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2008年03月18日
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学生時代は、時々その手のお題が出されたものだけど、今もまだあるんですねぇ。懐かしい。

「もしも明日、世界が終わるとしたら、何をしますか?」
という話題になりました。

「買い物しまくる」
「ダイエット解禁、好きなものをお腹いっぱい食べたい」
「海に沈む夕日を眺めたい」
「会いたい人に会っておきたい」
「お世話になった人たちにお礼を言いたい」

20代前半だし実際若いけど、日々いろいろと我慢していることも多いのだな。

年を食って、より理屈っぽくなっているものだから、
「物理的にどういう状況で、世界がスパッと一日で終わることができるという設定なのだろう?」
とか、
「実際にそんな事実が確定していても、どうせ我々下々の庶民には、前もって正確に情報が伝わることはなかろう」
とかも思ってしまうのですが、なんとなく話題に参加。

こたえは
「カギをかけて家にいる」
です。

「家が火事になったら、どうします?」
そうなりゃ避難しますよ。普通に。

するわけないじゃーん。こんな仕事、明日以降があると信じられる世界でしか通用しないんだから。

買い物しようにも、お店はやっていないでしょう。
バスや電車はとまってしまうだろうし、道路は事故やガス欠の車でふさがっているかもしれません。

だいたい、そんなパニックになった外界に出かけるのは危ないです。
もしかすると、日頃は法律によって抑制している暴力が全開になってしまう輩が襲ってくるかもしれません。


「最期にどなたかに御満足いただけるのなら、この世に生まれてきた意味を感じられる」
って、殺人欲を満たしてあげたいとか、ありえんです。

ラジオ、テレビ、ネット、電話、電気、ガス、水道…どの順で通じなくなるんだろうか。
とりあえず、水が出るうちに、浴槽いっぱいに溜めておこう。

食料は傷みやすいものから食べる。
冷蔵庫の中身を食べつくしてしまったら、豆とか高野豆腐とかの乾物を、アクアクララの生ぬるい水とカセットコンロで煮炊きするつもり。
ビタミンは錠剤で補い、一日1200kcalくらいに抑えれば、何日か持つ。

そう。「世界終末日が延期する場合」に備えるのだ。

あと大事なことだけど、水がとまったら簡易ボットン便所を作る。
便器の内側にでかいごみ袋をかぶせれば、トイレットペーパーがなくなってもティッシュや古新聞も使えるし、袋を交換すれば満タンになって困ることもない。使用済みの袋はベランダに出しておく。

…って、地震とかの災害時のサバイバル生活みたいなものだけど、そうやって「世界終焉の前日」を過ごしたい。
だって、そんな時こそ「終わらない世界」を夢として持ち続けていたいじゃないですか。


…と一応まとまりのある答え方をしてから、思ったのですが、

世界終焉の日の過ごし方について、尋ねる意図は、
「何をしたら、この世に心残りがなくなると思いますか?」とか
「何をしても何も責任をとらなくてもいいとしたら、何がしたいですか?」とか
そういうことを聞き出したいからなのですよね。

けど、その質問は
「したいことが制限されているのは、社会に抑圧されているからだ」
「何かをしたら、満足できるかもしれない」
という信仰がない者には、意味を成しません。

法律とか他人の目とか、社会による抑圧でセーブされていることが、自由にできたところで、明日がないかもしれないという不自由な時なので、「これこそ本物の自由だ」と体感することはたぶんありません。
何かで一瞬満足することができても、そんなのは一過性のものです。
人間はもっと貪欲にできています。

いつか特別な日には、すべてが解決できると信じ、そんなフィクションを考えることができるのは、「若者」の特権なのかもしれません。






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Last updated  2008年03月18日 12時45分15秒


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