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第 三十一 回 目 そこで、都会っ子の私が 田舎 に憧れるのは良いとして、世界中の人々に日本の、東北の、辺鄙な町に関心を持ってもらい、足を運んでもらう。それがこれからのプロジェクトの目的でありますが、そんな現代の錬金術のような芸当が如何にしたら、可能になるのか?可能どころか、私はその実現を固く信じて疑わないのでありますが、それはどの様な手段に依って一体全体、齎されるのでありましょう。いや、こんな気違い染みた 大言壮語 を事も無げに放言する老い耄れを、如何にしたら信用できるのでありましょうか?取敢えず、細工は流々、仕上げを御覧じろ!と、今は申し上げるに留めておきましょうか…。 ここで又々突然ながら、古典を引き合いに出したいと考えました。「太平記」(たいへいき)は日本の歴史文学の中では最長の作品とされるだけでなく、この太平記の文章修辞は和漢混淆文の極致に達したものであり、世に言うところの道行文も、太平記において初めて完成されたと言ってよいものですね。内容は全40巻で、南北朝時代(1318-1368年頃までの50年間)を書く軍記物語。特に私が大好きなのは 楠木 正成(くすのき まさしげ)の超人的な活躍振りであります。彼は鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての武将であり、建武の新政の立役者として足利尊氏らとともに活躍した。尊氏の反抗後は南朝側の軍の一翼を担い、湊川の戦いで尊氏の軍に破れて、自害している。私は自分の息子に「正成」の名前を付けているように、大の楠木正成ファンでありますが、皇国史観とかその他の思想や歴史観などとは一切切り離した立場におり、純粋にフィクションとしての、古典としての文章を鑑賞して楽しいのでありまして、その他の興味は全く持っておりません。その範疇で物申せば、武将の中の武将であり、偉大なる英雄であると無条件で尊敬しておりますよ。彼の様に痛快な活躍が出来たならどんなにか愉快だろうと、胸をわくわくさせながら夢中で読み耽ったことを、つい昨日のことのように思い出しますね、はい、熱中しました、子供の様に。軍略に抜群に長けた天才であり、人柄も誠実そのもの。私は、出来れば彼の爪の垢を煎じて飲みたいと切望してもいますよ、本当のところ。ですから、私が 人類史上の難題 に対処するに当たり、師として仰ぎ見ているのは「太平記」が活写しているところの偉大なる軍略を縦横無尽に駆使した、戦略家・楠木正成なのでありまして、かてて加えて 神仏 のご加護がある限りは、どのような事が起こりましても、成功疑い無しなのであります、実際の話が。 因みに、道行文の代表的な文章を少しご紹介いたしましょうか。巻第五の大塔宮熊野落事(おうとうのみやくまのおちのこと)から― 此の君、もとより龍楼鳳闕(りゅうろう・ほうけつ、王宮と宮門、皇居のこと)の内に人とならせ給(たま)いて、華軒香車(かけん・きょうしゃ、立派な車)のほか出でさせ給わぬ御事(おんこと)なれば、御歩行(ごほこう)の長途(ちょうど)は定めて叶わせ給わじと、御伴(とも)の人々兼ねては心苦しく思いけるに、案(あん)に相違して、いつ習わせ給いたる御事ならねども怪しげなる(粗末な)単皮(たび、足袋)・脚巾(はばき、脚絆)・草鞋(わらじ)を召して、少しもくたびれたる御気色(きしょく)もなく、社々(やしろやしろ)の奉幣(ほうへい、御幣を捧げること)、宿々(やどやど)の御勤(つと)めお懈(おこた)らせ給わざりければ、路次(ろし)に行逢(ゆきあ)いける道者(どうしゃ、仏道修行者)も、勤修(ごんじゅ、修行)を積める先達(せんだち)も見とがむる事も無かりけり。
2015年12月31日
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第 三十 回 目 野辺地町の地域振興の核になるグループを、私はまずこの様な「カラオケ愛好会」乃至、オケ無しの「読誦の会」としてスタートさせてはと考えて、そのタイミングと人との出会いを模索致している所であります。 義父の次に、現在ただ今は「寝たきり状態」で義兄・登氏と義姉・光子さん夫婦に世話になっている、義母・とみよ刀自(とじ)に就いてお話しさせて下さい。義母は野辺地町の馬門(今でも家内・悦子の実家があり、つまり義兄夫婦が住んでいる)から車で30分足らずの所に在る天間林村の出で、大きな農家を営んでいた家の長女。妹で、義姉・光子さんの母親に当たるお方は近所でも評判の美人で、大層聡明でもあったようですが、癌のために早くに逝去されたとか。とみよ刀自は「吾は、みったくね(方言で、醜い の意)つら(顔)」であったが、この妹は自分からは想像もつかないほどに美しく、頭が良かったと、昔、私に語って聞かせたもの。もちろん謙遜しての言辞ですが。私たちの結婚披露の席で、荷方節を一指し舞って下さいましたが、風格のある見事な舞姿でした、実に。また、義母が作って下さった「取って投げ(すいとん のこと)」は実に美味でありました。なんでも小麦粉を練ってから一晩寝かすのがコツであるとか。この義母が二番目の息子・正成のお産の時に葛飾区の金町に一週間ほど泊りがけで応援にやって来て下さったのですが、駅前のスーパーや商店街のお店などを見て回った際に、「こんなに目の赤い魚は、「おらほ(自分の所)では皆、投げてしまう(捨ててしまう の意)」と発言して人々を吃驚させたそうだが、いつも取れたての新鮮な魚ばかり目にしていた義母が、一番吃驚仰天したのではないかと、後からこのエピソードを聞かされた私は宜(むべ)なるかな、と改めて考えさせられる思いでした。若い頃、赤坂の高級料理店で北海道から空輸された朝採りの毛ガニを何度も御馳走になり、感動頻りであったのですが、考えてみれば、土地の人々は朝採れたものを直後に食すことが容易く出来たわけで、その贅沢さには都会で如何様にお金を湯水の様に使ったとしても、到底及びがつかない理屈でありました。 それにつけても思うのは、野辺地町という 辺鄙な土地 の辺鄙さ故の「魅力であり、尊さ」なのでありますね。大げさな表現に聞こえるかもしれませんが、人類は「都」なるものに憧れ、華美なる文化に魅了され続けてきました。その典型例が「花の都・パリ」であり、「ロンドンでありニューヨーク」でありました。そしてその流れは恐らく永遠に変わらないでありましょう。日本でも古都・京都に憧れ、花のお江戸・東京に人々は強く惹きつけられ続けて居りますね。家内の悦子もその例に漏れない一人でありますよ。 しかし、東京生まれで東京育ちの私・草加の爺にとっては、事情が大いに違っています、はい。私にとっては所謂「田舎」が最高の憧れの的であり、地上の楽園と呼んで差し支えない魅力の場所でありました。そして、今もその根本は変わっておりません。幼い時分の私は、周囲の友達が夏休みなどになると「お祖母ちゃんやお祖父ちゃん」の住んでいる 田舎 に旅行する。行くことができるのが、無性に羨ましくて堪らなかった。で、結婚して、子供が出来て、その二人の子供たちが「お祖父ちゃん、お祖母ちゃんがいて、海や山があり、広々とした畑があり、冬にはスキー、夏には海水浴が心行くまでエンジョイできる」、そんな絵に描いたような理想の 田舎 へ家内と一緒に帰省できるのを身近に経験して、自分自身には叶わなかった夢が、事も無げにやすやすと実現している事実に驚嘆すると同時に、我が息子たちながら、何とも羨ましい限りであると心底感動しておりました、実際の所。思い出しますね、仕事で一人東京に残る私が、上野駅に家内と子供たちを見送りに行った数々のシーンを。「お父さん、かわいそう…」と涙をぽろぽろと流していた幼い息子たち。私は暫し、満足感に浸りながら家路、又は仕事の場所へと戻ったわけでありますが、後で家内に聞きますと、子供たちは、寝台列車が走り出して私の姿が見えなくなると同時に、何事もなかった如く、嬉々として列車の中で遊び戯れていたと言います。それはそうでしょう、息子たち二人にとっては、いやが上にも期待で胸が膨らむ体験が、直ぐ近くまで迫ってきていたのですから。家内は何か申し訳なさそうに私に語ったのですが、その事実も含めて、私の喜びと満足感は一入だったのです、本当に。 そこで、都会っ子の私が 田舎 に憧れるのは良いとして、世界中の人々に日本の、東北の、辺鄙な町に関心を持ってもらい、足を運んでもらう。それがこれからのプロジェクトの目的でありますが、そんな現代の錬金術のような芸当が如何にしたら、可能になるのか?可能どころか、私はその実現を固く信じて疑わないのでありますが、それはどの様な手段に依って一体全体、齎されるのでありましょう。いや、こんな気違い染みた 大言壮語 を事も無げに放言する老い耄れを、如何にしたら信用できるのでありましょうか?取敢えず、細工は流々、仕上げを御覧じろ!と、今は申し上げるに留めておきましょうか…。
2015年12月24日
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第 二十九 回 目 勿論、その時々で一所懸命に生きてきてはいます、確かに…、しかし、目的や、明瞭な目標などまるでない、出たとこ勝負のような本当に、自分自身でも呆れる程に「出鱈目」だらけの生き方だった、筈なのに!あら、不思議。一直線に、まっしぐらに、無駄なものなど只のひとつもなく、目的地を目指していた!?!!摩訶不思議、実に、神や佛にこそ可能な 大マジック ではありませんか、それこそ。 「 海 が 好 き 」 波は忘れない どこまでも 澄んだ 入江です 時の間の 揺籃に 微睡む夢 それは 真珠 そして 珊瑚 海が好き 母なる海 夜明けの ときめき 生(せい)ある者の 確かな 息吹 です 月も 聴いている 北の涯て 白い世界です 高らかに 響く 無言の歌 嗚呼 オーロラ 白夜と 風 海は呼ぶ 未知なる海 透き徹るばかり 清浄無垢で 曇りない 愛 です 鳥が 伝えてる 太陽と 燃える ロマンです 太古の静寂 秘めたる恋 そして魚 歓喜に 舞う 海が 好き 輝く海 湧き上がる 雲と 尽きること無い 青春 讃歌 です 青春 讃歌 です 別の所で、「演歌論」をご披露した際に、著作権の関係で自作の拙い 詞 を例示しましたが、これもその一つであります。もう少し、恥を掻くことになるのですが…、 「 海 螢 」 セリフ ― (男)この世に生まれ落ちて直ぐに、親兄弟から見捨てられ、冷たい他人様の情けにすがって、今日までかつかつの命を、繋いで参りましたが… 骨も氷れと 凍てつく 北風(かぜ)に 吹かれ 流れる 漂泊(さすらい)か 暗い波間に 生命(いのち)と 燃やす 嗚呼 あゝ 恋の火 哀し 海螢 月影 痩せてる 冬の日本海 セリフ ― (女)父無し子と周囲から爪弾きされ、母親にも十五の春に捨てられました。それから何人の男の嘘にどれだけ血の涙を流しましたことやら… 愛にはぐれて 都会(まち)さえ 捨てて 明日も見えない 独り 旅 哀れ淋しい 友なし 小舟 嗚呼 あゝ 日暮れの 沖に 誰を 待つ 心に 灼きつく 北の 海ほたる セリフ ― (男)生きて来てよかった、なんて優しい、温かな眼差しなんだ…。(女)死なずにいて、本当に、本当によかったワ、不思議な巡り逢い、ああ、神様、仏様! 逢えて嬉しい 凍える二人 今この瞬間(とき)が 確かなら 何もいらない 望みはしない 嗚呼 あゝ まだ明けやらぬ 東雲(しののめ)に 二人の 心は 燃える 海螢 「 ふ た り 」 わたしの眼を じっと見詰めながら 「この愛も、やがて醒めるのでしょうか…」 幼子の様に 無邪気に 問いかける 君 別れの朝は まだ明けやらぬ 愛しい人よ! 今しばし この腕に憩え… 眠りの中で聴くがよい 風の 子守唄 ― ヒュル ヒュル ヒュンル、ねんころろ 哀しみの海へ 船出したふたり 人の世は 夢 愛は幻… けれど 愛する人よ 君だけが わたしの命 「 初恋の 丘 」 一筋の この径 遥かな昔 楽しかった あの頃に続く… 息を弾ませ ふたり 丘へと走った わが青春の季節(とき) 初恋の君は 遠く去り ただ一人 静かに今 小径を辿れば 妖しく 高鳴る 胸よ ― 若き日の夢に 現在(いま)も咲く 白い花 ひとつ 澄んだ空 雲なく 初恋の風 清々(すがすが)しく 丘辺(おかのべ)に吹いて… 若者たち 歓びの 庭に遊ぶ さあ 踊ろう 共に! 満たされぬ 望み 悲しみや あゝ 孤独 涙の 日々 乗り越えて 行け 雄々しく 美しく あれ ― 沈み行く 夕陽(ゆうひ) 振り返り もの憶う 一人 「 陽 溜(ひだま) り 」 燃えるような愛や 激しい恋 欲しくない 望みはしない 遠い 記憶の中の 故郷の 懐かしい 陽溜り その安らぎ と 温もりがほしい それだけでいゝ 私 それだけでいゝ あなた 夢のように 遠い前(さき)の 世から 今日ここで 結ばれること きっと 約束されていたのです 目と目が会った 瞬間(とき) 何故か 不思議に 心ときめいた 邂逅(あう)までは 見も知らぬ 他人の二人なのに 要するに、日常的に発生する 心の中の不純物 を「清掃」してやることが、非常に手軽に可能となる。そこが味噌なのですね。何も「演歌」に限らないのですが、誰でもが手軽に、楽しみながら、何時でも、どこでも、好きな時に、好きなところで、たったひとりでも、大勢が集まっても出来るところが、好都合であるわけです、はい。卑俗であったり、平凡であったり、マンネリズムも大歓迎ですよ。どうですか、素敵でしょう…、それでいて心のカタルシス(浄化作用)効果は抜群なのですから、文句のつけようもない。いいことずくめの精神安定剤として、万能薬の役割を果たしてくれる。 野辺地町の地域振興の核になるグループを、私はまずこの様な「カラオケ愛好会」乃至、オケ無しの「読誦の会」としてスタートさせてはと考えて、そのタイミングと人との出会いを模索致している所であります。
2015年12月17日
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第 二十八 回 目 優しい心、温かい心 繋がりで、急に書きたくなったので、唐突なようですが触れておきましょうか。先年亡くなった義父のことです。最初にお会いしたのが、確か神奈川県の横須賀港でした。当時、義父は大洋漁業の捕鯨船に乗って遠洋航海からの帰国の途次、私と会うために途中下船したのですね。新大久保のアパートから家内と連れ立って横須賀線に乗り、出迎えに行ったことをつい先日のことのように鮮明に覚えています。そして、嘗て経験したことのない 優しさ と 温かさ に出会った、そう、確かに。 端的に表現すれば、私は家内・旧姓柴田悦子を介して、この何とも有り難く、勿体無い「優しさ と 温かさ」の真実と邂逅した、つまり、そういう事だったのでありますね、幸運にも。そしてまた、結論めいた事柄をストレートに述べてしまえば、青森県上北郡野辺地町とは、私にとってその様な誠に意義深い、心底からの感謝を献げるべき場所だった、思えば。そして、それは 神 の御意思であったことを、つい最近私は衝撃的な「事件」によって、つまりは神慮によって 悟らされた、否応なく、有り難い事に!? 昨年(平成26年)の二月末、家内から実にショッキングな告白を受けた―、職場での定期検診の折に、ドクターから末期癌で手術も不可能なステージになっている事実を告げられ、半年の余命である旨知らされた、と言うのでありますから。お蔭様で、色々な方々の親身な助言や手助けもありまして、それから一年数ヶ月後の現在、家内は通院や入院などを繰り返しながらも、元気で希望のある日常を送ることができております。これを、奇跡、神・佛の有難い計らいと呼ばずに、なんといたしましょう。ここ十数年来、私の周囲には「小さな奇跡」と呼ばずにはいられない数々の不思議が、十指に余るほど発生しております、実際。 いくら私が鈍いと申しましても、ここまで来れば、否応なく確実な 「意志表明」 を否定するわけにはいかないではありませんか、全く。たった今まで「デタラメな落書き」と見えていたものが、ただ一つの点を置いただけで、一つの明確なメッセージを伝える見事な絵となった。そんな風に形容したら理解していただけるのでしょうか?私の人生でありますし、勿論、その時々で一所懸命に生きてきてはいます、確かに…、しかし、目的や、明瞭な目標などまるでない、出たとこ勝負のような本当に、自分自身でも呆れる程に「出鱈目」だらけの生き方だった、筈なのに!あら、不思議。一直線に、まっしぐらに、無駄なものなど只のひとつもなく、目的地を目指していた!?!!摩訶不思議、実に、神や佛にこそ可能な 大マジック ではありませんか、それこそ。
2015年12月12日
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第 二十七 回 目 人間のうちには孤独と諦念と瞑想と自意識にふける 純粋に個人的な面 と、他人を支配し、その存在を左右し、あるいは英雄をみとめてこれに讃仰をささげ臣従せんとする 集団的側面 と、この二つがある。 民衆は、民衆の最下層は、常に 支配し支配される慾望 に燃えてをり、孤独と諦念と自己認識の純粋なる愛の宗教の他に、集団的な自我に応ずる別の宗教を探し求めてゐる。そこで、アポカリプスがその歪曲された集団的自我の呻吟にこたえ、挫かれ抑圧されたるものの復讐的な夢を正当化することとなった。ロレンスがぼく達現代人に提出した問ひはかうである ― 現代人は果たして他者を愛しうるか、個人と個人とは如何にして結びつきえようか。彼の答へは勿論否定的である。個人は、クリスト教徒は、つひに他者を愛し得ない。試みに、女を、隣人を愛してみよ。僕たちが肌と肌とをぢかに押し付ける様にして互いに愛し合はうとするならば、そのむくつけき努力のうちに次第に洗われ露出してくるものは、「他人を支配しようとする我意」であり、それは 純粋なる個人 などといふものでは毛頭ない。女を愛してみるがいい。僕たちは底の底まで絞り取られ、自分の我意が惨めにも踏みにじられる危険に出会ひ、やがて最後には相手に対する反撥と憎悪とのみが残留し、愛情はどこへやら消滅してしまふ。 抑圧された我意は、歪んだ権力欲へと噴出口を求めるのである。トルストイの悲劇を現代はまだそのありのままの姿において見てゐない。トルストイは依然として愛他思想に自己を犠牲とした英雄として眺められてゐる。我意を我意として認めよ。この世に純粋な個人といふようなものは存在しない、仏陀のやうに塵網を去って山中に隠れる以外には。 現代人は、総じてあらゆる結びつきに反抗してゐる ― 宇宙、世界、人類、国家、家族、これらすべてに従属することに反抗し、個人の独立を主張する。断片が、自律性を強要し、その不完全性を、あくまで統一體として強弁するのだ。結果の不幸は、火を見るよりもあきらかである。何よりもアポカリプスがそれを証明する。ロレンスの脳裡にあった理想人間像は、今やあきらかである。人間は太陽系の一部であり、カオスから飛び散って出現したものとして、太陽や地球の一部であり、胴体は大地と同じ断片であり、血は海水と交流する。「現代人は愛しうるか アポカリプス論」の まへがき で、福田恆存氏が書いていますね。 更に、彼・ロレンスが『チャタレイ婦人の恋人』の終末で到達した救ひは、もはや激しい情熱ではなく、「あたたかい心」「やさしい心」であったことを想ひ起こすがよい。アポカリプスの裏口から、ゆがめられた権力意識が新約のうちに忍びこんできたのとまったく逆に、かれの異教讃歌を通じて、イエスの愛の訓へがひそかにみづからを主張してゐるのである。 ぼくたちは、純粋なる個人といふものがありえぬ以上、たんなる断片にすぎぬ集団的自我といふものは、直接たがひにたがひを愛しえない。なぜなら、愛はそのまへに自立性を前提とする。が、断片には自立性はない。ぼくたちは、愛するためにはなんらかの方法によって、自立性を獲得せねばならぬ。近代は、個人それ自体のうちにそれを求め、そして失敗した。自立性はうちに求めるべきではない。個人の外部に、宇宙の有機性そのもののうちに、求められねばならぬ。ぼくたちは有機体としての宇宙の自立性に参与することによって、みづからの自立性を獲得し、他我を愛することができるであろう ― とも。
2015年12月08日
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第 二十六 回 目 ― 以上が道元著「正法眼蔵」の 現成公按 の拙訳でありますが、この思想の実践が 只管打座(しかんたざ) となり収斂している。各自がそれぞれの 身心脱落 の行によって「仏」となる道である。「ほとけ」とは道元によれば、「もろもろの悪をつくらず、生死に着するこころなく、一切衆生のためにあはれみふかくして、かみをうやまひ、しもをあはれみ、よろずをいとふこころなく、ねがふこころなく、心におもふことなくうれふることなき、これを佛となづく」と言っていますよ。 一般に、新しい考えや思想は、独創的な文体によって初めて可能になるのであって、そういう意味では 「何を」・what よりも「如何に」・how の方がより大事なことなのが納得できますね、実際のところ。 WHAT IS HE What is he ? ― A man , of course. Yes , but what does he do ?― He lives and is a man . Oh quite ! But he must work . He must have a job of some sort . ― Why ? Because obviously he’s not one of the leisured class. ― I don't know . He has lots of leisure . And he makes quite beautiful chairs . ― There you are then ! He 's a cabinet maker . ― No no ! Anyhow a carpenter and joiner . Not at all . But you said so . ― What did I say ? That he made chairs , but I did not say he was a carpenter . All right then , he's just an amateur . ― Perhaps ! Would you say a thrush was a professional flautist , or just an amateur ? ― I 'd say it was just a bird . ― And I say he is just a man . All right ! You always did quibble,「彼は、何者ですか?」、「人間です、もちろん…」、「そうでしょう、でも、何をしてるのですか?」、「彼は生きている、人間としてね」、「ああ、なるほど!で、彼は働かなくては、つまり、何らかの仕事をしなくてはならない筈だが…」、「なぜ?」、「何故って、彼は明らかに有閑階級の人間ではないからね」、「分かりませんね、彼には自由な時間がたっぷり有りますよ。その上、彼は見事な椅子をいくつも作っている…」、「だから言ったでしょ、彼は家具職人なんですね」、「いえ、いえ、違います」、「大工とか建具屋とかの、そう言った類の…」、「まるで違いますよ」、「でも、あなたはそう言いましたが…」、「その様な事は、何も。椅子を作る事は言いましたが、大工さんとは言わなかった」、「分かりましたよ、じゃあ彼はプロではなく、趣味としてやっている…」、「多分。所であなたは鶫(つぐみ)のことをプロのフルート奏者といいますか、それとも、単なるアマチュアだと…」、「単に、小鳥だと言いたいですな」、「ですから、最初に単に、人間だと…」、「もう、結構。あなたは何時でも言い逃ればかりする人だ」 これはイギリスの作家、D・H・ローレンス(1885―1930)の詩です。一事は万事といいますので、この様な何でもない詩にも、ローレンスらしさが出ていて面白いと思って取り上げただけで、これが優れた詩人でもあった彼の代表作というわけでは、決してありません。 人は、色眼鏡やレッテルを介してしか他人を見ようとしない。分かりやすく誤解を恐れずに断言すれば、自分に都合の良い解釈を他人に押し付けて、相手を断罪し、自分だけが安全地帯に立って他者を、勝手気ままに、思う様(さま)に裁き、悪者の烙印を押して憚らない ― 、少し言葉が過ぎたであろうか。しかし、少なくとも私・草加の爺は その様な目 に数多く遭ってきていますよ、出る釘は打たれるの諺の如くに…。これでも、置かれた環境の中では「エリート」であり「出る釘」であったわけでして…。
2015年12月02日
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