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我々人間は、誰であれ、偉大なる存在に対して「心からなる感謝の念を捧げつつ、生きなければならない」者であり、宇宙的な規模で見れば「ほんの一瞬の短い時間だけ」この世に生存を許されている、「実に、哀れで、惨めな存在者」にしか過ぎない。しかし、感謝と言うキイワードを手にしてみると、実に有難くも、その人生観は180度転換し、積極的・肯定的に力強く方向転換するのです。我々は、自由に、積極的に、自らの意志で生を謳歌している、と。 限られた時間を、生きることを許された自覚が、より良く、より正しく、より調和的に生きる生き方を眼前に示唆します。私たちは人類の一部なのであり、人類は動植物を含む生物全体の一部であり、地球の極微小部分であり、地球は全宇宙の塵・芥にも値しない、実に微弱な、あるか無いか判別が付かない程のもの。その一部分とも呼ぶに値しない部分である、私たちの生き方は、大局的に見れば無限の広がりを見せる大宇宙全体との関係性の中に、当然の如く見出さなければならない。ところが大宇宙全体などと言葉では一応表現できても、どのようにそれを把握し、また認識したらよいのか。結論は単純明快でして、それは我々の能力の埒外にある、と言わざるを得ません。そこで現実的な「方便」として、我々生命体が生まれ育ったこの美しい水の惑星・地球との関係性の中で我々の生き方を探る、という一つの方向性が出てきます。これは地球村と言う表現で近年頻繁に人々の口に上っている概念とも上手く合致しそうです。 母なる地球に育まれ、又同時に強い制約を受けている生物界の中の、一つの種である私達・人間ですが、私はこの「新・キャリア論」の中で、この地球を一種の生命体として解釈する立場を取りたいと思うのです。我々生物を多種多様に生み出している地球は文字通り、生きて活動を続けている「生き物」なのだとする独自の観点をしっかりと見据えたいと思うのであります。何故そうするのか?科学的に正しいからか、それとも独自の宗教的な立場から、そう唱えるのか。いえ、いえ、そうではありません。私たちが生きていく上で、そう考えるのが多くの幸せを呼び込む重大な核となると確信するから。謂わば、直感的に、そして同時に、大局的にそう感じるからであります。本論は「人生論」であると共に「幸せ論」「幸福論」でもあるからなのです。私達人類とは全く違った仕組みで成り立っている特別な生命体・地球。死物である、単なる物質にしか過ぎないと、母なる地球を解釈しないで、我々とは異なるが我々と同様な一つの「生命体」として捉え直す時に、何が一体違ってくるか?自ずから違った対応が考えられて然るべきと、私には思われるのですが、ここではこれ以上この問題に深入りすることはしません。然るべきタイミングが来た時に、皆さんとご一緒に再度検討を加えることに致しますので。「忠臣蔵」について 突然に「忠臣蔵」などと言い出して、一体この論者は気が確かなのだろうか?などと慌て者が、早々に先を読むのを辞めてしまうかも知れませんので、少し釈明めいた説明を致しておきましょう。講談や芝居、映画やドラマなどで有名な、あの赤穂四十七士の物語は、人間の生き方の素晴らしい典型、お手本として推奨すべき教科書の様なものなのです。
2015年05月31日
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新・キャリア論 ― 人は 如何に 生きるべきなのか? 草加の爺 著 結論から申し上げますと、人はどの様に生きようが「勝手気まま」であり「自由」なのでありますが、それだけでは何か厳めしい「キャリア論」、しかも「新」などと言う殊更に人の気を惹こうという意図が透けて見えるタイトルに対して、偽りがあるようで気も退けますので、皆さんの期待通りに「世の為、他人のためになる内容」をご披露いたします。かく申す私・草加の爺の本意は、人生の旅路の半ばで、その生真面目さや誠実さの故に悩み苦しんでおられる若者や成人男女に、心からなる声援のメッセージ・エールをお送りしたいという、一点にあります。その心は、最初に申し上げた内容とは真逆の命題になります。人として自覚的に生きる上では、如何しても外してはいけない肝腎要の壺があるのですね。つまり、自分に与えられた生命を「完全燃焼させること」が急所なのであります。つまり、生甲斐のある人生を苦しみながらではあっても、充分に堪能し切る事が大切なポイントなのですよ。私たちが人生を生きる上で、苦しみ と 忍苦 は如何しても避けては通る事が出来ない―、この様に書いてまいりますと、気の早いあなたは、「何だ、詰まらない。苦労だとか、辛抱だとか、忍耐だとか、又例のお説教染みたご託宣を並べるつもりだな」などと呟いて、早くもこの先を読むのを放棄してしまいそうですね。しかし、その種のものとは本質的に違っている、掛け値無しで読むに値する「面白くて、役に立つ」内容ですので、もう少しお付き合い下さい。宗教・哲学の本質について 私たちの生きているこの母なる地球には実に、多種多様な人間が存在します。そして、その地球は太陽系の一部であり、太陽系はミルキー・ウェイ = 銀河 に属しており、最後は際限の無い大宇宙の片隅に位置するちっぽけな塵、芥の様な、という形容に行き着くわけです。また、地球上には様々な生命が、陸、海、空を縦横に駆け巡り、活動を続けております。眼に見えない微生物や、細菌などを視野に入れると殆ど無限に近い多種多様な生命が、犇めき合うように「生きて、増殖」している。ビック・バンに始まる大宇宙の展開は常に変化、進展を止めず、それを見習うかのように、生命体は常時活動を繰り返し続けております。 しかし何故にそうなのか?宇宙や、生物界、物質は何ゆえに、今現在あるような形で存在しているのか?極めて自然で、素朴な疑問であり、それ故に誰もが等しく抱懐する疑問・謎であります。そしてその答えは、恐らく永遠に謎のままで残るでありましょう。私たちの祖先もまた、この素朴な疑問を胸に抱き、その回答を追及したのであります。それが所謂、宗教であり、哲学の始まりなのでありました。世界の四大宗教と呼ばれる、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教、仏教などの起源でありますね。日本に独自の「神道」もまた同様の経緯から生まれてきたもの。ところで、中華思想と言う考え方がありますが、部分である「個」を無理に押し出す時に、どうしても自己中心、部分本位の考え方に偏してしまい、全体や周囲との関係性に着目する「公平さ」が失われてしまう。 人間は多種多様な生命体の、ほんの一部分にしか過ぎないと言う、ごく当たり前の事実を忘失してしまう。万物の霊長という表現によく表れている人間中心の考えが支配的なのは、まあ良いと言うか、仕方がないとして、宇宙の塵か芥にしがみついている猿の一種が、万能であり、全能の神に等しいなどとは、どう考えても狂気の沙汰でありましょう。以上がこれから展開しようとしている「新・キャリア論」の骨子でありますし、結論なのですが、要は理論や理屈ではなく、行動・実践の方にあります。大切なのは意識の持ち方であり、心のあり方・魂の在り方なのでありまして、理屈だけでは如何しても不十分なのであります。生きるとは、文字通りに「息をすること」なのでありますね。吸ったり、吐いたりの単純な繰り返しが、私たちの人生の生きる上での基本的な動作・行動なのでありまして、その息が滑らかで、リズミカルで、心地よい。それが出発点であると同時に、最終の目標でもある。この事を、この極めて単純な事実を最初に心に銘記していただきたい。さて、世界の四大宗教を始めとした様々な宗教の根本にあり、共通している要素を考えて見ましょう。それは私たちの力を遥に超えた「偉大なる、不可思議な存在者」に対する畏怖と尊崇の念と言えましょうか。人知を遥に凌駕する力の働きに対する言語を絶した驚きと恐怖の感情と言ってもよい。我々はその絶対的な力によって「生かされている」のだと、圧倒的な、有無を言わせない絶大な迫力で感じさせます。そこから何が出てくるか―、人類の歴史は「神」への感謝と言うことを教える。人々は神へ感謝の気持ちを捧げることを知った。私たちは自分たちだけの力では生きて行けない、まことに「儚い存在」なのでした。神に感謝しつつ、人間としての最善を尽くすこと。これが、謂わば人類に共通の、ベストな生き方なのですね。
2015年05月28日
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「新 キャリア論」を連載するに際して 私は目下のところ、青森県の野辺地町の振興・発展のために微力を尽くしたいものと考え、僅かずつですが行動を開始している所であります。そして、「あじましい人生」をウエブ上で発表し、続いてまだ執筆途中である「新 キャリア論」を公開する決断をいたしました。キャリアに関しては六十歳を過ぎてから、少しばかり勉強し、キャリァコンサルタントの末席に連なっただけに過ぎない、謂わば新人、新参者であります。この分野の学者でもない素人の一人が キャリァ論 などとは烏滸がましい。その様な自己反省、頻りなのでありますが、自己の人生を真剣に生きて参った一人の日本人として、キャリアに関する「自己流の研究リポート」のようなものを一応まとめておくのも、あながち意味の無い事ではないかもしれない。また、何故に自分の故郷でもない野辺地町の地域発展に力添えをしてみようなどと言った、大それた考えを起こしたのか―、このコーナーでかつがつながらも読者の皆さんに、お伝えして、可能ならば、アドバイスやご意見等も頂戴したい。ご協力を仰ぎたいものと、ごくごく謙虚な気持ちで踏み切った次第であります。どうぞ、引き続きご愛読の程、宜しくお願い申し上げます. 新・キャリア論 ― 人は 如何に 生きるべきなのか? 草加の爺 著 結論から申し上げますと、人はどの様に生きようが「勝手気まま」であり「自由」なのでありますが、それだけでは何か厳めしい「キャリア論」、しかも「新」などと言う殊更に人の気を惹こうという意図が透けて見えるタイトルに対して、偽りがあるようで気も退けますので、皆さんの期待通りに「世の為、他人のためになる内容」をご披露いたします。かく申す私・草加の爺の本意は、人生の旅路の半ばで、その生真面目さや誠実さの故に悩み苦しんでおられる若者や成人男女に、心からなる声援のメッセージ・エールをお送りしたいという、一点にあります。その心は、最初に申し上げた内容とは真逆の命題になります。人として自覚的に生きる上では、如何しても外してはいけない肝腎要の壺があるのですね。つまり、自分に与えられた生命を「完全燃焼させること」が急所なのであります。つまり、生甲斐のある人生を苦しみながらではあっても、充分に堪能し切る事が大切なポイントなのですよ。私たちが人生を生きる上で、苦しみ と 忍苦 は如何しても避けては通る事が出来ない―、この様に書いてまいりますと、気の早いあなたは、「何だ、詰まらない。苦労だとか、辛抱だとか、忍耐だとか、又例のお説教染みたご託宣を並べるつもりだな」などと呟いて、早くもこの先を読むのを放棄してしまいそうですね。しかし、その種のものとは本質的に違っている、掛け値無しで読むに値する「面白くて、役に立つ」内容ですので、もう少しお付き合い下さい。宗教・哲学の本質について 私たちの生きているこの母なる地球には実に、多種多様な人間が存在します。そして、その地球は太陽系の一部であり、太陽系はミルキー・ウェイ = 銀河 に属しており、最後は際限の無い大宇宙の片隅に位置するちっぽけな塵、芥の様な、という形容に行き着くわけです。また、地球上には様々な生命が、陸、海、空を縦横に駆け巡り、活動を続けております。眼に見えない微生物や、細菌などを視野に入れると殆ど無限に近い多種多様な生命が、犇めき合うように「生きて、増殖」している。ビック・バンに始まる大宇宙の展開は常に変化、進展を止めず、それを見習うかのように、生命体は常時活動を繰り返し続けております。
2015年05月26日
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奥ゆかしい人、奥ゆかしい生き方 奥ゆかしい という大和言葉は現代では完全に死語と化して、若者には特に 通用 しない表現になっていますので少し説明しましょう。「ゆかし」とは見たい、聞きたい、知りたいという意味の古語であります。国語辞典によりますと、「言語・動作が洗練されていたり、深い知識・考えが有るように見受けられたり、慎み深かったりして、もっと付き合ってみたい感じだ」が奥ゆかしいの大体の意味内容でありますよ。近代から現代にかけては視覚優位の時代とかで、目に見える所、表面だけを強く意識して飾り立てる風潮が顕著と言いますか、上辺だけを殊更に大切にして、中身や内容は二の次といった傾向が益々強くなっているようですね。人の心などどうせ他人には見えないのだから、そんな事に手間暇かけていては 能率 が悪い。時間の無駄であると考える人が大多数を占めるようになって久しいのでありますね。しかし、本当にそうなのでしょうか? これもカッちゃんが学習塾で生徒たちに口癖のように言い聞かせているセリフだそうですが、「勉強、本当に自分のためになる学習というものは、本来は 能率 の悪いことを、こつこつと努力してやり遂げる訓練のこと」なのですよ。昔の日本人が大切にした 勤勉さや努力する姿勢 こそ重要なのです、大切な時に役に立つのです、本当に。俗に「酔生夢死」などと言いますが、大体において酔いは醒め、夢もまた破れるのが私たちの現実であります、はい。楽なこと、安易なことばかり望んでいると、知らぬ間に 苦・悲惨 が背後から襲い掛かって来るというのが人生の実際。夢々、油断してはいけませんし、楽だけを追い求めるイージーな快楽主義は通用しません。少なくとも、そうした覚悟でいたほうが 思いがけない不幸や不運 に見舞われずに済む確率はずっと大きくなるでしょう、きっと。直ぐに剥げ落ちてしまうような上辺の装飾には、安手のメッキ程の効用もないことを、私たちは肝に銘じる必要があるでしょう、本当に。 これも受け売りですが、世阿弥の言葉に「秘すれば花」という言葉がありますが、奥ゆかしさの究極の表現ではないでしょうか、恐らくは。身内や心の奥深くに 花 を秘めている。それが見える人には「見える」のですし、感じ取れるお人には「感じられる」のです、事実として。内面から自然に光り輝く様な素晴らしい魅力の源泉・花をしっかりと備えていて、しかも心得としてはそれをじっと秘め、隠しているさま。それを称して「奥ゆかしい」あり方の理想とする。これこそが洗練の極みであり、人の生き方の真の意味の手本とする。その様な素晴らしい文化がかつての日本には、何でもないことのように極く普通に通用していたのでありますよ、全く、実際。何という素晴らしい、信じられないような、奇跡と言っても過言ではない、言い過ぎではない! どうですか、嘗ての、古き良き時代の日本について、もっと多くを、沢山の事を学んでみたいと心の底から思えてきたでしょう!それが現在の自分自身をより良く知ることに直結しているのですからね。
2015年05月21日
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日本人であることの幸せ リュウト君は日本の国旗を知っていますか。「白地に赤く、日の丸染めて……」と歌われた国旗は、単純明快で、美的センスに溢れた素晴らしいものだと思います。でも、この国旗を見ると太平洋戦争などの暗いイメージに繋がると、頭から毛嫌いする人もいるようですから、手放しで讃美ばかりもしていられない。複雑で、屈折した感情にも配慮する必要があるのかも知れません。けれど、人類の歴史は明るい、健康な面だけではなく、暗くおぞましい嫌悪すべき暗黒面も蔵しているわけですから、殊更に日本国や日本人だけを目の敵にするような自虐的な言動はここでは慎む様にして、前向きに、ポジティブにお話を進めたいと思います、いいですか、リュウト君。エッちゃんは和食・日本食が大好きです。フランス料理、中華料理、韓国料理、イタリアンなど世界中には素晴らしい、美味しい料理が沢山ありますね。でも、日本の懐石料理はその最高峰に位置する、洗練の極み、もてなしの心が凝縮された料理のエッセンスそのもの。シンプルさの中に隠された、奥深く、複雑な、そして得も言われぬソフトでまろやかな味わい。日本文化の象徴のような料理。劇画や回転寿司ブームに見られるように、誰にでも直ぐにその良さ、魅力が理解できるのですが、その中に入ってみると非常に奥深い。底ひ無き淵やは騒ぐ(際限もなく深い、水の淀みは浅瀬の様にざわざわと騒がしい水音を立てたりしてはいない。波一つ立てないで静まりかえっている)と古人が形容した奥深さを密かに蔵しているのですね。真の意味の大人の文化、玄人の妙味をさりげなく内側に包み込んで、外見は幼い子供のように天真爛漫に、単純にさえ見える。それが日本の国旗・日の丸に象徴されていると、エッちゃんは思うのですよ。 今の若者達は色々な分野で、国際的な活動を展開して、目覚しい活躍をしています。それ自体は本当に素晴らしい事、賞賛すべき事と心から敬意を表したいと考えますが、エッちゃんはリュウト君を含めたこれからの若者達に一つだけ注文をつけたい事柄がありますよ。それは日本の歴史を含めて、日本人自身をもっともっと知ろうよ、と言う事。カッちゃんはウエブ上で源氏物語の現代語訳や、古事記の現代語訳に挑戦し、多くの読者から心暖まる支援を受けているのですが、その目的は少しでも日本の古典に若者達の関心と注目を集めて、日本についてより多く知るキッカケを作って貰いたいとの、切なる願いからなのです、本当ですよ!日本人は自己を語るのが下手、というのが残念ながら国際的な定評となって久しい。誠に残念で堪りません。日本民族の来し方、つまり歴史と文化を冷静にまた客観的に理解して、積極的に国外にアピールする。そのためには、少しだけ努力して学習する必要があります、ほんの少しだけ。そうするとエッちゃんやカッちゃんの様に、「日本という国に生まれて、日本人であって、本当に良かった!」と心の底から思えるようになるに相違ないのですから。是非ともそうして下さい。そして同じアジアの人や、欧米、中東、アジア、アフリカ、南米大陸の人々に「日本と日本人の素晴らしさ」を自分自身の言葉で、分かり易く語ることができ、国際的な相互交流がもっとスムーズになると確信しますね。 念のために書き添えますが、身贔屓で日本人だけを良いというのは余りよい事ではない。―そんな風に自分自身で感じる、或いは他人がそう言ったとしたら、一体どうしたらよいのか?そうした疑問には、次のようにお答えしましょう。何処の国のどんな人も、自分の国、自分の生まれ育った土地が世界中で一番よいと考え、そのように主張します、間違いなく。それで良いのです。日本人が自分の国を世界中で一番勝れた国だと考え、主張しなかったなら誰が一体、私たちに代わってその事を他国の人々に訴えたり、理解を求めたりしてくれるでしょうか。誰もいませんよ、当たり前のことなのですね。その様な、いわば取り越し苦労はよしにして、素直に日本人である自分自身を信じればよいのです、どうでしょうか…。
2015年05月17日
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笑顔の大切さ・接客の極意 男は度胸、女は愛きょうという言葉がありますが、今日では死語となっているかも知れません。男性に欲しいもの、それは度胸=どんな事が起こっても恐れず、正しい判断によって初志を貫く意志力。そして女性にあって欲しいもの、それは美しい笑顔と愛きょう=憎めなくて、可愛らしい身振りや振る舞い、であるという意味です。異性から見た場合でも、同性から見た場合でも「男には度胸が、女には愛敬」があって欲しいものとエッちゃんは考えています。笑顔こそは最高のお化粧であり、また接客の精華・エッセンスは愛敬であると日頃から心得て行動しても居りますよ。それも、極々自然に、身内から染み出し溢れ出てくるような愛くるしさが演出できたら最高でしょうね。これも一生かけて完成を目指す習練・修行の最終的な目標。エッちゃんなども精進に精進を重ねて、お客様から少しでもご満足が頂ける接客を完成させたいものと、心底から念じています。 リュウト君には難しすぎるお話ばかりが続いてしまい、退屈させてしまったかも知れません。もう少し易しく噛み砕いて説明してみましょう。リュウト君が道を歩いていたとしますよ。路上では色々な人々と出会うことになります。殆どの人が見知らぬ人たち。時間帯にもよりますが、ゆっくりと歩いている人は少なくて、足早に歩いている人が大多数かもしれませんが、その人々は一体どんな様子をしているか、顔の表情を中心に観察してみて下さい。するとその大半の人の表情が無表情に近いことに気づくでしょう。中には苦虫を噛み潰したような不機嫌そのもの、と言った表情をしている人がいますね。あるいはぶつぶつと口の中で何事かを呟いている人もいますよ。下ばかり向いている人、虚ろな視線で何処を見ているのか分からないような人もいます。要するに、一人一人がそれぞれに皆違った顔の表情をして道を歩いている。しかし、楽しそうにしている人、笑顔を浮かべている人は少ないでしょう、きっと。或いはそういう人は殆ど見かけられないかも知れない。何故でしょう?リュウト君も一寸だけ考えてみて下さい……。どうです、分かりましたか。エッちゃんはこんな風に考えますよ。皆、毎日の生活に一生懸命で、道を歩いている時に自分がどの様な表情をしているかなどに、気を遣う余裕など全く無いのです。自分の家を出て、街頭を歩いている時にはご近所の人を含めて大勢の他人と顔を合わすことになる。そう言った極めて当然の事さえ考慮のうちに入ってこない程、人々は自分自身のことで、毎日のこまごまとした生活の事柄で、頭の中が一杯なのですよ、きっと。ですから、自分の表情や仕草が道ですれ違う人々にどの様な印象を与えるのか、又どの様に作用する可能性があるのかまでは、考える余裕がない。しかし、考えてみるとこれは非常に大きな影響力を持っている。いや、現に計り知れないほどの影響を周囲に及ぼしている。唯、その事に注意を払う人が皆無に近いだけ。そういう事になる。どうですか? 誰だって、道ですれ違う人の表情がにこやかな笑顔を浮かべたものであったり、柔和な優しい感情を湛えている方が断然気分が良くなるでしょうし、反対に不機嫌そのものといった不愉快そうな顔つきを眼にしたくはありませんね。なんだか、こちらまで嫌な気分にさせられてしまいますから。振り返ってみると、私たちは無意識の内に互いに影響を受けたり、与えたりの繰り返しを、路上を歩いている際にさえし合っている。ですから、社会貢献の一番小さな行為として、他人に不愉快な感情を与えないように極力留意する。こういう考え方も成り立つのですね。何も大それた偉大な行為でなくてもよい。それが少しでも他人の役に立つのであれば、それは社会的に見て立派な、有意義な行動になり得る。そんな風に考えてみれば、人に勝れた素晴らしい能力などなくとも、自分を不当に卑下しなくとも良くなりますよ。気楽に生活できます。無力で、平凡な一般人はそんな出発点からのスタートをめざしても、誰にも文句をつけられる謂れは無いのです。少なくとも、そんな風に少し開き直って周囲の社会と対峙する気概を持とうではありませんか。そして余裕が出てきたら、自分の可能な範囲で、「社会貢献」を少しずつ心掛ければよいのですね。「情けは他人のため」ではなく、廻りまわってやがては我が身に帰ってくる。それが「持ちつ持たれつ」の世の中の仕組みというものなのですね、昔から。 笑顔は笑顔を呼び、反対に不機嫌は不機嫌を招く。類は友を呼ぶと言う諺は、卑近に翻訳すればそんな風に表現できなくも無い。同じ一生ならパートナーや家族、周囲の社会を信じて、気持ちよく毎日を過ごしたいものです。
2015年05月11日
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「澪(みお)つくし」拗ねた振りして 背を向けながら 直ぐに甘えて 縋りつく あなた舟です 流れのままに 女心を 棹さして 瀬ごとで 恋の花を摘む 泣いて待ちます 澪つくし嘘と知りつつ 騙されたのに 逃げるあなたは 許せない 雪に傷つき 風に涸れても 春の便りに 川面染め 愛の真実 咲かせたい 恋に濡れます 澪つくし霧に巻かれて 見えないけれど 浮気なあなた 又探す 夜はいつでも 薄情者ね 恋するわたし 忘れてる 女の命 尽くすこと ひとり待ちます 澪つくし 「恋の岐れ径」紅く 咲かせた 生命(いのち)なら 紅く 散ります 女です 添えぬ 宿命(さだめ)と 知りながら 流す涙の あゝ 岐れ径右へ行っても 左 逸れても 愛しい恋と 嗚呼 さようなら ヨヽヨヽヨヽ情け 下さい もう一度 情け 上げましょ 花一輪 待てと あなたが 言うのなら 耐えて 忍んで あゝ いつまでも私 待ちたい 切ない 愛に 未練が 絡む 嗚呼 指の先 ヨヽヨヽヨヽあなたに 縋り また夢に 縋りつきたい 私です 嘘で いいのよ 他人じゃないと 聞かせて 欲しい あゝ 岐れ径右へ行っても 左 逸れても 愛しい恋と 嗚呼 さようなら ヨヽヨヽヨヽ 「大利根哀歌」恋の風かよ 今宵は優し 酒には強いが 人の子平手 利根の流れに 月見れば 想い出すのさ 過ぎた昔を 友無し千鳥 芦の間で啼く姿やつして ヤクザな渡世 せめて生きたい 男の意気地 喧嘩出入りで 明日知れぬ 夜がからむよ 風もすねてる 大利根 無残 柳葉細いほととぎすかと 血を吐きながら 夢も真っ赤に 咲く男花 涙見せぬが 習いなら 見事笑って この世おさらば 夜露が 重い ヨシキリ寒い 「旅がらすの唄」草を枕の 一人旅 いつか覚えた 恋の酒 他人同士が 一夜の情け 交わしたはずが 命取り 一本独鈷 伊達には 差さぬ 何故か寂しい 後ろ影風が責めるよ 一人寝を 誰が教えた 恋の味 ふるさと遥か 旅の鴉が 初めて知った 人の道 振り分け荷物 重くはないが 渋る足取り 日暮れ前今日も旅行く 一人旅 面影連れた 恋の風 草笛吹けば 想いは遠く 朽ちた土橋に 風車小屋 結んだ草鞋 痛みはせぬが 男心を 泣かす雨 「海 螢」何処へ 流れる この旅は ぬくもり求め 北目指す ああ 初恋の お前の影を 今日も引きずり 星空に哭く いさよう浪の 海ほたる故郷(ふるさと)持たぬ はぐれ鳥 俺もお前も 一人旅 ああ 心妻 夜毎の夢に 一目逢いたい 影重ねたい いさり火遠く 愛寒い幸せ薄い 憂き世道 泪の珠の 恋灯り ああ 戻りたい けど帰れない 愛したいのに 愛届かない 闇にかぎろう 海ほたる ホスピタリティ・持て成しの心 ホスピタリティ(Hospitality)は「思いやり」「心からのおもてなし」という意味で、特にサービス業でよく使われる言葉です。形や行動などで示す「マナー」は相手に不快感を与えないための最低限のルールであり、それに「心」が加わるとホスピタリティになるといわれますね。また、ホスピタリティ産業とは主に人的接客サービスを提供する業種の総称で、日本国内では一般に宿泊業、運輸業、旅行業者を指し、広義には教育、医療、福祉を含むものです。 エッちゃんは現在、東京浅草にある老舗料亭で働き、「心からのおもてなし」を心掛けながら毎日を元気に過ごしていますが、この職場での仕事をエッちゃんは自分の「天職」だと感じていますよ。カッちゃんによると、「持て成し」とは立派な和語で、相手の状態をそのまま大切に保ちながら、それに対して意図的に働きかけて、処置することなのだとか。今のエッちゃんの立場から言えば、お客様銘々の「心」を大切にしてサービスする事、という一語に尽きるのですが、言葉で表現するのはた易いのですが、これを実際に行動に移してやり遂げるとなるとなかなか如何して、簡単どころの話では無くなるのです。奥が深いのです、究極がないと思われるほどに……。 お客様と一口に申しましても、千差万別。年齢や性別、趣味趣向や性格、その日の心のあり方まで考慮に入れるとすると、同じ人物であったとしても様々な情況が想定されますね。機嫌がよい時もあれば、何となく塞いでいる時もあるでしょう。心が浮き立っているような時もあれば、何を見ても腹が立つようなとげとげしい感情が胸の中に渦巻いている事だって考えられますよ。そのような色々様々なお客様に対して、極力相手の立場に立つ努力を臨機応変にしながら、お客様各人の心にソフトに寄り添うようにして、自分の仕事であるサービスに全力を傾注する。こちらも同じ人間ですから、いつも万全の状態でお客に接する事ができる訳ではありません。疲れている時もあれば、寝不足で頭がぼうっとしている場合だって正直言ってありますよ。ですから、普段からの心がけが大切という事がありますね。接客時がお芝居の本番だとすれば、そこに至るまでの諸準備が万全でないといけない訳です、分かりますね。これもカッちゃんからの受け売りですが、毛筆書道の名人はたった一本の線を引く為に何十年という厳しい習練の時を重ねてきている。何千回、何万回、いや数え切れないほどの様々な線が工夫され、トライ・試行錯誤され、最後に仕上がった一つの作品の一画一画を支えている。その様に考えると、たったお一人のお客様への真心の籠ったサービスには、接客する側の全人生が関っている。そう言っても過言ではない。一期一会という言葉がありますが、人生を八十年として考えてみるとすると、その八十年の人生の中で「僅かに一回限り」の出逢いであり、稀に見る「有難い邂逅」なのであります。その貴重な機会を徒(あだ)や疎かにしてよいわけがありません。
2015年05月03日
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