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私に取って大切なことは、人を待たせないことです。もちろん、結果として人を待たせてしてしまったこともありますが、出来る限りそれをしないように心かけています。 誰にとっても時間は大切なものです。多くの人が最も大切なものと考えるのが時間だろうと思います。だとすれば、最も失礼で人を確実に不愉快にしてしまうのが、人を待たせることです。 とりあえずは、許しては下さると思いますが、待たせるということは、『あなたの時間よりも、私の時間の方が大切』という無言のメッセージを送っていることになります。 このことの重さを考えてみて下さい。あなたは、自分の時間よりも他人の時間の方が大切だと思うでしょうか? そんなことはないだろうと思います。 待たされることが好きな人は誰もいないだろうと思いますし、自分が軽んじられていると感じて寂しい思いになるに違いありません。 そのことをわかっているからこそ、人を待たせてしまうことに、迷惑をかけているという自覚が生じるはずです。相手があなたの姿をきょろきょろしながら探し、『どうしたんだろう?』と思っている姿が頭をよぎります。 そう考えるだけでイライラし、相当のストレスになるのではないでしょうか? もちろん、やもうえない理由で遅れてしまうこともあります。しかし、実際には、ほとんどの遅刻は避けられるはずです。 前もって予定を立て、時間のゆとりを持って出かければいいのです。しかし、それをしないで、ぐずぐずししたり、ギリギリの時間まで家を出ないので遅刻すれすれか遅刻をしてしまいます。 そんな時に限って、家の鍵が出てこなかったり、大切なものを忘れてきて、自宅まで取りに行くとかというトラブルも起きます。そして、お決まりの言い訳をします。『車が渋滞してね。』『忘れ物を取りに行ってね。』等々。しかし相手は、それを見込んで出て来なかったあなたに感心もしなければ、面白くないと感じるでしょう。 人を待たせていいことは何一つないのです。これが仕事の待ち合わせであれば、仕事の評価が下がることも仕方ありません。また、親しい人であっても、人間関係に悪影響を与える可能性もあります。 もし、人を待たせてしまった時は、軽く考えないで下さい。怒る人もいれば、口には出さなくても不機嫌になる人もいます。また、あなたとの待ち合わせに遅刻してくるようになったり、何らかの方法で仕返しをして来るかも知れません。 また、遅刻しなくても、遅刻すれすれで行ったとしたら、気持は慌てふためき、心は完全にあせっています。そのことに心が奪われ、集中力がもてなくなりますし、一日、イライラしたままになるかも知れません。 そして、遅刻してしまったとしたら、そんな自分を責めて、自己憐憫をすることでしょう。これは、大きなストレスの原因になってしまいます。 しかし、早く家を出て、早めに待ち合わせ場所に付いたならば、心にゆとりが出て来るはずですし、その日の予定を考えることも出来ます。また、口には出さなくても、早く来たあなたに相手は感謝するはずです。 私は、待ち合わせ場所に早く行くことで、いいアイデアが浮かんで来たり、心を落ち着かせてリラックスすることも出来ます。しかし、慌てて滑り込んだ時には、そんな余裕もありません。 お待たせしないで行くならば、すべてが好循環になります。今日、今週、そんなことに心がけてみられてはいかがでしょうか? よい一日でありますように。God bless you!
2006年06月30日
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将来のために綿密に計画を立て、実現しなくてがっかりした経験はないでしょうか? そういう経験をすることは、私を含めて何度もあるだろうと思いますが、そこには、何かが欠けていたのかも知れません。 まず、明確な目標を立てて、それに向かっての計画を立てますが、そこで、『そうなったらないいなー』という願望を持っているだけではなかなかそこから進みません。願望を現実にさせるためには、願望以上のものが必要です。 それは、その実現を信じ続け、祈り続けることが必要です。そして、具体的に行動をして行くことが必要です。 まず、信じるとは選択です。その夢の実現を信じることも信じないことも選択です。どうぞ、信じる方を選んで下さい。 また、その夢の実現が確信(実感)となるまで、繰り返し祈ることが必要です。この祈りには、美辞麗句を用いる必要はありません。桐が一点に力を入れて穴を開けるように、その目標の実現のために繰り返し祈って下さい。 ルカ18章の聖書の箇所には、やもめの女が不正な裁判官に、『私の相手をさばいて、私を守って下さい。』といワンフレーズの願いを繰り返しました。来る日も来る日もそれだけを訴えました。不正な裁判官は、あんまりうるさいので、仕方なしにその願いを聞き入れました。イエス様は、この話をしながら、まして神は、あなたがたの祈りを聞いて下さると結論付けました。繰り返し、あなたの夢の実現を祈ってみて下さい。やがてそれが実感となるはずです。そうなったら、夢の実現も目前です。 その時、神様に信頼しながら、一歩踏み出し、行動に移して下さい。やはり、大胆に行動に踏み出すことが最終的に大切です。夢を実現させるためには、棚から牡丹餅が落ちてくるのを待っていてはダメです。断固として行動に移して下さい。 私には夢があります。そして、この夢のためには命を捨てても惜しくはありません。それは、この日本や世界の人たちが、神の愛を知って、救われ、幸せになって下さることです。 私はこの夢の実現のために、毎日毎日、信じ続け、また、祈り続け、そして、行動をします。この夢が実現するのが難しいと感じる現実にぶつかることも多くありますし、『それは無理だ。』と言う人もいますし、私自身もそう思いそうになります。 しかし、夢は信じ続けなければいけません。また、祈り続けなければいけません。そして、行動し続けなければいけません。そうしることで、確実に夢は現実になって行きます。 夢を信じ、夢の実現を祈り、そして、行動し続けて参りましょう。あなたの夢の実現を祈ります。God bless you!
2006年06月29日
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他人の行動に、不当な期待を抱く人がいるものです。こういう人は、自分がしてほしいと思っていることをしてもらえないと、自分の気持ちが傷つけられたと相手に伝えます。 例えば、『あなたには思いやりがない。』とか、『気配りが足りない。』とか、『わざと不親切なことをした。』と言って相手を責めるのです。 こういう態度を取る人は、自分のやり方に相手が従ってくれないと、これらのセリフを使うことで、精神的に優位に立って、相手に罰を加えられることを知っています。自分が犠牲者である振りをして、相手を犠牲者に仕立て上げる戦術です。 その目的は、相手を不安にさせて、優先順位を変えさせ、自分の言いなりにすることです。もし相手が恥じ入って謝罪すれば、自分が勝ち、相手を手なずけることが出来ます。 しかし、この世の中に、自分の思うように相手が行動することを期待する権利を持っている人は誰も存在しません。もちろん、相手の同意を得ている場合や、親が子に対してするように、行動を管理する資格なら別の話しです。 私たちは、礼儀正しく、さわやかな態度を持って、相手を尊敬する心を心がけていればいいのです。自分のしたいことを犠牲にしてまで、他人を喜ばせる必要はありません。あなたはあなたの意思で、自分のしたいことを決める自由と権利があるのです。 祝福を祈ります。God bless you!
2006年06月28日
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自分の夢を追い求めたり、何か新しく冒険をしようとすると、家族や友人から『リスクを侵さない方がいい。』と善意の助言をもらうことがあります。 そして、『あなたにはそれは無理です。』という言葉を聞かされることもあります。彼らは、善意だけど、実は、夢を壊す人です。 自分の出来ないという思い込みに縛られて、夢を実現させようとするあなたの気持をくじこうとします。出来ることなら、そういう人たちを避けるのも知恵です。 しかしこれは、その資格のある個人や師から助言を求めないということではありません。ただ、出来ないと思い込んでいる人や、行動をしないタイプの人がまき散らすネガティブな病原菌を避けることです。 そういう人たちは、相手が傷ついたり、失敗したりしないようにと、親切心から言っているのですが、結局、相手の自尊心を損なわせ、成功の可能性を奪ってしまいます。 だから、自分の夢を打ち明ける人は選んだ方がいいです。そして特に、初期の段階には、夢を壊す人には要注意です。 また、断固拒否しなければならない人は、親切心ではなく、わざと相手の気持ちを挫こうとする人たちです。その人は、誰かの成功によって、自分の惨めな境遇を嫌が応でも直視しなければならないことを恐れています。 とにかく、そういう助言によって、あなたのやる気が失われ、夢が壊されてしまわないようにしましょう。 私ならば、そういう助言を聞いた時には、参考にはしますが、益々情熱を持って、夢に向かって行きます。しかし、そんな私であっても、否定的な助言は、恐れを生じさせ、やる気を失わせます。 善意であっても、悪意であっても、夢を壊す人たちを避けるのも知恵の一つです。アメリカの牧師であり、成功者であるロバート・シューラー牧師は、否定的な人とは付き合わない方がいいとまで言っています。 類は友を呼びます。あなたが夢とは関係なく、傷を舐め合って生きていきたいならば別ですが、よりよい人生を願っているならば、同じ、前向き肯定的な人と付き合うことをお奨めします。 あなたの未来の成功を祈ります。God bless you!
2006年06月27日
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私は毎日、牧師の仕事をしています。その中で、色々な社会との接点や色々な職業の人との接点があります。そして、色々な仕事を頼むこともあります。そんな時、忙しい人とかなり暇を持て余している人の二人に似たような仕事を依頼しました。そして驚いたのは、忙しくて、分刻みに働いている人の方がすぐに仕事を完成させて下さいました。しかし、明らかにゆとりのあるもう一人の人は、一週間後に、「仕事は終わりましたか?」と聞いたら、「これから手を付けようとしたところです。ごめんなさい。」と答えが帰って来ました。これは不思議なことですが、その後も同じようなことが何度も起こりました。そこでわかったのは、忙しい人は、まずは、時間の使い方がうまいです。また、物事の優先順位をきちんとつけてやります。これをタイム・マネージメントと言いますが、私もこれを大切にしています。牧師の仕事は、一週間ずーっとあります。しかし、にも関わらず、その合間の時間にネットを使った伝道活動も行なっています。それは、物事の優先順位を決めて、それに従って仕事を楽しく行ない。その細切れ時間をネットの働きに当てます。そして、また次に大切な仕事をします。そして、トイレに行ったり、コーヒーを飲んだり、食事をしたりする前後の細切れ時間を使って、またネットの働きをします。これは、細切れ時間ですから、必要最小限にとどめますし、これが気分転換になって、好循環になっています。仕事を頼むなら忙しい人に頼むことがよいようですが、あなたはどうでしょうか? 忙しい人ですか? 時間にゆとりのある人でしょうか? 日本人は、忙しいことが美徳であるかのように思いやすいですが、心を亡ぼしてしまうような忙しさはいいものではありません。まず、朝起きたら、少なくても30分~1時間、お祈りをしたり、自分だけの時間を持って、その時、紙と鉛筆を出して、その日にやるべきことを全部書き出してみてください。この時に大切なのは、やりたいことではないのです。あくまでも、やるべきことです。そして、書き出しましたら、その重要な順番に並べて、優先順位をつけて見て下さい。そして、その優先順位に従って、一つづつ行なって行って下さい。もしかしたら、優先順位の大切なものほど、今やりたくなかったり、後回しにしたいことかも知れません。しかし、これが忙しい人と暇な人を決めます。忙しい人は、重要なことから順番にやりますから、午前中のうちに、ほとんどの仕事が終わってしまいます。しかし、暇な人は、午前中にやりたいことをまずやって、そして、やるべきことに手をつけようとすると、もう午後だったり、夕方になっています。そして、「じゃー、明日にしよう。」そうやって、仕事がいつまでも片付かないのです。やりたいことをするのか? やるべきことをするのか? これが、私たちの時間の使い方を決めます。やるべきことをまずやってしまった人は、細切れ時間や残った時間に、好きなことをすることが出来ます。しかし、やりたいことを先にする人は、夏休みに入って、まずは遊びまわって、新学期の2~3日前に、慌てて宿題をするよう小中学生のなタイプの人かも知れません。今日、あなたに仕事を頼む人がいたならば、あなたがもし、午前中に大切なことのほとんどを終わらせる人ならば、頼まれた仕事を引き受け、今日中に終わらせてしまうことが出来るでしょう。私は、この方法をするようになってから、人生に何倍ものゆとりが生まれましたし、時間の効率が何倍にもなりました。日曜日の説教は、月曜日に終わらせてしまいますし、どこかから頼まれた執筆等の仕事は、その場ではじめます。ネットを開いてメールの返信やレスが必要ならば、その場で終えさせてしまいます。これらの生き方は、私の先輩の牧師や、偉大な成功者と言われる人や、偉業を成し遂げたような人から教えてもらった生き方です。これは私だけのものではなく、みなさんの共有財産です。これを自慢したいから話すのではなく、みなさんにも是非、このように生きてもらいたいと思うので書きました。このタイムマネージメントの方法は、絶対に価値のあることです。これを忠実に実行されましたら、間違いなく、100万$以上の価値がある内容です。今日あなたは、100万$を聞きましたよ。これを聞き流さないで、実行されるみなさんになりますように。God bless you!
2006年06月26日
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じめじめした梅雨の真っ只中にありますが、みなさんにおかれましては元気に過ごされていると思います。 今日は、チャット・タイムのご案内を致します。 ★第二十五回チャットタイム 2006年6月27日(火)夜8時~10時頃まで、 チャットで楽しくお話を致しましょう。 是非一度(今月も)いらして下さいね。 テーマは、『普段悩んでること』です。 どうぞ、楽しい交流を致しましょう。お待ちしています。 日頃のストレスの解消、誰かと話したい、心を通わせたい楽しい時間を過ごしたい。そういうあなたをご招待いたします。 楽しいチャットの時間を過ごすために、是非来られるみなさんにお願い致します。 1、このチャットタイムには、クリスチャンじゃない人も何人か来られます。どうぞ、教会用語やキリスト教用語などを出来る限る使わないで会話をして下さい。 2、また、誹謗中傷、特定であってもそうでなくても、攻撃性のある話は是非避けて頂きたいと思います。そういうお話は、メールにて送って下さい。 3、話を誰か一人や二人だけがするのではなく、みんなが話しに参加できるように心を配って下さい。積極的に話をするのと同時に、他の参加者の話を聞いて下さり、愛を込めた応答をして、愛の交流が出来るようにお願いします。 4、ある人が道徳的、社会的、倫理的にふさわしくない話をしたとしても、どうぞ、それに対して善悪を言わないで頂けますようにお願いします。 5、また、不満を持ったり、怒り出す人がいても、同調するのではなく、優しく話を聞いて下さり、愛の実践をして下さり、平和な雰囲気になるように心がけて下さい。 6、全員がVIPのゲストであるように接したいと願っています。どうぞ互いに、相手を王様や王女様であるかのように接し、もてないして下さいますようにお願いします。 7、自然で、明るく楽しい雰囲気作りにみんなで協力して行きましょう。よろしくお願いします。 もしお時間がありましたら、明晩にお会いしましょう。 新宿福興教会 パスタ―菅野コト 菅野直基 ホームページ:http://www.geocities.jp/sgr_ch/ チャットルーム:http://9001.teacup.com/sfk/chat eメールアドレス:sgr_ch@ybb.ne.jp
2006年06月26日
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誰かが何かを出来ないと考えているからと言っても、たといその誰かが大勢であっても、偉い人であっても、影響力のある人であっても、それが本当だとは限りません。 かつて、有人飛行機は侠気の沙汰だと考えられていました。ライト兄弟のお父さんは牧師でしたが、息子たちに悔い改めを迫ったそうです。しかし、彼らはそれであきらめませんでしたし、その常識に囚われませんでした。 今は、飛行機が当たり前の世の中になっていますが、その昔は、大変な侠気の沙汰でした。 その昔、地球は平らだと考えられていましたが、それは間違いですが、コロンブスが現れるまでそれは広く信じられていた常識でした。 また、パストゥールが現れる以前は、細菌やバクテリアなど存在しないと考えられていました。ただ目に見えないからという理由だけでです。 私たちは、常識や社会通念に注意が必要です。それらのものに囚われると、多くの人が信じていることが事実になってしまいます。 このことが、あなたの人生を豊かにすることと密接に繋がっています。あなたが何を成し遂げ、どんな生き方をするのかは、あなたが何を信じているのかと直接関係があります。 ナポレオン・ヒルは、「信念と確信があれば、この世に不可能なことはない。」と言いました。聖書は、「あなたが信じた通りの人にあなたはなる。」と語ります。 どうぞ、思い込みと事実を混同しないようにしましょう。あなたには、無限の可能性があるのです。祝福をお祈りします。God bless you!
2006年06月25日
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マザー・テレサが、生前、日本に来日した時に、世界には二つの貧しい国があると言って、その一つに日本を上げました。もう一つの国は、本当に貧しい国ですが、日本の場合は、経済的にも先進国です。何が貧しいのでしょうか? それは、心の貧困だそうです。テレサは、「貧困をつくるのは神ではなく、私たち人間です。私たちが分かち合わないからです。」と言いました。私はよく街角や駅前でキリストの愛を伝道します。そんな時、人を観察します。時々、目が不自由であったり、体の一部が不自由な人が通りかかります。そして、ふとしたことから足が躓いて転んでしまうことがあります。しかし、ほとんどの人は無関心であったり、見て見ぬ振りをしたり、何かをした上げたそうなんだけど勇気がないような人がほとんどです。そこで私が手を差し伸べて、チラシを一枚渡しますが、私がそこにいなければ、誰も手を差し伸べないのではないかと思います。私がいるところは、新宿ですから、都会であり、日本の中心です。これが田舎だったら少しは違うのかも知れませんが、私が、アメリカや韓国に住んだことがあるので少し比較して考えてみますと、困った人を見た時に見て見ぬ振りは少なくてもしません。韓国で電車に乗っていますと、老人が乗ってきたら、ほぼ間違いなく若者は席を譲ります。また、妊娠をした女性や体が不自由な人、私が子供を連れているだけでも席を自然に譲ってくれます。そして、日本に帰国して改めてビックリしましたが、若い人が、しかも優先席に座っていて、疲れていたのかも知れませんが、明らかに席を譲るべき人が立っているのに、目を閉じて、寝ている振りをしました。アメリカに行って、女性が重たい荷物を持っていたら、普通男性ならそれを「手伝いましょうか?」と言って持って上げます。その姿は麗しいものです。私たち日本人が、困った人や体の不自由な人、弱い人に対して無関心なのは、照れであったり、厚かましいと思われたくない優しさが動機であるということを値引いたとしても、やはり、心の貧困が日本人の心を支配していると言わざろう得ないと、私を含めて感じます。弱い者いじめが学校や職場であること。人のよい点を見つけて誉めるのではなく、人の欠点や弱点をあげつらい、誹謗中傷したり、冷たくあしらったり。人の喜びのために仕えるような人は皆無で、自分のことだけにしか関心を持たない人が多くなっているように思います。日本にある貧困は、心の貧困です。しかしそれは、テレサが言ってるように、神がもたらした貧困ではなく、分かち合わないことのゆえに発生する貧困です。ならば、少しでも分かち合って行けたらどうでしょう?自分の時間を相手のために喜んで使ったり、自分の才能を人のために生かしたり、人を寛容に許し、受け入れたり。人に、ありがとうや誉めることばを話したり。人を愛する心を持とうとしたら、その瞬間から、心の貧困は逃げ去って行くと思います。それは、暗い部屋に電気を付けたら、暗闇がなくなってしまうように、愛は、心の貧困をなくします。そして、心が豊かになり、そんな人が一人いたら、一つの電球が部屋全体を照らすように、その場所を明るく暖かく豊かにするのではないかと思います。与える心を是非持ちたいものです。それは、あなたを幸福にし、相手を生かします。イスラエルには、代表的な二つの湖があります。一つはガリラヤ湖で、もう一つは死海です。二つとも同じヨルダン川の水が流れ込んでいますが、ガリラヤ湖は、上流から受けた水を下流に流します。ですから、水が循環し、自然がの宝庫です。しかし、死海は、終点です。水を受けるだけです。その結果、豊かになるのではなく、塩分が海の数倍になり、観光地としてはいいかも知れませんが、何一つ命のない湖です。私たちも、このガリラヤ湖と死海のように、受けたものを与える人は何倍にも豊かにないますが、もらうだけはしても、与えないならば、きっと枯渇し、ますます不満が溜まり、自己中心で心の貧困な人になってしまいます。私たちは、ないものを与える訳には行きませんし、全部を与える訳には行きませんが、受けた一部でも与えることが出来たら、どんなにか豊かになるでしょうか? そんな心は、自分にも人にも喜びを与え、自分も他者も生かすはずです。あのマザー・テレサが、この日本を世界の中で貧しい国の一つに上げました。この心の貧困の解決策は、分かち合うことです。人を許し、愛し、与えて行くことです。そんな私たちでありたいものです。祝福をお祈りします。God bless you!
2006年06月24日
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同じ大きさの卵に生まれるのに、あるニワトリは他のニワトリに比べて大きくなるものがいます。一人の人が、その理由を調べようと、よく観察してみました。そうしてわかったことは、エサの食べ方が、他のニワトリと比べて合理的に食べていました。 そこで、合理的に食べているニワトリのエサを同じように他のニワトリにも与えたところ、そのニワトリも大きくなりました。これは、極めて大切なことを私たちに教えてくれていると思います。よい手本があって、その手本に真似ると、ニワトリの体の大きさをも変えることが出来るのです。 日本が終戦後、アメリカ人のように大きな体になりたいと思い、食べ物の種類を変えました。その結果、少なくても、平均身長も、平均体重も、明らかに大きく多くなりました。これは、アメリカ人のような食事をした結果、同じような体つきになって来たのです。 しかし、アメリカの土台は、何と行ってもプロテスタンのキリスト教信仰です。その宗教の自由を求めて新大陸に渡り、そこに新しい文明文化を創って来た先輩たちのいいところを学ぶことが出来たら、ハーバード大学やイエール大学、プリンストン大学を建てた人たちと同じスピリットとノウハウを持つことになります。 今日、アメリカが世界をリードしているのは、そのような先輩たちの持っていたキリスト教信仰に基づくスピリットとノウハウであったと思います。しかし私は、手放しでアメリカを肯定しようとは思いません。アメリカに留学した経験もありますが、人種差別をはじめ、多くの偏見や自己中心に満ちています。 アメリカのブッシュ大統領が、民主主義を絶対的な正義として主張し、その大義名分を掲げて戦争を繰り広げたことには、とても悲しい気持になりました。しかし同時に、アメリカがいなかったらどうなるか?を考えたら、背筋がゾーッとします。世界は、イスラムや共産主義者たちによって牛耳られ、無法地帯と化していたかも知れません。 米ブッシュ大統領は、朝5時に起床をしたら、まずは神を礼拝します。聖書を読み、祈り、一日をスタートします。小泉大統領をはじめとして、日本の閣僚や日本全体は、アメリカに右に倣えです。そうであったからこそ、今日の経済的な繁栄があっただろうと思います。しかし、キリスト信仰に関しては、ここが一番肝心な部分であるにも関わらず受け入れませんでした。 キリスト教とは、バター臭い西洋の宗教ではありません。イスラエルのエルサレムからはじまった教えです。そして、今日、イスラエルは12部族中10部族が失われましたが、その子孫たちが日本に渡ってきているということが言われています。 みなさんの中には、聖書をよく読まれたことのない方もたくさんいると思いますが、聖書に出て来る多くの装飾は、そのまま日本の神道に受け継がれています。私は何も、キリスト教=神道、教会=神社などと言おうつもりは全くありません。しかし、聖書に出て来る幕屋と神社はとても似ています。また、モーセが出エジプトの時に門の鴨居に血を塗ったことと、神社の赤い鳥居は似ています。また、契約の箱を4人のレビ人が担いだことと、お祭のお神輿はにています。 私が今日いいたいことは、キリスト教とは、西洋よりも、ずっとずっと私たちこそ身近な宗教だと思います。それは、ヨーロッパ経由で伝わったので、欧米化したことは否めませんが、母のようなキリストの愛は、日本人の心情にマッチしますし、キリストのゴスペル(福音)は、日本の文化を変えてしまうのではなく、日本を生かすものです。 私たちは、先輩のいいところを学びますが、聖書に出て来る先輩たちや、アメリカの根底に流れているプロテスタントのキリスト信仰を学びませんでした。それは、宗教アレルギーゆえだと思います。しかし、これは宗教ではないのです。創造の神であり、私たちを愛する神の招きです。罪人である私たち全地類を救うために、今から2006年前のクリスマスの日に、イエス・キリストはこの地上に誕生され、十字架で救いの道を開いて下さいました。ですから、信じるだけで好くわれます。 キリストは今も、『すべて重荷を負って苦労している者は、私のところに来なさい。あなたがたを休ませてあげよう。』と招いています。私も、宗教は胡散臭いですから嫌いです。宗教は、因果応報を教え、こうしないとバチが当たると脅してお布施や出家を要求します。しかし、キリストはあなたを救います。宗教には魅力がありませんが、キリストには魅力があります。 そのキリストを、私は少しづつこの日記でみなさんに分かち合って行きたいと思っています。断って置きますが、私はキリスト教をみなさんには伝えませんよ。もしかしたら、真面目で敬虔なクリスチャンの人は「えーっ」と思うことがあるかもしれません。だって、道楽で牧師をしている書いちゃ、もはや宗教家ではないでしょ。しかし、私は命をかけています。この一回だけの人生のすべてをかけて、このキリストのゴスペル(福音)を伝えたいと思っています。 もし共鳴したり、共感出来るようなことがあったらコメントやメッセを送って下さい。そして、必ずしも共感してくれなくていいのです。しかし、そういう場合は、スルーして下さい。私はここで論争をしたり、争うつもりは全く有りませんから。ただ愛を分かち合い、ここで、生涯付き合い続けることが出来るような友達を見つけ、友情を深めて行きたいとは思っていますが、敵を作ったり、批判しあったりしたくありません。そうぞ、そんな暖かい交流をお願いします。 みなさんと出会えたことは、決して偶然ではありません。神の摂理であり、運命であると思います。ですから、この縁を、この出会いを大切にして行きたいと思っています。これからもどうぞ、よろしくお願いします。ありがとうございます。God blesuu you
2006年06月23日
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今社会に出て働いている人で、競争社会の厳しさを感じない人はまずいないだろうと思います。それを現実として受け入れることは大切なことですが、これを仕方ないこととして生きたらどうなってしまうでしょう。『忙しいんだ。邪魔しないでくれ。時間がないんだ。』と、生き馬の目を抜くような生き方をしてしまったら、相手には威圧感を与えるし、あなた自身を追い詰めてしまいます。競争の奴隷になっている人は、いつもテンションが高く、一触即発で大騒ぎするタイプの人が多いです。しかし、同じように忙しくても、そのプレッシャーや責任を楽しみながらこなし、心にゆとりをもっている人は、競争で追い詰められている人よりも遥かに効率よく仕事をこなすだろうと思います。私たちは、競争の罠から抜け出して、今日一日の楽しかったことや無事に仕事を終えられたことに目を向けてみましょう。競争の罠にはまったら、競争の奴隷となります。コンプレックスやジェラシーは、競争の奴隷になった人の心にあるものです。何事も楽しめる心。それは何にも勝って素晴らしい素質だと思います。それは、自分を造り、自分を生かしておられる方に感謝をする心からはじまると思います。競争から抜け出し、楽しい日でありますように。God bless you!
2006年06月22日
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毎日、自分のための時間を確保したいものです。その時間は、自分のためだけに使うのです。 といっても、手の込んだことをしたりお金をかけたりする必要はありません。 好きな食べ物を食べたり、詩を書いたり、読みかけの本の1章を読んだり、ただ何もしないで心を落ち着かせて過ごしたり、どんなことに使ってもしても、それが自分に取って楽しみや満足を与えるものであるならばOKです。 仕事に追われたり、家族や友人の要求に無理に応えているうちに、自分の人生はいとも簡単に犠牲になってしまうものです。 これからは、毎日、自分の必要を満たし、自分を回復するために、一日30分以上を確保しましょう。 私は、自分のためだけの時間に、バイブルを読んだり、祈ったり、本を読んだり、何もしないでぼーっとしたり、散歩をしたり、この日記を書いたりしています。 この自分だけの時間が、短くても、質の高い時間を確保できるなら、あなたの人生は、二倍にも三倍にも充実し、豊かになって行くと思います。そんな時間をお奨めします。 よい一日でありますように。God bless you!
2006年06月21日
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日本の家は自然の素材を使い、緑側や障子で自然を取り入れて来ました。しかし、外国の家は自然と闘い、遮断した心地よい空間を作ります。日本は、四季とともに生きて来ました。お花見、お月見、紅葉狩り等。茶室や石だけで作られた庭のように、限りなくシンプルだけれど、その中にある美しさを追求しました。外国の文化が入るようになって、派手に飾るのがいいとされるようにもなっていますが、本当の美しさは、さりげないものであったりもします。茶室は、いらないものをすべて取り去った空間です。私もそこでお茶をいただいたことがありますが、たった四畳か三畳半の部屋に、武士も商人も町人も刀を取り去り、同じ立場で座って一杯のお茶を飲み、一服する。さりげない、日本ならでは美しさを感じます。ありのままの自然の状態に逆らわない、質素な中にあるさりげない美しさ。今、豪華で便利で効率的なものを追及する中、本物の美しさを見失っているかも知れません。それは、私たちの心も同じです。さりげないシンプルな美しさを持ちたいものです。それは、不平不満等を捨て去って、ありがとうのシンプルな心を持つ。領収書には上様と書くことがありますが、この上様とは神様から来た言葉だと聞いたことがあります。どんなことがあっても、上を向いて、『ありがとう』と言える。そんなさりげない美しい心を持てたら素晴らしいです。今日、心も、シンプル・イズ・ベストです。無駄を削ぎ落とし、あの茶室が、千利休の哲学がこもっているように、私たちの心に、ありがとうがこもったら素敵ですね。よい一日でありますように。God bless you!
2006年06月20日
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「ありがとう」いう言葉は、なんて素晴らしい響きなんでしょう。最近、そんなことをひしひしと感じます。 ありがとうの漢字は、有難うと書きます。それは、有ることが難しい、有り難いことをしてくれた、有り難いことが起こったということなのです。 人が不幸になるのは、この「ありがとう」を忘れた時です。私たちの毎日の生活には、有り難いことに満ちています。驚きを通り越して、感動に満ちています。 それはもちんろん、私たちに取って都合がよく、快適なことばかりではありません。私たちの人生には、悲しみがあって、喜びもあるのです。しかし、そのどちらも有り難いことなのです。 バイブル(聖書)には、『いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことについて感謝をしなさい。』と書いてあります。 人生の暗い面にばかり目を向け、否定的な面にばかり感心を持つならば、おそらく、ありがとうという言葉は出て来ないで、不平不満しか出て来ないだろうと思います。 一人の長く生きられない男の子が、母の日におかさんにこう言いました。言葉もままならない言葉で、『お母さん、ありがとう。僕を生んでくれてありがとう。』 かつては人生をのろい、自分が生まれたことに不満を持っていましたが、ある日彼は、キリストの愛に出会いました。ありのままの自分を愛してくれる愛に、忘れかけていたありがとうを思い出しました。 この男の子の「ありがとう」を聞いて、その場に居合わせた、精神病を患っていた女性は、体を震わせて号泣しました。自分は、この男の子よりも遥かに幸せなはずなのに、自分に恥ずかしくなり、この時から、精神病は回復して行きました。 「ありがとう」を忘れている人がいないでしょうか? 失って初めてわかるのでもいいですが、今あるものに「ありがとう」を言ってみませんか? 「親孝行、したい時には親はなし」ということがあります。両親に「ありがとう」を言ってみませんか? また、目が見え、口で食べ、鼻でかげ、耳で聞こえ、歩けることに感謝してみませんか? そして、有り難いことを行なわれる方に「ありがとう」を言ってみませんか? ♪上を向いて 歩こう♪という歌がありましたが、上(神)を向いて、「ありがとう」と言ってみませんか? 昨日、ミクシィ・フレンドから教えてもらった「ありがとう」って言いそびれたヤツいる?というページを紹介します。ありがとうを忘れた人にありがとうを思い出してもらいたいです。 → http://pya.cc/pyaimg/pimg.php?imgid=6133target=_blank 「ありがとう」、この言葉を惜しまずにもっと使って行きましょう。「ありがとう」を言ったから何か損することはありませんし、自分の心も言われた人の心も暖かくなり嬉しくなります。そんな魔法の一言を言ってみましょう。 よい一日でありますように。God bless you!
2006年06月19日
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私たちは、成長過程において段々人の意見が気になるようになっています。その原因は、両親や学校の先生から、「人にどう思われるか? どう言われるかを考えなさい。」と言われ続けて来たからです。ですから、他人にどう思われるかを優先して気にするようになりました。そして、他人からどう思われるかを気にするあまり、自分のための生き方ではなく他人のための生き方を追求するようになっています。それは、他人から期待されることや他人から賞賛を得られそうなことを行動指針にするようになりました。他人の意見を優先すればするほど、自分が本当にしたいことをする自由が失われて行き、自由にものを考えることすら出来なくなってしまいます。バイブル(聖書)には、『人を恐れると罠にかかる。』と書いてあります。人は恐れたり気にする存在ではありません。愛する存在です。私たちの行動基準は、人がどう思ってるか?で決めるのではなく、自分の意志で決めるべきであり、人を愛することを行動基準に出来たら素晴らしい生き方になります。そして、人を愛するならば、充実感に溢れ、幸福な生き方に繋がって行きます。そしてあなたは、自分がしたいことをしていいのです。それは、必ず人を愛することに繋がって行くと思います。人は、自分中心に考え、自分だけを喜ばせようとしても幸せになれません。しかし、愛するならば、幸せになれます。私は未だに、人を愛して不幸な人を見たことがありませんし、自分だけを考えて幸福な人を見たことがありません。自分がしたいことが幸福な生き方に繋がっている人は素晴らしいと思います。あなたはどうですか?今週も、自分したいことをしながら、幸福な一週間となりますようにとお祈りしています。よい一週間でありますように。God bless you!
2006年06月18日
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私たちは、悩んでいたり、気落ちする人に、何とか励まそうとして、逆に、傷口に塩を塗るようにして、傷つけたり、寂しい思いを与えたりすることがあります。 私の神学校時代の同級生の奥さんが、ある日、癌で召され(亡くなり)ました。まだまだ若い方でしたので、それは本当にびっくりしました。その一報が入った時、私は、家族で東北方面に宣教旅行をしていました。ですから、お葬式には、残念ながら参列することが出来ませんでした。 宣教旅行を終えてすぐに、その同級生の家に電話をかけました。私は電話の向こうの彼の声を聞いたとたん、言葉を失ってしまいました。普通ならば、何とか言葉を話さなければいけないと思うのですが、約1分間の沈黙が続きました。 彼は、電話を切る寸前に、「みんな、奥さんが天国に行って『ハレルヤ!ですね。』とか、『感謝ですね。』と言ってくれたけど、今の俺には全然そうは思えない。むしろ、菅ちゃん(私のこと)のように、何の言葉も出ないで、沈黙を持って語ってくれたのが全然真実だし、式には来てくれなかったけど、それ同等にうれしかった。」と言ってくれました。 例えば、鬱病の人に、「がんばりましょう、神がついてますよ。」とか、「祈って、勝利しましょうね。」というのは禁句だそうです。もちろん、その言葉がいけないのではなく、がんばりたくてもがんばれない人に、「がんばれ!がんばれ!」を言うよりも、がんばれないその弱さや心、状態を理解して、がんばれる力を提供することが出来たら、どんなに大きな助けを与えることが出来るでしょうか? そのために、主のなぐさめを頂くことです。主は遠く離れておられる方ではありません。あなたのただ中にまで来て下さり、あなたの存在の一部となって、あなたを理解して下さいます。この方の名前は、別名、インマヌエル(神、我らと共にいます。)であり、イエス・キリスト様です。この方は、人となって馬小屋に生まれ、あなたの心の汚れという飼い葉桶にまで来て、あなたを慰めて下さいます。その慰めを持って、他者に関わるのです。また、慰める言葉が見つからないような時には、無理に慰めようとしないで、黙ってそばにいてあげることだけでもいいのです。
2006年06月18日
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