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追い行く體で取って返し、益良がついて突っ立ちたる。鐵の棒をひらりと取る。南無三宝、と振り返り掴みつけるのを飛び掛かり、続け打ちに打ちかけ、打ちかけ、味方の陣に追い込んだのだ。 益良は追われて、途方を失い、後ろは軍兵、前は手ひどく打ち立てる。ぐるぐる舞って立ったのはあっ晴れ気味よい次第である。 久馬平は声を掛けて、さあ、これまでは仕おおせたり、これからは御侍衆に振る舞い申す。一箸づつ遊ばせとどっと笑えば、勝舟と諸岩藤太入道、百太夫然らばお辞儀(辞退)は致さぬと、思い思いに切り伏せ切り伏せ、ずだずだに切って捨て、何時に変わらぬ久馬殿御手柄ざうと褒めければ、あの、おっつしゃますことわいの、上手く仰る、煽てるのが御上手ですね。と、会釈をしてから中に入ったのだ。 もはや王子は一人である。塀を乗り越えて討ち獲れ、承る、と諸軍勢がをめき叫んで切り入りける。王子、今は詮方なく幾年もふりた桐の木の一の梢に逃げ登り、傳えた呪文を唱えれば、忽ち梢に葉を生じ、王子の姿を隠したのは不思議なりける秘術である。 寄せ手は王子を見失い、官軍が攻めあぐんで見えた時に、親王は宮を抱き参らせ、南無仏法擁護(おうご)の諸天神外道の根を絶ち我が国に仏道成就なさしめ給えと念じ給えば、その時若宮が虚空に向かい南無仏と三度唱えて御手を開き給えば、一約に仏舎利の光明がたなびいて薫風が渡って桐の木の葉を、はらりはらりと吹き落とし王子の姿は顕然たり。 その時に王子は大音をあげて、我はこれ、提婆達多(だいばだった、釈迦仏の弟子で、後に違背したとされる人物)の後身である。唐土日本に再来すると言えども、仏力に妨げられる悔しさよ。汝聖徳太子上位にあって仏道を弘通(ぐづう)すと言えども、我又臣下として生まれ出で、現在に本意を遂げるべきぞや。最後の程を、是、見よやと枯れ木の節に頭を打ち当て、えいや、えいやと打ちければ微塵となって失せてしまったのは、ただ阿梨樹枝の如くである。 かかりし折に稲目の臣が勅使として発向あり。天王御位を親王に御譲り、玉世の姫は皇太妃(こうだいごう)、聖徳太子は儲けの君との宣旨である。目出たく目出たく勝鬨を挙げられよと高らかに述べられた。目出たし、嬉し、千秋楽万歳楽の萬代世まで、これを祝いの初めとして、猶打ち続く松竹の齢(よわい)も尽きず世も尽きず、仏神擁護のこの所、殊に大坂が繁盛する上に益々栄えたのだった。 けいせい 反魂香 白きを後と、絵画は描いたあとで胡粉で仕上げるが、花が咲いた後で白い落下の雪が降り、白きをのちと花の雪、野山は春を描くのであろうか。 聞きに来た、北野の時鳥の初音を鳴いている、「鳴け、聴かん、聞きに北野の時鳥」と詠むと果たして時鳥が初音を鳴いたと言う、そういう不思議があったと言う昔に、清涼殿に立てられた跳ね馬の障子の絵、夜毎に出て萩の戸の萩を喰ったと伝えれるのも、名匠の金岡が筆のすさみの跡絶えず、伝わる家や画工の誉、狩野(かのの)四郎次郎元信(もとのぶ)は丹青の器量(絵画の才能)は古今に長じて、心ばえよい男ぶり。親の絵筆の才能に、生まれつきなる美男である。 頃は文龜(ぶんき)の弥生(やよい、三月)の空、天満天神(菅原道真の神霊)の告げが有って、越前の國氣比の浦へと旅羽織、我は笠を着て大小の柄(つか)にも袋を着せるそれではないが、煙管筒を腰にさした前髪姿の召使の丁稚をお供に連れて、越の白山(しらやま、岐阜・石川に跨る火山)も去年の緑に戻る、それではないが、帰山(かえるやま、福井県南条郡の山、歌枕)、山の頂が青々と、雲に移ろう月代(さかやき)を剃る際に使う湯ではないが、湯の尾峠の名物・孫杓子(まごしゃくし、疱瘡の守りになると言う)、人の目につくような派手な美しい形(なり)で、花重ねした衣装ではないが、重ね、重ねした旅籠屋が、情も篤い、熱い燗鍋の弦ではないが、敦賀に到着したのだ。 四郎二郎は一僕を招き、やい、雅(うた)の介、外の弟子にも隠したこの所に下ったのは、余の義ではない、近江の国の大名六角左京の太夫頼賢(よりかた)殿と申すのは佐々木源氏(宇多源氏で、近江佐々木荘に居住して佐々木を氏とした。中世には本家は六角家を称した)の旗頭で高嶋の屋形と言い、系図所領並ぶ者がない大将であるが、将軍家の御意を受けて本朝名木の松の絵本を集められていらっしゃる。 然るに、奥州武隈(たけくま)の松と言う名木は古えに能因法師さえ跡は無くなったと詠んでいるので、名だけが残って知る人がいない。我がこれを描き表して誉を得さしめたまえと天満天神に祈った所、武隈の松を見ようと思うならば、越前の気比の浜に行くべしとあらたに霊夢を蒙ったのだが、それは陸奥、此処は越路である。何をしるべに尋ねようか。哀れ、里人よ来たれかし。物を問わんと呼ばわれば、所の者が御用とはと、都人にて有りげに候、お尋ね有りたきとは何事にてばし御座候とある。 御覧の如くに都の者であるが、天神の教えによって松を尋ねている仔細がある。この所にこそは名高い松が候め、教えて給わり候えとよ。 これは思いもよらぬ事を承るものかな。この北国にてお尋ねあろうならば、越前布、越前綿、もしは実盛の生国であるからお供の奴(やっこ)の髭に塗る油墨などのお尋ねも有るべきに、名高い松とはさすがは優しい都人、先ず當国の名木は西行の鹽越しの松、麻生の松若が物見の松、金が崎は義貞の腰かけ松、山のを山松、松庭のを庭松、門には門松、酒には濵松、肥えているのは肥え松、拗けているのは捩松、割松、たい松、ぬっぽり松、我らが息子には岩松・長松と申す嬰児も有り申す。 庄屋の名は松兵衛、若い時には相撲取り、赤松をぶち割ったように御座ありしが、今は老い松になられて力ももとより下がり松、腰もかがんでいざり松、いざり松とこそ所の者は呼び候。これぞ京にも類なしと心をかけぬ人もなし。 色良い松が候が、もしや左様の松にては御座なく候か。げにや、往き来も慕うとは疑いもなく我等が尋ねる名木よ。急いで見せて給われかし。いつも夕暮れ時にはこの所に現れ出で候。我らはお暇致し候。やあ、やあ、早あれへ御出で候、我等はお暇給わり候べし。 御逗留の間の御用の事は承り候べし。頼み申し候わん。心得申して候。 高き名の松の門が立ち馴れて、人待ち顔の暮であるよ。町は敦賀のかけわたし(海岸にかけ渡して作った町)、遊女が間夫(まぶ)に会うのも潮の干満のように差し引きがある。 誰と言って親しく知る人のいないこの敦賀の色里の大夫となったのも親の為。売られ、買われて 北国の土氣(つちけ、泥臭い、田舎びた)賤(しず)の里であるが、妓(米)の育ちは上田の水損なしの大夫職、名を遠山と呼ばれているのも、人に登れと言わないばかりに恋を仕掛けて、坂おろし、歩みの道中は花の立ち木をそのままに、滑らかに出現したのであった。 雅の介は、是申し、見事な者がそれそこへ、それそれと言えば、それそれと言えば、四郎二郎、やあ、何と松が見えたか現れたか、写し止めんとふっと立ち、女郎にはたと突き当り、これはさて、松だと思ってはまったぞ(騙された、ひっかかった)。 本(ほん)の松を尋ねて見よう。丁稚よ来いと行き違う、その袖を捕えて是、申し、この遠国の我々と京の廓の松様達と比べさんすが不覚の至り、しかし無粋なお方から松と見られて嬉しゅうなし、杉(下女や遣り手の通り名)と言われても腹は立たない。桑の木とも、榎(え)の木ともこなさあに似合った阿呆の木とでも見さんせと、無駄事なしの言い捨ては田舎の妓(よね)は笑えない。 おお、ご機嫌を損ねたのは御尤も、げに、げに、松とは大夫様、我等は悪く心得て、不調法なる御挨拶でしたが、真っ平、真っ平、お詫び事、これをご縁に知り合いになりました。 下拙ことは狩野の四郎二郎元信(もとのぶ)と申す、詰まらぬ取るに足りない絵描きです。さるお方より武隈の松の図を仕れとの仰せ、即ち、天満天神の夢想に任せ、この所にて名の有る松をと尋ねた所大夫様との取り違え、これはこうもあろうこと、御料簡ついでにお付き合いもあまたであるよ。 願いの叶う便りもあれば、御世話頼み奉ると、思い入ってぞ語ったのだ。 女郎ははっと顔を眺めて、さては狩野四郎二郎元信様とは御身の上か、恥を包むのも時によります何を隠しましょうか、わしこそは土佐の将監光信の娘であるが、父は一年勅勘(天皇の勘気)を受けて今は浪人の憂き渡世、この身に沈むとは申さずとも、推して泣いて下さんせ。 さて、武隈の松の図は土佐の家の秘伝の絵本です。漏らすことは叶わないが、夕べ不思議や天神様の夢の告げ、狩野と言う絵師が下って来る。武隈の松を伝授せよ。父の出世の種となるだろう。と、見たのはまざまざ正夢でと、語りもあえぬに四郎二郎は感心、感涙が肝に染み、天を禮して地に拝して懐中の絵筆絵絹を広げて、さあ、遊ばせ、御伝授頼みますと悦びける。 如何にも伝え申さんが、親の許しもない中で絵筆を執ることは如何であろうか。ああ、何とせん、げに思い付きたり、あのお供の人の立ち姿を松の立ち木に准えて笠を枝葉の笠となして、此処にて学び見せ申さん。それにて、写し止め給え。これ、そこな奴さま、ここへ御座んせ、雇いましたよ、ない、ない、ない、手振る、頭を振る、年古る松の松根に倚って腰つきも、千年の翠(みどり)を写したのは作意である。 先ず歌人の見立てには一本松を二木とも三木と連ねし言の葉のそれは老木の松が枝なれども、写す若木の、やっこの、やっこの、やっこの、この膝の節、松の節、前に地摺りの下枝にぬっと出だせし片足は、慮外千万千貫枝、絵師が筆を投げ捨てる程に見事な枝ぶり。 久方の天つ乙女の肩車枝や腰かけ枝の三蓋松(枝葉が三段に重なった松)、月に障らない枝々がさざれ小松の松蔭を、さあ、沖を漕ぐ舟の帆が仄かに見えて、さす(伸ばす)腕には寿福の枝を、収める(引く)手には不老の枝、垂れて雪見の控えの松、是々これ、これ、頭っと伸びたる流しの枝。 松は非情の物なれど、傳えし心の色はなお、さながら青々條々として、松の生き木を生き生きと若やぎ立てるその風情、狩野は一点の違いもなく描き連ねたる筆勢。何れを写し絵とし、何れを立ち枝とするか迷う程の出来栄えであるよ。
2025年06月27日
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さて承れば伊駒の宿祢めが検非違使と偽って、却って検非違使に見付けられて逃げうせたると承る。たとえ如何に逃げたとしても、當国の内であれば、牢に入っているのと同じで、何時でも彼の首は我らが物で候と、言うのを聞いて籠共にそろりそろりとゐざり退く。 百嶋はきっと見つけて彼奴を脅し、狂い死にさせてやると思い、たとえ敵が東の道へ逃げようともこの道には某の手の者を置いているので、死にに行くのも同然であるよ。御心安かれとよそ事の如くに申したのだ。それで百嶋は元の方へと這い戻ったのだ。 いや、申し、この先には勝舟が支え候えば敵が寄ることは不可能である。そう脅せば忽ちに脅されてうごうごと又脇道へとゐざり入った。 この道には御家中の討っ手の者達に待ち伏せさせておきました。と騙すと相手は騙されて、行きかねて跡へうろうろ、先へうごうごと狼狽え廻って百嶋に突き当たった。 はったと睨めば、仰天して、籠を被っていますると合わせる顔がない、御免有れとわななきながら言うのは笑止である。 百嶋はかっらかっらと笑い、智者は惑わず、勇者は恐れずと言う。おのれは智慧こそはないが匹夫の勇でも勇はある。ただ今殺すのは易いけれども、若宮御誕生の折でもあり、殊に勝舟が殺しさした奴であれば、勝舟に首を打たそう。縄をかかれと踏み伏せて、足手を取って八重無尽にからげつければ、ああ、もう、御免、御免、御免と大声を上げて泣いている。心地よくこそ感じるのだ。 向こうの岡から以前の牛が継母の身體の真ん中を突き通して、肩に振りかけて一散に走って来た。親王の前に膝を折り、黄涙を垂れ、人間の声を出して、みずからは伊駒の宿祢の娘で、五位の介諸岩の妻であり候。配所の夫に貢ぐ為に室公と呼ばれ、遊君の流れの身と成った所に、少し夫婦の契りが途切れたので敵の縁によって嫌われるとは露知らず、嫉妬の恨みに蛇身となりこの世を去り成仏して浮かびもしない苦しみの中、忘れもしない妹背の道、君の御身を守らん為に地獄の責めの隙々には閻魔王にこそ暇を乞い、この牛の魂に入り換わり、御側を離れぬ心ざしが通じた事の嬉しさよ。有難さよ。この忠節の誠により、地獄道も逃れるでしょう。尚々弔いたび給えと言うかと思えば牛はそのまま起き上がり、身振るいして頭を振り、継母を大地に打ち付けて家路を指して走っていく。 かくと聞くより検非違使と長者諸共に馳せ参じて、一先ずは館に移し参らせて都に注進申さんと御乗り物を指し寄せたところ、継母の頭から電光の如く飛んで出て虚空に閃きが見えたのだが、忽ちに異形の身を現わして我は是、山彦の王子の師範・伊賀留田の益良(ますら)の眼中の童子である。 継母の一身に入って不思議を見せたのも我であるぞよ。我が秘術をふるまうならば中々都へは帰さない。と、虚空を駆けながら叫んだが黒雲があたりを晦まして、山河草木震動して天地も裂けるばかりである。 百嶋も勝舟も心ばかりは逸るのだが、太刀も刀も力なく虚空を睨んで立ち竦んでいる。 不思議や、若宮左の御手を少し開き給えば御掌の内から光明が辺りを輝かして、益良が魔術の力も尽きて大地にかっぱと落ちた所を、おっつめ、おっつめ刺し通せば正体は本当の眼(まなこ)の玉が貫かれていたのが不思議であるよ。 長者は愈々渇仰(かつぎょう、深く信仰する)して、その夜に御殿を設えて先ず移し奉る。和国に仏法の始まりの種を植え初めし恋草や、草刈り笛の声の色に、心の色と思いの色、色に和らぐ国であるから御法に民も和らいだのである。 第 五 仏日西天(ぶつにちさいてん)の隠れて遺燿東北(いようとうぼく)にかかやく。釈迦が死んでもその余光は天竺の東北方の日本に輝いている。 獅子吼の金言は過たず、仏法流布は王道の盛りの初めとなったのだ。御誕生の若宮を厩戸の王子と名付け参らせける。これは駒繋ぎの辺で降誕なされた故であろう。 然るにこの宮は御襁褓(きょうほう)のうちから左の手を開きなされず。如何なる胎気の御病か、或いは外道が魅入れたのか、一先ずは都に行啓なし参らせ、名医の教えに任せようと海(あま)の戸を渡る商人の筑紫通いにもてなして、任せる風も君が為、座せるが如き波の上、一日一夜を明かすそれではないが、明石潟、播磨の国に着いたのだ。 山の手を見れば騎馬武者、徒歩武者千騎あまり、金銀で日月を打った錦の旗を真っ先に押し立てて東風吹く風に翩翻(翩翻)して、勇みに、勇んで馬を走らせている。 勝舟と百嶋がこれはどうしたことかと怪しんでいると、五位の介諸岩兵藤太入道が諸卒を具して御前に膝まづき、さても我が君、筑紫潟に御開きあって、眞野の長者と御語らいの風聞、山彦の王子は安からずや存知つらん。 悪党を語らい丹州大江山のふもとに土城を築き、野面(のづら、山から運んできたまま手を加えていない)の石垣、麦わら塀、要害疎し(防衛力が乏しい)と申せども、地の利防戦に有利であるので、御退治の叡慮猶予の由を承り、憚りを顧みずに我々は君の奏聞と称して、山彦征伐の勅宣を願い奉り候所に、叡感まことに浅からずこの度御誕生の若宮に、親王の宣下があって、即ち御名を聖徳太子と名付け申し、大将軍に立て参らせ、朝敵追伐あるべしとの勅命を戴き、日月の御旗を預け下し給わって馳せ参り候と大息ついて言上した。 親王を始めとして各々が頭を地につけて、勅書を拝し奉り、御悦びは限りがない。 なかんずく兵藤太入道の働き、五位の介の忠節は親王自らが周囲に御吹聴なされたので、長者一家や勝舟もあっと感じるばかりである。 宗徒(むねと)の御味方は八十(やそ)の眞人(まつど)、武知(たけぢ)の郡司(ぐんじ)、揖熊(おしくま)の武者所・安摘(あづみ)の宗賢(むねかた)、坂の上の古虎、御盃を賜り、軍師・軍監・軍配者、物見・遠見・物がしら、手分け、手配り、手組を備え、錦の御旗を給わる上は天子の行幸と同然である。 行く所に幸いが有り、吉日吉方はこの日にある。時刻を移すな、打って立て。と、貝も太鼓も高砂の尾上の鐘も巳の時(午前十時頃)と輝く月日の御旗を押し立ててこそ押し寄せたのだ。 そもそもこの山は後ろに険阻を負って、弓手に大河が流れている。前に大木を切りかけて乱杭・竹束を隙間もなく、所々に井楼(いろう、井桁の形に木を高く積んだ物)・屋木偏に羅(ぎり、防備した垣や塀の類)を付けて横矢を繁くぞ構えている。 官軍が既に間近かになったので、山手川手の前後の備え、十重二十重に取り巻いて、貝鐘を鳴らし箙(えびら、矢を入れて背負う武具)を叩き、鬨(とき)の声を挙げたのだ。 待ち設けていた城方にも同じく鬨を合わせたのだ。 検非違使の勝舟は堀瑞に進んで、大音を上げ、御新発の大将は事も愚かや、欽明天王の孫王、厩戸の王子・聖徳太子で、御父親王の御代官として向かわせなされたその意趣は、山彦匹夫外道を重んじ仏神っを軽んじて王法を傾けようとしている。 天は是を許さず、急ぎ匹夫の首を取って神慮を清め鎮めて、三世の諸仏の報恩に供え、かねては宸襟をば安んじ、国家の泰平を致すべしとの宣旨を蒙り、龍蹄(りゅうてい、駿馬、太子の馬の讃辞)を差し向けられた。命が惜しければ陣頭に股をくぐって降参せよとぞ呼ばわった。 王子は怒って甲冑もも帯せずに井楼にかけあがって猛虎が吠える如くである。大音を挙げて、やあ、緩怠過ぎた広言であるよ。日本国が集まってもこととも思わぬ山彦が立てこもっている山城に昨日今日生れ出てまだへその緒も落ちない聖徳とやら、粉徳(のろ間人形の名)とやら言う倅、丸に向かわんなどとは蟻の鬚で須弥山を崩そうとするに似ている。 益良はいないか、魔法を以てあれ、蹴散らせよ。と、下知すれば益良は続いて駆けあがり、度々某が秘術の手並みを見せたのだが、性懲りもない奴ばら、いで、片端から立ち竦みにしてくれんとぞ呼ばわった。 五位の介諸岩駆け出でて、魔法使いの益良殿、御辺の片目は如何した。おお、結構なる魔法かな。御用ならばこれにあると、槍の先に貫き、是は豊後の府内にて化け廻るのを突き止めたのだが、覚えがあろう。鹽漬けにして勝ち戦の酒盛りをする際に、吸い物にしようと思ったが、ただ今返すので受け取れ。地に抜き捨ててから草鞋で踏みにじって笑うのだった。 王子は大に怒りをなし、物な言わせそ、追ッ散らせ、承ると逆茂木(茨の枝などを立てて敵の侵入を防ぐ物)引き除けて突いて出れば、味方の勢、潮相はよし、乗っ取れと一度にどっとおめいて掛かり、花よ紅葉と戦いける。 味方は運に乗っているので、二三度四五度突きくずして朝敵は怯んで見えた。 時に敵の内から深山の如くに揃った武者が五騎出で来たのである。我は王子の御味方、黒島雲墨荒鷲鬼廣鬼正と名乗って大太刀鉞(まさかり)・長刀・大薙鎌に九尺の棒得物、得物々々を引っ提げて木戸口に立ち並び、寄せ手の方に武知(たけぢ)楫熊(おしくま)安摘(あづみ)古虎・八十(やそ)の眞人(まつど)と言う強者(つわもの)有と聞き及んでおろう。見参の為に馳せ出でたり。晴れ業の勝負である、出合えやっと呼ばわったり。 やさし、しおらし、参りそうと五人が五人に分け分かって、得物々々に渡り合い、半時ばかりぞ戦いける。或いは撃ち伏せ、叩き伏せて、五人の敵を五人の味方、一度に取ってどうと伏せて、さあ、末代までの語り句に一度に首を取ろうではないか。 おお、尤も、と拍子を揃えてはらりと首を掻き落とし首を引っ提げてしづしづと味方の陣に入りければ、官軍は一度に声をあげて、いや、御手柄、御手柄とどっとどよみもやまざりけり。 益良も今は堪えかねて、一丈有余の鉄の棒、麻よりも軽くひっさげ仏と仰ぐ親王に参り会って、この益良と仏道と外道の勝負を試そう。親王よ、出でよとののしった。 かかる所に見慣れぬ若武者が真一文字に躍り出て、柄は八尺の槍鉋をひらめかせて立ったのだ。諸人がこれを見れば、桶結いの久馬平が物の具固め(武装して、鎧を着こんで)にっこと笑い、先年王子殿に参り合い、系図を名乗り申し上げれば具(つぶさ)に申し上げるに及ばず、定めて沙汰にも聞き及んでおられようが、この得物道具にて推量して下され、要らざる職人の武士立てではあるがふと頼まれ、奉りし。途中で止めてはいられません。裏壁を塗り塞いで後始末をし、具足も拙者が細工した桶側胴とはこれである。 一つ残った益良殿の片目を申し受けたしと、高らかにぞ呼ばわったのだ。 益良はからからと笑い、うぬらが分で某に向かわんとは汚らわしい、推参である。こいつを打ち獲れ、見物しよう。味方はないのかと呼ばわれば、さ知ったりと雑兵共、左右から打ってかかる。それをひらりと外し、はっしと受け、数年鍛錬錬磨して使い覚えた槍鉋をひらりひらりと切り回われば、或いは真向片頬片耳・鼻柱、腕先膝節を打ち欠かれて、四方にぱっとぞ逃げたのだ。
2025年06月25日
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この度、お鹿嶋の寶殿よりでっかちけない光物が筑紫の方に飛び出し、お前の扉が八文字に開け、神前の白洲が八角に割れ、神馬の御馬の四つ足に土をつけて大汗をかいて御座ある。 去るによって禰宜・神主が是を歎いて、神馬の御馬に三石六斗の豆を食わせ、神楽の太鼓を打たせ、御湯を捧げて七座の物忌、七日のおこたれ(過怠の意から転じて奉仕を意味させているのか)と御座ある。 時にお鹿嶋大明神、氏子を不憫と思し召してご託宣が御座やり申す。当年は乙酉(きのとのとり)春から今まで氏子が繁盛、ゆるりくゎんと乙(きのと)の梢に酉の年のよろずの鳥が羽を休める如くに、十分の世の中ではあるが、此処に一つの大事がある。娘を持ったお方は御用心なされ。 むくりこくり(鬼の一種、蒙古高句麗の転。蒙古高句麗鬼の略)が以っての外に精が強くなってこの界へ渡って、或る時は美しい稚児若衆となってたぶらかし、或る時は貴人高人の執権・御使なんどと偽って、女御にあげい、妃に立てよなどと申して、おやおっかない偽り、後からはげる、はげる禿げ頭、親はこれを誠と思い娘を手放すものならば、あったら娘も身代もむくりこくりにむくり取られる(剥きとられる、剥ぎ取られる、強奪される)だろう。それは実に不憫であるとの御託宣。 嘘も飾も申さない、おうたがやり(疑う)申すな、出るまま八百万の神の御判のすわった事触れ、無上神霊、神道加持とぞ申しける。 長者はもとより遠国育ち、正直正路(心の真っすぐ)な老人であるから心にやかかりけん、奥から立ち出でて、先ずこの度は御返事申されず。重ねての御相談は御縁次第と申された。 宿祢は機嫌を損じて、是、物取り鳩の飼い(騙り、詐欺師)の偽りに脅されて、左様の御返事、この検非違使はえ申さじ、どうぞ身が一分が立つような御返事を召され、返事が悪いと長者殿、姫の代わりに和主の首を連れて帰る。さあ、首か姫か、どちらでも素手では帰らぬ、思案せよと、太刀の柄に手をかける。 長者もさすがに物師(物に馴れた人、巧みな人)であって、いや、これ、検非違使殿とやら娘も我らが秘蔵の子、首も秘蔵の物であるから、渡そうとは申し難い。ただし貴殿の勝手次第、取れるならば取って帰られよ。と、なかなかゆすりは食わないのだった。 宿祢も止まり(決着、始末)がつかないので、身が勝手なら首を取らん、と飛んで掛かれば検非違使は跳び上がって立ち塞がり、やあ、騒ぐまい揺るぐまい、揺るぐともよもや抜けじの要石、鹿嶋の事触れが有る限りは、これや、宿祢、見知り越し(前からの知り合いの仲)に検非違使とは今に始めぬ野太い奴め、これこれ長者、きゃつは王子の家臣伊駒の宿祢と言う大盗人で真の検非違使は某である。ここはわれに任せなさい。と言って打ってかかれば下人共が宿祢を囲んで勝舟をあます(逃す)まいと立ち向かった。 検非違使はからからと笑い、これやこなたに御免なろう、これは鹿島や香取より悪人の首を取って廻る事触れであるぞ。いかなるむくろこくりがもと首でも、この事触れが太刀先で、むくってこくって斬りまくって敵の種を三合(大凶)にしてくれんとの御託宣でござりやすと申して、無二無三に切りまわし浜辺を指してぞ追いかけける。 さんろ玉世の姫道行 私三路が草刈り笛を吹くと、妻を呼ぶ牡鹿の声でもないのに、雌鹿が寄って来るのに契りを交わした玉世姫は私が此処にいるとは知りもせずに、思いもしないのか、来てもくれない。 心憎さと床しさと、都の空が恋しくて、心も乱れて毛色の乱れた斑牛(まだらうし)の引き綱を取って引き延ばししの字にしては丸めては、のの字に読んで我故に死のうと見えた辻占の姫の変わらぬ心が頼もしくて、襷掛けの乃の字に手繰りかけ、肩や腰の身も軽く草の露、こぼれ出でさせ給いけり。 野飼いの童、何時となく知り人得たり、友を得た。後に続く者には次々と声をかけて、先の者には薄を押し靡けさせてかくれんぼ。走りこぎり(走り比べ)こぎりや、ころびうつ野の花摺り衣、草刈り、衣は綻びて、子供遊びの果ては時雨の雨雲の硫黄が嶋に立つ煙、同じ思いを焚きつけになれも焦がれる姫嶋や、沖に恋路の、沖には恋路のまだいろは船、惚れてほの字の帆が見える。 誰にほの字の、誰にほの字の、誰にほの字の初尾花(初めて開いた薄の花)、小菅・白菅。岩間菅、この一叢は刈り残せ、妻籠目の夜の床にせんねぐらの虫ともろともに、刈り取る鎌の鋭くも声切りぎりす、クツワムシ、牛の鞍にも音を鳴いて帰る家路をマツムシや、さらば笹原、笹ガニの秋に染め糸繰り出して、五百機(いほはた)立てた機織りや、そのフジバカマを破るなと、鳴くか茨の蔓先に、野飼いの駒のやさしくも、古郷の風の北にいばえて嘶けば、越路の雪に故郷の空を慕って鳴く犬のべうの声ではないけれども、別府(べう)の湯本はあれとかや、如何にいわんや久方の天つ雲井をあまざかり、しづのわざはいつ君が絵にかくならで思いきや、見しや聞きしやとばかりに、草も刈り兼ね、忍び兼ね、涙を浮けて研ぐ鎌の、砥石も心砕けと彌夢にもかくと白玉の、玉世の姫は胎内のまだ見ぬややの別れであるとつれなき母にいざなわれ行く道筋は多けれど、笛に誘われ妻恋うる牡鹿の苑の法の導き、これなれや、互いにそれと見る、道芝のすがるばかりの恋草も芽も繁りそう、母子草、千草、八千草、思い草、恐ろしい鬼の醜(しこ)草に隔てる中の垣根草、力草なく、泣きかわす心ぞおもい遣られたる。草し刈るな、笛を吹け、後に二人が悔やみ草、毒の草をも身の上と知らぬ手元の暗さには、燈臺草を思い出す。 思い出さないですか、在りし夜の乱れ逢いにし枕には、かづら草をぞ思い出す。かのほのぼのの仄暗い誰そ彼(夕暮れ)早くと寝た時には、蚊帳釣り草を思い出し、人目を思わないで肌を触れた。起きつまろびつささめ(私語)・沙草をして、すまう取草(すみれ、又は、昼顔)を思い出す。 通い路が遠い一人居の、班女(はんにょ、漢の成帝の寵姫)の閨の寂しさは、茶引き草をも思い出して心細い限りの糸薄、えい、えい、えい、風かと聞けば山の下には嵐が吹く。嵐吹く、さりとは嵐が吹く。山を離れて風と成り、風も昔に吹き返れ。 葛の裏葉のうらぎぬ(着物の裏)もありしその夜の移り香を、洗い落とすなすもの草(汚れを洗い落とす時に用いる)、連れ立つ道のおそかれと祈る心のあやにくに、早く射る矢の靭(うつぼ)草、浮かぶ瀬もない水草に、身を埋め草と捨て草も誠を照らす月草(露草の異名)の、光の隙を仲立ちに、顔を見合わせてようよう歩みつき給う。 野飼いの牛馬のとつなぎ(繋ぐための柱)をとかく設えて小袖巻く、女房達は姫君の気持ちを思いやり何をするのもうろうろと、叱られ廻るばかりであるよ。 後からは下部の荒男が薬風呂にに火を起こし、敷き皮や毛氈を持ち運ぶ。継母は辺りを見回して今参りも山路と言う草刈は何処に居るのか。言い付けた五種の草刈を取ったのかとありければ、かかる事とは露知り給わずに、さん候、仰せに任せ刈り候。あかりもとは燈心草・ねずみ尾花はみそはぎ、末摘花は紅の花、二十日草とは芍薬、午膝とはいのこづち、何れも仰せに従って今宵満月の露もこぼさずにそのまま刈り整えて候と出だし給えば継母は悦び、腕まくりをして薬の釜が煮えたつのにねじわげて絞り入れ、まがり(盃の類)注ぎ込み、さあ、姫君、これへおじゃ、此処へ来てみて飲みやいの。と、言うのだが姫は返事をせずに、わっとばかりに草筵ひれ伏してこそおわしける。母は小腕を引っ立てて、ええ、卑怯な、人やら水やら知れはしない。お腹の餓鬼めがそれほどに惜しいのか、餓鬼めが父にそれほどに名残が惜しいのか。忽ちに親が迷惑するが、親が大事か子が大事か。夫が可愛いか親が可愛いか、ちっと世上も思えかし。鰓骨(口)を割ってなりとも飲まさなければおかないと責めたところは地獄での責め苦もこうであろうかと容赦ない。 この時に親王が気が付いて、この上は名乗って出て、とにもかくにもなろうと、御懐中の守り刀に手をかけ手をかけし給いしが、姫の心を計りかねて涙を抑えていらっしゃる御心底こそは切なけれ。 姫君は声を挙げて、ああ、心強い母上様でいらっしゃるよ。父こそは知らなくとも、わらわが子を孫とは思いなさりませぬか。如何に私が憎い継娘とは申しながら、左程にはないものでしょうに、犬や猫が孕んでさえ馴れていれば不憫と感じる物、親たるものは身に受けて、子の愛しさを知ったのでせめてはこの子を産み落とし、月日の光を見せてから殺すなりしてくださいなと手を合わせ、声を惜しまずにお泣きなさる。 なう、山路とやら、御身は都人と聞く。都に帰り、忍んで玉世姫の忍び夫を尋ねあい、このありさまを語ってくださいな。 かくと御聞きなされたのなら、共に死なんとさぞやお嘆きなさるでしょう。構えて、構えて御命が大事で御座いましょう。当座の歎きで御命を捨て、多くの人の苦しみと言い、末代末世までの御名の穢れ、国の為、人の為に御身を代えて今の無念を堪え給えと伝えてたべ。 とてもこの子は過去の約束、去りながら人もこそあれ御身が刈った毒草にて、この子を流し殺す事は因果の上の因果ぞやと、夫婦は目と目を合わせて叫びあげ、咽びあげ咽び入り、袖にも膝にもはらはらと落ちる涙は水晶の数珠が切れたる如くにて、草葉の露と争うのだった。 継母はいよいよ腹を立てて、ええ、ここな者、あいら風情を相手にして言って埒が明く事か。こりゃ、冷めぬ先にちゃっと飲みや、押し伏しさせれば、女房達、先ずはしばらくと取りつくのを、取って突きのけ、口を押し分けて思う様に注ぎ入れた。それは天狗道を成就するために日夜三度づつ飲む三熱のその熱湯とも言えるのだった。 姫君はたちまちに腹が痛み、五體を悩み給いければ、すはや印がありけると駒繋ぎの草陰に御手を引き女房達は様々にいたわり奉る。 あら不思議や、ありがたや、清風が四方に芳しく、玉世の姫の御肌を潤すと見えたが、玉の様なる若宮を易々と御誕生させたのだ。心地は涼しくなられたのだ。 変毒、爲薬の仏法の不思議、たっとかりける奇瑞であるよ。 悲しき中にも姫君は悦びを抱き奉り、御かおばせを見給えば、穢れにもそみ給わず、濁りにしまぬ白蓮の淤泥(おでい)を出でたる御形。柔和の相好忍辱の笑みの眉、教主釈尊の再誕かとは後に思い合わせたのであるよ。 継母は驚き、こは如何に、おろし薬を飲ませたのに、却って平産したるとは、むむ、合点、このわっぱめが他の草を与えたのだな、待て、おのれただではおかないぞ、いで、餓鬼めをひねり殺してくれんとて、飛び掛かれば姫君は、なう、今生まれたこの若に何の恨みが候ぞや。と、泣き叫び逃げ惑う。助けてたべと泣き給うのを聞き入れもせずに追いかける。 時に不思議や、野飼いの牛がむっくと起きて駆け隔たりにれを噛みたて角を振り、継母をめがけて飛び掛かったのだ。追い回し追い散らし遥かの岡辺に追って行く。 かかる折に伊駒の宿祢、勝舟に追い立てられて命だけは助かりたいと無二無三に逃げて来た。 草籠をひきかずき、上に刈り草を取り覆い、身を縮めてぞ隠れたのだ。 百嶋太夫は都の使者の帰るさに、姫君がかくと風聞があった。直ぐにこの野を此処かしこと手分けして尋ねたが、姫君も親王も、やれ百嶋やれ大夫、これ、此処にこれはさて、様子を具に承り、御屋形にも参らずに直ぐに尋ねて参ったがやたけ心の一念の黒星(急所、ずぼし、一番大切な目当て)を見知らせたのだ。
2025年06月20日
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鐘入り の 段 涙川、恋の氷に閉じられて身を切り砕く思いより、憂き川竹の憂き節を、せめて寝屋漏る月だにも哀れ枕に問いも来ず、我一人寝となってしまったぞ。 心づくしの年月は、幾百夜をか泣き明し、しのぎ明かすもこの身ひとつの報いの罪か,、数々の岩を漏れる水の湧き返り、胸にみなぎる恋慕の熱湯鐵(くろがね)の鎖となって、恋につながれ恨みにからまれ包むにあまりて穂に出でて、一人立ちたるひと本薄、妬みの露の重たさよ。 妬みも、あた(恨み)も打ち払い懺悔(さんげ)に罪を滅ぼすならば、迷いの雲は晴れるであろう。 恨みは浜の真砂のようで語ったところで決して尽きはしない。 恐ろしの目元やと髻(たぶさ、髪を頭の上で束ねた所)を取っては引き止める。乱れた髪も、乱れている自分の心も、流れの女・遊女の懺悔の有様、これ御覧ぜよ、浅ましや。 花の外には松ばかり、憂きが友には酒ばかり、日が暮れ始めると客は遊女屋の格子先に訪れる。 門に松が立つ明日からは、桃(桃の節句、柳も桃と一緒に雛に供えたり、雛の酒に添えたり髪に挿したりした)に柳に菖蒲(あやめ)をふく端午の節句。軒の灯篭(盆灯篭で、盂蘭盆の景物)と二度の月(八月十五日の月見と九月十三日の後の月見)、菊の節句(九月九日、重陽)や年の暮、人が悦ぶ日と言えば我は歎きが増す、それではないが、真澄鏡、満足に祝った年もない。 恥を包んではいるが花袋(匂い袋)の紐ではないが、日にちも早く経過して月の足は我だけを追いかけて来るようだ。科のない空を恨みながら、その罪科の懺悔、その涙が積もって末には川となり、幾瀬、幾瀬の瀬越しにも辛さは果てが無い流れ者の身の苦しみ。何時の世にか誰が始めなされたのか、天竺(てんじく、インド)仏の御国では衒賣女色(けんまいにょしょく、売春)と名付け、唐の帝の色好み、手活け(自分で飼う)の魚(うお)と水深い妹背に国も傾いて、名を傾国(傾城と同じ)と今の世にも人の心を和らげると、和国(日本)に流れこの風が伝わり、橘の花のように優しい心を契ると言う意味で情を契ると書いて契情(けいせい)とは名付けたのだ。 山寺のや、春の夕べに来てみれば、入相の鐘に花は散るであろう。花は散るであろう。情けの花や散るらんかし。仇し男の仇花ならば、余所に散るとも心の匂いは此の身に残って打たれても、離れまい。姿はここに撞き鐘の竜頭に立ったる龍頭の如くに両目をはったと怒らせて、魔女を取り拉ぐ祈りの声も愛する夫との仲をよもや裂けないであろう。 二人連れで行く妹背の道には東南西北・八面玲瓏(はちめんれいろう、どの面からみても美しく輝いていること)と明らかに、天に上るならば非想非々想天(有頂天)まで追いかけて、さてまた大地の底に入ったとて一面八丈の浄頗梨(じょうばり、地獄の閻魔の庁にある鏡。亡者の生前の所業を映し出すと言う)の鏡に影が立ちそう如くにつき纏わってくる、くる、くる、くる、廓には忽ちに地獄の囲み、邪淫の角の高塀、長塀、大門が変じて鐵門(地獄の門)の忍び返しは剣の山、恋慕の矛先は爛々(らんらん)蘭麝(らんじゃ、廓で持ちる香)の空焚き(何処からともなく燻らす事)が炎となって、身は炭竈の焦熱の煙返しは誰の為でしょうか。情は却ってあたとなって、共に重ねた比翼の翼、刃の鉄杖猛火の羽風、追ったて追ったて、引っ立てて行こう。さあ、来たれとこそは呼ぶとも叫んでも恨みの木魂(こだま)となり反響するだけ。 逃れ難いのそれではないが、交野の狩場の吹雪に空恐ろしや、空誓文(そらぜいもん)の神罰、仏罰、皆身の上に降りかかる。 涙は血汐、雪霜もみな紅の雨あられ、あらあら、苦しや、あら苦しいと歎き呼ばわる口には氷の利剣を含み、虚空を睨み大地を蹴立て、あたと情けと二張の弓の矢先を折ろうと怒りをなして、面色変わって見えたのだ。 謹請東方青龍清浄謹請西方白體白龍、謹請中央黄體一大三千大千世界の恒沙の龍王哀愍納受、哀愍頻のみぎんなれば、いづくに恨みがあるべきぞ。祈り、祈られ、かっぱとまろぶと見えたが、二十尋(ひろ)あまりの大蛇となり、角を振り立て、鱗を鳴らし、夫をめがけて、鐘をめがけて吐く息は猛火となって立ち上った。 今より後は夫婦妹背の守り神ぞと、言う声が残って雲を巻き立て、巻おろして、鱗が変じて金色の花を降らしてその姿、虚空に跨り入りにけり。 尾上の鐘が鳴り渡り、響き伝えてこれよりも世に始まりし傾城を、大夫と名付け初めたのは尾上の松の謂われだろうか。 第 四 白鷺(はくろ)は塵土の穢れを禁ぜずとかや、親王は筑紫潟のしづの奴と成り給うとほの聞きしより検非違使は急いで筑紫に便船して豊後の府内に着いたのだ。 眞野の長者の館を見れば、山から海辺まで打ち続いて棟と門を数多く建て並べて、出入りする人までも寂光(じゃっこう、仏の住む世界)の都・喜見城(きけんじょう)の楽しみもこのようなのであろうかと思われる景色なのだ。 奥の方で人音がして、今日は東の御花畑、残菊の御酒宴、掃除の衆とだんだんに呼び次、呼び継ぎしてあっと言う声の下から下部の者共が箒、水桶は数を知らず、列を揃えて運んだのは蟻のすさみ(働き、動き)に異ならず。 勝舟は笠を取って、是申し、少しお尋ね申すことがあり、さいつ頃に御屋形に都者の小冠者が御奉公に出た者がいるが、教えて下さらぬかと申しける。 下人達が打ち笑い、雲を掴むような漠然とした尋ねようであるよ。都方のわっぱとだけ言って埒があくものか。當国、他国、都者、上中下と奉公人は何万とも知り難いぞ。その上に、面々の役で朋輩の内でさえ近づきでない者ばかり。但し、名は何と言うのだ。もし名を言って尋ねるなら、上屋敷、下屋敷、山屋敷。河屋敷、三十六ヶ所の御屋敷を百日ばかり尋ねたなら何処ぞでは知れるだろうよ、と言う。 いや、此処にての名も存じていない。しかし牛飼いか草刈りか、いかさま野方の御奉公と承っている。と言ったところが、はて、いよいよあてどももない事、百閒長屋の鋤鍬(すきくわ)は五六千もあるであろうが、朝に誰が持って出て、晩に誰が持ってくるやらん、牛馬ばかりでも千四五百はいて、それを飼う秣(まぐさ)であれば草刈の数は知れない。 誠に尋ね逢いたいのならば、まあ、一年は逗留してゆるりとお探しなさいよと口々に笑って、中に入ってしまった。げにや日本の月蓋(がつがい、インド、毘舎離国の大富豪)と聞いていたが事実であったぞ。 さて、おびただしい、おびただしい。さりながら、わが念力で会い奉らぬことはないだろうと館の周囲を盤桓(ばんかん、うろうろと徘徊する様)と立ちやすらいながら様子をうかがっていた。 置き惑わせる初霜の籬の菊の名残だとして、長者夫婦に玉世姫、月雪虫に花紅葉、絲竹酒は常であるので五楽楼と名付けたおばしま(欄干、手すり)が高く聳えて居る軒が長く続く流れに映る築山も錦を飾ってもてなすのだが、姫君の心には親王の御事のみが思いに重なって、霜の菊が花諸共に打ちしぼみ欄干に立ち尽くしてそなたの空をほっしりと(しみじみと、つくづくと)打ちしわぶきて面痩せて、医者が手を置く(処置に窮する、手を出せない)物思い。気むつかしげで労しい。 こうした所に、はびこる外道の粛殺(草木を枯らす厳しい秋気)の形、邪見(邪悪)な風が嵐を吐けば梢や木間も、ばらばらばらばら、ばっと吹き落ちて、母上の五体にぞっと染み渡れば、忽ち悶絶顛倒して息もはかなくなりなされた。 長者、姫君、女房達がこれは、これはと驚き騒ぎ、薬を与え、様々に看病すればようように起き出しなされたが、外道の悪念が魂に入って、なう、曲もない、玉世の姫、御身とは継(まま)しき仲ではあるがわらわに本子(ほんこ、実子)がないので、憎かるべき様もなく底意もなく育てたが、御身は萬に分け隔てをして父御にはそうでもないが、母の親に何事も包み給うのは恨みであるよ。 明け暮れにそれが苦になって胸の癪が差し登り、今の様なる憂き目を見る怨めしさよ。と、有りければ、姫君は胸はつぶれるけれども、さても悲しい御詞です。乳房の内から御情けにて人となり、何しに粗略に存じましょうか。 由無き事を御耳に入れる者があれば、それは人の言いなしと思召して給われと涙を流して申される。 いやいや、そのように言い争いなさるな。山彦の王子様から女御に召されん、妃に立てようなどと度々御召しが下るので、そのような貴人と縁を組み、長者の家の名を上げる嬉しさに、異見をするのだが縁付は嫌だと言う。厭と言うのも断りであるよ、そのお腹は何事ですか。長々と都に逗留してその間の仕事かや。よい、仕事をなさったな、何故にそうしたことがあったのならば、母にそっと知らせなかったのじゃ。 何とこれでも隔てを置いていないと言うのですか、おりゃ、無理は言わない。これが嘘であるならばお腹を見せなさい。 少々、言葉が違うだろう。姫の母を粗略には思わないとの言葉は事実と違うであろう。と、怒り恥しめて申された。 姫君ははっと血も登り、胸もだくだくひったりと(べったりと)汗は肌を浸したのだ。 長者は横手を打って、始めて聞いて驚いた。百嶋太夫を付けておいたのだが、その甲斐もなくて長者の娘がててなし子を孕んで、どうして一分が立つだろうか。先祖子孫の恥辱である。みな大夫めが無沙汰ゆえである。 この度受領のお礼にまた都に上らせたが、道中まで検使を立てて、そいつに腹を切らせろ。さて又姫の懐妊は月が重なっては世間の聞こえ、恥を招くと言う物だ、胎内で失わせて、はやはや王子に奉らん。 そもそもこの妙薬は華陀(かた)の秘書が現したもの。即ち、その薬と言えば午膝(ごしつ、いのこずち)あかり(燈心草)も廿日草(芍薬)ねずみの尾花(みそ萩)末摘む花、この草を取って満月の夜の露を絞って与えると形が砕けて消えるとは見えたのだが、我が朝でこの草を見知らず、今度某播州尾上の浦から連れて来た草刈の山路こそは知っているだろう。尋ねて見よ、承ると女房達御前をこそ立ったのだ。 姫君は父に抱き付き、たとえこの子は言うに及ばず、我が共に殺されるとも王子の方へ嫁ぐのは許して下さいと、泣き叫ぶ所に、草刈の山路が右の草を見知っていて候と見上げれば、長者がお聞きなされて、然らばお身が姫を裏山の月見堂に召し具し、密かに計らい胎内の子を湯とも水ともなして後に目出度く帰り給え。 幸い今夜は満月である。早、疾く用意せよと命じられて、奥に誘い入り給う。 かくて門前に人あまた歴々たる侍、花人親王の御使者であると案内する。 長者は威儀を改めて、一間に請じ入れたところ、使者が口上を述べたのだが、某は親王の執権検非違使の勝舟と申す者で、所でこの度親王のおかれては御運を開き、再び都にお入りになられたので姫君様を御息所に差し上げたならば、御感有るべきとの仰せ。御同心であれば直ぐにもお迎え申せとの命を受けて、某は参ったのです。 親王が帝位につきなされば姫君は妃である。然れば長者殿は御外戚、この上の本望は無だろう。珍重さよ(結構なことである)と述べたのだ。 長者は悦び、冥加に余る仰せかな。さりながら先ず、それ御茶菓子をと持成して奥に入れたのだ。 検非違使勝舟は伊駒の宿祢が物々しく、長者の屋敷に行ったのは心得ずと、跡を慕って門に入り、塀の中に作った中門からさし覗くと、検非違使勝舟と我が名を言われて酒肴馳走に預かっているのだった。 さてこそ痴れ者、良き時節だと立て蔀(しとみ)の陰から懐中の鬢鏡を杖に結いつけて畳紙(たとうかみ)を弊に切りかけて、煙草を入れ打ち払って烏帽子に折って打ちかずき、広庭を指して入ったところ、宿祢はそれと見るよりも気味悪そうに顔を振り、聞かない振りをしていたのだ。 是や、こなたに御免なろう、是はお鹿嶋香取より罷り出た事触れで御座り申す。御神託の通りに一言一句偽りはござらぬ。ない事も有る様に足らぬ所は取り付け、引っ付け、国々所々を触れて通る事触れでごじゃりゃ申す。総じてお鹿嶋と申すには、上の禰宜が三十三人、中の禰宜六が三十三人、かす禰宜が三十三人、合わせて九十九人の禰宜が正月の七日に神前において、おやおっかない起誓を書く、その起誓の文言に、嘘をつくまい、欲をせまい、くれぬ物は取るまい、又呉れる物なら時宜(じぎ、辞退)すまい。なんぼなりとも貰おうと申す誓紙を書いて六十六国を触れて通るから 偽りは御座ない。
2025年06月19日
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浦人共は舌を巻き、坊主もどきの倅(せがれ)め、いや、こたつは只物ではない。王子様からお尋ねの親王とやらんに間違いなし。からめよ、縛れよとどよめいたのは危ういばかりの次第であるよ。 長者も不審を立てて、如何様、年にも足らずに斯様の事は何として覚えたのか。先ず、何者であるかと問ったところ、五位の介が押っ取って、いや、名もない土民であるが、彼は幼少時から都の学者に奉公致していたのだが、生まれつき覚えがよくて、一度聞いては一生忘れない器用者、却ってそれが仇となって小癪者だとて人に憎まれており候と、実しやかに申したのだ。 長者は悦び、是も仏の縁であろう。何と我にくれまいか。奉公次第で後には引き上げてもくれよう、とあったので、もとから姫の誼(よしみ)もあり幸いであると、五位の介は有難き御詞です。ともかくもと承知したのだ。 長者益々悦び、名をば山路(さんろ)と改めて、今日よりは主従であるぞ、さあ、奉公初めにこの鐘を山路の木遣りで引き上げよと命じた。 承って候と、如何に方々、この山路が諸行無常と音頭を挙げたならば、是生滅法と付けて引け、生滅々巳と言う時には寂滅為楽と唱えて引け、引けや、引けやの声の内、邪法の雲は正法(しょうぼう)の風に消えつつ高砂の尾上の鐘はおのずから帆をかけた舟の如くに、既に鐘楼も作り、過去の罪障も消えるようだ。 私は罪深い人間だが、不思議に薪やまきの様に割られたり砕かれたりしないで、鐘の撞木のように自分で自分の身を削るような辛い勤め奉公をする身であるよ。 今か、今かと待つ宵は遅く来る鈍な戯男(たわれお、みやびお)は遅く来ても、睦言(むつごと)切れて暁(あかつき)の、男にもう帰れと告げる鐘が険しげに鳴れとは誰に頼まれたのか。それも、恨むも昔であって、今は鳴るとも響こうとも、ままよおのれが尾上の松、鐘の供養に参るのであろう。 是はこの国の傍らに住み、下衆奉公の勤めを致す飯焚(ままた)きの女でありまする。世は様々である中でも宮仕え程辛い物はなく、主に売ったる身と思えば昼は日がな一日手足が乾く隙もなく、働けば働く程に休めとは言わずに、誉めそやされてあの女子(おなご)は律義者(りちぎもの)で達者で、心のまめな豆者よと煽(おだ)てられて、豆腐売りが通るぞ、そりゃ夕飯を、ようように仕舞って洗足すれば、はや入相(夕暮れ)の鐘が鳴り、鉄漿(おはぐろ)を付ける隙があればよいが小隅によって眠ろうとすると夜食を作れと言う。夕飯からまだ間もないとは思うのだが、主人と病には勝てず肩骨も折れる程の苦労続き、俺だけが奉公しているわけではない、人もしている。 擂り鉢に当てるすりこぎの太さは太くても、恰好だけは男の陽物に似ていて、人に物を思わせて見掛け倒しだと投げ出せば、それが当たって掛け灯台の土器(かわらけ)が欠け、主人は元の方が益しだ。先の季(前の出代わり)から夜深に起きて今宵も月を見れば八ッ(午前二時頃)だが、夜中の鐘は鳴らないのか、憎い、辛い、腹が立つ、鳴らない鐘ならば割れてしまえ、砕けて散れ。と、鐘を憎まない夜半(よわ)もない。 それさえあるのに暁は、まちっと寝ようと思う間に阿呆鴉めががあがあは、何時知らずで烏羽玉のまだ夜深いと思っている間に、耳に突き抜く夜明けの鐘、是は寝る間もないと、あら、憎い、憎いとむくろ腹(むかっぱら)、むくむく起きに鐘の鳴る報を睨みつけて、敵のように怒りをなして、早いにつけ遅いにつけ、鐘を疎んだ其の罪は五逆罪にも勝るであろうよ。 聞けば、この尾上の浜に有難い突き鐘が現れて、唐土(もろこし)の尊い聖が供養なされたと聞き及んでいる。 私も鐘の供養に参ろうと思い候。月は程なく入り潮の、月は程なく入り潮の、烟のように霞んで寄せて来る沖の波が美しく見える小松原、木陰を漏れる初雪が積もってまだらになっている。 その残雪よりも重い着古した木綿の着物、その褄ではないが、夫をも持たずに甲斐のない命、何時までかこの状態で生きながらえるのか、長々しい山鳥の尾ならぬ、尾上の松にぞ着いたのだ。 供養の場(にわ)には垣を結い渡して、御簾と屏風、幕の内側では人の気配がする。 まだ早かったと悦んで、簀戸(すど、竹などで編んだ戸)に入ろうとすると、折からさよ姫が出合わせて、これこれ今日の供養には女の参詣は禁制でこそ候。あら、無沙汰(不注意な)僧達よ。そこを退きなされと押し出して、編戸(簀戸と同じ)をはたと押し立てた。 いや、なう、鐘の供養に参ったのじゃ、女だからと言ってな厭いなさるな。よし、禁制ならば禁制でありましょうが、そう言う御身も女ではありませんか。 いや、みずからはこの内に夫を持っているので苦しからず。外の女は叶わないのですと言う。 何、この内に夫が有ると。坊主が女房を持つとは勿体なや、信心も冷めたけれども女が女に言い負けてすごすごとは戻れれない。是非にも中に入って聴聞致そうと、我づくになれば相手はなお入れまいと阻止し、片方は入ろうとする。入野の鹿垣も揺らぐばかりの押し合いになった。 藤太入道が走り出て、人が見ているぞとさよ姫を幕の内にと入れたのだ。 これ、申し、法師様、御秘蔵様を見ましたが美しさは何とも詞に出来ません。女同士さえ気の毒な。あんなおか様を持ちながら、あったら御身を墨染に惜しい事ですねと仰せける。 あら、忌々しい、大道心の清僧が妻を具してよいものか。愚僧の朋輩の妻であるぞ。と言ったところ、さては朋輩様の連れ合いでしたか、仕合せそうで羨ましい。我らは常の俗よりもただ坊様が愛しくて、あはれ、一期の思い出に頭の丸い坊様を愛しがり、愛しがられたい。そいて私は情が深いのですよ、こうした供養の所へも頭の丸い御人が何でもなく入らせて下さいます。と、唆しては気を持たせる。 藤太も上手に仕掛けられて、待ちなさいよ、談合して来ようと走り入って、これ、五位の介よ、某(それがし)が在俗の思い者が参ったのだ。一人などは苦しからじ。聴聞させてくれないか。 いや、一人が、二人、三人たりとも、それは苦しくはないけれども沙門の思い者とは、破戒の僧よと申しける。 むむ、然らば御分(ごぶん)のさよ姫は何とする、これはひが事、某は敵の為に衣をこそ着ているが頭巾の下まで剃りはせぬ。我は頭を剃り、反橋の板橋ではないが、痛わしや、見ず知らず、聞かぬ、顔をば咎めないと簀戸を開いて通したのだ。 互いに見たことが有るだろうか、面影のそれかと、夫は忍ぶ草、女房の方は私はどうして忘れたり致しましょうの忘れ草。比翼の鵲(かささぎ)ではないが、五位の介をと見つけてからこれはと泣いて抱き付き、振り放されてかっぱと伏し、寝ながらも裾をしっかりと取り、逃げようとして引いて廻るのだが、離さずまろび、引き摺られ、声をはかり(限り)の叫び泣き。目も当てられぬいたわしさ。 思いがけない五位の介は、是狂人め、武士の妻とも有るべき身で見苦しい振る舞い。諸人の見る目もあることだぞ、見苦しい、見苦しい、帰れ、帰れと言えば、女房は涙に咽びながら、ええ、見苦しいとはそなたのことよ。人にこそよれ、五位の介、諸岩と言われた弓取りが偽りを言って今もよくも人らしく女房に顔が向けられますね。御身が流人となり嶋にての苦労の程は雁の翼の文毎に聞きましたが私の力では貢ぐ方法がないので、なう、悔しや、唐土にはあったでしょうか、日本ではまだ例のない傾城と言う物にだまし売られて、室の津の室君と言われたのを、わが身の事とは知り給わないでしょう。よしや因果の仮の業、夫の名をも我が名をも穢さじ、捨てじ、汚さじと、そもや勤めの始めから、相手の男は何千何百やら、数も限りも知らない、その白露の下紐を解いたことはない。されども働きが悪いとも、床のあしらいが悪いとも浮き名(悪い噂)を立てずに一日も客を落とさない辛抱は皆誰の為でしょう。 それのみか、着衣装腰の廻りまであれをがな、我が夫にこれをも嶋の我が夫(つま)にと、他人の衣類を見るのもよくない事をする元になって、盗みをしないというだけで盗み同然の事までして求め出して、雁の翼が重くなるまでに送った物は数が知れない。 されども色にも出だされず、寝た間ばかりを我が物と体を楽にして自由に嘆くのが楽しみであり、一度は逢おうと思っていた所に、これこの雁(かりがね)の名残の文、世を見限って自害して今日死ぬるとの文章を見てからは、はっと気も落ちて昼も涙、夜にも涙、起き臥し、立ち居、行き戻り涙も枯れて(衰え果てて)、里の住居を追い出され、伴う者は雁の鳥類ながら伴泣きに泣き、死んでしまったこの羽も、夫婦の仲の形見ぞと持ちし片羽は思い羽の、片羽はよそにもじり羽の(ねじれた羽、夫が他の女に心を向ける意)鳥類程の根性をせめて持っても見よかしと、小柄(こつか)を取って引きほどき、叩きつけ、喰いついた歯茎の血汐、血の涙、墨の衣も染めたのだった。 五位の介は持て扱い、発心の身になったので、仏の真似をする出家ではない。仏心から血を流させる罪人め、ここを放せと突きのけた。 何仏でしょう、心の多い仏様、躾をしましょうと抱き付く。 ええ、にっくい女め、夫に恥を与えるのか。と、したたかに取って投げて、腰も折れよと踏みつけて溜息を吐いていたのだった。 女房はむっくと起き上がり、霰のようなる涙を流し、歯噛みをなして、以前の女よ、それにて聞け。幾夜か我に仇臥(あだぶし)の憂き目をかけて我が夫の、肌を(はだえ)を荒らす木枯らしの森の木の葉の枯れるではないが、離れ離れになったのは己が原因だぞ。女であるならばここへ出て来い。逃げ隠れても二世三世、五生七生、この恨みは尽きないだろう。尽きないし、晴れないし、忘れない、止まないぞ。と、舌早に泣き、怒り、恨み、侘び、色ある顔(かんばせ)たちまちに目尻目頭、肉(しし)落ちて涙は滝の如くである。 諸岩は声を荒げて、畢竟おのれは傾城であるから、飽きた時には懇ろを切る。挨拶を切ったが何とする。と言えば、いやいやいやいや、御身と我は何時傾城で何処で逢ったか。幼馴染の夫婦ではないか。夫婦に向かって懇ろの、いや、挨拶を切るとは、むむ、さては夫婦に極まったな。 おお、事新しい、御身は夫で我は妻。 むむ、面白し、面白し。気に入らない女房に夫が去るのに言い分などはないぞ。点を打つ(非難する、そしる)人もない。さあ、夫婦であれば夫が去る。 むむ、何と我を離縁する。おお、去る、去る、去ろうよ。 去るほどに、去るほどに、尾上の鐘は突くもの。月が落ちて鳥が啼き、霜や雪が天に満ちて、潮は間もなくこの浦浪の江村の漁家の愁いに対して人々が眠れば善き隙ぞと、立ち舞うようにして突かんとしたが、思えば鐘でさえ恨めしいと、竜頭(りゅうず、鐘を釣るために頭部に付けた龍形をしたもの)に手をかけて飛ぶかと見えていたが、引き担いで失せてしまった。 鐘が落ちたその響きが天地も崩れる程の大きさで、豊国国師の御弟子達が驚き騒ぎ、何事やらんと尋ね候えば人々は包む術もなく有りの儘に申したのだ。 国師がお聞きなされて、言語同断、斯様の事を思ってこそ女人禁制とは申したのですよ。総じて鐘の供養に女人を戒めた因縁はそも、天地がまだ開けていない昔に、東北の隅に当たって悪風を吐く虎がいた。その名を廣野虎と名付けた。この虎は昼の午(うま)の刻から亥の刻まで悪風を噴き出して人の生気を奪う悪虎であった。又、西南の隅に飢渇申(きかつしん)と言う猿がいて、子の刻から巳の刻まで毒気を吹きかけて人生を絶った。 仏は是を悲しみなされて、鐘の響きで虎と猿の悪魔を抑える目的で、その時々の鐘の数を午(うま)に九ッ未(ひつじ)に八ッ、申(さる)酉(とり)戌(いぬ)に七六五、亥(ゐ)の刻までに四ッ突けばいづれも寅に当たったのだ。夜半の子(ね)から九つめ申(さる)当たって丑寅卯(うしとらう)、辰巳(たつみ)の刻に至るまで、八ッ七ッ六ッ五つ。是も四ッの時の数いずれも申に当たる。 故を以て寅申二つの悪魔障の響きに恐れて障礙をなす事能わず、かるがゆえにかの魔王は世界の鐘を絶やそうとして供養の場(にわ)には女人と變化(へんげ)が立ち入って焔を降らし、火焔を吹きかけて釣り鐘を奪い失うと伝えたる。ばんぼう恐ろしい事ではないかと語り給えば人々は身の毛を立ててぞ恐れたのだ。 国師が重ねての給うには、是はそれには引き換えて恋慕の恨み、執着の一念、かくては後生も浮かび難し、法師の多年の修業もか様の時の為ぞかし。涯分(がいぶん、随分、出来るだけ)祈ってかの女人をも救い、鐘を鐘楼に上げるべきだ。と、五大明王五龍神の秘法を行い給いける。 山が尽きて、波に入り、海かえって高砂の真砂の数は尽きるとも仏の誓願は尽きることはないと、皆一同に声を挙げて東方に降三世明王、南方に軍荼利夜叉明王、北方に金剛夜叉明王を中央に、大日大聖不動、なまく三曼陀口へんの縛曰羅赧。旋多摩訶口へんの魯遮那、娑婆多耶吽多羅吒干まん、聴我説者得大智慧、知我心者即身成佛と、誠の道に導く上は何の恨みか、有明の撞き鐘こそしは、すはすはと動くぞ祈れただ、すはすは動くぞ祈れ。ただ、引けや、てん手に千手の陀羅尼(だらに)、不動の慈救(しく)の偈、明王の火焔、黒煙を立ててぞ祈りける。 祈り、祈られ撞かねどもこの鐘が響き出て、引かなくともこの鐘が躍るとぞ見える。程もなく鐘楼を引き上げたのだ。あれ見よ、蛇体が現れたのだ。
2025年06月17日
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時に一間の内から、戸をほとほとと音を立てる。 すは首尾よしと身を固め、急き昇る(焦る心、のぼせ上がる心)、気を押し静め、押し静めて長刀を取り延べ、障子越しにぐっと通して一えぐり、手ごたえしてぞ突いてげり。 姫はがたがた震えながら、大音を張り上げて、五位の介諸岩はおわせぬか。兵藤太宗崗を妹のさよ姫が仕留めたぞ。折り合えやと言う声に、家内(けない)騒いで駆け集まる。 加勢は門を蹴破って何事であるかと大勢が一時に入り込んだ。 諸岩は急いで飛んで入り、障子をさっと引き開ければ、尼公は娘の長刀に心もと(むなもと、胸の辺り)を刺し通されて半死半生、朱にそみて今を最後の断末魔の苦しみ。 姫もあっと消え入って前後の分かちもないのだった。母は弱った気を取り直して、騒ぎ賜うな人々よ、全く姫の業ではない。皆これはわらわが心から、子の可愛さからしたことです。 なう、諸岩殿、とっくに名乗り給わば、どうして兄の兵藤太が王子に頼まれ申そうか。それとは知らずに組せし故に、王子方の兄の首、討って見せれば妹と夫婦の縁を結ぼうとの、義理に詰まった御難題、至極の上の至極なれども、たとえ妹が討つにもせよ、兄も我が子、妹も我が子、右の手か左の手か、いづれに愚かがあるべきか。兄の命も助けたいし、妹の望みも叶えたく、このように巧み申したのだ。世に数ならぬ尼の身でたとえ病で死んだとて子に譲る物あらばこそ、せめて一つのわが命、二人の子供に引き分けて譲ると思って死ぬ身が、生きたかろうか命が惜しかろうか。あいたてなし(無分別。道理にはずれている)とも、狂気とも笑うならば笑え。言うならば言え。子故に恥は替えられない。息の通うそのうちに夫婦のしるしを見せて給(た)も。 それを冥途の血脈(法門相承の略系譜を記した書き物)とも引導とも、回向とも思って成仏致さんから有無の返事を聞かせてたべ。さりとては心強やと消え入り、消え入り泣き給えば、家内(けない)の人々や五位の介、やたけ心(心の勇猛な)の武士(もののふ)も親子の心を思いやって袖を絞らない者はいないのだ。 姫は分かちも無い(分別がつかない)中で、さてもさても味気なや、この御心を知っていたならば夫婦の縁も切ったものを。誠や、親の恩を送るには生々世々(症状せせ)のその間、身を焼き骨を砕いても報じ難い親の恩、送りもしようものを、現在は母を手にかけてしまった。後の冥加(運命)はどうであろうか。この身の上の御芳志に今一度命を長らえて下され母上と、帰らぬ事の悔やみ泣き。見るに哀れは勝るのだ。 母は涙の玉の緒も早絶え絶えの息の下で、なう、心強いのも何時までぞ、嶋の夷(えびす、遠い未開の島に住む蛮人)も山がつ(山中に住む賤しい者)も物の哀れは知るぞかし。 武士(もののふ)なれど都人、少しは心も弱れかしと歎くのを見れば諸岩も、脆くも砕ける決意で後から後から落ちる涙を止め兼ねて、これこれ、母御、今よりは姫は我が妻であり、我は彼女の夫である。心安く成仏あれと、高らかに呼ばわれば、母は悦んで手を合わせ、その一言を聞きたかった。これでこの世の思いは晴れましたぞ。やれ、さよ姫、兄は兄、御身は御身、敵と敵との縁組であるから必ず心恥ずかしき事ぞ。 兄弟の因みだとて決して二心を持ってはいけない。哀れみてたべ、諸岩殿、宮仕えせよさよ姫。もう思い置く事とてなし、長刀を抜いて苦痛を止めよ。殺して下されよ。と、観念して息を止めた両の目にも名残の涙を止めきれずに、兵藤太は走り出て、いまわの母に抱き付き、我らが命を助けん為に御命を捨てられた御慈悲の有難さよ。 某が王子に組したのも世に出でて母上の御喜びを見ん為、その母を失い、妹と敵対して、何を勇みに軍をしようか。去りながら、死しては母の情に背く、また長らえては悪王子に契約を変じて武士が立たない。思い切ったり、見切ったり、弓切り折って武道を捨て、入道法師の身になって母の恩を報じよう。 その時は加勢の人々、入道の首を取って王子に見せて恨みを晴らし、王子の下知に従って親王と合戦して分捕り(敵を討って、その武器や甲冑を奪うこと)生け捕り高名して頼まれし悪王子の本意をも遂げてたべ。五位の介は親王の御味方を駆り集めて粉骨尽くして(できる限り働いて)一軍・いちぐんに(ひと軍・いくさ)敵を滅ぼし親王の御運を開き給うべし。 両方勝負は運次第、兵藤太の発心の一句の戒文(戒律を書いた条文)はこれであると、太刀をひん抜いて髻(もとどり)をふっと切って投げ出した。悟り切ったる眼(まなこ)にも弱った母の顔を見てわっと叫んで臥しまろび、人目も弁えずに嘆いたのは、悪に強いのは善の種と(大悪人は大悪がもととなって善に進む)と、理(ことわり)過ぎて哀れである。 木石ではない加勢の武士、下郎の士卒に至るまで鎧(よろい)の袖を絞りながら、かかる哀れを見捨てるのも弓矢を取る身の本意ではない。皆、親王の御味方ぞと弓を伏せて諸岩に服したのだ。 母は引き取る息ながらに悦ばし、嬉しやな、生き甲斐もないこの尼が命一つを捨てたので、十善天子(前世で十善を行った果報で天子の位についたとする)の御為と成りけることも子孫のため、去りながら何時までも名残惜しい子供であると、言う声もはや消えぎえと、惜しむべし、惜しめどもその甲斐は更になく、七十や八十に近い老いの坂、麓の霜ぞと消えにける。 無常は世上の習いにて、歎きて歎く道ならず(嘆いていてよい道理ではない)と各々が諫め合い、親王を奥の清よめた部屋にお連れする、そのお供が鎧の袖を連ねるのも、親子が誠の心からで家にかかやく緋おどしや誉は朽ちぬ黄金ざね、名を卯の花に伏す、それではないが藤縄目、白糸おどししらしらと東雲(しののめ)急ぐ小桜のおどし、その小桜の盛りが頼もしいのだ。 第 三 三因仏性(即ち、正因、了因、縁因の三仏性の中では縁因仏性が殊に計り知れずに尊い。正因仏性は諸法実相の理体、了因仏性は実相を悟る智慧、縁因仏性は智慧を満足させる善根・功徳。三因仏性を備えてはじめて成仏出来るとする)の中では縁因が特別に測り無く貴い。 仏の縁は何時とはなくこの日の本に広まって、次第に袈裟衣を纏う者が多くなって、播磨潟、法の威光も高く、高砂の尾上の松の下宿り、石上樹下(石の上や木の下で坐臥して仏道修行をするべきとの戒め)の戒めだと心を止めないで修行をした兵藤太入道の発起心こそは床しいのだった。 世にほだされない(捉われない)信力が仏意にや適ったのか、不思議の瑞夢を感じてこの海の底から希代の釣り鐘が波に打たれて顕れたのを、枠を入れて縄をつけ、さして来る潮(しお)の時を待って波の間に間に引き上げれば、およそ七十五日で浪打際まで上げたのではあるが、それよりこなたへは潮(うしお)の力を離れるので一人自力では叶い難くて、往来の人に勧進して、再び日本の宝にしようと思い立った大道念こそは殊勝であるよ。 かくとは知らないで五位の介諸岩は、四国の武士を語らわんと、親王もさよ姫も、賤しの童(わっぱ)や女の童(わらわ)の里通いを装って、降りみ降らずみ、濡れみ乾きみ、隙のない袖をしばしとて晴れ間に松の下陰に立ち寄り給えば、藤太入道が見参らせて、やあ、これは我が君ですか、五位殿か、妹か。兄上様か、珍しや。是は、是はと、ばかりなのだ。 親王が御覧なされて、邪法盛んなる世の中で、信心深い大道心、頼もしさよとの給えば、入道も涙を流し、愚僧の母こそは善知識であり、仏である。 これ、この鐘を御覧候え、不思議の瑞夢によって此処まで引き上げましたが、これ以上は潮(しお)の差し引きがないので一力に叶い難いので、諸旦(諸旦那、僧に施しをする人達)を勧め候が、母が死んで見せなければ、発心は致さなかったし、発心しなければこのような奇特は見申さなかった。広大無辺の親の恩、何時の日にかは報じ申さんと涙を流して語ったのだ。 妹のさよ姫は又思い出す憂き涙。月日が経つほどに身に沁みるのだ。 親王は釣り鐘の銘を御覧なされて手を打って礼拝なされた。あら、尊い、この鐘は先帝の御時に経論・仏像を諸共に異朝から渡されたのを、筑紫の海に捨てられた天竺祇園精舎の鐘であるよ。この鐘の濫觴(らんしょう、始め)は龍宮の紫金(しこん、美しい金)を取って世尊が火坑三昧(火の穴の中で仏道に思いを潜めること)のたたら(大きなふいごう)を以て鋳立てなされた鐘の声。この響きには九十五種の外道も通力を失って地に落ちたとの縁起である。 一度筑紫の海に捨てたものが再び涌出し給うことは丸の運が開き始める時が近づいたのだ。普賢力(人間以上の力、普賢菩薩の力)を凝らして引き上げ、再興させよとの給えば、入道は、さよ姫も諸岩も、地にひれ伏して礼拝した。 かかる所に筑紫大名と思しくて、先を払ってやって来た。 入道の下部が袖を控えて、何方様で御座いましょうかと問いかけた所が、これは豊後の国眞野(まの)の長者殿だ。御息女の玉世姫が御在京の折に、上方で騒動が勃発とのこと、御迎えの為に御上京なされたが姫君は恙無く御帰りとの由を告げ来たったので、長者殿にもこれより御帰りであると語る間に、先供えの馬・引き馬・乗り換え用の馬・御葛籠(つづら)馬などに、七つ道具(行列につき物の七種の道具。槍・長刀・台笠・立て傘・馬印・大鳥毛など)を揃えているのは実に美々しい見物である。 入道は臆せずに行列の前に立ち、そもそも野錫(やしゃく、愚僧、僧の自称。謙辞)はこの尾上の松の下陰に一夏(いちげ、陰暦の四月十五日から七月十五日までの僧の修業期間)を送る道心(十三歳、又は十五歳以上で、仏門に入った者)であるが、ある夜此処の海底に涅槃経の四偈句(諸行無常、是生滅法、生滅滅己、寂滅爲楽)、梵鐘の声にはこの偈文の響きがあると言う、有難い霊夢を感じて、果たしてこの釣り鐘を発見した。 これは天竺祇園精舎の寶鯨(ほうげい、尊い鐘)であり、今はこの三界に並びもなく、波の立ち居に任せ、此処まで引き寄せて侍りしが貧僧の力には及ばず、願うらくは多少を論ぜずに、扶助の思いを励まし給え。仏説に誤りが無ければ現世では増益壽命(ぞうやくじゅみょう、寿命を増し)一紙変じて衆寶の荘厳となり、半銭は却って紫磨(しま)、金色の光明と顕れて未来の成仏疑うべからず。 長者は乗り物から飛んでおり、奇妙の寶を拝みなされて、先年我らが本国の海に捨て其の所を鐘の岬と申すぞや。早々に引き上げ、この所に鐘楼を建て、尾上の鐘と名付け奉らん。 幸い、国元に豊国国司とて学業が目出度い唐僧がいる。供養の導師としてお頼み申そう。金銀は入り次第にそれそれとありければ、承って荷物から金銀の鳥目を山の如く浜辺に積めば、入道は悦んで衣を絡げ、近辺近郷を触れて歩く。 舟長・馬方・百姓・町人・芝刈り・木樵、網引き・舟引き・鹽焼・海人など老若男女数千人を刹那の間に馳せ集まった。 入道が下知して、さあ、銭金は摑み取りだ、はやはや、引けと言うよりも早く、我も我もと縄を取りえいや、えいや、えいや、えいやとやったのだが、引く潮につれて沖へは出るけれども磯の方には寄らないのだった。 理かな、人間の目には見えないが外道達の形が鐘の上に突っ立って、人力を奪い取り、奈落に入れとばかりに押さえたのだ。 親王はこの様子をご覧になられて、長者の前に這いつくばって近頃差し出がましい事で候が、日本国中が集まっても、財宝が費えるばかりで中々動きは致すまい。わっぱ(私)に仰せつけられれば一節の木遣り歌で人数は要らずに山へなりとも上げ申そう。 そう、申し終わらせもせずに、浦人共がばらばらと立ちかかり、やあ、生小賢しき丁稚めかな。我々をし落として己一人が銭を取ろうとか。やあ、いい気な滓(かす)わっぱ(少年に対する蔑語)、それ打ち殺せととっと寄る。 諸岩と入道が立ち塞がって、この方の連れであるぞ。棒を当てたりなどしたら撫で切りにすると腰を捻って刀を今にも抜こうと用意して威嚇した。しかし、そいつ共にぶち殺せと、片端から海へ嵌めてしまえと、口々に罵るのは、是も外道の障礙(しょうげ)である。 長者が大音を上げて静まれ、静まれ、して、わっぱは何の覚えがあってかくは言うぞと有りければ、さればで候、事も愚かや釣り鐘の功徳広大であることは、詞にも及ばない。釈尊は先生(せんじょう)この鐘を鳴らして大法を得給うによって椎鐘告四方(鐘を打って四方に告げる)と御経にも説かれたり。この声が耳に入る時は、百八煩悩無始の罪障を消滅する。又、悪魔外道は人界(じんがい)の罪障煩悩を悦んでこの鐘の響きに外道の通力は絶えるであろうよ。これを憂いてこの鐘を下界に取って沈めるために外道の障礙は疑いのないところ。されば、罪障消滅の経文を木遣りにして引くならば一引きに悪魔を払い、二引きには外道を退け、進退は心のままであるのは掌に候と言説正しく仰せなされた。
2025年06月13日
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涙をこすりながら磨る墨の筆紙もこの文を書けと言って寄こしたのか、猛き心もくどくどと言う愚痴を思い返し、巻き返して細々と書き結んで、雁の翼に結いつければ、心は有っても鳥類でさすがに離別の文とも知らずに、急ぎ立ったる羽風にも、落ちよかし。落とせよかしと言いこそはしないが心の中、思いやられて親王も御涙に暮れ賜えば、五位の介もかりがねが霧間に影が見えるまで眺めやり眺めやりして、宮に蓑笠を着せ参らせて我が住む里へと帰ったのだ。 松浦の兵藤太宗岡(むねをか)は所用があって越後の国に渡ったのだが、ただ今帰着と告げければ五位の介は飛ん出て、頼みにしている御主人様の御帰り、若旦那の御帰りと呼ばわるので、母の尼公もさよ姫悦び迎えに出でらるる。兵藤太は帰ると直ぐに、さて、母じゃ人妹、今度は他国に目出度い吉事(喜ばしい事)松浦の家を引き起こし、昔の長者に立ち帰る出世のもとこそ出で来た。 先ず、御頂戴候え、と首に掛けた錦の袋を母や妹の額に当てて、上座の床の卓(しょく、机)に上げ、ああ、かたじけなしと三拝した。 母も妹も打ち笑い、何事かは知らねども吉事とあれば嬉しいが、早く聞かせて下されと言う。 そのことですが、都では山彦の王子が朝家を恨み、御謀反の企てが有って諸国の武士を招集なされた。 その上に、花人親王の行方(ゆきかた)が知れないので多勢が付かず、近々に戦が始まるとのこと。 忠節の功に従い大国小国を相応に給わらんとの御判の令旨(りょうし、皇太子、三妃、中宮、親王などが下す文書)を頂戴して罷り帰り候。武運の花の開ける時節弓矢の冥加に叶いしと語りも終えないうちに母上は、扨てありがたや、忝し、我々は老いの身の上の事、殊更に女の身の上である。 侍盛りの御身を埋もれ木になすべきだろうか。生き世の内に世に立てて(出世させて)、姫にも名の有る聟を取り、草葉の陰の父御にも未来の土産として語ろうよ。と、明け暮れに願っていた甲斐があって、時節が来た嬉しさよ。 王子の令旨を頂き、頂き、いやこれ、なう、兵藤太よ。手勢(手下の軍勢)と言っても数は少ない、語らう人もあらばこそ頼りないことであるよ。 ああ、そこらは油断仕らない。當国には昔から、歴々の流人の末、事もあらば高名して名を発っせんと刃金(はがね)を鳴らす(勇み立っている)武士共、早くも道すがらに語らって、今宵此処に集まり着倒きわめ(出陣前に集まった軍勢の名を帳簿に記し、確認する事)、明日は未明に打ち立つべしと手配り極め置き候と言う。それにつけて、やい、そこな鍬取りの京雀、おのれは上方案内者(上方の事情をよく知っている者)軍の供に召し連れるぞ。拾い首でも知行になる。万に一つも運に叶い親王の首でも取ったならば、国大名と仰がれるぞ。一命を賭けて働けと言えども更に返答はない。 母の尼公も詞に尽き、おお、そうとも、手柄はしがちな戦の場、大国の主となって如何なる位に上っても胸次第にて成ることです。おことがこの度高名して国主とでもなるならば、幸い姫が気に入っている。聟にとって夫婦にしよう。勇んで向かえと勧るのだが、わじわじ(わなわなと震える様)震えて返答もしない。身ぜせり(身をもじもじさせる)してぞ居たりける。 姫は飛び立つばかりにて、これ、そこな者、母上の御詞を座興と思うか。あの御詞の根を詰めて(本意を汲み取って)高名を極めみずからと夫婦になり、今は侮られている会稽を清めん(会稽の恥をすすごう)と思う我はないのか。あっと申しゃ、ええ、不甲斐ない。むむ、但し、夫婦になるのが嫌なのか。つい(直ぐ)具足を着て行って、かい首(かき首、掻き切った首)切って来て給れと、様々に辱めて唆すのだが、はて、それを人に習おうか、かい切るのは合点であるが、そのうちに向こうからこっちの首をかい切って、その時は名代(代わり、代理)に死んでくれもなさるまい。 損は拙者ただ一人、命にかけがえがあればこそ、と舌を巻いてぞ頭(かぶり)振るのだ。 尼公がお聞きなされて、見ぞこのうたる根性かな。おのれはもといずくの者とも知らないが狼狽え廻る不憫さに庄司殿が扶持し給い、殊に姫が不憫がり憐れみをかける故にわらわもその通り、この頃も古里の妹よ弟よなんどとて童(わっぱ)や女郎(めろう)を連れて来た。ああ、可愛や、便りもあるまじ、といたわり養ってくれているのだ。 せめて恩を知るならば、言わずともお供と望んで軍(いくさ)に立ってこそ、男のきれ(端)とも言えるけれども、この内には叶わないぞ、暇をくれるから出てうせろ。さあ、姫、こちらへと立とうとすれば、姫は悲しさやるかたなく、是、のう、あっ(はい)と申してたもれと気もせく胸もせく涙、若い心には道理である。 兵藤太は興冷めして、言葉の無駄を言っているより蔵に入って物の具を着用しよう、ええ、見るのも中々忌々しいぞと、背中をしたたかにどうど踏み、奥を指して入ったのだ。胸中は無念と言っても余りが有る。 五位の介は立ち上がり、むむ、踏みもせよ笑いもせよ、その細首は我らが物。不憫であるのは母や姫、一先ずは君を落とそうかと思案している所に姫が走り出て縋り付き、軍に立たないのでしたら立たないでも結構です。火の中、水の底までと誓った言葉を違えましょうか。さあ、どこまでも一緒です。と、引いていく手をもぎ離して駆け出せば引き留め、振り切り出れば引き戻して、昨日のも夕べのも変わる色目はなかったのに、俄かに秋風が立ち始めたのか。 おお、げに心得た。最前よりの顔気色、さては御身は都にて親王様の縁(ゆかり)の人かと言おうとすれば、ああ、ああ、声が高いぞ、音が高い。と、口に袖を押し当てて小声になって、是々、御身にはしばしの情けが有るので包まずに語るが、他言はしないでほしい。 我こそ親王の家来、五位の介諸岩と言う者だ。兵藤太とは今日からは敵と味方になったので、御身との縁もこれまでだ。互いに名残は惜しいのだが、弓矢取る身の習いと思って、恨みを残してくれるなと、再び駆けだそうとする。 それを姫は縋り止めて、さてこそ始めからこうだと語って聞かせて下さっていたならば、母にも兄にも語らって御味方となっていましたものを。これは、言うても返らない事ですね。わらわは夫婦の契約ですから、譬え敵でも離れませんし、離しては下さるな。覚えず泣き声を上げて他所に漏らすまいと袖を噛み、喰いしばった包み泣き。割り無くも(分別を越えて真情が籠り)また哀れであるよ。 心が弱くては叶わないと、諸岩は声を荒らげて、ええ、聞き分け無し、愚かなり。幼馴染の本妻でさえ王子方の者であるから状通(手紙)で縁を切った。先ず、思ってもみたまえ。合戦すれば御身の兄兵藤太の首を取る。兄を討たせて面白い筈もなかろう。小舅は打てないもの。 よし、それ程に添いたいのならば、御身の手にかけて兄藤太の首を取って来い。叶わない事をぐどぐどと近頃愚痴の至りであると、苦り切ってぞ言い放ったのだ。 姫は聞きとがめて、然らば、兄上の首を取って見せ申したならば、必定夫婦に成り給うな。 五位の介も難題が不可能な事を言おうと思い、おお、それも時刻をのばさずに今宵二十日の尽きが出るまでだ。それより遅ければ承服出来ないが合点か。 はて、何とせん、宵の内に兄上の首を取りましょうよ。裏の妻戸で待ち受けて声を掛けたならば出合なされよ。その時に嫌とは言わせませんよ。合点ですね。 言うには及ばない、夫婦である。討たなければこれが一生の暇乞いであると、言い捨てて一間に入ればさよ姫は、はて無義道(邪慳、非道)な討たれまいやら討とうやら、ま一度言葉も交わさせない、夫の心の酷らしやとわっと泣き入りいたのだが、夜はしげしげ(どんどん、ぐんぐん)更けて行く。鬼の様な兄上が女の手で討たれようか、討たなければ妹背の縁を切るとのこと、これは何としようか、恨めしい。昔から今に至るまで、恋路の憂き目は多いけれども、兄たる人の首を打って恋を叶えた例(ためし)はない。 世の事草に指を指され、名を流さんは恥ずかしい。千々に乱れる憂き思い、胸も裂けるかと思われる辛さであるよ。 かかる所に母の尼公、後ろの障子をさっと開けて、長刀を横たえて走り出て、おお、可愛やな愛おしや、わごぜが常々あの男に心を懸けている形(なり)そぶり、又先からのあらましを残らず立ち聞きしたるぞと、子に愚かはないけれども、わけて御身は血のあまり(末っ子)。たった一人の娘であるから兄には思い変えたりはしない。やれ、気遣いをするな、兄を討たせて思う男と添わせてやろう。こりゃ、この長刀は妾が母から伝わって嫁入りに持たせた重代の物。わごぜが祝言する時の輿の先にと思っていたが、ただ今譲るぞ、形見せよ、妾は兄の閨に行き、よく寝入らせて合図には襖を鳴らそう。その時に障子越しにずはと突き、長刀を引かずに突きながら五位の介をば呼び寄せよ。この母が面談にて、夫婦の固めを祝おうぞよ。高いも低いも女の身は、気を強く思いつめた男であるならば、添い遂げなくては譯(筋道、道理)立たない。 出かした、母に任せなさい。髪を掻き撫でながら申される。姫は嬉しさ、恥ずかしさ、怖さに胸も打ち騒ぎ、親の御慈悲とばかりにて、手を合わせて泣いたので、おお、嬉しいのは道理、道理、御身が悦ぶ顔ばせが見たいばっかりに、身を藻掻いた親の心を思いやれ。 さあ、間はないぞ、急くまいぞ。声ばし立てな、音すなと、差し足してぞ入ったのだ。 五位の介諸岩は、よも討たんとは思わないが、もしやと裏の小柴垣、妻戸の陰に立ち忍べば東の山に茜がさして、早くも月代が上がったのだ。 姫は見るより心が急いて、南無三宝、月はでしおに契約の時は過ぎるだろうと気を使う。月は次第に差し登る。如何はせんと行きては戻り、戻りては行き、足もさながら地につかず。 かかっし折から門外に物も具の音が騒がしく、大音上げて兵藤太はおわするか。こう申す我々は一味の武士、八十(やそ)の眞人廣盛(まつどひろもり)・武知(たけぢ)の郡司安彦(ぐんじやすひこ)、おし熊の武者所、坂の上のふる虎、阿摘の文次宗賢(むねかた)、手勢手勢を引き連れて着倒の為に参入した。打ち立ち給え、お供せん。と、声々にこそ呼ばわったり。 姫はなおしも気も狂い、ただ、あいあい、とばかりにて身を震わせているのだった。 空には月かげ清々たり。 庭に諸岩が伸び上がり、随分過ぎたと言う気色。 門外には軍兵共が此処を開けよとののしる声、思いは四方、身は一つ。心配りに目も眩み、火を飲み水を踏む心。危うしとも、恐ろしとも、譬えて言う術もない。
2025年06月10日
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王子は大きに怒りをなして、根太(ねだ、床下の横木)も折れよとどうどうと踏み、衣を引き除ければ両人はあっと魂切り起き上がり、涙も汗も身を浸し震いわななきおわします。 是、花人、汝がたっとむ仏道には邪淫戒とて妻ならぬ妻は忌むと聞いているが、珍しの仏法や、仏者も破る邪淫戒を王子が保って益もなし、汝が寝たる暖まりに丸も床に入るべきに、我が見る前にて今一度しっぽりと寝て見せよ、と大太刀寛げて逃げれば切らんとする気色なり。 親王も姫君も立もやらず居もやらず、そろりそろりとし去りのく。 どっこい、どっこい、動いて見よ、さ程に寝ることが叶わないならば、思い込んだる妹背の中、定めて命は惜しくないだろう。三途の衾(ふすま)死出の床、長い来世で寝るならば、枕を土壇(土で築いた壇。首を斬る場所)に二人の首を並べてやろうか。 さあ、寝て見せるか切ろうかとじりり、じりりと付け廻すのは番(つがい、雌雄)でいる野の床鶉(うずら)を鷲が見入っている鋭い眼差し。危うさ、辛さ、恐ろしさ、譬えて言う術もない。 ええ、見れば腹が立つぞよ、さあ、来たれと二人を左右に引っ掴み駆け出そうとした時に、甲斐甲斐しい若侍が一人真一文字に飛び来たり、王子を取って投げ退けて、親王と姫君を押し囲い枯木立ちに突っ立って、大音を上げて、我を誰と思うか、玉世の姫の譜代相伝の御家人、半挿(はんぞう)天王の後胤、葛結(かづらゆい)の親王の末孫で樽井の小樽と申す。大剛の物桶有とは定めて音にも聞いているであろう。 早く帰れ、帰らなければ、三年竹の八つ割にて汝が五体に七つ輪を入れて、頭から爪先まで槍鉋を見知らせてなし物桶(魚の腸などを塩漬けにしておく桶)にしてくれん。言われぬ(余計な)王子の手桶立て、身が前では置いてくれ。おけおけおけや、と罵ったのは甲斐甲斐しくぞ見えたりける。 王子は騒がず、むむ、彼奴はまことの武士(もののふ)ではない。いづくの下司の推参者(無礼者)とはったと睨めば、やあ、下水桶とは誰のことだ、御分(あなた)がその盥(たらい)程の目を剥けば、こっちには水風呂桶の目を持ったと、くわっと見開きねめ廻し、こりゃ、親王様も姫君も某がお供する。指でも指せば胴桶切りにするぞ、寄って見よと身を固め、弛みを見せずに睨み居る。 王子は下郎と侮って手差しもやらず太刀の柄(つか)もひしけてのけと、鍔元を寛げて瞬きもしない面色(めんしょく)は浅紫の額の筋、眼(まなこ)の内は八角(険しい目つきを八角眼と言う)の池の氷に紅葉葉のちりちり血筋、血走って隙間もがなと睨み寄る。 久馬も先を取られまいと、歯が根を鳴らし(歯ぎしりすること)、拳を張り、頭(こうべ)の汗が湯煙るのは枯野の霜の霜がれて朝日に煙る如くであり、後に引こうとする気配もないのだった。 かかる所に土丸宿祢(すくね)が馳せ来たって、切っ先を揃えて駆け向かう。 はああ、ものものしい奴ばらだな。鬼神と言われた王子に盾突く某が己ら如きに恐れようか。すし(生意気な、出過ぎたの意)桶臭い奴らだと、かんらかんらと笑ったのだ。 物を言わせるな、打ち殺せ、承ると飛んでかかるのをひっぱずして、下手に入ってむんずと抱き、上を下へとねじ合ったのだ。 その隙に王子と宿祢は隙間なくぴったりと寄り添って親王と姫君を引っ立てて行く。 やれ、人はいないのか、あれを止めよと、組合ながらも呼ばわれば、琴屋・鏡屋・烏帽子折・数珠引き・煙管屋・塗師屋・檜物屋・指物屋・薬缶屋なんどに至るまで所在(仕事上で得意とする道具)の得物を引っ提げ引っ提げ、打ち漏らすまいと追いかけた。 久馬平は土丸と揉みに揉んで組合っていたが、土丸、相手を四つ手に引き結んで目よりも高く差し上げて、えい、と言って打ち付けた。空中でひらりと跳ね返り、今度は土丸の小足を取って大地にどうと打ち付け馬乗りにしっかりと乗り、一息ほっとついたのは心地良い手柄である。 かかる所に百嶋は宮を奪って引き返せば、勝舟は玉世の姫を肩に引っ掛け立ち帰り、互いに主君を取り交わし、思えば外道の所為(しょい、仕業)であったが知らないで危うい同士戦(いくさ)、怪我はないか過ちはなかったか、主従安穏、珍重、珍重、去りながら、かくまで外道がはびこる上は、都の住まいが気遣われる。姫君については本国に早々お供致されよ。 この検非違使は都に残ってしばらくは王子を守護致そう。久馬平は我が君を四国の方にお供せよ。おっつけ後から追いつこう。 任せておけ、さあ、桶屋の出発だぞと、土丸を取って引き起こし、首を掻き切って負い奉り、ただ今罷り立つ、龍田越え、夜半に紛れて落ちて行った。 外道を一人滅ぼすのは、仏千体供養するのに匹敵するとか。殺生が却って忍辱(にんにく、外から受ける恥辱や障害に耐え忍ぶこと)の信心、慈悲心・菩提心(正覚を求める心)・大善根(大きな善果が得られる所業)の種を植えて、子孫の末までも竹の園生(そのふ、皇族)が栄える代こそは、久しいのであるよ。 第 二 同じ世になお在りながら会うことは、八重の潮路のあなたなる佐渡が嶋の流人で五位の介諸岩(もろいわ)と言う者が有る。 彼は元来が花人親王の後見(世話役)であり、検非違使の勝舟の弟であるが、先年、色道の虚名(無実の噂)で勅勘を蒙り、この嶋に流し放たれたのを、当国の郷侍・松浦(まつら)の庄司の情を受け、辛さは同じ世の中に名を下部(しもべ)に引き換えて鍬(くわ)取りの京雀と呼ばれて、領内の離れ嶋石地(いしぢ、石の多い土地)を開き、畑を打つ。土民も業をする、菅蓑(すがみの)を着て命を繋ぐ縄の帯、昔の弓矢太刀刀、今日は取り換える鍬の柄の、長くはない世を徒に新嶋守(にいしまもり)に成り果ててしまった、身の習いこそ不憫であるよ。 季節を忘れない草木の葉も秋になれば紅葉して錦のようだ、故郷に錦を着て帰ると言うがそれは誰のことだ。自分にはその望みもない。姿は案山子に似ているが、見慣れ、会い馴れ、友なれて、降り居て漁る雁(かりがね)も、今は恐れる気色もなくて伴ない懐く優しさよ。 五位の介は空を振り仰いで独り言、こはいかに、あの一叢の雲の色こそは心得ぬ。正しく王城に立つ雲である。天子のまします所ではなくて、この嶋に此の雲気が顕れるのは不思議であるよ。はああ、いぶかしいぞと見守っている所に、追っても立たない雁(かりがね)が蘆(あし)のそよぎで驚き、残らず一度にぱっと立ち、雲居遥かに飛び去ったのだ。 いよいよ不審が晴れずに、蘆辺をかき分けて磯辺を見ればいづくからとも知れない、白波に小船が一艘ただよって都育ちの女房と、殿上人とお思しきが濡れたる袖を絞りかねて、包み兼ねている涙の様はこの世のものとも見もわかず。 いかさま、これは七夕の年に一度を堪えかねて、又取りこしの天の川と渡る舟か、化け物かと思えど思案に落ちないのである。五位の介は鍬と振り上げて、是々、先ずおのれらは何者ぞ、この所は離れ嶋、流人ならで余の舟が来る所ではない。 さては、海賊ばばん舟(中国・朝鮮を荒らした日本の海賊船。もと、八幡の旗を立てた)よな。又は往還の護摩の灰か泥棒か、一々に打ち殺し鍬のついでにこの嶋に埋めてやろう。待っておれ、おのれらと舟に乗り移ろうとする所を、なう、暫くお待ち下され、更々左様の者ではない。都方から西国に身を浮舟の梶を絶え、横切る風に吹き放されて命からがらにこの嶋に止まったもの。苫漏る月の行く末をのう、哀れみて下されと打ち口説き、頼む詞のひっぱなし(端、はずれ)は愛くるしくて魅力ある。泣いて言うのさえ恋を感じさせる。 五位の介もそうでなくてさえ都が恋しい時であり、心が自然に浮かれて、むむ、都人であるよな。色のよい若衆と御婦人がたった二人の乗合舟、血気盛りの恋風の追手に得手に帆を上げて、舟の底が抜けなかったのはまだお幸せ、お幸せ、色気に餓えていたこの嶋であるからお若衆でも女郎でも、我らもちっとさらば便船申そうかと、乗ろうとすると、ああ、是々、御罰を受けて後悔致すな、忝くもこれは主上の御弟宮の花人親王様であるよとあれば、はっあ、さては我が君なりけるか。と、鍬をからりと投げ捨てて頭(こうべ)を地に伏せ涙を流し御懐かしやとぞ敬ったのだ。 親王は舟から陸に上がらせ給いて、そも、汝は何者なるぞと仰せられた。御見忘れは御理(ことわり)、是はいんじ頃(以前)に勅勘(ちょっかん)を蒙り、この嶋に流された五位の介諸岩の成れの果てでありまする。そう申しも果てないうちに親王は、さては汝は古の五位の介であったか。みずからは幼き頃に見た面影はないぞよ。我とてもこの浅ましい姿を見よ。いかなれば主従がかくまで成り下がってしまったのか。さりながら思わずもおことに会うことは地獄の底の罪人が、仏に巡り合った心地がする。と、勿体無くも諸岩の朽ちた蓑に縋り付いて御声を上げて泣きなさる。 諸岩も諸共に咽返り、咽返り、御答(いらえ)も申しかね、ややあって、いかなればかようにも落ちぶれさせなされましか、覚束ないことですと申し上げれば、さればとよ、兄宮山彦の王子が外道を信じ王法(おうぼう)を傾けんと都を騒がせ、みずからを討たんとなされた故に、汝の兄の検非違使が跡を防ぎ、さてみずからは職人に介抱されて西国方へと思ったのだが、その者さえが病に臥し、是なるはそれが妻で、女ながらも甲斐甲斐しく夫の代わりに召し具したのだ。 語るのも言うのも便なさ(浅ましい)よと又もや御涙に暮れなさる。 五位の介は承り、驚き入ったる御事かな。しかれども某の兄弟が候うちは尊意を安んじおわしませ。ただ今某が主人と頼んでいる當嶋の主(あるじ)は松浦の庄司とて由有る者の後家の尼公、老女とは申しながら惣領は松浦の兵藤太。殊更におとのさよ姫は某を京者であると心にくくや存じつらん、様々に情を加え候故に、もしもの時の便りにと忍んで交わす手枕に深い妹背と成り候。 これ幸いに候えば、一先ずは御供仕り、時節を伺い姫に語り、兄や母を頼むならば一方の役に立ち申さんは必定、先ずそれまでは恐れながら都に残る兄弟が尋ね下ったのだと申しなして日々を送り、行く末目出度くこの憂さを昔語りになし申さんと、御力をつけ奉り、様々に励まし奉った。 親王は御感ななめならず、嬉しき人に巡り合い頼もしの心やな、下人とはさらに思われず、父天王が今ここに蘇らせなされた様な気持ちがする。 忝くも諸岩を伏し拝み、伏し拝み、御落涙こそは頻りなのだ。 時も移れば秋の日の暮方近い雲井の雁が一列に連れて下っていたが、中に一羽が翼を広げ、五位の介の前に来て只物を言うような様子である。 親王が御覧なされて、これはどうしたわけであるかと問わせなされると、そのことですが、この五年の間夜昼嶋で起き臥し候えば、友と言えるものは鳥翼、中でも雁が根が春は帰ると申しますが秋来るまでは忘れずに人情が移ることは人間と変わらずに翼に文を結いふくめて海山を越えて往来して、鳴く声を知らない人間の詞をおのが聞き知る事、人に優れているそのしるし、是をご覧候えと翼に付けた一包み、女の文に櫛鏡、黄金少々封じた物を雨にも湿らさずに持っているのは古語(漢書)で伝えているかりがねの翼の文を目の前に、今見る事の不思議さよ。と、御手を打たせて給いしが、如何に諸岩よ、これは女筆の散らし書き、殊に艶めく贈り物、如何様味な事そうな、聞かま欲ししと笑いなさると五位の介は顔を赤めて、いやいやいや、いささか恋路には候わず、これは都にて某が添った妻女で、こうして流人となった後も彼女も身を捨てて播州の傍らに賤の奉公は夫の為、配所での憂さを助けようと言うので雁の便りの折毎に筆墨料紙の類まで心を込めた贈り物、女心の神妙さ、哀れ天運に適い、勅勘を許されたいにしえの五位の介の妻ですと、妻ですと言いたい為に帰参は何時かと待っている所に、不憫やこの時が夫婦の縁の切れ目になってしまいました。それを如何にと申すに、もとこの女は王子の執権伊駒の宿祢の娘で、君の為には大怨敵、親故に貞女の道を破る奴ではないけれども、七人の子はなすとも女に心を許すなと諺にも言っている様に、一つは世上の人口(噂も気になります)、恩愛も執着も情けも恩も、恋も恨みも御大事には替えられません。不憫ではあっても離別して心涼しく義兵を起こし、一戦を励み申すべし。さりながら、故無く離別と申したならば、よもや承引仕らじ。末頼み無き世を見限り自害して果てると最後の文をまことしやかに遣わしたならば、続いて死ぬのは必定、死のうが生きようが歎こうが重ねて参り会えばこそ、偕老同穴忘れもやらで未来で一人待つのであれば待て、生々世々(しょうじょうせせ)の離別ぞと口では言いながら涙は胸に伝い落ちている。
2025年06月06日
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諂いのあまり明日は親王を請待(しょうだい)してお茶を差し上げますとて、料理献立、畳の表替え、その用意の真っ最中と見て候。 これ究境(きゅうきょう、最上、絶好)の時節たり、我々が秘法を以て毒気を吹き込み、親王の執権・検非違使勝舟(かつふね)は百嶋太夫(ももしまだいぶ)と不和をなし、同士戦を致させたならば、親王は一本立ち誰一人かしづく者もなく、討とうとも縛ろうとも籠の中の鳥で候。と、語りけるこそ不思議である。 王子は忽ちに色を直して、おお、大慶、大慶、真野の長者の玉世の姫は音に聞いている美人である。なお端的(たんてき、覿面・てきめん)の法を以って帝位に上り、かの姫を後宮に立てるのはどうであろうかと有りければ、それは危ぶむ所にあらず、我がまた一つの秘法を以て彼等に障礙(しょうげ)をなし申さんと天に向かえば不思議やな、益良の右の眼がまたもや抜け出でて、棚引いた。 雲に入るかを見えていたが則ち小仙(小さな仙人)の奇形と成り、雲路を行く。鐵拐(てっかい)仙(気を吐いて自分の姿を吹き現したと言う仙人)の再来かと奇異の思いをなしたのだ。 本懐時を移すべからず、先ず悦びの一献と青海波と名付けたる一吸(きゅう)九盃の大鮑(あわび)を濵床(はまゆか、帳台の下に置く方形の床)に飾らせて既に酒宴ぞ始まりける。 鄙人と誰が言い始めたのか、国の名も心の花の豊後梅、真野の長者の秘蔵子の玉世姫は偶々の上方住まいを習おうよりは慣れて、所の風に染みたる髪形、少し残っているのは国の訛り、それも言葉の品(味わい)である。 今度、花人親王御執奏(取り次いで奏上すること)に任せ、町人の受領勅許なりと伝え聞き、我が国元の諸職人受領望みの輩(ともがら)を御取次ぎ申さんとその人々を絵に描かせ、宮を請じ参らせる。華やかなりし御もてなし。心詞も及ばない。 かくて親王屋形に入らせ給えば、姫は中門に出で向い、及ばぬ雲の上人を賤が伏せ屋の御設け恐れ多しとばかりにて、俯きさまに御顔をじろりと見たる上瞼、これ恋知りの目癖ぞや、親王も早御心に思い入れの入り江、に漕ぎ入れる、恋焦がれての舟、笹の小笹の一夜をだに寝乱れかもじ、解きほどく職人尽くしの手業にて、ことよせつ又、かこつけつ、互いの心を語られた。 職人 づくし これぞこの大内の縣(あがた)召し(正月十一日から三日間、諸国の国守を任ずる公事)かや諸人(もろびと)に司をたびてそれそれに国名を付けた烏帽子子(えぼし、成人の式をして烏帽子を付けてもらう子。同時に烏帽子を貰う。ここは国守の名を貰う職人達を言う)の始めにかけた絵は烏帽子屋で、その烏帽子屋が身を立てた烏帽子諸眉(もろまゆ)は三大臣(太政大臣・左大臣・右大臣)の御召しとかで、高い位のかけ烏帽子(うちかけえぼし、後ろの針だけで留めてかぶった折烏帽子)、十二(冠位十二階)のかふり(かむり、と読む)式法の中に人目の隙に折々恋に心を動かして額風、折烏帽子(立て烏帽子の先を筋違いに折り曲げた物)、折々は恋に心を揉むそれではないが、揉み烏帽子(揉みやわらげた烏帽子)、平禮(へいらい、頂を折って使う烏帽子)小結(こゆい烏帽子、侍烏帽子の一つで小結の結び余りを左右に長く出したもの)梨打ち(揉み烏帽子の一種)など、烏帽子屋であるから是をと言って先ず頭に置いたのだ。 次には琴屋が爪をたてて、家職(かしょく)に骨を折るそれではないが、琴の調べに君を待つ、松風や、じっと二人(親王と姫)がねじめ良き、恋しい君を待ち迎えて、じっと二人が抱き合って寝る間に、嬉しい契りを交わしましょう。つぎ三味線(継ぎ竿の三味線)は場を取らぬ、寝屋には嬉しい細工(さいく)人、ここに見えたのは筆ゆい(筆を作る職人)のちとせの昔千里(ちさと)の海、隔てし中の通い路も、物言い交わす中立は仮名書き筆のかな文に眞書き筆(楷書用の細筆)に真実の法(のり)の教えも学ばせて、人の心に花咲けば実もなる、奈良油煙、手合わせに朽ちぬ宝や、握り墨(型に入れずに握り固めた墨)、澄むも濁るも世の習い、人のふり見てわが振袖の姿を直せば心のうちも、月は真澄の鏡屋の、鏡は神の御影ぞとて伊勢の守とも召されるでしょう。 さて、その次はふいご吹く鍛冶屋のてこの衆(梃子を手にして働く人々)てっからり、ころり、てんてんからりの相槌も、打ちにうちもの、もとは焼き刃の焼き物であるから、備前焼に因んで備前の守とや名付けようか。桜の色に花塗り(上塗り)の吉野うるしの塗師(ぬし、塗物師、漆塗職)屋、まきえ屋、ひはだ屋(檜の皮で屋根を葺く職人)に、軒の御簾屋の玉すだれ、伊予の守とでも召されようか。 我が通い路を塗りこめて風を通さぬ壁塗りはかくと知らず、白地(しらぢ)の扇屋の折さえあれば折を得て互いに見まく欲しい、星冑(かぶとの鉢に鋲を打ったもの)、具足屋(甲冑を作る職人)、弓屋、武士(もののふ)も親子妹背は情(なさけ)知る、野辺の雉(きじ)ではないが、木地屋(塗ってない木地のままの器類を作る職人)のろくろ引き(ろくろで丸い器を作る職人)、引くや夕べ毎の梳き櫛、乱れ便櫛、人はよも見ない、水櫛と思ったが、誰の見たのか、三つ櫛(歯の荒いのと、普通のと、細かいのと三種類の梳き櫛)に名を立てて、包んだがよそに錐(きり)は通すが霧は通さない桐の箱、さし物屋(指し物師、桐・桧・杉等を以て万の箱を作る職人)から檜物屋(ひものや、わげ物細工屋、桧や杉の薄板を円形に曲げ、樺皮・桜皮で綴じた容器を曲物を作る職人)が、曲がらない木竹を捻じ曲げて締めて、底ひを作るように、樋の底に月の光が澄むように、桶屋の妻の寝心もよい、よしや濡らしてきぬぎぬに干してまだひぬ、唐傘屋、さして降らぬに紅葉葉も時雨の雲に染物屋、染めて上絵屋(いわえや、染物の上に絵具で筆を加える職人)縫い物屋、糸もて通すみすや針(京都三條通り河原町のみす屋で売った名物の針)、ほころび易い浮き名をも繋ぐ数珠屋の百八の思い寄る名を我が思い、如何は晴らし給わると御衣(ぎょい)の袂をお引きなされば、親王もまた御心が緩んで解ける、赤がね屋(銅などの金物を商う者)、二人の恋路一對の鈴ならぬ錫屋(錫や鉛などを商う者)瓦屋、変わるなとしとと(軽く打つ音の形容)背中を叩いて伸ばすそれではないが、薬鑵屋(やかんや)に、詞の花や、飾屋(かざりや、金具の装飾を作る職人)の飾らないで思う仲であるならば、いざ屏風屋の木陰にて君と我とは寝る、それではないが、練り物屋(絹を練る職人)、こちの寝巻の帯を解いて、とんとそなたに着せかけたや、煙管屋の仲良し、よしず屋となり給う縁(えにし)の程こそ不思議であるよ。 ここに親王の執権検非違使勝舟は御留守に残ったのだが思えば四方に王子方、気づかわしと馳せ来たり奥の體(てい)をば伺えば酒宴乱舞の真っ最中、ええ、まだ盃は取れまいと、心気を燃やしている所に百嶋太夫(ももしまだゆう)が金の銚子に土器を添えて廊下を通過かするのを、これ、大夫殿、やあ、勝舟殿か、まずもって今日は冥加に叶ったお成り(お出で、お出まし)であり姫の恐悦、我々までも有難さ、さて、職人の悦びいづれも冥加のためと申し、勝手に相詰め罷りある。さてこれは、長者の家の名酒で国元から到来した。これを差し上げて千秋楽に致さんと存じたが、親王様がただ今御まどろみにて候えばそなたがお迎えの旨は後程に披露申すべし。 まずはお酒をひとつと言いければ、勝舟が聞いて、残るかたない御馳走、さぞ御勝手でも御くたびれにて候べしと、挨拶も時が移って既に夜半の兼ねてより益良(ますら)が行う魔法の形が天井にあらわれて、二人に邪気を吹きかけたのだが、更に人目には見えないのだが、銚子が自然に跳び上がって勝舟の額の正面にざんぶとばかり酒が懸かったのだ。 吹き込む毒気五躰に沁み、ただ熱湯の如くではあったが、外道の業と知らないので、身じまいして百嶋の膝元につっと寄り、やい、ここな運命尽きの業人(ごうにん、罵語で悪業の為に悪い果報を受ける人間の意)め、山彦の王子には威勢が怖いか、ただしは利欲で頼まれたのか。どうでもおのれ一分(いちぶん、個人の恨み)の意趣が有るべき様の覚えはない。世に出生して三十余年人に指でも指されない男だ。沸き返ったる酒をかけて隙間を見て討とうとするのか。我を討って我が君を害せんとの企みであるか。さあ、おのれの首は獄門道具高札に書くためであれば、まっすぐに白状せよ。 百嶋はぎょっと仰天して、いやこれ、勝舟殿、銚子に手をもかければこそあれ、ことに冷や酒、熱からん様もなし、むむ、聞こえた聞こえた、御用心の折柄なれば脅して心を試さん為であるか。それにはちっと御麁相ではないか、と言えば、いや、黙れ、検非違使の勝舟が麁相とは舌長し(過言だ)。 こうして争う内に、異形は手を伸べて百嶋の眉間(まゆあい)を割れてのけとはったと打つ。百嶋は太刀を押っ取って、やい、公家侍、およそ薩摩二歳(薩摩生まれ)とて九州者は端喧嘩(はげんか、つまらぬ喧嘩、小さな諍い)はしない。武士と武士との口論に面(つら)を張るとは何事だ。堪える程は堪えもするが堪忍蔵の戸が開いた(堪忍袋の緒が切れた)ぞ、ま一度指を指してみよ、腕骨を切って切り下げん。さあ、腕を出してみよ。と、鍔元くつろぎかかったのだ。 やい、ここな狼狽え者、おのれに何で遠慮をして腕先でするものぞ。九州者の首を取る公家侍の手並みを見よと、切らんとかかった勝舟の真向(まっこう)をはたと打つ。異形の者の行為である。 やあ、おのれこそ卑怯者めと突っ立ち上れば、あなたを打ち、こなたを打ち付け叩きつけて、双方が一度に抜き合わせて、やあ、物狂いめ、余さじと切り結んでは切りほどき、大庭(建物の間の広場)に飛んで降り、弓手(ゆんで)におっこみ、馬手(めて)に斬り込み、散々に撃ち乱れて裏門を指して切り出したのだ。外道の所為(しょい)こそは怪しいものである。 かくとや物が告げたのであろう、山彦の王子がただ今これへ駆けつけた。御門の外に突っ立ち候と御用心あるべしと門番の者共が口々に注進した。 女房達はおぢ恐れ、大夫殿はおられぬか、百嶋殿、大夫殿と呼びまわるのだが音もしない。若侍は酔い伏してしまっている。勝手に詰めていた諸職人は立ち騒ぐのだが丸腰であり、震えまわって埒があかない。度を失っていた折に、桶結いの久馬平と言って小兵ではあるが大力である。 人々が立ち寄り、こりゃ、久馬平、この度の御用である、武士(もののふ)と偽り、王子を早くぼっかいせい(追い返せ)、如何に如何にと言いければ、なう、勿体なや、鬼のようなる悪王子、殊に刃物は槍鉋(やりがんな)より他は太刀と言い、刀と言い手に取ったること無し。真っ平御免と逃げ出すのを左(さ)言っては事が済まないぞと無理無体に衣装をさせて、太刀よ袴よ、直垂(ひたたれ)よと既に用意をしたのだった。 早、その隙に山彦は衣冠も着せずにただ一人、駒を飛ばして乗り入れたのは欲天の阿修羅王(闘争の絶えない阿修羅道の長で、梵天・帝釈と戦う鬼神」、龍馬(りゅうめ、駿馬)に駕したのもかくやらんと、馬上ながらに大音上げて、丸が心をかけた女、今宵、花人親王に忍びあうと聞いたので、仲人の為に来たって有る。見参やっと喚く声、深山も裂けて法螺貝が海に入ったかと恐ろしい。 怒れる声でかっらかっらと、笑い、是は仲人要らずの新枕ごさんなれ、互いの初恋おもはゆからん、いでいで、王子が挨拶せんと馬を乗り離してつっと入り、白書院黒書院、納戸帳台、化粧の間、渡殿・細殿・贄殿(にえどの、魚鳥などを置き、調理する所)まで、妻戸・障子を蹴破って、御簾も几帳もひっ切りひっ切り駆け入り駆け出で、尋ね廻って南無三宝、二人しっぽと伏し給う。 台子(だいす、茶の湯の道具を置く棚)の間の高遣戸(丈の高い引き戸)をさっと開ければ衣を引き被き生きた心地もないのであった。
2025年06月04日
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用明天皇 職人鑑(かがみ) 宗の陸子静(りくしせい)が曰く、東西海の聖人はその心を同じくし、その理を同じくする。南北海の聖人も皆同じだと。 されば、大中臣の本系に厳矛(いかしぼこ)の本末を傾けずに中柄(なから)える人を中臣と言う。 これぞ実相中道の仏の教え、神の法(のり)、皆一筋の秋津道、伝わる種や和歌の文字、三十一代敏達(びたつ)の天子、恵み輝く瑞穂の国、八咫の鏡の影清し。 然るに当今(とうぎん、今上天皇)甚だ文史(ぶんし)の学に長じ給い、民を以て天とすと愛し養いなされたので、君が八隅(安らかに治める国の隅々)の外までも君子の国ぞと讃え仰いだのだ。 御同腹の御弟・山彦の王子は万巻の文車を牛に汗させて轟かし、謹(つっし)んで奏聞有る。 誠に先帝欽明の聖代(せいたい)に五経の博士、易の博士、暦道(れきとう)医薬の書籍(しょしゃく)まで来朝すとは申せども、外道の法(仏教以外の教え)はいまだ日本に渡らず候。 是はこれ、四韋駄(しゐだ)と號する外道の書、この法を学ぶ者は因果を撥無(はつむ、払い除け)し来世を期(ご)せず。現身に虚空を飛行して雨ともなり風ともなる。億萬劫の命を保ち、上天を祭って生きながら上界に生ずる法、往昔(そのかみ)五天竺にはびこって君臣安楽を得たる所に、釈迦と言う者が仏法を興し外道衰えたりと伝え候。 目出度き国の御宝、天下に広め給えかしと希代縁によって招きを求め候と、奏し勧めたその顔(かんばせ)、外道の術に迷わされ魂に入りしとは後にぞ人も知るとかや。 帝を始め奉り百官帰伏(きぶく)の思いをなし、重ねて諸卿の勘物(考え調べること)に任せ、この書を和国に広めるべきと御沙汰取り取りまちまちなり。 ここに別腹の御弟豊日花人親王は黄巻朱軸の経典を七寶荘厳(しょうごん)の羽車(はぐるま)に盛り積んで、庭上にかき据えるさせ正笏(せいしゃく)一揖(いちゆう)して(笏をもち礼儀正しく拝して)奏聞ある。 そもこの巻々は大聖世尊(だいしょうせそん)釈迦牟尼仏が五十余年の妙経(みょうきょう)、父帝の御宇に百済国(はくさいこく)から渡来したが時期はいまだ熟せず。 追い返されし波小舟博多の沖にさすらう由を承り、臣密かに尋ね得て拝見し、仏教の大旨を鑑(かんが)みるに、智者は禅定観念の理によって三世(さんぜ、現在・過去・未来)を悟り、愚者は讀誦戒法(どくじゅかいほう、教を読み、仏の戒めを守る修行)の行によって菩提(ぼだい、悟りの境地)に入る。 戒定慧(持戒・禅定・智慧)の三學廣くは三千世界、一切衆生にわたり略しては一心に帰す。一心即ち十界(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人道・天道・声聞・縁覚・菩薩・仏。十界はみな一心がなすところとする)に遍満して自在をなすを仏と言う。 是、万寶を降らす如意寶珠(にょいほうじゅ、所持すれば思うように願いが叶うと言う宝の珠)、この教えに則って天下を治めたまいなば、我が朝の天神地祇が感応の和光を添え、なお君が代は万代と治まる国の御宝と恐れ入ってぞ恐れ入ってぞ奏せられた。 山彦の王子は聞きもあえず、やあ、花人親王珍しの奏聞やな。そも仏法は先帝の御宇(ぎょう)に異国の法と言って捨てられた。その先帝と申すのは誰であるか、主上(今上天皇)を始め丸(わたし)にも貴邊(あなた)にも父上ではありませんか。三年父の道を改めずとは儒道の教え。但し、仏法は親の道に背く道ではありませんか。 花人、やがて、いや、仰せまでも候らわず。父の非を改めるのは孝の一つ。君父(くんぷ)も命が重いからとて悪を改めないのは道と申せようか。それは、舟端に刻みをつけて刀を尋ねる譬えに似ている。つまり古い仕来りに縛られて誤りを犯す譬えに似ている。 たとえそれはそうとしても、仏教をさえ捨ててしまう父の詞を守り給うのであれば、どうして外道を用いなさるのか。親と言い、兄と言い、このように申すのも孝の道です。邪道を捨てて正法(しょうぼう)の仏の御法を受け給えと、誠を尽くして宣えば、王子はおおきに気色を損じ、やあ、邪道とは何事ぞ、和主が尊ぶ仏の弟子・神通の目連は竹杖外道に打ち殺され、さんずいの區木偏の婁(くる)外道と聞こえている者は八万劫と言う間を四大海の水を耳の穴に収めて、過去七仏(毘婆尸・尸棄・毘舎浮・俱留孫・拘那舎・迦葉・釈迦)も諸菩薩も水に渇する憂き目を見せた。 このような不思議が適うものであろうか。釈迦が説いた極楽世界寂光浄土はいずくにある。舟で行くか、馬で行くか、さあ、有るならば連れて行けと、つめかけつめかけ席を打ってぞ申されける。 おお、極楽の在り所、案内申さん、是君見ずや、君が尊ぶ道書(道教の教義を書いた書物)にも呂洞賓(りょとうびん)が袖の中の青蛇(しょうじゃ)を投げ打って黄龍(こうりゅう)に乗ったのは、身の中の蓬莱山を唯心の浄土として顕したのだ。一心の外に何処にあろうか。 外道の元祖の提婆達多(だいばだった)は如来の三十二相を学び、千輻輪(せんぷくりん、三十二相の一つ。足の裏の網状の紋が車の輪のようであるもの。提婆はこの相に欠けていたので金具を用いたの意)に金具を使い、眉間白毫(みけんびゃくごう)に蛍の光を借りたそうだ。 悪法を説く釈迦ならばどうして提婆は似ようとしたのだろうか。ああ、勿体無し、勿体無し、慢心(まんじん)を挫いて正道に入り給えと理非を正して教化(きょうけ)有る。 理(ことわり)かな、この親王は御成長の後は事も愚かや日本仏法の開基、聖徳太子の御父帝用明天皇と申されたのはこの親王の御事であるよ。 時に、物の部の大臣が進み出て、いづれも御連枝の御中と言い、殊にかかる聖賢(せいけん)の道、この勝劣は勅判にも及び難し。所詮、両方の経巻を火に焼いて試みるならば、邪正の験(しるし)あるだろうと用意があるので、仏道に心を寄せている人々は勿体無いと嘆く者もある。 王子方ではすは大事と眼を塞ぎ観念し、三目八臂(欲界天の主)摩ケイ修羅天紕紐天、加比羅天さんずいの嘔婁僧佉天、一つの験(しるし)を見せ給えと歯をくいしばって立ったりけり。主殿司(禁中の清掃・燭火・薪炭などを扱う)が松を振り立てて両方一度にくゆらせた。 ああ、忌まわしい、仏経の紐に火が移って華厳・阿含・方等・般若など大乗涅槃沙羅林の夕べの煙消え残る五軸程になってしまった。 外道の書には火も移らず、雪を焚くのかと怪しまれる。 山彦王子は大音をあげ、叡覧(えいらん、天子が御覧になること)あるか我が君、仏道邪法に極まったり。邪法を信じる花人は大日本の怨敵(おんてき)である。罪科が軽いはずもない、と高声にののしるのは苦々しく見えたのだ。 花人親王はにっこりと笑い、ああ、そう仰言いますな。兄君、正法(しょうぼう)に奇徳(きどく)なし。譬えて申すならば草木の誠の花は嵐に散り、霜に枯れる。風にも霜には痛まないのは偽りの作り花。まあ、その如くに石や金でも焼くのは火の徳である。況や、火を取って紙に移すならば焼ける道理。焼く道理だ。物を焼かなければ火の益なし。紙も焼けなければ天魔の術、信じるに足らず願うに足らず。真実微妙(しんじつみみょう)の仏の不思議、験を見せしめ給えやと合掌有れば、有難や残りたる玉軸から七千余巻の文字の数々が一点も失せずに現れた。 光の中から妙覚(みょうかく、無上の悟りを得た)釈迦如来の容貌がありありと拝まれたると見えたのだが肉髷(にくけい、頭の頂にもとどりの様に突き出た肉の塊)から稲光、映ると同時に外道の書は皆灰燼と煙りゆき、紫雲に乗じた御仏は雲井に上がらせ給ったのだ。 王子は黙って赤面した。月卿雲客(高官たち)手を合わせ、あっと感じて禮をなさった近くに。主上はなはだ叡感あり、妙なる業を見たからには異国の法だとて捨てるべからず。當国向原(むくはら、奈良県高市郡飛鳥村)に伽藍を構えて仏法流布を待つべしと、稲目の臣に勅諚ある。 重ねて花人親王を玉座近くに召され、仏法の大意は大慈大悲と伝え聞く、されば朕は世を治めてからいまだ一事の慈悲をもなさず、天が下に触れをなし土民には貢をゆるめ、商人(あきんど)には黄金(こがね)を施し、扨て職人には官位を与え、諸国の受領(じゅりょう、国主の官職)に任ずるべし。御身よろしく計らい給え、と畏まりなる(有難い)詔(みことのり)。 この時以来、諸職人は今も国名を許されて、よい時期を得て世に現れ、万代も将来長く続くこの御代に豊かに住む身とはなったのだ。 さるほどに、山彦の王子の屋形には小野の土丸と伊駒の宿祢、彼等二人は翼の臣(輔翼の臣、補佐する臣)の中でも外道の方士。伊賀留田(いかるだ)の益良(ますら)は神変稀代の魔法を得て、即ち王子の師範たりしが今日大内での諍論(論争)勝負は如何かと煩い、便り遅しと待つところに還御なりとぞ呼ばわったり。三人が、すはやと走り出て、さて首尾はと尋ねたのだが、王子は無機嫌で返答はなく、冠をもぎ棄てて禁色(きんじき、天皇や皇族以外に使用を禁じられた色。クチナシ色、黄丹色、赤色、青色、深い紫色深緋色、深蘇芳色。王子なので禁色を用いているのだ)の裾脛(すそはぎ)を高く捲り上げてどうど座して桓々(かんかん)たる(威のある)声を上げて、無念至極せり。 今日、禁庭の晴れ業、仏道外道の争いに我が法は打ち負け仏道の為に寺とやらん、伽藍とやらん、建立せよとの勅諚、それさえあるに、日本国の諸職人に官位受領をなすべしと花人親王に是を仰せ下された。 然れば弟の花人は日々に威勢はびこって春宮に立つことは必定。時には、丸が王位の望みを達する期(ご)はないだろう。この上は、高麗唐土(こまもろこし)に押し渡り、韃靼・契丹・南蛮・蝦夷の夷(えびす)を語らい、一戦の鋒先に運を極めるだけであるよ。 ええ、思えば奇怪、口惜しと怒れる涙をはらはらと鮫人(こうじん)の玉を貫いた(玉のような涙を流した)。伊賀留田の益良これを承り、それは心弱き仰せです、たとえ腸持(わたもち、生きた本当)の釈迦阿弥陀が出たとしても我が法に敵うべきでしょうか。いで、某の魔法を以て形は此処にありながら、両眼は四方に飛ばして親王方の案内を見届けて注進を仕らんと、虚空に向かって大玄谷人(だいげんこくじん)の呪(道教の呪文、玄、谷神は老子に見える。玄は道の極致で深遠幽玄の意。谷神は道の譬えで、虚にして霊なるものを言う)を唱え、還丹(げんたん)の法を行ったが、刹那が間に一筋の虹大空に棚引きて左の眼が抜け出でて眼火あたりに散乱して雲車(うんしゃ、仙人が車のように乗り廻す雲)に捲かれ飛行(ひぎょう)する。 益良はそのまま眇目(びょうもく、片目)となって、申し、申し、暫しの間を待ち給え。これは葛仙翁(かっせんおう)の吹目(すいもく)の術、三界(三千世界)を見巡ること半時を過ぎず候、と語る言葉が中空に益良の左の眼(まなこ)の玉が光りながら飛び帰り、元の眼に収まったのだが、それはまるで流星の如くであった。 益良は横手をちょうと打って、花人親王の御所の様、よっく見届け候が、のう、珍しきことこそ候。その仔細は豊後の国の住人、真野の長者と申す者、寵愛の娘玉世の姫、継母を疎み、殊には又女の身にて遠国に住み果てるのも物憂いと、百嶋太夫と申す乳人を具して春の頃より都に上り、檜隈の岡に屋形をしつらい居住し候が、彼の被官(直属)の職人共に官位受領をせさせる為に金銀財宝を以て親王に賄いした。
2025年06月02日
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