る。「俺の名はエン。旅団の副頭目として、頭目代理として宣言する」剣を男の首に突きつけた。「旅団の理念を理解していない者は、必要ない。それ以上に旅団の名を汚した罪は、重い。その命で償いきれるものではないが、ないよりましだろう」赤い血しぶきが虚空に舞った。まだ血の匂いが漂う場所に、新たなる男が現れた。まだなま暖かい五人の死体が転がっているのを見ても、現れた男は顔色一つ変えない。エンはにっ、と笑いかけた。「コー、何か、おもしれぇもんあったか?」「面白いか、どうか分からないが」コウと呼ばれた青年は穏やかな表情で言った。黒い髪に黒の瞳。東洋系の色濃い顔立ちは、穏やかな表情ゆえ、男を温和な人柄に見せた。「途中で、子犬を見つけた」「イヌ?」「ああ。オレンジ色の子犬が、何かを探しているようだった」オレンジ色の子犬なんて、存在しない。茶色の毛が炎に照らされて、そう見えたと言う可能性もあるが、コウがそんな話を自分の耳に入れるわけがない。なら、答えは一つだ。「へぇ。どんなんだよ?」「毛並みは良かったかな。まだまだ子供で目的のもの以外目に入らないのか、こっちには気づかなかったようだ」エンは、よく言う、と呆れた表情でコウを見た。この男は影だ。長身のくせに、気配を消すのが巧い。いつも気づけば後ろに当たり前のようにいる。コウの気配を察せなかったとしても、それは不覚ではないだろう。「金色の目を大きくして、一生懸命で、つい頭を撫でたくなったな」エンは、軽く目を瞠った。へぇ、と呟いた声は楽しげだった。「キンイロの目、ねぇ」不意に、七面倒なことを押し付けた男の声が聞こえた。『退屈なのだろう?』(ああ)『言ってみるといい。面白いことがおきるだろう………………そろそろ時期だからな』(何が起こってるのか、わからねぇが……)少なくとも、少しは退屈を潰せそうな予感がする。『銀髪』、『金の瞳』、『大掛かりな政府の行動』この三つのキーワードだけで、かなり不穏な気配を察することができた。何かが、起こり始めている。「楽しそうだな、エン」答えずに、ただ薄氷の瞳に楽しげな光を浮かべた。
2005年05月27日
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頭から被っていたマントを朔は取り外した。炎の中を、カイに手を引かれ突っ切ったのだ。視界がふさがれたおかげで、ふらつきつつもどうにか走りきれたのだ。「………こ、こは?」朔は、呆けた表情であたりを見渡した。深い樹海の中だった。多い茂った木々が空からの光を遮り、どんよりとした闇を作り出していた。木々の一本一本が街路樹より大きく、幹がしっかりとしている。(…………秘宝でも眠っていそうだなぁ)人間、理解の範疇を越えると、現実をなかなか認識できないモノだと、初めて朔は体感した。ばかげたことを考えたと朔自身わかっていた。だが、一番この光景に近いのはテレビでみた秘境、と呼ばれる地だった。少なくとも、日本でこんな光景は見られないはずだ。現実が、ますますファンタジー色を帯びてきたことにため息しかでない。あまり気味のいい光景ではないので、振り払うように後ろを振り向き、朔は固まった。大きな城壁があったのだ。白く、中世を舞台とした映画のセットのような、城壁に圧倒される。朔は冗談抜きで時空移動、もしくは瞬間移動したのでは、と思った。街の中心にある駅前の映画館付近の建物から十数分走っただけだ。だが目の前に雄大な山のようにそびえ立つこの壁は何だというのだ。人の足で走る速度には限界がある。この壁がいきなり現れた、というのでないかぎりこの現状はありえない。「…………どういう」朔は自身の声が弱々しい事に驚き言葉を止めた。予想以上に、自分は精神的に追いつめられているようだ。このような状況では無理にでも冷静になるべきだ、と小さく呟き、言い聞かせる。大きく息を吸い、吐き出した。改めて、樹海と壁を見つめた。今日は、初めて見るモノに対して身体の拒否反応が凄かったので、内心この広大な光景を見て頭痛や目眩、吐き気などが襲ってこないのに安堵の息を付いた。例えば炎とか、シェルターとか、人の死とか。内容が違いすぎているのもあるだろう。だが、現実離れしているのはどちらも同じだ。朔は今日、幾度目かのため息をついた。と、同時にカイが閉ざしていた口を開いた。「………あいつが戻ってくるまで時間はある」朔はカイを仰ぎ見た。カイの言葉は端的すぎて、わかりにくい。言葉の後に、『だからどうした』と言ってしまいそうになるのだ。言葉の真意がなになのかを、朔は考えた。「…………ひょっとして、教えてくれるんですか?」朔の中で混沌としている疑問を氷解してくれるというのだろうか。カイが頷くのを見て、じゃあ、と何から聞こうか考えた。気まぐれだろうと、親切心だろうと、裏があろうと、この状況を説明できる人がいるのは朔にとってありがたかった。だが、いざ聞こうとしても、何から聞こうか、戸惑う。(まず、この壁、かな)とりあえずさしあたって、目の前の謎を聞こうと思った。目の前のことから片付けていこう、と思ったのだ。でなければどこから手をつければいいか、見当もつかなかった。口を開きかけて、そのまま朔は凍りついた。声が、でない。何故、と考えて背筋にぞっと悪寒を感じた。怖い。泣き出してしまいそうな恐怖が目の前で口を空けているのだ。聞けば、間違いなく何かが壊れる。何を、と聞かれれば困る。だが、朔は漠然と壊れる予兆を感じていた。(けどッ)聞かなければ、何も始まらない。事態を解決できないし、どうすることもできないではないか。一度頬を叩き、朔は腹を据える。まっすぐにカイを見つめ、はっきりと頷いた。「教えて、ください」声が、震えた。聞かなければ良かった、と後悔する予感が胸を過ぎった。だが、朔はうつむかず、視線を逸らさなかった。
2005年05月26日
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数度、瞬きをし、朔は青年を見つめた。「了承した、と言っている」(……………え?)何を、と問おうとし、朔は固まった。ひょっとして。期待が一瞬胸をよぎった。恐る恐る朔は尋ねる。「…………本当に、いいんですか?」「ああ」何を了承したのかを尋ねようと思っていたが口から出たのは、確認の言葉だった。あっさりと同意され朔はさらに困惑する。たぶん、頼みごとに対する返答で間違いないだろう。が、朔は喜ぶべきだが、頭がついていけていない。「と、言うことだ。行って来い」「な?!」少年が、絶句している。が、すぐに一方的に告げられた理不尽な言葉に、文句を叫びつつ怒りつける。だが、青年は意に介せず朔と会話を続けた。「あいつに、探させる。そのかわり、お前にはここから離れて貰う」「…………はい」朔は頷いた。聞き届けられたことで、異存はなかった。少年に対し不安がないと言ったら嘘になる。だが、朔よりよっぽど戦力としてあてになるだろうし、青年が任せるぐらいだから大丈夫だと思うことにした。「………やけに簡単に頷くな」「頼み事を聞いて貰って、我が儘いうこと、できませんし、したくないです」此処を離れたくない、とか。無事をどうにか確認できるまで、自分だけ安全なところに行きたくない、とか。自分も付いていきたい、とか。どこに行くつもりだ、とか。何者か分からないのに、ついていくなんてできない、とか。色々言いたいことはある。だが、言えなかった。理由に、危険なことを頼んでしまった後ろめたさも確かにあった。だが何よりも、助けて貰って、我が儘を聞いて貰ったのだ。だから、朔は信用しようと決めた。今だけでも、信じようと決めた。朔の言葉を信じてくれたのだ。朔の言葉は嘘だ、という可能性も考えたはずだ。なのに、身勝手な頼み事を聞き届けて貰ったのだ。それが、信用することが、最低限の礼儀だと思ったのだ。「したたかさと強欲さは違うものだぞ」「この場合、いくつも自分の都合を押し付けるのは、強欲では?」「……素直についていくから、自分の身の安全の保証、と普通は言うべきなのでは?」「最優先事項は、みんなの無事です」二人は完全に少年を無視し、怒鳴り声はBGMにして話を進めていく。少年が地団駄を踏み、背中を壁から離した。足音荒く朔に近づき、肩を掴んだ。「お前ッ……えっと」「朔…八代、朔」名乗ると少年の顔が、歪んだ。忌々しげに舌打ちすらしていた。「名字があるわけ、ね」それがどうした。朔は理不尽な少年の態度に半ば苛立ちながら、少年が口を開くのを待った。「で。俺は誰探せば良いんだよ」朔は頷き、紙とペンをと頼んだ。白いキャンパスにさらさらと黒い線を滑らせる。大まかな自宅までの地図をかき、少年に渡した。「家族はここに、このあたりにいてくれると……父と母、それに兄です。八代、の名字はこのへんにはありませんから、名字を尋ねてくれれば。友人は、15歳のほどの少女が二人…特徴はショートカットのボーイッシュな稜に、ゆったりと三つ編みをした優奈」「その友達っての。他の特徴は?」朔はとっさに言葉に詰まった。ずきりと、胸が痛む。頭の中に、信じたくない二人の姿があった。一緒に笑っていた姿でないことが、悲しい。それでも脳裏に浮かんだ姿を、少年に告げた。「……二人とも帯刀しています。帯刀している私と同じ歳の女の子は、きっとあの二人ぐらい、です。力量は5,6人を相手にできるほど、です」少年の瞳が見開かれた。ぎらぎらと敵愾心むき出しだった金色の光が一瞬消える。暖かな日溜まりのような瞳になったのに、朔は魅入った。「お前………そいつらって…」少年は言葉に詰まって、朔をまっすぐに見つめた。はっ、と何かに気づいたように視線を逸らし舌打ちをした。「………わかった。そいつら、探してくればいいんだな」「お願い、します」「無事が、わかればいいんだな」朔は、一瞬躊躇したがはっきりと頷いた。会いたい。会って、抱き合って、無事を確かめ合いたい。話をしたい。切望する思いを必死に胸の深くに沈め、鍵をかけた。生きていてくれれば、いつか会える。そう信じるしかなかった。「……できたら、安全な場所にいてくれるのも確認してください」「連れてこい、とは言わないわけ?」この炎の中、しかも襲ってくる野盗のような連中があちらこちらにいる中を、団体で突っ切ってくるリスクが大きすぎる。それなら、安全な場所に非難しているほうがいい。例えば朔がいたシェルターのような場所に。朔は、もう一度自身に言い聞かせ、黙って精一杯微笑んだ。朔自身は巧く笑えてないことに気づいてなかった。苦さや辛さなどの負のスパイスを利かせた笑顔は、さすがの少年も、黙って朔から視線をそらしたほど痛々しさがあった。「ありがとう、ございます……えっと」二人の顔を見て、朔は固まった。名前を、名乗ってもらえるだろうか。ふと、何故か小さな影が胸に過ぎったのだ。言葉に詰まった朔に、場の空気が重くなった。二人も、視線を合わせ、どうすべきかと思っているようだ。青年が、思い沈黙のベールを切り裂いた。「…………カイ、だ」「おいッ!」少年が、慌てた様子で青年の顔を仰ぎ見た。何故、困惑しているのだろう。本名、だから驚いたのだろうか。朔は挙動不審な少年の様子に、首を傾げる。視線が、絡まった。少年が目に見えて狼狽している。「お…俺は」口の中で、もごもごと言葉を転がしている。恥ずかしい、というより戸惑っている。「リ、リベ………リベー、ル…リベールだッ!!」歯切れ悪く、だが勢いよく言われた言葉に朔は反射的に頷いた。微妙な空気が、部屋に流れ出す。少年は居た堪れないのか、乱暴に扉を蹴り開け、飛び出していった。朔は呆気に取られそれを見ていたが、やがてカイに肩を叩かれはっとする。「行くぞ」朔は不安な気持ちを押し殺し、しっかりと頷いた。
2005年05月25日
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頭の中が、白と黒の光で混濁していた。ぼんやりと意識が、身体の感覚が、その光の海をクラゲのように漂っている。静寂の世界が、ふいに壊れた。小さな騒音が、耳の奥に入ってくる。誰かの話し声のようだ。(………だ、れ…だろう?)聞いたことのない声だった。断片的な会話が、どんどんと繋がりのあるものになっていく。『行くぞ』低い声が、誰かを促しているのが妙にはっきりと聞こえた。(どこへ?)答えは返ってこなかった。だがその声が聞こえたのをきっかけにまどろみの世界が姿を変え始めた。朔は身体の感覚が漂っていたのから、はっきりとしたものに変移したのを感じた。腹の辺りを圧迫されている。身体が上下に揺れるのに、何処かへ運ばれているのに気づいた。(どこへ、行くの?)返答がない。始めから期待はしていなかった。(どこへ私は行きたいんだろう)唐突に思った。朔は、自問に即答した。(帰りたい………家に)日常が、平穏があった我が家だ。父がいて、母がいて、兄がいて。暖かくて、陽だまりのような場所に。(こんな悪夢からはやく目覚めて……………ッ!)朔の意識は急浮上した。覚醒した脳が、残酷な事実を知らせる。あれは、夢ではない。現実だ。(………逃げちゃ、いけない)微睡みが帰って来いと呼んでいる。あのまま漂っていたいだろう、と語りかけてくる。甘い誘惑のツタが巻き付いてくるのを振り払うように、思考回路を活発に活動させる。ふ、と自らの髪を見た。月の光を凝縮させたような輝きがそこにはあった。ずきりと、刃物が突き刺るような痛みが胸を貫く。その痛みを糧に、朔はゆっくりと目を開いた「………い、や…だッ」やっとのことで出た言葉は、小さくかすれ、騒音にかき消された。不甲斐なさと、無力さに唇を噛み締める。「…………は、な…せ………」炎が燃える音が、耳に入り込むたび視界が白と赤で染まる。意識が遠のきそうになるのを堪えるのと、少しでも抵抗する為に必死で手に力を入れるが、指先がかろうじて動くだけだ。それはまるで縋るようになって。(………ッ!!な、んでッ)暴れ、振り解くことさえ出来ない自分自信に朔は苛立ちを通り越して、怒りがわき、歯軋りする。怒りを原動力にして、ぐっと視線をあげると炎を見てしまい力が抜け、冷や汗が背筋を滑った。堂々巡り、しかも悪循環に朔は唇を強く噛みすぎて薄く血が滲む。「炎が、怖いのか?」朔を背負っている人物が問いかけてきた。低い声の問いかけに、素直に頷くことが出来なかった。誰だが分からないのもあるが、炎が怖いのを理由にここから連れて行かれるわけにはいかないのだ。小さなため息が聞こえ、朔は身構えた。朔を抱え上げている人物が動き出す。足をばたつかせ抵抗するが、難なく封じ込められた朔は、苦々しく叫ぶ。「お……ろ、してッ!」「舌を噛むぞ。黙っていろ」歩調が急に乱暴なものになったのに朔は急に対応出来なかった。忠告通り舌を噛んでしまい、痛みにうめく。青年は呆れた視線で振り返り朔をみた。朔はふいに呼吸が楽になるのを感じた。気怠かった身体が、少しずつだが力が取り戻されている。驚きに視線をあげると、そこは建物の中だった。殺風景というより、何もない部屋だった。ただの四角い白い、窓すらない無機質な部屋だった。「………ここは?」「さあな」言葉とともに朔は床に下ろされた。まだ足に力が入らなく、その場にへたり込んでしまう。だが、鉛のように重かった身体が軽くなっている。(炎が、ダメだった?)自身のことなのに、何処か他人事のような感覚がしてしまう。朔が眉間にしわを寄せた。一体、自分はどうしてしまったのだろう。「…………いいだろうか?」はっ、と視線をあげた。そこには朔を運んでいた青年の姿があった。ぼんやりとしていた視界も、はっきりとピントが合っていく。全身が黒ずくめの青年だった。灰色の髪は鋼のような硬質さを感じさせ、黒い瞳は鋭く威圧感があった。整った顔立ちに入るだろう。だが、人間らしさがあまり感じられない。表情が乏しいせいだろうか。朔が頷くのを見ると、前振りもなしに直入に尋ねた。「とどまる理由は、何だ?」朔は困惑する。あまりに端的な言葉に、どうかえすべきかと迷った。何故留まりたいと分かったか、と問うべきか。素直に答えるべきか。後者はあまり好ましくない。恩人になるのだろう、この場合は。あの不審者から助けてもらったのだから。だが、それはこの二人も不審者には変わらないのだ。朔の迷いに気づいたのだろうか。青年が口を開く。「抵抗に、不審者に対するのだけではなく、何か強い意志があった。それは、何だ?」まっすぐに見据えられ、朔は腹をくくった。嘘もごまかしも通じない、と直感した。それに、無駄な時間が朔にはなかった「友達と、両親の行方がわからないから」それだけが、この悪夢のような現実に戻った理由だった。あのまま微睡みに浸っていれば。ずっと目を閉じていれば。現実を拒めば、楽だった。が、楽になれば後悔するのが分かりきっていた。それはその時点で、楽ではなくなる。小さな無数の棘が抜けぬまま縛め、眠り続けただろう。どちらも苦痛なら、後悔しない方を選びたい。「心配、だから。無事を、確かめたい」きっぱりと言い切る。青年は表情を変えぬまま、口を開く。「俺達は、慈善や酔狂でここにいるのではない」氷の欠片でも散りばめられているのでは、と朔は思った。冷淡とさえとれる声に朔は怯まず、青年を見据えた。助けてくれたのは、善意ではないと目の前の青年は言う。「………………………私に、何か?」「その通りだ」どうするべきか。朔は必死に考える。自分への用件は、確かに気になる。正直、用件の内容がさっぱり分からなかったから、というのもある。が、それよりも用件によっては、交渉の材料にもなる。だが朔は絶対にそうすることだけはイヤだった。自然と、思考は止まり、行動していた。すっと、首だけではなく腰から曲げる。そのまま前のめりに倒れそうになるが、とっさに手をつく。そして、頭を下げたまま懇願した。「お、願い…しま……す」頼むべきではない。朔自身の問題なのだ。見知らぬ人を巻き込むべきでない。朔はそう思いもしたが、止める間もなく言葉が口から飛び出す。「お願い、します」悔しくて、申し訳なくて、不安で、心配で。様々な感情で頭の中でぐちゃぐちゃになる。自分でどうにかできるのなら、していた。けどそれができないのは、役立たずになっているのは、朔自身が痛感していた。朔はただ、頭を下げ続けた。「交換条件、でとも言うかと思った」呆れに皮肉さのスパイスをきかせたまだどこか甲高い声に、朔はやっと面をあげた。そこには一人の少年が立っていた。(…………いたんだ)大変失礼なことを朔は考えたが、本当に気づいてなかったのだ。炎で煤けたマントを付けた、小さな男の子だ。中学校に上がったばかりのような幼い顔立ちにまず目がいった。可愛らしい顔立ちだが、険を帯びているのに驚く。そしてオレンジ色の髪と、金色の大きな瞳が印象的に朔の脳に刻まれた。朔は心底不思議そうに、首を傾げる。「助けて貰って、なおこんな頼み事をするのに、…交換条件なんて偉そうなことをいえるわけないじゃない」「助けてくれ、と頼んではないのに勝手に助けたとでも言えばいいじゃん。そしたら対等に話できるだろう。あんたの持ち札は情報。こっちの持ち札はかし」ぶすりとした少年の言葉は一つ一つに、皮肉のスパイスがかけすぎなほどかかっている。朔は試されているような気がした。と、同時にまるで朔が助けてくれたことを感謝せず迷惑だ、と言うことを決めつけられていると、思った。何を考えているのか、さっぱり分からない。ただ、スパイスの利いた言葉は、胃もたれになりそうなほどくどい味だ。食あたりになりそうになったが、朔ははっきりと言った。「そんな恩知らずか、バカにはなりたくない」どう考えても、あの男達のもとにいて良い方向に進んだとは思えない。命を落としたかもしれない。助けて貰ったのだ。それはどんなことがあろうと、どんなことであろうと感謝すべき事だ。少年の目が見開かれる。険を帯びていたのが消えた顔は、幼さが際だった。朔の言葉が、それほど意外だったのだろうか。少年の反応を見て、朔も目を見開く。驚かれたことに悔しさや怒りよりも、呆気にとられたのだ。「でも、それじゃあ俺達があんたの“オネガイ”きいてやる理由ねぇじゃん」気を取り直したのか、少年は再び嫌みを言う。確かに、そうだ。否定され、朔はがっかりとした気持ちになる。だが、どこかで安堵もしていた。複雑な心中だが、朔はそれをふりきるように立ち上がる。外に出ようとする朔を、青年が襟首をつかみ無理矢理止めた。驚きと、止められたことへの焦りと。朔がばっと青年を仰ぎ見ると、青年は静かに口を開いた。「わかった」(何が?)朔は困惑し、青年を見つめた。奥行きの見えない黒い瞳は、何が考えているのか、朔には分からなかった。
2005年05月23日
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「……あ、あれ見ろよッ!」少年が、大きな声と共に細い指でまっすぐな方向を示す。その先ではガラの悪い男達がたむろっている足元に、銀色の髪の子供が地に倒れていた。器用なことに少年は、地団駄を踏みつつ走る。「先を越されたッ!」「越されて、何か問題があるのか?」少年は青年を一瞬あっけに取られたように見つめたが、すぐに悪戯に成功した子供のような笑顔を浮かべた。「ない。先を越されたら奪い取るまでだ」少年は、金色の瞳を輝かせた。足取りが軽くなったのか、青年を追い越しどんどん背中が小さくなる。スキップや口笛を吹きそうなほど、その表情は明るく、楽しそうだ。奪い取ることに青年は、異存はなかった。確かに、それしか手段はない。「だがそれは……盗賊の台詞だぞ」青年の至極正しい意見は少年の耳には届かなかった。溜息をつき青年は軽く頭を振った。視線を前にやると、人形並みの大きさに見えるぐらい遠のいた少年が、男達の中に飛び込んでいた。五人の男達の間を縦横無尽に駆け、片端から蹴倒し、殴り倒している。地や壁、電柱など道路にある障害物にぶつかり、モノと人、両方から悲鳴があがった。その中で唯一運良く地面とのみ仲良くなった男が、フラフラと起きあがり、少年を射殺すように睨み付けた。「へぇ…まだやるか?」少年の顔に、わくわくと大きく書いてあった。喜々として、斬りかかってきた男の攻撃をかわし、反撃に出る。その間に2人、復活していた。朔と言う獲物よりも少年への怒りが強いのか、少年へ憤怒の表情でにじり寄っている。「任せていいな?」少年が手を高く持ち上げひらひらと振り、了解の意を示した。男達は少年に任せると決めた青年の行動は早かった。朔の傍に跪き、身体を抱き起こし、眉をひそめた。(様子が、おかしい)一見、ただ気絶しているだけのようにも見えた。だが、青年は感覚で異常を察した。とりあえず反応を見ようと、頬を少し叩けば、意外にすぐに瞼は開けた。だが、ぼんやりとして焦点があっていない。混濁した闇と光が瞳の中に見え、青年はぞくりと慄然した。寝ぼけているというには、異状だった。晴れた夜空色の瞳の中に浮かぶ、不思議な闇と光のダンスに青年は魅入っていたが、すぐにその瞼は重力に負けるかのように閉じた。はっ、として身体を揺さぶっても瞼は再び開かなかった。腕から、小さな震えと人肌にしては熱い体温を感じる。「おい」声をかけても、反応がない。小さく舌打ちし、朔を地にそっと寝かせた。埒があかない。青年は、この原因を知っているだろう連中に目をやると、一人以外、全員が再び地に伏せていた。男達が地面と仲良くなる仲介をした張本人は、最後の一人も殴り倒そうとしていた。「やめろ」顔面を殴るのを寸のところで拳は止まった。何故、と不満げにこちらを半ばにらんでいる少年を無視し、青年は男に歩み寄る。「何をした?」「な、なんのことだ?」少年に痛めつけられた男は、瞳に怯えの光を灯していた。「様子が、おかしい。薬か何か使ったか?」青年は恐怖の眼差しで見られようと、気にせず無感情な声で問う。それが男の恐怖心を更に助長した。震え始め、声もない。沈黙を肯定と取ったのか、少年が吠えた。「それ、すげぇ困るじゃねぇか!」青年は頷いた。こちらにも都合がある。わざわざこんなところに来たのには、理由があるのだ。それをこんなふざけた連中に邪魔された。青年と少年の機嫌は直下行で下がっていた。青年の冷たい視線に射抜かれた男は、小さく悲鳴を上げ、首を慌てて横に振る。「何もしてねぇ!元からだッ!!」「元から、だと?」弁明をしなければ、殺されるとでも思っているのか。死にものぐるいで、必死に叫んでいる。「ああ、元からさ!初めからそいつはぐったりとしていた」「…………なぁ」少年のまだ甲高い声音のトーンが低くなる。脳内できっと最低で最悪な答えが弾き出されたのだろう。青年の脳裏にも同じ答えが浮かんでいた。ただの、予想だ。そう割り切れているが、それでもあまりの醜悪さに、吐き気すら覚えた。自身に言い聞かせる意味も含めて、少年に忠告する。「その可能性は充分にあるとしても、だ…確定ではない。予想に過ぎない」「けどッ!」少年の言い分は、わかる。だが、先入観をもつわけにはいかない。「……黙れ」思っていた以上の低い声がでて、青年自身驚く。だが、それゆえか少年はばつが悪そうな表情で、ぶすりと黙り込んだ。青年は一つ溜息をつくと、朔を荷物を運ぶかのように、肩に乗せた。「行くぞ。ここに、用はない」「……了解」これ以上ここにいても、リスクが増えるだけなので少年は素直に頷いた。だが、歩みはじめたと思ったら急に、青年は足を止めた。先を歩いていた少年が怪訝そうな表情で振り返る。「おい?」青年は少年に人差し指を口にもっていくことで、黙るよう指示する。ますます怪訝そうに顔をゆがめつつ、少年は引き返してきた。あと数歩のところまで近づき、少年は気づいた。炎の燃える音と、建物が壊れていく音の合奏の中に、か細い声があることを。青年は少年のどうするんだ、と問い掛けてくる眼差しに、珍しく返答に困った。背中の部分の服を決して強いとはいえない力で、だがしっかり握りしめ何かを訴えようとしている存在をどうするべきか。青年は、今日何度目かの溜息をついた。
2005年05月20日
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深紅の世界が、朔の身体を蝕んでいた。巨大な炎が視界に入るだび、脳内に強烈な閃光が走り、抗えない虚脱感が襲う。脳内がかき回される苦痛に、脂汗がにじみ、吐き気までしていた。足取りはすでにおぼつかなくなり、どうにか背を壁に預けることで歩いていた。(ま…ずい………)朔は一際大きな立ちくらみに襲われ、膝から崩れ落ちた。前のめりに倒れてしまい、どうにか手をつっぱり衝撃を和らげようとしても、ほとんど力が入らない腕では不可能だった。どさり、と地にうつ伏せる格好で倒れこんだが、不思議と身体の痛みは感じない。全身麻酔をかけられたようだ。指一本、動かすのさえ、今の朔には困難だった。(…………裏目、にでちゃったか…)朔は苦笑いにしては、痛々しい笑みを浮かべた。今の自分は、もし、仮に友人達と合流できても足手まといどころかお荷物でしかない。お笑い種だ。(………な、んだっていう…んだよぅ……)朔はもう、何が起こっているか考えるのさえ放棄したい気分だった。できるなら、冗談抜きですべて投げ捨てたい。信じているものが揺いでいる。当たり前だと思っていたものが、消えていこうとしている。考えれば、認めそうで怖いのだ。認めたくないのだ。(すべて…夢だったら)さっきから、そう何度思っただろう。だが、それを否定するかのように身体が、心が苦痛を訴える。(何も、考えたくない……)けれど、朔にはできなかった。このまま全てを投げ出すという、とても魅力的で楽な選択肢を選べなかった。選べば、自分が許せなくなる。弱気になっていく自分に、朔は言い聞かせる。(泣くのは、後……)朔はほとんど役割を果たしていない目を開けた。赤い空が見え、さらに視界が霞掛るが、かまわず見据える。(弱音も、後悔も……文句を言うのも、後)言うことを聞かない身体に鞭打ち、ぐっ、と全身に力を入れる。半ば這うように壁に近づいた。(そんなこと後で、いくらでもできる)震える身体を壁伝い、背中を壁に預ける形で上半身を起こした。。(今、するべきことは。しなくちゃいけないことは)朔は気を抜けばぼんやり霞む思考回路を、必死に動かした。どうすればいい。必死に自分の脳と闘っている朔は、ふと視線を上げた。(………誰?)お世辞にも上品ではない足音が鼓膜に届いたのだ。複数、としか朔には認識できない。足音の方向を向くのは、辛かったが、我慢して視線を動かす。予想通りそこは炎が華麗にダンスを踊り、煌いていた。脳内が洗濯機に回転し始め、強烈な吐き気が襲った。それでも朔は、必死に目を開ける。赤い光のなかに、少し離れたところに五人の人が、逆光で黒く視界に写った。(隠れなきゃ………)周りを確認すれば、どうやらここはビルとビルの境目で、暗く、ダンボールやらごみ箱やらが散乱していた。隠れるのにはことかかない。だが、隠れるまでが問題だ。身体が自由に動かないのだから。とりあえず小さく身を丸めて、息を殺すしかなかった。今日の自分の格好は、幸運なことに黒い服だ。じっとしていれば路地にいる連中に気づかれずにすむかもしれない。そう思うしかなかった。だが、朔の願いは簡単に打ち砕かれた。「いたぞッ!」ばっ、と身を翻し逃げようとしても身体は言うことを聞かず、倒れこむだけだった。右腕に痛みを感じ、視界を上げれば肩を掴まれ、強引に身体を起こされていた。そしてそのまま、ずりずりと路地まで引き擦り出される。「見つけたぞッ!本当にいやがったッ!!」叫ぶと同時に、朔は放り捨てられた。身体をしたたか地面にぶつけ、朔はうめいた。ほうり捨てられた衝撃はあるが、痛みはなかった。相変わらず、体中が麻痺している。(バ、カ…野郎……)朔は男を罵りたかった。よりによって、この男は四方八方炎が見える場所に連れてきたのだ。おかげで酷い頭痛までし始めた。ぐるぐるとした気持ち悪さに、朔は眩暈すらしそうだった。思考回路はどんどんと鈍くなり、目もほとんど真っ白な風景しか写さず、耳の機能さえも正常に働いていなくなった。「……………に…まさか…・・・なんて」「……手柄…・・・差し出……金一封………」「……………銀髪……いる…………」男達の会話が断片的に、朔の耳に入ってくる。そのまま聞き流しそうになったが、朔はあることにはたと気づいた。今、不吉なキーワードが耳に入らなかったか。朔は顔色が真っ青になるのを感じた。男達はなんと言った。朔は恐怖を何とか振り払い、恐る恐る視線を真横に向けた。ぼやける視界に銀色に光る、何かがあった。(嘘だ)朔は必死に否定しようとするが、視線が固定されたままなので、否応なしに銀色に輝く何かが目に入り存在を示し、否定を許さない。朔は認めざる得なかった。夢で見た女性のような髪を、自分がしていることを。(いや…だ……)心が悲鳴をあげる音が聞こえた。目の前が真っ白になり、意識が遠のいていくのを妙にはっきりと朔は感じた。
2005年05月18日
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少し錆びれた扉を押すと、耳障りな音と共に視界が開けた。薄暗い場所から、空が紅く染まった外に出た。少年は炎に包まれた町を平然と見ながら、屋上のフェンスに身体を預けるようにもたれかかっている青年に歩み寄る。青年は黒ずくめの格好だった。赤い景色の中に浮いた存在は探す手間はまったくなかった。「いたのかよ?」「いや……」不機嫌という仮面を被った少年は、男の返答に舌打ちする。「この『ガッコウ』とか言うのに、いるんじゃねぇのかよ」半ば責めるように吐き捨てれば、青年は坦々と答えた。「『キョウシツ』とやらで見つけた暦によると、今日は『ニチヨウビ』とか言うようだ。だから、『ガッコウ』はないようだ」「はぁ?」「『ニチヨウビ』は休日だからのようだ」「だから、何だよ。その訳のわからねぇ単語はッ」「『ガッコウ』は勉学を学ぶ場。『キョウシツ』は『ガッコウ』の中にある部屋の区分。『ニチヨウビ』は暦で使われている用語の一つだ」ある意味わかり易く的確で、ある意味極端な説明だ。少年は眉を吊り上げる。「何だよ、それ」「今では使われていない言葉だ」少年は、ぐっと自分の中で渦巻く突発性の怒りを堪えた。そんなことが、聞きたいのではない。何で、そんな言葉が使われているかが聞きたいのだ。だが、起こったところで目の前の青年はそうか、と言って怒りを無視するだろう。怒るだけ、無駄なのだ。この青年に、感情をぶつけるだけ無駄なのだ、と。労力の無駄遣いだ、と。ここ数年、一緒に旅して少年が理解したことだった。それに、何故使われていたかなど、本当はどうでもいいことだ。ただ気になっただけなのだ。自分達は、そんなことで時間を使っている暇はない。少年は自身に言い聞かせた。「どうするんだよ?それで」自分達の手に入れた情報では、目的の人物は『ガッコウ』とやらに日中通っているということだった。正確に言えば、それだけだった。目的の人物の特徴は分かっているが、住居の位置までは把握できていない。知っているのは、『この町のどこかにいる』、『ガッコウとやらに日に日に通っている』、『人物の特徴』の三つだけだ。町を全て探している時間は、はっきりいってない。自分達は、〈連中〉の先を越さなければならなかった。「今、火災まで起きてさすがに混乱が生じているだろう。その隙を狙う」「………盗聴か」少年の確認に、青年は無表情に頷く。だが灰色を帯びた薄い青の瞳は鋭い光を灯していた。「今なら奴等のセキュリティーも甘くなっているだろう。無線を傍聴する」分かった、と頷き少年はフェンスの上に無造作に腰をかけた。その方面になるなら、青年に任せるしかないかない。休息を兼ね、町を窺った。深紅の炎が少年のオレンジ色の髪を染めた。地獄絵図さながらの光景を目の前に、少年の興味は町並みにあった。今まで見たこともないような造りをしていた。炎で彩られる前は立派で、清潔感あふれる町だったのだろう。(むかつく)苛々と指を小刻みに動かし、トントンとフェンスを打った。平穏で、何の不安も苦しみもない空間だったのだと思うと、腹が立った。この差は、何だ。最下区画と、何故こんなに天地ほどの差があるのか。怒りの衝動が見えない幾多の手となり絡みついてくる。囚われそうになるのを必死に振り払った。俯いていたまま、瞳をそっとあける。そして、思いもかけないものを見つけた。少年は金色の瞳を大きく見開く。「居場所が、分かった。シェルターに保護されているらしい」青年からは少年の背しか見えなかった。少年の無反応な様子に訝しげに眉を寄せる。「………………なぁ。そいつ、シェルターにいるんだよな?」「コントロールセンターに入った情報が虚偽がなければ、もしくは罠でなければな」「じゃあ、さ。あれ、何?」少年の指が下方を示す。青年がフェンスに寄り、指し示された方向を見つめた。「…………あれは……」青年はそう呟いたきり、口を閉ざした。「何でッ、あんな所、ふらふらしてんだッ!シェルターにいるなじゃねぇのかよッ!!」「………探す手間は省けたな」「俺達以外の連中もなッ」少年が怒鳴るのと同時に青年は身を翻した。少年も後に続き、出口に急ぐ。彼らが先ほどまで見ていた場所では、一つの人影があった。ふらふらと頼り気のない足取りで、身体を壁に預けつつ動いていた。がくり、と膝から崩れ落ちる。銀色の髪がふわりと舞い、地に広がった。
2005年05月16日
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やっと、第一章も半分近くになりました。拙く、無駄に長いのを読んで下さってありがとうございます。まだまだ長くなりますが、よろしければ続きも読んでくださると嬉しいです。……読み返すと加筆修正したいところ、あります。たくさん。書き直す機会があれば、書き直したいな、ともう思っていたりして。え、と。この話はいろんな人物が出てきます。(←何をいまさら)主要がそろうのは第三章、四章あたりです。で、いろんな人物がでてくると嫌なキャラもでてきます。もう、でてますが。バカが。話の都合上、バカ視点もあります。嫌だろう、と思いますがお付き合いくださいちなみに、タイトルはまだ、決まってません(スミマセン・・・)
2005年05月13日
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「バカヤロウッ!」上品とは到底言いがたい言葉を、稜は吐き捨てた。先ほど携帯電話を壊してしまったので、仕方なく近くの電話ボックスを使用していた。ガンガンと四方を取り囲むガラスの壁をストレス発散、と言わんばかりに盛大に蹴った。「分かりません、じゃねえだろうッ!どこから、いつ、出火されたこともわからねえのかッ!!」稜のいる電話ボックスの周りの景色は全て赤く染まっていた。炎に照らされた町は、熱さよりも、薄ら寒い感がする。火は瞬く間に町中にその紅い手を伸ばし、包み込んでいた。「おまけに、不審者の正体もまだ分かってない?人数さえも?ふざけてるのかッ!!」稜の怒りのゲージはとっくに振り切れていた。なのに、この対応。神経を、逆撫でされ、苛々と怒りに拍車がかかる。電話の向こう側にいる人物は完全におびえきっていた。『す、すみません』「すみませんで、すむかッ!役立たずが!何のためにお前達がコントロールセンターにいると思ってんだ!きちっと仕事しろッ!給料泥棒がッ!」稜の怒りはどんどんとエスカレートしていく。このままだと電話ボックスを破壊するだろう。「いいな、また十分後に連絡入れる。それまでにどうにかしろ」向こう側で悲鳴が上がるがそれを無視し、稜は乱暴に電話を切った。足で、ガラスを貫通させる勢いで蹴飛ばし、扉を開ける。「何て?」ベンチに腰を下ろしまっていた優奈に、軽く首を横に振った。「何も。役立たずどもが」けっ、と吐き捨てながら優奈の横に腰を下ろした。そう、と呟いたきり優奈は項垂れる。「優奈?」「…………朔は、大丈夫かしら?」稜は絶句した。何を思っているのだろうと思ったが、まさか朔のことを心配していたとは。溜息混じりに、友に忠告する。「優奈。優しいのは美点だと思うけど、過ぎるぜ」「稜?」戸惑ったように名前を呼ばれ、また溜息が出た。呆れるしかない。しばらく困惑していたようだが、優奈がそっと口を開いた。「稜は、朔が嫌い?」「好きになるわけねぇだろう」即答すれば、優奈がまるで自身を傷つけられたかのように視線を伏せる。気に入らない。「何で?」問われ、稜は目を見張った。何故?こちらこそ何故だった。何故、そんなことを聞く?当たり前ではないか。何故、当然のことを優奈は聞くのだろう。「何でって……本気で言ってんのか?」「ええ」胸の前で両手を組み、胸元に押さえつけながら優奈はうなずいた。稜は溜息をついた。バカ、か、と怒鳴り散らしたくなる衝動を必死に抑えた。「理由は、ありすぎんだろうが」「それは、あの子の責任じゃないことばかりよ」「はぁ?」本気で、稜は優奈の考えていることが分からなかった。(ここは、きっちりさせとくか)そう思い、稜は一つ一つ例をあげていく。「一つ。あいつがいるせいで、俺の人生の半分を費やされた」「嫌なら、断ればよかったじゃない」「一族の決定だ。断れるか」そう、決定なのだ。父親に行け、と言われた。決してへまをするなと、言われ、家を追い出された。一族の決定に不服はなかった。なぜなら、朔がいなければ、こんなことにはならなかったのだ。「二つ。あいつは、何も知らない。知ってなければならないことを、だ」「それは…」言いよどんだが、優奈は視線を上げた。「私達が、教えなかったからよ」「知らかったは、許されない」「目を塞ぎ、耳を閉じさせたのは私達よ。私達にも責任はあるわ」「優奈…」稜は心底あきれ返っていた。何をバカなことを言っているのだ。確かに自分達は命令で朔が知らないように、行動した。家でも他の連中が目を光らせていただろう。だが、だからなんだというのだ。だから、仕方ないと。バカなことを言う。朔が悪い。知っておかなければならないことだ。邪魔立てされてもだ。知らない、朔が悪い。「稜…………貴女は何でも朔のせいにし過ぎではないかしら」「はぁ?」驚き、優奈を見つめる。悲しそうに、それでいて責めるように稜を見つめていた。まさか、優奈に責められるとは。しかも謂れのないことで。驚き、悲しかった。だが、不思議と優奈に怒りは湧いてこない。優奈は朔にほだされてしまったのだ。(優奈は悪くない。優しいから、ほだされたのだ)悪いのは………。「十分たったな」そういって優奈の責める視線を振り切るように電話ボックスに向かう。受話器を取り、受話器をかける取っ手を力を入れ横に引っ張る。しばらく沈黙していたが、やがて声が聞こえた。「はい」「リオン・ガーシュウィンだ」返答を稜に返したのは先ほどとは違う声だった。事情は把握しているようで、さっそく用件を告げてくる。「不審者達は、野盗の寄せ集めのようです。例の旅団へのアピール、と白状しております」「そうか…出火のほうは?」「町全体に、各自が勝手に火をつけたようです」「わかった」電話を切ろうとすると、追うように違う声が聞こえたので受話器を耳に再びつける。「朔様はシェルターに避難させたといいましたが、どこのですか?」「あぁ?……………B-05のだ」「分かりました。ウィスパード嬢もご無事で?」「当たり前だ」「お手数、かけました。ガーシュウィン嬢、どうか怪我などなされぬよう。ユーナ・ウィスパード嬢にも、そうお伝えください」受話器の向こう側の人間が生真面目にそう告げると稜はおかしそうに笑った。「ガーシュウィン嬢?」「い…いや……わりぃ………本名で呼ばれるのって、いいなって思っただけだ」ひさしぶりにその名で呼ばれたのが、妙におかしくて。ひとしきり笑った後で、ようやく稜は電話を切った。
2005年05月13日
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暗闇の中、朔は自身をしっかりと抱きしめた。衝撃を吸収してくれた柔らかなマットレスの上に、落とされたときのままの体勢だった。マットレスに仰向けで倒れこんだまま、身体を小さく縮ませている。(寒、い?)身体が、カタカタと小刻みに震える。気温が、寒いのではない。むしろ暖かといってもいいほどの大気が朔の身体を包んでいたが、身体の芯が凍ったかのように震えつづけていた。まるで風邪を引いたときと同じ、この悪寒はなんだろう。「…こ…わ、い……?」言葉に、声にすることで初めて自分は恐怖を感じているのだと、気づいた。(何が、怖い?)夢の中での真っ暗な闇に恐怖を感じたことはなかった。今はただ、ただこの空間が怖かった。(私は、…ここが、怖い?)違う。朔は頭を振る。(ここが、怖いんじゃない……狭い、密室が、怖い)閉じ込められたのが、怖いのだ。閉所恐怖症だろうか。朔は、今までそんな自覚はなかった。エレベーターなどの密室に恐怖を感じたことはない。(だけど……ここは、怖いッ!……………けど、それだけじゃ、ない…)脳が揺さぶられる。朔はこの空間へ対しての恐怖とは、別の恐怖に気づいた。何かが、洪水のようにあふれだそうとしている。と、同時にそれがわからなくなっていっているのだ。(なんなの、これは!!)確かに、今、恐怖を感じているのに、それがわからなくなっているのだ。何故怖くて、何が怖かったのが分からなくなっていく。恐怖を感じたことが、わからなくなっていく。何もなかった、と勘違いしていく自分がいる。頭が、徐々に真っ白になっていく。強烈な白が、頭の中を強制的に支配する。無造作に、純白のペンキで塗りつぶされ、何かが隠されていく。この感覚は、二度目だった。(一度目は、確か…………稜が…人を、殺したとき?)確かに、あの時も頭が、真っ白になった。無理やり真っ白にされたのだ。「ッ!!」ぞくりと、鳥肌が立つ。今、自分は何を思った。さっき、自分は何と思ったのだ。(何で、疑問系になってるのッ……)『稜が、人を殺した』ではなく、『稜が、人を殺した?』と、何故思ったのだ。確かに見たではないか。なのに、あやふやになっていく。たった十数分前の出来事なのに、だ。時間がたつにつれ、蜃気楼のように消えていきそうだった。ひっしに記憶のかけらをかき集める。だがその欠片すらが、幻のように、拾い集める手からすり抜けていく。自分の中で、知らない何かが起こっている。何かはわからないが、ただ、起こっていることだけは感じ取れた。冗談じゃない、と思いつつもそれをコントロールすることも、とめることさえできない。自分のことなのに。(怖いッ!)自分が自分のものでなくなっていく。勝手に、作り変えられていく。「ッ!」そのとき一際強く白が、脳裏で光る。頭の中が、全て真っ白になりそうなときだった。朔の脳裏にある二つの人影がよぎる。「……………行かなくちゃ」ふらりと、朔は身を起こし、手探りで出口を探し出した。はしごを見つけ、手をかける。「行かなくちゃ」もう一度力なく呟き、登っていく。(行って、何ができる?)できる、できないではない。ただ、ほっておけないだけだった。二人が、戦っている。優奈と稜が、戦っている。役には立たないかもしれない。むしろ足手まといなるだけだろう。それでも身体は自然と動いていた。何もできないが、何もしないでいられなかった。できないから、といって、友達をほうってなどおけない。(…………あれは私を狙っていた)思い上がりや自意識過剰では、なかった。友の行動が、不審者達の行動が、それを物語っていたのだ。特に、あの不審者の獲物を狙った目が、忘れられない。あのとき自分は間違いなく、狩人の標的にされていたのだ。「なら、盾やおとり、交渉材料ぐらいには、なれる」確かに不安で、怖い。何者か分からないし、どう考えても上品でまともではない輩だ。それでも、あの二人が怪我をしたり、命を落とすより、よほどいい。と、同時に狙ったのが朔の命なら、とも考える。理由はわからないが、可能性は0ではない。不安に拍車が、かかる。それを振り払うかのように、きっと前を見据える。(でも、そうではないのかもしれない)ここで、ぐたぐた考えていても仕方がないのだ。臨機応変に対処するしかない。梯子の先に、硬く閉ざされた丸い扉があった。取っ手が見つからないので、朔はがむしゃらに手で扉を押す。(自己犠牲で、偽善だろうか。これは?)自分の考えに笑い、朔は首を横にふる。朔は、自身の命を落とすつもりは、犠牲になるつもりはさらさらなかった。(これは、ただ、嫌だから。だから、行くんだ)あの二人を守りたい、とか。自分のせいで傷ついて欲しくない、とか。確かにそう思うが、それよりも何より先立つのは『嫌』だから。ここで、ただ待っているのが。何もしなかったことが。それが嫌だから、今、行こうとしている。(ただのわがままなんだ)開かない扉を、朔はにらむ。押してもだめと、思い引いたり、横にスライドさせようとしても、開かない。なかなか空かない扉に業を煮やした朔は、力いっぱい扉を叩く。(わたしにもできることがあるかもしれない)一際強く叩くと、まばゆい光が朔の視界を覆った。
2005年05月12日
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優奈は剣を握り、感触を確かめ終わると朔の手を強く引き寄せた。朔の指先は、氷のように冷たくなっていた。それを、強く握る。(一人、二人………五人、六人、ね)招かざる客が、こちらの周りを取り囲むような位置にいる。が、簡単に場所がわれるということは、たいした事は、ない。優奈は気を取り直すように、頭を振った。油断は、禁物だ。まだこちらは現状が把握できていないのだから。(それに………)そっと後ろを振り返ると、呆然とこちらを見ている朔がいた。守らなくては。確かに、それが義務だ。だが、それよりも思うのは。(守り、たい)これが、最初で最後になるのが、優奈は漠然と感じた。守ることができるのも、友として傍にいることも。朔は、許さないだろう。すべてを知ったなら。覚悟していたことだが、いざとなると、揺らぐ。それを、押し殺し、凍らせる。「稜」携帯に向かい怒鳴りちらしていた、友の名を呼ぶ。「西門が、爆破。他はまだ調査中、だと」役立たずが、っと吐き捨てた稜は、携帯を地面に叩きつけた。それが、戦いの始まりの鐘だった。隠れていた不審者達が一勢に襲い掛かってくる。「半分、任せた」「半分、お願い」二人で同時に異句同語を叫び、相手に向き剣を抜いた。お互いの背中で朔を庇い、守る。一番近くにいた男の剣が優奈めがけ、槍で突く。それを半身、傾けかわし槍の柄を両断し、剣の柄で腹を突く。優奈が攻撃するときの隙を狙っていた男が剣を振り下ろした。それを剣で受け止め、横に流す。がらりと空いた相手の腹に蹴りを入れ足を払った。最後の一人がやけになったかのようにがむしゃらに突進してくる。優奈も、向かい距離をつめる。その際足を払われ地面に倒れていた男の腹を踏んで、気絶させて。突進してきた男は、まさか優奈が距離を詰めるとは思わなかったのだろう。狼狽が、優奈には見て取れた。その隙に姿勢を低くして、男の視界か消える。後ろに回りこみ背中を思い切り蹴り、体勢が崩れたところで首を圧迫し、気絶させた。片付け終わり、優奈が一息ついたときだ。そのとき、耳障りな悲鳴を聞いた。慌てて振り返ると、そこには血まみれの三人の男性を足蹴にしていうる稜の後姿があった。「稜」「殺すな、とか言うなよ?」ぐっと言葉に詰まる。視線が下がり、朔が座り込んでいるのに気づく。まずい。そう思い近くに寄ると朔はただぼんやりと座っているだけだった。おかしい、と首をかしげる。初めて戦場、もしくは戦闘に、なんの前触れも、覚悟もなく放り出されたなら大体反応は決まってくる。初めて人の死を、不可抗力で見たときも、だ。泣き叫ぶか、半狂乱になる、のように、たいていはパニックに陥る。だが朔は呆然としていたが、取り乱してはいなかった。大丈夫だろうか。そう思ったが、優奈はあることに気づき、納得した。(あまりにも、朔の日常からかけ離れすぎているから、か)理解のキャパシティを超えてしまったのだろう。当然といえば当然だった。朔は、今、信じていたもの、あたりまえだったものなど、全て否定されたのだから。一般道路で不審者と友人が戦うなど、信じがたい光景を見ても、もはや取り乱すことさえできないのだ。(かわいそうに)朔の姿は優奈の胸に見えない、小さな短剣をつきたてた。「優奈」名前を呼ばれ、はっとする。と、同時に気づく事柄があった。「援軍、のようね」「弱いのに、しつこいッ!うっとうしいッ!」稜の意見に優奈は心の中で賛同する。確かに、しつこいようだ。このままだと、何度倒してもぞろぞろと新手が着そうだ。その場合になると。「邪魔になるだけ、だな」稜が朔に視線を向けて、そういった。朔が、今まで聞いたことのないような冷たい刃を含んだ声だった。繋いだ朔の手が強張るのを、優奈は感じた。「稜」咎めるように名を呼ぶ。稜は舌打ちをし、黙った。足で地面を何度も貧乏ゆすりのようにタンタンと靴裏で打つ。優奈はそれを見て、あることを思い出す。「避難、させましょう」「どこにさ」「あそこよ」優奈はブーツのかかとで地面を蹴った。。稜がさっと地面にひざをつく。そこにはマンホールがあった。おもむろに、それに手をかけ、蓋を開けた。朔のぼんやりとし、定まっていなかった焦点がマンホールにそそがれる。そしてまた、朔の常識が壊され、絶句していた。思わなかったのだろう。まさか、マンホールの下が下水道ではなく、シェルターになっているなど、とは。戸惑う朔をシェルターの入り口の前に導く。ここなら、安全なのだ。このシェルターは耐久性にすぐれ、耐火、耐水などあらゆる工夫がしてある。酸欠の心配も一ヶ月はないし、食料もある。だから、大丈夫なのだ。心配いらないのだ。そう言い聞かせ、優奈は朔をシェルターに向かい、朔の背を押した。落下していく朔を見つめながら、優奈は声に出さずつぶやいた。(バイバイ……朔なら、きっと大丈夫だと…私は、思ってる。願ってる)願うだけなら、願っているだけなら誰にでもできて簡単なことだ。分かっていたが、それしかできない。優奈は、断腸の思いでしっかりと蓋を閉めた。
2005年05月11日
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空耳にしては、いやな音が耳についた。電気ケーブルを水につけたような、バチッと言う音だ。朔は周りを見渡す。だが、目の前にある映画館の入り口しかない。それでもなお近くで、遠くでバチバチと何かがショートする音が聞こえた。一際大きく聞こえたときにはとっさに耳を覆ったほどだ。(聞こえているのは、私だけ?)周りの人は何事もないように、平然としている。何かが、おかしい。今朝の夢を皮切りに、おかしくなっている。それが世の中がなのか、朔の体内だけなのかはまだわからない。だがそれは、まるで何かの予兆のようで。朔は背筋に悪寒が走るのを感じた。(一体、今日で何回目だろう)頭が、おかしくなりそうだ。「朔、行きましょう?」急かすように優奈が背を押す。(そういえば、今日の優奈もおかしくない?)普段は人に物事を急かしたりしないのだ。「ゆう」最後まで、朔は名前を呼ぶことができなかった。足を一歩映画館に踏み入れたときだった。今までで、一番大きな音が朔を襲った。まるで雷が間近に落ちたかのようだった。身をすくませる。だが、身をすくませたのは朔だけではなかった。背を押していていた優奈の手が縋るように力が入れられ、目の前にいる稜もとっさに身構えていた。(これが、聞こえていたのは私だけじゃない?!)この音の正体は何なのだろう。そう二人に問おうとした口は、開くと同時に、固まった。そして酸欠にでも陥ったかのようにぱくぱくと開閉させた。声が、でない。いや、もしかしたらでていたかもしれないが、でていたとしても意味のわからない言葉に違いなかった。朔の頭は真っ白になっていた。世界が、一瞬でその姿を変えたのだ。ざわめいた人々が、一瞬で姿を消したのだ。まるでもともとそこに人が存在していなかったのように。同時に、店内に流れていた音楽が、とまった。静寂が、場を支配する。「な、に…これ……」これは、夢だろうか。夢でなければ、ありえないではないか。まるでテレビを消したかのように、一瞬で目の前の光景がかわるなど。気づけば朔はその場に座り込んでいた。足に力がはいっていられなくなったのもがあるが、それよりも大きな理由は間違いなく、自身をコントロールすることさえ、忘れていたのだ。息をしていたことでさえ、今の朔自身にとってはよくしていたものだ、と感心したぐらいだ。茫然自失。今の朔はまさしくその態だった。朔を正気に戻したのは、また一際大きな音だった。遠方で、爆発音がしたのだ。まるで映画のワンシーンでしか聞いたことのないような、大量の火薬がいっせいに爆発する音だった。ビクリと、思わず身を強張らせた。「な、何?」つぶやいたと同時に手に暖かなぬくもりを感じる。驚き顔を上げると、そこには見たこともないような厳しい顔をしている友人達がいた。混乱に、拍車がかかる。一言二言、二人は会話をすると、優奈がおもむろに朔の手を引く。そして有無を言わせず、外に朔を引きずっていった。「ゆ、」朔はまた、名前を呼ぶことができなかった。優奈がおもむろに電柱柱にささっているねじのようなものを押したのだ。と、同時に柱の側面がばね仕掛けのおもちゃのようにパーンと開く。そこに入っていたのは、剣だった。まるでファンタジーの挿絵のような西洋風の剣だった。そのほかにも爆弾らしきものや、斧、槍が。あと朔には名前もわからないような武器が詰まっていたのだ。朔は驚愕に、声もない。優奈は無造作に一本の剣を選び取ると、鞘からぬく。ギラリとひかる白刃の刃は本物だと一目でわかった。ありえない光景にクラクラと眩暈を感じたときだった。後ろから破壊音がしたのは。ぎくしゃくと朔が肩越しに後ろを振り返った。稜が郵便ポストを、手にしたサーベルで両断したのだ。その中から、たぶん、防具だろう。籠手らしきもの、使い道のわからないものなのが詰まっていた。(思考回路が、まひ、しそうだ)あまりに現実離れした光景に、朔はただ、呆然と見ているしかなかった。
2005年05月10日
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朔が違和感を感じたのは、映画のチケットを買ったあとだった。不意に視界が、揺れたのだ。地震ではない。まるでテレビの画面上が波立ったかのようだった。一瞬、景色がマーブル状になったのだ。ぞくりと背中が粟立つ。慌てて、目をこする。そしてじっと周りを見つめると、まるで何事もなかったかのように平常の景色が視界に写った。朔は首をかしげた。日射病、とも考えたが、それは気候からしてありえない。(見間、違い?)だが、見間違いで何故背筋に氷の一欠けらをいれられた感がするのだろう。見てはいけないものを、見てしまった。朔はわけも分からずそう、思った。「朔、どうかしたの?」「………あ、うん。気分が一瞬、悪くなっただけ」「寝不足じゃないか?」心配をしてくれる友達達に、大丈夫、と笑いかける。二人は、何も、感じなかっただろうか。ふと、何故かそう思った。変に思われる覚悟で、恐る恐るたずねる。「今、おかしくなかった?」「…………おかしいな。現在進行形で」まさか肯定してもらえるとは思わなかったので、朔は稜を驚きの視線で見つめた。「嘘!どこが!」「………おかしいだろ、おまえが」「は?」数度、軽く瞬きをして稜を見ていると、呆れたような溜息を出された。「今朝から、お前、変。おかしいです」「え…あ……うん」そういう答えが返されるとは思わなかったので、つい頷いてしまった。言葉が足りなかったか。そう反省し、なおも聞こうとすると、稜に頭を小突かれる。「ほら、いくぞ」「…あ?」「……どこに、とは聞くなよ?」「え、映画に、でしょう」「あたり」そういって首根っこをつかんで引きづられた。のどを圧迫され、あわてて館内に向かって足を動かした。だから、朔は気づけなかった。後ろにいた優奈の様子に。朔が質問したとき一瞬だが、身を強張らせたのも。煙に巻かれて、その話題が終わったとき安堵の息をついたのも。
2005年05月10日
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穏やかな春の日差しがアスファルトを照らしていた。人がまばらにしかいないのは、休日としては珍しかった。だがそのおかげで朔は探し人をあっさりと見つけることができた。小走りに駆け寄り、挨拶を交わす。「稜は?」「いつも通り時間ぎりぎりでしょうね」碓氷優奈〈うすい ゆうな〉はやわらかく、優しい笑みを浮かべていた。今日は亜麻色の長い髪を二つに分け、ゆったりとみつあみにしていた。それは優奈の穏やかな容貌と、雰囲気、そして服装にぴったりだった。今日の服装は白いかわいらしいシャツに、ベージュのベスト、赤系統の色を組み合わせたチェックのロングスカートだった。琥珀の瞳を細め、ほら、と笑った。「今日も、ぴったりね」「はよ」声のほうに向くと、天野稜〈あまの りょう〉がたっていた。女の子には、とても短い赤茶の髪が春風に揺られていた。ズボン、シャツ、靴さえも、全身をメンズの服で包んでいる稜は、中性的に見えた。ふいに、髪と同じ赤茶の瞳が瞬く。「どうか、したのか?」女性としては低い声が朔に問い掛けた。稜の声は低い。だが、それは意識してのものだと朔は知っていた。理由まではしらなかったが。髪、服、声の高低、そして態度までも。無理にそうしようとしているのが見て取れるのだ。窮屈さと妙なもどかしさが感じ取れるのだ。何故、と問えば稜は何を言っているんだ、と取り合ってくれない。黙っている朔を不信に思ったのか、稜が再び問い掛けてくる。「朔。やっぱ、どうかしたのか?」「夢見が、悪かっただけ」きちんと笑顔が作れただろうか。朔は、自身の演技力のなさは身にしみて分かっていた。はっきりいって、二人がそう、といって納得してくれたときには良かった、という安堵感と妙な達成感があったほどだ。「ねぇ、朔って今、何歳だっけ?」「?」朔は首をかしげた。才女として名高い優奈の質問とは思えなかった。疑問に首を傾げつつも、短くも的確な答えを返す。「優奈と同じ。15」「そうよね」「どうしたの?」「なんでもない。花の16まであと少し。一歩大人の仲間入りの18まではまだまだ、なんてね」「18って。いますぐ18になったら、高校入学したばっかりなのにすぐ卒業?」「そう、よね。18まであと少なくても2年はあるものね」「優奈?」優奈の様子が、おかしい。気遣うように名前を呼べば、なんでもないよ、と微笑んでくれた。なんでもなく、ない。朔はその言葉を飲み込んだ。稜が、問うな。そう優奈の後ろから視線だけでそういってきたのだ。朔が戸惑って黙っている隙に、優奈に手を引かれた。「そろそろ時間ね。行きましょう」「う、うん」うやむやにされた、と思ったが、優奈に問いただすわけにもいかず、朔はおとなしく映画館に足を進めた。
2005年05月09日
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ギィ、と長年雨風にさらされ錆びてきた門の音が遠くで聞こえた。風が木々を揺らす音だけが居間を支配する。朔が、出かけた。たったそれだけのことで部屋の空気が一変した。穏やかで、ありふれた暖かな雰囲気は一瞬で、無機質なものとなったのだ。崇はコーヒーのカップを静かに傾けながら目の前に礼をとっている二人を冷めた目で見つめる。その二人は、朔が父と母と呼ぶもの達だった。「よろしいのですか?」何の感情もこもっていない声が、静かに崇に問う。崇は興味なさそうに先を促した。「予定より、あまり身体の発育がよくありません」「誤差は?」淡々としたやりとりは続く。「身長も計画より数cm低いですし、何より体つきが予定より幼すぎます」崇は渡された資料を眺めた。確かに、予定より誤差が目立つ。だがこれぐらいは予定調和内だ。こんなことを一々気にして、一体どうするというのだろう。「促進剤でも使用しますか?」真顔で進言され、眉がはねた。愚かしい、限りだ。崇はコーヒーカップを再び傾けた。隠された口元には嘲笑があった。彼らは、不安なのだ。予定通りではないのが気に食わないのだ。予定通りではないのが怖いのだ。些細なずれを気にして、本筋を見失っている。そして簡単で確実な手段に頼りたがる。「必要ない」「…………何故ですか?」崇は今度は隠さず嘲笑した。この者達に説明するのに時間を割くのすらおしい。これでこの件は終わりだ、と告げると押し隠していたが不満気な顔をしていた。だが、気を持ち直したのか意気込んでまた、口を開いた。「以前から疑問に思っていたことが」「何ですか?」内心うんざりしながら、崇は冷え冷えとした視線で問うた相手を射抜いた。視線にさらされた父、と呼ばれている男性はしどろもどろに発言する。「何故、健康にここまで気をつかうのですか?計画からすれば弱らせたほうが好都合なのでは?」横で母、と呼ばれている女性も賛同の意を示す。崇の口からは自然と溜息がでていた。ここ数年で散々この者たちが愚かで、馬鹿だとは思っていたがここまでだったとは。計画に些細な失敗があったとすれば間違いなくこの二人の人選だ。一体誰が選んだのだろう。ここまでの愚か者を採用するとは、計画を壊すのが目的ではないかとかんぐってしまう。目の前で薬の名前を列挙している姿に頭痛すら感じた。口に出す一言一言が、頭の中で機関銃の弾となり、盛大な音を立てて乱発している。いっそこの場で始末してしまおうか。替えはいくらでもいる。そこまで思い至って、崇は頭を左右に振った。さすがに、それはまずい。(バカというのは回りに感染するものなのか?)自分の思考回路が短絡的なことを導き出したのが信じがたく、そんなことすら思ってしまった。あと、数年の辛抱だ。そう自身に言い聞かせ、表面上は何でもないように答えた。「心配には、およびません」「は?」間の抜けた声に苛立ちが募る。「あれは、何もしなくても計画通り壊れますから」「で、ですが……」まだ何か言いたそうな二人に滑稽さより哀れさが際立つのを感じた。ここまで、愚かか。「……それは、あの娘を縛る因果の鎖によって、ですか?」「あれを縛るのは鎖ではないですよ」「は?」「鎖ではなく鋼線。少しでも身動きすればあれ自身が傷つく。仮にそれから解放されても落ちるだけですよ」深い、深い、底のない漆黒の闇に。あれは今、暗闇に落ちていないのは鋼線につるされているからだ。操り人形のように、全身を拘束され、吊るされている。それでかろうじてもし、呪縛から解放されたなら。底のない闇に落ちるだけだ。その先は自我の崩壊しかない。解放されなくてもいずれ鋼線により肢体は傷つき壊れていく。じっとしていれば傷も浅く、壊れずにすむかもしれない。だが、あれは間違いなく鋼線にあがかずには、いられない。いられなくなる。あがき、傷つき、そして壊れる。結末は変わらない。視界に狸に化かされたような顔をしている二人が写り、こめかみをおさえた。あと、数年の辛抱だ。もう一度言い聞かすように崇は心で唱えた。(いっそこの際、この茶番がさっさと終わればいいのに)はっと気づき、崇は自分で思った冗談に、舌打ちした。
2005年05月09日
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朔は階段を転げ落ちたような音を立てつつキッチンに走りこんだ。机にはすでにトースト、目玉焼き、スープ、サラダがランチョンマットの上に置かれていた。オレンジジュースの入ったコップを持った母が苦笑していた。座ると同時に食べようとした朔を父がたしなめる。「だって、遅れるわけには」ここで食べずにいこう、という選択肢がないのは、別に朔が食い意地を張っているわけではなく、教育方針の賜物だった。『朝食はきちんと食べる』『食べ物を粗末にしない』律儀に守っている朔には、早く食べて走っていく、という選択肢しかないのだ。「何に、遅れるの?」心底不思議そうな問いかけに、朔は眉を寄せる。「何って…約束に」「十時じゃなかった?」「だからあと」三十分もない、と言う言葉を朔はスープとともに飲み込んだ。その隙におっとりとした声が爆弾を投下した。「あと二時間もあるじゃない」「……え?」キッチンのテーブルのどの位置からも見えるよう設置された時計は確かにたったいま八時を示していた。ぽかんと朔はあっけに取らた。恨みがましい視線を居間で優雅にくつろいでいる兄にむける。「目が、しっかり覚めたでしょう?」そういう問題ではない気がする。「さっきまでの寝ぼけ眼が嘘のようですね」朔は、そこではたと気づく。やられた。朔は苦笑した。確かにしっかりと目が覚めた。さっきまでの夢を忘れていたぐらいに。兄に感謝したが、どうも素直に言えない。本当に遅れたらどうしよう、と慌てたのだから。視線を食事に移し、食べるのを再開する。「ありがとう」小さな声になってしまった感謝の言葉。だが、あの抜け目のない兄だ。聞いているに違いない、と朔は確信していた。照れ隠しのようにもくもくと食べ始める。ちらりと姿を盗み見ると、さきほど変わらず本を読んでいたが、口元にはおかしくてたまらない、といわんばかりの小さな微笑が見て取れた。八代敬〈ヤシロ タカシ〉。朔の自慢の兄だ。淡い茶色の柔らかな髪、琥珀の瞳、日本人にしては長身の部類に入る。平凡な日本人顔の朔と並び、他人に紹介されるとまず、兄妹と言うと驚かれるほどどこか日本人離れしてる。父も、母もだ。だから朔は昔から言われていた。「養女ではないか」、と。だいたい八代朔〈ヤシロ サク〉という語呂も微妙だ。だが、朔は大して気にしていなかった。少しも気にしていなかったといえば嘘になる。物心ついたころにはすでに丁寧な言葉遣いだった兄に、実は一線引かれてるのではと思ったことも会った。もっとも杞憂に過ぎなかったが。兄は両親にもこの言葉遣いで、これがこの人のしゃべり方なんだ、と理解するのに大して時間はかからなかった。というような小さなすれ違いや、疑心暗鬼なところも今ではもうない。例え朔が本当に養女で、生みの親が出てきたところで家族は、八代の人々だと即答できる自信があった。「ごちそうさまでした」食器を流しに返し、朔は居間のソファーに座った。時間にまだ、余裕がある。かばんから櫛を出し、腰にかかるほどの長い髪を後ろで一つにくくり、バレッタで結いあげる。結い上げつつ、あと一時間はある、と確認するとソファーに寝そべった。「そういえば、今日は兄さん、大学のサークルの人たちと約束してなかった?」「夕方からですよ。朔、行儀の悪い」軽く頭を叩かれても朔は日向ぼっこをする猫のように寝そべりつづけた。今日の朔の格好は薄手の黒いパーカーにジーンズをはいていた。なのでソファーで格好を気にせずに、約束に間に合う時間までくつろいだ。「いってきます」「いってらっしゃい」にこりと笑い、玄関の扉を開けた。もっとスリルが欲しい。マンが見たいな波乱万丈な人生や冒険をしてみたい。休み時間にこう言ったクラスメイトがいた。だが朔には理解できなかった。何を好き好んで危険を求めるのだろう、と。朔は、「いってきます」と言えば「いってらっしゃい」と言ってくれる。そんな日常をこよなく愛していた。
2005年05月06日
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朔は瞼をそっと開けた。見慣れたベージュの天井を見えげ、そっと息を吐く。『じゃあ、アナタは誰?』軽やかな声が頭の中で木霊する。『私は八代朔』木霊が聞こえるたびにそう繰り返す。ようやく声が聞こえなくなり、のろのろと身体を起こす。視線を横に流せば、寝起きでぼさぼさな黒い髪が見えて、やっと安堵の息をつけた。淡い緑色のシーツを見て、ここが自分の部屋だと確信して肩の力を抜いた。恐る恐る両手で顔をぺたぺたとくまなく触る。今は、鏡を見る勇気がないのだ。「………私の、顔だよね?」「朔?」名前を呼ばれ視線を上げると、琥珀色の瞳と視線が合った。怪訝そうな表情に朔は苦笑するしかなかった。「なんでもないよ」信じてくれたかは分からなかったが、優しく頭を撫でられる。朔はゆっくりと冷えて固まっていた体が解けていくような感覚を覚えた。「おはよう、兄さん」「おはようございます」優しげな風貌と一致するやわらかい声。あの暗闇で届いた声だった。「起こしてくれて、ありがとう」朔は生まれてから、これほど心から夢から呼び起こしてくれたことに感謝するのは初めてな気がした。「悪夢でも、見ましたか?」「え?」「眉間にしわを寄せて寝てましたよ」柔らかな笑顔をうかべつつ、眉間のあたりをぐりぐりと押された。妙にそれはくすぐったく、朔は笑いながら軽く払った。それにしても。朔は何と答えようか、迷った。あれは、悪夢なのだろうか?夢で違う姿になる、というのはよくあることではないか。それが怪獣や化け物ならいざしらず、美しい姿ならありえない話ではない。朔は普通すぎる容貌に特にコンプレックスをもった覚えはなかった。が、どこかであの姿を理想と思っていたのなら。白い肌、銀の髪、整った顔立ち。街中を歩くと必ず注目を集める、と断言できるほど綺麗だった。だが、思い出すだけで背筋に悪寒が走る。何故、あれほどの恐怖を感じたのか朔自身、分からなかった。自分はあれを夢と分かっていた筈だ。分かっていたのに、どうしようもない不安に襲われたのだ。何故なんだろう。ぐるぐると思考の渦に飲み込まれかけた朔を引き上げたのは頬の痛みだった。「さ、く」にっこりと笑っている兄が、頬をつかみ横に広げていた。笑顔に威圧感を感じ、朔は黙って兄を見上げた。「人の話を聞いてますか?」兄はいつも丁寧な口調を使う。だが、その口調が、今は怖い。嘘や誤魔化しは聞かないと判断した朔は、恐る恐る首を横にふる。ますます笑顔を深めた兄は視線である方向を向くように促した。朔は素直にそれに従い、固まった。午前九時三十分。休日でよかったと、安心などできなかった。学校に遅刻して、先生に怒られるより怖いモノがまっているのだ。「今日は、優奈さんと稜さんと約束があると聞きましたが」言われるまでもない。朔は慌ててベットから跳ね降りた。バタバタとクローゼットに駆け寄る。「朝食はできてますから」朔に拒否権はなかった。
2005年05月06日
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序章がようやく終わり、これから話が進んでいきます。主人公はこれから成長させていくつもりです。主人公は普通の子です。朝起きて、学校に行って、友達と遊んで、宿題をして、寝る。そんな毎日を送ってきた子です。だから平凡だった日常がいっきに壊れ、崩れていくのになかなかついていけません。しばらくは主人公が情けない、と思ったり、いらついたりするかもしれません。見捨てないでやってくださると嬉しいです。少しずつ少しずつ、それはもう亀のような速度で進みます。(断言)暇な時にでも、時間つぶしに読んでいただければ、と。目標は最低2,3日に一回は更新。(と、いいつつ今週の土日、更新できませんが)稚拙な文章ですが、よろしくおねがいします
2005年05月06日
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波立っていた鏡面が少しずつおさまっていく。それにつれて、また鏡としての役割が復活していった。そこには二人の人影が写っていた。「………………え?」それは驚愕と言うには掠れ、震えた声だった。まるで寒さで凍えているようにカタカタと少女の身体が震えた。恐る恐る手を頬に添える。鏡に写る女性以外の人影も真似るように動く。「何でッ?」アレハ、ワタシジャナイノニ。鏡に写るのは、少女ではなかった。自分は平凡だと思っていた。人より長い髪ぐらいしか変わらないと思っていた。だが鏡に写るのは、黒い髪でも、低い鼻でも、黄色人種の肌でもなかった。どう見ても日本人には見えない人が写っていた。白色人種のなかでもさらに白いだろう肌。月色の髪。彫の深い顔だち。これでは、まるで。「まるで…………貴女じゃッ」そう、これでは目の前にいる女性を若返らせた姿だ。瞳の色が違うだけだ。背筋にぞっと悪寒が走った。これは、夢だ。少女は呪文のように心の中で言い聞かせる様、くり返し唱えた。女性は青ざめた少女を見てまたクスクスと笑う。嘲笑うのではない。本当にただおかしそうに笑っていた。「だって」鈴がなるように軽やかな声は、今の少女にとって恐怖しか与えない。紅を塗ったような唇が動く。やめてくれ、と叫びたい衝動に少女はかられた。「あなたは、私ですもの」「違うッ!!」咄嗟に叫びは少女の口から飛び出ていた。「じゃあ、アナタは誰?」「…私は………」少女はぐっと唇を噛んだ。ぞくりと身体が震えた。(……………あ、あれ?)何故すぐに答えられないのだろう。頭が真っ白になっていて、自分が誰なのか答えられない。女性が楽し気にこちらを見ているのが混乱に拍車をかけた。少女は混乱が極まって泣きそうになる。震える身体を抱き締めつつ、どうしても視線を下がっていく。「私は…………」掠れた声で必死にどうにか答えようとした時だ。第三者の声が少女の耳に届いた。それは小さく、はっきりと聞き取れなかったが、それは少女にとってよく耳に馴染んだ声だった。ろうそくがそっと灯るように小さな暖かさが心に滲む。「………ッ」少しずつ大きくなっていく声に背をおされるように真直ぐに前を向いた。「私は」答えを言おうと口を開いた時だった。「朔ッ!!」はっきりと耳に届いた声。それと同時に視界が真っ白になった。
2005年05月05日
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目に見えぬ壁が崩れ切るのにそう時間はかからなかった。静寂に促されるように少女はそっと面をあげた。そこは暗闇ではなかった。壊れた壁の破片が銀の欠片のように輝き、星の海にいるようだった。その美しさに少女は魅了された。しばらく放心したように眺めていたが、はっと気付き辺りを見渡した。探していた女性は悠然と立っていた。「だ、大丈夫…ですか?」少女の問いに女性はきょとんとしたかと思うと、クスクスと笑い出した。笑われるとは思わなかったので、さすがにかちんと頭にくる。眉間にしわを寄せたのに気付いていないかの様に女性はクスクスと笑い続けながらも少女に近付き、白い手を小さな手に重ねた。その手の冷たさに、文句は少女の咽の奥で解けて消えていった。手を引かれるままについていく。力は強くなく、振りほどこうと思えば簡単にできる。だが、少女はできなかった。そっと重ねられ、握られただけの手は有無を言わせない何かがあった。「…あ………」踏み込んだことのない暗闇の先には一枚の鏡があった。金のこった細工の額縁のついた全身の写る大きな鏡だった。そこには女性の姿しか写っていない。自分はここにいるのに……。幽霊になったようだ。少女の中の燻っていた不安がじわじわと大きくなり侵食していく。思わず繋がれていない方の手で自身を確認するかの様に、きつく自身の身体を抱き締めた。その確かな感触と、繋がれた手の冷たさに少女は安堵した。自分はここにいるのだ。そしてふっと思った。鏡にすら写らない自分を、なぜこの女性は認識できたのだろう。視線を合わせ、笑いかけ、手を繋ぐことができたのだろう。問おうと口を開こうとしたと同時にヒヤリとした感触が遠ざかった。思わず離された手が、追い掛ける。まるで迷子の幼子がずっと握っていてくれた母親の手を探すようにさまよった。それに気付き手を引き戻す。女性はそんな少女ににこりと笑い、少女の数歩先にある鏡の前にたった。白い手がそっと鏡面に触れた。触れたところから波状に鏡面が波立った。静かな水面に小石を投げ入れたかのように。少女は不思議な光景をただ見ているしかなかった。
2005年05月05日
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一人の女性がこちらを見ていた。病的なまでに白い肌、月の光を集めてできた銀色の髪が目に飛び込んできた。視線があうと幼さの抜けた整った顔だちが笑みこぼれた。細められた藍色の瞳に少女は呆然と見入っていた。「………何で?」ありえない。少女は視線を落とした。視線の先はただ闇が広がっていた。少女の体はどこも瞳には映らなかった。漆黒の闇は少女すらも包み覆い隠しているのだ。だが目の前の女性は自身で発光してるかのようにハッキリと瞳に映る。いつも同じ夢を見ていた。メビウスの輪のように永遠の続くのか、と思う程に。白刃の光に貫かれた時からおかしいと思っていが、どうやらメビウスの輪は断ち切られたようだ。少女の胸に、ほっ、と安堵する気持ちと得体の知れない不安が過る。(………?。な、んで、不安なんかに…)いいかげんにしてくれ、とさえ思っていた夢の終わりだ。喜ぶべきことだ。だが女性を見ていると、少女は言い様のない不安に襲われる。ぎこちなく、ただ女性を見つめるしかできない。少女の戸惑いに気付いていないかのように女性が華が咲き誇るかの様に微笑んだ。膝丈のノースリーブの純白のワンピースがひらりと舞わせつつ距離を縮める。見えない壁の前に立ち、手のひらを添わせる。その手の白さに吸い寄せられるかのようにふらふらと少女も手を壁に添わせた。「----っ?!」少女の声にならない悲鳴が咽で空回りする。(壊れるっ!!)手のひらに亀裂を感じたのだ。とっさに手を離すとガラスを落とし割った音が耳に叩き付けれた。びくりと実を震わせ、思わず耳を両手で守り、しゃがみこんだ。粉々になった細かい破片が少女に降り注ぐ。透明な雪が止むまで少女はひたすら身を小さくするしかなかった。
2005年05月04日
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白く強烈な光が視界を覆った。とっさに瞼を閉じるがそれでも眩しさが感じられ、思わず腕を目の前に組んだ。しばらくそうしていたが、あたりの静寂さに不信に思い、腕の隙間からそっと辺りをのぞいた。小さな隙間から見えたのは、先ほどとは打って変わって漆黒の闇だった。ただ暗く、重い空間だった。少女は軽く溜息をついて歩き出す。前後左右、上下すらあるのか判らない空間を戸惑うことなく歩き続けた。可笑しなほど落ち着いている自分自身に少女は苦笑する。「慣れたなぁ、さすがに」少女には判っていた。これが夢だということが。白刃の光、は初めてだったがこの漆黒の闇はもう何度見たことか。「そろそろ」少女が呟いき、片手を前に出し空を彷徨わせた。ひやりとした感触が手のひらに伝わった。いつも暗闇の先に見えないガラスのような壁がある。大きいなんてものではない。四方八方どこにいっても必ずつきあたるのだ。まるでガラスのケースにいれられた気分だ。一度壊してしまおうか、と思ったことがあるがそれは無意味だった。防犯ガラスのように硬い透明な壁を素手で壊すのは幾度目かの挑戦で不可能だ、と認め諦めるしかなかった。さて、どうするか。そう考えているうちに、いつも夢が終わるのだ。夢は自分の願望を表す鏡だ。そう聞いたことがあった。だが自己願望といわれても少女は何故自分がこんな夢を見ているのか皆目見当もつかない。肩をすくめ、座った。このままもう少ししたら夢は終わる。いっそ夢のなかでも寝てしまおうか、と考えたときだ。視線を感じたのは。ふ、と視線をあげ少女は驚愕に目を見開いた。
2005年05月03日
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