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進学や就職の際に「あなたの長所は?」と訊かれて教師や親などから教えられた付け焼刃の「回答」を書いている学生・生徒の何と多い事でしょうか。彼らの大半が幼少期から「自分に長所や良い所」が有るなどとは一度も教えられた事がないのですね。親とか教師等と言う大人は、子供や生徒の短所やダメな点ばかり指摘して肝腎な良い特性や、長所と呼ぶべき部分を気付かせてやるという親切心を示しません。ですから、たとえば私などが引きこもりの若者や成績のよくない、それ故に学校の先生や両親などから褒め言葉を耳にしたことがない生徒に対して、こういう所が君の長所であり素晴らしい点だ、と言ってあげたりすると彼らは決まって訝しそうに私の顔を見返します。そんな言葉をこの世に生を享けて以来一度も唯の一度も耳にしたことがなかったから。そんな馬鹿なことが有るものかと反射的に思うのでしょう、きっと。これなどはとても罪深い大人の所業ですね。そもそも、日本人は外人に、特に西洋人に美点や長所を教えられないと自らの見識で、自分達の良い点を数え上げる事が出来ない。そうした悪しき伝統を持っている。従って、外国人に向かって自国の自慢が出来ない。第一、自慢などとんでもない、悪い事だらけの最低の国だと、教え込まれている。大人たちから。これも悪しき慣習の一つとなっている。ガイジンが褒めれば安心して、日本にも少しは良い所があったのだと胸を撫で下ろす。外国や海外で評価されれば、そうか、成程と安心できる。嫌な習性ですね、全く。地球上のありとあらゆる生物に、長所や美質が有るように造物主は用意周到に万物をお創りに成られている。それを、日本人だけ特別に欠点だれけのダメ人種に分け隔てをした道理がない。余りに自明のこと。太平洋戦争で負けたことがこれ程までに日本や、日本人に強烈なトラウマ・劣等的後遺症を残し続けているのでした。世のお母さん、そしてお父さん、あなたの大切な宝物である子供達に正しい姿勢で向き合って下さいませ、お願いです。子供は、どんな子供でも生まれたばかりの時には「天使」なのですからね。大人が、保護者達が変に「弄り廻さない」限りは。大いに褒めてあげ時には「煽て上げて」やって下さい。そうすれば親も子も共々に幸福になれる。不必要な「甘やかし」と正当な「評価を与える」事とは全く違っています。最小限の正しい躾は当然ながら不可欠ですよ。兎に角、大人たちは「自己啓発」自己教育から出直した方が宜しいのではないでしょうか、如何?ご意見、ご感想など何時ものようにお待ち致しております。宜しくお願い申し上げます。 草加の爺 謹白
2012年02月29日
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単なる言葉の遊びではありません。私たちの生き方の本質的な部分に深く踏み込んで、考えを豊かに、また幅広く更には質的にも高い境地を模索したいと考えたのですし今日に生きる我々一人ひとりにとって、非常に重要な問題だと思っているからです。個人が自律して、自分自身の脚で大地にシッカリと立つ。これは好ましい事でありますし、是非ともそうあって欲しい。しかし、個人の狭い枠内に閉じこもる個立や、周囲とのあらゆる接触を意識的に断とうと身構えている孤立となると、全く以ってマイナス・イメージになってしまい、自分の内側だけに意識が向けられ孤の殻の内部で凝り固まる「凝立」に至ってはもう社会の害毒としか言い様がなくなりますね、実際の所。今更らしく人間は社会的な動物であるなどと、社会学者の様な口ぶりを真似る必要もないでしょう。小学生にでも分かる事ですが、私たち人間の身体も他の動物が雌雄・オスとメスが有るように女性と男性のどちらかに予めプログラミングされていますね。生まれる前から互いに異性の存在を前提に私たちの体も心も、準備されている。この事実だけからでも、ひとは周囲から隔絶、または断絶されては生存できない厳然たる在り様を悟りえる。理屈っぽい人が居てそれにも例外が有る。同性愛者が居るではないか、それも今日では少数者とはとても言えない勢力になっている。そう主張するかも知れない。なるほど体の作りと心の状態が「平均」的でない方も多数いらっしゃる。しかし彼らや彼女らがパートナーを必要としている事実には変りはないので今の場合にはノー・プロブレム。話を先に進めることにしましょう。もう直ぐ一年が経過しようとしている昨年のあの東日本大震災。日本中が震撼した。世界が、全人類が日本と言う国を注視した。暖かい支援やエールが届いた、頑張れと。これなどは実に不幸中の幸い。捨てる神あれば、拾う神あり。覆水盆に帰らずですから、生き残った私たちが最善を尽くすより仕方が無い。喉もと過ぎれば熱さ忘れる、で被災された方々の悲惨な現実をよそ目に、自分だけの実に狭い殻の中だけに閉じこもり切りの者も多数居るでしょう。しかし、それを責めてみても仕方の無い事。それぞれが今おかれている場所でベストを尽くす。それだけしか私たちに出来ることは無い。しかし、しかしです。本当にそうか?再度と言わず、三度でも四度でもご自分の胸によーく手を当てて思案してみて下さい。私たちには交流が必要。口先だけの空虚な言葉掛けでない、全身全霊を賭した魂のコミュニケイションが是が非でも欲しいのです。命を輝かすために。私たちに与えられている尊い、そしてありがたい生命を完全燃焼させる為には。互いにエールを送り、チーアフル・メッセージを相互に交換し合う事が何としても不可欠なのです、必要なのです、毎日、時々刻々、瞬間瞬間に。命を輝かそう、自分の為に、そして何よりも隣人の為に。それが廻りめぐって再び三度、あなたの元へと帰ってくるのです、最初の何倍にもなって!命って素晴らしいでしょう、人間って本当に素敵でしょ……。この世に生まれてきて良かったと実感できるのは、なんて幸せな事でしょうか!
2012年02月22日
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生命力の衰弱現象と言ってしまえば、それまでの事ですが毎日を生きながら「自らを殺している」という誠に奇妙な風潮が蔓延している今日この頃ですが他人ごとと考えて当事者意識が著しく欠如しているのがこの「現代病」の最大の特徴。つまり、そんな馬鹿なことがあるものかと十人中七八人は思うのです。科学や合理主義、多様なライフ・スタイル様々な選択肢、何処にでも発見できるチャンス、自由と平等、物質的な豊かさ、経済的な躍進、スポーツや芸術の隆盛・発展良いこと尽くめの裏側には重大な暗黒面があって、今日では誰の目にもバラ色の未来でない事は明らかでしょう、多分?何かを手にしたということは半面で、大事な何かを手放した事実を明瞭に意識する必要が有る。何もかも手中にしたいと欲張る私たちはこの極めて当たり前の理屈を簡単に忘却してしまう。忘却とは忘れ去って顧みない事です。経済や金銭が大事だから、そればかり追い求めていると、人間として大事な何かが失われてしまう。それでいいのだ!人類全体がそんな風に、全員が腹を括っていると言うのなら仕方がありませんが。その様な馬鹿なことは金輪際ありませんね。何しろ万物の霊長などと誇らしげに自慢した生物ですから、私達は。さて、赤ちゃんが全員身に備えている好奇心という健康な欲望を、私達は成長の過程で皆が皆無残にも削がれてしまう。搾りかすの様な哀れな状態になる。何故か?大人たちの所為で。そう、躾や教育を施す親や教師達が下手人ですね。それに周辺の地域ぐるみの大人たちが挙ってこの「悪行」に手を貸している。まさか?と思われるでしょうが、彼らの意識は反対の所にある。あっぱれ立派な大人の鑑のような人格者・教育者と自らを考え、見做して誇っている。少し言い過ぎたでしょうか?いえいえ、そうではありませんよ。そのくらいに現実は悲惨なのですからね。一体どうしたらよいか……。まず、自覚する事です。反省すべき点は謙虚に、素直に反省し、人間にとって幸せとは一体何かをじっくりと、根本から考えてみて下さい。考える価値は十二分に有る筈ですよ。多様な選択肢と言っても、ひとりの人間には基本的に一つの選択肢しか与えられていないのですね、実は。ですから、個人の立場に立った場合には現代ほど生き辛い時代もないのです。あれこれと目移りして、本当に迷ってしまう。識者という偉い方々は、それこそ「神のように」なんでも答えを知っている。そして私たち善良な庶民を叱咤激励し続けるのです。尚の事、われわれは右往左往しないわけには行かなくなる。困りますね。そんな時には他人を当てにせず先ずは自分自身の心に聞いて見るのが一番ですよ。こころを鎮めて、虚心坦懐に魂を安らかに保ってからですね、天に祈るように自らに問いかけてみる事。必ず正しい方向が見えてくる、本当です。お試し下さい、どうぞ。
2012年02月18日
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魚の鯖(さば)は腐るのが早く、俗に鯖の生き腐れなどと言われたりしますが、それととてもよく似た現象が今日、私たちの周囲で蔓延している様が私・草加の爺には目について仕方が無い。「生き腐れ」では表現が手ぬるいのかも知れない。無意識にではあろうが、「日々、自分自身で自らを殺しつつある」。そう言い切った方がより真相に近いのか。自分でこう書いてきて余りに表現が「どぎつい」のにビックリしましたが、本当にドギツイのは現実のほうでありまして、言葉のほうにあるのではない。断じて!そうツクヅクと思うのです。日本では少子高齢化現象が顕著ですしアフリカなどの地域での人口は膨張の一途を辿っていますが、飢餓等による幼児や子供達の死が大量に発生して、人口の爆発的増加に歯止めを掛けているかの観がある。ヨーロッパやアメリカの衰退現象と所謂「発展途上国」の経済発展によって、地球村化した人類社会全体がシャッフルされて、文明のグローバル規模での総入れ替えが進行している模様。相も変らずテロや大小の暴力による殺人が、秒単位でカウントされていて留まるところを知らない。それに加えて、わが国では私が指摘した無意識な大量「自死」現象が蔓延している。この惨状をどう形容したらよいのか?しかしながら、少なくとも私は絶望などしてはおりませんよ、少しも。なぜなら、新しい細胞たる「子供や若者」に明るい兆しも見えているから。私自身の今の立場で出来る事は何でもするつもりです、嘘ではありません。志を同じくする人々のご支援を衷心よりお待ち申し上げます、ご連絡下さい。人の輪・和・サークル・コミュニティー、とても大切だと考えるから。天や神の手助けは人間達が最善・ベストを尽くした果てに与えられるもの。今の私は、そう固く信じてもいますよ。他を頼る前に、自分自身に与えられている尊い生命に感謝して、それに見合った努力と研鑽を、先ず心掛けようではありませんか。如何ですか、私の拙い言葉はあなた様の琴線に触れる事ができたでしょうか……。
2012年02月16日
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今日は祝日です。学校や会社が休める休日の一つ。一般にはそれだけの事にしか過ぎませんね。先日高校生と話をしていて「文化」とは何か、また「文化の日」とはどの様な日なのかという質問を、私がしたところ「そんな事考えた事もないし考える必要もない」という趣旨の答えが、と言うよりは反応がありました。これは何も特殊な高校生の、例外的なあり方ではなく、却って極平均的な高校生の意識なのですね、きっと。もっと言えば今時の平均的な日本人は皆こんな状態でしょう、恐らくは。そうでない事を、神にでも祈りたいような気持ちですが。残念ながら、なるべくして今日の状態を自ら招いたので、誰の責任でもありません。例に挙げた高校生は犠牲者・被害者の典型でして、決して責められるべき対象者ではないのですよ。それでは誰がいけないのか、本当に責任が有るのは一体何者なのか?私に言わせれば大人、取り分け両親や教員・教師達がその元凶だと主張したいのですね。今日は「建国記念の日」に当たり、日本国の法律で定められた国民の祝日です。「建国をしのび、国を愛する心を養う」為に設けられたもの。旧憲法では「紀元節」と呼ばれ、8世紀に編まれた『日本書紀』による神武天皇の即位を記念する日として制定されたものを受け継ぐ内容。天皇制、軍国主義、戦争、と言った短絡的で幼稚な思考形式が日本国民の謂わばトラウマとなり、国家とか、建国とか、日の丸、国旗に対する異様な、そして世界的に見て不健全な思考と感情を醸成してから久しい。誰もがまともに、極めて当たり前な事柄について、常識的な考えを働かそうとしなくなった。臭いものには蓋、ではありませんが何となく「胡散臭い」ものと思われるものからは、意図的に顔をそむける習慣が出来上がり、それが無意識な行動様式として親の代から子供に受け継がれ、そして今は孫の世代に当然の事として、「無視」する等閑に付す態度が定着した。結果、得をしたのは誰か?不幸を不幸とも感じない子供達を多数生み出して、どんな大人たちが幸せでいられるのか?誠に奇妙奇天烈な「ニッポン国」が現出しているのであります。結論は敢えて申し上げませんが、自分自身の頭脳を使って物事を真剣に考える習慣をつけないことには、不幸を呼び込んでバカを見るのは自分自身なのですよ。天に唾するとは、この様な事態を指して言うのですから。よくよく反省してみて下さい、冗談などではないのです。地震や津波以上に由々しき一大事との認識を、国民の皆が共有しないことには何も始まらない。経済の建て直し!結構ですね……。しかし阿呆ばかりの国民だけになったら何が豊かな国なのでしょうね。子供でも分かる事が、何故大人たちには見えなくなるのか?そこの所を十二分に考え抜いて下さいませ、お願いしますよ。老人の親切心で申し上げますが、勉強会が、或いは反省の場が必要とあらば及ばずながら、この草加の爺めがお手伝い申し上げますので、お気軽に声をおかけ下さい。首を長くして待っていますので。わたしはまだまだ、絶望などしておりません。何故なら、日本と言う国は昔から「神の国」であり、時として「神風」が吹くのです。誠に有難い国柄ではありませんか。神や仏に対して、心から、真心を込めて合掌!
2012年02月11日
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今日の日本のように困難な時、苦しい時には強力な指導力で「無力な大衆」である私たちをリードして呉れる英雄が待望されますね。しかし、よく考えて見ましょう。リーダーや指導者だけが勝れていてもそれに「付き従う」被指導者たる庶民・人民が愚かであったり、木偶の坊であったりしたら如何でしょう。大衆や英雄崇拝者に過ぎないものは、いつの時代でも生産的な力には成りえない事は歴史というものが、如実に私たちに教えてくれていますね。強いリーダー、頼りがいのある指導者の後に付き従いのは楽であるかも知れません。しかし、危険ですね。これも歴史の教訓として私たちが骨身に染みて学んだ事。決して忘れて良い筈がありませんね。つまり、リーダーや指導者の前に、私たち一人ひとりの生き方や物の考え方がいの一番に問題にされなければならないのです。そんな事は今更らしく口にしなくとも良いような常識的な事柄。が、この至極当り前のことが蔑ろにされているのが現代という奇妙な時代でも有る。中々、厄介な時代。その事を肝に銘じよう。簡単な答えや、解決法など無いのだと腹を括ろう。そして基本に返ろう、基本こそが全てを決する鍵なのだから。そんな風に私たち全員が合点が言った時、あら、不思議。向かう方向は自ずからに見えてくる、本当ですよ。急がば回れ!昔の人は実際上手い事を言っていますよ。何事にもせよ、慌ててはいけない。拙速は行動しない方が益しと悟るべき。そうです、一歩一歩、大地を踏みしめて、確かの足取りで全身するに如くはないのですから。如何でしょう?感想なり、ご異見を多数お寄せ下さい。心よりお待ち致しております。楽あれば苦ありですよ。
2012年02月08日
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思考と実践は同じだ、と主張したらビックリするでしょうか。つまり、そういう主張も時と場合によっては可能なんですね。色々な人が色々な主張をする。丸で相反する主張が同時にそれぞれの存在を固持して、互いに譲らない。一方はそれは白だと言い他方はいや黒だと言い張る。どちらかが正しいのか、どちらも誤りなのかそれともいずれも正しいのか―。そのどれもがあり得るし、現実にその様に成り立っている。論争が噛み合わなかったり、違う土俵で一人相撲をとっているのか、同じ言葉を使いながら銘々が勝手気ままな事を考え、思い描いている。そんな信じがたい現実が飽きることなく繰り返されている、残念ながら。真に行動するとは真に考える事に直結するのだが、現実には必ずしもそうはなっていない。だから、ある人間の「誠意」が他者の真剣な「善意」によって踏みにじられるという悲劇が数多く現出している。一体、誰が悪いのか?誰も悪くなどない。そして皆が間違っているのだ。それが私たちの生きている世界の実相というもの。誠に恐るべきは地震や津波だけではないのですね。何も私は訳の分からない無茶を言って皆さん方を煙に巻こうとしているのではありません。この世は普通に考えるほど単純でも、また哲学者が考えるほどにも複雑怪奇でもない。言葉は私たちにとって非常に大切なのでありますがそれ以上に、あるいは言葉の前提として更に重要な何かが有ると皆さん方の注意を促しているだけなのです。それは、私だけが言っている事ではありません。此の世に生を享け、真剣に生きた、誠実に生きた人は大概この事を問題にしている。いわば常識みたいな認識。私流に大胆に言うならば心の波長を合わせようと互いに努力し、歩み寄る姿勢。以心伝心で心を通わせ合う、と言い換えても良いのですが、中々に難かしい仕事。さらに、その前提を挙げれば謙虚な心の状態とでも申しましょうか。ひとは互いに相身互いと言う認識を魂を込めて相手に伝えるのですがこれは、皆さん方には、現代人を自認するお方には通じにくい。それを最初から承知で、わたしはこのブログを書き綴っているのですよ。
2012年02月04日
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