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島田雅彦さんの「悪貨」を買書つんどく。これもやっぱり買ってみました。「国際的金融犯罪を追う潜入捜査官・エリカと謎の男・野々宮。追うものと追われるものが、禁断の恋の果てにたどり着いたのは――リアルとフェイクが交錯する「愛とお金の物語」。講談社創業100周年記念出版」(講談社の紹介)
2010年09月30日
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「これらのものたちは・・・・・実は神の使いなのです。それらは彼のそばからいなくなった者のかわりに最愛の人のもとに送られるのです。しかし、生身の人間ではないので、人間として愛することは禁じられています。そしてそのようなことが起きてしまったら、もとのところに呼び戻されることになるのです」(ロバート・ネイサン「それゆえに愛は戻る」(「ジェニーの肖像」所収)P305)
2010年09月30日
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よしながふみさんのコミック「大奥」第6巻を読みました。まったく強度が落ちてないですね。冒頭の吉宗の時代に追いつくまでには、まだ待たなければならないようですが、これは、すごいコミックになりそうです。予想としては、「書きかえられた」歴史が、再度、「書きかえられる」ことになると思うのですが、その契機はなになのか、ということだと思います。
2010年09月29日
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帰ってきたらパソコンがこわれてました。かろうじて更新はしていこうと思いますが、しばらくの間、みなさんのところへの、ご訪問はできそうにありません。コメントやコメントかえしも無理そうです。ミミズもカエルもみなごめん。
2010年09月28日
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「これは現実じゃないのよ。レニー、わかってるんでしょう?」「この瞬間は現実だ。だって、ぼくらはそう思っている」「わたしがだれだか知らないくせに」そんなことはどうだっていいんだ、とぼくは言った。そのときはそう信じていた。「きみがだれだってかまわない。何者だろうとね」「ああ、レニー。自信たっぷりなのね。でも、あなたにはわからないのよ。それがわたしにとってどういうことか」(ロバート・ネイサン「それゆえに愛は戻る」(「ジェニーの肖像」所収)P255)
2010年09月28日
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トーマス・ベルンハルト「古典絵画の巨匠たち 」を買書つんどく。なんだか難しそうな本ですが・・・・・。「『白ひげの男』を二日に一度、三〇年以上も美術史博物館にやってきては鑑賞する音楽批評家、レーガー。その男が明日もまたここで会おうと作家アッツバッハーに提案した。監視員イルジーグラーをあわせた三人の語りは、現在に複数の過去が呼び込まれ、時間軸が輻輳する。作家、ベルンハルトの真骨頂。」(「BOOK」データベースより)「オーストリアの美術史博物館にかかるティントレットが描いた『白ひげの男』を二日に一度かならず訪れて観る男。そしてその彼を見つめる男。そこからうねるような文体で紡がれる、死後ますます名声を高める巨匠ベルンハルトの反=物語の傑作!」(論創社の紹介)
2010年09月28日
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「忠告しとくがな、おまえさん、あの女をまた海にほうりこむことになるぞ」冗談を言っているのかと思ったが、そうではなかった。「レニー。おれは年くってる分だけ、海から上がってきた、わけのわからんものを、くさるほど見てきた。あの女よりよっぽど妙なものもな。だが、やっぱり――あの女は海に返すんだ。おれの言葉を信じろ――それが、おまえさんにできる一番利口なことだ」「彼女は海から出てきたわけじゃないよ」ぼくはつっけんどんに言った。「おいおい、そんなこたあ、わかっとるさ。・・・・・」(ロバート・ネイサン「それゆえに愛は戻る」(「ジェニーの肖像」所収)P248)「・・・・・かえって心配になったんだ。こうしてあの女をよく見たせいでな」子どもたちを家に残し、キャスリーンの手伝いをさせておいて、ぼくたちは浜辺に散歩しに行った。「おかしなもんだ。前は、あの女が本当にいるもんだかどうかわからなかった。そいつは今でもわからん。だが、たぶんそんなことはどうでもいいんだろうよ。おれたちのまわりには、わけのわからんものがうようよいるんだからな」(ロバート・ネイサン「それゆえに愛は戻る」(「ジェニーの肖像」所収)P265)
2010年09月27日
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新しく仲間入りしたリンドウです。というか、リンドウの冬越しに、また失敗したので・・・・・。
2010年09月27日
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二日後、トリーシャが浜辺から、待ちに待っていたニュースを持ち帰ってきた。「あの女の人。あの、クリスがおぼれそうになったのを助けてくれた人よ。あのね、あたし、あの人見たんだ」夕食のときに、ホウレン草を口いっぱいにほおばりながら、彼女は告白した。「海んなかで、足のつくところに立っていたら、あの人が、波のなかから、あたしのこと見てたの」その言葉には、何の疑いも感じられなかった。どうやら、トリーシャにとっては、長い髪に海原のような緑色の目をした女が、波間から自分を見ているのが、ごく当たり前のことのように思えるらしかった。(中略)ぼくは、はやる気持ちを抑えようとしていた。「彼女、どこに行ったか、わかるかい?」ぼくは訊いた。「浜辺に上ってきたのかな、それともほかのところへ?」「海のなかに戻つてったわ」(ロバート・ネイサン「それゆえに愛は戻る」(「ジェニーの肖像」所収)P184)ずっとあとで、ハリーおじさんが彼女を死んだクジラと同類に入れていたという話をしたとき、ぼくは彼女が笑うだろうと思ったのだが、そうではなかった。「わたしも、いつか海で死ぬわ」真顔で言った。「ほかの人たちが、空で死んだり、土の上で死んだりするのといっしょよ。ちっともおかしくなんかないわ」ぼくはそのとき、あまり気に留めなかったことを覚えている。(ロバート・ネイサン「それゆえに愛は戻る」(「ジェニーの肖像」所収)P186)
2010年09月26日
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マリーナ・レヴィツカ「おっぱいとトラクター」を買書つんどく。これ、面白そうですね。しかし、なんちゅうタイトルなんでしょう(笑)。こんなページもあります。「母が亡くなって2年後、元エンジニアで変わり者の父が、ウクライナからやって来た豊満なバツイチ美女と結婚すると言い出した!父84歳、美女36歳。母親の遺産問題で仲の悪くなっていた2人の娘は一時休戦、財産とヴィザ目当てに違いないその女性から父を守るべくタッグを組み、追い出し作戦を開始するのだが…。ヨーロッパで話題騒然のイギリス発世界的ベストセラー、日本初上陸。」(「BOOK」データベースより)
2010年09月26日
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そして一瞬ののちに、ぼくは彼女を見た。彼女はぼくの下の、少し東より、町の波止場の近くにいて、川のほうから坂を上ってこようとしていた。疲れている様子で、風が彼女を犬のようにひきずりまわしていた。見ているうちに、バランスをくずしてころびかかり、それからまた水のほうにうしろ向きにすべり落ちはじめた。東のほうから川筋を上ってべつの波がやって来た。ぼくにはそれが近づいてくるのが見えた。どうやって風に逆らい、丘を下りて彼女のもとに行ったのかはわからないが、ぼくはそうしていた。ぎりぎりのとこれで彼女に腕を巻きつけ、危ないところから引っぱり出した。波頭が足元すれすれに通っていった、彼女は真っ白な顔でぐったりとぼくにもたれかかり、目を閉じていた。「ここに来られないんじゃないかと思ったわ」(ロバート・ネイサン「ジェニーの肖像」P153)
2010年09月25日
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望月哲男さん訳、ドストエフスキー「白痴3」と、亀山郁夫さん訳「悪霊1」を買書つんどく。いや、あと残っているのは「未成年」になっちゃいましたね。どちらが訳されるのでしょうか?「イッポリート自殺未遂の翌朝、エパンチン将軍家の末娘アグラーヤとムィシキン公爵は、互いの好意を確認する。しかし、不可能な愛に悩むナスターシヤの呪縛から逃れられない公爵は、ロゴージンも交えた歪な三角関係に捕われ、物語は悲劇的様相を帯びていく。テンポ良く読みやすい新訳、完結。」(「BOOK」データベースより)「最近わたしたちの町で、奇怪きわまりない事件が続発した。町の名士ヴェルホヴェンスキー氏とワルワーラ夫人の奇妙な「友情」がすべての発端だった…。やがて、夫人の息子ニコライ・スタヴローギンが戻ってきて、呼び寄せられるように暗い波乱の気配が立ちこめはじめる。」(「BOOK」データベースより)
2010年09月25日
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上ばかり見ていると・・・・・。こういうのにけつまずいて、こけたりします。痛い・・・・・。
2010年09月24日
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少なくとも彼女の居所を知っておかなくては。そうすれば、必要になれば捜し出すことができる。しかし彼女は首をふった。「あたしがどこに住んでいようと、かまわないでしょう?あなたはあたしのところには来られないんだから。あたしだけがあなたのところに来られるのよ」彼女は悲しげに、この上ないやさしさを込めて、しかしきっぱりと言いきった。一瞬ぼくらは互いに、見かけ以上に大きな溝をはさんで見つめあった――これまでだれひとりとして越えたことも、戻ってきたこともない溝を・・・・・彼女はぼくのほうに手を伸ばすような、ちょっとしたこころもとないしぐさをした。そしてその瞬間が去ると、ふたたび、ぼくには見ることのできない何かを夢見ている、見知らぬ彼女自身のなかに引きこもってしまった。けれどもそのときぼくは、互いにわかりあっていることを知ったのだ。(ロバート・ネイサン「ジェニーの肖像」P84)
2010年09月24日
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開高健はつねに飢えの記憶に立ちもどった。頭よりも舌と胃を指針にして、いかなる思想にもイデオロギーにもくらまされず、徹底して冷めていた。(池内紀さん「開高健と飢え」(「文学フシギ帖」所収)P181)というわけで、池内紀さんの「文学フシギ帖」を読みました。日本のいろいろな作家さんの一面が、新書3ページから4ページの長さで書いてあり、ちょっとした時間で、つつっと読めて、気がついたら読み終わっていたかんじです。僕としては、なかでは、「子規と「明治の女」」、「林芙美子、二十三歳」、「長谷川四郎と文学風土」、「開高健と飢え」、「須賀敦子と異文化」がよかったと思います。それは、筆者の、それらの作家への愛情がひしひしと伝わってくるものでした。一方で、特に三島由紀夫さんなんかはお嫌いなようで、思わず笑ってしまいました。この本では、日本文学のビッグネームは、おおかたカバーされていると思いましたが、気がついたところでは、谷崎潤一郎さんとか大江健三郎さんなんかの項目がありません。お嫌いなのであろうか?(笑)
2010年09月23日
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明日が嵐の中に消えてしまったらどうなる?時間が止まってしまったら?そうしたら昨日を――もしも、ぼくたちがいつか道に迷い、嵐に巻きこまれてしまったなら――ぼくたちの前にある、明日の太陽が昇ると思っていたところに、ふたたび昨日を見つけるのだろうか?(ロバート・ネイサン「ジェニーの肖像」P59)
2010年09月22日
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津原泰水/尾崎翠さんの「琉璃玉の耳輪」を買書つんどく。尾崎翠さんが、昭和二年に坂東妻三郎プロダクションの公募に応じるために書いた脚本「琉璃玉の耳輪」を、津原泰水さんが小説化したものだそうです。この小説化の実現については、あの「八本脚の蝶」の二階堂奥歯さんが、からんでおられるとか。「三人の娘を探して下さい。手掛かりは、琉璃玉の耳輪を嵌めています――女探偵・岡田明子のもとへ迷い込んだ、奇妙な依頼。原案・尾崎翠、小説・津原泰水。90年の時を超え、幻の探偵小説がついに刊行!」(河出書房新社の紹介)
2010年09月22日
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言葉の性質がまるきりちがうのだ。ここでは言葉が動作やセリフをつたえても、ドラマをつくるものではない。そのような劇的要素は磨いたガラスのように拭いとられており、そしてきれいなガラスを通すように見えてくるものがある。ひとことでいうと関係であって、「対」の関係。すなわち南半球と北半球、静止と動き、こちら側とあちら側、生と死、始まりと終わり、そして1984と1Q84。この自由な作家は、こともなく9をQに変えられる。(池内紀さん「村上春樹の自由」(「文学フシギ帖」所収)P203)
2010年09月21日
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恒川光太郎さんの「竜が最後に帰る場所」を買書。そう遠からず読んでみようと思います。「風を、迷いを、闇夜を、鳥を。著者はわずか5編の物語で、世界の全部を解放してしまった。闇の中から一歩、また一歩と光射す方へ誘われる、「夜市」の著者の新たな到達点にして最高傑作。」(講談社の紹介)
2010年09月21日
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・・・・・またしても、まわりの世界が霧に包まれたように幻想的なものになってきた。ぼくたちのまわりを川のように流れていくスケーターたち、太陽の光を反射するスチールの小さなきらめき、その川が流れていく音、一瞬視界に入ってきてはまた消えていくいくつもの人影――ぼくたち自身の静かでゆるやかな動き――すべてが前に一度味わったことのある感覚へぼくを連れ戻す・・・・・夢のなかにいながら目覚めているようなあの感覚に。不思議な感覚だ。となりのほっそりした姿を見下ろすと、まちがいなくぼくが覚えているより背が高かった。「この前会ったときより、ずいぶん大きくなったみたいだ」「そうね」そしてぼくが何も言わずに、ただ曖昧にほほ笑んでいると、彼女はまじめな顔をしてつけ加えた。「あたし、急いでいるんだもの」(ロバート・ネイサン「ジェニーの肖像」P40)
2010年09月20日
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ひとんちの(?)アゲハ蝶です。しっぽ(?)のところが、傷ついています。しかし、ズーム機能がないと、昆虫なんかを撮るのはたいへんです(笑)。
2010年09月20日
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佐江衆一さんの「昭和質店の客」を買書つんどく。こういう本も買っておこうかなと・・・・・。「昭和14年、満蒙開拓団員として大陸に渡り、終戦直前、「自決」命令により妻子と父に銃口を向けた柳田保男。戦地から帰らない恋人を待ち続ける六区のレヴューガール染子。23歳で応召し、ニューギニア戦線で地獄の敗走の果てに息絶えた小説家希望の矢野進。─浅草栄久町の路地裏にある「昭和質店」が出会った三人それぞれが生きた「昭和」と「戦争」。」(「BOOK」データベースより)
2010年09月19日
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遊歩道のまんなかでひとりで遊んでいた女の子も、もの音ひとつ立てていなかった。彼女は石けり遊びをしていた。両脚を広げて宙に跳び上がり、タンポポの種と同じくらい静かにふたたび着地した。(中略)その子は次跳ぶところに印をつけてかまえたが、その前に横を向いてぼくを見た。「もう遅い?」彼女は訊いた。「時間ってあんまりわからないの」「うん。遅いよ」(ロバート・ネイサン「ジェニーの肖像」P11)「1938年、冬のニューヨーク。貧しい青年画家イーベンは、夕暮れの公園で、一人の少女に出会った。数日後に再会したとき、彼女ジェニーはなぜか,数年を経たかのように成長していた。そして、イーベンとジェニーの時を超えた恋が始まる……愛と幻想の詩人ネイサンの傑作ファンタジイ「ジェニーの肖像」を新訳で贈る。さらに、妻を亡くした童話作家とその子供たちの、海の精霊のような女性との交流を描くもう一つの代表作「それゆえに愛は戻る」を併録。解説=恩田陸」(東京創元社の紹介)
2010年09月19日
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ケープコッドは、アメリカ合衆国東北部のマサチューセッツ州東端を形成し、バーンステーブル郡のほぼ全域に相当する腕の形をした半島である。(うぃきぺでぃあ)
2010年09月18日
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宮部みゆきさんの「おそろし 三島屋変調百物語事始」「あんじゅう 三島屋変調百物語事続」を買書つんどく。「あんじゅう」を先に買ってから、「事始」の「おそろし」を持っていないことが判明したのでした。「ある事件を境に心を閉ざしてしまった17歳のおちかは、江戸の神田三島町で袋物を商う叔父夫婦のもとに預けられる。裏庭の片隅にひっそりと曼珠沙華のひと群れが咲く秋のある日、叔父・伊兵衛は、おちかに来客の対応をまかせて出かけてしまう。来客の相手をすることになったおちかは、曼珠沙華の花を怖れる客の話に次第に引き込まれていく。そして、伊兵衛の計らいで次々に訪れる人々のふしぎ話は、おちかの心を溶かし、やがて彼女をめぐって起こった事件も明らかに…。」(「BOOK」データベースより)「さあ、おはなしを続けましょう。三島屋の行儀見習い、おちかのもとにやってくるお客さまは、みんな胸の内に「不思議」をしまっているのです。ほっこり温かく、ちょっと奇妙で、ぞおっと怖い、百物語のはじまり、はじまり。」(「BOOK」データベースより)
2010年09月18日
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清子は、島と同じ気持ちになった。完全に島と同化した瞬間だった。即ち、ユタカを絶対に島外に出すものかと決心したのだった。(桐野夏生さん「東京島」P172)というわけで、桐野夏生さんの「東京島」を読みました。上の、「逃がさない」ということばが預言として成就されるように、ユタカは「島」に残り、清子は去っていきます。それとパラレルに、双子のうち、女の子は去り、男の子は「ひとじち」として残ります。そんな中で、一時は「同化した」とまで思われた「島」であり、まして「ひとじち」を取られている「島」のことを、「無かったもの」にしようとするラストの清子の姿が印象に残りました。しかし、双子はあきらめていません。どうも僕には、このお話がこれで完結しているのではなく、いずれ、双子がめぐり合う、別の物語が用意されているように思え、その時になにが起こるのか楽しみだ、なんぞと妄想を膨らませたりするのでした。きっと、「チキチータ=小さい女の子」は動きます。あると思います。
2010年09月17日
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いまは亡き漫画家滝田ゆうは寺島町の生まれであって、「寺島町奇譚」という連載漫画をのこしている。作家永井荷風が人目をはばかるようにして徘徊していたころ、滝田ゆうはハナたらしの少年だった。「清く流れる墨田の東」という校歌の小学校に通い、銘酒屋の並ぶ路地裏でメンコやベーゴマをしていた。連作漫画はタイトルからして荷風を意識したものにちがいない。こちらは少年の目が見てとった人間くさい町である。「墨東綺譚」と「寺島町奇譚」を二つ並べて、「かわるがわる」読んでいくと、おもしろい読書体験ができる。作家荷風が用心深く設定した「ひややかなへだたり」の中に、少年のはだしの足が踏みこむようにしてリアリズムがまじりこんでくる。幻の町と生命力にあふれたワイザツな町とがまわり舞台のように入れかわり、これこそあるべき二十一世紀の小説のように思えてくる。(池内紀さん「永井荷風と幻の町」(「文学フシギ帖」所収)P95)
2010年09月16日
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小野俊太郎さんの「大魔神の精神史」を買書つんどく。あの、「モスラの精神史」に続く「精神史」ですね。「モスラの精神史」は、とても面白かったですよ。「なぜ我々は「大魔神」を知っているのか?1966年に、たった3作だけ作られた映画。しかし、日本人はその名を知っている。あの変身ポーズを取ることが出来る。誕生、活躍、そして伝説となるまでを追う。」(「BOOK」データベースより)「なぜ大魔神は埴輪なのか?なぜ乙女の涙は必要なのか?なぜ大魔神は剣を抜いたのか? 筒井康隆による幻の第四作とは?『モスラの精神史』の著者が、再び日本の文化イコンの謎を一挙解明!! 大魔神から日本が見える!」(角川書店の紹介)
2010年09月16日
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ヤンおじさんが、こっちにおいでという風に手招きしました。「だめだよ。プリンスだから、がけの方に行くなと言われているの」「プリンス、人質だから、だいじにされているだけ」(中略)「ヤンおじさん、ひとじちって何」(桐野夏生さん「東京島」P355)あたしはママが何と言おうと、いつか行ってみようと思いました。でも、ママに教わらなければ、島の場所もわかりません。「ママ、そこにはどうやって行くの」「わからないわ。行き方も帰り方も何もかもわからないの。今では、本当にあったことなのかもわからなくなってきた」(桐野夏生さん「東京島」P365)
2010年09月15日
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うちのブロック塀にとまっていた、蝶?たぶん、タテハチョウのツマグロヒョウモンと思うのですが・・・・・。
2010年09月15日
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キムが叫んでいた。キムの目に涙が見える。抱き合って泣いている者もいた。が、清子は腹にまだ違和感があった。すると、ルースがタガログ語で何か叫んだ。足の間に、血だらけの肉塊がまた滑り出た。もう一人。今度は男の子だった。清子は何と、双子の母親になったのだ。実際の産み立ての赤ん坊は、想像していたような可愛らしさも、夢に見たような賢しらさもなく、猿の子のように醜くて、か弱い存在だった。それが二人もいるのだ。(桐野夏生さん「東京島」P310)
2010年09月14日
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池上永一さんの「トロイメライ」を買書つんどく。「テンペスト」からだいぶ経ちました、という感覚が不思議じゃないほどに、この頃の作家さんは多作ですね。「唄とグルメは那覇の華。武太を惑わす、6つの難事件。犯人は誰だ!?19世紀、幕末時代の琉球王朝。無職の三線弾きだった武太は、新米岡っ引きに任命された。意気揚々と正義に燃えるが、世の中うまくいかないことばかり。毎夜どこかで起こる事件と、一喜一憂する庶民の人情に触れながら、青年はひとつずつ大人への階段を上っていく─。」(「BOOK」データベースより)
2010年09月14日
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子生みという素晴らしい仕事を成し遂げた自分だけが、崇め奉られたかった。それには、神話か何かで補強する必要がある、と清子は唐突に思った。島と交わり、島の子供を生んで、島と化した女の物語を書いて伝承していかねばならない。「母親しか要らない」清子が呟いたのを、オラガが聞き咎めたらしく、不審な顔付きをしたが何も言わない。(桐野夏生さん「東京島」P171)
2010年09月13日
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ジェイムズ・ジョイス「若い藝術家の肖像」を買書つんどく。ちょっと前に出た、丸谷才一さんの新訳です。この本については、同じく丸谷さんの訳で二度読んでいて、どうしようか迷っていたのですが、やっぱりこの新訳が、単純に欲しかったので、買書しました。「ジョイスにとって初めて出版された(1916年)半自伝的作品。「ユリシーズ」で徹底的に追及されることになる文体実験はこの小説から始まる。今回、丸谷氏は新訳決定版として、詳細な脚注を加えた。主人公スティーヴンの幼年時代から小、中、大学教育を経て、アイルランドを離れる前の晩までの、彼の意識に重点を置いて書かれたモダニズムの代表傑作。スティーヴンはアイルランドのカトリック社会の中心となっている制度が抑圧的で、想像力の発露を妨げると考えるようになり、次第に孤立していく。その結果彼はますます芸術に身を捧げる決心に傾いてゆく。幼児語の語りから始まる第1章は最初の学校生活のことを語る。第2章で彼の家族は没落して引っ越すことになる。売春婦との最初の性体験。第3章は宗教的修養会の場面である。彼は犯した罪(性体験のこと)の意識にさいなまれる。第4章はその罪をあがなうための自虐的な生活形態を描く。芸術家とし立つべく決意する。第5章でアイルランドと関係を絶ち、パリに出奔することを決心する。」(なんの解説?)
2010年09月13日
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本屋さんの児童書コーナーに寄ってみると、なんと、村上 春樹さんの新訳で、シルヴァスタインの「おおきな木」が出ていました。すぐに読めるので、立ち読みをしてしまいました。持っている旧訳で、以前読んだ時の印象と同じく、やるせなさを感じてしまいました。ところで、村上さんの訳といえば、「ロング・グッドバイ」が早川文庫で刊行されました。この本は、清水俊二さんの訳で2回読んでいますが、村上さんの訳はつんだままです。また、村上さん訳の「グレート・ギャツビー」は、ほんとうにすばらしいですので、まだお読みでない方はぜひ!
2010年09月12日
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それにしても奇妙なことである。詩人からすると詩集はすべて原理的に「抄」であるのに、作者はどうして、わざわざタイトルにまでつけたのだろう。生前とくに高村光太郎と親しかった詩人の草野心平が、智恵子の「凶暴性を発揮した場合」の詩がないのを惜しんでいる。もしそれが一篇でもあれば「更に残酷で凄烈な美」を加えただろうというのだ。書き始めてから刊行まで三十年ちかくかかっている。光太郎は自分たちの日常に狂気をもたらした何かのあることをよく知っていたのではあるまいか。その贖罪の意識が哀しく美しいアイドル的智恵子をつくり上げた。創造にたずさわる者の誠実さから、省かれたものを明示する「抄」の一語をタイトルに付加したのではなかろうか。(池内紀さん「高村光太郎の贖罪」(「文学フシギ帖」所収)P88)
2010年09月12日
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「またまた桜庭一樹読書日記」が更新されていますので、ご紹介。今回は、鹿島茂さんの「パリ、娼婦の館」だけ、ちょっとさびしいです。
2010年09月11日
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高遠弘美さんの新訳で、プルースト「失われた時を求めて」の刊行が始まりました。全14巻のうち第1巻の刊行ということで、はたして、いつ全巻完結するのでしょうか?「豊富な語彙と譬喩(ひゆ)で、生彩あふれる自然と立体感に満ちた人物像を描き出し、20世紀を代表する小説となった『失われた時を求めて』。読破は至難の業といわれてきたこの巨編の全訳が、読みやすく理解できる新訳でついに刊行開始!」(光文社の紹介)
2010年09月11日
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「私は長い土手を伝って牛窓の港の方に行った」(「冥土」より「花火」)短編集は夢とも現実ともつかぬ心象風景をつづって、特有の非論理性につらぬかれている。「片方の海の側には、話にきいた事もない大きな波が打っていて、崩れる時の地響きが、土手を底から震わせている」奇妙な不安感がしだいにふくらみ、つづいてやにわに、恐怖が背中にかぶさってくる。それは借金のもつ特性と瓜二つではあるまいか。どうしても金がたりないから、しかたなく借りる。にもかかわらず返さなくてはならず、返すために、またよそから借りなくてはならない。借りる条件は悪くなり、返していけばいくほど借金はふえていく。借金をすると貧乏暮らしだけでなく、つねに奇妙な非論理性を日常的に生きなくてはならない。(池内紀さん「内田百間と借金」(「文学フシギ帖」所収)P69)
2010年09月10日
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サン・テグジュペリ「夜間飛行」を買書つんどく。「夜間飛行」といえば、堀口大学さんの訳が定番だったのですが。「南米大陸で、夜間郵便飛行という新事業に挑む男たちがいた。ある夜、パタゴニア便を激しい嵐が襲う。生死の狭間で懸命に飛び続けるパイロットと、地上で司令に当たる冷徹にして不屈の社長。命を賭して任務を遂行しようとする者の孤高の姿と美しい風景を詩情豊かに描く。」(「BOOK」データベースより)
2010年09月10日
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清子はある日、これは生命の不思議さというより、トウキョウ島の意思ではあるまいか、と気が付いた。島に意思がある、とは誰も思うまい。しかし、島を取り巻く海流から人力で逃れることは、到底不可能だった。助けが来ない限りは、今後、誰一人として島から脱出することはできないのだ。何人たりと逃さないのが島の意思なら、自分の妊娠も、島が何とか最後の女を孕ませようと企んだ結果なのではあるまいか。清子は、自分に存在意義を発揮させようとする島の善なる意思と、一人も逃すまいとする邪悪な意思、とを感じたのであった。(中略)こんもりと茂ったジャングルの樹冠越しに、朝日が眼を射た。眩しさに目を覆った瞬間、清子は突然、トウキョウ島の意思をさらに強く感じたように思った。お前とひとつになる、というメッセージ。(中略)島は、究極の実りの象徴、さらなる混乱を生じさせる方策、として自分に妊娠を強いたのだ。そうだ、間違いない、清子は手を打った。こうなれば、何としても無事に子供を生みたかった。子供を生むことでユタカに勝ち、ホンコンにさえも崇められる絶対的母として、権力を持って生きられるかもしれない。(桐野夏生さん「東京島」P159~162)
2010年09月09日
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ヴィークトル・ペレーヴィン「宇宙飛行士オモン・ラー」を買書つんどく。熱狂的な、都甲幸治さんの書評を読んで買書しました。「うすよごれた地上の現実がいやになったら宇宙に飛び出そう!子供の頃から月にあこがれて宇宙飛行士になったソ連の若者オモンに下された命令は、帰ることのできない月への特攻飛行!アメリカのアポロが着陸したのが月の表なら、ソ連のオモンは月の裏側をめざす。宇宙開発の競争なんてどうせ人間の妄想の産物にすぎないのさ!?だからロケットで月に行った英雄はいまも必死に自転車をこぎつづけている!ロシアのベストセラー作家ペレーヴィンが描く地上のスペース・ファンタジー。」(「BOOK」データベースより)
2010年09月09日
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「イーハトヴは一つの地名で夢の国としての日本国岩手県であります」(中略)それが「大小クラウスたちの耕していた野原」や、少女アリスがたどった鏡の国と同じ世界にあって、「テパンタール砂漠の遥かな北東、イヴン王国の遠い東」にあたること。そこでは何であれ可能であって、一瞬にして氷雲の上を飛ぶこともできるし、赤い花の下のアリと話すこともできる。罪や悲しみでさえ、そこでは「聖くきれいに」輝いている・・・・・。(池内紀さん「宮沢賢治の広告チラシ」(「文学フシギ帖」所収)P52)なお文中に出てくる「大小クラウス」はアンデルセンの『小クラウスと大クラウス』、「少女アリス」はルイス・キャロルの『鏡の国のアリス』、「テパーンタール砂漠」はインドの詩人タゴールの詩篇「旅人の国」「渡し守」、「イヴン王国」はレフ・トルストイの『イワンのばか』からの引用である。(うぃきぺでぃあ)
2010年09月08日
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リシャルト・カプシチンスキ「黒檀」を買書つんどく。珍しく、ルポルタージュを買ってしまいました。中村安希さんの、「インパラの朝」も気になるけど・・・・・。「ポーランドの新聞・雑誌・通信社の特派員として世界各地を駆けめぐり、数々の傑作ルポルタージュを上梓した著者による、小説よりも奇なるアフリカ取材の集大成。数十万人が山刀で切り刻まれた大虐殺の要因を解説する「ルワンダ講義」や、現代アフリカ史上最も有名な独裁者の素顔に迫った「アミン」、アフリカ最大の青空市場の人間模様を描いた「オニチャの大穴」ほか、1958年にはじめて寒冷の地ヨーロッパから炎熱の地へと降り立った著者が、以後40年にわたってアフリカ各地を訪れ、住民と交わした生きた言葉をもとに綴った全29篇の文学的コラージュ。待望の本邦初訳。」(「BOOK」データベースより)
2010年09月08日
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エリンは、ジェシにささやいた。「松明の火を想像してみて、ジェシ。松明の火は自分の回りしか照らせないけれど、その松明から、たくさんの人たちが火を移して掲げていったら、ずっとずっと広い世界が、闇の中から浮かびあがって見えてくるでしょう?」息子の頭に顎をのせ、さわさわと春風にゆれる木々をながめながら、エリンは言った。「おかあさんね、そういう人になりたいの。松明の火を手渡していける人に」(上橋菜穂子さん「獣の奏者(完結編)」P52)というわけで、上橋菜穂子さん「獣の奏者(探求編、完結編)」を読みました。しかし、この、やりきれない結末は、国家、民族間の争いという大きな歴史の中での個人の運命を思うとき、必然なのでしょうか?そんな中で、作者の思いをメッセージとして伝えるには、ちょっと甘いけれども、やっぱり上の引用がふさわしいと思ったわけでした。ただ、作品としての出来は、闘蛇編、王獣編のほうが格段によく、また、この2編で完結していますので、書かれてしまった「その後」を知りたい人でなければ、あえて読まなくてもよいのではないかと思いました。個人の思いを超える流れの中で、エリンも精彩を欠いているように思いますし、なによりもジェシが魅力的には感じられませんでした。クリウもよいキャラクターだと思うのですが、再登場しませんでしたね。ちょっと残念かもしれません。ところで、「獣の奏者」の外伝ということで、「刹那」が発売されました。これはどうなんでしょう。「ずっと心の中にあった、エリンとイアル、エサルの人生――彼女らが人として生きてきた日々を書き残したいという思いに突き動かされて書いた物語集です。――上橋菜穂子」(講談社の紹介)
2010年09月07日
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ユタカは胸に手を当てた。「すべての男を愛してやってくれ」娼婦ということか。清子は混乱し、ユタカに尋ねた。「ユタカ、あなたは何なの」ユタカは答えない。やがて清子は、ユタカはトウキョウ島の神になるつもりなのだと理解した。島の女から女王へ。島の宣託ならば仕方ない。諦めが早くも清子を支配していた。卵。ホンコンの呼んでいた島の名が、トウキョウより相応しい気がしたが、清子は神にどう説明しようかと迷い、言葉を飲み込んでしまった。(桐野夏生さん「東京島」P66)
2010年09月06日
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牧水が見たのは青年歌人石川啄木などではなかった。その前に起きた大逆事件に深い関心をもち、資本制度、階級制度に「殆んど極端の持論」をもっている論客だった。社会の構造が、貧困層を、とめどなくいっそうの貧困へと追いやっていく。「そういった事を話し始めると痩せた顔に真赤に血を漲らして、此方で幾ら心配しても時間の経つのなどには全然注意しなかった」(池内紀さん「啄木の臨終」(「文学フシギ帖」所収)P12)
2010年09月06日
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望月哲男さん新訳、ドストエフスキー「白痴」第2巻を買書つんどく。これは、全3巻になりますので。ところで、もうすぐ亀山郁夫さん訳の「悪霊」が発売になります。「夜会での奇妙な事件から六ヶ月後、ムィシキンはペテルブルグに帰還した。ナスターシャ、ロゴージンとの愛憎入り交じった関係はさらに複雑怪奇なものとなり、さまざまな階層の人々を巻きこんでいく。自らの癲癇による至高体験や、現実の殺人事件にも想を得た、ドストエフスキー流恋愛小説を、画期的な新訳で。」(「BOOK」データベースより)
2010年09月05日
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エリンは天へと腕を広げ、大きく息を吸った。夜の匂いが、胸いっぱいに広がった。静かに思いが満ちた。(――解き放てますように・・・・・)長い歴史の流れの中で、絡まり、もつれてしまったすべてを。この広い虚空へ、王獣たちを解き放てますように。ジェシを、イアルを、そして自分自身を、滔々たる歴史の柵(しがらみ)から解き放てますように。そのために、ここまで歩んできたのだから。(上橋菜穂子さん「獣の奏者(完結編)」P355)
2010年09月05日
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このごろ、寝る前に少しずつ、佐々木倫子さんのコミック「動物のお医者さん」を読むのが、日課のようになっています。シベリアン・ハスキーのチョビを始めとする登場動物たち(?)がかわいくて、自分のうちのワンコまでかわいく思えてしまいます(笑)。そういう勘違いも含めて、読んで幸せになれる、よいコミックだと思います。ただ、白泉社文庫版で読んでいると、小さな字は、もう読めないのでした(トホホ)。こっち(↓)じゃなくてこっち(↓)にしとけばよかった・・・・・
2010年09月04日
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