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起きたら12時。あうう。自堕落な生活。蕁麻疹を治すためにリラックス、ということにしておこう。早く薬漬け生活から抜けたい。今日はシンガリという言葉の漢字を覚えた。「殿」。ちゃんと変換される。「新党さきがけ」が出来たとき、ギャグで「新党しんがり」というのが小さく流行ったが、魁は知っていたが殿はたぶん見ても「との」とか「でん」とか読んで、流していたのかもしれない。「先駆」と「後駆」でええやん、と思うのだが、なんで殿の字があてられたのか。殿っつったら、お殿様とか宮殿とかの殿でしょう。人と建物が同じなのは、奥様とか大奥とかと同じことで。あとで大漢和で調べておこう。(忘れそうだ)日国と諸橋大漢和くらい自宅においておかねばなー。使わない言葉は、知らなくても困らないのだが、問題なのが使っているのに間違えて覚えている言葉だ。一応意味の知識があやしい時は使わない、あるいは確認してから使うのだが、10代の頃みたいに、あやしいと全く思わず使ってしまうことが今でもあるんじゃないかと思うことがある。あるハンドアウトに、「(文献は)第一版は剽窃があるので第二版を使用した」とあった。第一版で他人の文章をパクっていたのを、第二版で書き改めるような研究者がおるのか?たぶん、印刷ミスとか落丁とか乱丁のつもりなのだろう。ヒョウセツを漢字で書いてあるのに、窃盗とか窃視とかの窃があるのだから、変だなとは思わなかったのだろうか。で、辞書をひいてみて、剽窃の剽の字はヒョウキンのヒョウの字と同じであることを知る。(剽軽)ひょうきんは昔よく使われた語だ。初めて聞いたのは、「欽ちゃんのどこまでやるの」で、真屋順子の子守唄だ。夫である欽ちゃんについて歌ったもので、「♪ひょうきんもーので、・・・」あと忘れたが昭和時代的短調な歌。メロディは部分的に覚えている。(ぐぐったら、「欽一・順子の子守唄」という中村八大の作品というのがあった。たぶんそれ。)その後、「オレたちひょうきん族」により、ひょうきんという言葉は若い世代にもすっかり定着したのだが、実際に「うちの子はひょうきんな性格で…」というような生きた使い方はまだしているのだろうか。と、ここまで書いてやっぱり殿が気になったので、とりあえず字統で調べた。「軍の先鋒を啓、後尾を殿というのは前堂・後殿の意からの転義。」ほー。建物との関連は位置つながりだったか。『字統』、調べ物に使う文献なのに「かもしれない」「か」と堂々とあるのは、ほかにあまりないかもしれん。白川静は文学な人だな。字通はCD-ROM版もあるんかいな。情報、遅っ。ということで、今日のネットサーフィンおわり。
2005年10月31日

これがこうなる。もっとたくさん作ればよかった。
2005年10月30日
今日はいろいろよく聞くタクシーに乗ってくたびれた。テキトーに答えていたら、それをベースに話を盛り上げようとする。察しが悪いな。くたびれているからタクシーに乗ったのに。しかもJRの駅がわからず、メーターとめてカーナビつけるような運転手。こっちの話をするのも面倒なんで、「いつもどこらへん走ってるんすか」聞いたら、だいたい明治通りを往復、23区内と特定地域の武蔵野市と三鷹市ならどこでも営業が自由なので、頑張っている人は、(駅とかの行列に)つけないで走り回ってお客さんを獲得しているが、自分は今はこんな不況だし1日4万円、昨日はちょっとよくて5万円、一番いいときで6万円、でも給料は安いとか言っていた。こっちが聞いていないことまでよく喋って、「あ、駅だ」と急ブレーキ。いろいろおしゃべりできるという点で、タクシーの仕事が好きでいる人なんだろう。がむしゃらさがない分、個人タクシーには向かないタイプだな。給料が変わるかどうかシステムは知らないが、せめてまず道を覚えたらもう少し稼げるようになるんじゃないかなぁ。まあ研究職系でも、いろいろあるしな。学部時代に、なんとなく話す機会があって、「大学で勤めるということは、 研究・教育・政治この3つのうち、2つをクリアできなければならない」とおっしゃった文学系の先生がいらした。この話の含みとしては、3つ全部やるのは無理だが、1つしかできないと難しいということだ。もっというと、研究と政治ばかりに熱心で、学生を無視していても何とかなるということだ。この御方、その15年後に「あー、俺はやっぱり授業は嫌いだ」とボヤきながら控え室に戻ってらした。この先生のファンである学生は毎年いるし、指導も細やかなようである。やるかやらないかではなく、好きか嫌いかでいえば、教育より研究がお好きなんだろう。別の大学に進んだときは、「研究が好きでなければ、この道は続かない」と若手はくちぐちに言っていた。研究ができると思うからこそ、我慢して授業なんかやっているんであって、もし食えるのであれば、教育なんてオプションはしたくないといってはばからなかった。たぶん教育なんてものは、する立場になってみれば、たいていの人には多かれ少なかれ面白いことには遭遇するもので、それを敢えて好きだなんて言うのは、権力志向のようで、かっこ悪いことでもあるのだろう。日毎の教育にかまけて、一生の研究がおろそかになってしまえば、浮かばれなくなる。周囲が見えなくなるほど、自分の世界にだけ没頭していれば、政治的に足元をすくわれる危険性もあるということか。本人の優先したい順位より、利用者側からすると、タクシー運転手の場合1.基本的な運転技術があること。2.カーナビを補助的に使うにしても、せめて行動半径内での地理感覚があること。3.サービスの多少はともかく、接客能力があること。研究者の場合、1.基本的な研究能力があること。2.政治的に暗躍しないまでも、同僚から浮かない程度に協調性があること。3.サービスの多少はともかく、まとも教育を還元できる能力あること。と優先順位がある。3番目だけを頑張って過剰なサービスにしたところで、他に求められていることは埋められないのだろう。
2005年10月29日
・・・いつのまにか機能が増えとる。楽天よくわからん。今日の夕飯・ごはん・はまぐりのお味噌汁・厚揚げと玉葱煮・おから鶏肉バーグ・油揚と春菊味噌炒め・しいたけのおから和え・トマト・茄子の即席漬け・のり佃煮・らっきょう・柿調理法と味付をかえてるけど、メインは大豆たんぱくばっかり。冷奴つけようかと思ったがやめた。調理法は、煮・炒・茹・焼・生。揚は買う。味付は、甘・塩・苦・酸・辛・無(素材そのもの)動物性たんぱく質は80-100g程度。魚介:鶏:豚が頻度5:4:1。野菜は緑の濃いものを最低1ついれる。果物は、1~3種類。炭水化物に炭水化物を重ねることは平気でする。1食のカロリーの幅は、かなりでかいはず。所要時間は、20分で晩御飯。刺身は週3、鶏唐は週2くらい。ってことは、殆ど調理しない状態のおかずも多い。
2005年10月28日
おかげでまもなく大連休。何をするか考えておかないと、ぼんやり過ぎそうだ。昨日、東急ハンズと世界堂に行った。文具店ってだけでトキめくのだが、折りしもパーティグッズフェア開催中。学園祭だのハロウィンだのの飾りの中に、「おはながみ」を発見。某学校の学園祭の出し物は韓国文化展示である。これを使って、季節外れではあるけれど、ケナリとチンダルレを作ったら、装飾も映えるし、なによりネイティヴの先生が喜ぶだろうなぁと思い、作り方を提案したら、まるきり部外者なんだけど頼むよと言われた。で、買ってきた。黄色とドピンクのおはながみ。まるめたり折ったり。ケナリは1枚の紙を横に4つに切って房のようにして5つずつ。チンダルレは3枚重ねて十字に4つに切って花びら広げて3つずつ。桜と違って、いずれ劣らぬ花となるようバランスを考えるのがポイント。これを8本ずつ、細くて長い竹ヒゴにくっつけ、枝垂れさせる。餅玉枝垂れhttp://www.mokukouya.com/h_kazarish.htmlみたいな感じ。束にするとゴージャス。学園祭らしくチープでわりといい出来。ラララ~。いやいや、韓国のデパートのウィンドウでも使えそうじゃないか?とまで勘違いし始める。ドリフのような舞台装置を作りたくて、美大受験した当時の血が騒ぐ。あとで写真撮ってきてもらおうっと。
2005年10月27日
あえて素人っぽく、ことばのあれこれ。***「すずきさん、いらっしゃいますか」「失礼ですが、どなたですか」「○○大学の、チンともうします」というフレーズ暗記練習中「すずきさん、いますか」「失礼ですね、だれですか」と間違えて覚えてしまった人がいて思わず大爆笑。というか、1ヶ月約100時間勉強すると、それがどういう誤りであるかわかってくるというのがすごい。***職場で「いんでんの筆入れがあったんだけど、あなたの?」と聞かれ「はい?それってナンデスカ」と答えた。「あら、ごめんなさいね。いんでんのペンケース」「いや、筆入れはわかりますが、いんでんって?」「あら、じゃあ違うわね。ごめんなさい」と立ち去られ、いんでんが素材であるか、ブランドであるかどちらかということは見当がついたが、なんなのか。筆入れの落とし主があらわれ現物を見せてもらった。漆模様の革製品、山梨県のお土産屋さんで見たことがあったものだ。「インド伝来ということで、印伝っていうそうよ」へぇへぇへぇ。この年になっても、知らない既成の言葉に出会う機会は時々ある。流行語のように、なんとなく覚えていくというのではなくて、だいたいはわかっていても、その理解で正しいのかどうか、しっかり調べておきたくなるやつがある。今年覚えたことば。「どぶ板選挙」説明されなくても、だいたいイメージはわかるんだけど、あまりにみんなが当たり前のように使っているものだから、それをこれまで一度も聞いたことがなかったことに焦った。周りが揶揄していう言葉としてはよいが、来られた人たちはあまり嬉しくない言葉だな。***片山さつきさんが、民主党代表をさして、「こいつも同じこと言ってるなぁって・・・」こいつ呼ばわりしたことが問題になった。これに対し、「って、小泉さんが思っているんじゃないかと思った」とか苦しい言い訳をしていたが、引用句に入ると本人の弁だということにならず、わりと自由に使える。外資系のどっかの保険会社のCMで、「~するぜという人には、○○タイプの保険が」とかいってるのを聞いた。(うろおぼえ)2005年現在、老後というには若々しいリタイア後を考える世代、オーバーフィフティのおっさん向けの商品かもしれん。おなごが、「~ぞ」というのを口頭では使いにくいが、「がんばるぞーって思っちゃった」というようなことでは、わりと使っていたりする。つーか、ひところ流行った古い言い方か。「~するぞっと」おかまの人が、リアル女以上に古臭い女語を使って、世の中をぶったぎる毒舌発言をするのと、まったく同じことなのだが、若い頃に、でれでれしたおっさんたちから「若い娘にはかなわんなぁ」とちやほやされてきたような人には、わざと少年っぽい話し方をする人がある。その性別でその年齢ならば、とても言えないはずのことも、性別年齢がイレギュラーな人なら、イレギュラーなことも言えてしまうという、言葉の仮装みたいなもん。しかし、元ミスでも、年齢がいっちゃうと痛いな。武部さんじゃないけど、「厳に慎むべき。私も気をつけます」だ。武部さんのすごいところは「小泉チルドレンは、チャイルドシートに座っとれ」という逆襲に対し、「チャイルドシートとは低劣な」と苦言をさし、相手を同レベルに落ちているものでることを示してから身内の非を認めるように持っていったところだ。たびたびクチがすべるところをみると、政治的に揺るぎない信念を持っている人とはとても思えないのだが、先の選挙戦術の巧妙さとかどうも武部さんは、政治家というより商才がある人なんじゃないかなぁと思った。何をしたら世の中どうなるか、という先がよく見えている人。なのだけど、とりあえず目先の利益になることだけが見えているだけ。「タイゾー議員が参議院選挙に出たらトップ当選間違いなし」とか武部さんが言ったそうだが、確かにそうなりそうだと思うが、政治家として、そういう現実を言うのはまずいだろう。***以上、今週の気づいたことメモである。
2005年10月26日
年賀状、予約せんかと郵便局にいわれる季節。来年2006年平成18年戌年のデザイン。笑点メンバーを並べようかとおもったが、正月早々あまり縁起がよくないかもなぁ。こん平さんは、1年以上見ていない人になってしまって、あとがまのたい平もしっかり馴染んでいる。円楽さんは脳梗塞でしばらくお休みっていうことみたいだけどたとえ復帰できたとしても、これまでは老人特有の症状がでてネタにできる程度だったけど、なんか笑えなくなりそうで。棺桶に一番近い人のような扱いの歌丸さんは元気だな。(人が減ったときの、じいさんパワーってすげー。)笑点、1年ぶりに強烈に面白かった。来年は2000回記念になる。なんとか現メンバーでいきたいところだろう。年賀状は写真にしようかなぁ。人といえば、ほとんど赤ん坊だが、家族全員ではなく自分だけが写っているやつ。めでたい絵にしよう。
2005年10月25日
「まったく!あの人の言葉遣い、何とかならないかしらっ?」と、ある若者の“礼儀がなってない”ということで、お腹立ちの方がいらした。具体的にどこが変かというと例はあげてくれなかったのだが、日頃一応丁寧体で話すその若者のことを、実は一歩も日本から出て暮らしたことのないのに、帰国子女なんだろうと勝手に思いこんでいたことがあったのを考えると、言葉遣いになにがしかのズレがあるのは確かだ。これが例えばどんな言葉遣いだったのか、別の若者による例によって思い出した。その人は図書館で何か本を探していたらしく、それが見つからないので、おじいちゃん司書をよび、本棚の前で一緒に手伝ってもらっていた。貸出中表示がでていないのに見つからないのは、誰かがしまう場所を間違えたのか、図書館内の誰かが使用中なのか、似たような分野のものもなく、「お手上げ」ということだったようだ。ここで、「すみませんね、ちょっと今見当たらないようなんですが」司書さんが低姿勢に謝るのに対し、「だいじょぶです」と答えたのである。「あの、また見つかり次第、ご連絡することもできると思うんですが」「だいじょぶです」「申し訳ないですねぇ、ちょっとないですねぇ」「だいじょぶです」「すみませんねぇ」「だいじょぶです」なんか変だよ。ここは「いえいえ、こちらこそわざわざすみません」「いえいえ、どうもありがとうございました」てな具合にならんと落ち着かないだろう?確かに、司書の職務は、利用者が便利なように蔵書を管理することなのだろうけど、それを怠った落ち度として認識し、でもまあ許してやろうというような、妙に高飛車な感じ。サービスなのに、はるか年上の専門家に対し、お前何様だ?どうしても必要だったのに、というイライラ感はもっと抑えるべきだろう。おじいちゃん司書が、くどいくらい侘びを繰り返してしまったのは、そこんところの態度によるんではないか、と勘ぐってしまった。コントでは、(ラーメン屋で) 客「おいおい、おばちゃん、指はいってるよ」店主「だいじょうぶ、だいじょうぶ。熱くないから」というような、客の苦情を気遣いと取り違えるギャップを笑ったりするのだが、こうしたことは日常生活で積極的にやってはいけないことだから笑いになるのである。例えば、AがBのノートに消しゴムかすを飛ばしてしまい、A「あ、ごめんなさい」B「だいじょぶです」というように、全面的に相手に非がある場合は、「私は怒っていませんよ、たいしたことではないので気にしないで下さい」という意味で用いて良いが、自分が相手に負担をかけていることであれば、まずはそちらに謝辞なり侘びなりいれるのが、普通の日本語らしい感じがする。冒頭の若者は、「じゃ明日までにやっといてね。ちょっとたくさんで悪いけど」「だいじょぶです」「(あなたが)出しっぱなしの書類、片付けちゃったけどよかったかしら?」「だいじょぶです」と彼女の義務である仕事内容を確認されたり、遠まわしに注意を受けている場面で、はきはきと「だいじょぶです」と言っていたりするのだ。「4歳以上の健常児は相手の気持ちを推し量ることができる」という能力があるのだが、どの場面で相手の気持ちまで推し量るべきかとなると、文化の問題である。英語はよくわからないので、「Don’t mind!」がいかなる場合に使えて、いかなる場合には使ってはおかしいのかはわからないが、「大丈夫です」の使用範囲も少々わからなくなってきた。逆にいえば、こうした若者たちは、やや過剰に気遣ってもらうような言葉をかけられる経験が、あまり日常になかったのかもしれない。「探しましたが、本館にはありません」「そうですか。ありがとうございました」「この仕事は明日までにやっておいてください」「わかりました」「もう!書類が出しっぱなしだったから、私が片付けたわよ」「すみません」直球で言われないとわからないのかな。いや、それならそれで言われたほうも気を悪くするだろう。ちょっと昔は、頼む場合も頼まれる場合も、社会的立場の高い人は、ストレートな言い方もしていたんじゃないかな。社会的立場の高かった人が、妙に低姿勢に丁寧になってきて、世の中丁寧になってきたかのように思えたが、それならそれで相手も同じように低姿勢で丁寧なままかというと、そうではなく、「したでに出れば上に出る」というのは保たれ、結局立場が逆転してしまうような具合になってしまっているような感じがしてしまう。まあ上に出ているような意図はないのかもしれないけど。とりあえず、身近な人の場合、彼女の気づかないところで損していることになってしまうので、このことを教えてあげたほうがいいと思うのだが、どうやって言ったら伝わるか、考えると難しい。
2005年10月24日
むかーし、デパートのレンタルドレス屋でバイトしたことがある。卒業式、謝恩会のシーズン前だったので、お客さんもけっこう来たのだが、地理的に同じ学校の学生さんも多く、そうでなくても日程がダブるので、まず「いつ必要か」を聞いて、貸し出せるものの中から、選んでもらったりお勧めしたりする。タグにレンタル期間が書き込まれてあるのだが、人気のものとそうでないものは一目瞭然。「卒業式ですか?」「ええ、まあ」「お式、いつですか?」「・・・ちょっと見ているだけなんで」と言われて、放っておいて「これなんですけど」と言われても、貸せるものにあたることは少ない。「18日~20日?これって21日、かりれますかー」と言われても、「メンテナンスに中2日いただいておりますので・・・」と断る。クリーニングだろうとお客さんは理解するようだが、実際は消臭剤をふりかけて屋上で陰干しするのだ。嘘は言ってない。だから本当は中1日あればなんとかなりそうなのだが、延長料金が厳しく設定されているのに忘れる人も中にはいるので、督促のために用心して設定しているのである。地味目な服に、「パールとかあわせられると、こんな感じで・・・」とアクセサリーも添えてみせ、母娘連れだと、「一生に一度の記念だしぃ」と勝手にもりあがって借りてくれたりする。イミテーションのアクセサリーも、買ってもたいして変わらない額だろうに、なかなかのレンタル料を稼ぐ。手袋は伸びちゃうので、商品として買ってもらう。ちょっとバブル時代っぽいのかな。接客以外の仕事は包装である。セロハンテープがくっつくと破れてしまう、あの白い薄い紙に包まれると、「なんということでしょう」(サザエさんの声で『劇的ビフォーアフター』風に)。古いはずのドレスが立派にみえるではありませんか。包装紙マジック!以前、「ためしてガッテン」で箱の包み方をやってたとき、日本人は「キャラメル包み」の箱を渡されてもあまり反応を示さず、「デパート包み」だと瞳孔が開くってのがあった。(たしか外国人は反応は同じだった)まるで関連性のない記号を状況と何度も特定されればつなぎあわせてしまう、パブロフの犬たち(英語ではdogsなので)である。家に帰ったお客さん自身が、衣装を身に着ける前に、白い包装紙を破る行為によって、わくわくするような高級な衣装であるということを再認識するのだ。ごみ減量の簡易包装だと叫ぼうと、薄紙は日本文化の中に条件反射ともなるくらい定着している。わざわざやってることに気づく客は少ないのだが、もしやらなければ「何か変だな」というひっかかりが生じるようなものである。ただ紙袋につっこんだだけでは、ユニクロやしまむらのような普段着になってしまい、「買わずに借りた」という後ろめたさを引き出すような危険性さえある。小手先の騙し行為みたいだが、しかし「非日常的な晴れがましいイベント」に臨む客の気分、お客さんの期待にあわせ、日本的に普通な状態にしただけである。こんなことからも日本社会が、高級なものとそうでないもの、つまりハレとケを分け、儀式に影響されやすい文化を持っているということがよくわかる。なおレンタル予定がないものだと、お買い上げも可能である。レンタルの3倍額くらいだったかな。(7000円/23000円というタグがあったような)管理がめんどうくさいだろうし、出番も何度もないだろうから、買う人は滅多にいなかった。外代(仕入値)は、実はレンタル料より安いのだが、一度も借りられることもない衣装もあるので、大もうけっていうわけでもなかったようだった。「誰が着るんだ?」と思うような衣装も、選ぶ行為の上に成り立っている商売には必要な道具なんだと思った。こんなことを久しぶりに思い出したのは、今朝、「レンタルドレス屋、知らない?」と言われたからだ。学園祭の催し物で、チマチョゴリを着たい人がいるんだそうな。検索すると、日本国内でも結構あった。東大門市場なら5000円くらいから買えるのだろうけど、地方の貸衣装屋も宅配使って貸し出すところがあるらしい。15000円からというところが多く、モノがどの程度なのかわからないが、5000円からというところもあった。コリアンタウンには、だいたいあるようだ。レンタルなんて嘆かわしいというような趣旨の文を書いている人もあったが、着物を持っていない日本人も多いしな。仮に1枚くらいならあっても、季節や用途にあわせていろいろ・・となると着物趣味の人くらいしかいないだろう。インドやベトナムはともかく、21世紀の民族衣装事情ってのは、そんな感じのところが多いだろう。夏服では寒いし、冬服では暑苦しい季節の今。ドレスじゃなくて普通の洋服のレンタルってのがあったらいいのになぁ、と思う。何を着たらいいか考えるの、めんどくさいよ。サイズと好きな色をクリックしたら、毎週2~3着のスーツが、鞄や靴やアクセサリーも組み合わせた箱で宅配されるってサービス、あったら利用したい。しかし、商売として成り立たせるためには、季節モノだし、民族衣装と違ってサイズは段階がいっぱいあるし、流行の波は激しく翌年の使い回し率が低いし、そんな在庫抱えることを考えたら、1回1万円でもやっていけないだろう。でもって、借りるほうは月々4万円でも借りないわな。半年ぶりに寝かせてあった服も、去年着ていた時点で「今年着たらやめよう」って言っていた古いものばっかり。春に捨てるという行為をしていなかったせいだよな。4万円持って洋服買いに行ってこようかな。お金をたくさん持っていけば、屈辱感も減るかしら。ああつらい。服なんて「よきにはからえ」が一番楽だ。「妻が選んでいるので」というようなダンディな人が、実にうらやましい。似合いもしないのに高ければ売りつけようと策略する売り子さんじゃない人、誰か選んでくれ。
2005年10月23日
6箇所の図書館から、本を借りている。計約50冊。バカですね。全部読みきる本もありますが、図表とか部分しか使わないものもかなりある。このうち、2割くらいずつ毎週入れ替えるのだけど、もうどこに何を返したらいいのか、間違えまくり。気づくと2箇所から同じ本借りてたりするし。過去に読んだことのあるもの、持っているものもあるのだが、現物は遠い書庫にあったり、コピーは発掘するのに手間がかかるという理由だったりする。管理が下手なのだ。図書館で、手袋はめてマスクして手に取るような貴重本を読む経験は、数えられるほど稀である。自主的に一人で見たこともないし、買ったこともない。よく考えれば、保存すべき本というのは1つもない。雑誌は廃品回収に出すのだが、裏表紙が恥ずかしいようなもの(つけたら幸せになるペンダントとか、塗ったら乳首がピンク色になる化粧品とか)もあるので、広報誌などに包んで厳重に縛り上げる。2度読むことはなかろう、という漫画本は定期的に大手古書店に持ち込む。ところが字の本の場合は処分が難しい。拾うことはあっても、捨てることはほとんどない。読み込んで読み込んでボロボロになる本ってのは少ないが、忘れたころにもう一度読むかも、と棚に保管してしまうのだ。で、実際読むかというと、読まないものの方が多いはずなのに、読むこともあると信じてしまう。専門書が古書店にあらわれにくいのは、発行部数が少ないこともあるけれど、そういう人が多いからじゃあないだろうか。新しい本を選ぶのが楽しい。本を読むのが楽しい。その楽しい時間のために、スペースと管理に要する時間と金銭が食われているのは、あまり楽しくないことだ。・図書館往復の時間・持ち運びする肉体的労力・禁帯出で寝転がって読めない悲しさ・誰もが利用できるはずの本となっているのに研究室で抱え込まれているせいで「すみませんが」とお願いする場合の面倒くささ(たいてい諦める)・開館時間外に読みたくなった場合のもどかしい気持ちの処理・運悪く他人が借りている場合の絶望感・期間内に返せと言われる煩わしさ図書館の本のデメリットも多いのだが、図書館並みの施設を維持する経済力がないので、せっかく蔵書が豊富な図書館で借りる権利があることだし、それをフルに利用することにしている。これが無料サービスってのは、すごいことだ。
2005年10月22日
やんごとなき方がまもなく御結婚。ってな話題を友達としていて、「まさに現代の30代の女性の理想の結婚だよねっ」ともりあがった。大学卒業後、地味な研究所で学部時代の専攻とは全く違う研究生活を始める。病や悩み多きお年頃の両親を精神的に支えながら、親元から通う。研究所以外の充実した仕事もあり、日本の伝統文化に関する趣味のお稽古も続ける。研究自体は好きだが、業績あげるバリバリの研究員になるというのは、ちょっと違うかもなという方向性が見えてきたころ、非常勤研究員となり、アカデミックな仕事も続ける。華のある顔立ちではないので、10代20代のころは、ちやほやする雑魚と精神的・肉体的に疲れるおつきあいをする羽目にも陥らず、無駄な苦労をせずにすみ、30過ぎて「最近きれいになったね」ときれいにお肌を保っている。それまでも周りが気遣って、いくつかお見合いも世話してくれたりしたが、家のこと、世間体のこと、何より自分との合うかどうか等、いろいろ考えて、なかなかピンとくる人がいないので、流されて妥協することもなく独身を貫くのだが、周囲が「もう聞いちゃ悪いかな」と思う頃になって、結局お見合いではなく、昔からよく知っていたおにいちゃんのお友達とお話がまとまる。お相手は、いま大人気の地方公務員で初婚。まともで真面目な人だが、オタク趣味をもっているので、忙しくて放っておいても「構ってぇ構ってぇ」とうるさくつきまとわれず、めいめい自分の世界に没頭できる。出産を全く諦めてしまうような年齢ではなく、可能性が残せる年齢で結婚。お互いに「子供はいてもいいし、いなくてもいいし」という至って健全な考え方を本心から言える年齢だ。いざ何かあったときでも(まあ何もなくても)、どちらの親の家にも30分程度で帰れるようなところに新居を構え、文教地区で耐震性およびセキュリティ対策ばっちりのマンションライフを送る。なんとうらやましい。長く独身時代を楽しんで過ごし、自分のやりたいことがしっかり固まってきている女性には、同じようにそういう自立した男性が相手だと楽だ。そのためには、お互いに仕事を持って経済的にも自立していることも大事な条件だ。自立しているようにみえても、仕事が趣味という仕事中毒な人は、仕事をしていない時間に俺様のお世話係りとなることを要求しがちだが(全てそうだとは限らないが)、仕事以外で深い趣味をもち、別に相手にそれを共有させようとしないような人ならば、お互いの趣味に立ち入らずに尊重しあえるだろう。兄嫁たちも、その時代では理想の女性像であった。次兄嫁バブル期のお嬢様ブーム、世の中金はあふれているので「金持ちだけではお嬢様とはいえない」という雰囲気が流れてきた頃登場。経済的には地味な家庭ながらもアカデミックな職につく親のもとに生まれ、幼少期の環境によりバイリンガルで育ち、付属から大学へ自宅から徒歩で通い、嫁き遅れと言われない平均初婚年齢前に、大学で知り合った相手と世間で主流の恋愛結婚。しかも世間の憧れとして取り沙汰されていた玉の輿結婚。生まれた女児2人はお受験の苦労もなく大学付属小学校に入学。長兄嫁バブルがはじけて、公務員が強くなってきたころ登場。外交官の親のもとに生まれ、その環境により読み書き発音ともに教養ある大人のネイティヴそのものというバイリンガルとなる。米国の大学卒業後、学部入試より難しい学士入学で東大に入ったものの、外交官試験に合格したので退学、毛並みの良さから出世街道を約束されている研修を経て、まだ胃の痛むような国家の一大事ともなるような大きな仕事を任されるようになる前に、格下でない男性から切に切に何度もお願いされて「仕事もいいけど結婚は?」という価値観が世間の主流であった時代に20代のうちに結婚。ややあって苦労の甲斐あり女児にめぐまれる。(その後はちょっとかわいそうなことになっているが)世の中の「結婚適齢期」観も、ずいぶん変わってきた。 平成2年 クリスマスイブ(24歳)~平均初婚年齢(26歳) 平成5年 20代のうちに(26歳~29歳) 平成17年 出産可能年齢のうちに(30歳~39歳)・・・40代でも可能ですがこの結婚適齢期というのは、つまり「多くの女性が結婚したいと思う年齢」だ。(女性は、出産可能年齢を過ぎたら、オプション込みの「家族がさらに増えるかもしれない結婚」は選べず、選ぶならオプションなしの「実子は積極的にいらない」という方針に合致する人ということになる。)日本中がここの家に影響されているというより、ここの家が日本社会の家族形態の縮図だともいえる。
2005年10月21日
なまたまごとごはんつぶがからむとうまい。死ぬ前に食べたいものは何?ときかれ、「たまごかけごはん」と答えた数日後。偶然ある人からぴかぴかの新米をいただいて、翌日別の人から生みたての殻の厚い立派な卵もいただいてしまい、これを食べたら死んじゃうのかと思ったことがある。死ななかったけど。おしょうゆをいれてかきまわし、ごはんの穴のなかにたらす習慣だったけれど、卵だけかけて、黄色を楽しんでおしょうゆをぽつぽつ落として、ゆるくかきまぜて食べた。死ぬ前に何が食べたいか、という質問をなんでしたのかときくと、答え方がその人をよくあらわすんだよと言われた。「おすし、フィレステーキ、どこどこのナニナニ」という人もいるし、「おかあさんのつくってくれたごはん」という人もいる。「酒」という人もいるし「たぶん、死ぬとわかったら何も喉にとおらないと思う」という人もいる。誰かに作ってもらう必要もないし、わざわざ遠くまで食材を探す必要もなく、一人で手軽に食べられるたまごかけごはん。1膳にたまご1個。死ぬ前は、2膳食べよう。こんなことを考えると、またそんな場面ができてしまうかもしれない。
2005年10月20日
もう1年分のカレンダーが貼られてしまった。おそろしいことだ。来年も、再来年も、日にちと曜日の組み合わせが決まっているなんて。って、10年後も100年後も1万年後も決まっているんだけど。といったら、そりゃあたりまえだ。このカレンダーのどこかにあんたの命日もあるんだし、それが何曜日かってことももう決まっているんだ、といわれた。やだなー。来年のカレンダーなのに。どっちも自分の命日は知る間もないことになるだろうが、どちらかは相手の命日を知ることになる。余命を知りたい、と50代の人がいっていた。定年後、20年か40年かで、蓄え方も全然違ってくるからということだそうだ。でも余命があと1年ですよといわれるときと、あと10年ですよといわれるときでは、貯蓄だけでなく行動は変わりそうだ。あと2年以内であれば、仕事はやめてしまうだろう。どの仕事も、死ぬ瞬間までやりたいというほどのもんではない。後妻の子供が知らない人と同じ墓に入るのはいやだとかいうかもしれないから、ひとりになっておく。一人暮らしにみあった小さい部屋で、日当たりと風通しのよい静かなところを選ぶ。徒歩圏に中規模なスーパーマーケットとコンビニがあり、もう少し足を伸ばすと比較的大きな書店があるようなところで、住んだことがないけど知ってる町がよい。新たに何かを始めようとは、たぶんしないだろう。国内外行ったことがないところで行けそうなところは、ひととおり行っておく。食べたいものを食べる。読みたいものを読む。ぎりぎりで久しぶりに人と会うと、印象を強く残してしまうので、なるべく顔を合わせないようにする。所持品等は一切残らないよう、順番に処分しておく。そんなとこかなぁ。しかしあと10年といわれたら、とりあえず5年くらい働いて貯めたお金で残りの5年を過ごすということになる。やはり後妻に恨まれたくないので、ひとりになっておくことにするのだが、10年もあるのだし、何回か相手を変えて誰かと一度も行ったことのない土地で生活してみたい。思い残しがないように、場当たり的無責任で不誠実なつきあい方をして、飽きたら先を越される前に次に行く。飲めば殴る人とか、飲まなくても殴る人ばかりに会って荒みそうだが、あとで死んだときかされれば、たいがい「もっと優しくすればよかった」と悔やませることになるので、元が善人じゃ申し訳ないので、悪人に後悔させるくらいだとちょうどいい。そうでなければ、いなくなって清々する、と笑って言ってしまうような人間的にダメな人でもよい。5年ぎりぎり変化に満ちた生活をして、荷物も持たずに突然行方不明になる。着の身着のまま、過去に住んだことのあるどこかの町にいって、死亡診断書をすぐ書けるように病院の裏口の前で、最期の段取りをしてから、生活を変える前にかつてお世話になった家族や友達に電話で挨拶をする。これだと、もし何かの間違いでうっかり寿命が延びてしまったら困るな。仮に月々15万円かかるとしたら、年180万である。20年分は3600万円。7200円準備できたら、定年後100歳まで細々と暮らせるのだが、年金あてにしないで、それができる人は少ないんじゃないか?平均余命まで生きてしまうとしたら、好むと好まざると、体が動く限り、職種を変えてでも「死ぬまで働く」という道しか残されていないような気がする。
2005年10月19日
よく降るなぁ。天気のせいもあるけど、喋りすぎた翌日は、何となく気分が晴れない。日頃あまり喋らない生活をしているからか。ヒマなので、教育勅語の分析でもしよう。明治天皇からの勅語だが、井上毅(こわし)が原案、というか殆ど彼の作。明治23年10月30日一人称一人称所有格一人称・モダリティ表現二人称我々的表現対句的表現指示詞文法的誤り教育ニ関スル勅語[第一段]朕惟フニ 我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト 宏遠ニ 徳ヲ樹ツルコト 深厚ナリ我カ臣民 克ク忠ニ 克ク孝ニ 億兆心ヲ一ニシテ 世世厥ノ美ヲ濟セルハ 此レ我ガ國軆ノ精華ニシテ 教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス[第二段]爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ學ヲ修メ業ヲ習ヒ 以テ智能ヲ啓發シ徳器ヲ成就シ進テ公益ヲ廣ノ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重ジ國法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉ジ 以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ是ノ如キハ 獨リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラズ 又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顕彰スルニ足ラン [第三段]斯ノ道ハ 實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所 之ヲ古今ニ通シテ謬ラス 之ヲ中外ニ施シテ悖ラス朕爾臣民ト倶ニ挙挙服膺シテ 咸其徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ 明治二十三年十月三十日[第一段:序論]御名御璽惟(おも)フニ皇祖皇宗(こうそこうそう)國を肇(はじ)むる 他動詞文徳を樹(た)つる 他動詞文宏遠:深厚[第二段:本論]・身の回りの人との関係:血縁(一親等→二親等)→他人(婚姻相手→その他)・個々人の心構え(内→外→学習の目的)・公に対する態度・第2段まとめ[第三段:結び]
2005年10月18日
返却日は来年だ。今年もあと2ヶ月ちょいか。図書館の本は、自分のものじゃあないので、書き込みをしてはいけないのだが、そんなマナーを違反する人も中にはいる。学校の図書館だと、小説に「死ぬ・伏線」と途中で書き込んであったり、歴史上の人物に生没年が書き添えてあったり、ポイントを絞って、斜め読み用に便利に傍線をひいてあるものもあったりして、お勉強の道具に利用した痕跡が見受けられる。今日読んだ本には、気をもむ、気に病む、気が利かない、捻挫、等慣用句や難しい漢字に線がひいてあって、ああ留学生が四苦八苦して読んだのだなぁと思った。しかし、よくみると、「それらしきものは見当たらなかったので」辞書をひいたんだろうな。敷物なら漢字で書くよ、と教えてあげたくなった。
2005年10月17日
名前だけはかわいいくせに、調理に使うのが難しい。「肉や魚に混ぜて」うまくいったためしがない。微量に使ったつもりだけど、多かったのか。除虫菊たべたら、こんな気分か。数々のハーブ栽培に失敗して、放置した花壇にいつのまにかローズマリーが大繁殖していたことがある。水もいらない、世話もいらない、虫もたからない。
2005年10月16日
持ち歩いていたら、どこかで教科書をなくしてしまった。マクドナルドかドトールか、ガソリンスタンドかサービスエリアか。図書館とスーパーにはないことがわかった。ああ、どこだろう、困ったな。中国じゃあみんなDVDだというのに、日本人はなんで不便なビデオなんか使うんだ、というようなことをきかれ、普及率が高くなってから長いからだよ、というような内容のつもりで、次のように答えておいた。日本では1980年ごろから、ビデオがあります。1990年ごろには、50%以上の家が持っていました。DVDのデッキは高いです。何万円もします。ビデオデッキは1万円以下のもあります。(昔のソフトもそのまま使えるし、とりあえず「録画して頭から見たい」という目的だけだったら、ダビング機能もいらないし、頭だし繰り返しをすぐにする必要も無いし、画像・音質がきれいだとか、場所をとらないだとか、そういうことはもっと新しくて便利な物と比べて不便さを感じるような機会がなければ、「これでいい」となる。おじいさんおばあさんは、ビデオが好きです。おじいさんおばあさんがもっと若かったとき、ずっと使っていましたから。(ビデオは、みためにテープ残量もわかって、「文明の利器は好きだけどアナログ派」ってポジションの人には好かれそうなものだ。音専用のカセットテープより物理的にでかいというのも、理解されやすい。思い出のソフトもうつしましたからDVDを使ってと言われても、手順はビデオのほうが慣れていてわかりやすい)DVDをもっと普及させるためには、ビデオを追放することが必要だ。安価な家庭用デッキで、ビデオ→DVDの複製が素早くできるようになればよいのに。写真屋とかでやってるダビング代、高いよ。
2005年10月15日
防災士の資格が注目されている、と朝のニュースでやっていた。そこまでやらなくても、救命講習くらいは一度受けておいたほうがいいかもなぁと思った。とりあえず、防災・危機管理e-カレッジのページでも読むか。http://www.e-college.fdma.go.jp/top.html
2005年10月14日
今日は伊東屋に行った。久しぶりにときめいた。★お店・ときめく順★1位 文具店(大型店なら3時間過ごせる)2位 清潔なスーパーマーケット(本日のお値打ち品があるとなおよし)3位 書店(特定の探し物をするときでも目移りする)4位 おしゃれ系雑貨店(買う・買わないは別)5位 家電屋(特定の探し物をしていないときのほうが楽しい)6位 清潔なコンビニ(客層がオヤジ系に偏っていないところのほうがよいい)7位 清潔な100円ショップ(埃っぽくて臭いところはダメ)8位 化粧品店(お店の人が寄ってこないとなおよし)9位 コーヒー豆・茶葉店(パッケージが美しいとなおよし)10位 農協(野菜売り場、園芸コーナーなど)11位 家具屋(家に置ける・置けないは考えない)12位 回転寿司(1皿の値段の幅があるとなおよし)13位 喫茶店(広くて新しいorおまけサービスが多いとなおよし)・・17位 かに道楽、かに本家、甲羅など(海老専門店でもよい)18位 花屋(アレンジメントサンプルがたくさんあるとなおよし)・・・27位 かばん屋(安価でも高価でも)28位 ユニクロ、しまむらなど(安価な1シーズン洋服店)29位 全国チェーンではないケーキ屋(店内喫茶室があるとなおよし)30位 楽器店(CDも置いてあるとなおよし)31位 不動産屋(間取図豊富で、人が寄ってこないとなおよし)・・・47位 せともの屋48位 イエローハット、オートバックス、タイヤ館(作業が早ければよし)49位 郵便局(切手サンプルが豊富ならよし)50位 病院(大きなところならよし)51位 ブティック、洋服売り場(店員が寄って来なくてサイズが余裕ならよし)52位 飲み物の自動販売機(紙コップは全部同じなのに惑わされる)・・72位 ガソリンスタンド(義務)73位 美容院(義務)74位 歯医者(義務)・・以下略
2005年10月13日
高速道路のETCを「いーてっく」という“愛称”で発音している人、一度もみたことがない。カードをいれてエンジンかけると、「ポーン・・・ETCカードが利用できます」というのだけど、イーティーシーだもんな。まあ愛称じゃ呼ばないか。ところで、そのままエンジン切れば、「ピーッ!!!カードが残っています」高速乗らないから、カードいれないというときは、「ピーッ!!!カードが挿入されていません」いちいちどちらかで叱られるのがいらつく。高速に乗らなくてもカードをいれ、エンジン切るたび直前にカードを抜けということか。あちこちいろんな人から言われてきた思い出しネタだが、「E電」や「実年」も聞いたことがない。「チョベリバ」とか「アサップでお願い」も、実際の自然な会話の流れでは聞いたことがないから、本当に実在していた単語なのかどうかわからない。「クールビズ」も「ウォームビズ」も、「おっクールビズですか」「クールビズですからね」とか使っている人は使っているんだろうけど、そういうメタ言語的な使い方以外にも発展すれば、単に流行語じゃあなくなるんだろうな。ちょこっとだけ年下の世代は「トルコ風呂」とか「トルコ嬢」を知らない。「トルコにそういうタイプのお風呂屋さんがあるから?」と言う、そんなあーたのような誤解が氾濫したから、トルコ人留学生が声をあげて名称廃止を訴え、そりゃもっともよなぁと業界が団結してわざわざ公募し、「ソープランド」「ソープ嬢」という名付けをしたのだよ、と言ったら「へぇへぇへぇ」だと。「じゃあ、いつどこでトルコ風呂って名前が発祥したんでしょうね?」と聞かれたので、ネットで調べてみたら1971年の滋賀県とあった。へぇへぇ。ホテトル嬢とかマントル嬢ってのは、元の語がわかりにくくなっているから、いまでも職業名が生きているのかな。音のイメージでは、マントル対流が流れて火照ったお嬢さん。熱い。
2005年10月12日
痴呆とかボケとよぶのを廃止して、認知の症。これ以上短縮のしようがない命名だわな。臨床心理士とか言語聴覚士とかと同じく、語構成からだけでは、いまひとつ実態がわかりにくくなっている言い換え語が増えている。言い換え語といえば、意味の分かりにくい外来語系のカタカナ語を、わかりやすい漢語におきかえようとしているプロジェクトがあるが、元の語と意味範囲と一致しないこともあるし、漢語にしたからって、意味がパーフェクトにわかるわけでもなく、中途半端な理解を進めことにもなるという欠点がある。逆に、認知症などはこの欠点を逆手にとったタイプの言い換え語である。最近は自治体によって、「障害者(障碍者)」と書かず「障がい者」と書くところがあるように(よく考えれば「障り」というイメージも決して良くはないのだが)、この手の言い換え語は、語を構成する漢字の意味イメージから、先入観をもたせないようにすることで、本人の意図しない症状をもってしまった人が、いわれなき差別にさらされることを軽減する効果をねらっているんだろうと思う。「言葉だけ換えても、それに対する人々の意識が変わらなければ意味がない」というのは正論だが、言葉を換えることをきっかけに、意識も変わることもあるだろう。「語をみてわかった気にならない」というのは、本質を理解しようとするための動機付けに必要なことである。***さて、元社長のゴンゾーじいちゃん(仮名)が、その認知症になってしまって、耳もかなり遠くなったが、足腰はまあまあ丈夫なので、元気にニコニコと徘徊している。ご近所にあがりこんで、筆談を交えつつ、あれやこれや妄想もいりまじった脈絡のない話をしていくのだが、先日はどういうわけかパンツもズボンも履かず、下半身すっぽんぽん。雨も降っているので、「ゴンちゃん、おうちに帰りましょう」と連絡を受けてかけつけた内縁の妻がいっても「話をするだけだ。何が悪い」といって、なかなかきかない。ところが、ゴンゾーさん、三十路のおなごが手を貸すと、ぎゅうっと握り返し、ニコニコと家に向かって歩くではないか。その握力に、さすが70過ぎて新しく女性をむかえ、「ゴンちゃん」と呼ばれて暮らしてきた人だなぁと思った。ある麻雀好きのじいさんの最期は、朦朧とした意識の中、空中に牌をうっていた。祖母の1人が100歳を越えたときに示した異常な行動は、新聞紙を布にみたて、箸をぷすぷすとさして、裁縫の真似を始めたことだった。あと50年くらいして、自分に最後に残る力はなんだろう。色でも博打でも裁縫でもないだろうなぁ。なんだか「朝から何も食べていないんです」で終始しそうだ。
2005年10月11日
車のお祓いをした。修祓斎主一拝降神の儀祝詞奏上・清祓玉串拝礼昇神の儀斎主一拝直会献饌・徹饌は省略
2005年10月10日
番組改変で、やたらクイズ番組が増えたような感じがする。ラザーズフェルドの分類によると、クイズ番組の受け手は4種類。1)競争的(回答者と視聴者の自分、どちらが正答できるか競う)2)教育的(番組から知識を得る)3)自己評価的(自分がどの程度知っているか)4)スポーツ的(回答者間で誰が勝つか予測)いろいろな見方があるんで、様々な視聴者を獲得できるってことだろうけど、今期は各局「日本語」がテーマのものが多い。安上がりで、てっとり早いからだな。世界中をロケしてまわらなくても、訓読みとか同音異義語選択とか、辞書さえあればいいのだし。解説には大学教授を1人おいて、単価の安そうなタレントを大勢出せば番組が成立してしまう。1万人の調査での正解率を、10名ごとにわけたタレントチームでの正解率が全問上回れば、賞金(100万円)が出るというタイプの番組があった。「一般人が7割答えられているのに」ダメで、「一般人が1割しか答えられないのに」これを上回ったという意外性を演出してみせたつもりなのだろうけど、ちょっと考えるとおかしい。実際に書くならばともかく、2択ではでたらめに書けば50%であたるので、50%の賭けに出て勝つ人が、10人中8人以上いるか、2人以上いるかということを同等な扱いにするのは変だ。また、先の分類のような視聴者を、製作者も想定しているのだとしたら、次のようなサービスもして、高視聴率を狙っているんではないかと思う。1)競争的(バカな回答者をおくことで視聴者が優越感に浸れる)2)教育的(番組存在自体に対する批判を受けにくい)3)自己評価的(平均的視聴者にとって「へぇ」となりそうなことも混ぜておく)4)スポーツ的(金額が明示されているが合法的な賭け事である)なんてね。テレビでのクイズといえば、70年代・80年代だと、萩本欽一の何かの番組にあった「好物五品・どれから食べるか順番あて」なんて、根拠の考えようもないものだけど、「食べる行為がクイズのネタになる」ということが目新しかった。食べ物系では、「食わず嫌い」「ごちになります」など推理の根拠を増やしたものに発展している。「なるほどザワールド」の「恋人あて」は、実際は単に個人の趣味でしかないんだろうけど、当時は「この国の人の好みってのは面白いな」と思われていたんだろう。後発で「世界まるごとハウマッチ」とか海外で取材するクイズ番組が増えたが、物見遊山的な要素だけでなく、歴史の解説を交えた「世界ふしぎ発見」が長寿番組になりつつある。番組がそのまんまの形で継続してたり、復活できたりするのは、アタック25やタイムショックのような、やっぱり「時間内に知識を競う」というタイプが多いんじゃないかと思う。「新婚さんいらっしゃい」のペアとなる商品を神経衰弱でひきあてるようなものは、おまけにはなるけど、それだけをメインにした番組にはなりにくい。クイズといえば、「クイズダービー」。3択の女王というのは、打ち合わせの段階で誰かにヒントもらってたんだろうなぁ。10万円を越えたカンガルー募金の総額は、いったいくらになり、何に使われたのだろう。
2005年10月09日
宮崎アニメは、難しい。いいものだと絶賛されるのはわかるのだが、これからおつきあいを始めるかどうかという男の子に「これをみて感動しないやつは信用できない」と言われてみた『となりのトトロ』は、マックロクロスケが出てきたあたりで眠りこけてしまい、信用できない人になりさがってしまい、ご縁がなくなってしまったことがある。これがまた、しばらくして、ちょっとなんとかなりそうな別の男の子から「絶対泣けるアニメだよ」という前フリで、やはりトトロが紹介されたのだ。この人も初めからご縁がなかったのだな、と思いさよならをした。何度かテレビでも放送されていたので、その都度チャレンジしていたのだが、ああ糸井茂里だなぁと思ったあたりで寝てしまって、気づくとバカでかくて不気味な猫が空を走っていたりした。「隣のとっとろとっとーろ」という明るい歌をきくと、カンジュセイに乏しい自分を恨み、暗く沈むようになってしまった。アルプスの少女ハイジは欠かさず見ていた。アルプスの山の夕映えは美しく、ヤギの動きはリアル。こんなアニメは他にない。しかし背景の完成度に比べ、ハイジのほっぺたについているピンクのしみはなんだろう?とずっと気になって見ていた。宮崎アニメで感動するポイントは「うわぁ・・・」と目を輝かせる子供なのだろう。静止場面でも微妙に瞳孔が開いているのがすごい。しかし、アニメーションの完成度が高いことに感動するあまり、主人公と同じ視点に立って感動するというような余裕がもてないのだ、と自分なりに分析する。職場で映画鑑賞会のスイッチ係になった。コメディは見たことがあるものしかないし、ラブストーリーはジャンル的に好きではない、クロサワはもう一度みたいものでもなかったので、まだ一度もみたことがなかった『千と千尋の神隠し』を選んだ。やはり画面の美しさには圧倒された。実在しない物の動きや音もリアルだ。しかし、なんだろう。以前、別の職場で『魔女宅』のスイッチ係になったことがあるが、終わりがあっけない。あと2分30秒長くして、こってりした終わり方が期待されるところだが、そこをエンディングの音楽に委ねて構成されているっつー狙いなのだろうか。流行ったあとでみるからいけないんだけど、あまりに聞き飽きた曲なので、そういう解釈でみることができなかった。学生の感想「日本の神様のことが、勉強になりました」「八百万の神様が、よくわかりました」ちっちがう。・・・日本人共通の神様イメージではないんだがなぁ。まあ仕方がないのか。でも、これが日本の子供たちにも、同じような神様イメージが植わっていくのかと思うと、ちょっと影響力の強さがこわいなぁと思った。英字幕なしで日本語がほとんどわからない学生でも、「少女の勇気と愛にココロを動かされた」というパンフレットのような感想がある。視覚情報が伝達できる内容って大きいのだなぁ。かなり日本語の達者な学生の感想はすごい。「伝統的日本に近代的要素が入り混じり、アジア的な要素も盛り込まれている」建物の天井は、中国やインドにあるものに似ているなぁと思ったが、唐風的というか、アジア的な要素に気づくなんて、こいつは欧州系なのに半端じゃないな。アジア出身の学生は「礼儀や環境問題がおしつけがましくなく描かれていてそこがよい」とあり、ほかにも礼儀をとりあげて評価するコメントが多かった。学生の感想を通じて、いろんな見方があっていいのだなぁとちょっと安心した。
2005年10月08日
一週間は24×7=168時間である。だいたい睡眠 40時間食事 10時間家事 10時間通勤 10時間労働 10時間準労働10時間読書 10時間テレビ10時間風呂等3時間買物等3時間つーことは、残り52時間全部通信(ネット・電話・メール)か?一日平均7時間半は異常だが、そのくらいやってそーだ・・・。要リストラ。
2005年10月07日
マニア消費者市場を新たに推計http://www.nri.co.jp/news/2005/051006_1.html 「国内主要12分野のマニア消費者層の2004年市場規模推計」の平均値を出してみた。 分野人口金額 1人平均額 コミック35万人830億円237,143 アニメーション11万人200億円181,818芸能人 28万人610億円 217,857 ゲーム 16万人210億円 131,250組立PC19万人360億円189,474 AV機器6万人120億円200,000 携帯型IT機器7万人80億円114,285自動車14万人540億円385,714旅行25万人810億円324,000ファッション4万人 130億円325,000カメラ5万人180億円 360,000鉄道2万人40億円200,000 合計延べ172万人4,110億円 238,953コミックも案外かかるなぁ。着道楽と車はわかる。ゲームなんて地味なほうかも。カメラが意外と高い。
2005年10月06日
考えてみたら、五嶋龍はまだまだ曲によってムラがあるなぁと思っていたときから、そうだったのかもしれない。雨の日は、音が聞こえづらい、とCDのボリュームあげて、車を走らせて行くと、この先渋滞と出ていた。いくつか開拓した抜け道を通ることにした。ところが、抜け道のほうも軽い渋滞が始まっていた。1つ信号進んで、2つ目でまた信号待ち。今日はサービスエリアのコーヒーショップで朝ごはんのつもりで出てきたのだから遅刻はしないけど、このままいくと自販機のカップコーヒーだけかなぁと思いながら、先の方の車を眺めていたら、いきなり後ろの窓がどんどんという音がした。自転車に跨った見知らぬおじいさんが、窓をたたきながら、「コノヤロー!!!さっきから窓あけろって言ってるんだ。あけやがれっ」という。肩で息をしながら、ものすごい形相だ。なんでセンターライン側に自転車がいるんだ。渋滞は私のせいではない。こっちはずっと安全運転できているのに、このやろう呼ばわりされる覚えはないっと、おそるおそる2センチほど窓をあけて「なんですかっ」と言ったら、「だからっ!さっきから、ずっと、言ってるんだよっ。パンクしてんだよっ。うしろっ」と。えええええ?ドアを開けてみると、後輪がへしょーっと潰れていた。うわ、なんてことだ。すみませんと言いかけて、信号は既に青になっている。お礼もそこそこ、ガソリンスタンドを探してのそのそと走ることになった。高速入り口のガソリンスタンド。15分でできますよ、と言われて、待合室に座っていて思い出した。四日前、高速道路出口付近で、何か木の板に乗り上げたような感触がして、「ぱこっ」という音がしたのだ。進行方向には何も落ちていなかった。跨いだり踏みつけたりはしていないので、道路が陥没していたのかなぁと考えて、念のため帰宅してからタイヤを点検したのだった。その時は、なんともなかったようにみえたが、中の空気は4日かけて抜けていったらしい。今朝CDがよく聞こえなかったのは、濡れた地面のせいではなく、タイヤの音がうるさかったせいか、と気づいた。五嶋龍、今度は静かに部屋で聴いて、あらためて評価を出そう。それにしても、こんな高速直前で教えてくれたおじいさん。状況から想像するに、パンクした車を発見して、自転車で必死で追いかけ、車道の真ん中を突っ走ってきてくれて、なかなか気づかなくてコノヤローという気持ちはわからんでもないが、そうやって親切にしていただいても、咄嗟に「ありがとうございます」が出て来づらいではないか。と思ったが、実際のところ、日頃から感謝の言葉をクチにするような習慣がないから、こういう咄嗟の場面で出てこないのだ。高速乗る直前、パンク工賃2700円だけで済んでよかったよ。朝ごはん、食べ損ねたけど、遅刻もせず、事故もせず。ここで言っても仕方がないけど、自転車に乗った見知らぬおじいさん、ありがとう。
2005年10月05日
血液検査の結果が出た。血液も肝臓も異常なしだった。ダニ、ハウスダスト、猫、犬、あわ、かや、ブタクサ、ヨモギ、杉、ペニシリン、クラドスポリウム(?)、カンジダ、アルテルナリア(?)アスペルギルス(?)、小麦、大豆、米、鮪、鮭、海老、蟹、チーズ、牛乳、牛肉、鶏肉、卵白、どれも数値的にアレルギー反応のある範囲ではなかった。意外。「ここで調べていないもので、なんか反応しているもんがあるんじゃないか?黴とかさー」と思ったら、ペニシリンは青黴。クラドスポリウム・・・黒黴(住居や食物などに生える)アルテルナリア・・・スズ黴(プラスチックなどに生える)アスペルギルス・・・黒麹黴(酒や味噌,醤油,鰹節などに使う)黴も大丈夫だった。「黴、大嫌い」というストレスで反応しているのかもしれない。蕁麻疹の薬をまた処方してもらった。改善されたら夜だけやめて、急に一気にやめないようにと言われた。曜日別の袋を作り、1日分ずつ薬をいれた。日付感覚がなく、曜日だけわかっているという生活なので、これが最もいい方法だろう。1週間飲み終わったら、また補填するという方式。これから1ヶ月、忘れないようにしなきゃ。
2005年10月04日
「キムチとは警策のことかと沢庵言い」もとネタは新聞にでも載っていたのだろうか。この川柳を理解するのに必要な知識は、1.キムチも沢庵も漬物である。2.沢庵は禅宗の僧である。3.警策は坐禅のとき僧が喝を入れるのに使う棒である。4.警策は「木の笞」つまり「き・むち」という洒落である。知識を駆使しすぎる洒落は、むずかしいと言われオチがばればれの洒落は、つまらないと言われ頭を全然使わない洒落は、くだらないと言われ、何度も遣いまわした洒落は、もうあきたと言われる。大勢の人にウケるネタを作るのって難しいなぁ。ドリフは、いま見るから面白いけど、80年以降は完全にマンネリで、笑えるってほどではなかったしな。でも「慣れ」さえのぞけば、まだまだ見られるというのはすばらしい。
2005年10月03日
就職面接で「コミュニケーションとは何ですか」という質問をされたことがある。「人間が互いに思想・感情・思考を伝達しあうこと」と答えたら、「それだけですか?」ファイナルアンサー?というような目つき。「はい。大きくはこの定義でよいと捉えています」と答えたら、それ以上つっこまれることもなく、「それ以外にない。ならばもう結構」ときつい言い方をされた。これが理由ではないだろうけど、その面接は落ちた。大辞林第二版によると、これに加えて、「言語・文字その他視覚・聴覚に訴える身振り・表情・声などの手段によって行う」とあるのだが、シフリン(1994)は、「談話はコミュニケーションのために行われる。人間は情報を伝え、互いに意味と相互行為の同一解釈に導くために発話をするものである」言語や文字、視覚、聴覚と範囲を明確にするべきだったのか、人間以外のサルとか動物のコミュニケーションも交えるべきだったのか、あるいはこの「同一解釈」というタームをいれて、コミュニケーションの目的についても言及するべきだったのか、面接官の求める答えが何だったのか、いまだによくわからん。単に圧迫した場合の態度を見ようとしただけなのか。どうでもいいが、「8時だョ!全員集合一夜限りの完全復活!20年ぶりに生コント」をやるというから、テレビつけてるのに、全然違うものばっかりやってる。ひどいなぁ。ドリフファンの気持ちを踏みにじる行為だ。
2005年10月02日
季節はずれだが、合格発表の電報文といえば、サクラサクだ。といっても、大学が送っているケースは、おそらくない。落ちているかもしれない掲示板をわざわざ見に行くのはイヤでしょう。あなたの代わりに私が見て、結果を電報を送ってあげますよ、ということで、受験を終えてもまだ右も左もわからない学生に、1通いくらで申し込ませ、サークルの資金にしよう、というからくりである。学生のテキトーなバイトだから、ミスも多いのだろう。苦情が寄せられるのは大学。あちこちの大学が「委託電報の類は、大学は一切関係ありません」と、ホームページに載せてあるくらいだから、今でもやっているところがあるということだ。サクラサク電報は、昭和31年に早稲田大学(の何かのサークル)が始めたという。不合格はサクラチルである。(イメージとしては蕾のまま散ったということか)この比喩は明快でセンスも良い。誰が考えついたのか、年齢的には現在70歳前後の人だろうから、まだ調べられるんじゃないだろうか。後続の他大学は、「大仏微笑む」(奈良)とか「桜島不発」(鹿児島)とか御当地ネタでやっているところもあったらしいが、全国的にはこの「サクラサク」「サクラチル」である。後の時代に、大学色を出そうと「イナホミノル」ともやってたらしいけど、サクラサク自体が早稲田発ということは、その当時の人に伝わっていたのだろうか。日本の電報の誕生は、かなり早く1869年である。郵便よりも1年早く、鉄道よりも3年早く、電話よりも21年も早い登場である。当時の教育では、カタカナを先に学んだので、電報の文字は誰でも読める字であった。手紙では間に合わないかもしれないと、田舎にいる家族が「ハハキトクスグカエレ」という電報を(吹雪の中)打ちに行き、それを都会の薄汚れた下宿で夜中にたたき起こされて受け取って・・・というような場面は、ホームドラマや映画の定番シーンだ。(さすがに最近は見ないなぁ。)昭和30年代に当時の人口とほぼ同数の9千余万通の電報が飛び交っていたが、家庭電話が普及してからは、慶弔電報くらいでしか使われなくなった。100円儲けるために120円かかるようなサービス事業になってしまったのだが、音楽や押し花や刺繍をつけることで多めにお金をとれるようにし、なんとか赤字を食い止めているとからしい。祝電といえば、以前は『笑っていいとも』でタモリさんが、たどたどしく電報を読んでいたりしたが(戦後教育世代なので、カタカナが苦手なんだろうか。毎日読んでいるわりに上手くならなかったなぁ)、1988年に平仮名電報が登場。1994年に漢字仮名交じり電報が可能になったそうだ。ウィンドウズ95が出る前年になって、ようやく電報が今のスタイルになったのである。ところで、昭和の終わりごろの時代の大手の大学では、合格発表は掲示板のほか、掲示板と同じく全ての合格番号が書いてある電子郵便を(別料金で申し込んだのかな?)、送ってくれていたけど、いまの時代はホームページかときいたら、電話で番号を入力すると合否がわかるとか、なんかよくわからないことを言っていた。 ↑暗記したネタを一気に書いた。数字等に間違いがあったら、あとで訂正する。
2005年10月01日
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