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A.M.ウィリアムスンの「灰色の女」をご紹介。「アモリー家に伝わる由緒ある屋敷、ローン・アベイ館。一族ゆかりの屋敷を下見に来たテレンスは、屋敷の時計塔で謎の美女コンスエロと出会う。婚約者ポーラよりもコンスエロの美しさに惹かれるテレンス。だが、それは次々と起こる奇怪な出来事の幕開けだった…。黒岩涙香が翻案し、その後、江戸川乱歩がリライトした傑作「幽霊塔」の原作をついに邦訳。」(「BOOK」データベースより)黒岩涙香の「幽霊塔」は読んだことがありますので、その原作がなんであるのか?という議論があったことは知っていました。乱歩の「幽霊塔」は読んでいませんので、なんともかんとも・・・。さて、この「灰色の女」の解説にも書かれていますが、この本に影響を与えた本にウィルキー・コリンズの「白衣の女」があります。ミステリなのかなんなのか良く分からないけど面白い小説なのですが、マリアン・ハルカムというすばらしく魅力的なヒロインが登場していたのを記憶しています。そして、コリンズといえば「月長石」。「月長石」といえば、ドロシー・L.セイヤーズの「ナイン・テイラーズ」。僕は、「ナイン・テイラーズ」はオマージュとして捧げられた最も美しい作品だと思っているのですけど・・・。
2008年02月29日
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30年のつんどくの中から、ピーター・S・ビーグルの「最後のユニコーン」を読みました。森にやってきた狩人の話から、自分が最後の生き残りであることを知ったユニコーンは、半人前の魔術師としっかりもののジプシー女を道連れに、ハガード王とその分身であるような盲目の「赤い牡牛」に捕らえられた仲間のユニコーンを救うための旅に出ます。途中、魔術師は「赤い牡牛」に追い詰められたユニコーンを、「赤い牡牛」から守るために人間の娘に変身させます。ところが、娘に変身したユニコーンはどんどん人間らしくなってしまい、あろうことかハガード王の王子リーアと恋に落ちたりなんかして、この先どうなるんだろうか?とはらはらしたりします。果たしてユニコーンは仲間を救えるのでしょうか?と、お約束どおりの話が進むかに見えますが、これがなかなか一筋縄ではいきません。お約束を逆手に取ったお話は、ある種メタ・フィクション性を帯びて進みますし、なにがお約束でなにが現実か混乱させられます。そして、ユニコーンの探求(クェスト)の旅であると同時に、魔法使いの不可解な成長物語でもあるといった二重性もあわせ持っています。しかし、そういう要素にかかわらず、何と言ったら良いか、ひたすら語り口が心地よいのです。適度にユーモラスでもあります。早い話が、すばらしく良質のファンタジーです。間違いありません。この物語を30年間紙魚のえさにしていた自分の不明が情けなかったです。でも、でも、これだけじゃないぞ!まだまだあるぞ!
2008年02月28日
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「ユニコーンは、たったひとりで、ライラックの森に住んでいた。自分では気がついていなかったが、彼女はとても年をとっていた。もはや、無邪気な海の泡の色ではなく、言ってみれば、月の夜に降る雪の色に近かった。けれども、瞳はまだ澄みきっていたし、疲れの色もなかった。その動作も、まだ海面を走る影のようだった。ユニコーンたちは、しばしば角を持った馬のように描かれてきたものだが、彼女の姿は、それとは似ても似つかなかった。馬よりも小柄であったし、ひづめも割れていた。一度たりとも、馬どもが持ち合わせたことのない太古の野生そのままの優美さが、彼女にはそなわっていた。(中略)ユニコーンの首は、ほっそりと長く、おかげで、頭は小さく見えた。背中のほぼ中央あたりまでかかったたてがみは、たんぽぽの毛のように柔らかで絹雲のように美しかった。尖った耳と細い脚、くるぶしには羽毛のような白い毛。目の上の長い角は、真夜中でさえ、独特の貝殻色の光を放って輝いていた。ユニコーンは、その角で竜どもを屠り、毒のために口を開けたままの王の傷を癒し、小熊たちのためにたわわに実った栗の木を打ち倒してきた。ユニコーンたちは不死であった。ひとつの土地に、ひとりぼっちで住むというのは、その生まれついての性質なのだ。ユニコーンたちの住み家は、自分の姿を映して見ることのできるほどに澄み切った泉のある森にあるのが普通だった。というのは、ユニコーンたちは、少々うぬぼれが強かったからだ。何しろ、自分たちが、世界で最も美しい生き物であることを知っていたし、その上魔法も知っていたのだ。」(ピーター・S・ビーグル「最後のユニコーン」冒頭)Tha Lady and the Unicorn ↑Musse national du Moyen ageのページへ 6枚のタペストリーが見れます
2008年02月27日
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「聖少女」のところで触れていました森茉莉さんの「甘い蜜の部屋」を買書。「少女モイラは美しい悪魔だ。生まれ持った天使の美貌、無意識の媚態、皮膚から放つ香気。薔薇の蜜で男達を次々と溺れ死なせながら、彼女自身は無垢な子供であり続ける。この恐るべき可憐なけものが棲むのは、父親と二人の濃密な愛の部屋だ―。大正時代を背景に、宝石のような言葉で紡がれたロマネスク。」(「BOOK」データベースより)森茉莉さんが60歳過ぎから10年をかけて、ご本人も、もう完成しないのではないかと心配しながら、72歳の年にようやく完成したものとのこと。しかし、少女小説のことを読もうとしていながら、このての小説はなにか馴染まないかも、ひょっとして苦手かも・・・と思い惑ってしまうのでした。
2008年02月26日
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絲山明子さんのウェブ・サイトで絲山賞の説明がありました。「第一回は町田康氏(「パンク侍、斬られて候」)と古処誠二氏(「接近」)、第二回は赤染晶子氏(「うつつ うつら」)、第三回は多和田葉子氏(「海に落とした名前」)が受賞。名誉もなければ本人に受賞の連絡さえしないいい加減な賞も今年で四回目、歴史だけは大江健三郎賞よりちょっぴり長い。」※( )内は僕の補足です。そういえば、個人が選ぶ賞ではドゥマゴ賞というのがあるし、絲山さんも書いているように大江健三郎賞もある。でも、なんか違和感あるなぁ~。
2008年02月25日
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筒井康隆さんの「ダンシング・ヴァニティ」を買書つんどく。「美術評論家のおれが住む家のまわりでは喧嘩がたえまなく繰り返されている。一緒に暮らす老いた母と妻、娘たちを騒ぎから守ろうと、おれは繰り返し対応に四苦八苦。そこに死んだはずの父親が繰り返しあらわれ、3歳で死んだ息子も成長したパイロットの姿になって繰り返し訪ねてくる…。あらゆる場面で執拗に繰り返される「反復記述」が奏でるのは、錯乱の世界か、文学のダンスか?第4回絲山賞受賞。」(「BOOK」データベースより) いつも行ってる本屋さんが筒井さんの地元の本屋さんなので、サイン入りの本がそこでは売られています。やっぱり、サイン入りのが良いので、筒井さんの本はそこで買うことにしています。筒井さん本人には会ったことはありませんが、昔はパチンコ屋さんにいったら、ドル箱を山のように積んでいた、という伝説があります。本当らしいですよ。ところで、絲山賞というのは、絲山秋子さんが決める賞だそうで、絲山さんは好きなのですが、その人が決める賞ってなになのでしょうか?
2008年02月25日
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ユニコーンとはユニコーン(Unicorn)とは一角獣(いっかくじゅう)とも呼ばれる伝説上の動物である。ヨーロッパでは神聖な力と純潔の象徴とされ、神秘学的には様々な象徴として扱われる。知能が高く、鋭い感覚を持つため、まず捕らえることはできない。人間との接触を嫌うが、清らかな心を持つ処女の前にだけその姿を現し、その心を許すといわれている。馬の額に螺旋状に捻れた鋭く長い角を持ち、ヤギのひげと割れたひづめを持つ獣の姿で描かれることが多い。このように、ユニコーンはキリスト教の寓話では美化されていることが多いが、実際の伝説では、普段は獰猛で好色。その鋭い角で、相手を刺し殺すこともある。更には野菜畑を踏み荒らし、作物を貪りながら、糞を落とすという下品な面もある。また、中央アフリカの集落に伝わる伝説の一つにこのユニコーンが登場する。 この伝説では、前述の神聖さとは打って変わって、極めて凶悪な魔獣となっている。 その怒りを鎮める儀式の一つに、「生贄の処女をその角で犯し、そのまま角で刺し殺して喰らう」といったものまである。[要出典]ユニコーンの原型は旧約聖書に登場するといわれる。またアリストテレスの著書『動物誌』、プリニウスの『博物誌』、紀元前5世紀の歴史家クテシアスの『インド誌』などの中でも言及されている。(うぃきぺでぃあ)一角獣絶滅の原因ノアがあらゆる獣のつがいを方舟に入れたとき、一角獣もまた受け入れた。ところが一角獣は他の獣を突いたので、そこでノアは躊躇なく一角獣を水のなかに投げ込んだ。ノアがあらゆる獣のつがいを方舟に受け入れたとき、獣たちはノアに服従した。一角獣だけがそうしなかった。一角獣は自らの力を信頼し、「わたしは泳いでみせる」と言った。四十の昼と夜の間、雨が降った。鍋のなかのように水は煮立ち、あらゆる高みが水に覆われた。そして方舟の舷側にしがみついていた鳥たちは、方舟が傾くと沈んでしまうのであった。しかし、かの一角獣は泳ぎに泳いでいた。だが鳥たちが一角獣の角に止まったとき、一角獣は水中に没してしまった。だから一角獣は今日ではもう存在しないのだ。 (ユニコーン・ショップのホームページより。)
2008年02月24日
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ジェイムズ・ミークというひとの「ホワイト・ガーデンの幽鬼」という本を買書つんどく。また、まったく知らない人のまったく知らない本を買ってしまった。「1919年、ロシア革命直後のシベリア―極北の強制収容所「ホワイト・ガーデン」から脱走した男がたどり着いたのは、去勢をすることで“天使”になれる、と信じる者たちの暮らす町だった…全米ベストセラー2005年ブッカー賞ノミネート。」(「BOOK」データベースより)ふむふむ、去勢で天使になる、と。そうかもしれない。ミステリっぽい、ホラーっぽい感じがしますが、「黄金の羅針盤」のフィリップ・プルマンが、なにやらよくわからない賛辞を寄せています。それはそうと、もうちょっとでライラの映画の封切りですね。僕も楽しみにしていますが、珍しくうちの子どもたちが観に行きたがっています。 ジェイムズ・ミーク「1962年ロンドン生まれ。テイサイド州ダンディーで育つ。85年より新聞記者として働き、特派員として旧ソ連に赴任した経験を持つ。イラクやグアンタナモ湾からのレポート等で国内外から様々な賞を受賞する気鋭のジャーナリストでもある。これまでに二作の短編と三作の長編小説を発表している。」(「BOOK」データベースより)もともとジャーナリストのかたみたいですね。
2008年02月24日
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はい、というわけで川上未映子さんの「乳と卵」を買書。掲載されていた文藝春秋のインタビューをぱらりらしながら「いつ単行本がでるのかな?」と思ってその横を見たら、もうあったのでした。で、読んだインタビューでは、思っていたのとは違って、ずいぶん苦労人で、ずいぶんまじめな人だなぁ~という印象を受けました。また、あの文体は、僕も町田康さんかな?と思っていたのですが、樋口一葉さんなのやそうです。樋口一葉さんの文体を現代的にアレンジしていったら、ああゆう文体になるのやそうです。そんなん、考えもつかへん。そんでもって、多和田葉子さんなのやそうです。好きや!大好きや!ほんと、いろいろとびっくりさせてくれる人ですね。
2008年02月23日
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ジョン・トマス・スラデックの「蒸気駆動の少年」を買書。「暴虐な大統領を排除すべく、タイム・パトロール隊が用意したのは蒸気駆動の少年ロボット。そこには思わぬ結果が待ちかまえていて……。SF界随一の奇才にして天才の最初で最後の傑作選!」(河出書房新社)「奇想コレクション」シリーズの中でも、僕が待ちに待った一冊がついに登場しました。昔、「スラデック言語遊戯短編集」という本がサンリオSF文庫で刊行されていたのですが、長らく絶版になって、いたずらに高値になっていたのと、訳文がいまいちという評判を聞いていたのでした。売れているのかな、と気になる「奇想コレクション」シリーズですが、あとはロバート・F・ヤング「たんぽぽ娘」の発売を、こころ待ちにしています。この「たんぽぽ娘」がシリーズの最終巻になるみたいですので、最後までがんばって欲しいと願っています。
2008年02月22日
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大塚英志さん原作、森美夏さん絵のコミック「北神伝綺」(上下)を買って読みました。これは、「遠野物語」のマヨイガに関してのコメントで、ゆずりは文庫さんから教えてもらった本ですが、ちょっと気軽にコミックでも読んでみようかと思ったのでした。気楽に読めると思って読みかけたところが、もちろん柳田国男さんは出てきますし、宮澤賢治さんは教えてもらってたのでいいとして、あと竹久夢二やら斉藤晴雨なんかもいいとして、さらに甘粕正彦やら北一輝やら出口王仁三郎やら乱歩やらぞろぞろ出てきて頭は混乱するし、またメインテーマが国家による山人抹殺に関するもので、あと隠れ里や、満州やおまけでとんでもムー大陸なんかも登場し、いろいろ考えなあかんことが後から後から出てくるのでした。ああ、ますます頭が爆発してしまった・・・。伝奇ものとはこいうものだといえば、そうなのですが、僕は本気にしやすいので、いいかげんにしてくださいね(^◇^)。でも、面白かったです。
2008年02月21日
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日暮吉延さんの「東京裁判」を買書つんどく。「すでに東京裁判の開廷から60年余の歳月が経過している。「東京裁判開廷60年」の2006年に朝日新聞社が実施した日本国内の世論調査では、東京裁判をどの程度知っているかという質問にたいして、「裁判があったことは知っているが内容は知らない」が53パーセント、「裁判があったことも知らない」が17パーセント、合計70パーセントが、「知らない」という結果が出た(『朝日新聞』2006年5月2日)。……この数字にはなかなか驚くべきものがあると思う。二世代(60年)のあいだにこれだけ忘れられているなら、そろそろ冷静な議論も可能になっていそうなものだが、しかし現実は「逆である。……日本のマスメディアには「A級戦犯」「東京裁判」といった用語が飛びかい、旧態依然とした裁判の肯定・否定論争もかまびすしい。冷静で生産的な論争であれば、大いにやってもらいたいものである。しかし、この肯定・否定論争では、紋切り型の、ときには誤った知見が繰り返されるばかりだ。1980年代後半以降、東京裁判についての新しい事実がかなり発見されてきたが、それらは専門家の世界にとどまり、一般にはあまり普及していない。本書を世に問うのは、このためである。」(本文より)世間にあまりにうとい、という反省と、昔法学徒であった血が・・・。あれ?昨日は経済学徒でなかったっけ?これはうっかりしてました。それはともかく、このようにして、社会科学系の本もつまれていくのです。「神様。本の神様。どうか、僕を許してちょんまげ。」(ナウシカかっ?!)というわけで、買書とつんどくの日々は続いていくのでした。
2008年02月20日
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野口悠紀雄さんの「戦後日本経済史」を買書。「奇跡的な高度成長を成し遂げ、石油ショックにも対応できた日本が、1990年代以降のグローバル化とITの活用に立ち遅れているのはなぜか?それは、第2次大戦中に構築された「戦時経済体制」が、現在も強固に継続しているからだ。「戦後は戦時と断絶された時代」という常識を否定し、「日本の戦後は戦時体制の上に築かれた」との新しい歴史観を提示する。」(「BOOK」データベースより)世間にあまりにうとい、という反省と、昔経済学徒であった血が無意味に騒いだりして、時々こういう本を買ってしまいます。やっぱりつんどくんでしょうか?
2008年02月19日
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せっかくなので、「九年目の魔法」に登場する本をまとめてメモしてみました。「タム・リン」→たぶん「妖精譚」の中「詩人トーマス」→たぶん「オクスフォード版バラード集」の中「忘れられた時代」(たぶん架空の本。ジャック・フィニの同名未邦訳の本があるが、別物みたい。) 「二重生活」「英雄列伝」→「ブリタニア列王史」?ジェフリー・オブ・モンマス(南雲堂)。それともプルタークか?「オズの魔法使い」ライマン・フランク・ボーム(多数あり)「砂の妖精」イーディス・ネズビット(多数あり)「宝さがしの子供たち」→「宝さがしのこどもたち」イーディス・ネズビット(福音館)「ウィロビー・チェイスの狼たち」→「ウィロビー館のオオカミ」ジョーン・エイキン(講談社青い鳥文庫)絶版「よろこびの箱」→「喜びの箱」ジョン・メイスフィールド(評論社)「ライオンと魔女」C.S.ルイス(岩波少年文庫)「王さまの剣」→「永遠の王」T.H.ホワイト(創元推理文庫)「百一匹わんちゃん大行進」→「ダルメシアン-100と1ぴきの犬の物語」ドディー・スミス(文渓堂)「ヘンリエッタのいえ」エリザベス・グージ(たぶん邦訳なし)「アンクル・トムの小屋」ストー(多数あり)「三銃士」A.デュマ(多数あり)マイケル・ムアコックアーサー王のことを書いた本「妖精譚」 「シンデレラ」(多数あり) 「太陽の東 月の西」アスビョルンセン(岩波少年文庫)ウッドハウスのジーヴスもの →たとえば「比類なきジーヴス」P.G.ウッドハウス(国書刊行会)アシモフ「指輪物語」J.R.R.トールキン(評論社)「キム」→「少年キム」ラドヤード・キップリング(晶文社)「宇宙戦争」H.G.ウェルズ(多数あり)「木曜の男」G.K.チェスタトン(創元推理文庫)「ペレランドラ」C.S.ルイス(筑摩文庫)「ナポレオン綺譚」→「新ナポレオン綺譚」G.K.チェスタトン(春秋社)「39階段」ジョン・バカン(創元推理文庫)「トムは真夜中の庭で」フィリパ・ピアス(岩波少年文庫)「オクスフォード版バラード集」「冒険の城」イーニッド・ブライトン(新学社文庫)絶版「真剣が肝心」→「まじめが肝心」オスカー・ワイルド(新潮文庫「サロメ」所収)「金枝篇」J.G.フレイザー(岩波文庫ほか)「マザー・グース」(多数あり)「十二夜」シェークスピア(多数あり)「黒馬物語」アンナ・シューエル(学生社新書ほか)「シャーロック・ホームズの冒険」コナン・ドイル(多数あり)リストはいろいろ有るみたいですが、実際に借りたり買ったりすることを念頭にメモってみました。参考まで。
2008年02月18日
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昨日、「九年目の魔法」のところで、龍のことを書いてから書店へ寄ってみたら、ジョン・トプセルというひとの「ドラゴン 飼い方育て方」という本が目にとまり、ぱらりらしてみたところ、かわいくておかしかったのでご紹介してみます。「第1部 ドラゴンを飼うまえに(ドラゴンとはなにか?/ドラゴンを飼う理由 ほか)/第2部 ドラゴンの品種(品種の系譜/東洋のドラゴン ほか)/第3部 最高のドラゴンを育てる(ドラゴンを選びましょう/あなたにぴったりの品種は? ほか)/第4部 ドラゴンを訓練する(訓練を始めましょう/訓練―小さなドラゴンの場合 ほか)/第5部 ドラゴンを披露する(ドラゴンを貸し出す/ドラゴンを披露する ほか)」(「BOOK」データベースより)懇切丁寧なハウツー本ですね。これで、ドラゴンを育てる準備は万端、あとはドラゴンを手に入れるだけです。さあ、それやがな・・・。 ↑ リンクのやりかたを覚えた!
2008年02月18日
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ダイアナ・ウィン・ジョーンズの「九年目の魔法」を読みました。いや、ちょっと難しかったです。子どもが読んだらどう感じるのかとか、心配しないでもよいことが心配になりました。それはともかく、妖精の世界の掟では、女王は81年、王は9年で再生することになっていて、その際に犠牲になる人間が必要とされる。ただし、女王が再生する81年目には、王は再生しないため9年とばして18年目に再生することになっている(と思う)。一方で、その昔、(王の再生のため?)妖精の女王に捕らえられ、生け贄になりかけたタム・リンは、ジャネットという女性によって救出されたということが、妖精譚の「タム・リン」に書かれてある。ということで、王であるモートン・ペリー・リーロイが再生するために犠牲になることが定められたトーマス・リンを、ジャネットであるポーリィが救うというのが話の大筋になっている。ところが、ポーリィがリンさんと出会ったのは、妖精の女王の再生時のお葬式の場なので、救出劇が設定されるのはその9年先になるわけで、その間、ポーリィとリンさんのやりとりがいろいろあるし、おまけに5年目には策略にはまって記憶を消されたりしている。それに加えて、原題となっている「火と毒草(毒人参)」の写真が意味ありげだし、毒人参と言ったら毒であると同時に記憶を消す効果も持つらしいし。また、ポーリィが「わたしにとって、勝つことは負けることを意味してた」なんて分からないこと言ってるし。さらにさらに、フレイザーの「金枝篇」の「力の減退と共に殺される王」とか「任期明けに殺される王」とか「仮王」など思わせぶりな章のことに何回も触れてるし。というわけで、すっかり混乱してしまいましたが、込み入ったことを考えるのは、そういうことに向いた人にまかせるとして、僕はと言えば、例えば、「(英雄は)巨人や龍や何かを殺しに行くの」というポーリィに対して、「(巨人のことはともかく)どうしても龍を殺すの?」としぶるリンさんがおかしくて素敵なのと、2人の数本ネジのとんだようなチグハグなやりとりで、十分楽しんだので満足なのでした。
2008年02月17日
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この前書いた花輪和一さんが影響を受けた挿絵画家に、伊藤彦造さんという人があると知り、興味があったのでちょっと調べてみました。「伊藤彦造(1903年~2004年)は、日本の画家。大分県大分市出身。剣豪、伊藤一刀斉の末裔に生まれ、自らも剣の師範であった。東京朝日新聞に勤務中に同社の専属挿絵画家右田年英にイラストを学び、改めて画家を目指し日本画家の橋本閑雪に師事する。大正から昭和にかけて活躍した。主に挿絵を描く。1925年(大正14年)に、行友李風の小説「修羅八荒」の挿絵でデビュー。若くして時代ものの挿絵画家として第一人者となった。剣の世界を躍動感あふれる筆致で描き、美貌の剣士が活躍する冒険活劇で人気を確立した。硬質なタッチのペン画にも定評があり、細密に描かれた挿絵は緊張感にあふれる剣術シーンを余すところなく表現した。 戦前、少年雑誌草創期の「少年倶楽部」(草創期の少年誌で最高70万部)などの連載小説の挿絵でよく知られ、その挿絵作品のほとんどは同誌の版元である講談社が保管しているため、散逸はなく展覧会などの機会があれば現在も作品を見ることができる。その他に、大衆雑誌「キング」(最高部数150万部)での掲載小説の挿絵などで知られる。」(うぃきぺでいあ)いくつか挿絵を見てみたら、すばらしかったので、もったいないと思いご紹介してみました。
2008年02月16日
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落ち着きどころが見出せないので落ち着かない、というわけで居心地の悪い思いが続いていたのですが、結局「アムネジア」は、より大きな物語の一部でなくてはならない、と思うことにしました。しかし、読者の権利において大きな物語を構成せよと言われても、それは僕には無理というものです。であるからしまして、作者に続編(?)を書いていただけることを強く希望することにしました。もうちょっと親切に書いてよ、という作者に対する愚痴もちょっぴりあるのですけど・・・。
2008年02月15日
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昨日、桜庭一樹さんの少女観みたいなことで勝手な事を書いてから、ふと気になったので、つんどくしてました高原英理さんの「少女領域」を引っ張りだしてぱらりらしてみました。「少女領域」の序で、高原さんは、「相手への抗議より先に、世界へ問いかける何かを私は、少女、だなと思う。それは、性別にも年齢にも関係ない。」と書き、さらに、「私が「少女的な意識」と考えてきたものは、いずれも、性を通して感じる共同体的規範への違和感でもある。本書で扱う小説における少女たちが、必ず、世上に「少女」として分類されることで認められる以上の男性的・大人的な権利を要求し、またその意識や存在様式において、性的な境界を越えようとする者たちばかりであることに注目していただきたい。彼女たちは、身体上で取り敢えずは「女性」と自認しているが、性的役割としての「女性」はおおむね拒否している。そうすることで、性的な「分類」というものに疑問を投げかける。少女であること自体は特別なことではないが、少女として意識しつつ世界を眺めたとき、その人は必ず分類不能な存在となるのだ。」と述べた上で、少女型意識の誕生としての野溝七生子さんの「山梔」を皮切りに、龍膽寺雄さん「放浪時代」川端康成さん「浅草紅団」尾崎翠さん「第七官界彷徨」室生犀生さん「或る少女の死まで」稲垣足穂さん「うさぎ」 ←漢字で書名が入らないよぉ~。倉橋由美子さん「聖少女」森茉莉さん「甘い蜜の部屋」中森明夫さん「オシャレ泥棒」松浦理恵子さん「ナチュラル・ウーマン」大原まり子さん「ハイブリッド・チャイルド」を挙げています。これはこれで、高原さんの観点からの少女小説ということなのですが、僕にとって気になっていたのは、桜庭さんが、図らずもこの中から「第七官界彷徨」、「聖少女」、「甘い蜜の部屋」を選択している観点です。そこで、ぼちぼちとマイペースで、これらの本も読んでみたいと思っているのでした。
2008年02月14日
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倉橋由美子さんの「聖少女」を買書つんどく。この本をなんで買ったかというと、解説が桜庭一樹さんだったから、という単純な理由です。その解説の中で、桜庭さんが「この国で書かれた最も重要な少女小説はなにか?」と聞かれたら「聖少女」と答えるとともに、森茉莉さんの「甘い蜜の部屋」と尾崎翠さんの「第七官界彷徨」に未練を残すと書いています。そうすると「「第七官界彷徨」は持っているけど、「甘い蜜の部屋」は持ってないなぁ~」と考えてしまうのが僕で、さらにそうすると「これは買わなければ」と思ってしまうのが僕なのです。やれやれ・・・。それはさておき、これらの本を少女小説の代表的なものと考えているところを見ると、「私の男」と言い、桜庭さんにとって、父など近親者とのなんらかの性愛的な関係が少女の成立条件である、というなんとも僕には分かりにくいことがらが仄見えてくるのでした。
2008年02月13日
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昔、「月ノ光」とか「赤ヒ夜」といった花輪和一さんの初期のコミック作品集を持っていたのですが、実家の片付けのどさくさでどこかへ行ってしまって、悔しい思いをしていました。この度、その一部と単行本未収録作品を収めた「花輪和一初期作品集」を本屋さんで見つけたので、買って読みました。初期のものにはバカバカしいものも多いのですが、僕にとってそれが快感になりクセになってしまうタチの悪さが花輪さんの漫画にはあります。困った事です。それにしても「月ノ光」と「赤ヒ夜」はどこへ行ってしまったのでしょうか?悔しさが再燃してきました。 ↑ ちょっと引いてしまう表紙かも・・・。
2008年02月12日
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稲生平太郎=横山茂雄さんの「アムネジア」を読みました。「アクアリウムの夜」から15年後の作品です。アムネジアとは、記憶喪失、健忘症のことです。これは記憶をめぐるミステリといってよいのでしょうか?しかし、記憶喪失というよりも、むしろ記憶の書き換えといったほうが良いかも知れません。記憶は書き換えられ、ずれながら、まるでカノンのように変奏されていき、何がほんとうで、何が書き換えられた物語なのか分からなくなります。すべてが、書き換えられたものであるということも有り得ます。そのため、とても複雑に入り組んでしまい、もっと長い物語の一部であればよいのにといった印象も抱きました。「だって、私たちは日々記憶の喪失を生きているのだから。そして、現実の影を幻燈のように映し出すものを、現実の痕跡を砂に刻された獣の足跡のようにとどめるものを記憶だと思い込み、ついには記憶を現実と取り違えているけれども、現実を作りあげているのは記憶のほうで、その記憶を日々捏造するのが私たちの生なのだ。こんな簡単なことをどうして忘れていたんだろう?おまえの人生を変えたあの出来事を憶い出すがいい、おまえの記憶がその全体をいかに変容させてしまったか思い知るがいい。」(本文より)また、記憶喪失というよりも、リインカーネーション(輪廻)の物語のような側面も持っていると思われるのですが、これにはどこかミスディレクションがあるかも知れません。なんとなく、裏で作者の哄笑が聞こえてきそうです。「今回の物語、今度の生。乾いた唇を動かして、そう呟いていた。女の言葉は正しかった。今度の生でなくしたのだ。本当の物語は失われてしまった。あるいは最初から存在しなかった。今回の物語の頁が閉じられるとき、この地上のどこにも戻るべきところなどなく、ただ、同時に天と奈落へ向かって繰り返し、繰り返し墜ちていくしかない。ほとんど不可能というところまで目を瞠いたが、もはやなにも見えなかった。」(本文より)以前、飯島耕一さんの「暗殺百美人」や「六波羅カプリチョス」を読んだ時に、とても気分の高揚を感じましたが、この本も、僕にとって、またここに引き摺り戻されてくるような予感のする物語でした。 ↑ まるで「なかに書かれているのは悪夢ですよ」といってるような表紙ですね。
2008年02月11日
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またメモです記憶=カノン、とすること。カノンkanon (独)音楽形式/作曲技法の一種、またはそれで作られた曲。元になる旋律(主題)とそれと同形の旋律をずらした重ね合わせたような形式のもの。輪唱はカノンの一種。カノンはその形によっていろいろな種類があり、代表的な物は以下のようなものがある。平行カノン同じメロディを重ね合わせた形をしていて、もっとも単純な形が主題(元のメロディ)をずらし重ねる輪唱の形をしたもの。その名前の通り、音符が平行移動したような物をなので、オクターブだけでなく、完全5度のような物も含む。回転カノン (反行カノン)音程の変化が主題と高低が逆に変化するもの。例えば主題がCDEFならCHAGのように変化する。逆行カノン主題を時間的に逆に、つまり後ろから並べた物。主題がCDEFならFEDCのように変化する。拡大カノン時間の拡大、つまり元のメロディの音符の長さを等倍した音符を使った物。主題がCDEFならC-D-E-F-のように変化する。縮小カノン時間の縮小、つまり元のメロディの音符の長さを一定の比率で短くした音符を使った物。主題がC-D-E-F-ならCDEFのように変化する。(「はてなダイアリー」より)
2008年02月10日
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「稲生物怪録」で、最後に平太郎が妖怪の魔王(山本五郎左衛門)から与えられた木槌は、いつでも山本五郎左衛門を呼び出せる木槌でした。まるで、鉄人28号を操縦する金田正太郎くんのリモコンのように(ちょっと違うか?)まるで、ハクション大魔王を呼び出すカンちゃんのくしゃみのように(まだちょっと違うか?)まるで、マグマ大使を呼び出すフォーリーブスの江木俊夫が演ずるマモル少年の笛のように(まあ、こんなもんか)
2008年02月09日
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かみのけ座に関する個人的メモです。(すみません)「おおぐま座」、「うしかい座」、「おとめ座」、「獅子座」に囲まれたほぼ中央に、細かい星が集まっているところがあり、これが「かみのけ座」なのだそうです。「星座を形づくる星のほとんどが、散開星団「メレット111」のメンバーです。この星団は260光年でヒヤデス星団についで2番目に近い星団です。更にこの星団は全体で秒速8kmのスピードで「ほ座」の方向に移動しています。ここには「かみのけ座銀河団」と言って、3億光年彼方に数千の銀河が密集していると言われ、「宇宙の覗き窓」とか「銀河の原」と言われています。」(「宇宙船ヘールボップ艦隊」さんのホームページより)「この星座の成立に当たっては、魅力的な伝説がある。史実に基づくはっきりした由来を持つ星座は、この星座とたて座のみである。古代エジプトの王で、アレキサンドリアを文化中心都市にしたプトレマイオス3世(在位紀元前246年-紀元前221年)とその妻で王妃のベレニケが主な登場人物である。紀元前234年ごろ、プトレマイオス3世王は、自分の姉妹を殺したアッシリアを攻めた。ベレニケは、夫が無事に戻ったならば、美しく、かつ美しいゆえに有名であった自分の髪を女神アプロディテに捧げると誓った。夫が戻ると、王妃は髪を切り、女神の神殿に供えた。翌朝までに、髪の毛は消えていた。王と王妃は大変に怒り、神官たちは死刑を覚悟した。このとき、宮廷天文学者コノンは、神は王妃の行いが大変に気に入り、かつ、髪が美しいので大変に喜び、空に上げて星座にした、と王と王妃に告げ、しし座の尾の部分を指し示した。そして、その場所はこれ以後、ベレニケのかみのけ座と呼ばれることになった。コノンのこのとっさの知恵により、神官たちの命は救われた。」(うぃきぺでぃあ)「別の伝説では、12年間続いた長血をキリストによって癒されたエルサレムの女(新約聖書:マルコ5-25、マタイ9-20、ルカ8-43)ベロニカが、かみのけ座と結びつけられることもありますが、これはベレニケの名をラテン語化するとベロニカになることから生じた混同のようです」(土山由紀子さん「星の停車場」より)
2008年02月09日
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稲生平太郎=横山茂雄さんの「アクアリウムの夜」を読みました。横山茂雄さんは、「怪奇幻想文学とオカルティズムにまたがる領域を広くカバーして創作・評論・研究活動を行なっている」人(石堂藍さんの紹介による)で、奈良女子大学の教授をされており、稲生平太郎というのは「アクアリウムの夜」を書いたときのペンネームになります。アクアリウムというのは、「水生生物の飼育設備を指し、所謂水族館のような大型施設から小規模の個人的設備までの全体にまたがる概念」(うぃきぺでぃあ)で、この本では主として水族館をさしています。物語は、邪教や生贄、さらに僕の苦手なクトルゥーめいたものに真っ黒に彩られた、残酷かつ気がめいるようなダークファンタジーが、ほんとにすばらしい文章で綴られていきます。引き続き、稲生さんの「アムネジア」を読んでいますので、その時になにか追加で書けることがあれば書いてみたいと思います。
2008年02月08日
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唐突ですけど、ちょっと稲生平太郎という人について。「稲生平太郎とは、江戸時代中期1749年(寛延2年)に柏生甫によって書かれた稲生物怪録に登場する備後三次藩(現在の広島県三次市)に実在した藩士稲生武太夫の幼名である。稲生物怪録は、当時16歳であった稲生平太郎が、寛延2年の7月の一ヶ月間、体験したという怪異をそのまま筆記したと伝えられている。肝試しにより妖怪の怒りをかった平太郎の屋敷にさまざまな化け物が30日間連続出没するが、平太郎はこれをことごとく退け、最後には妖怪の魔王(山本五郎左衛門)から勇気を称えられ木槌を与えられるというものである。平太郎の子孫は現在も広島市に在住、前述の木槌も実在し、「稲生物怪録」の原本も当家に伝えられているとされる。」(「うぃきぺでぃあ」から作成)この本にインスピレーションを受けて書かれた本には、泉鏡花「草迷宮」、折口信夫「稲生物怪録」、稲垣足穂「山ン本五郎左衛門只今退散仕る」などがあるそうです。(読んでません)また、最近では、この本の中で山本五郎左衛門と並んで「妖怪の魔王」として名前の記されている神野悪五郎に題材をとった高原英理さんの「神野悪五郎只今退散仕る」という本もあります。 ↑ 大きいのが山本五郎左衛門。小さいのが平太郎。
2008年02月07日
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ダイアナ・ウィン・ジョーンズの「九年目の魔法」を買書。ダイアナ・ウィン・ジョーンズの本では、クレストマンシー・シリーズを読みましたが(最初の「魔女と暮らせば」が良かった)、「私が幽霊だった時」を読みかけて挫折したっきりになってます。「ハウル」も読んでいません(つんでいます)。「九年目の魔法」は読むのでしょうか?(人に聞くな!)「なにか、おかしい。壁にかかった懐かしいこの写真も、愛読していたベッドの上のこの本も、覚えてるのとは違ってる。まるで、記憶が二重になってるみたい。そう、ことの起こりはたしか十歳のとき。大きな屋敷にまぎれこんだら葬式をやってて、そこでひょろっとした男の人、リンさんに出会って、そして、なにかとても恐ろしいことが始まって…少女の成長と愛を描く現代魔法譚。」(「BOOK」データベースより)ところで、「オックスフォード大学では、J・R・R・トールキンやC・S・ルイスに師事した。」(うぃきぺでぃあ)のだそうです。師事ってなんのことでしょうか・・・?
2008年02月06日
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恒川光太郎さんの「雷の季節の終わりに」を読み終わって、時間がたつにつれ印象がいよいよ鮮明になってくるので、「うん、これはたいしたことなのかも・・・。」と思っていたら、昨晩、本の神様(?)が夢枕に立って、「もっと宣伝しときなさい。」と言うものですから、「はい!わかりました。」というわけで、もう一回宣伝しときます。「雷の季節の終わりに」は、読みやすくて面白いので、超おすすめです!こんなもんかな?まだ、足らんと言われるかな?「雷の季節の終わりに」は、読みやすくて面白いので、超おすすめです!どうだっ!
2008年02月05日
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前出の恒川さんの「神家没落」と柳田国男さんのマヨイガを関連付ける感想をちょくちょく見かけたので、ちょっと補足してみます。「さてふと見れば立派なる黒き門の家あり。訝しけれど門の中に入りて見るに、大なる庭にて紅白の花一面に咲き鶏多く遊べり。その庭を裏の方へ廻れば、牛小屋ありて牛多くおり、馬舎ありて馬多くおれども、一向に人はおらず。(中略)遠野にては山中の不思議なる家をマヨイガという。マヨイガに行き当たりたる者は、必ずその家の内の什器家畜何にてもあれ持ち出でて来べきものなり。その人に授けんがためにかかる家をば見するなり。」(柳田国男「遠野物語」六三番)「迷い家(まよいが、マヨイガ)とは、東北、関東地方に伝わる奇談で、柳田国男が「遠野物語」で紹介したことにより広く知られるところとなった。「まよいが」とは遠野での呼称である。典型的な概略としては、山奥深くに迷い込んだ者が偶然立派な門を持った屋敷にたどり着く。屋敷の庭には紅白の花が咲き乱れ、沢山のニワトリ、牛馬がおり、座敷には綺麗な食器が多数並べ出されており、火鉢の火はついたままで、囲炉裏には沸いたばかりのお湯がかけてある。しかし、人は誰ひとりおらず、呼びかけても応える者はない。迷い人は暫し休息を取った後、什器をいくつか携えて屋敷を後にした。そしてようやく山を抜けることが出来たが、再びかの迷い家を訪ねようとしても決してたどり着くことは出来なかった。迷い人の家は里に戻ってから大層繁栄し、一躍大金持ちとなったという。「迷い人がたどり着く」「無人」「椀などの什器を持ち帰る」「訪問者の家が栄える」などの共通点を持ちながら様々なバリエーションが存在する。無欲な人が何も持ち帰らずに迷い家を後にすると、あとから川上からお椀が流れてきたりする。その椀を使って穀類を測る升(ます)とすれば穀倉は尽きることがなくなるともいう。村落共同体における富裕層の起源説話に「隠れ里伝説」や「椀貸伝説」が結び付いたものと思われる。」(うぃきぺでぃあ)なるほど、想像力をかき立てて深読みを誘うような内容ですね。
2008年02月04日
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「雷の季節の終わりに」に引き続き、恒川光太郎さんの「秋の牢獄」を読みました。「秋の牢獄」:11月7日を繰り返し生きるリプレイヤーたちのお話。一人ひとりと彼らの数は減っていくが、いなくなった人はどこへいくのか?そして主人公の運命は?「神家没落」:空間を越えて移動する家に捕らえられた男のお話。家を引き継がれた男が、家から逃れるために、迷い込んだ別の男に引き継ぐが・・・。「幻は夜に成長する」:少女のイドの怪物みたいなお話。人に幻を見せる能力をもった少女は、監禁された牢の中で密かに怪物を育てていく。全体的に、「夜市」や「雷の季節の終わりに」が持っていた異界テイストは薄くなり、特に最後の「幻は夜に成長する」なんかは、むしろ平山夢明さんの「独白するユニバーサル横メルカトル」みたいな世界に近づいているような感じ。僕としては、、「夜市」や「雷の季節の終わりに」の雰囲気がとても好きなので、恒川さんにはこっちの路線でがんばって欲しいと思いました。他に例を見ない恒川さん独自の世界だと思いますので・・・。
2008年02月04日
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恒川光太郎さんの「雷の季節の終わりに」を読みました。「隠(おん)という異界」と「人に憑依する風の霊鳥」と「霊鳥の力により不死となったサイコ怪人」のお話です。話の要約は難しい、というかお話そのもののお話なのですが、ストライクゾーンのとても広い、ほとんどハズレなしの本だと思います。とてもおすすめです。
2008年02月03日
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田口ランディさんの「キュア」を買書つんどく。田口さんの作品は「コンセント」、「アンテナ」と「モザイク」の3つを読みましたが、デビュー作である「コンセント」が一番感覚的に新鮮で面白くて、後になればなるほど慣れができてしまったのでしばらく買わなかったのですが、久しぶりにこの本には惹かれたので買ってみました。とても頭の切れる人だという印象があります。「若き外科医の斐川竜介は、肝臓ガンで余命1年であることを知る。リストカットの少女・キョウコに支えられながら、自らの運命に立ち向かう。医療現場で病とたたかってきた斐川だが、科学にどっぷりつかりながらも、スピリチュアルのカリスマ、最新ガン治療を受ける青年実業家、放射線生物学者との出会いを通して自分の治療を模索する。」(「BOOK」データベースより) ↑ カバーはちょっと愛想ない。気がつかなかったけど、これは体ですね。臍がありますね。
2008年02月02日
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木地雅映子さんの「悦楽の園」を読みました。読みながら、あれこれと思いが導かれていく中で、生き難さを感じている人のもとにこの本が届けばいいな、という思いと同時に、なにか腫れ物にでも触るようないごこちの悪さを感じていました。ある人の感想で、「(木地雅映子さんが何者にも似ていないと感じない)人はたぶん、なにもわかっちゃいないのだ。」注:( )内は僕の補足ですというのに出会い、あぁこれだ!と腑に落ちる思いをしたのですが、こういう抑圧的な言動を引き起こしかねない危うさを感じていたのだと思います。亀裂を走らせるのではなく、木地さんがいうところの「翻訳者」が必要なのだと痛感しました。ほんとは、もっと本の感想を書こうと思っていたのですが、そういう気分がふっとんでしまいました。
2008年02月01日
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