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1
之推は走り去る後ろ姿を見つめながら、やれやれと言わんばかりに肩を竦めた。玲鈴が去ってしまい、元から人気がなかった場所が、花-蕾であろうと咲いてなかろうと花は花だ-がないせいで更に殺風景で、味気のないものとなってしまったのと、玲鈴の弱さと脆さをまじまじと見せられてしまったせいだ。之推はため息をつかなかったことが、自分自身不思議なほどである。 玲鈴は淡い紅色のいつか大輪の華になるであろう蕾のはずだ。これは之推の推測でしかないが、あながち勘違いではない。“あの”胡家の女主の妹だという事実や之推自身が有する観察眼の裏打ちがあるのだ。(だが、まだまだ蕾は固く、咲くには時が必要かな?) 之推は目を伏せ、瞼の裏に先ほどの玲鈴の顔を思い出した。蒼白な顔に揺れる眼とわななく唇が飾られ、哀れなほど傷ついていた。 玲鈴はまだまだ視野が狭く、己の見て知っている世界が全てだ。だから玲鈴の力量では真実、いや事実を知ることすら難しい。“守人”と言う名の強い偏見に惑わされてしまう。 だが本来、性根は心優しい、良くも悪くも“普通”の女の子である。そんな彼女は、緋深により強制的に偏見の膜をはぎ取られ見せられた朔夜の姿を見てしまった。貴族特有の過剰なほどの傲慢さも、歪んだ視野も持っていない玲鈴は、畏怖、いや恐怖の対象である守人ではなく、本来の弱々しく小さな朔夜の姿を認識してしまった。一度認識してしまえば、自分勝手に歪めることもできない真っ直ぐさを持ち合わせている玲鈴ならば、もう朔夜を以前のように扱うことはないだろう。(これを機に成長すれば良い、んだけどね) 之推のただの期待にしかすぎない。だが、之推は今後の玲鈴の行動次第により、玲鈴の力量の限界を見極めようと思っている。(もしも、期待をはるかに下回る結果にしかならないのであれば……) 之推はそのまま思考の海に浸ろうとしていると、正面から強い視線を感じ、面を上げた。緋深である。こちらを半眼になり、睨み付けていた。「早く、お前もいなくなれ」 そう言わんばかりの、明け透けすぎる敵意の視線に之推は思わず笑いが零れそうになる。なんと必死で、がむしゃらで、たどたどしいものなのか。純粋な朔夜への好意から生まれたであろう敵意は、あまりに幼くて、綺麗で、脆くて、之推からすれば微笑ましいものでしかない。 緋深がもしも之推の内心を知ることができるならば、怒りを覚えたかもしれない。之推と緋深は10歳、いや5歳も歳が離れていないというのに、子供扱いをされているのだから。 その姿がありありと想像できた之推は、賢明にもそれを隠すため-時間が惜しいのと、夜が遅いからか眠く、少しめんどくさいと感じたからだ-、気を逸らすためにも緋深に言葉をかけた。笑いを堪えているせいで目を細め、笑みを浮かべていることになったが。「か弱い女性に対して、あまりにも酷いんじゃないのか?あれは」 之推の言葉に対し、緋深は鼻で笑った。「思ってもねぇこと、言うな」 その不貞不貞しい態度に可愛げがないな、と思いつつも余裕の笑みを之推は返してやった。もちろん、緋深が嫌がることを承知、というよりも分かり切っての行動だ。 案の定、緋深は眉を顰め、瞳の奥に怒りの色を見せた。 之推は緋深の行動に満足し、緋深の咎める視線を無視し、悠々と朔夜の方に歩み始める。廊下から扉をくぐり部屋に入り、扉と朔夜の眠っている褥を直線で結んだ中心のあたりで、一度歩みを止めた。 朔夜に配慮しての為ではない。緋深に対する『当てつけ』だ。 之推は朔夜が目を覚まさないと知っている。之推は朔夜の中に踏みはいることを緋深よりも先に許されているのだ。 緋深もそれを知っているから何も言わず、苦虫を噛みつぶした様な顔をしている。「へぇ、俺は近寄ってもいいんだ?」 からかう様な声音のせいか、言い返せないせいか、思い切り睥睨してくる緋深に、之推は忍び笑いが漏れる。自身があまり大人げないというよりも、意地の悪いことをしている自覚があり少々緋深に悪いとも思うが、それでも笑いは収まらない。(ガキだな、まだまだ…) 之推は緋深よりも先に出会っているが、今では緋深の方が距離を縮めているくせに嫉妬するとはまだまだ子供だとしか言いようがない。最初は緋深は驚くほど大人で冷徹な態度をとる少年だと思っていたが、近頃は子供っぽい一面をこうやって覗かせる。いや、だんだんと年相応の反応を見せるようになってきているのだ。それが面白くて、之推はついその、緋深のまだまだ柔らかく綺麗な部分を突っついてしまうのだ。(さすがは儚月の姫君……かな) 手負いの獣、しかも将来は獰猛な狼、もしくは虎に化けそうなものを手なずけてしまうとは、見事なお手並みとしか言いようがない。何処をどうやったら能面のような表情だった緋深から感情を引っ張り出し、緋深が幼い頃得ることができなかった幼さなどを与えられたのだろうか。 きっと朔夜は無意識でやってのけた。意図してなどおらず、無意識だからこそ、緋深はかなり振り回されたに違いない。想像するだけでも笑いが止まらないのだ、よほど面白い光景だったのだろう。その現場を見られなかったことが残念なぐらいだ。 くつくつと笑う之推が気に入らないのか、緋深はその笑顔を切り崩すかのように刺々しい声音の言葉を投げつけてきた。「酷い、なんて…微塵も思ってもないくせに」 的を射すぎた意見である。少なくとも之推にとっては『図星』と言えるものだ。 鋭い、と思いつつも表情には出さず、之推は肩を竦めた。緋深の疑問が入り交じった言葉の返事に、分かってないな、とわざと呆れたような響きを含ませれば、緋深は眉を跳ねさせる。「華は、大切に手入れをし、水をあげてこそ、綺麗に咲くものさ」「…かったくせに」「ん?」「止めなかったくせに何、偉そうなこと、言ってるんだよ」 之推は薄っぺらな-そのくせ完全な-笑みを浮かべた。それは緋深の言葉を肯定したも同然のものであった。 そう、之推は止めようと思えば、止められたのだ。それが一言すらも口を挟まず緋深の好きなようにさせたのは、まったく止める気はなかったからだ。「ただ綺麗な華になってほしいなら、止めていたな」「どういう意味だ」 之推の言葉に、緋深は疑惑と薄い嫌悪にも似た感情がくみ取れる声音で疑問をぶつけた。之推はあっさりと緋深の疑問に答える。「“綺麗”で“強い”華になってもらいたいからね、彼女には」 綺麗なだけの華になどなってもらっては困るのだから、ね。 副音声が聞こえたのか、緋深は怪訝そうな表情で、探るように之推を見つめてくる。副音声を隠したつもりはなかったが、気付くようにした覚えもない。本当に勘の良い、というよりも機敏な少年だと、之推は感心しそうになる。 之推には、之推の思惑がある。そのためにも、早いところ玲鈴には立派に華となってもらい、動いて貰わなければならないのだ。もしも、之推が期待している華となれそうにないならば、早々に見切りを付け、代理案を考え、動かなければならないのだ。 時間はない。刻は限りなく近づいているのだから。 緋深は之推の考えを察するにはあまりにも材料がないはずだ。僅かな困惑を瞳の奥で揺らしているか、之推の発言を色好みからのものと判断し、嫌悪感を露わにしているのだろう。 之推は緋深の反応は、さてどうなのか、と思い視線を合わせて、少し驚いた。之推は自身が驚くことがあまりない-これは之推があまりにも察しがよかったり、落ち着いているからだが-ので、少しへぇ、と妙な感心のような感情を覚え、緋深の意外な反応は何故かと考え出す。 緋深は確かに緋深に好ましい、とは逆の感情を露わにしている。だが、少し嫌悪とは違った。むしろそれは、怒りと表現するほうのがまだ当てはまる、というものだ。 軽く小首を傾げ、何を考えているのかを読みとろうと、紅い瞳の奥底を見つめていると、緋深はぷい、と顔を逸らした。首を横に振ると同時に、吐き捨てるように口にした緋深の言葉に、之推は先ほどよりも強い、ここしばらくありえなかったほど酷く驚くことになった。「“計画”のため、かよ」 之推は驚きを隠すことに成功はした。だが、それは滅多にないことに、自身の感情と反した仮面を被ることに多大な労力が必要となった。(…………空耳では、ないようだな) 之推は決して他人には分からないように、だがしっかりと緋深を睨み据えたのだった。--------更新が遅れましてすみませんでした軽いスランプ、と言うか脳内がゲシュタルト崩壊起こしていた、と言うか忙しかった、と言うか………………言い訳にしかすぎないま、まぁ何であれこれからはもうちょっと、早く更新します……きっと
2006年08月14日
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