2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
全3件 (3件中 1-3件目)
1
音もなく、若い男が目の前に降り立つ。木から飛び立つ音も、雪に降り立つ音もしなかった。空間を渡ってきたかのように、いきなり目の前に現れたのだった。 雪上に、高さのある場所から飛び降りたというのに、粉雪一つ舞っていない。ありえない、と緋深は頭痛のようなものを感じつつも、怪訝そうに目を細めた。 緋深は、若い男を注意深く観察する。 若い男は、どちらかと言えば痩身だった。巫山戯た恰好の、もう一人の男と比べると、であるが。すらりとした、という言葉が似合いそうだ。だが、黒を基調とした、洋装にも似たすっきりとした形の服の下は、引き締められた体だろう。緋深は直感でそう思った。鍛え上げられた体でなければ、あのような動作ができるはずがない。 粉雪一つ舞わさず現れるのは、雪が踏み固められた場所であるならば、可能なのかもしれない。だが高さのある木の上からは、薄闇を纏い始めている空の色で染められた雪の凹凸などわかるはずがない。少なくとも常人、いや緋深でも無理である。地に足がついている今の状態でも、どれだけ目を凝らしても判別が難しいほどだ。雪に馴染みがないからなのかも、しれない。だが雪に慣れているからと言って、可能なものなのだろうか。 訝しげに目を細めていると、若い男は静かに笑った。涼やかな容貌、と言うのだろうか。目を細めるだけの動作であったが、容貌と一致しているからか様になっている。(何なんだよ………) 何故そのように笑われるかわからない緋深は、少々たじろぐ。 ……緋深は、知らなかった。まさかあの女性が、この男に緋深のことを『小さな狼、まだまだ犬のような』のようである、と告げているとは。警戒心を剥き出しに威嚇するように睨み付けたり、からかわれキャンキャン吼えている-実はこの男、しばらく状況を静観していた-姿に、「ああ、言い得て妙だ」と思われているなど。 若い男は、緋深から視線を外し二人に向かい、軽く諫めるような口調で声をかけた。「まあ、それぐらいにしておいたらどうだい?」「涼【リョウ】!」 これが若い男の名前なのだろうか。咎めるように呼ばれ、軽く肩を竦めている。「まあ、彼らにどんな事情があれ、村に連れて行くことはすでに決定されているんだ。その話は後でゆっくりと聞けばいい」「けどなっ」 言い募る少年に、涼は静かな声で、断言した。「氷翠が、決めた。ならばそれが村の決定だ。村は彼らを招き入れる」 少年は舌打ちをしつつも反論はしなかった。(“あまい”のか?) 自身が置かれている立場だと言うのに、客観的にそう思う。緋深は、比較的少年の意見に賛成なのだ。 客観的に見ると、緋深と朔夜は『怪しい』だけではなく『危ない』存在でもある。なのに簡単な誰何だけで招き入れようとする。あまりにも無防備だと、招き入れる立場である緋深でさえ思う。 だがそれは違うのだろう。 もし仮に“何か”があっても、事後処理で充分対応できる、と思われている。緋深は直感的にそう思った。彼らは緋深や朔夜が村で狂乱を巻き起こそうとしても、その場で始末できるだけの力があった。何か不審な行動があれば、村人を傷つけさせる前に、殺せるだけの。緋深からすれば悔しいが、それこそ一矢報いることもできずに、できるであろう。その自信にも似た自負が、無防備にも取れる行動を引き起こしているのかもしれない。 砂を噛んだような苦々しさに眉を顰めている緋深を一瞥した少年は、涼に向かって顔をしかめつつ尋ねた。「というか、涼。なんでてめぇ、こんなとこにいるんだよ」「君こそ」 少年は、黒こげた地面を指さしつつ答えた。「俺は“あいつ”の術が発動したようだから、様子見だ。侵入者かと思ってな。で、お前は?」「氷翠の命令だよ。君と一緒にいる少年を連れてきてくれ、ってね」「おいおい」 君、と指さしながら言われた男が、大げさな動作で“ちょっと待った”と口を挟む。「何でまた?俺がいるってぇのに」「だからじゃないのかい?」 にこやかに、さらりと酷いことを涼は言った。少年もうんうん、と頷き納得している。流れるような動作で自然に涼は人差し指を緋深に向けた。いきなりでつい構えをとりそうになった緋深を見つつ、呆れるように涼は呟きのような声を漏らす。「酷い凍傷を負っていると言うのに…いつまでもここで、遊んでいちゃ駄目だろう?まぁ、氷翠はそこまで見通していたようだから、僕を派遣したんだろうけど」(大正解。良い判断。ありがとう) 緋深は嬉しいような、悲しいような気分で、女性に感謝の意を取りあえず心中で捧げた。女性-きっと翡翠と言う-の洞察眼は、素晴らしいものである。だが、そこまでわかっているなら、できれば男と置き去りにしては欲しくなかった、とも思ってしまうのは、我が儘なのであろうか。「で、獅吼【しこう】。彼の名は?」「あ?」「“君”や“彼”、では呼びづらいし、分かり難いだろう?」 涼に尋ねられた男は、数拍反復し、-にやついた-笑みを消さずに緋深に尋ねた。「そう言やぁ、知らねぇな。で、お前、名前は?」 緋深は半眼で男を見た。涼と少年も呆れたような仕草で男を見ている。 お互い様ではあろう。聞く暇がなかったと言えばそうでもある。だが、あまりに初歩的なことを忘れていたと言わざるえない、というもの事実だ。 男以外のこの場にいる人間の気持ちを代弁するように、涼はため息混じりの声で尋ねた。「何をしていたんだい、君は?名も聞かないなんて…」「『はじめまして、獅吼だ。どうぞ、よろしくな。それで、君の名前はなんて言うんだい?』ってか?」 戯けたように、大根役者のような演じ方で男が言った言葉に、緋深はぞわりと悪寒を感じた。獅吼、と言うらしい男と-嬉しくないが-出会って、まだ数刻も経っていない。だがあまりにも似合わないことで、気色悪いことだというのは、分かった。良かった。そんなことをやられずに。緋深は心底思う。 悪寒を感じたのは、緋深だけではなかったようだ。少年が腕をさすりつつ、顔をしかめつつ獅吼を怒鳴りつける。「獅吼、て、めぇ!…気色悪いこと言うなじゃねぇっ」 じゃあ、どうしろって言うんだ、とからかうように男は言うが、緋深は少年に賛同である。何が悲しくて、刺すように冷たい風に耐えている最中に、悪寒を走らされなければならない。 涼は獅吼や少年を放っておいて話を進めることにしたようだ。五月蠅い外野を無視し、緋深に向き直り声をかけてきた。「涼、と言う。あっちの派手なほうが獅吼で、小さいほうが朱鷺風【トキカゼ】だ」 小さい、と言う単語に反応した朱鷺風の怒鳴り声も何のその、という態度で涼は、君は、と尋ねる。「……俺の名前を聞いても、身元はわれないぜ?」 涼が柳眉を動かしたその一瞬を、緋深は見逃さない。身体に染みついた習性のようなものが見逃すことはなかった。 生意気な子供、と思っているのか、図星を当てたのかまでは判断できない。それほどのほんの些細な動作であった。 だが緋深は警戒をしての言動ではないので 本当に身元などないのだ。ならば素直に返答すればいいが、それはそれだ。侮られないため、などの理由もある。だが一番は勿体ぶりたい、とも思うのだ。緋深は、自分の名に絶対の魅力を感じているのだ。今のところ“一番の宝”と言っても過言ではないそれを、見せびらかしたい気持ちが抑えられない。「……緋深、だ。深い緋色で、緋深」 笑みを湛えつつ、どこか喜色を混じらせた緋深に、好奇が混じった怪訝気な視線が向けられた。「そりゃまた……“分かり易い”な」「そうだな」 獅吼の言葉だが、緋深はこの時だけは不快感を感じなかった。生理的反発を上回るほどの想いがあるのだ。にっ、と余裕な笑みを向けた。「“あいつ”が、言ったんだ。深紅じゃなくて、優しい緋色だって、な。嫌いな“血の色”じゃなくて、好きな“紅葉のような色”に見えるから、だってさ」 あの白く細い指先が、一度だけ頬に触れた瞬間を緋深は思い出す。半ば騙され酒を摂取したからか、真っ直ぐに視線を合わせつつ、ぼんやりと惚けたように呟いた朔夜の声を聞いた、あの初めて得た歓喜の瞬間を。『コキアケ色、をご存じですか?深いに緋色の緋。そう書いて深緋【コキアケ】色と読みます。茜の下染めに紫根を上掛けした、紫みの暗い赤を。緋の色甚だ深くして黒くなりたることを。それが深緋色ですわ。猩々緋【ショウジョウヒ】色のような、血に似た色である雰囲気を纏う貴方が、朔夜と関わることで変わることを願い、貴方を緋深【ヒシン】、とこれから私たちはお呼びいたします。深緋のように黒くなりうるのではなく、白くなりうるように、深緋を逆に書いて、緋深、と』 穏やかで優しい音色で、稟とした芯を覆い隠している女性が、朔夜の言葉を用いて付けられたのが、緋深の名であった。「単純でも、何でもいい。けど、この名は俺の誇りだ。汚すことや、貶めることはぜってぇ、許さない」 誇らしげに笑う緋深に、様々な意味合いが含まれた視線が送られるが、全てあえて無視をした。(……会いたいな) 早く、速く、朔夜に会いたい。先ほど離れたばかりなのに、心だけが急く。雪にまみれ震え、凍え弱っているている姿ではなく、日溜まりの下で戸惑いながらも微笑む、あの姿に。 想いに浸っているこの最中だけは、凍傷の辛さも何もかも、忘れられるような気がした。
2006年12月30日
コメント(2)
「お前、村の者じゃないな。誰だよ」 少年は緋深を真っ直ぐな視線で捕らえる。射抜くように強いが、そこに守人の血が混じっている緋深への侮蔑や恐怖はない。 ただ、最後の誰何は緋深にではなく、男に向かってのようだ。少年の視線を受け、男は戯けたように肩を竦めている。「先生の“悪い癖”の産物だな。野良猫みたいで、可愛いだろう?」「また拾ったのかよ……信じられねぇな」 再び突き刺さる少年の視線に、微量の殺気を緋深は感じ取った。警戒をされているのだ。 木から滑り落ちるように滑らかに動き、軽やかに着地をした少年の身のこなしを、緋深は思い出す。着地した際も、すぐさま次の動作に移れることが前提された、完璧な動きだった。それだけでさえ、この目の前の少年が強いことは簡単に判明できる。そして、微量でさえ、肌が粟立つような殺気に、少年の手に取り付けられた年期の入った手甲が、更に緋深の憶測よりも少年は強者であることを知らせる。 緋深と同じ、体術の使い手のようだ。しかも動きから推測するに、古武術である。緋深の我流とは違った、伝統と、先人達からの技の極意を受け継いでいる、正当な流派がある古武術だ。 緋深はつい反射的に微量な殺気に反応し、少しずつ後ずさりつつ距離を取った。少なくとも相手の攻撃の第一撃を避けられるように。それは生来的よりも、習得的に身に付いた行動だった。 警戒心をむき出しにした緋深の行動に、少年はふん、と鼻で笑い飛ばした。小物だな、と思ったのだろうか。『この程度なら、安心だ』と言わんばかりに緋深から視線を逸らし、男に体ごと向き直る。 莫迦にされている。もしくは取るに足りないと思われ、見下されている。 あまりの態度に緋深は眉を跳ね上げるが、すでに少年は男との会話に専念していた。「あいつも、懲りねぇよな。猫が欲しいなら、本物拾ってこいよ」「いいや。只の猫より、こいつの方がつつくと面白れぇ。つくづく先生は良い拾いものしたぜ?」「そうかぁ?」「ああ、何たってもう一匹の小動物と一緒に置いていると、すげぇいい反応するからな」「小動物?」 所々-なんてものではないが-聞き捨てならない会話である。その最中、呆れ果てたように眉を寄せたり、訝しげに目を細めたりと、少年の表情はころころと変わった。素直に、顔にでる。一瞬、緋深はそう思った。だが、同時に妙な違和感を感じる。 緋深にとって、素直に顔に出る人間、と言えば朔夜である。何一つ言葉にしないくせに、表情で、瞳で雄弁に語りかけてくるのだ。緋深を拒絶する感情も。その奥にある、本人は隠し通せていると思っている緋深への親愛に近い感情も。 朔夜と比べると少年の表情は、どことなくだが不自然な感じがするのだ。少年の表情から感情が読みとれるはずなのに、どうも雲を掴んでいるようだ。目の奥にある、心が読みとれない。 朔夜という特例と比べているからの、違和感なのだろうか。 一見訝しげな少年に、男は喉の奥で笑いながらもったいぶるように間をおいて、答えを口にした。「ああ、あれは間違いなく小動物だ。兎…猫…まあ、そこらへんの、銀色の毛並みをした、ふるふる震えるちっこいやつ、だな」「なっ………銀色、って。守人かよっ!!」 少年は本気で驚いた表情で叫び、ありえない、と何度も呟いた。狼狽しているようにも見えたが、それは一瞬で、少年はすぐさま男に食いかかった。「何考えてんだ、氷翠のやつ。しかも今回は、寄りによって守人と、守人擬きだって?何で、止めなかった!」「しょうがねぇだろ?…手負いの迷い子だ。先生は放っておける性格じゃねぇだろ」「だぁああっ!!どんな状況でも、五月蠅いだろうが、“あいつら”はっ!」 肩を竦める男に苛立ちをぶつけるように叫びつつ、新雪を踏みにじるように地団駄を踏む。忌々しい、という感情をむき出しにして、だ。(……これは、心からの感情、なんだろうな…) ぼんやりと、だが冷静に思った。どこに、どう口を挟めばいいのかわからず、ただ傍観者に徹するしかないのだ。緋深は木にでももたれ掛かりたいな、と思いつつも、立ち竦むように微動だりしない。動くことで体力の消耗をしたくないからだ。「冗談じゃねぇっ。“あいつら”、氷翠に苦言を突っぱねられ、しばらく陰気を撒き散らすんだ。ああ、鬱陶しいっ!」「まあ、気持ちは分からないでもねぇな。先生は、一度こう決めたら絶対譲らなねぇからなぁ。折角、先生を思って忠言したのにけんもほろろに、だ。報われねぇよな」 うんうん、と自身の言葉を自身で肯定するように頷く男に、少年は大きく舌打ちをする。否定しきれないのだろうか。それ以上少年は、男に対して言い返しはしなかった。 少年は頭をかきむしるかのように、がりがりと掻きつつ、緋深に視線を移した。「で、お前!」「は?」 いきなり話しかけられ、緋深は目を瞬いた。まさか急にこちらに矛先が向くとは。自覚はなかったが、少々気が抜けてしまっていたようだ。間抜けな返答をしてしまう。「お前だよ、お前。そこの『守人擬き』」「なっ?!」 あまりな言いぐさに緋深がぎょっ、とするのも構わず、少年は捲し立てるように言葉を続けた。「お前、連れが『守人』なら………そいつは『はぐれ』なのか?」 はぐれ、とは主を持たない、という意味なのだろう。色々と言いたいことが緋深にはあるが、ぐっと耐えつつ小さく頷いた。頷くとすぐさま、射殺すような強い視線が突き刺さった。視線で緋深を縫い止めつつ、問いかけられる。「なら、『主』は死んでいるなだろうな?」 少年の心配は当然だった。『主』は『守人』にとっては、『絶対』だ。絶対服従なんてものではない。そんな生ぬるいものではない。主に死ねと言われれば、躊躇無く死ねる。主の言葉を微塵すら疑わない。言葉にすれば簡単だが、実際には不可能に近いことをやってのけるのが守人だ。 もし主が命じれば、守人は躊躇無く、恩人である禁足地の人間を殺す。敵わないとわかっても、手足がもげ、内臓をはみ出したままでも、何としても完遂しようとする。 その危険性はないのか。 少年はそう問いかけている。 禁足地では何も、問われない。女性はそう言っていた。少年の態度はその言葉を裏切るものだ。 だが、緋深は少年の態度を不快に思わない。むしろ当然と思った。禁足地や、あの女性、村人を大切に思っているならば、必ず確認しなければならないことだ。「生きている」 緋深の返答に、少年も男も小さくだが眉を跳ね上げた。男も朔夜を『はぐれ』だと思っていたのだろう。でなければ守人は主から離れるわけがないのだ。 何か、命令を受けていない限り。「お前が、『主』か?」 探るような視線に、緋深は首を横に振ることで否定をした。 少年から発せられる殺気の濃度が、少し増す。 緋深は動じず、ゆっくりと言葉を紡いでいく。「朔夜の、主は生きている。今も。けど、朔夜は主の下には戻らない。絶対、戻らせや、しない」 一言一言を噛み締めつつ、宣言するように告げた。 だが、緋深の宣言を冷静に、残酷に指摘される。「お前の、願望だろう。それは」 そうなのかもしれない。 確かに願望も、混じっている。 けれど。「違う。願望じゃない」 冷ややかな視線と、どこか面白がっている視線に晒されながらも、緋深は笑った。自分が思う以上に、何故か冷静だった。 願望には、ならない。何故なら主が朔夜を取り戻しにきて、渡すつもりは毛頭ないからだ。そのような状況になったならば、主を、緋深は殺す。どうしても無理ならば、奪われる前に、朔夜を殺しかねない。あの『莫迦』にだけは、朔夜を決して触れさせてなるものか、と心底思うのだ。願望という言葉で、今まで隠し通していたこの狂気に似た想いは表せられない。 だが、それは目の前の人間達には関係がない。公言するつもりもない。 少年達の懸念していることを払拭すべく、言葉を重ねた。「朔夜は、異質な守人だ。『主』を恐れ、脅え、そして今は逃げてる」「……確かに守人にしちゃ、あり得ない行動だな」「ちゃんと、その『主』が最初の、だ」 稀に、本当に稀に守人は『使い回し』にあうことがある。その際、守人は後者の主に対して、どうしても捧げる崇拝に似た感情薄くなるのだ。 その点の心配はない、と緋深は念を押す。そして少年達を納得させようと、更に言葉を繋ぐ。「朔夜は、大丈夫だ。あの『莫迦』の命令を鵜呑みにし、行動しない。てか、できない」「……守人が、か?」 少年は訝しげな声である。当然だ。守人が主の言うとおり行動できないなんて、守人失格も良いところである。 怪訝そうな少年の心情など知ったことではないし、何より『莫迦=主』と‘きちん’と解釈されたことに緋深は内心、少し気をよくしていた。「守人が、だ。ま、朔夜が例外中の例外なんだろうけど…朔夜は、あの莫迦を視界に入れると、呼吸困難、思考停止、発作が起きたように震え、精神崩壊に向かって歩み出すからな」「は?」「そんな状態じゃあ、いくら命令を受けても、実行できないし。何より命令が耳に届いているか、理解できているかすら怪しい」「何だそりゃ…」 少年と男の少々呆気に取られた表情に、緋深はまあ、妥当な反応だな、と思った。そして、男も妥当な反応をするものなのだな、と妙な感心をし、驚かせれたことに妙な達成感さえ感じた。「へぇ。“彼女”も変わった守人だと思っていたけれど…上には上がいるものだね」 頭上から、若い男の声が降ってきた。 緋深は、内心驚愕したが、あえて何も行動はしなかった。(……どうせ、お仲間だろう?) ならば慌てふためくだけ、体力の無駄である。 それにしても--『禁足地』では、木の上にいるのが、格好良く木から“降って”くるのが流行りなのだろうか。 だったらやだな、と思いつつ、緋深はため息を吐いた。
2006年12月28日
コメント(0)
白煙を立てつつ、雪が溶けている。溶けた場所から、雪に覆われていた地面は焼けこげつつも姿を現した。有機物が焦げた独特の匂いが、静寂が支配する雪景色の中、異様な存在感を誇っている。(一体何が起こったんだ……?!) 緋深は座り込んだまま、呆然と目を見開き、黒こげの土を見つめた。あまりにも非現実的すぎる光景に、脳がついていかない。 一瞬の出来事だった。 男が楽しげに言葉を吐き出した瞬間、視界を埋め尽くすほどの閃光が急に炸裂したのだ。閃光に少々遅れ、轟音が追いかけてきて、目についで耳を潰した。さすがの緋深も、五感のうち、二つを潰されては、事態の把握が難しかった。 は、と緋深は顔をあげ、この事態の原因であろう、男を見つめた。男は飄々とさえしつつ、この事態を当然のごとく受け入れているようだ。 男は、人差し指と中指で挟んでいた、黒こげになった縦長の紙切れを風に乗せるように、はらりと地に落とす。風で、ふわり、と何度か浮いては沈みつつ、ゆっくりと紙切れは白い雪の上に乗る。黒こげの紙は、炭の役割を果たしているのだろうか。落下地点の周囲の雪を、小さく黒く染めていく。「ったく。容赦ねぇな、相変わらず。せっかくの符が、台無しだ」 せっかくの、と言いつつも全然堪えてないようだ。喉の奥で、笑っている。言葉にまったく信用性はない。「……何だよ、今の……」「ん?ああ、『悪口』を聞きつけた何処ぞの術師が、警告代わりに雷を一発落としただけだ」「……だけ?」 緋深は、訝しげに言葉を返す。 雷、とは何事か。雷など、人に操れるものではない。それをたかが悪口の警告のためだけに『落とした』となれば、緋深の中で猜疑心が膨れあがる。「ま、見かけは派手だが、死にはしねぇだろうよ。符一枚で、防げる程度だしな。ま、『悪口』に対する警告だ。こんなもんだろう」「…………」「“あいつ”が本気を出せば、今頃二人揃ってお陀仏だっただろうからな」(何なんだ、そいつはっ…あんたらはっ) 喉の奥で愉快気に笑う男に、緋深はそう叫びたかった。 あの雷は、落ちた場所から推測するに、男に当てるつもりで撃っていた。男はああ言っているが、下手をすれば、死んでしまいかねない。容赦も、躊躇いも一欠片すらない攻撃だった。少なくとも緋深にはそう見えた。 男の口振りからすれば、『術師』と知り合い程度の関係はあるのだろう。すくなくとも顔見知り以上だと推測できる。男の声には、僅かだが親しみのようなものが含まれていたのだ。「ありえないだろう……」「何がだ?」「雷って……」「あいつにかかれば、雷の一つや二つ落とすのは簡単だぜ?まだ可愛げのある、生ぬるい攻撃の分類だしな」「………」 どこが。 即答したくとも緋深はもう、呆れるやら、諦めやらで声もでない。(こいつらに常識を求めるな。いちいち気にするなっ、考えるなっ!!) 緋深は必死に、何度も同じ言葉を繰り返し、自分を納得させる。 小さく、だが深く数度ため息に似た深呼吸をし、緋深は脳内を整理するために、男に向かい口を開いた。「あんた、どうやって防いだんだよ」「ん?ああ、この符でな」「ふ?」 懐から男は、縦長の紙切れを取り出した。真っ白な紙に、墨で古い漢字と不可思議な模様が描かれている。形状は把握はできるが、使用方法はさっぱり検討がつかない。 怪訝そうな緋深の視線に気が付いたのか、男は人差し指と中指で挟んだ紙切れを揺らしつつ、にやりと笑った。「これが『符』だ。俺は符術師なんでな。符さえあれば、大抵のことはできるぜ?」(………お前もかっ) 男もまた、不可思議な技を使う者なのか。(何たってこいつは…さっきの女性といい、こいつといい、術師とやらといい……この禁足地の人間ってのは皆こんなんなのかよっ……何で、こんなっ……) 緋深は守人の血を半分引いており、常人よりも突出した身体能力を有している。その緋深ですら、彼らは驚異的に思ってしまう。 だが、そこに嫌悪も畏怖の念もない。ただ緋深が彼らを見て思うのは、憧れであった。いや、ただ純粋に羨ましいと思う。守人を凌駕しかねない力。それは今、喉から手がでるほど欲しい力だ。 それさえあれば、もっと上手く朔夜を助け出せる。もっと優しく包み込むように守れる。 なのに守人という驚異の血を半分も持っている自分にはできない。力を得られない。それが歯がゆくて、仕方がないのだ。 だから、余計目の前の男が腹立たしい。性格的、生理的に合わないのは前提としてあるが、それ以上にこの一見巫山戯た男が、緋深がまだ手が届かないものを持っているのが、理不尽に感じてしまう。 そして、そうを感じることに己の未熟さや幼さが垣間見てしまい、更にどうしようもない気持ちに陥る。 鬱屈とした気分を振り払うように、緋深は口を開いた。「……何で悪口如きで、雷が降ってくるんだよ」「まったくだな」「…やりすぎじゃないのかよ?……」「そうだな、まったくだ」 緋深と同じ立場のように、そう、常識の範疇にいるような-緋深も人のことは言えない。だが目の前の男と比較すると緋深は範疇に立派に入る-発言を、男は口にする。図々しいことだ。「…………人のことはまったく言えないくせに」 なのでつい口にしてしまった。それは小さい声だったが、男は耳ざとく聞きつけたようだ。右手で緋深の首根っこを掴み、左手の握力をふんだんに使い締め付ける。「何か言ったか?」「っ…いてでててぇ!!」 痛い。半端無く痛い。 頭部に男の節だったごつい指が食い込み、そのまま型が残ってしまいそうである。只でさえ混乱と困惑で脳が粘土のように、形を留めていないのだ。指の跡が残っても不思議ではない、と真面目に緋深は思った。冗談ではない。 男に抗うが、力量の差がそれこそ天と地ほどあるが上に、緋深は今は手負いだ。勝てるわけがない。「離しやがれっ!!」「その前に、言うことがあるよなぁ?」「ふざけんなっ!」 男は楽しげに呵々と笑う。何が楽しいのか、まったく緋深には理解できない。目の前の男は、尽く人の逆鱗を楽しげに逆撫でする、不貞不貞しい男でしかない。それ以上の理解などする気はなかった。 下手に近寄ると、こちらまで深入りされる。それを緋深は避けたかった。 緋深の心に踏み込んでくるのは、朔夜と、朔夜を取り巻く彼女を愛情を注ぐ人物たちだけでいい。その人数だけで、緋深の許容量は今、いっぱいなのだ。余計なものなどいらない。「おい」 ふと、声が空から落ちてきた。声と共に男の指の力が、急に抜ける。緋深は男の手を振り払い、後方へ飛び、距離を置いた。 頭を後ろに反らせるように、空を仰ぐ。左右に視線を移すと、木の葉が揺れている針葉樹があった。「獅吼。だれだよ、そいつ」 声と共に影が木の上から落ちてきた。誰も踏み荒らしていない新雪の上に飛び降りたせいで、粉雪が宙に軽やかに飛ぶ。幾多の小さな雪の欠片でできた帳の向こう側に、千草色を基調とした道着姿の少年が立っていた。 皓国では少し珍しい、明るい茶色の癖のない短髪が、緋深の目を引いた。色に気を引かれたのもあるが、実際は木を見上げていた角度から、少し斜め上に面を上げたときに丁度いい位置に頭があったからにすぎない。背丈は緋深よりも、少し高い。小作りな印象を受ける顔を、訝しげにしかめ、こちらを睨み付けるように値踏みしている。「お前、誰だ?」(また……増えた。増えやがったっ) 一見普通の少年だが、『禁足地』のお仲間なのだろう。緋深は、ひしひしと、やはり朔夜に意地でも着いていけば良かったと、切実に思った。------------------レポート終了後の、妙なハイテンションで書き上げたものなので後日訂正する可能性があります……ご了承下さい
2006年12月19日
コメント(0)
全3件 (3件中 1-3件目)
1