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私は、今までにも多くの人にこのメッセージを伝えて来ました。あなたは、あなたで大丈夫。愛されています。最高に素晴らしい存在です。このメッセージを聞いた人の中で泣いた人もいます。それは、私は大丈夫と思えないで生きて来たのだと思います。自分なんか容姿はよくないし、才能もないし、大きなことを成し遂げる力もないし、ダメな存在だ。そう信じて疑わない人が多くいます。日本では、ここ7年間、毎年自殺者が三万人を超えています。これは、公式な数字です。ですから、未遂者ではなく、自殺をしても、それを世間体のゆえに違う名称にしている死が、一説に拠ればその10倍もの数に達するのではないかと言われます。このような数は、どんな戦争でも、どんな飢餓でも、交通事故でも、そこまでの死者はありません。その自ら死を選ばなければならなかった人は、私なんかダメだ!クズだ!バカだ!のろまだ!存在しない方がいい!消えろ!死ね!そう自分に対して思ってしまったのではないかと思います。もちろん、聖書に拠れば、それは事実です。人間はみな罪人であり、何もよいところがないほど堕落し、絶対絶望的な存在です。しかし、それは半分です。しかし、その私たち、そのあなたのために、神の一人子イエス・キリストは、2006年前のクリスマスの日にこの地上に来て下さり、私たちの罪を赦し、購い、聖めるために十字架にかかって死んで下さいました。ということは、神に取っては、ダメな存在、よいところは何もない存在。しかし、そのあなたを救うために、一番大切な一人子の命を犠牲にされたのです。ですから、あなたは、キリストと同等か、それ以上の価値のある存在だと言っても言い過ぎではありません。ですから、あなたは今のままで愛されていますし、今のままの大丈夫です。もちろん、これは、今のままから成長をストップさせるのがいいと言うのではありません。愛こそ、人を成長に向かわせるのです。自分をわかってくれ、自分を認めてくれ、自分を知っていてくださり、かつ味方でいてくれる人がいる。これこそ、私たちを生かす力です。人は、あなたの現状を見て、あなたを批判したり、あなたを受け入れなかったり、あなたを蔑んだり、ダメな人間としてのレッテルを貼るかも知れません。いや、自分でも、そのように考えてしまうかも知れません。しかし、神は絶対にそのように考えていません。むしろ、何よりも尊い、大切なあなた、愛しているあなた、そのあなた自身が、あなたを低く見たり、そのあなたを低く見る人がいたら、神はどれ程心を痛めておられるでしょうか?どうぞ、これからは、あなた自身を絶対に蔑んだり、卑下したり、悪く言わないで下さい。そして、人に対しても、たとえそう思えたとしても、その人の可能性を信じ、神の目に映るその姿を見るようにして下さい。どうぞ、お願いします。みなさん、これこそ真理なのです。事実はダメかも知れません。しかし、真理のあなたは大丈夫なのです。だから、真理はあなたがたを自由にするのです。この言葉は、国会図書館に刻まれています。今日、心の中で言って下さい。そして、鏡を見て、口に出して言って下さい。「私は大丈夫」と。これがあなたを生かすのです。そして、私は大丈夫と思えたら、ああ~私の人生はいい人生だな~と思えますし、あなたの人生の全てに意味や価値が与えられます。そして、幸福になります。どうぞ、幸福になって下さい。あなたは幸福になるために生まれて来た人なのですから。そんなあなたを愛しています。God bless you!
2006年11月30日
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夢を持った私たちは、最後のメッセージとして「ネバー・ギブアップ」です。私たちが共通して持っている弱さの一つは、熱しやすく冷めやすいことです。また、目に見えるものに影響されやすいということです。このような状態では、絶対に夢を実現させることは出来ません。野次馬根性という言葉がありますが、人が集まっている所に集まりたくなります。また、流行や人の動向を意識し、影響されます。今、日本では、クリスチャンの割合が1%以下です。しかし、これを世界中で見るならば30%以上の割合になります。日本は島国ですから、外国の影響をダイレクトに受けませんが、もし、日本の30%以上の人がクリスチャンだったらどうでしょうか? おそらく、右に倣え的に、多くの人が教会に足を運ぶのではないかと思います。青信号、みんなで渡れば恐くない、というのも、私たちの心情をよく捉えた表現だと思います。みんながやってるからやるし、みんながやっていないからやらない、と言う考えであったら、自分を持っていないことになります。しかし、案外私たちは、それを無意識に行なっているのです。だから、人生の青写真である夢が必要なのです。夢はビジョンです。実態はないように感じます。しかし違うのです。夢は、私たちの世界が3次元であることに対して、4次元なのです。より次元の高いところで起こることは、低い次元にも起こるのです。ですから、夢は、必ず実現する方向に働くのです。これは、赤ちゃんが妊娠し、誕生する過程に譬えることが出来ます。夢を描き、情熱を持って祈る時に、夢が妊娠します。そして、徐々にそれが育って行きます。しかし、その途中であきらめてしまったら、夢は途中で流産してしまいます。残念です。だから、ネバー・ギブアップなのです。夢を実現に至らせる過程は、妊婦さんに似ています。それを生み出すまでには、苦しみや犠牲が伴いますが、誕生した時には、その全てを忘れてしまうほどうれしくなります。そして、やがてあなたの夢は誕生するのです。ですから、ネバー・ギブアップ! 決して、あきらめないで下さい。多くの夢を実現できなかった人の特徴は、夢を現実にすることを目前にしてあきらめてしまった人です。あなたは、夢の実現を目前にしてあきらめる人ですか? それとも、夢を持ったら、絶対にあきらめない人ですか? 是非、ネバー・ギブアップ! 決して、あきらめない人になって下さい。そして、是非、あなたの夢が実現した時には、私までメールを下さい。コメントでもいいです。その夢の実現を共に喜びましょう。その日まで、ネバー・ギブアップ!です。決して、あきらめないみなさんに、神様の祝福がありますように。God bless you!
2006年11月29日
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夢について続けて語っていますが、このような内容は、自己啓発的な本を読めば知識として書かれていると思います。しかし、それを実践して、本当の意味でその夢を実現させた人が果たしているでしょうか? もちろん、たくさんいらっしゃるかも知れませんが、私が聞く範囲では、確かにお金持ちにはなったが、幸福ではないとか、成功はしたが、人間関係がうまく行かないと言うような話しです。聖書には、私たち人間は、みんな罪人であると教えます。その罪人の延長上で、いくら背伸びし、努力してがんばっても、所詮、五十歩百歩、どんぐりの背比べです。ですから、その古い身分に死んで、新しい身分に生まれ変わることが必要です。一体、新しく生まれ変わることなんか出来るのでしょうか? もう一度お母さんのお腹の中に入るのでしょうか?聖書には、新しく生まれ変わらなければ、神の国を見ることが出来ない。と語ります。つまり、新しい身分にならなければ、真の意味での夢の実現は不可能なのです。確かに、野心や野望は遂げることが出来るかも知れません。富や権力を手に入れることは出来るかも知れません。しかし、さらに孤独になり、さらに心が乾き、愛に飢えて、不幸になります。新しく生まれ変わる秘けつは、イエス・キリストが十字架にかけられた時、私も一緒にそこで死んだことを信じることです。そして、十字架から私たちは新しく誕生したことを信じることです。新しく生まれたあなたの身分は、罪が赦され、義人となり、神の子どもとされました。また、悪魔から解放され、聖霊に満たされました。また、心と体の健康が与えられました。そして、呪いや貧しさから解放されて、アブラハムの祝福と豊かさと繁栄が与えられました。そして、死と地獄は撤廃されて、天国人になりました。これが、あなたの新しい身分です。そして、身分が変わったら環境が変わり、全てが変わります。古い身分のままに夢を実現させるためには、白く塗った墓石を、高級な大理石に見せるようなものです。時が来たらメッキがはがされ、元の木阿弥になります。それは空しい人生です。しかし、新しい身分を持った人は、墓石から大理石に変えられたようなものです。決して、延長線上にはありません。質的に変えられたのです。そして、水とぶどう酒が質的に違うように、あなたは新しく変えられたのです。どうぞ、この新しい身分を持ち、新しい身分を信じ、そして、夢に向かって下さい。新しい身分の人は、運命的に夢を実現させることが出来るし、運命的に成功し、運命的に豊かで幸せな人なのです。今日も、新しい身分を持ったあなたに、神の祝福を心からお祈り致します。God bless you!
2006年11月28日
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夢のシリーズはまだ続いています。夢を実現させるために必要なことは、夢を信じ切ることです。ですから、いくら夢を描いていても、半信半疑で、現実になったらラッキーだし、適わななくてもダメ元だから、というレベルでは、夢が現実になる日はまだ程遠いかも知れません。夢を信じ切れたら、それが夢か?現実か?わからなくなる程、リアルな実感となります。ですから、頭で夢を見る次元から、体全体で夢を見る次元にまでならなければいけません。そのために必要なことが祈りです。バイブル(聖書)のルカの福音書18章には、不正な裁判官の譬え話が書かれています。一人のやもめの女性が、神を信じず、悪い裁判官でしたし、お金にならない裁判には興味がない人でしたが、繰り返し、「私の敵を裁いて下さい。」と訴え続けました。それがどれくらいの期間続いたかわかりませんが、何ヶ月にも渡ったかも知れません。その結果、あんまりうるさいので、仕方なく、そのやもめの女性の言う通りの裁判をしてあげました。その聖書の言葉は、「まして天の神は、私たちの祈りに答えて下さるから、失望しないで祈り続けなさい、」と締め括っています。ですから、どうぞ、あなたを創造し、あなたに命を与え、あなたを愛しておられる神に祈りましょう。ただ、あなたの夢の実現を繰り返しお願いし、繰り返し祈って下さい。そして、その祈りは、体全体で夢を見ることが出来るまで続けて下さい。もう夢か幻か現実かわからなくなる程にまでなった時、その夢の実現の日が近づいたか、その夢のために一歩踏み出す時が来ました。ですから、夢は、信じ切れてないうちに慌てて何かをしようとしないで下さい。これが徒競走であるならばフライングに当ります。夢は、「よし出来る!」と、確かな手ごたえ、確かな実感が来る時まで、まずは祈ることです。そして、祈るならば、野心や野望ならば消えて行きますし、夢ならば、もっと強い願望や情熱が湧き上がり、必ず実感を感れるようになります。但し、そこまで達するのには、すぐ適う場合もありますが、夢が大きければ大きい程時間がかかります。ある場合は、何年もかかるかも知れません。しかし、そこであきらめてしまったら元の木阿弥です。祈りは必ず答えられます。ですから、祈り続けて行きましょう。まずは、こんな祈りからはじめて下さい。「神様、私は罪人です。しかし、そんな私を愛して下さりありがとうございます。イエス様の十字架によって、私の罪を赦して下さい。」とまず祈ったら、神様との関係が回復しますから、続いて、「私には夢があります。・・・を実現させて下さい。・・・を実現させて下さい。・・・を実現させて下さい。・・・を実現させて下さい。・・・を実現させて下さい。」と祈って下さい。みなさん、夢とは、ただ眺めて楽しむためのものではありません。実現させるためのものです。どうぞ、そのために、共に祈って参りましょう。神様はあなたを愛しています。神の目から見たら、あなたはVIPなのです。ですから、あなたの祈りを神様は喜んで下さいます。祝福がありますように。God bless you!
2006年11月27日
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昨日は、パッションの一つの意味の受難ということを考えてみました。夢を持ったら、それを実現させるためには、必ずそのような苦しみに会わなければなりませんし、その中で、その夢にふさわしい人格が造られるということをお話しました。パッションのもう一つの意味は、よく知られていることだと思いますが、情熱です。夢を実現させるために、次にどうしても必要なのが情熱です。その夢を持ったら、その夢を何が何でも実現させたいという情熱を燃やして下さい。この情熱の炎は、それを妨げる否定的な考え、マイナス思考、あきらめてしまう弱い心を燃やし尽くして、それを炎として、夢の実現に向かわせます。私が、この夢という言葉と、野心や野望を意図的に使い分けているのには理由があります。野心や野望は、非常に自己中心的な性質を持っています。「自分だけが良くなりたい、そのためには、他人を蹴落とすこともいとわない。」という心を持ちます。しかし、夢は、「みんなで良くなりたい。そのためには、みんなで一緒に夢の実現に向かいたい。」という心になります。ですから、夢は人に伝えることが出来るものです。野心や野望ならば、内に秘めておく必要があります。なぜならば、容易にそれを人に話すことによって、その夢が妨げられたり、先を越されてしまう可能性があるからです。そして、野心や野望は、実現したとしても、いくら飲んでも喉を潤さない塩水のようなもので、ますます空しく、ますます心が乾きます。そして、情熱を持ち続けることは困難です。しかし、夢に対しては、限りない情熱を燃やし続けることが出来ます。そして、その夢の実現のためならば命をかけてもいいとさえ思えるものです。どうぞ、今一度あなたの夢を吟味し、その夢に対して情熱の炎を燃やして下さい。そうしたら、その炎は、全ての夢の妨げを燃やし、黒焦げにさせ、その夢に向かってのエネルギー、エンジンとなり、ターボとなって、あなたを前進させます。どうぞ、パッションの人、情熱の人となって下さい。それは、正しい夢に対してのみ燃やせるものです。あなたには夢があります。どうぞ、その夢にパッション、情熱を共に燃やして行きましょう。よい一日でありますように。God bless you!
2006年11月26日
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パッションという英語の言葉には、2つの意味があります。一つは情熱です。このテーマに関しては、明日お話しいたします。今日は、もう一つのテーマである、受難ということについてお話しします。少し前になりますが、アメリカのメルギブソン監督によって作られた、パッションというキリストの十字架の受難を描いた映画が大きな話題になりました。これは、あまりにも壮絶なありのままのキリストの十字架を描きました。アメリカでは、気を失ったり、心臓麻痺で亡くなってしまった方もおられたそうで、ますます大きな反響が沸き起こりました。そして、あるシーンは、18歳未満の未成年者には見せてはいけないということまで決められたくらいです。それ程、キリストの受けた十字架の苦難は大きかったのです。昨日は、夢を信じるという話をしましたが、その夢を信じて、夢に向かって生きる時に必ず生じるのがこのパッション、受難です。夢を持って、夢を実現させる過程において、受難は必須科目のようなものです。ですから、多くの人は、そのような苦しみに会うくらいならば、夢をあきらめて、夢を持たないで、妥協し、平和に生きた方がいいと考えます。しかし、そこには、無意味と無気力と空しさだけが残ります。夢を持つ人が、その夢を実現するためには、パッション、受難という橋を渡らなければならないのです。なぜならば、現在の状況と、夢の実現の間には、大きな溝があるからです。ですから、そこに橋をかけ、その橋を一歩一歩渡って行かなくてはならないのです。旧約聖書の創世記に出て来るヨセフという人は、夢を持つ人でした。しかし、その大きな夢のゆえに兄弟から妬まれ、エジプトという外国に身売りされました。ヨセフは、そこで奴隷とされました、しかし、そこで忠実に使えましたが、主人の奥さんから濡れ衣を着せられ、牢屋に入れられました。それは彼にとっての思春期でした。彼がもし、神を知らず、夢を放棄したならば、間違いなく自殺したのではないかと思います。すごい受難を経験しました。しかし、長い年月の後、その現実と夢の狭間にある溝に橋をかけたヨセフは、その夢の通り、エジプトの総理大臣となり、ヨセフの兄弟がヨセフに頭を下げました。このヨセフの受難に何か意味があったのでしょうか? ヨセフがその苦しみに耐えたから、神様がご褒美として夢を実現させてあげたのではありません。その苦しみの中で、ヨセフがその総理大臣にふさわしい人格を育てる期間となったのです。彼は、父親から溺愛され、お母さんが何人もいましたから、複雑な家庭環境の中で、歪んだ人格を持っていただろうと思います。しかし、そのヨセフが、自分を裏切った兄弟たちを、後には、完全に許し、また、この苦しみは、神が飢餓からの救いのために、私を先に遣わされたのである、と言いました。何一つ恨みませんでした。彼をそのように育てたのは牢屋の受難でした。それが、現実と夢にかける橋をかける作業だったのです。この橋とは、彼自身の人格であり、彼の成長過程でした。ですから、夢を持っているみなさんが忘れてはいけないことは、夢を実現させるためには、このような受難を経験しなければならないと言うことです。その夢を実現させるためには、あなたがその夢にふさわしい人にならなければならないのです。そのために、絶えず夢を心に描きながら、その夢の実現を信じ、夢に向かって毎日軌道修正しながら歩み続けて行きましょう。いつの日にか、その夢は必ず実現させることが出来るでしょう。この夢についての一連のお話は、数回前の、目標を明確にするというところからシリーズとして扱っています。今日はじめて読んで下さった方は、その日記から目を通して、読み直して下さいますようにお願いします。必ず、あなたの人生に取って有益となり、あなたの人生を革命的に変えてしまうだろうと思います。共に、夢に向かってますます邁進して参りましょう。神の祝福がありますように。God bless you!
2006年11月25日
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昨日は、夢の軌道修正ということをお話ししました。夢の軌道修正というのは、実は、随時行なって行くことが必要です。それは、大海原に浮かぶ一艘の船を思い出して下さい。船は、海図やGPS等を利用して、目的地に向かって真っ直ぐに航海します。しかし、風や波の影響があるので、気がつくと目的地と進行方向がずれてしまうことがあります。そんな時、舵を握る船長は、船の方向を変えます。私は、小型船舶の1級を取得しましたので、何度か海で船を操縦したことがありますが、進行方向は、気がつけば狂ってしまうので、随時、船の進行方向を変えました。聖書が教える悔い改めとは、心の向きを変えるということです。夢の向きは、この生き難く、競争原理の社会の中で生きていて、容易に方向が狂ってしまいます。ですから、夢の軌道修正は、随時行なって行くのです。そして今日は、その夢を信じるということが必要です。信じる、信仰ということは、選択することです。ある人は、「私には信仰がないので信じることが出来ません」と言いますが、信じることは誰にでも出来るのです。それは、あなたの夢を信じるか? 信じない?かの二者一択なのです。それは、あなたの自由意志に関わっています。それはあなたが決めることが出来ます。その決定を脅かせる人は誰もいません。なぜならば、あなたの人生を航海に譬えるならば、船の船主は神様ですが、船長はあなたなのです。ですから、あなたの意思で、あなたの夢を信じることを選び、信じることを決断して下さい。それを断固として選び取って下さい。私たちが、いくら偉大な夢を持っていたとしても、それを信じなかったら、その実現に、自分でブレーキをかけてしまっているようなものだからです。そして、「夢を実現させたいけれど無理だ」と思ってしまったら、その場所に船の錨を下ろしてしまうようなものです。私たちは、そのい錨を船に上げ、いや、錨の鎖を断ち切ってでも、夢を信じて前進したいものです。どうぞ、あなたの夢を信じて下さい。あなたの夢を決して疑ったり、あきらめないで下さい。夢を持ったら、絶対に実現できるか?と聞かれたら、それはわかりません。しかし、夢を持たないよりは、はるかに、その夢に短時間に、最短距離で、向かうことが出来ます。今日、与えられたあなたの夢を信じて参りましょう。よい一日でありますように。God bless you!
2006年11月24日
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昨日は、夢を描くということをお話しました。夢というのは非常に重要です。今現在、この世界を導いているのは、5%以下の夢を持った人たちだと言われます。後の95%以上の人たちは、それに追従している人たちです。あなたは、5%の中に入りますか? それとも、95%の中に入るでしょうか? どちらも大切な人生です。しかし、目標を持って、それを夢に描き、それに向かって生きている人は限りなく少ないということです。しかし、ここで、夢を持って世界を導いている5%の人になるのがいいという話をしているのではありません。それよりも、遥かに大切なことがあります。それは、どんな夢に向かっているか?ということです。夢は吟味されなくてはいけません。まず、核爆弾を持って世界制服する何ていう夢は論外ですが、よい夢のようでも、動機が不純な場合があります。お金持ちになるという夢や、大きな地位や名誉を得ると言う夢は素晴らしい夢です。しかし、その動機が、自分だけを喜ばせ、自分だけを肥やし、自分だけのための利己的であるならば、その夢はもう一度考え直した方がよいです。夢は、世界が幸せになり、救われることを目的としなくてはいけません。それでこそ、そのあなたの夢を世界が応援してくれるのです。もし、利己的な夢であるならば、必ずどこかで挫折したり、壊滅することになります。利己的な夢は、目的のためには手段を選ばないようになるからです。夢の達成のためには、罪を犯し、汚職をし、卑劣な手段さえいとわなくなります。しかし、動機が純粋で、よい目的を持った夢は、決して無理な方法で実現させようとはしません。しかし、そのよい夢は、自分でも心から応援できるし、世界がその夢に応援できるし、神様も、その夢を助けて下さいます。今日、あなたの持っている夢を吟味して見て下さい。その夢は、昨日や今日持ち始めた夢ならば、すぐに軌道修正できるでしょうが、何十年も持ち続けた夢かも知れません。しかし、もし、動機が不純で、よくない夢を持っていると気付くならば、知らん振りをしないで下さい。それは、上着のボタンの掛け違いをしているようなものなのです。最後まで来て、もう一度全部を外してやり直すならば、今、やり直した方がはるかにいいからです。最後とは、私たちの人生の最後です。死を目前にして、「自分が描いて来た夢は間違っていた。」と思うならば、悲劇です。ですから、もし、夢の軌道修正をした方がいいと思ったならば、大胆に、今日、夢の軌道修正を行なって下さい。そして、夢の動機を純粋にして下さい。動機は、愛か? 欲か? いつも吟味して下さい。夢の動機を、愛にして下さい。この愛は、約2000年前、キリストが十字架の上で現わしました。あなたの救いのために、自らの命を喜んで犠牲にしてくれました。ここに愛があります。ですから、愛とは、他者の幸せのために、自分を喜んで犠牲にできる心です。もし、このような政治家が誕生したら、この国の未来に希望があります。また、このような教師がいたら、教育に希望を見つけることが出来ます。そして、このような愛を持ったあなたがいるから、この世界には希望があります。この世界を変えるのは夢を持った人です。ですから、この世界を変えるのはあなたからです。どうぞ、よい夢を、よい動機で、そして、偉大な夢を、遠慮しないで描いて下さい。そして、その夢を持った人たちの夢が合わさって、世界は素晴らしい方向に向かって行くのです。あなたの夢が鍵です。God bless you!
2006年11月23日
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昨日は、目標を明確にすることをお話しましたが、人生に目標を持つということは非常に大切なことです。目標を持ったら、次に、その目標が実現している姿を心に思い描くことが大切です。これは、何も新しい難しい話をしている訳ではありません。みなさんの子どもの頃を思い出してください。きっと、多彩な夢をありありと描いて楽しまれたことと思います。子どもは、夢中になって夢を描きます。夢は、大学に行かなくても、博士にならなくても、誰でも見ることが出来ます。むしろ、学識や、現実という大きな壁が、夢を見ることを難しくしているかも知れません。しかし、夢は夢ですから、どんな夢を描くことも自由です。夢を見るのに遠慮することもありません。どうぞ、大胆に、伸び伸びと、ありありと夢を描いてみて下さい。みなさんの人生目標が実現している姿を描くのです。そして、その夢と現実の区別がつかなくなる程に躍動感のある夢を持って下さい。そうしたら、まず、心が楽しくなります。たとい、今、現実の壁が高く立ちはだかり、問題に押しつぶされそうになっていたとしても。また、失望し、挫折し、絶望的な心の状態であったとしても、そこに一縷の光を見出し、希望を持つことが出来ます。そして、夢は、目標が単なる文章であったのに対して、画像ですから、もっと力強くその実現に向かって行くことになります。しかし、夢を持つと必ず起こることがあります。それは、逆風が吹くということです。その夢を描くことが馬鹿らしくなってしまう程の夢と逆方向の現実がやって来ることもあります。そこで多くの人は夢をあきらめてしまうのです。しかし、その逆境は、あなたがその夢を実現させるにふさわしい人に成長させる時なのです。そして、その逆境の苦しみと孤独な中で、人は成長するのです。そして、その夢を実現するのにふさわしいところにまで成長した時に、その夢は実現するのです。太平洋も横断できるヨットを見てください。ヨットは、順風の時にも前進できますが、逆風の時にも、その帆の向きを変えることで前進させることが出来るのです。私たちが成長するならば、ヨットのように、順風も、逆風も、前進させるエネルギーとすることが出来ます。ですから、今までは、順風が吹いている時は喜び、感謝しましたが、逆風が吹き始めた途端、悲しくなり、愚痴や不平不満を言っていただろうと思います。しかしこれからは、順風も逆風も、そして、無風の時も嵐の時も、感謝して、それを前進に向かわせるエネルギーとすることが出来ますように。その秘けつは、どんな時にも感謝することです。聖書の中には、『いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことに感謝しなさい。』と書かれています。あなたが夢を描き、そして、その夢を描き続け、そして、その夢を夢で終わらせないで実現させるためには、どんな状況の中にあっても感謝し、夢を見続けて行くことです。一回の人生です。夢を描き、それを実現させて行きたいですね。今日も読んで下さってありがとうございます。素晴らしい一日でありますようにお祈り致します。God bless you!
2006年11月22日
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私たちの人生はたった一度だけです。そうしたら、一日一日、一瞬一瞬は、非常に貴重な時間です。今の時は二度と戻って来ませんし、必ず終わりがあります。聖書には、永遠の命があることを教えますが、そうだとしても、この地上の人生は一度だけです。その人生を効率よく、完全燃焼して生きるためには、目標が必要です。そして、この目標とは人生目標です。この一度の人生で命をかけて成し遂げたいことです。目標の大切さは、スポーツを見てもわかります。例えばゴルフです。ゴルフは、適当にボールを打つ競技ではありません。あの小さなホールに球を打ち込むという明確な目標を持って打って行きます。サッカーも、適当にボールを蹴っているのではなく、敵のゴールにボールを蹴り込むという明確な目標を持って戦っています。マラソンは、42.195Km先のゴールに一番で走り抜けることを目標にしています。私たちの人生は、これらのスポーツよりも遥かに貴重なものであり、尊いものであり、重みのあるものです。その人生を適当に場当たり的に生きたり、その都度目標が変わるような生き方をして、後で、「こうしておけばよかった」と言っても遅すぎます。ですから、今から出来ることがあります。それは、紙と鉛筆を用意して、自分一人だけの時間を持って下さい。朝一番とか、寝る前等が一番いいです。その時間によく考え、自分の心に問いかけ、神に祈ってみることです。そして、思いつくものをすべて書き出してみることです。そして、書き出したならば、それを絞り込んで行きます。それは、神に祈ることが一番です。祈りは、さほど重要でない目標をふるいにかけます。そして、最後には、本当に重要な目標だけが残ります。それがたった一つになるまで、祈って、絞り込んで下さい。そこまで定まったら、後は、寝ても覚めても、その目標を目指して生きて行くことです。時には、後退したり、道を反らすこともあるかも知れません。しかし、目標に向けて軌道修正をしながら生きて行くのです。今、人生の意味を見失って引きこもりになったり、ニートになったり、自殺願望を持って生きている人が多くいます。しかし、たった一度の人生をそのような時間を過ごしてしまったらもったいです。その人は、人生の目標を失ってしまっています。しかし、誰にだって、一度の人生で成し遂げたい使命があるはずです。これは、野心や野望とは違います。使命とは、命を使うと書きますが、ろうそくは、自分の体を燃やして周りを明るくするという使命を持っています。そのように、あなただけに与えられた独特な、特別な、唯一の使命があるはずです。どうぞ、その使命を成し遂げる目標を発見して下さい。しかし、どうしても目標がわからないという人は、メールを下さい。お祈りをさせてもらいますし、助言をさせてもらいます。あなたにはすでに目標があるのです。しかし、それに気付かないだけですから。そして、みんな、それぞれに与えられた目標を目指して歩んで行きたいものです。今日も素晴らしい一日でありますように。God bless you!
2006年11月21日
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私たちに人間にとって、健全な自己愛は大切なものです。自己愛といいますと、ナルシズムをすぐに連想してしまって、甘えと自己陶酔の否定的なイメージがあります。しかし、人には、心の深いところで自己愛への欲求があります。ですから、人から認められたい、人から受け入れられたい、人から愛されたいという気持になって現われます。しかし、自分でも愛せない自分を人に愛してほしいと求めても土台無理です。ですから、自分をいい悪いと判断しないでそのまま受け止め、そのまま愛して行くならば、他の人からも愛を受けやすい状態になります。また、自分で自分を愛せるならば、心に満足がありますから、必要以上に人からの愛を求めなくなりますし、むしろ、人を愛する心のゆとりすら出てきます。そうしますと、さらに愛されやすい人になります。そして、自分を健全に愛せるならば、自然に謙遜になれますし、自己顕示をしたり、自惚れたり、自慢をすることもなくなります。ですから、ますます愛されやすい人になります。そして、人が自分を愛する分量と、他者を愛する分量は正比例しますから、自分を愛せるほど人を愛せるようになります。そうしたら、誰からも愛される人になります。しかし、自分を愛することは、実は非常に難しいのです。自分に何か誇れる部分や才能、容姿等があるならば、その部分を愛することは出来ますが、好き嫌い、善悪、優劣を乗り越えて、そのまま愛するのは至難の業です。しかし、ここに一つの自分を愛する秘けつがあります。それは、イエス・キリストの十字架です。多くの若者が十字架(クロス)のアクセサリーを身につけています。しかし、その原型は、人類史上最も惨い死刑の処刑道具です。なぜ、そんな十字架に人気が集中するのでしょうか? そこには、何らかの魅力、何らかの惹かれる部分があるからではないでしょうか? それは、約2000年前、キリストがあなたの身代わりとして十字架で血を流して、肉を裂いて死んで下さいました。それは、あなたを愛しているからです。その十字架によって、神はあなたのあるがまま、今のままの状態で愛し、受け入れ、救って下さいます。その神の目によって自分を見るのです。これが、自分を健全に愛する唯一の鍵です。自分の一部分を過大評価したり、好きな部分だけを愛するということは、実は、ナルシズムに繋がります。しかし、あるがままを丸ごと愛するのは健全な自己愛なのです。ここに、人生を幸せにする秘けつが隠されています。自分の居場所を失っている人に確かな場所を与えることが出来ます。そして、あなたが心で求めていることの答えがここにあります。それは、イエス・キリストの十字架にこそあります。それが自分のためであり、神があなたを愛していることを信じて下さい。最高に素晴らしい一日でありますように。God bless you!
2006年11月20日
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神様は、私たち人類にすべてを無料で与えて下さいました。この地球を造り、そこに陸地と海を分け、海には魚を、陸地には動物や植物を与え、四季や季節、色々な天気を与え、快適に生きていけるように、すべてを整え、無料で与えて下さいました。そう言っても、スーパーに行って、魚も肉も、野菜もキノコも、すべてお金がかかります。でもそれは、その取り賃であり、運び賃であり、すべて人件費です。すべてはただです。それを考えたら、どれほど大きな恵みでしょうか? 人は働かなければ生きて行けませんが、そのための健康を神様は下さり、仕事を通してのやりがいや充実感を与え、基本的に生きて行くために必要な空気を与え、必要のすべてを与えられました。そして、極めつけには、2006年前のクリスマスの日に、一人子イエス・キリストまで与えて下さいました。そして、十字架にかけられ、信じるだけで救われるようにして下さいました。信仰によって恵みによって、罪が赦され、聖霊に満たされ、健康が与えられ、アブラハムの祝福が与えられ、天国が与えられました。すべて無料です。私たちは、これに対して何のお返しが出来るでしょうか? 実際、すべてをささげても、神様以上に私たちがささげることは出来ません。ですから、少なくても週一度、日曜日は、神様の前に出て礼拝を致しましょう。新宿福興教会では、毎週日曜日、朝10半と夕方4時半から礼拝を行なっています。また、ホームページから、礼拝の生中継も見ることが出来ます。どうぞ、共に、礼拝を致しましょう。これが、すべて無料で与えて下さった神様に対しての、せめてものお返し、恩返しになります。よい日曜日となりますように。
2006年11月19日
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聖書は、『あなたの父と母を敬いなさい。』と教えます。現代の日本は、一言で言えば、権威が崩れた国です。学校の教師と生徒の間に、友達のような親しい関係はあっても、先生の権威は地に落ちてしまったかのようになくなってしまっています。それは、親子の関係の中にあってもそうです。以前なら、親の声は神の声であるかのように子どもは捉えたものです。しかし、現代の日本にはそれは通りません。お隣りの韓国は、儒教が強く、今でも権威が重んじられています。その結果として、両親を敬う姿勢は普通にあります。しかし、権威が崩れた日本においては、この『あなたの父と母とを敬いなさい。』という言葉がどのような意味を持つのでしょうか?まず言えることは、両親というのは、私たちに取って一番初めの人間関係です。そして、この人間関係は、通常、親が死ぬ日迄続きます。ですから、親子の人間関係は、人間関係の土台になります。そして、すべての人間関係は、この親子関係の反映であると言っても言い過ぎではありません。例えば、権威に対する反発が強い人は、同性の親に対する反発が強いことがほとんどです。また、健全な人間関係を持てない人の中には、ファーザーコンプレックスやマザーコンプレックスを持っている場合が多くあります。また、健全な人間関係が持てる人のほとんどは、親子関係がうまく行っている場合がほとんどです。しかし、この親子関係がうまく行かないのは、もちろん、子どもにも責任はありますが、親の責任もかなり多くあると思います。尊敬できる親は、自分に与えられた責任を果たそうとして生きているという特徴があると思います。もちろん、立派ではないかも知れないけれど、果たすべき責任を放棄しないで、一生懸命に生きている。その姿を見て、子どもは親を尊敬するようになると思います。また、両親の仲が良いこと。そして、親の本音と建前が少ないことです。つまり、家での顔と外に行った時の顔が同じであればあるほど、子どもは親を尊敬するようになります。それは、外で立派に生きているように、内の中でも立派に生きようとするというよりも、うちの中で夫婦の仲がよく、気楽に、気さくに、楽しく生きているように、外でも同じように生きるということです。使徒パウロは、『父たちよ。あまたがたも、子どもを怒らせてはいけません。』と言っています。それは、以上のような特徴が親に欠ける時に起こって来るのだろうと思います。そして、それと同時にパウロは、『「あなたの父と母を敬え。」これは第一の戒めであり、約束を伴ったものです。「そうしたら、あなたは幸せになり、地上で長生きする。」という約束です』と言いました。私たちは、両親が、少なくても、自分に与えられた責任を果たそうとして生きている姿を見たら、それだけで良しとして、親を認め、立派に生きている故に尊敬しようと努力してみて下さい。きっと、あなたも親と同じ年、同じ立場になった時には、親の苦労が嫌って言う程わかるようになるだろうと思います。その時には、親はこの地上にはいない場合がほとんどです。親孝行、したい時には親はなしなのです。どうぞ、親もあなたと同じ弱さを持った存在であり、一生懸命に生きようと戦っています。その結果が、燦々たるもので、不甲斐なく見えるかも知れませんが、その親の弱さや欠点も含めて、丸ごと受け入れることは、しいては、自分を受け入れ、自分を許し、そして、パウロが言うように、幸せになり、この地上で長生きする秘けつにもつながるのです。その中身は、親子関係が健全になることに比例して、他の人間関係も健全になって行きます。その結果、生きることが楽しくなり、すべてが好循環するようになり、幸せを経験できるようになります。権威が崩れた日本においては、聖書や神様の権威も高くありませんから、「聖書が言ってるからこうしなさい。」と言っても空しいものです。そこには、親自らが、自分に与えられた責任を果たそうとして生きること、そして、夫婦仲がよく、家の中と外の顔にギャップを持たないこと等を心がけたいものです。また、子どもは、親の悲しみや苦しみ、寂しさに耐え、一生懸命に与えられた責任を果たそうと生きている親を愛しみ、認め、尊敬して行く心を持ちたいものです。聖書が教える、『父と母を敬え。』という教えは、そうしたら親が満足し、喜び、幸福になるという内容ではありません。そのように出来る子どもが幸せになり、他の人間関係も良好になり、長生きもさせてもらえるのです。神は、あなたの幸せのために、この命令を命じられたのです。このことを心に留めて、祈りながら心がけて行きたいものです。あなたの祝福をお祈りしています。God bless you!
2006年11月18日
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因果応報という言葉は、ある人に取っては馴染みがないかも知れません。それは、すべての物事には、原因があるから結果があるという考え方です。この因果応報という考え方は正しいのでしょうか? 多くの宗教がこの考え方であらゆることを説明しようとします。もちろん、聖書の中にも出てきます。その代表的なものがヨブ記です。ヨブ記は、聖書の真中辺りにありますが、正しい人がなぜ苦しむのか?を論じているように思われます。義人ヨブに、ある日、とてつもない苦しみと不幸が襲い掛かりました。財産は奪われ、子供たちは死に、自分の体も瀕死の状態になりました。その時、ヨブを慰めに来た友人はヨブを責め始めました。「あなたに罪があるから、このような不幸が次々に起こるのではないか? 悔い改めなさい。」と。しかし、後に神様は、この友人たちを叱りつけ、これらがいつわりであると宣言されました。しかし、どこが間違っていたのでしょうか?それは、この世にあっては、正しい人が誤解され、不幸に会うこともあり、正しくない人が賞賛され、反映することは一時的にはあるからです。しかし、長い目で見るならば、必ず正しい生き方をした人はその生き方にふさわしく賞賛され、反映がありますし、その反対に、正しくない生き方をした人は必ずそれにふさわしい結末があります。つまり、因果応報、原因結果という考え方が間違っているのではなく、これを短いスパンで当てはめて、人に対して善悪を言うことが間違っているのです。私たちは、他人の現在の状態を見て、いい悪いととやかく言える存在ではないし、言ってはいけないのです。有名な小説家である三浦綾子さんは、「神様でさえも、その人を簡単に裁かれないのに、まして、私たちは人を裁けないのです。」と言いました。少なくても、因果応報は、その人の一生というスパンを見て評価されなくてはいけません。それは、自分に対しても同じです。今不幸があるのは、過去に犯したあの罪のゆえではないか? 先祖の呪いやたたりではないか? 親の罪のゆえではないか? その考えは捨て去って下さい。人は、自分がうまく行っていると、自分の業績や日頃の行いがいいからだと誇りやすいものです。しかし、そこで高ぶるならば、いざ不幸がやって来たら、「私の何がいけなかったのかな?」と自責の念が湧いてきます。多くの宗教はこれで成り立っています。悩みを持って相談して来る人に、「あなたの行いがよくない。」とか、「先祖ののろいです。」とか、「運命です、あきらめなさい。」とか言います。そして、「それを変えたいならば、たくさん拝みなさい、修行をしなさい、お布施をしなさい、」等々の言葉で、その宗教に縛り付けます。しかし、そこには答えはありません。なぜならば、人は平等に、いいこともあれば悪いこともあります。それを、たった一時期の不幸を持って因果応報を押し付けられても、次によいことが起これば、その宗教のお陰ですとなったり、自分の行いを誇るようになります。どうぞ、私たちは、不幸が起こった時には少し立ち止まって考える時間を持つことは大切です。しかしそれは、何かが悪かったと言って自分を責めるのではなく、悔い改めたり、反省したり、祈ったりしながら神様を求める時となりますように。そして、最終的には神様に感謝をささげて行きましょう。そして、私たちが順調に行っている時には、感謝しつつも、舞い上がらないで、謙遜に祈り、神の導きを求め、神に従って行きたいものです。そして、当然、感謝の祈りをささげて行きましょう。ですから、間違った因果応報、つまり、今の状態に当てはめてしまう考え方は人を不幸と恐怖と宗教に縛り付けることになりますが、正しい因果応報、つまり、その人の一生というスパンでそれを見て行き、しかし、いつも謙遜にへりくだる生き方は、その人を祝福し、幸福にさせます。どうぞ、因果応報は間違っていませんが、人の善悪は、少なくても、その人の一生というスパンより小さい物差しで見てはいけません。そうじゃないと、神様が正しくない!と言われる考え方を持ってしまうことになります。そして、ヨハネの福音書に書かれている、『真理はあなたがたを自由にする。』という言葉通りにあなたを自由にします。よい一日でありますように。God bless you!
2006年11月17日
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今の時代、今の生活に満足している人はどれくらいいるでしょうか? わかりませんが、ここ最近、文部科学省に届けられた子どもの自殺の予告文は20通にも届こうとしています。この手紙を出した人は、少なくとも今の生活に満足が出来ていません。また、ここ7年連続で、毎年の自殺者が3万人を超えています。今の生活に満足が出来ていたら、少なくとも自殺すら考えません。自殺をしてしまった人に対して、回りの人が言うのは、「まさか、本当に自殺してしまうとは思わなかった。」というような言葉です。きっと、孤独のうちに一人死を選ばざろう得なかったのでしょう。自殺は、絶対に問題の解決になりませんからしないで下さい。と私は声を大にして言いたいですが、死を選んでしまった人は、今の生活に不満を持っていたどころではなく、今の生活に耐え兼ねていただろうと思います。そういう人がたくさんいる日本は、どこか歪んでいるのでしょう。この3万人という数は、アメリカのイラク戦争で出た戦死者よりもはるかに多いのです。こんな平和な国なのに、一体どうしてしまったのでしょうか?今こそ、国が変えられなければならないと思います。教育法案や憲法が改正されたとしても、根本的な解決にはなりません。日本がイエス・キリストを通して神に立ち返る以外に道はありません。多くの日本人は、キリスト教をバター臭い欧米の宗教と思い込んでいますが、本当は普遍的な宗教であり、唯一の救いの道を説いています。私たちクリスチャンが、本気でこの日本の苦しみを知り、嘆き、自分の苦しみとして祈り、命を架けて伝道をして行かなくてはならない時が来ています。キリストの十字架を通して、罪が赦され神の子とされ、悪魔から解放され聖霊に満たされ、心と体の病がいやされ、問題が解決され、天国に入る救いが与えられます。ここには、来世(死後)に与えられる命の救いもありますが、現世(今)に与えられる人生の救いがあります。命の救いは、確実に信仰によってのみ与えられます。そうであるならば、人生の救いを受けることが大切です。それは、今の生活に満足できるということです。「あー、私の人生はこれで良かった。」「幸せだ」「満足だ」と言えることです。みなさんは、この人生の救いを味わっていますか? つまり、今の生活に満足しながら歩んでいますか? そのバロメーターとして、今の生活に満足している人は、近くの公園に行っても楽しめる人です。しかし、今の生活に満足していない人は、近くの公園では満足できないので、ディズニー・ランドに行ったり、海外旅行をして、現実から切り離されてはじめて満足できます。そう考えたら、おそらく、今の生活に満足できている人は極少数で、ほとんどの人が不満を感じていたり、苦痛を感じていたり、耐えることに疲れきっているのだろうと思います。今日、キリストはあなたを招いておられます。『すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのところに来なさい。あなたがたを休ませてあげよう。』このキリストのもとにだけ、今の生活に満足できる世界があるのです。私は、キリストの中にその満足を見出しました。もちろん、毎日の生活には戦いややり切れないこと、悲しいことや辛いこともたくさん起こって来ます。こんな中で、よく鬱病にならないで元気に楽しくやってられるか不思議です。しかし、それは、キリストの中で守られているからです。キリストの中には、どんな状況の中にあっても安らぎと満足があります。今日、この日記を読んで下さった方々全員が、このキリストにある満足を見出してもらいたいと思います。心からの祝福を祈ります。また、相談をしたい方は、メールを受け付けています。よい一日でありますようにお祈り致します。
2006年11月16日
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今朝は、衆議院議員会館で行なわれる国会祈祷会に参加して参りました。朝から国会の中で集会が持てる自由、国のために公に祈祷会が持てる自由が与えられていることを感謝しました。国政に携わられている方々は立派だなーと感じますが、同時に、祈りを必要としていることを感じます。私たちは、この国のために祈る時に、安部総理をはじめとする国会議員の方々のために祈って参りましょう。もちろん、国民から支持されている政治家たちですが、議員さんたちを通して国が動かされています。間違いなくそれを導き、動かして行くことが出来るようにと祈っていきたいものです。聖書には、『王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。』とあります。ですから、この祈りが大切です。私たちは、関心持って祈る人にさせてもらいたいです。次に、すべての人のためにも祈りなさいとあります。すべての人はすべての人です。敵も嫌いな人も含まれます。ですから、まず、家族からはじまり、心に思い浮かぶ人の名前を次々にあげて祈って参りましょう。この祈りが、この国を支え、この国を変え、この国を救うのです。どうぞ、絶え間なく祈って行きたいものです。そして、祈った人も、心豊かにされ、聖霊に満たされ、祝福されます。なぜならば、祈りは、まず私たちを通過してささげられるからです。私たちは祝福の通路となり、まず私たちが祝福されます。今日のあなたの祈りが、この国を支えるのです。祈って参りましょう。よい一日でありますように。God bless you!
2006年11月15日
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ここ最近、特に、小中学校での学級崩壊とか、いじめ、自殺ということが話題になっています。こういう実情をテレビやインターネットで毎日知らされますと、一体どうなってしまうんだろうという不安を感じます。ある世論調査によりますと、いじめの原因についてのトップが、モラルや道徳の低下を感じている人が一番多かったそうです。次に、家庭の問題、そして、学校の教師の問題の順序でしたが、人々は確かに問題意識は持っていますが、それに対してどうしたらいいのかがわからないでいます。私は、根本的には、どんなに教育法案が変わったとしても、人々が神に立ち返って、新しく生まれ変わらなければ解決はないと思っています。モラルや道徳の低下に、一体どうやってブレーキをかけたらいいのでしょうか? それは、神の愛と聖さを知らなければ、旧約聖書に出て来るソドムとゴモラのように、行くところまで行ってしまうのではないかと思います。また、家庭が破壊されています。夫婦がお互いに自己主張し合っています。また、相手を引き下げ、悪口を言い合いますから、子どもは親を尊敬しませんし、その家庭での人間関係の反映が、学校でのいじめに繋がっています。神との平和、神との親子関係の修復なしには、夫婦関係も親子関係も、悪化の一途とを辿るのみです。今こそ、福音を語らなければなりません。イエス様の十字架の購いにこそ、人を救い、人を根底から変える力があります。そして、いじめに対する意識の変革がなされなければなりません。もっと、いじめが悪いことであるという認識をし、いじめをする加害者に対して、具体的な指導がなされて行かなければなりません。先日、ある区内の中学校裏門の辺りで、一人の学生を数人がよって鷹ってなぐる蹴るをしていました。私はすぐに止めに入りましたので、一時的にはそれがやまりましたが、学校側でそれを認識し、それを具体的に指導しなければ、またいじめが継続されると思います。しかし、教師も中学2~3年生になった子供たちをそのように指導するのも恐いのかも知れません。私自身が、体が大きいし、体力が有り余っている中学生のいじめを止めさせた時には、それなりの覚悟をしなくてはいけませんでした。だからこそ、私たちは、いじめに対する意識変革をし、学校の教師のために、そして、具体的にいじめがなくなるように祈り、力を尽くして行かなくてはなりません。これ以上、いじめられる子を放置しておいてはいけませんし、自殺をさせてはいけません。共に、次の世代を担う子供たちのために祈りにおいても、具体的な行動においても、一肌縫いで行きましょう。そして、神様に、「主よ、このいじめの問題に対して私に何が出来るでしょうか?」と祈って行きましょう。必ず、何らかの形であなたも用いられるはずです。いじめは、子供たちの世界だけではないと思います。社会の中に、職場の中に、地域の中に、家庭の中にもあるだろうと思います。共に力を合わせて、いじめのない、生きやすい社会を作って行きましょう。どうぞ、学級崩壊、いじめ、自殺が減少され、撲滅されて行きますようにお祈りします。
2006年11月14日
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私たちは、生きていて人の励ましによって支えられている面があると思います。私も例にもれず、励まされて支えられています。私は、教会を開拓伝道をして5年になりますが、燃え尽きやすい環境にあると思います。それは、思った通りには教会が成長して行かないからです。逆に、願った通りの成果があるならば、燃え尽きることはありませんが、やっただけの成果がないと、人は簡単に燃え尽きてしまいます。そんな私が燃え尽きないのは、励ましの力によって支えられているからです。それは大きく分けると三つに分けられます。一つ目は、何よりも、神様の言葉です。神様がこの私を召して下さって、使命を与えて下さっているということです。この支えによって、私は岩の上に建てられた家のように不動の存在とされています。次に、人を通して与えられる励ましです。私の仕える教会を称して、色々な励ましを語って下さった方々がいます。「新宿福興教会は、小さいけれど大きな教会である。」とか、「この教会は、必ず大リバイバルするでしょう。」というような言葉は大きな励ましになっています。また、妻は落ち込みそうな私を見て、「あなたなら出来る。」「絶対大丈夫。」と励ましてくれますし、数々の先輩牧師も、この教会に足を運んで励まして下さいます。最近うれしかった言葉は、私にギリシャ語を教えて下さった恩師が、今度の日曜日の礼拝に参加させてもらいたいという手紙を頂きました。びっくりしてその先生に電話して、「私の教会は、規模の大きい教会だと思われがちですが、実際はまだまだこれからです。」と話しますと、「私は、菅野先生と二人の礼拝でもいいから、参加させてもらって励ましを受けたい。」と言ってくださいました。そして、「教会が思ったように成長しないにも関わらず、こんなに元気に伝道をしているということじたいが奇跡だし、大きな励ましです。」と言って下さいました。電話の向こうで私は泣いていました。私は、数え切れない人によって励まされ、支えられているということに感謝しています。また、日記の読者のみなさんから与えられる励ましも、私に大きな力になっています。そして、最後に、私の取って置きの励ましの秘けつを分かち合います。それは、あなたも励ましが必要なはずだからです。そして、その必要としている励ましをしてくれる人がいるとは限りません。そんな時、どうしたらいいでしょうか?それは、自分で自分に向かって励ましをするのです。みなさん、自分が自分の味方になれなかったら、誰があなたの味方になってくれるでしょうか? もちろん、神様はあなたの味方です。しかし、あなたがあなたの味方になるということが大切です。もし、自分で自分をけなし、否定し、責めるならば、それは大変な苦しみを感じるはずです。そういう状態ですと、人の励ましも、神様の愛の言葉も耳に入りません。まずは、自分をけなしたり、否定したり、責めることをストップしなくてはいけません。そんなことをわざわざしなくても、私たちは欠けだらけの存在であり、未熟であり、罪深い存在です。わかりきっていることをわざわざ増強して自分を苦しめる必要はありません。むしろ、そんな私たち、あなたであるにも関わらず、神の一人子イエス・キリストが十字架で死んで、あなたを愛しておられることを知り、信じて下さい。そして、「だから大丈夫だよ。」「お前なら出来る。」「心配しなくていい。」「恐がらなくていい。」「神様が共におられる。」と自分に語ってみて下さい。もし、神様の言葉も心に響かないし、人の励ましもなく、燃え尽きそうになっているならば、今、あなた自身に励ましの言葉をかけてあげて下さい。これがあなたを支えるのです。励ましの力は絶対に必要です。人という漢字は、お互いに寄りかかり合い、支え合っているというように書きますが、人はお互いに励まし合い、支え合って行く存在なのです。この日記を通して、あなたと私は支え合えていることをうれしく思います。これからも、ずっとずっと励まし合って行きましょう。今日もよい一日でありますように。God bless you!
2006年11月13日
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ある酔っ払いが、クリスマスの晩に教会の前を通って、牧師さんにこう言ったそうです。「最近では、教会でもクリスマスをやるようになったんだね。」教会よりも、世の中の方がクリスマスをきれいに飾るし、派手にお祝いするので、元祖であるはずの教会の方が真似している思われる場合もあります。ここ数年、クリスマスのイルミネーションは、11月入ったら飾られるようになりました。当教会では、昨日にクリスマス飾りを致しましたが、東京では、気のせいでしょうか?クリスマスの飾り付けがいつもより遅い気がします。しかし、クリスマスの飾りは、出来るだけ早くはじめた方がいいなーと感じます。なぜならば、お金と手間暇をかけて飾るのに、短期間だけではもったいない気がします。また、新年になったら、もう飾れないですし、長い期間飾るためにも、早め早めがいいのではないかと感じます。今年のクリスマスを通して、たくさんの人がイエス様に目を向けることが出来、救われますようにと祈ります。クリスマスには、様々なイベントを行ないますし、路上ライブもしたいと思います。共に、クリスマスを通して多くの人に、イエス様を伝えて行きたいですね。これは、神が私に対して与えて下さったプレゼントですからね。それをまず頂き、それを誰かにも分け与えたいですね。祝福がありますように。God bless you!
2006年11月12日
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今から丁度一年前の11月11日に、中古ですが車を新しく買い換えました。長年、気に入って乗っていたマツダ・ボンゴ・ブローニー・ワゴンは、とても広い車でした。5ナンバーで9人が乗れますし、三列フルフラットシートになりますので、家族旅行にも使えました。また、ディーゼルで5MTでしたので、コンスタントに1リッターで10Kmは走りました。とても重宝しましたし、大好きな車でしたが、ディーゼル規制のゆえ、乗り続けることが出来なくなりました。そんな時、♪別れることはつらいけど しかたがないんだ・・・♪という「星影のワルツ」が口を伝って出てきました。新しく来た車は、エスティマです。いい車ですが、3ナンバーですし、同じ三列シートでもだいぶ狭いですし、ガソリンでATなので、都内だと1リッターで5Kmを切ることもしばしばです。ガソリン代が高騰しているこの頃は財布が痛いです。もちろん、この車であちこちを移動しますし、愛着は湧いてきましたし、とても楽で、大好きな車ですが、以前の車が要らなくなって売ったならまだしも、しかたなしの別れを強いられましたので、ふと懐かしくなることがあります。うちの子供たちも、そんな話を時々してます。しかし、人生は、このようなしかたのない別れやしかたのない出来事が何度も起こって来ます。そんな時、そのしかたがなかったその現実をその感情もろとも受け入れ、同時に、それが神の最善の時であったと信じることが大切だと思います。愛する人との死別、失恋、卒業、引越し等々、私たちにはしかたのない別れがあります。しかし、「出会いは別れのはじまりである」という言葉を聞いたことがありますが、この世では、出合いがあるならば、別れも必ずあるのです。そんな時、その別れを惜しみ、それを悲しむ気持もじっくり味わうことは大切ですが、その限られた期間であったとしても、出会うことが出来た事実に目を向け、その思い出を心に秘めながら、感謝して行きたいものです。そして、出会いには、必ず別れがあるからこそ、今ある出会い、今ある人間関係、今ある状況や環境に感謝し、大切にして行けるのだと思います。今日、この日記を通して出会っている私とあなたも、いつか別れの日が来ます。しかし、その別れの日に目を向けるのではなく、今出会っているこの事実に目を向け、感謝し、大切にして行きたいなーと思っています。そんな別れのある出会いですから、願わくは、一生涯、よい交流を続けていけたらなーと思います。この出会いは、偶然ではなく、神様が必然として与えて下さったものですから。ちょっとした違いや、ちょっとした誤解を乗り越えて、これからもどうぞ、宜しくお願いします。今日もよい一日でありますように。
2006年11月11日
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パスカルは、「人間は考える葦である」と言いました。私たちは、葦のような弱い存在ですが、考えることが出来る存在です。そして、人は、その考えによって決まると言っても言い過ぎではありません。旧約聖書の中でソロモン王は、「人は、その考えた通りの人となる。」と語りました。これはすごい真理です。逆に考えるならば、考え方を変えることによって生き方や人生、運命さえも変えることが出来るということです。それは、単に、前向き肯定的に、プラス指向を持てばいいのではなく、考えと聖書の言葉を連結させることが大切です。聖書の言葉と繋がれた考えは、全て生きるからです。聖書の言葉を要約しますと、第三ヨハネ1章2節『愛する者よ。あなたが、たましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、また健康であるように祈ります。』という言葉に集約することが出来ます。神様は、よいお方、よい羊飼い、救い主です。それは、私たちの霊・魂・体という全人格の領域によいことをして下さるお方です。間違っても、私たちを苦しめ、不幸にし、貧しくし、病気にするのが神の御心ではありません。神様のこの心が私たちの考え方と直結されますと、すべてのマイナスがプラスに変えられ、今ある試練や苦しみ、悲しみや問題に意味や価値が与えられ、希望が与えられます。それは、イエス様がカルバリーの十字架で、私たち人類の全てのマイナス、苦しみ、病気、悲しみ、呪い、悪魔、死を背負って死んで下さったからです。この神の心、神の言葉が私たちの考え方と繋がるならば、電源が入るようなものです。そして、考えのすべてが生き、すべてがよくなり、すべてが聖められ、感謝と希望に溢れるようになります。今日、聖書を読み、その聖書の言葉とあなたの考えを直結させて見ませんか? そうしたら、考えの全てが生き、考えが生きたら言葉が生き、言葉が生きたら習慣が生き、習慣が生きたら人生が生き、人生が生きたら運命が生きるようになります。あなたの全てが生きるようになりますように。イエス様はあなたを愛しています。神はあなたが最高に生きることを願っておられます。素晴らしい一日でありますように。God bless you!
2006年11月10日
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この次の日曜日は、新宿区の区長選挙があります。もう選挙活動がはじまっていますが、もうこの時点でほとんど勝敗は決まっていると言われます。前区長さんもその一人ですし、若い方もいます。またベテランもいます。しかし、私はその方々を知りませんし、どんな働きをしてくれる区長さんかわかりません。そんな時、わかりやすいキャッチフレーズを掲げている人に入れます。その中で魅力を感じたのは、『小中学生の医療費を無料に』というものがありました。小さい子どもを三人も抱えている私に取っては、非常に魅力的に感じました。このようにわかりやすいキャッチフレーズは、私たちの人生においても、私たちの教会にも必要だなーと思いました。もちろん、自分の中では明確になっていますし、一文で表現していますが、これが、他の教会に来られていない人にもわかりやすいか?というと、そうではなさそうです。今私は、日本民族総福音化運動の東京のブロック長をさせてもらっていますが、この名前は、すごい大風呂敷ですがわかりやすいです。創造主である神の一人子イエス・キリストを通して、日本人が救われるということ。私と私の牧会する教会が、誰にでもわかるキャッチフレーズをつけて行きたいなーと思いました。新しい新宿区長さんはどんな方になるのかを楽しみにしつつ、祈りながら、次の日曜日の礼拝の合間に投票に行きたいと思っています。私たちの人生も、わかりやすいキャッチフレーズ、それが人生をかけた目標であり、いのちをかけて達成したい夢であり、ゴールであるならばすばらしいですね。あなたも、そんなキャッチフレーズを造って見られたらいかがですか?よい一日でありますように。
2006年11月09日
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私は、日本が大好きです。この国に生まれ、この国に育ち、この国で牧師をさせてもらっていることを感謝しています。生まれた時から見ている日本は、良くも悪くも自分の分身のようなものです。ところが、18歳でクリスチャンになり、20歳で献身をして神学校に入り、その頃から感じたことは、私の国である日本は異教であるということです。ですから、日本的なものを捨てて、お祭等に行かないで、仏教式等のお葬式には参列しない、それがクリスチャンの証しであるかのように教えられたような気がします。しかし、これらは、アメリカの熱心な宣教師の教育の影響だと思いますが、ですから、戦後の国の復興期には教会に人はたくさん集まりましたが、現代では、1%に満たないクリスチャン人口です。世界中で見るならば30%以上であるにも関わらずです。それは、この国が独特な文明や文化を持っている国だからです。ですから、欧米式のキリスト教を日本に直輸入しても通用しないのです。私は、ですから、この独特の文化を持つ国を愛し、尊重し、その文脈の中でキリストの愛を伝えて行きたいと思っています。そうじゃないと、せっかくの福音も福音ではなくなってしまいます。だって、日本人であることをやめないと良いクリスチャンではないならつらいです。そうしたら、確実に友達はいなくなります。そして、伝道集会には友達を連れて来て下さいと言われても困ります。しかし、よいクリスチャンは、よい日本人で、友達がたくさんいるし、信頼されるし、評判がいい人であれたら、それこそ福音です。そうであってこそこの国が救われます。今まで、たくさんのクリスチャンが試行錯誤し、一生懸命に教会は伝道をして来ました。これからは、福音宣教をする対象である日本人が大切にしているものを否定しない、安易に批判しない、これも愛なのです。しかし、聖書の中ではっきりと罪と教えることに関しては、知恵を用いて語って行きたいものです。使徒パウロは、アテネの町で、『あなたがたが知らずに拝んでいるものを教えてあげよう。』と言って伝道をしました。私たちは、祖国日本を愛し、その中に根ざし、その中にイエス様の福音を伝えて行けたらと思います。すでにある、外国直輸入のキリスト教とか、ワーシップ、ゴスペルブーム、セルグループ、アルファーコース、G12、弟子訓練等々、これらをそのまま教会で適用するのではなく、一旦、日本的なものに焼き直し、その上で用いて行ったら、有益なものになると思います。今日も、日本人であることに誇りを持って、この社会の端ではなく真中を歩き、地の塩、世の光のようにこの世の腐敗を防止し、味付けし、闇を照らす存在でありたいです。祝福がありますように。
2006年11月08日
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テレビアニメ「ドラえもん」は、子どもの頃から大好きでした。その中で興味があったのが、ドラえもんのお腹についている四次元ポケットです。あのポケットからは、あらゆる便利な道具が出て来て、ちょっとさえないのび太君を助けました。私は、将来ドラえもんのようになって、のび太君みたいな人を助けたいなーといつも夢を見ていました。形は変わりましたが、今私は牧師になりました。私が学んだ神学大学院の総長であり、恩師でもあるチョー・ヨンギ牧師は、47年間の伝道牧会の中で、78万人の信徒を神に導かれましたが、その牧会の核となる理念が四次元の世界を動かすと言うことです。一次元は線、二次元は平面、三次元は立体で私たちの世界です。三次元の中に二次元も一次元も含まれるように、四次元という時間や空間を越える次元の中に私たちの世界は含まれています。そして、高次元で起こることが、そのまま低い次元でも起こります。四次元は、考え、信仰、夢、言葉によって動かすことが出来ます。ですから、色々な不思議なことをするような宗教は、その四次元を動かしています。それは、悪魔に従って悪くも出来るし、自分中心に考えて欲を満たすことも出来ます。しかし、これはむなしいことですからやらないで下さい。大切なのは、救い主イエス様を信じ、聖書に従って考え、信じ、夢描き、語り宣言することです。そうすることで、私たちの三次元に影響を与え、変えることが出来ます。私は、ドラえもんにはなれませんでしたが、それよりもはるかに素晴らしいイエス様を伝えられる人になれてうれしいです。イエス様は、信じる人の罪を赦し、神の子どもとして下さいます。イエス様は、悪魔を追い出し、聖霊で満たして下さいます。イエス様は、心と体の病気をいやし、健康を与えて下さいます。イエス様は、人生の諸問題を解決し、貧しさをアブラハムの祝福に変えて下さいます。イエス様は、死と地獄を撤廃し、復活と永遠のいのち、天国を与えて下さいました。四次元の世界には、悪魔と人間の霊と神の霊が渦巻いています。悪魔は、人を盗み・殺し・滅ぼします。人間は、自己中心に自分だけ、自分さえよい世界を作り上げます。ですから、この二つの力が弱まり、追い出され、神の霊が四次元を支配するように考え、信じ、夢描いて、祈って行きましょう。イエス様が四次元を支配したら、いのちを与え、豊かに与え、魂が恵まれるように、すべてに恵まれ、健康と祝福と繁栄と幸せが私たちを支配します。この四次元においては、今日も霊的な戦争が繰り広げられています。もちろん、勝敗はついています。キリストが勝利しました。しかし、今しばらくは悪魔はのさばり、人間の自由意志が尊重されますので、戦いがあります。私たちは、今目に見える世界だけがすべてではありません。目に見えない世界、神を信じ、神に祈り、神と共に歩み、今日も素敵な一日を歩まれますように、心から祝福をお祈り致します。
2006年11月07日
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みなさん、おひさしぶりです。私はしばらく関西に出かけていました。そんな訳で、久しぶりの更新となります。秋ですね。どこかの山のきれいな紅葉でも見に行きたいなーと思いませんか?そんな時は是非、親しい人と出かけてみて下さい。でも、もしかしたら、今あなたはつらい気持でいるかも知れません。人の顔を見たくないし、誰とも会いたくない気分かも知れません。また、過去の失敗を悩んでいたり、今思い描いた通りに人生が進まないで燃え尽きそうになっているかも知れません。そして、明日が見えなくて、明日が心配で、夜も眠れない状態にあるかも知れません。あるいは、そこまでいかなくても、みんな少しは明日が心配ですよね。新しい週がはじまりました。私たちのには、明日を守り、今週を導かれるイエス様がおられます。どうぞ、この方を見上げて、この方から目を離さないで歩んで行きましょう。私の好きなゴスペル・ソングを紹介します。♪明日はどんな日かわたしは知らない♪晴れか嵐か曇りになるかわたしは明日を心配しないイエスがわたしを守られるから(コーラス)明日はわたしにはわからないけど明日を守られるイエスがおられる日々のあゆみは日々に明るくかたのおもには次第に軽い輝く太陽 涙かわかし仰ぐ空には虹のかけ橋*コーラス明日はどんな日かわたしは知らないどんな道すじが先にあるかもだけどわたしは心配しないイエスがおられるわたしのそばに*コーラス主はご自分の羽であなたをおおわれる。あなたはその翼の下に身を避ける。主の真実は、大盾であり、とりでである。だから、心配しないで下さいね。よい一週間でありますように。
2006年11月06日
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