2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
2012
全31件 (31件中 1-31件目)
1
連日、同じ人から「××ですが、またご連絡しまーす」と留守電にふきこまれている。電話機が故障していて、非通知設定の電話は、呼び出し音を鳴らさず、留守電に直接繋がってしまうのだ。全く関係ない知らない会社名だし、明らかに間違い電話であるが、その人は毎日毎日いろんな時間にかけてくる。間違っていますよ、といいたくても、呼び出し音がないので電話がとれない。電話機に向かっていきなり一言発して切れてしまうというので、話しかけるすきがない。かけかえしてあげようにも、非通知なので番号がわからない。いつになったら相手は気づくんだろう?新手の勧誘方法かなぁ。
2005年04月30日
もちは白く薄く、ほどよくかたくやわらかく、あんこはかすかに塩味をきかせ、甘さはおさえたこしあん、大きさは三口ほどで終わるくらいの小ぶりなもの。粒あんだったら、でかいほうがうまい。あー。大福たべたい。
2005年04月29日
きちんとした靴を履いて、ルーズな服装で出発。荷物の重量は5kg程度。初日の晩は、緊張する猿のように身繕いしたくなるので、それも準備。衣類・着替え・仕事用衣装・ボロい下着と靴下2組(洗い替えして捨てて帰る)・温度調節用のカーディガン1枚・ぼろいスリッパ(捨てて帰る)・ぼろいサンダル(捨てて帰る)その他・綿棒(ジョンソン&ジョンソン)・胃薬・1回こっきり顔エステ品など・アロマテラピー試供品(犬が電柱にするのと同じかも)・ツメきり(機内持ち込み不可)・まゆげ用はさみ(機内持ち込み不可)文具・シャーペン、ボールペン、赤ペン、消しゴム・折りたたみはさみ(機内持ち込み不可)・セロテープ・両面テープ・封筒
2005年04月28日
仕事で台湾に行った。台湾は2度目。もちろん言葉はわからないのだが、外国って感じがあまりしない。暑さをのぞけば、こんなに楽なところはないだろうなというくらい、すごしやすいところ。変なものや妙なことがなかった。夜読んでいた、日本から持ち込んだ雑誌は、台湾の友達にあげた。テレビでBSをみたり、台湾のニュースとCMをみたり、自由時間は書店に行って、コンビニに行って、市場で野菜や調味料をみて、結局日本にいるのと変わらないことができた。
2005年04月27日
先々の予定がわからないと不安だという人が、カレンダーを切り張りして、一枚の長い長い365日カレンダーを作って満足げに壁に貼っていった。あたりまえのことだが、数年後の某月某日が何曜日になるかということはもう決まっていて動かせないことだ。先々の予定がすでに決まっていることで落ち着かない気分になる。日にちが決まっていることは仕方がないが、何をしているか決まっていないほうがいいじゃないか。というか、このまんまの状態が何十年も続きそうなので負担だ。カレンダーは1ヶ月先までで十分だ。お、スーパーピアノレッスンがはじまる。今日はピアノソナタ、トルコ行進曲つき。
2005年04月26日
かつては「うっそー!70年代生まれが、もおこーんな感じなわけぇ?なまいきぃ」と言われたりしていたのだが、まあそれの逆の立場みたいなものだろうけど。「モー娘。の懐メロ」というものがあるって感覚、さっぱりわからん。芸能関係って、中高生くらいまでは、好むと好まざると、学校のお勉強と同じようなもんで、一応相手が何の話題をしているのかということがわかる程度には、知識として頭にいれてあったりするのだが、歌もドラマも映画も全般的に興味がとぼしいので、話をあわせるための周囲もなくなると、一気に疎くなる。歌とドラマと映画、いずれも恋愛モノの世界が楽しめないので、努力しないと新しい情報が入ってこなくなってしまうのだ。「この人だれ?」ときくと、「まつしまななこ」といつも言われるような具合。たぶんそんなに印象が薄い顔ってわけじゃないんだろうけど、好みのタイプじゃないからかなぁ。覚えられず。
2005年04月25日
朝おきる。結構はやい時間。太陽よりは遅いという程度。午前中からやるべきことをやるのだ、と気合をいれるのだが、朝ごはんをわざわざ作ったり(残り物ではなく)、床磨きしたり、アイロンかけたり、毎日やっていないような高度な家事にエネルギーを注いだりする。昼ごはんも出来上がりは12:00だ。いつもなら平気で10分以上遅れたり早まったりすることがあるのだが、1分だって狂わせない。食べたら食器を片付け、机は落ちたものを拾って食べることがあるからアルコール洗浄。ああ。そろそろ、そろそろ、はじめねばやばいやばいといいながら、森本さんとかオヤジばかりいる番組をみたりする。なぜかこういう番組は無駄に紅一点だったりする。散歩をする。買い物をする。夕食の準備をする。笑点をつけて準備続行。テレビが「バンキシャ」という瞬間には、テーブルには7種類のおかずと2種類の漬物とフルーツを盛り付け終わっている。17:57ちょうどに食べられるようにセットする。脱サラして島で暮らす人とかの番組を見たり、いろいろチャンネルかえたりしながら、食器を片付け、アルコールでふいて、ぐずぐずしていると19:00になるまえに「鉄腕DASH」が始まる。これが毎回眠い。眠気に時々負けたりしながら、「なんということでしょう」というサザエさんの声に起こされる。必要以上に大げさなピアノ伴奏とともに。極小住宅がきらきら光っていて、いつのまにか番組が終わっていて、またもや島や物価の安そうな外国で暮らしている人の番組が。もう何も頭にはいってこないのだが、テレビはついている。森本さん、若い女をバカにするネタがよほど好きなんだなぁと思いながら、もう番組もなくなったなと思い、お風呂はいって、追い詰められて、そこから明るくなるまでが勝負。たったの4時間。寝て翌朝3時間。計7時間。一日にかなりサボってる時間が多いような感じがするのだが、なんかきついなぁと思ってしまう。
2005年04月24日
この電報は「貴社の記者汽車で帰社す」の意味である、というのは、それこそ手垢にまみれたネタかと思っていたら、今の子は知らないらしい。そういやあカタカナの電報ってのもないし、汽車も走っていないから、そんな非日常の例になるようなものは出さないんだよな、と思った。のだが。まてよ、それは当時だってそうだよな、「汽車は6年生のときに見たのが最後だったよ」と田舎出身の45歳の人がいってたものな。カタカナ電報は、タモリがテレホンショッキングで読みにくそうに読んでいた記憶があるから、世に存在はしていたんだろうけど、目にすることはなかった。ということは、日常にマッチしていないのに、無理に常識として刷り込まされていたのだな。文字数が増えると料金がかさむから、はしょってわかる文を作ろうとしなければならなかったこととか。きいてみたら、74年生まれの人は知らないという。その辺か、転換期は。しかしネタだからといってしまえばおしまいだが、「誰がどういう目的でこんな電報を出したんだろう?」と思ってしまう。「お宅のところの記者、飛行機代を経費として請求されているようだけど、実際は汽車に乗って帰ってましたよ」って着服についてのチクリかなぁ。「本日は取材をありがとうございました。御社の使用人は汽車に乗せてかえしましたのでご安心を」という礼状だとしても変だ。(現代の感覚だから?)リアリティを求めるなら、キシャキシャデキシャ(記者汽車で帰社)という文が元ネタにあって、そこに無理やり「貴社」をつけたのではないだろうか。昔は電報代の節約のための文案集というのなんかも、あったのかなぁ。
2005年04月23日
「裏庭には二羽鶏が、庭には二羽鶏がいる」これを事実として話すなら、ふつうは「庭にも裏庭にも二羽ずつ鶏がいます」だろ。東京都には特許許可局はない。隣のお客さんはよく柿を召し上がる方だ。蛙がぴょこぴょこと3匹ずつ、あわせて6匹現れた。赤い巻紙、青い巻紙、黄色い巻紙。それがどうした。瓜屋さんが売りにきたけど、売れないから売りながら帰る瓜屋さんの声がする。
2005年04月22日
桜の開花の様子を日々写真にとり、散って若葉が出て・・・なんだか晴れた日は毎日撮り続けるくせができてしまった。そのうちまとめてアップする予定。
2005年04月21日
気がつくと、家電たちが微妙に年取ってきている。FAXつき電話機(98年製)音が不調。コンセントを抜いたら復活全自動洗濯機(91年製)洗えるけど脱水が猛烈にうるさい。電子オーブンレンジ(92年製)内部は焦げで黒ずんでいる。レーザープリンター(96年製)紙送りが不調。手差しのみに。携帯テレビ(88年製)もともと映りが悪いので、変化がわからず14インチテレビ(90年製)色のバランスが調整してもしても悪い。生物の寿命も個体によってまちまちだが、家電もそうだ。二層式洗濯機(名前「青空」)は元気だ。たぶん25歳以上を超える。足つきテレビ これも20年以上経つ。70代の人には、50代で買ったものは、古さを感じにくいのだろう。寿命ぎりぎりまで使いたいが、晩年の不調に煩わしさを感じながらいつまでつきあうべきか悩む。最後の瞬間、静かにこときれてくれるのが、ありがたいのだが、これも個体によってまちまち。
2005年04月20日
生後9ヶ月くらいの赤ちゃんは、他の人が注視する方向へ顔を向けるようになるという。そして同時期、あれやこれやといろいろな身近なモノに対して「指差し」が始まるそうだ。これはどこの文化の赤ちゃんでも同じ。教えられたわけでもないのに、人差し指を伸ばし、それを見た母親は、「この子はモノの名前が知りたいんだ!」と思い、積極的にモノの名前を教えるようになり、そして言葉を習得していく。「ヒトは生得的に「言葉を覚えるための手段」を知っている、非力な赤ん坊の本能ってすごい」とか思ってしまいそうなところだが、実はそうではない説明ができそうだ、と発達言語の研究では、次のように考えているそうだ。赤ん坊は、なんでも触りたがる。すでに安全が確認されている見慣れたものは「べたーっ」と手のひらを使って触るのだが、新奇なもの安全かどうか確認されていないものは、ちょこっとだけ触ろうとする。そのとき「指」だけを使うのだと。この仕草をみた大人が、名前を知りたがっているのだと「勘違い」することで、「これは○○だよ」と教えだす。それで赤ん坊は場面と結びついた言葉のシャワーを浴びるようになる、という。これは合理的な説明だ。繰り返すことで、特定のモノを指差しすると、特定の言葉が返ってくる、ということにそのうち気づくのだろう。そして自分の使うコップも、親の使うコップも「コップ」という言葉が返ってきて、「コップ」がカテゴライズされていくのだ。ヘレンケラーのような体験は、脳がある程度発達していた少女時代だったから、意識も記憶もでき、後年説明できたのだろう。サリバン先生に会う前から、アイスクリームがほしい場合は、機械を回す仕草をして冷たいことをあらわすためにぷるっと体を震わせたりして、特定の要求表現はできたとあった。人形を渡され「人形」という単語を綴る、マグカップを渡され「マグカップ」という単語を綴る。(ここまでは、ボタンを押せばバナナが出てくるということを覚えさせることができるチンパンジーとか「お手」といわれて手を出す犬と同じだ。)水の入ったマグカップを渡され、「水」と綴らなくてはならないのか「マグカップ」と綴らなくてはならないのかがわからず、かんしゃくをおこす。そして、流れる井戸水に触れて、はじめて「水」と綴っているものが、この水なのだということがわかり、同時に「どんな物にも言葉があるのだ」と気づく有名な場面がある。コップに入っていようと、手のひらを流れ伝っていようと、水は水なのだということ、つまり「状況と切り離してカテゴライズできるもの」として意識し始めたことで、モノの名前を言葉として獲得できたということだろう。ヘレンケラーの自伝で、頭に残っているのが、サリバン先生に会う直前「私はスイカズラの葉を撫でていた。」というところ。スイカズラがどういう植物か、いまだによくわからないんだが、暖かい日差しの中、やわらかい若葉の感触と薫りを感じながらも、鮮やかな新緑を見てはいないのだというギャップが、印象的であった。
2005年04月19日
昼間のラジオで「ファンの方もそうでない方も、いつか倒れるんじゃないかと見守ってしまうみのさん」という連体修飾句を使って、雑誌の記事を紹介していた。世の中には、忙しそうに働いているフリをして実はサボっている人もいるというのに、この人だけは本当に動いていることが、日本中の人の目からみて明らかになっている。しかも夕方のラジオでは、本人が登場。「私はね、「暑い」「寒い」「眠い」「疲れた」この4つの言葉は言わないように心に決めているのです」すげー。20年くらい前に実物に会ったことがあるけど、当時は「なるほどザワールドの国内版の人だ」くらいにしか思わなかった。ここまでメジャーな人になるとはなー。今日は暑くて寒くて眠くて疲れた。でも口に出して言わないようにしようかなぁと思った。
2005年04月18日
とかいって士気をあげる。電車使ったら2時間のところ、1時間ちょいで行けるではないか。山道、新緑はきれいだぞう、きっと。フロントガラス、ワイパーかけたら薄黄緑色の粉まみれなんですけど。これって全部花粉?見ただけでかゆくなる。ああああねむい。11時まで惰眠をむさぼっていたというのに。あと12時間で何枚だ???はらいたい。
2005年04月17日
今日は、一日中眠い。夢か現かわからないくらい、ぼんやりしていて頭も痛い。春眠なのか、病気なのか。「暗くなると眠くなり、明るくなればさわやかに起きられる」「目覚まし時計は必要ない。念じた時間に起きられる」「趣味は寝ること。毎日眠るのが楽しみだ」という人がうらやましい。そんなの、年に数日もない。夜は眠くないのに寝なければならず、朝は起きたくないのに起きなければならない、なんと毎日毎日苦痛が巡ってくることよ、とかれこれ30年以上思うことだ。「夜2時就寝、朝9時起床」ということであれば、規則正しく生活できる自信がある。しかしこのような「時差」があると、毎日同じ時間に寝起きしても「不規則な生活はやめなさい」といわれることになるのが不思議だ。同じ7時間睡眠なのに、夜12時就寝朝7時起床なら普通っぽいし、夜11時就寝朝6時起床というと健康そうだし、夜9時就寝朝4時起床というと老人のような感じだ。
2005年04月16日
今朝は5時に起きて、部屋だけでなく、押入れにまで掃除機をかけ、床をみがき、ワックスまでかけてしまった。昨日、昼寝を3時間もしたのに、夜は10時には寝ていたからだ。すべてのモチベーションは「逃避」による。(明日と明々後日の仕事の準備してない。欝。)しかも逃げたい気持ちに比例して、エネルギーは大きくなるのだ。洗濯もすんだし、パジャマにまでアイロンかけちゃったもんねー。まだ昼だというのに。
2005年04月15日
昨日のごはん。白ごはんアサリとワカメと大根の味噌汁カマスの開き鶏挽肉+ナス+春菊+なめたけ+カレー粉炒め厚揚げ+ネギ煮ほたるいか蕪の浅漬け梅干いちご材料費:たぶん約1200円。一応、おかずの一つ一つの分量は多いし、果物もあるけど、学食に比べれば割高。学食が割安なのだけど。鳥取大学では、新入生に「朝食無料サービス」をしているとラジオのニュースで聞いた。朝ごはんを食べて、健康に1時間目の授業を受けられるようにしよう、友達を作ろうとかいう趣旨で、学生側が主催。朝食は和食中心のバイキング形式で、本来ならば一食300円。昨年は1千数百人の新入生のうち毎日400人ほどが参加して1ヶ月間実施した。「約300万円をかけたのだが、結局5月になると朝学校に来なくなった」というオチで、教員の間では、そこまで甘やかす必要があるのかという声もあって、今年は期間を短縮して実施らしい。同じ予算なら、新入生全員参加で、参加費2000円のしょぼいコンパ1回だけというよりよさそうだ。どうやって予算をひねりだすのだろう。
2005年04月14日
洗剤一隅 洗剤は洗濯機の近くに置くことより、適材適所。歯面疎過 歯が抜けて顔が寂れてみえるさま。碁裏夢中 碁盤が裏返ったことに気づかぬほど夢中になること。一日先週 非常に忘れっぽいこと。時間の感覚が衰えること。弔参墓誌 弔問客が記帳するための芳名録。七点罵倒 試験は百点満点でも十点満点でも7点程度では罵倒 されることがある。[類]厠の味噌。・・・スーパーピアノレッスン、見忘れた。
2005年04月13日
純白のトランクスって、どうしてないのだ。どこに行っても、置いてない。形にバリエーションが少ないメンズ物なのに、色まで制限があるなんて。作るしかないかなぁ。型紙準備してミシン出して。パンツ作りに凝ったことがあるが、トランクスはまだない。_1__++______ 2__++ ___++++_______++++__++++++_____++++++ _++++++++___++++++++++++○●++++_ ++++○●++++++++●○++++_ ++++●●++++_++++++++___++++★+++__++++++_____++++++___++++_______++++____++_________++_3__++______ 4__++ ___++++ _______++++__++++++_____++++++ _++++++++___+++★++++++++○●++++_++++●●++++++++●○++++_++++●○++++_++++●☆++___++++●○++__++++++_____++++++___++++_______++++____++_________++_5__++______ 6__++ ___++++_______++++__++++++_____+++★++ _+++●☆+++___+++●●+++++++●○++++_++++●●++++++++●○++++_++++●●++++_++++●○++___++++●○++__++++++_____++++++___++++_______++++____++_________++
2005年04月12日
インスタントコーヒーをいれて、牛乳がないことに気づいた。外は雨。めんどくせーなぁと思っていたら、インターホンが鳴る。「試供品で~す♪」と、瓶の牛乳が来た。なんという偶然。今後一年の運をここで使い果たしたか。
2005年04月11日
グーグル検索結果のうち日本語のページ(内容の検討はしていない)「っぽい」では両性どちらにも使われる。男っぽい(約 62,000 件)>女っぽい約 23,300 件と、「男っぽい」のほうが多くある。<性強調>男っぽい男(約 3,450 件)女っぽい女(約 3,180 件)<性逆転>女っぽい男(約 14,800 件)男っぽい女(約 15,700 件)「っぽい」の使用法には、性強調にも、性逆転にも使われる。「あるべき性が無い」ことを示す否定表現では、男らしくない(約 14,500 件)>女らしくない(約 3,950 件)「男」のほうが3倍以上多い。推量の「らしい」を排除するため、連体修飾でみると男らしい男(約 871 件)<女らしい女(約 15,200 件)と「女」の方が17倍以上多い。男らしい人(約 5,000 件)<女らしい人(約 10,800 件)これも2倍以上だ。「らしい」の場合、[男・女]らしい[男・女]は[良い・好きだ・かっこいい・素敵だ…]。[男・女]らしい[男・女]は[良くない・嫌いだ・みっともない・不快だ…]。と、どちらもありうる。(おそらく好意的にとらえるほうが多い)しかし「らしくない」のは、[男・女]らしくない[男・女]は[良い・好きだ…]。というように好意的にとらえられることは少ないだろう。これは男女平等を訴える際の、「男は男らしくあらねばならず、女は女らしいと得することも多い」というバランスの悪さがあらわれているんじゃないだろうか。友達に勧められて『感じない男』(ちくま新書)を読んだ。自己をみつめるところから始めようとするのは、実践的倫理学の手法として好感がもてた。また、男は「男らしさ」に縛られて不自由なところもあるのだなぁと思った。しかし、現代日本文化にだけ特別にロリータ趣味がここまでメジャーな理由は、よくわからなかった。(アニメ文化の発達が大きいのではないかと思うが、それで因果関係の説明になるだろうか。)『オニババ化する女たち』(光文社新書)を読んだときも、そこが疑問だった。仮に、着物を着て鼻緒で踏みしめていると、出産が軽くなるというのが事実だとするならば、それが体格の悪い日本民族固有の知恵だったということなのか。動物性蛋白質の摂取が少ないせいで体格がよくない、サリーを着て裸足のインド人はどうなんだ。タイトルのオニババも、他の文化の昔話の伝承と比較が当然あるだろうと思ったら、そもそも根拠も何もなかったし。病気ではないカラダの問題を、医学・文学・社会学以外からというか、学術的じゃあないけど扇情的じゃないというアプローチは、たぶん新しいんだろうと思う。どちらも「私は」という一人称で書かれている本だけど、40代という“若手”の大学のセンセイならば、もっとグローバルな視点で、学術的な根拠もあって説明がなされるものかと期待しすぎてしまった。そういう本ではない。外国ではどうなんだ。現代の日本人だけに共通して解決できない暗くねじれた問題が生じてしまったのだということは、たぶんないだろう。なお、後者の本は、薬学を修めた人なのに、「○○で痩せる」「△△で癌が治る」とか銘打った本と、たいして変わらない調子。根拠に民間人からの伝聞と個人的体験以上のことが提示できないのは残念だ。津田塾大で、みなさん子供を生みましょうとアジテーションすることには、いろいろと意味があるだろうが、経産婦(あなたの生み方は正しくなかった)と、35歳過ぎて生んでいない女(あなたは手遅れ)と、生まない女が諸悪の根源だと信じている男(非婚化・少子化は男のあなたのせいではない)には、いずれにも良い影響はないと思う。
2005年04月10日
お土産にもらったくさやの干物が賞味期限がきたので、先日焼いてみた。くさい、くさいというけれど、どのような臭さなのだろうという好奇心があった。用心のため、家の外で火を焚いてやってみた。真空パックをあけた瞬間からにおった。焼いたらにおいがなくなるかと思ったら、たちこめる煙まで同じにおい。窓をぴしゃっと閉められる。ここまで臭くても食べたがる人があとを絶えないのだから、よほどうまいに違いないのだが、口にいれた瞬間「う」。噛み続けることができず、飲んでしまった。両目から涙がどっとでる。苦しい。髪にも服にもにおいが移る。何度も洗って、何日もたったのに、においの記憶が鮮明に残っている。味の記憶はふっとんでしまった。一番近いにおいは、草食動物の排泄物。動物園にいる気分は悪くないが、かわいい動物も見られない上に、それを口にいれるというのはかなり抵抗がある。発酵食品って、紙一重のところにあるのだなぁ。チーズとか、納豆とか、キムチとか。味噌も醤油も酒もヨーグルトも、慣れないと臭いかもしれん。臭豆腐、ドリアン、スーストロミン。くさやと並んでとりあげられるけど、全く同じようなニオイなんだろうか。肉食動物系だったりして・・・だとしたら、相当にきつい小泉武夫「くさいはうまい」(毎日新聞社)をもう一度読みたくなった。
2005年04月09日
お釈迦様、お誕生日おめでとうございます。ローマ教皇、さようなら。
2005年04月08日
上海に葉書を出した。いつもは定額の切手を貼るのだが、相手が好みそうな80円のドラえもん切手を貼った。確かそれで間に合うはずだとは思ったけど、振込みついでに立ち寄った郵便局の窓口で、念のため「これでいいですか」ときいた。そしたら「あと10円ですね」というので、4月から値上げしたのかなぁと思い、10円払って領収書をもらって帰った。あとでネットで郵便料金をみたら、葉書は世界中70円均一とある。封書の場合、該当の重量では90円である。うーん。10円よぶんに切手を貼った上に、10円とられた。たかが10円ではあったが納得がいかないので、翌日になって、一応客が途絶えた閉局3分前を狙って、「かくかくしかじかなので、自分が貼った分はそれでいいのですが、あとで追加した10円分のほうは切手でいいので」と言ったら、10円切手で返してくれた。いちいち証拠を確かめるのでもなく、口頭の説明でOKだったのは、額があまりに少なかったこと、領収書があったことと、たびたび立ち寄る郵便局なので、うっすら顔を覚えられているからだと思う。局員全員起立で「申し訳ございませんでした」とまで言われ、かえって悪い気がした。先日、電車で200円の区間のところを220円払った。往路は値上げしたのかなぁと思って220円の切符を買ったのだが、復路を買うときに、200円となっていたので、これは自分が見間違えたのか、表示が間違っているのかどっちかだと思い、わざわざ往路購入した場所の路線図運賃表を確認した。行き先はA駅B駅 | 220 A駅===D駅200==| C駅===E駅200==|220円、往復で値段が違うのか?よくみたら、==B駅 | 220 ==A駅===D駅200==200 | ==C駅===E駅200==200 |とある。そして、目をこらしてみると、==B駅 |↑220 ==A駅===D駅200==200 | ==C駅===E駅200==200 |黒い背景には目立たない赤い文字の「↑」印が、テープで貼ってあった。たぶん、右なら右、左なら左に書け~!と、他にも苦情があったんだろうと思う。自分がボケたわけでもないし、表示ミスがあったわけでもなく、不親切な表示が原因だったとわかり、20円損したけど納得できた。10円・20円を切り詰めた生活をしているわけではないが、定額のものになると、細かくなるから金銭感覚は不思議なものだ。
2005年04月07日
今日こそ遊んで終わらないよう頑張ろう。と意気込む。読まねばならない本がぼーだい。うひー。同一パターン4回目の仕事は、そんなに難しくなさそうだが、新しい分野が加わりどうしようか困る。2回目のほうのは、建て直しをしないと、あとで苦しくなるのがわかっているので、行き当たりばったりで調整しつつ、というわけにはいかん。あああ。とかいいながらワイドショー。渡り鳥と釣り人が時々使用していた岩山を指す固有地名、漢字でみると違うけど、TaKe島もToKu島も、音が似ている。呼び始めたころの音はおんなじだったんじゃないかと思うくらいだ。航海の目印が、国家の団結の道具となり、漁業の権利に混乱を生んでいるはずなのだが、日本は嫌われています、憎悪のエネルギーで盛り上がってます、ということしか報道しない。変なの。
2005年04月06日
10年ぶりに運転する。一度覚えると乗り方を忘れることはないというが、注意の向け方はすっかり忘れていて愕然とする。段差の避け方とか、坂道のブレーキの利かせ方とか、減速・加速してのカーブの曲がり方とか。徒歩では、ショートカットばかり考えるが、自転車では平気で寄り道ができる。車では入れない細い道や、一方通行の逆走もできる。とうかれて、いつもの徒歩と同じつもりで、そのまま階段道に行ってしまい、仕方ないので担いで歩いた。自転車は盗まれる心配が大きい。どんな丈夫な鍵をかけても新しいうちはパーツなどでも盗まれやすいとかきくと、心配なので、とりあえず、エレベータにのせ、自宅ベランダに置いてみた。毎度持ち運ぶことになると、面倒くさくて乗らなくかもしれんなぁ。
2005年04月05日
雑誌を捨てようと思って、もう一度読んでしまう。『週刊文春』(3/3号)「お言葉ですが…」高島俊男この人の話は、いらいらするので読み飛ばす。日常語に用いられない単語を散りばめ、自らの経験で知っている昔のことは検証もせずに全て「正しい」とし、他人の無知を大げさに驚いてみせ、自分の理解力が及びそうにないことについては投げ出す、というような、あまりにパターンどおりの似非インテリおやじっぷりな妄言が書き散らしてあるからだ。「萩野貞樹先生の『旧かなを楽しむ-和歌・俳句がもっと面白くなる-』(リヨン社)は、古文ニガテの小生教えられることばかりの本であった。「き」と「けり」とはどうちがうか、なんて全然知らなかったもんなあ。」って、それで国語の先生してたんですかい!?と驚いたりする。「なかでも衝撃的であったのは、いまの人の和歌・俳句には「何々している」の表現が多い、むかしの人の作にはほとんどない、というくだりでありました。」(中略)「この「何々している(“いる”に傍点)」のようなのを、補助動詞、あるいは形式動詞と言うのだそうです。」“と言うのだそうです”って、伝聞形にしているのは、読者サービスですかね?「ではなぜ、われわれの現代の日本人の会話や文章には「何々している」「何々していた」のたぐいが多いのだろう、小生これは英語の現在進行形の影響ではないかと思う。英語にはsingingとかwalkingとか-ingがしょっちゅう出てくる。ところが日本語にはこの現在進行形にぴったりした言い方がなかったようなのですね。そこで明治時代にはこれを「つつある」と訳した。」(中略)「しかし「つつある」はいかにも生硬だから、だんだん「何々している」がとってかわったんじゃないかしら。「私は本を読んでいる」「妻は手紙を書いている」「赤ん坊は泣いている」といったふうに、これならば口頭語としても十分使える。「つつある」は文章ならいいけど日常の会話にはとても無理ですからね。まあこの点は、正確には明治以来の英文和訳指導書などを検証せねばならぬが、きっとそういう経過をたどったのだろうと思います」生硬[せいこう](名・形動)態度・表現などが、未熟でかたい感じがすること。また、そのさま。「―な訳文」(大辞泉)読んでないけど、萩野先生とやらの本は、俳句や和歌では、「ている・ていた」の変わりに、文語らしく「き」「けり」を使えとあるんじゃないでしょうか。「ている」は、明治になって「つつある」を経て、その後出現したものだと思っているのでしょうか。「ている」は生硬でなく口頭語として使える、と明治時代の人が思ったのだとしたら、なぜでしょうか。結び「そうすると、もう言語感覚がちがうのだから、いまの日本人が文語で歌や句を作ろうというのがそもそも無理なんじゃないか、-そういう気がしないでもありませんね。」どうして諦める?
2005年04月04日
クイズ番組の問題。似て非なる語の説明の問題なんだけど、「つい」と「うっかり」のどちらが罪が重いか?って、金田一さんの解説「うっかり核ボタンを押すことはあっても、つい核ボタンを押すことはない、「つい」は習慣上の些細なことなので、罪が重くない」だと。そうかぁ~!?例をみてみよう。(1A)督促状、つい捨ててしまいました。(見るのも嫌なので)(1B)督促状、うっかり捨ててしまいました。(なくしました)(2A)商品を手にとり、ついポケットにいれてしまいました。(いつもの癖で万引きしてしまいました)(2B)商品を手にとり、うっかりポケットにいれてしまいました。(ぼんやりしていました)(3A)つい隣の女性のお尻を触ってしまいました。(むらむらしてどうしようもなかったのです)(3B)うっかり隣の女性のお尻を触ってしまいました。(恋人の尻と間違えたのですというような場合には可)(4A)ついカッとなって、怒鳴ってしまいました。(我を忘れてしまいました)(4B)うっかりカッとなって、怒鳴ってしまいました。(自分の血圧が高いことを忘れていましたというような場合には可)「つい」は「いけないことだと知っていながら」、「うっかり」は「いけないことだということを忘れていて」っていうことじゃないか?「ついうっかり」という語順では用いられるが、「うっかりつい」という語順では用いられにくいのは、「知っていながら忘れて」ということはあっても、「忘れていながら知っていて」ということがないからだろう。「核ボタンを押す」ということは、どちらにせよ結果は重罪なことだから、変な説明になる。理性が働かず、気がおかしくなっているとはいえ、その行為に至る状況がやむをえないという判断が残っているのだから「つい」となる。何も考えていない「うっかり」より、むしろ悪意があってのことだ。罪の重さは、「意図性はあるか、不可抗力か」ということと、「相手の立場になって反省しているか、自分のことばかり正当化しているか」ということで測られることであろう。金田一秀穂定義の、本人にとって日常の些細な習慣であるから罪は軽いっていうのだと、意図性があるし反省の色もない加害者じゃないか。*******日本語教育の人のページ。http://www014.upp.so-net.ne.jp/nbunka/3ga.htm[うっかり]この行為はどちらかというと偶然に起きた感じですし、繰り返す事はあまりありません。[つい]どちらかというと習慣的な本能的な不注意や間違いである事が多いです:言い換えるとある状況のもとでは知らず知らずにある行動をとってしまう、そしてその行動は繰り返されるたしかに「行為の繰り返し」(=習慣性を持つ行動)に着目することで、意味・用法の違いを明らかにできる。「罪の重さ」を「当人の罪の意識」だけで捉えようとする金田一氏の倫理観には賛成できない。倫理観を交えて、言葉の説明をするのは間違っている。主観から離れて、語のもつ意味だけをとりあげるべきだ。
2005年04月03日
ナマの落語を、演芸場でみたのは初めてだ。案外、会場は小さい。落語はいい。ざぶとんに座っているから。漫才は二人もいて、立っているので、でかくて怖い。漫才の人は足袋裸足っつーか、靴下裸足だった。落語が座布団のところを土足で歩くわけにはいかんものな。帰宅して笑点みたら、漫才師が出るときは敷物が敷かれていて靴だった。
2005年04月03日
「はすの芽」という漬物を食べた。梅酢につけていて、春らしい色だ。細い茎のような長いハスだが、断面図は小さくても蓮状に穴が開いている。穴に梅酢がしみこみ、これがまた美味い。他の調理法もできそうだ。八百屋さんにないかなぁ。
2005年04月02日
自治体のゴミの収集の仕方が変更されて、ややこしくなった。一応メリットもあり、封筒や小さなちらしのような雑紙も、回収してくれるので、可燃物の量が減り、生ゴミだけになった。デメリットは、可燃物の日は変わらないが、不燃物が細分化され、しかも収集日がばらばらになったので、ウィークデーは毎日ゴミのことを考えなければならなくなったことだ。ゴミ箱の数を増やすべきだろうが、部屋が狭いので、たくさん置きたくない。とりあえず大きな袋にいれ、毎朝出すべきものをとりだして捨てているるが、効率がよくない感じがする。肉は肉屋でたけのこの皮に包んでもらい、豆腐は豆腐屋にボールをもっていき、生ゴミは畑に埋められるような生活だったら、こうもならんのだろうなぁ。
2005年04月01日
全31件 (31件中 1-31件目)
1


![]()