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青ざめ白くなった玲鈴の肌を、暖色の蝋の炎が覆う。その姿はまるで陶磁器の人形のように見える。驚きのあまりで瞬きの回数が減っているからでもあろう。(もう用はない) 日常の玲鈴の姿と比べれば生気があまり感じられないが、緋深は何の感情も抱かない。緋深は興味の欠片もない視線を玲鈴に一度投げかけると、さっと踵を返し、朔夜の部屋の中に入った。 もう幾度も訪れた朔夜の部屋は、相変わらず人の気配を感じられない。緋深はそれが妙に悲しい、と思った。しわ一つはいっていない褥。使われた形跡のない妙に整い過ぎた家具の数々。ほんの少しだけ感じる人の気配の残滓は、朔夜のものではなく、胡家の女中の者である。 朔夜は意図してやっているわけではない。無意識の行動の積み重ねの結果だ。だが、まるで“朔夜がいた形跡”を微塵も残さないようしているように思えてしまう行動は、いつか、ここから消え出ていくことを示唆しているように見えてしまう。緋深ですらその姿に痛みを覚えるのだ。朔夜の部屋、いや“居場所”を提供し、慈しんでいる麗蘭達は、どれほどの空しさに似た痛みを感じているのだ、と思う。よく耐えられると感心さえする。(だけど……その痛みに耐えてさえ、引き留めたいものが、朔夜にはある) 緋深は、慈しむように朔夜を見つめた。 そっと褥の中央に朔夜を横たわらせる。眠りきった後に移動させるならば-床や木の板よりとても身体に負担が少ない-朔夜は褥で眠ることができる。己の手よりも小さく細い手に指を絡ませるように握り、もう片方の手で優しく髪を梳く。無表情の寝顔が、わずかだがふわりと穏やかな寝顔に変わる。 それは緋深を心の奥に入れ、信用し、安心できる存在と認めてくれている何よりの、無意識の証拠だった。それが、何処までも緋深にとっては愛おしい。自分を許し、許容してくれている。その事実が緋深の居場所を作り出してくれる。自然と目元が綻び、心の奥に優しい灯火が輝き始める。 普段は手を握ると、戸惑いに目を泳がせ、指先は固かった。髪を梳けば、困ったように見上げてくる。傍にいても穏やな表情と言うよりも、何かに耐えるように眉を顰めていた。 はじめは、嫌われているかと思った。緋深は、自身のしたことを思い返せば当然だと思ったが、どうやら嫌われていたのではない、と分かるのにそう時間はいらなかった。 朔夜は、決して他人を嫌わない。嫌えない。朔夜が嫌い、嫌悪するのは朔夜自身だけなのだ。(ずるい……よな) 緋深の温かな笑みに、翳りがさっと通りぬけた。 相手の人間の人格を全てを受け入れるくせに、自身が受け入れられることを良しとしない。それだけでも空しさを感じてしまう。だがそれ以外にも、朔夜は色々と問題がある。例えば相手からの悪意は受け入れるくせに、好意は受け取らないのだ。自身が受け取るに値しないと思っているのか、理解していないのか。何度緋深はやっていられるか、と思ったことだろう。 それでも、離れられない。 どんなに暗い感情も、歪んだ心も、朔夜は目を背けない。深淵の闇にさえあっさりと身を浸し、その奥にいる緋深を見つけてくれる。行動を、人格を一切否定されず、嫌悪なしに受け入れられることが何と甘美なことなのだろう。 緋深には、今までそんな人間を知らなかった。少しでさえも受け入れてくれる人間などいやしなかった。だから、こんな甘美な毒に似た朔夜の優しさにどこまでも浸食されてしまう。 朔夜の周りに集い、愛しみ、庇護する人間は、皆そんな人間達だ。毒になるかもしれないとわかっていても、いつか今まで意図して作り上げた自身を壊されるかもしれないと分かっていても、どうしても捨てられない。偽りを積み重ねた奥にある自分を見つけて貰えることの喜びを知ってしまったのだから。(なぁ………受けいれてくれよ、眠っているときのように、さ……お前に影を落とす元凶は、排除する。傷つけるだけの主なんてもう近づけやしない。だから……そんなに怯えるなよ。朔夜、恐がることを止めろなんて言わない。けど………せめて俺の、俺達の前では安心してくれ。少しでもいいから、この、やり場のない感情を受け入れてくれ…お前を大切に想う心を、否定しないでくれ) 我が儘なのだろうか。望んでばかりの自身の思いは。 朔夜の髪を梳きながら、緋深は声なき声で、訴え、問いかけた。答えるはずがないと知って行っているというのに、意味をわかっていなくてもいいから「うん」と言ってくれないかと思うのは、矛盾している。 緋深は自嘲を顔に刻もうとして、はっと表情を厳しくし、改めた。 素早い動作で背後に振り返ると、朔夜の部屋から出てこない緋深を不審に思ってか、こちらを伺おうと朔夜の部屋に足を踏み入れようとしている玲鈴がいた。「そこから、入ってくるなッ!……朔夜は、その範囲に入れば、目を覚ましてしまう」「……え?」「“あんた”が、近づくと目を覚ます」 玲鈴は驚き、瞳を瞠るのに、引き下がる様子はない。吐き捨てるように緋深の声は充分な抑止力になったようだ。気圧されたように2、3歩後ろに引き下がる。「何を……変なことを…」 玲鈴の呟きは、正当なものではある。だが、緋深には嘲笑する主張でしかない。 朔夜のことを何も知らない、無知なものだからこそ、言える言葉だからだ。「自己防衛じゃねぇ?“知らない人”が入ってくると、自然と目が覚めるだよ。それ以上、踏み込んだら、気配を察して、起きるから、近づくな」 緋深の言葉に玲鈴は、理解しにくいのか、怪訝そうな顔をする。切れそうになることを必死に押さえながら、冷え冷えとした温度の声を緋深は玲鈴に投げつけ、言葉を重ねた。「あんたは、朔夜にとって“知らない人間”なんだよ…そこが、限界ぎりぎりの範囲だ。それ以上、一歩でも近づいて見ろ…強制的にでも排除してやる」 緋深は、玲鈴から視線を逸らさずに掌で包み込める朔夜の手を先ほどより強く握りしめた。温度を分け与えるとともに、安心さえも与えるために。 今は緋深が手を繋いでいるからこそ、玲鈴が部屋の前に立っていても、目を覚まさないのだ。一人であれば、とっくに気づき跳ね起きていただろう。朔夜の察知する範囲は足音が緋深が聞き取れるほどの範囲という広さである。 だが、これでも察知する範囲は狭まっているほうなのだ。以前はもっと酷かった。人の体温が、息づかいが緋深でさえ聞こえない場所でさえ、その守人としての身体能力でか察知し、怯えて起きていた。 緋深が朔夜と始めて見た時、朔夜はいつも寝不足なようにぽけぽけした、いやぼーっと態度だった。遠目で朔夜の姿を知覚した際は、いつも眠っていた。のんきなものだと、緋深は呆れていた時期があった。 惰眠をむさぼっているようにしか見えなかったのだ。玲鈴と同じ様に。 だが、真実は違う。朔夜は、眠れなかったのだ。女中が日夜控え働き、夜に警備で見回る者がいる。夜中に朔夜の部屋の廊下の前を通り過ぎる人間が必ずおり、その都度怯え、起きていたのだ。満足な睡眠がとれるわけがない。(まぁ……この頃は、過去の睡眠不足を解消するが如く、寝てるけど。夜も寝てるのに) 何か理由があるのだろうか。 ふと、緋深はそう思い、苦笑しそうになるが、表情には一切ださず、玲鈴を睨み続けた。「そ、それだけ、今まで、大きな声を、出しておいて……本当に、敏感なら……今も、起きてないなんて……そんなわけっ」 まったくだ。 緋深は心の中でのみ賛同した。玲鈴の言葉はいつも薄っぺらいが正論である。だがそんなもの緋深は笑い飛ばすように、不敵さを滲ませた笑みを浮かべた。「覚ますかよ……“知らない人”だと、声や気配、何でさえも敏感に反応するくせに、“知っている、近しい人”だと声や気配にすらまったく反応しないんだ。怒鳴ろうが、少々乱暴に扱おうが…まあ、殺気にはさすがに反応するようだけど…」 朔夜は主に使えていた時に、幾度も、幾十度も裏切られ、その恐ろしさを知っている。そんなこと、身にしみて分かっているのに、朔夜は安心して緋深の腕で眠る。裏切られたら、朔夜の命など簡単に奪われるということに気付いていないかのように。人が恐いくせに、人が嫌いになれない。人を恨んでもよいはずなのに、人を憎めない。一度信じてしまった人を疑えない、不器用な生き方がらしい、と緋深は思う。(……信頼してるからじゃなくて。空気のように感じ、存在を意識していないだけかもしれない、けど) だが、それではあまりにも虚しいような、切ないような気がするので、緋深はそうでないと思いたい。「本当は、あんたの声も、聞かせたくない」「…………っ」 言葉を詰まらせた玲鈴に、緋深は最終告知をした。「………あんたにこんな話、したのは別に朔夜を哀れんでもらうためじゃない。あの“異端”を見るような目で見ないようにするためだ……“守人”って言う畏怖、いや忌避される存在の範疇で見るんじゃなくて、“朔夜”として認めろよ」「……わ、私、は」「別に、あんたなんかに朔夜を理解なんてして欲しいとは思わねぇけど…ただ、朔夜にこれから近寄るなら……朔夜は今心理面が危うい状態なんだ。考慮し、配慮できないなら、朔夜に関わるな……近づくな。朔夜の視界に入るなよ」「…………っ」 声を詰まらせて、顔を歪め、踵を返して駆けだした玲鈴を冷めた瞳で緋深は見つめた。
2006年07月22日
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柔らかい蝋燭の炎の煌めきが朔夜の輪郭をぼんやりと浮かび上がらせる。温かみのある光は、普段の朔夜の儚さを包み隠し、無機質な寝顔に人らしさを与える。 朔夜はいつも寝顔は人形のようで、寝息もほとんど聞こえないほど小さなものだ。だから普段よりも穏やかに見える寝顔は、緋深を安堵させ、穏やかな気分にさせる。 いつも、朔夜が眠っている姿を見ると不安が緋深を襲う。この腕から擦り抜けていくのではないか、と胸がざわめき、確認したくて朔夜に触れる。感じる体温にやっと肩の力が抜けるのだ。 できることならば、このまま回れ右をして朔夜の部屋に戻り、柔らかい褥に朔夜を寝かしつけてやりたい。穏やかな朔夜の寝顔を見つつ、髪を梳いてやる時間は、緋深にとっては何にも代え難い時間だ。(……けど、それは後回し、だな) 呆然と立ち竦み、碧眼を大きく見開いている玲鈴に緋深は無理矢理視線を移した。 そう思いつつも緋深は玲鈴を睨み据えた。普段ならば睨み返すか、顔をしかめるか、傷ついた顔をする玲鈴だが、困惑の極みなのだろう、反応がない。(何に、驚いてるだよ) 玲鈴への苛立ちが新しく生まれては、蓄積されていく。(何かに驚くほど、朔夜のことを、何も知らないくせに) 緋深には、玲鈴が何故驚き、困惑しているか手に取るように分かる。偏見と先入観をこね合わせ、塗り固め作った壁に罅が入ってきているのだ。分かっているから、緋深は不愉快なのだ。玲鈴自体への苛立ちももちろんあるが、それ以上の苛立ちは玲鈴の姿に重なる影だ。(俺も…………こんなん、だったのか?) 緋深は強く瞳を一度瞑った。 乱暴な気持ちが、解放を訴え暴れている。見たくないものは壊してしまえばいい、と叫んでいる。だが、緋深はそれを理性で鎖を雁字搦めにするように無理矢理かけた。それでは、前のままでは駄目なのだ、と必死に宥める。 だが、どうやら成功したのは身体面だけのようで-朔夜を両腕に抱えていることが、かなりの抑止力になっているようだ-、視線はもちろん、喉から声を出せばもどうしても鋭く光る刃が見え隠れしてしまうだろうことが簡単に推測ができる。(いっそ、砕いてしまうか……) ひび割れはじめた壁を、歪んだ価値観を、粉々になるほど。 緋深はそう考えて、あっさりと決めた、と思われるほど短時間でその案を可決した。残虐な気持ちを少しは発露したいと思っていたことだし、何よりこれで玲鈴の態度が変わるなら朔夜にとっても良い方向にことは進むだろう。徹底的に砕いて、朔夜を直視すれば良し。尚も目を背けるならば、近寄らせない策を取ることもできる。 ようするに、今までは麗蘭の妹ということで無視する方向できたが、そろそろ緋深にとって我慢の限界が近かったのだ。朔夜への態度が気に入らないのが何よりだが、細々と目に付くことも多く、不要なものは排除する、という風に生きてきた緋深にしてはかなり我慢を強いられてきた。いや、強制はされていない。だが緋深は胡家で波風を立てることを良しと自身の中でしなかった。波風がもし下手をして津波にでもなれば、緋深だけではなく、緋深を拾った朔夜にまで迷惑がかかってしまうではないか。(けど、ひび、入れたの俺じゃないし。何より、こいつは朔夜の心の領域に足を踏み入れようとしているんだ。何も知らないまま、土足で踏みこませるなんて、させるかよ) 今、無意識に朔夜を理解しようとし始めている玲鈴は、朔夜にとって良い方向に進む可能性もないことはないが、同時に悪い方向にも進ませる諸刃の刃だ。まだ無菌室で療養しなくてはならないのに、土のついた足で入られると、せっかく治りかけている朔夜の心の傷が化膿し、抉る結果になる。 ならば防波堤として、朔夜と玲鈴の間に新しい境界線を緋深が引いてしまおう。「麗蘭様に、聞いてたこと、ないのかよ」 唐突な質問の声で玲鈴は困惑が断ち切れたのか、目を数度瞬き、何のことだ、と問い返してきた。 緋深は内心、少しは何のことか考えてから聞き返せ、と思いつつ言葉を重ねた。「朔夜は、眠れないんだよ。褥では」「え?」 きょとりと見開かれた瞳が、無知を露呈させていることに気付かないのだろうか。 そう思いつつも、緋深は憎々しげに睨み付けはしなかった。するだけ時間の無駄であると考えたからだ。ようするに真面目に相手する価値がない、と思ったのだ。思うようにした。そうすれば気分はもう無機物に話しかけているようなものになるはずだ。そうしなかれば話しが進められない。 荒々しい感情で責め立てるよりも淡々と告げられ、自分の中でかみ砕かせるほうが効果がある場合がある。少しぐらい頭が回る者が相手ならば、人の話をきちんと受け入れられる者ならば、だ。 緋深はそこまで玲鈴を高評価していない。麗蘭の妹なのでわずかな期待を込めて、である。「前使えていた主。その親の手下に、何度も、何十度も殺されかけてるから」「っ?!」「暗殺、ってやつ……最初は毒だった。けど朔夜は守人だったし、耐性あったから失敗。で……ああ、次は昼間、一人きりのとき上から落下物で狙った、けどやっぱ守人相手に意味なし。直接真っ正面から狙うのも成功確立0。んじゃ、狙うは人が一番無防備になる。夜、寝てる時間」 息を呑み、目を見開き、顔色を失っている玲鈴に何ら感情の波は緋深の中ではおきない。今、緋深の心の中で嵐の様に波立っているのは、朔夜へ行われてきた数々の悪意への怒りからだ。「守人は主の部屋の傍に部屋を用意される。おかしいよな……守人と主の部屋は基本、繋がってるんだってよ。だから守人の部屋も頑丈な錠、ほどこされてるのにさ、あっさり毎回侵入されるだぜ?錠もこじ開けられた形跡なし。ずたずたに切り裂かれた敷布見ても、女中は何も言わない。むしろ、むしろ主に気づかれないようにさっさと証拠隠滅だってよ」「………っ………………」「主、って名ばかりの奴は朔夜のこと“大切”と宣りながら、朔夜の身に降り注ぐ厄に気付かなかったんだ。屋敷ぐるみで隠していたからって…“大切”だ、なんだ言うなら気付よ……しっかり朔夜のこと見て、守れってんだよ」 吐き捨てるように言葉を放つと、自然と視線は下を向いた。そして緋深は慌てた。無意識に掌に力を入れ得そうになっていたのだ。自身の掌を傷つけるだけならまだしも、朔夜の肩などに手の痕を付けるところだった。起きた様子のない朔夜に安堵のため息を軽くつく。 緋深は自分の話が脱線しはじめ、頭の熱が上がりすぎそうになっていることに気付いた。もう一度軽くため息を吐き出して、玲鈴に視線を向けた。「ああ……それで、毎晩毎晩やってきては刃を褥に突き刺してくる不審者との攻防……まあ、主に気付かれないようにするためにかなり静かな戦いをやってたんだってよ。御貴族様の家の壁が厚いから、防音は良いほうだったから結構相手はやりたい放題だったらしいけどな。“主”ってのは、普通守人の部屋に入らず、呼びつけるのが普通らしいからもあるらしいけど」「けどっ……何故そのことを、主に、言わなかったの、よ」 ようやく纏り文章となった言葉を玲鈴が口にした。 緋深は表面上は無表情だが、内心その意見にはその通りだと思ったことがあったな、と思っていた。緋深も麗蘭に聞いた当初、同じ質問を返したことがある。「…卑怯なことに、主にこのことがばれたらまずい、不審者を殺したならば主のためにならない、と疑うこともしらない小さい子供に少しずつ刷り込んでた。ああ、喋ったら、主に攻撃をかける、ってのもあったって聞いた。性質、悪ぃことこの上ないよな。助けを求める声をひとつひとつ潰していったんだ……しかも主が莫迦だから気付かないし……多分言ったとしても、『気のせい』程度に取っただろうな」「……そん、な……」「毎晩防戦一方しかない戦いを強いられ、しかも昼間も狙われ続け。寝不足の朔夜は夜、自然と息を殺し、隠れるようになった。けど、心理的負担を与えたかったんだろうな。朝起きて、敷布を見ると無惨なほどに切り裂かれ、血で呪の言葉が書かれてる。しかも主が起きる前にさっさと女中が来て、何事でもないように、朔夜があんな目にあうことが当然のような顔して、片づけていくだってさ………最悪だよな」 だから、朔夜は自然と褥で眠れない習慣が身に付いてしまった。 緋深は、麗蘭から聞かされたことを基本的に淡々告げ終わった。所々に緋深の感情論が入ってしまったのは、途中で毒を吐き出さなければとてもこんな話しをしていられないからだ。話し終わった今も、まだ吐き気にも似た気持ち悪さが体中を駆けめぐる。 話の内容が意外すぎたのだろう。玲鈴は呆然と立ち竦んでいた。(当然だ) 緋深も、最初麗蘭から聞いた際、あまりの卑劣さに強烈な怒りと、様々な負の感情が混ぜ合わった名前も分からない感情により、目の前が真っ赤に染まった。 可哀想だけど、幸せな守人。主から理由があり引き離されたが、優しい人達に大切にされている、そのくせ大切にされるという幸福に感謝しているようには見えない、いつも俯いる。それが玲鈴と…昔の緋深の朔夜の認識だった。そのせいからか、と引き離された『理由』もどこかで軽いものだと思っていた節もあった。 誤認も甚だしいではないか。貴族の都合でボロボロにされ、数え切れないほど殺意と悪意を向けられ続けられ、何度も瀕死の状態になり、あげく、まだ“影”は朔夜に付きまとい、大切なものを奪っていく。朔夜を不幸だと緋深は哀れむ気はない。朔夜以上に不幸な人間などは探せば出てくるだろうから、一番可哀想とも思わない。だが、幸せと、何も苦労がない幸福な人間と、もう思えない。(……ごめん、な。朔夜) 緋深はずきりと胸の奥が痛むのをはっきりと知覚した。 無知と言うことは、何と残酷で愚かなのだろう。緋深は一度、無知であったことを良いことに酷く辛い態度で朔夜に挑み、心ない言葉で傷つけた。後悔先に立たず、と言うが後悔するだけで許されるものではない。 朔夜はきっと許すだろう。何で自分が緋深を罰せなければならない、と首を小さく傾げ、謝罪に困惑しつつ-理由も分かっていないくせに-大丈夫だ、と小さく笑うに決まっている。だが緋深は自分が許せないのだ。 一度、朔夜にそこまで甲斐甲斐しく優しくするのは贖いのつもりか、と聞かれたことがある。(………贖いの、ためなんかじゃない。俺が、ただ、もう朔夜に傷ついて欲しくないと思うだけだ。俺なんかが優しくして、朔夜が笑うなら、幸せになれるなら、嬉しい……それだけだ) 腕の中の朔夜を見つめ、緋深は目を細めた。-------------------------------------------------3と4で、一つの話なので少し中途半端です長かったので、取りあえずここまで、と言うことで
2006年07月08日
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仄暗い、だが優しく包み込むような深い闇の中、遠くで淡い光の群舞を朔夜は膝を抱えながら眺めていた。 淡く発光する石がある場所は一部だけだったようで、逃げ出した朔夜のいる場所は上下左右もない、と感じられるような漆黒の空間だった。よくできた夢だなぁ、とぼんやりと思う。 この美しい光景をどれほどの時間眺め続けただろう。正確にはわからないがかなり時間が経っている。だが朔夜は、いつまでも飽くことなく、ただ一心に見つめ、時折幸せそうに小さく微笑む。 幸せだな、と思った。いや、幸せと言うにはあまりにも切なさの成分が多すぎた。それは、幸せだった日々を光景に重ねて、思いだしているからだろうか。 どちらでもかまわない。 朔夜は深く考えてしまうことを恐れるかのように、考えを振り切るために数度強く左右に頭を振り、膝を抱え直し、身を小さくした。 様々な光の珠の中で、仄かな薄紅色の光が三つあった。少しずつ濃さが違う、だが似通った雰囲気の光の珠を見ており、朔夜はふとその輝きから連想された人物に想いを馳せた。(胡家は……麗蘭様、や怜蓮様…玲鈴様は、…………皆は、大丈夫、なのか、な?) 一瞬『あの人』を思いだし身が強張ったが、それでも唇を噛み締めることで耐え、薄く目を開く。朔夜の目に映っているのは幻想のような目の前の光景ではなく、赤い色に彩られたほんの少し前の、過去の記憶だった。 女中が毎日丁寧に掃除している床や壁が、泥水と雨水で汚れていた。部屋内にあるはずのない水たまりは時に赤く染まったものもあった。守人の発達した能力、聴覚故に聞き取った沢山の悲鳴と、剣戟と、涙声。 体中の血が凍ってしまったように動けなくなった朔夜の手を、緋深の温かい手が力強く引っ張り、胡家の敷地を駆け抜けた時に、朔夜が見た光景だった。(…また、壊して、しまった……私がいたせいで………) 朔夜は強く瞼の上下を合わせた。涙をこぼさないためか、思い出したくなかったからなのか、朔夜にもどちらか分からなかった。いや、両方の理由からかもしれない。「………いつも、そう、だ」 『朔夜』という“異分子”が温かくも美しい光景に混じる。すると一枚絵の様な穏やかな光景に罅を入れてしまい、それは少しずつ、少しずつ浸食し、最後には木っ端微塵にまでしてしまう。いくら両手を広げ、欠片がばらばらにならないように必死にしがみついても、擦り抜ける。 欠片が掌から滑り落ちる感覚をまた味合うぐらいならば、最初から美しい光景から弾かれるほうがましだ、とさえ朔夜は何度も思った。だがいつもそう決意をしても、美しい光景の住人は優しく朔夜の手を引き、招き入れてくれる。その手を振り払えばいい。そんな簡単なこと、朔夜は分かっている。 だが、朔夜にはできなかった。朔夜が弱いからもある。だが、幾ら振り払っても嫌な顔一つせず、手を握り直される。心を必死に押し殺して温かい手を振り払い、逃げだそうとするとそっと抱きしめる。そうされてしまえば、朔夜は振り払わなければならないと命じる冷静な理性と、縋ってしまいたいと願う弱い心が鬩ぎ合ってしまい、混乱に陥る。そして半ば呆然としている朔夜に“とどめ”と言わんばかりに優しい言葉を尽くし、温もりを分け与え、額にふわりとした口づけが落とされる。そうやって朔夜の心を優しく手折ってしまう。 残酷だよ、と朔夜は何度思っただろう。八つ当たりじみていることは分かっている。招き入れてくれて嬉しいと、心からも思っているのだから。(でも………やっぱり、壊れた、よ………壊しちゃ、ったよ) 大丈夫だ、と言われた。だから手を取ってくれ、と。一緒にいよう、と。幾度も、飽くことなく与えられた優しい言葉が今、刃に姿を変えて朔夜に襲いかかる。 どうしてこうなるのだろう、とは朔夜は思わない。そんな自身への問いかけなど2年前、もう考える余地がないほど考え抜いたからだ。考え抜いた結果は、理由などない、だ。『朔夜』と言う存在があったから災厄は引き起こされる。なら災厄の根源たる己が、破壊が起きることへ理不尽さを感じるのはおかしいのだ。 少しでも朔夜の事情を知っている者-とても優しいと朔夜が思う人々-は言葉を重ねて否定してくれた。だが、現実はどうだろう。朔夜に痛いほど現実が訴えかけてくる。だから、どうしても朔夜は否定の言葉を受け入れられない。 朔夜は頭を膝に押し付けるようにして、身を更に、更に小さくした。 今、あの光の珠を見たら大切な人達を連想してしまい辛くなる。自身を抱きしめる力を緩めれば震えてしまう。 朔夜はただ、悲しみに似た身を切り裂くような痛みに耐える為、更に膝を抱える腕の力を強くした。 このまま、早く夢から覚めてしまいたいと思いながら。いつまでも見ていたい、と先ほどまで考えていたことと違うな、と小さく自嘲しながら。---------------------------------------------------- ……前回のとあまり内容的に変わらなく、短いですが… 次の話と前回の話の繋ぎなので、目を瞑って頂ければ、と 次か、次の次で夢編を終わらせて、朔夜を起こして本編をさかさか進めます。 が、頑張るぞぉ
2006年07月05日
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