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ロバート・W・チェイムバーズ「黄衣の王」を買書つんどく。東京創元社ならではのラインナップというわけで。「教会の不快な夜警の登場を皮切りに、不思議な夢や怪異に悩む画家を襲う強烈な恐怖を描く「黄の印」ほか、恐怖と災厄をもたらす戯曲『黄衣の王』にまつわる短編四篇に加え、かつて暗殺教団の神殿で巫女として霊能力を高めたアメリカ人女性が、世界の破滅を目論む八人の妖術師と魔術戦を繰り広げる長編「魂を屠る者」を収録する。不世出の異才の秀作を選り抜いた国内初の傑作集。訳者あとがき=大瀧啓裕」(東京創元社の紹介)
2010年07月31日
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睡魔に飲みこまれながら、手元に残っている謎について最後に考えた。これはみんな、あらかじめ予定されていた出来事なのだろうか?――ぼくが写真を見てエリーズに恋してしまい、どうにかして出会おうと苦心し、ついに彼女のもとに到達したのは、すべて予定どおりの事柄なのか?ぼくの訪問を彼女が予期していたのも、うまく予定どおりに行くよう用意された仕掛けなのだろうか?(リチャード・マシスン「ある日どこかで」P269)
2010年07月31日
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諸星大二郎さんの「西遊妖猿伝西域篇2」を読みました。「西遊妖猿伝」の最初の連載が、諸星さん34歳の1983年。僕が初めて読んだのが、その2~3年後ですから、つきあいは25年くらいになります。再始動が一昨年。諸星さん、すでに59歳。そして現在、第2部西域篇の2巻目ですから、第3部天竺篇までの道のりは遠い。僕もつきあいますので、ぜひ、完結させていただかねば!「夜のような美少女、羊頭の魔物、ゾロアスター教寺院――冒険活劇の香気はより濃密に。西遊記漫画の異端にして金字塔、新章第2幕!旅の仲間に加わった沙悟浄の案内で、伊吾の国を目指す玄奘一行。一夜の宿を借りた地主の家で、人間の所行とは思えぬ血みどろの殺人事件に巻き込まれ……。羊頭の怪物群やソグド人騎兵隊を相手に、孫悟空の金箍棒が唸る!ますます波瀾万丈なエキゾチック・アドベンチャー!!」(講談社の紹介)
2010年07月30日
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「そんなもの、いるのかしら?」「どんなもの?」ケイトはまばたきをしました。「どんなって、人間でしょ?ちがう人間。うちのなかに住んでいて・・・・・いろんなものを、借りていく・・・・・」メイおばさんは、仕事の手をとめてききかえしました。「あなたは、どう思うの?」「わからないわ。」と、ケイトは、くつのボタンをつよくひっぱりながら、いいました。「いるはずないと思うけど、」――ケイトは顔を上げました――「だけど、ときどき、きっといると思うことがあるの。」「どうして、そうお思いだい?」と、メイおばさんがききました。「だって、いろんなものがなくなるんですもの。たとえば、安全ピンね。工場では、どんどん安全ピンをつくっているでしょ。そして、みんな、毎日のように安全ピンを買っているわ。それなのに、どういうわけだか、さあいるというときには、一つだってないんですもん。いったい、どこに、みんなあるんでしょ?いま、こうしているとき、どこへいっちゃうんでしょう?針だって、そうだわ。」(メアリ・ノートン「床下の小人たち」P14)「イギリスの古風な家の床下に住む小人の一家。暮らしに必要なものはすべて、こっそり人間から借りていましたが、ある日、その家の男の子に姿を見られてしまいます―カーネギー賞を受賞した「小人シリーズ」の第1作。小学5・6年以上。」(「BOOK」データベースより)
2010年07月29日
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テリー・ビッスン「平ら山を越えて」を買書つんどく。河出の「奇想コレクション」も、いよいよ、ヤングの「たんぽぽ娘」を残すのみ!「トラック乗りと少年の旅を描くノスタルジーに満ちた表題作をはじめ、若い夫婦が授かった不思議な赤ん坊をめぐるハートウォーミング・ストーリー「ジョージ」、少年が古い競技場で見つけた“あるもの”が導く、優しくて切なすぎる物語「ちょっとだけ違う故郷」、太古の世界がテーマの異色作「スカウトの名誉」、インタビューの回答だけを並べて現代の暗部を暴き、ローカス賞、ネビュラ賞をW受賞した傑作「マックたち」、究極のディストピアSF「謹啓」など、全9編を収録。」(「BOOK」データベースより)
2010年07月29日
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やがて予想もしていなかった言葉を彼女が不意に言ったので、その声に唖然とさせられた。「あなたなの?」とエリーズが訊いたのだ。(中略)「そうです、エリーズ」無意識のうちに自分の口がこたえていた。彼女がよろめき、ぼくは咄嗟に手をのばしてその腕をつかんだ。(リチャード・マシスン「ある日どこかで」P212)
2010年07月28日
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ヘリコプターはなんで飛ぶのであろうか?羽根、止まってるし・・・・・。進め!海洋少年団!
2010年07月28日
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アウル・クリーク橋の上で絞首刑にされそうになった男が妻のもとに逃げるが、それは死ぬ直前の妄想にすぎず、妻には会えずにおわるという話を思い出した。小さい波が始終打ち寄せ、休みなく陸地を叩き、遠い突風があげる咆哮のなか、あの物語と同じように、エリーズ・マッケナとぼくは永久に歩み寄りつづけるのではあるまいか。(リチャード・マシスン「ある日どこかで」P211)
2010年07月27日
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雲が煙のように黒くなっている。まるで、世界が燃えあがっているかのように。胃の不快感がぶり返した。でも遠くに去ったクィーン・メリー号とおなじで、もう気にしない。結局は、ただのアップル・デニッシュのようになってしまうのだから。(リチャード・マシスン「ある日どこかで」P33)
2010年07月27日
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赤染晶子さんの「乙女の密告」を買書つんどく。お決まりということで、買書しました。「真実とは乙女にとって禁断の果実だった。言葉とアイデンティティの問題をユーモア交えて描く芥川賞受賞作。京都の大学で、『アンネの日記』を教材にドイツ語を学ぶ乙女たち。日本式の努力と根性を愛するバッハマン教授のもと、スピーチコンテストに向け、「一九四四年四月九日、日曜日の夜」の暗記に励んでいる。ところがある日、教授と女学生の間に黒い噂が流れ……。言葉とアイデンティティの問題をユーモア交えて描く芥川賞受賞作。」(新潮社の紹介)
2010年07月26日
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ぼくらの過去を思いおこせばそれは最高に楽しい時間旅行(リチャード・マシスン「ある日どこかで」扉)「脳腫瘍であと半年足らずの命と診断された脚本家リチャードは、旅の途中、サンディエゴのホテル・デル・コロナードでひとりの女性を目にする。女優エリーズ・マッケナ。1896年の色あせたポートレイトからほほえみかける彼女に会おうと、彼は時間旅行を試みるが…時を隔てた恋の行方は?映画化され熱狂的な人気を博する傑作ファンタジイ。世界幻想文学大賞受賞作。」(「BOOK」データベースより)
2010年07月26日
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ジェーン・シーモア(1951年~ )イギリス生まれの女優。「007 死ぬのは奴らだ」のボンド・ガール、「ある日どこかで」のエリーズ・マッケナなど。
2010年07月25日
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モード・アダムズ(1872年~1953年)ユタ州のソルトレークシティ生まれの舞台女優。ジェームズ・バリ作「小牧師」の主演で人気を博する。1905年の「ピーターパン」の舞台は、延べ200万人を動員したといわれる。
2010年07月25日
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須永朝彦さんの「天使」を買書つんどく。須永さんの本が欲しかったのですが、小説全集には手を出しかねていました。よかった、よかった。「・出版当時、荒俣宏が、「こんな作品がわが国で刊行されること自体がファンタスティックだ」と絶賛した、天才歌人須永朝彦の初期短篇小説から、20数編を選りすぐった傑作選。・天使と吸血鬼といった美の化身たちが羽ばたき交わす、耽美的で幻想的な物語群。・澁澤龍彦、稲垣足穂、佐藤春夫ら幻想作家の血脈を正統に継ぐ文学世界。」(国書刊行会の紹介)
2010年07月24日
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ルイス・キャロル「不思議の国のアリス」「鏡の国のアリス」ジェームズ・バリ「ピーター・パンとウェンディ」ミヒャエル・エンデ「はてしない物語」ウォルター・デ・ラ・メア「ムルガーのはるかな旅」ジョージ・マクドナルド「北風のうしろの国」リチャード・アダムズ「ウォーターシップ・ダウンのうさぎたち」
2010年07月24日
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「未来というのは、刻(とき)の果てということなのですよね」そう、つばきは答えたのだ。(梶尾真治さん「つばき、時跳び」P59)というわけで、梶尾真治さんの「つばき、時跳び」を読みました。先に読んだ、24歳でのデビュー作、「美亜へ贈る真珠」を思うとき、執筆時には、もう60歳近い作家が、このような、ある意味進歩のないメロドラマを書いてしまうことに、かえって作家の業の恐ろしさを感じてしまいました。完全に、「時」の呪縛に絡めとられているようです。それは、それは、いじらしいくらいです。ところで、、このたび、この作品は舞台化されるそうですが、むしろ映画として、とびきり面白い作品になるのではないか、と思いました。
2010年07月23日
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しかし、仰烏帽子の不完全なタイムマシンの経過がなければ、私とつばきの出会いはなかったはずなのだ。それを考えると、何がきっかけになり、何が結果だということの境界が、だんだんとあやふやに思えてくる。いや、こう思えばいいのか。すべてが、時の輪の中で定められていたことなのだと。(梶尾真治さん「つばき、時跳び」P344)
2010年07月22日
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星野智幸さんの「俺俺」を買書つんどく。この書評で、買っちゃいました。「マクドナルで隣り合わせた男の携帯電話を手に入れてしまった俺は、なりゆきでオレオレ詐欺をしてしまった。そして俺は、気付いたら別の俺になっていた。上司も俺だし母親も俺、俺でない俺、俺ではない俺、俺たち俺俺。俺でありすぎてもう何が何だかわからない。電源オフだ、オフ。壊ちまうす。増殖していく俺に耐えきれず右往左往する俺同士はやがて─。孤独と絶望に満ちたこの時代に、人間が信頼し合うとはどういうことか、読む者に問いかける問題作。」(「BOOK」データベースより)
2010年07月22日
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望月哲男さん新訳、ドストエフスキー「白痴」の刊行が始まりました。全3巻になる予定だそうです。「初冬のペテルブルグに姿を現した外国帰りの青年ムィシキン公爵。莫大な遺産を相続した彼をめぐり、高慢な美女ナスターシヤ、誇り高き令嬢アグラーヤ、血気盛んな商人ロゴージンなどが織りなす人間模様。ドストエフスキー五大長篇中もっともロマンとサスペンスに満ちた傑作、新訳決定版。」(「BOOK」データベースより)
2010年07月21日
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新・テッポウユリが咲き始めました。
2010年07月21日
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「りょじんさんは・・・・・私が細川家の城代家老の長岡監物様から命じられてお世話申し上げていた方です。でも、あるとき、突然、自分の国に帰ってしまわれました」「百椿庵に住んでいたのですか?」「そうです」「りょじんさんの国に帰ったって・・・・・外国人だったのですか?」「・・・・・いえ、私たちと同じように見えました・・・・・」(梶尾真治さん「つばき、時跳び」P99)りょじんさんが、つばきに事情も告げずに突然、消えてしまったというのは、どういうことなのだろうか。百椿庵の「場」をもってしても、文箱の効力でも及ばぬ力で、時から跳ね飛ばされたのだろうか。(梶尾真治さん「つばき、時跳び」P269)
2010年07月20日
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古川日出男さんの「4444」を買書つんどく。「4444」の紹介ページがあります。「成海璃子、絶賛!「この小説、とんでもないですよ! 本を閉じた後、世界が変わってみえました」――4年4組を舞台に仕組まれた44の物語。「4」が今、生と死の放物線を描き出す。」(河出書房新社の紹介)
2010年07月20日
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かくて、完璧に時の輪は、閉じられた・・・・・。さようなら、・・・・・。(梶尾真治さん「時尼に関する覚え書」(「美亜へ贈る真珠」所収)P228)というわけで、梶尾真治さんの「美亜へ贈る真珠」を読みました。「美亜へ贈る真珠」、「詩帆の去る夏」、「梨湖という虚像」、「玲子の箱宇宙」、「「ヒト」はかつて尼那を・・・・・」、「時尼に関する覚え書」、「江里の「時」の時」の7つの短編が収録されています。「玲子の箱宇宙」を除いて、いずれもセンチメンタルなメロドラマなのですが、なかでは、デビュー作「美亜へ贈る真珠」の印象深いラスト(あざやかです)に、また、「時尼に関する覚え書」の、互いの「時」が交錯するやるせなさ(どうしましょう?)に、感銘を受けました。また、「詩帆の去る夏」のメモのところでも触れたのですが、「詩帆」の心理には、ほんとうは大きな(お話が一つできるくらいの)ドラマが隠されているはずと思いますので、そこが描かれていないところは残念に思ったことでした。
2010年07月19日
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これは、連鎖融合とは縁のない「時」なのだ。黒沢が江里を救おうと飛びこんでいった「時」があるように、無数の「時」が存在する可能性があるのだ。その中の一つに私はたどりついてしまった。この「時」では黒沢と江里は、共同研究者であり、恋人同士なのかもしれない。そのような「時」も、また存在しえたのだ。(梶尾真治さん「江里の「時」の時」(「美亜へ贈る真珠」所収)P264)
2010年07月18日
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今年もひとつだけ咲きました。しかし、けったいな花です。
2010年07月18日
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「時尼・・・・・」私は呼びかけた。時尼は、人見知りするでもなく、私に黙って笑いかけた。これが、時尼に会える最後の機会のはずだ。時尼の日記にそう記してあった。会うのは二回目・・・・・と。遡時人の時尼は、それから一九四六年までの人生のスタート地点にいるというのに。私は、時尼の顔をみつめた。記憶に焼きつけるために。まだ、無垢の時尼を・・・・・。そして時尼の指を見た。白く小さな手に指輪は、まだはめられていなかった。今が・・・・・やはり、そのときなのだ。(梶尾真治さん「時尼に関する覚え書」(「美亜へ贈る真珠」所収)P227)
2010年07月17日
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遠山敦さんの「丸山眞男-理念への信」を買書つんどく。うん、こういう本も買っておこうかな、と。「丸山眞男の魅力は、その分析にみられる明晰さや鮮やかな切れ味、(略)など、さまざまな点に求めることができるだろう。だが、今なお彼の残した業績が人々を惹きつけてやまないものであるなら、その根底にあるのは、右に見たような、ある種精神主義とでもいえるような「理念」への「偏向」というその生き方や倫理的態度であり、またそれを生涯を通じて一貫して維持した精神の強靱さとでもいうべきものにあるのではないだろうか。――<本書より>」(講談社の紹介)
2010年07月17日
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パンチェスタはそのとき「ヒト」の眼で何かが光っているのを見逃さなかった。それが何か、聞いてはいけないという気が直感的にあった。「ヒト」の気持ちが光っていたにちがいないのだ。その事件以来、「ヒト」の心の中で時が停止してしまっていたのかもしれない。(梶尾真治さん「「ヒト」はかつて尼那を・・・・・」(「美亜へ贈る真珠」所収)P175)
2010年07月16日
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ジャン・ポール・サルトル「嘔吐」を買書つんどく。60年ぶりの、また鈴木道彦さんの新訳ということで、買ってみました。「港町ブーヴィル。ロカンタンを突然襲う吐き気の意味とは……一冊の日記に綴られた孤独な男のモノローグ。――物が「存在」であるように、自分を含めた人間もまた「存在」であることにロカンタンは気づく。そうだとすれば、われわれがこの世界に生きているのも偶然で、何の理由もないはずだろう。われわれはみな「余計な者」である。この発見は強烈で、作品全体に一種のアナーキーな空気を漂わせている。(中略)これは政治運動としてのアナーキズムの意ではなく、独りきりの孤立した人間が練り上げたラディカルな思想を指している。(訳者あとがきより)」(人文書院の紹介)
2010年07月16日
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たしかに梨湖と進は、今、「フェッセンデン」の中で一つの生活を持っていたのです。これは、虚像の進を作り上げながらも、完全な進に近づければ近づけるほど違和感を持ち続けた梨湖の一つの解決法だったのでしょ。そして、もしも、自分の身に何かがあった場合、自動的にプログラムが発現するようにしておいたのです。彼女の死が契機となり、彼女の理想世界がスタートする。(梶尾真治さん「梨湖という虚像」(「美亜へ贈る真珠」所収)P115)夫が小さな悲鳴を残してあっけなく吸い込まれるのを見届けると、玲子は身を投げるように「箱宇宙」に飛び込んでいった。「箱宇宙」に吸いこまれながら、玲子は、これが昔から予定されていたことだという気がしてならなかった。(梶尾真治さん「玲子の箱宇宙」(「美亜へ贈る真珠」所収)P141)「だめだ!」わたしは叫んだ。「きみが実験に使い、危険にさらしたり、滅ぼしたりする世界や住民たち――あれは本物なんだ!われわれと同じくらい本物なんだ、たとえ無限に小さいとしても。これ以上は彼らを苦しめたり、虫けらのように殺させたりしないぞ。きみの科学的好奇心なんかくそ食らえだ」(エドモンド・ハミルトン「フェッセンデンの宇宙」P28)
2010年07月15日
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白のキキョウとうちの玄関前です。
2010年07月15日
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大切に持っていたメダルを裕帆に与えたことに寂しさはありませんでした。むしろ何か、私の胸にとどこ溜っていたものが消え去ったような気分でした。でも、裕帆の選んだ彼とはどんな人物なのでしょう。願わくば私と違って、真に裕帆を愛し抜くことのできる力強いタイプの青年であってくれれば良いのですが。(梶尾真治さん「詩帆の去る夏」(「美亜へ贈る真珠」所収)P76)なんどと、さらっと書かれていますが、そもそも、なんで「詩帆」が「私」を、嘘をついてまで試さなければならなかったのか、さらに、なんで「私」が出した結論を慫慂と受け入れたのか、ここのドラマが知りたいものです。
2010年07月14日
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中井久夫さんの「私の日本語雑記」を買書つんどく。この本も、ちょっと品切れぎみなようです。ほんとに不思議です。「精神科医、またエッセイスト・翻訳家として知られる著者の豊かな言語経験を、初めてまとまった形で書き綴ったオリジナルな日本語「随論」。著者の文章感覚や文章表現の極意ともいうべき日本語の実践的使い方論、著者自身の言語形成にかかわる個人史、外国詩の翻訳経験にもとづく文章論的発見、言語文化・文明論的な巨視的洞察など、全編、著者ならではの創見に富み、刺激的です。」(「BOOK」データベースより)
2010年07月14日
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それは確かに真珠でした。陽に輝いてキラキラ光る透明な真珠。それはアキの足元から十センチほど上に、宙に浮かんでいました。そしてそれは、かすかですけど確実に落下しつづけていたのです。(中略)「ほんとに、きれいだわあ」美亜の面影が、ふっと幼い孫の横顔をよぎりました。七色に輝く真珠は殖え続けていたのです。アキの顔はゆがみ、口は大きく開かれようとして。最初の真珠は床の上でゆっくり王冠を形造りました。まるで本当の真珠のように・・・・・。それは、アキがまだ持っていた、美亜のための真珠なのです。「とってもきれい」私も・・・・・そう思いました。(梶尾真治さん「美亜へ贈る真珠」(「美亜へ贈る真珠」所収)P36)
2010年07月13日
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チャイナ・ミエヴィル「ジェイクをさがして」を買書つんどく。次の、「うぃきぺでぃあ」のミエヴィルの紹介も面白いですね。イギリスのファンタジー作家。チャイナ・ミーヴィルとの表記も。自身の作品を(特にH・P・ラヴクラフトのような20世紀初期のパルプ・マガジンに掲載されるような)「怪奇小説」と説明することを好んでいる。またファンタジーを商業主義や陳腐なJ・R・R・トールキンのエピゴーネンから排除することを目的とする、ニュー・ウィアードと呼ばれるゆるやかな作家グループに属している。「ロンドンは、どこからともなく出現した謎の存在“イマーゴ”に幾度となく蹂躙され、無秩序状態に陥っていた。わずかに残った数千人の市民は、レジスタンスを組織し抵抗運動を続けていたが、容赦ない攻撃を繰り返すイマーゴの前になすすべもなかった…。グロテスクなイメージに彩られたローカス賞受賞の傑作「鏡」、世界の終焉を迎えつつあるロンドンを彷徨う男を描いた表題作ほか、英国SF界の旗手による全14篇を収録。」(「BOOK」データベースより)
2010年07月13日
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大好きな花です。これはピンクのキキョウですけど、分かりづらいかもしれません。
2010年07月12日
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ジョーゼフ・キャンベル/ビル・モイヤーズ「神話の力」を買書つんどく。文庫化されたので、買って見ました。 「世界中の民族がもつ独自の神話体系には共通の主題や題材も多く、私たちの社会の見えない基盤となっている。神話はなんのために生まれ、私たちに何を語ろうというのか?ジョン・レノン暗殺からスター・ウォーズまでを例に現代人の精神の奥底に潜む神話の影響を明らかにし、綿々たる精神の旅の果てに私たちがどのように生きるべきか、という答えも探っていく。神話学の巨匠の遺作となった驚異と感動の名著。」(早川書房の紹介)
2010年07月12日
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「するとシルヴィーの夢を見ていたのか」とぼくはひとりごちた。「それならこれが現実だ。それとも現実にシルヴィーといっしょだったのか、それならこっちが夢だ。人生そのものが夢なのだろうか?」(再掲)(キャロル「シルヴィーとブルーノ」P42)というわけで、ルイス・キャロル「シルヴィーとブルーノ」を読みました。語り手である、「ぼく」は、心臓疾患を患い、医師である「アーサー」を訪ねる。途中で、「ミュリエル嬢」と同行することになり、訪れる先の「アーサー」と「ミュリエル嬢」の交感に立ち会うことになるが、そこに、「シルヴィーとブルーノ」の属する妖精世界と「ぼく」の交感が紛れ込む。いわば、「妖精世界」からの現実の侵犯のお話ですが、冒頭「妖精世界」の記述から始まるため、それに気づくまでにけっこう時間がかかってしまいました。要するに、「アリス」が夢の物語あるいは別世界の出来事であったのに対し、「シルヴィーとブルーノ」は現実と「妖精世界」の交流の話であるというところに、この物語の新機軸があるということでしょうか。ところで、この物語は、いささか唐突に終わってしまうわけですが、「あとがき」でもまったく触れられていない「完結編」があり、これが、ウェブ上で邦訳されて公開されています。(「七里のブーツ」さん。多謝!)なので、引き続きこれを読もうと思います。
2010年07月11日
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横井 小楠(よこい しょうなん、文化6年(1809年) - 明治2年(1869年))は日本の武士・熊本藩士、儒学者。鎖国体制・幕藩体制を批判し、それに代わり得るあたらしい国家と社会の構想を「公共」と「交易」の立場から模索した。小楠は、「公共」性・「公共」圏を実現するために、「講習討論」「朋友講学」といった身分階層を超えた討議を政治運営のもっとも重要な営為として重視した。また、「交易」を重視する立場から、外国との通商貿易をすすめ、産業の振興をも「交易」として捉えて国内における自律的な経済発展の方策を建議し、そのために幕府・藩を越えた統一国家の必要性を説いた。体系的に小楠の国家論が提示された文書として、万延元年(1860年)に越前福井藩の藩政改革のために執筆された「国是三論」がある。そのほか、学問と政治のむすびつきを論じた嘉永5年(1852年)執筆の「学校問答書」、ペリーやプチャーチンへの対応についての意見書である嘉永6年(1853年)執筆の「夷虜応接大意」、元治元年(1864年)の井上毅との対話の記録「沼山対話」、慶応元年(1865年)の元田永孚との対話の記録「沼山閑話」などがある。(うぃきぺでぃあ)
2010年07月10日
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西村寿行さんの「捜神鬼」を買書つんどく。西村さんの動物小説集と聞いて思い出すのは、小説ではないですけど、西村さんの「世界新動物記」です。あれは今、どこにあるのだろうか?「夜の国道で道路の中央に蹲っている少年がいた。彼は、一緒に暮らしていた老人が死ぬ間際に残した言葉を守り、飼っていた蟹が海岸で産卵しようと移動するのを、命がけで守ろうとしていたのだった。それを知ったドライバーたちは、最後まで少年が見守れるように動いた。しかし、蟹と少年にはさまざまな難敵が襲いかかってくる(「妖獣鬼」)。 抜き差しがたい心情が膨れあがっての、生き物たちとの深い交わりを描きながら、「人間と動物はついにわかりあえないという断念を基調としている」(北上次郎)という、人間の孤独や哀しみの深奥に迫った、傑作動物小説集。」(小学館の紹介)
2010年07月10日
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この言葉は期待したほど気がきいているとは思えなかった。だがミュリエル嬢はまともに受け取ったようだ。「その場合――」と彼女はきりだしたが、突然はっとしてふりむき耳をすました。「聞こえませんか?」と彼女はいった。「あの子が泣いているの。いってあげなくちゃ、ともかく」それからぼくはひとりごちた。「なんとも奇妙だ!ぼくと話していたのはミュリエル嬢だと思いこんでいたが。では、ずっとシルヴィーだったのか!」そしてぼくはもう一度、一大努力をしてなんとか意味のあることをいおうとした。「じゃがいものことかな?」(キャロル「シルヴィーとブルーノ」P185)「きみもくるんだろう?」ぼくはシルヴィーにいった。「ええ」彼女はいった。「でも通ってしまえば、あたしたちの姿は見えなくなってよ」「でも、むこうできみたちを待っていれば?」ぼくは敷居をまたぎながら尋ねた。「その場合」とシルヴィーはいった。「じゃがいもがあなたの目方を尋ねるのはもっともなことですわ。十五ストーン以下の者とは誰とも議論をしない実に立派な形の玉子形のじゃがいもが目に浮かぶよう」たいそう骨折って、ぼくは思考の本筋を取り戻した。「ぼくらはすうっと横道(ナンセンス)にそれてしまうね」とぼくはいった。「それじゃ、すうっと、もとに戻りませんこと」とミュリエル嬢がいった。「お茶をもう一杯いかが?これなら常道(コモンセンス)ですわね?」(キャロル「シルヴィーとブルーノ」P290)というような、場面転換がこの物語を大きく特徴づけています。
2010年07月09日
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井上ひさしさんの「一週間」を買書つんどく。井上さんに対しては、なんでか好感もってないですけど、それはそれとして・・・・・。「昭和二十一年早春、満洲の黒河で極東赤軍の捕虜となった小松修吉は、ハバロフスクの捕虜収容所に移送される。脱走に失敗した元軍医・入江一郎の手記をまとめるよう命じられた小松は、若き日のレーニンの手紙を入江から秘かに手に入れる。それは、レーニンの裏切りと革命の堕落を明らかにする、爆弾のような手紙だった…。『吉里吉里人』に比肩する面白さ、最後の長編小説。」(「BOOK」データベースより)
2010年07月09日
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そしてそのとき、にわかに内部の光がぱっと閃いて、ほとんど忘れ去っていたぼくの人生の一部――エルヴェストンにむかう途中で経験したあの奇妙な幻覚――を照らしだすように思われた。ぼくは嬉しさにわくわくしながら考えた。「この幻覚はぼくの目覚めているときの人生とつながる運命にあるのだ!」(キャロル「シルヴィーとブルーノ」P185)
2010年07月08日
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丸谷才一さんの「文学のレッスン」を買書。また、ブックガイドを買ってしまった。また、買書つんどくが増えてしまう!「面白くて、ちょっと不穏な丸谷才一「決定版文学講義」!小説からエッセイ、詩、批評、伝記、歴史、戯曲まで。古今東西の文学をめぐる、目からウロコの話が満載。」(「BOOK」データベースより)
2010年07月08日
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子どもが種まきをしたホウセンカです。種をとって、来年もまきます。
2010年07月07日
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「また桜庭一樹読書日記」が更新されていますので、ご紹介。今回は、高峰秀子さんの「わたしの渡世日記」、川本三郎さん「いまも、君を想う」、辻原登さん「闇の奥」、ロミ「突飛なるものの歴史」などについて書かれています。 で、気に入った表現もメモってみました。あの、不安。どこに行くのかまったくわからない展開。人間の心にあいた、矛盾に満ちて自分勝手で、不気味な、青白い穴。嫌悪を呼ぶ底なしのあの不安のこともまた「文学」と呼ぶひとがいるだろうか。辻原登も、古井由吉も、「……ロッぽい」(色っぽい、を小声で言った)。やっぱり手書きかなぁ。どうだろう。
2010年07月07日
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陛下は静かに尾をふった。「まったくほっとするわい」と王はいった。「たまにあの宮殿を抜け出すとな。実を申せば、皇室の犬の生活は退屈なものじゃ。すまんが」(とシルヴィーにむかって、低い声で少々はにかみながら、きまり悪げに)「すまんが、余が取ってこられるように、あの棒きれをちょいと投げてもらえんじゃろうか」シルヴィーは驚きのあまり、一瞬何もできなかった。王が棒きれを追いかけるなんて、そんな突飛なことはありっこなかった。しかしブルーノのほうはその場に動じなかった。「よし、いいかい。取っておいで、わんわんちゃん!」と大喜びで叫ぶと、彼は棒きれを潅木の茂みのむこうへ放り投げた。つぎの瞬間、ドッグランドの君主は潅木を飛びこえ、棒きれを口にくわえると、そのまま全速力で子供たちのもとへ戻ってきた。ブルーノは一大決意でそれを受けとった。「ちんちん!」と彼がいうと、陛下はちんちんをした。「お手!」とシルヴィーが命令すると、陛下は前足を差し出した。ようするに、旅人たちをドッグランドの国境まで見送るという厳粛な儀式は、長々しいにぎやかな戯れごととなってしまったのだ。「しかし務めは務めじゃ」ようやく犬王がいった。「わしも務めに戻らにゃならん。これ以上先へはいかれぬわい」と彼は、鎖で首にさげた犬時計を見ながらつけ加えた。「たとえ猫が出てきおっても」(キャロル「シルヴィーとブルーノ」P172)
2010年07月06日
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ジム・クレイス「隔離小屋」を買書つんどく。この方は、徹底的な無神論者なのだそうです。「謎の伝染病に冒された「アメリカ」。隔離小屋(ペストハウス)に置き去りにされた瀕死の女、大陸を脱出して海の向こうを目指す大男、二人の愛は冷酷な試練を乗り越えられるのか? 文明が荒廃し、自然が荒れ狂う、時代不明の「アメリカ」。女は謎の伝染病に罹って、生死の境をさまよい、全身の毛を抜かれ、丘の上に建つ「隔離小屋」に置き去りにされる。男は大陸を脱出し、海の向こうを目指して兄と旅していたが、足を痛め、兄とはぐれてしまう。ちょうどその時、湖から湧き出した毒ガスが麓の街を襲い、住民や旅人たちは全滅する。男と女は隔離小屋で運命的な出会いをし、危機一髪で難を逃れることができたが、ふたりの行方には、凄絶な旅路が待っていた……。 ここは本当に「アメリカ」なのだろうか? 人びとの生活様式は中世に退行し、前途に希望が見出せない者たちが、この地を捨て、海を越えた新天地を目指し、東の海岸へと殺到する。しかし、自然が猛威をふるう大地には、錆びた金属や砕けたコンクリートが散乱し、野蛮な盗賊団が跋扈し、奇妙な宗教にすがる者たちもいる。飢餓と疲労に苛まれる男と女には、つぎつぎと冷酷な試練が襲いかかる。しかし偶然、両親を失った幼い女の子をひきとることで、かすかに未来が開けたかに見えたが……。 生き延びようとするならば、神に祈ったり、神を呪ったりしている暇はない。ここは、頭と手足を使い、駆け引きをし、すべてを利用し、決断することが掟の世界なのだ。本書は、『死んでいる』で全米批評家協会賞を受賞した鬼才による、「生き延びる」ための問題作だ。」(白水社の紹介)
2010年07月05日
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時折、不意に光がきらめいて、ベールがかき消えるようだった。けれどもしかとその顔立ちをとらえる間もなく、またもや真暗闇になるのだった。そんな一瞥のたびに、顔はだんだんと子供っぽく、あどけなく変わっていくようだった。そしてついに僕がベールを完全に考え剥いでしまうと、それはまごうかたなく幼いシルヴィーの愛らしい顔だった!「するとシルヴィーの夢を見ていたのか」とぼくはひとりごちた。「それならこれが現実だ。それとも現実にシルヴィーといっしょだったのか、それならこっちが夢だ。人生そのものが夢なのだろうか?」(キャロル「シルヴィーとブルーノ」P42)
2010年07月04日
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柄谷行人さんの「世界史の構造」を買書つんどく。近所の書店では、早々に売り切れてました。また、インターネット書店でも品切れているようです。この、難しげな、決して安くはない本が品切れるかなあ。「資本=ネーション=国家が世界を覆い尽くした現在、私たちはどんな未来も構想し得ないでいる。しかし本書は、世界史を交換様式の観点から根本的にとらえ直し、人類社会の秘められた次元を浮かび上がらせることで、私たちの前に未来に対する想像力と実践の領域を切り開いて見せた。『トランスクリティーク』以後十余年の思索の到達点。」(「BOOK」データベースより)
2010年07月04日
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