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2005年05月12日
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カテゴリ: カテゴリ未分類
指定の履歴書を書かねばならんことがあって、項目を埋めようとしているところなのだが、学歴はご丁寧に小学校卒業からとあり、あれは昭和何年だったかなどと計算して、数字を間違えたりして、ボールペンでぐちゃぐちゃ消したりして、修正液も訂正印も使わず、書きなぐっている。

昭和と西暦は、どっちか覚えていれば、すぐに計算できる。しかし、平成に入ってからというもの、どちらかしか覚えていない、あるいはどちらも覚えていなかったりするので「あれは31歳のときだから、ええと・・・」と、指を折って勘定していたりする。

はたと困ったのは、「性格」と「長所」と「短所」の項目である。
とりあえず性格は「明朗」と書いた。
高校教師をしている友人が、「通知表の生徒の所見なんて、「明朗」か「活発」か「温和」のどれかでいいんだって」といっていた。あけすけにいえば「平凡」「うるさい」「陰気」なのだろうが、そうは書けない。性格の欄は、他人が書こうが自分で書こうが、あまりネガティヴな特徴は書かないものだ。

「長所」と「短所」は、「性格」と重複せず矛盾しないことを書かねばならない。
中学生のとき、同級生が「長所:短所がない」「短所:長所がない」と書いて、教師に書き直しを命じられていたが、そうやって書きたいくらい、これは難しい。
履歴書を要求している人たちに、好ましく思われることを書いて、存在を強くアピールするか、あるいはどうでもいいと思うことを書いて、あまり印象に残さないようにするのが得策である。


身近にいる人に、どう思っているかきいたら、「長所:洞察力が鋭い」「短所:物事を合理的に考える」ということだったが、これを合わせれば、批判力に富んだ要注意人物になってしまう。たとえ事実であったとしても、そういうことはバレるまで隠しておくべきだ。(合理的を短所とみるというのも、評者の価値判断がよくあらわれていると思うのだが)

とりあえず、長所は「根気がある」と書いたらいい、と言われたのでそのとおりにした。ものすごーく嘘が混じっていると思うがなあ。これでは、短所「あきっぽい」とは書けないではないか。

こうやってみると、「性格:温厚」「長所:粘り強い」「短所:内気」という矛盾のないセットが、目上の人からすれば最も好ましい人物(=扱いやすい人物)である。そのままの性格を生かすことも、鍛えて伸ばすこともできそうだから。
しかし、それでは「誰のこと?」というくらい実態とかけ離れてしまう。

性格について云々する場面といえば、占いがある。
12星座であろうと、血液型4類であろうと、クレッチマー体型3分類であろうと、任意のものを選択すると、セットで示された性格・長所・短所に矛盾がないし、どの特徴を見ても自分のことかなあと思うくらい、誰にでもあてはまりそうなことしか書かれていないものだ。

うーん、困った。人に言えるような短所って、ないもんだなぁ。

血液型4類の、俗説プロトタイプをあげているサイトを見てみる。
(1)几帳面、慎重、平和、控え目、世話好き、人をたてる、おとなしい、
   サービス精神に富む
(2)大まか、行動的、陽気、積極的、大胆、親切、気前がいい、<開けっ広げ>

(4)二面性を持つ、冷静、合理的、自分に忠実、趣味性が高い、ソツがない、
  <傍観的><気まま><イヤミ><計算高い>

どの特徴も、バラしても、セットにしても、自分にあてはまる部分があり、「誰に対しても何事に関してもどんな場面であってもコレを通す」というほどのものは一つもない。

ちなみに、日本人の比率は(1)40%、(2)30%、(3)20%、(4)10%。
上記の特徴をみても、マイノリティになればなるほど、反社会的だったり、非社会的だったりする内容(<>内)が増え、しかもよりダメージの強い言葉を多く使う傾向がある。

このため、反論してくる絶対数が少なくなるので、それをいいことに、「この説は支持されている」となっていくのではないか。

また、
「この分類は私にあてはまらないので、信じられません」
といえば、
「そんな慎重なあなたは(1)でしょう」
「大まかな(2)のあなたは、分類もめんどうくさいんだね」
「あなたは(3)で独創的だからそう思うだけだ」
「(4)のあなたは冷静で自分に忠実だから信じたくないんだろう」
「やっぱり合理的なことばかりを好むんだね」
などと、分類説を信じる方には、説に従って反論を封じ込めることができる。

ネガティヴな項目が自分に立てられていることから、分類説を信じる立場をとる場合は、
「だから反社会的・非社会的でも仕方がないことで自分は許されるはずだ」
という意味になってしまう。
こうなると、責め続けることができる社会的なものと、逃げ道を確保することができる反社会的だったり非社会的だったりするものとにわかれる。

実際どうなんだろう。信じる人たちは、
「自分を見つめ直すのに役立つ」
「他人との関係を調整するのに役立つ」
とか本気で思っているんだろうか。
この分類を人間関係に適用しようとすると、結局、被害者意識をもった加害者によって被害者を生むということの材料になるだけで、みんなが被害者になってしまう。

「血液型分類を信じる人の傾向は以下のとおりです。
a内省的、b正義感が強い、c信頼を寄せる、dお人よし、e一を聞いて十を知る。
これをネガティヴに言えば、a自虐的、b攻撃的、c妄信的、d騙されやすい、e先入観にとらわれやすく偏見に満ちている、ということです」
なんていえば、「前半は信じられるが、後半は信じない」という反論があったりするんだろう。

まあ、性格や長所や短所なんてものは、実際は傍で見ている人が気が付きゃいいことで、履歴書なんかで試されているのは、
「自分自身をそこそこ突き放して見ることができるかどうか」
ということと、
「(無意味な質問だと思っても)他人の要求にはこたえようとする最低限の社会性を持つか」
ということだろうと思う。

無難な短所の書き方として、上記の特徴の中から一つ選んで「○○な部分がある」と書くことにした。例えば、
・几帳面な部分がある。
・大胆な部分がある。
・マイペースな部分がある。
・冷静な部分がある。
これならどれでも、「性格」や「長所」と矛盾もなければ、問題視されるほどの特徴でもなかろう。





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Last updated  2005年05月13日 16時36分43秒


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