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ヴァネッサ・パラディ:マリリン&ジョン【中古】 マリリン&ジョン /ヴァネッサ・パラディ 【中古】afbヴァネッサ・パラディ:ヴァリアシオン【中古】 ヴァリアシオン /ヴァネッサ・パラディ 【中古】afb
2019年05月31日
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『古事記』『日本書紀』は四世紀から五世紀初めと推定される応神朝のころに、渡来人のなかでも古い歴史をもつ西文氏の王仁、秦氏の弓月君、東漢氏の阿知使王の渡来説話をのせるが、そのなかには五世紀後半の雄略朝に渡来したのを、古く応神朝のこととしたものもあるらしい。ただし、倭の五王の最初の「讃」に比定する説もある応神(記紀のホムダワケ)のころから、渡来人が増加してくることはほぼ間違いない。広開土王碑が伝える高句麗軍と倭軍との激闘が始まったころである。渡来者のなかには、朝鮮半島に進出した倭軍が、連れもどった者もいたかもしれない。人類史では、タイのアユタヤ王朝が、先進国のクメールを攻撃してたくさんの僧・官人・技術者を移住させ、クメールの進んだ文明を摂取して、国制を整備した例があり、モンゴルの戦争を契機に、たくさんの技術者を他国から連れ帰っている。渡来人のなかでも、五経博士など高度な学芸や文化を身につけた人びとは、百済の王権が倭へ派遣してきた。百済は高句麗の攻勢に対抗するために、倭の協力を必要としたのである。また、倭の五王が中国の宋と通行した時期には、中国から直接に渡来する人びともいた。(吉田孝さん「日本の誕生」P72)
2019年05月31日
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プリンス:アルティメイト・ベストアルティメイト・ベスト [ プリンス ]
2019年05月30日
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倭王の武の南朝への朝貢を最後として、倭は以後一世紀余にわたり、中国王朝への朝貢をおこなわず、冊封もされなくなる。それとともに「倭」姓も用いなくなる。中国の冊封体制から離脱した倭は、朝鮮諸国の国制を継受しながら、独自の国制の形成へと向かう。それは、中国の帝国にならって、周辺の民族をも支配する帝国――中国の東海に浮かぶ小さな帝国――の形成をめざす長い道であった。そして、そのわかれ道に立っていたのが、倭王の武、ワカタケル大王である。ワカタケル大王は、後世の人びとから、まさに大王のなかの大王として意識された。たとえば、『万葉集』巻一の巻頭の歌はワカタケルの求愛の歌で始まる。籠もよ み籠持ち 掘串もよ み掘串持ち この丘に 菜摘ます児 家告らせ 名告らさね そらみつ 山跡(やまと)の国は おしなべて 吾こそ居れ しきなべて 吾こそ座せ 我こそは 告らめ 家をも名をも(吉田孝さん「日本の誕生」P70)
2019年05月30日
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ビリー・ザ・ヒッツ【中古】 ビリー・ザ・ヒッツ /ビリー・ジョエル 【中古】afb
2019年05月29日
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広開土王碑は高句麗王権の論理によって書かれているので、高句麗と百済・倭との戦闘の実態を、碑文から直接に読み取ることは難しいが、大勢として高句麗がしだいに優勢となっていったことは確かであろう。三七一年には百済が高句麗を攻めて、高句麗の故国原王を敗死させているが、一世紀後の四七五年には、高句麗が百済の都、漢城を陥落させ、百済の蓋鹵王を捕殺している。このような経緯のなかで、倭は中国の南朝に朝貢し、朝鮮半島における軍事指揮者に任命されることによって、軍事行動を補強しようとした。四一三年、倭国は南朝の東晋に貢物を献じた。広開土王碑が四〇四年に、旧帯方郡の地域に出兵した倭を撃退したと記す年から、九年後のことである。次いで四二一年には、倭王の讃が宋の皇帝から除授する詔をうける。四年後、讃は司馬の曹達を宋に派遣する。讃のあと珍・済・興・武の五王が宋に朝貢して冊封される。四七八年、武が宋に遣使する。高句麗が百済の都、漢城を陥落させ、百済の蓋鹵王を捕殺した三年後のことである。倭の朝廷には「百済滅亡」と伝えられていたが、百済は南方の熊津に後退し、再興する。遣使した武は、みずから、「使持節、都監倭・百済・新羅・任那・加羅・泰韓・慕韓七国諸軍事、安東大将軍、倭国王」と称し、正式の任命を求めた。(吉田孝さん「日本の誕生」P58)
2019年05月29日
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伊藤由奈:LOVE〜Single’s Best 2005−2010〜【中古】 LOVE〜Single’s Best 2005−2010〜 /伊藤由奈 【中古】afb
2019年05月28日
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デニス・ジョンソン「海の乙女の惜しみなさ」を買書つんどく。「広告代理店に長年勤務した初老の男ビル・ウィットマン。彼の人生の瞬間の数々を自虐的ユーモアを交えて語る断章形式の物語。(「海の乙女の惜しみなさ」)。もとはモーテルだったアルコール依存症治療センター“スターライト”。そこに入所中のマーク・キャサンドラが、ありとあらゆる知り合いに宛てて書いた(または脳内で書いた)一連の手紙という体裁の短篇。(「アイダホのスターライト」)。1967年、ささいな罪で刑務所に収監されることになった語り手。そこで無秩序の寸前で保たれる監房の秩序を目の当たりにし、それぞれの受刑者が語る虚構すれすれの体験談を聞く。(「首絞めボブ」)。かつてテキサス大学で創作を教えていた語り手は、あるとき学生たちを連れて老作家ダーシー・ミラーの牧場を訪ねる。その後、作家仲間から彼の安否を気遣う連絡を受け、ふたたび訪問すると、そこには、すでに死んだはずの兄夫婦と暮らしていると錯覚するミラーの姿があった。(「墓に対する勝利」)。詩人である大学教師ケヴィンが、才能豊かな教え子マークのエルヴィス・プレスリーに対する強迫観念を振り返る。マークは、エルヴィスの生涯に関する陰謀説を証明しようとしていた。(「ドッペルゲンガー、ポルターガイスト」)。」(「BOOK」データベースより)
2019年05月28日
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そのころ、高句麗に偉大な王が現れた。広開土王(好太王。在位三九一~四一二)である。王は高句麗の領域を広め、鴨緑江西岸の都(いまの中国吉林省集安県)の王の墓には、六メートル余りの巨大な石碑が立てられた(広開土王碑)。その碑文には次のような有名な文言がある。百残(百済)・新羅、旧より是れ属民にして、由来、朝貢せり。而るに倭、辛卯の年(三九一年)より以来、□を渡りて百残を破り、新羅を□□し、以て臣民を為せり。以て(永楽)六年丙申(三九六年)、王、躬(みずか)ら□軍を率い、残国を討伐す。広開土王碑は一般に墓碑あるいは墓誌とされているが、その形や大きさは、中国の墓碑や墓誌に見られない特異なものである。(吉田孝さん「日本の誕生」P53)
2019年05月28日
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GReeeeN:C、Dですと!?【中古】 C、Dですと!?(通常盤−初回限定スペシャルプライス) /GReeeeN 【中古】afb
2019年05月27日
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このように「生口」とは捕虜で、財物・牛馬と並列される奴隷であったが、倭が東アジアのほかの国に比べて、はるかに早くから生口を朝貢品として用いていたのは、めずらしい特産品がほとんどなかった倭にとって、生口が最も手近で、また相対的に高価なものだったからではなかったろうか。そして生口を早くから朝貢品として用いた背景には、倭人が生口を――他の産物とともに――対外的な交易の対価として広く用いていたことが想定される。やや大胆に憶測すれば、倭人は生口を朝鮮半島の鉄などと交換していたのではなかろうか。時代も場所も全く異なるが、近年のアフリカで、輸出用の奴隷を獲得する目的で部族間の戦争が激化したことはよく知られている。弥生時代の倭においても、交易の対価としての生口を獲得するための戦争がなかったかどうか、今後の大きな課題である。(吉田孝さん「日本の誕生」P47)
2019年05月27日
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ウストヴォリスカヤ:ヴァイオリン・ソナタほかシャブリエ:フランスースペイン
2019年05月26日
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ビアンカ・ベロヴァー「湖」を買書つんどく。「湖」子どもが服を脱ぐのを初めて見た時、ナミは思わず声をあげる。喉元に三本目の手があった。あるのは手のひらと手首だけで、他の二本の手と別々に動き、五本の指は、ブリキ缶の中のミミズのようにうごめいていた。世界17カ国で翻訳。マグネジア・リテラ賞、EU文学賞。チェコ新世代女性作家による現代の黙示録。」(「BOOK」データベースより)
2019年05月26日
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卑弥呼の顔のもう一つの側面を見よう。卑弥呼の王権は、朝鮮半島との交通の要であり、魏の使者が駐在した北九州の伊都国(いあまの福岡県前原町)に諸国を検察する「一大率」という官人をおき、北九州の海岸の「奴国」「不弥国」、海峡に浮かぶ一支(壱岐)国・対馬国に「卑奴母離」(夷守=辺境守備官か)を配置した。日もこの王権は、九九最適な交通・交易や緊張関係を契機として、原始的な管制を生み出していたのである。卑弥呼の時代は、弥生時代の後期、あるいは弥生時代から古墳時代への過渡期と考えられているが、弥生時代は、戦国時代とならぶ戦乱の時代であったことが、近年の考古学の調査によって明らかになってきた。縄文時代の弓矢は獣を獲る道具であったが、弥生時代の弓矢は人を殺傷するための武器に変化したことが明らかにされ、見張り台・のろし台と推定される高地性集落、堀や逆茂木をめぐらせて防衛した環濠集落、矢じりがささった人骨など、弥生時代の戦乱を証明する遺跡・遺物が続々と発掘されている。吉野ケ里遺跡はその代表例である。(吉田孝さん「日本の誕生」P45)
2019年05月26日
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JUDY AND MARY:COMPLETE BEST【中古】 COMPLETE BEST ALBUM FRESH(1ヶ月期間生産限定盤) /JUDY AND MARY 【中古】afb
2019年05月25日
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卑弥呼は魏の皇帝から「親魏倭王」に任ぜられ、またその威信を示すすばらしい品々をとくに賜った。なぜ魏は、朝鮮半島の韓族の国々の首長よりも、文化的にはおそらく遅れていた倭の女王を優遇したのだろうか、その最大の理由は、すでに述べたように、魏と呉との敵対関係にあった。暖流の影響もあって、日本列島の自然は、その緯度よりも南方的であり、中国では日本列島を実際よりも南のほうに伸びていると考えていたらしい。魏が倭の王権を優遇した背景には、倭が呉の背後にあると考えていたことがあった。「遠交近攻」は古来の外交の鉄則である。卑弥呼が倭の狗奴国の男王、卑弥弓呼との戦いに苦戦したとき、先述したように、魏は帯方郡の「塞曹掾史」の張政らに詔書と黄幢を持たせて卑弥呼のもとに派遣する。張政は、卑弥呼と奴国との戦争中ずっと倭に滞在し、さらに卑弥呼が没したあとも、次に立った男王に国中が服従せず、戦乱が起こって千余人が殺される状況を見守り、やっと卑弥呼の宗女の壱与(台与)が共立されて秩序が回復するのを見とどけてから帯方郡に帰っている。魏は倭国の王権を何とか支えようと努力しつづけていたのである。(吉田孝さん「日本の誕生」P42)
2019年05月25日
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奥華子:BEST【中古】 奥華子BEST−My Letters− /奥華子 【中古】afb
2019年05月24日
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後漢王朝の勢力が衰えてきた二世紀後半、日本列島でも大きな変動が起こっていた。『魏志』倭人伝は、次のように記す。その国、本また男子を以て王となし、住まること七、八十年、倭国乱れ、相攻伐すること暦年、及ち一女子を共立して王となす。名は卑弥呼という。『後漢書』東夷伝はその時期を「桓・霊の間」と記すが、「桓・霊の間」とは後漢の衰退期を象徴する語句で、後漢の桓帝・霊帝の時代(一四七~一八九)である。倭国帥升の時代から七、八十年あと、二世紀後半に倭国に大乱があり、倭国では卑弥呼という女性を王に共立して、政治的統合を回復したというのである。(吉田孝さん「日本の誕生」P31)公孫氏政権が滅亡した翌二三九年の六月、卑弥呼は難升米らを帯方郡に派遣し、魏の天子に謁見して朝貢することを求めた。帯方郡の大守、劉夏は、役人をつけて難升米らを京都(洛陽)へ送りとどける。その年の一二月、魏の皇帝が卑弥呼に与えた詔書が、『魏志』倭人伝に収録されている。(吉田孝さん「日本の誕生」P33)
2019年05月24日
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シェネル:メタモルフォーゼ メタモルフォーゼ [ シェネル ]シェネル:ベスト・ソングス【中古】 ベスト・ソングス /シェネル 【中古】afb
2019年05月23日
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『漢書』につづいて『後漢書』には、次のような記事がある。建武中元二年(五七年)、倭の奴国、貢を奉じて朝賀す。使人自ら大夫と称す。(中略)光武、賜うに印綬を以て素す。(東夷伝、倭の条)中元二年春正月辛未、東夷の倭の奴国王、使を遣わして奉献す。(光武帝紀)(吉田孝さん「日本の誕生」P22)さて『後漢書』東夷伝には五七年(建武中元二年)の倭の奴国の朝貢につづいて、次のような記事がある。安帝永初元年(一〇七年)倭国王師升等生口百六十人を献じ、請見を願う。倭の奴国王からちょうど五〇年後に、”倭国王の師升らが、生口(戦争の捕虜)一六〇人を献じて、皇帝の謁見を願ってきた”というのである。当時の船の大きさを推測すると、一六〇人とは大変な数である。(吉田孝さん「日本の誕生」P25)
2019年05月23日
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2019年05月22日
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楽浪郡の支配を担当したのは、郡大守・県令など、漢の皇帝から派遣されてきた官人たちであった。彼らのもとで実務を担当する下級官人には郡県出身者が採用され、その多くは「王」「韓」などの姓を称する中国系土着豪族であり、その出自は衛氏朝鮮以来の土着豪族や、郡県設置後の移住民など、さまざまであったと推定される。楽浪郡は、郡県制による直接支配とともに、周辺の諸族を慰撫する拠点でもあった。日本列島、とくに西日本の各地に生まれてきたたくさんのクニの首長のなかには、楽浪郡に朝貢するものが現れたことを、中国の歴史書は記録している。『漢書』地理志の有名な記事である。楽浪海中に倭人あり、分れて百余国をなす。歳時を以て来りて献見すと云う。紀元前後のことと推測されている。(吉田孝さん「日本の誕生」P21)
2019年05月22日
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2019年05月21日
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それにしても、なぜ「日本」でヤマトを表記できたのか。「日本」という漢字の音や訓からは出てこない。『日本書紀』に、わざわざ、「日本、此をば耶麻騰という、下皆此に倣え」と注を付したのは、「日本」をヤマトと読ませることのむつかしさを示している。興味深いことに、『古事記』は「日本」という表記をまったく用いていない。一字一音の歌謡を除くと、『古事記』では「倭」でヤマトを表記するのが一般であり、そのような表記法は、『古事記』の素材となった『帝紀』『旧辞』などの表記法を継承したものであろう。「神倭伊波礼毘古(神武)」をはじめ、「倭」でヤマトを表記した例はたくさんある。(中略)それではなぜ「倭」でヤマトを表記できたのか。「倭」という漢字の音や訓もまた、ヤマトとは直接関係がない。おそらく倭の王権の本拠がヤマトにあったので、倭の王権そのもの、さらにはその勢力が及んだ領域をも派生的にヤマトと呼び、「倭」とヤマトの対応関係ができてきたのであろう。古代の国は、王権の所在地、宮都が重要であり、その支配する領域は流動しているのが一般である。近代的な領域国家の観念は、古代の国には適応できない。したがって王権の所在地や出身地の名が国名となることが多い。(吉田孝さん「日本の誕生」P12)
2019年05月21日
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2019年05月20日
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中国の人々の倭に対する伝統的な観念では、倭は朝鮮諸国より未開な国であった。たとえば、南朝の梁の時代(六世紀前半)につくられた「職貢図」には周辺諸国からの朝貢使の姿が想像して描かれているが、倭の使者は、百済の使者が冠と沓をはいた正装であるのとは異なり、はだしで鉢巻をした姿で描かれている。また、七世紀になって倭が遣隋使を送った際にも、隋の文帝は、「倭王は天を以て兄となし、日を以て弟と為す」という倭の使者の説明を「太だ義理なし」として、よく教えてやるように役人に命じており、隋の煬帝も、「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す」に始まる倭からの国書を「蛮夷の書、無礼なるもの」と怒りをあらわにしている。倭は中国から未開とみられ、また外交儀礼も知らないままであった。(吉田孝さん「日本の誕生」P8)
2019年05月20日
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ベルリオーズ:幻想交響曲ベルリオーズ:幻想交響曲 [ フランソワ=グザヴィエ・ロト ]MELODY:OLGA・SCHEPSMELODY【輸入盤】▼/OLGA SCHEPS[CD]【返品種別A】家入レオ:2020 [ 家入レオ ]家入レオ:WE【中古】 WE(通常盤) /家入レオ 【中古】afb
2019年05月19日
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(多(おおの))人長はいま記した長い序文をゆっくりと読み直し、満足の笑みを浮かべた。捏造を行ったつもりはなかった。自分はすばらしい宝物を見つけた。それを生かすだけだと思った。三巻を床に並べて置いたら、隙間風で揺れ動き、翡翠の軸先がゆらゆら、かたかた、と鳴った。人長はその音色の中に、巻物に書かれてあったアマテラスの首飾りというものを思い出した。イザナキの神が三柱のの子たちにこの世の各所を治めさせようとしたとき、アマテラスにそれを与えた、とあった。ミクラタナという名前であった。(周防柳さん「蘇我の娘の古事記」P428)というわけで、周防柳さんの「蘇我の娘の古事記」を読みました。巻末の参考文献にも掲げられ、文庫化にあたって解説を書かれたり、といったことに見て取れるように、三浦佑之さん(作家三浦しおんさんのお父さん)の、古事記序文解釈の影響を強くうけておられることがわかります。その解釈の当否はともかくとして、古事記の成立はなぞが多く、そのへんが小説として楽しめる内容になっていると思います。ただ、決まり文句のような表現がときどき見られ、そこが気になることも、ままありました。それは編集の仕事かもしれません。
2019年05月19日
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ストラヴィンスキー:火の鳥(1910年版全曲) ほかストラヴィンスキー:火の鳥(1910年版全曲) バレエ「オリエンタル」の音楽(グラズノフ、シンディング、アレンスキー、グリーグの小品8曲) [ フランソワ=グザヴィエ・ロト ]家入レオ:LEO【中古】 LEO /家入レオ 【中古】afb家入レオ:a boy【中古】 a boy(初回限定盤)(DVD付) /家入レオ 【中古】afb
2019年05月18日
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梨木香歩さんの「椿宿の辺りに」を買書つんどく。「深遠でコミカル、重くて軽快。著者五年ぶりの傑作長編小説。自然、人間の体、こころの入り組んだ痛みは家の治水、三十肩、鬱と絡み合い、主人公を彷徨えるツボ・椿宿へと導く。皮膚科学研究員の佐田山幸彦は三十肩と鬱で、従妹の海子は階段から落ち、ともに痛みで難儀している。なぜ自分たちだけこんな目に遭うのか。外祖母・早百合の夢枕に立った祖父から、「稲荷に油揚げを……」の伝言を託され、山幸彦は、鍼灸師のふたごの片われを伴い、祖先の地である椿宿へと向かう。屋敷の中庭には稲荷の祠、屋根裏には曽祖父の書きつけ「f植物園の巣穴に入りて」、明治以来四世代にわたって佐田家が住まいした屋敷には、かつて藩主の兄弟葛藤による惨劇もあった。『古事記』の海幸山幸物語に3人目の宙幸彦が加わり、事態は神話の深層へと展開していく。歯痛から始まった『f植物園の巣穴』の姉妹編。」(朝日新聞出版の紹介)
2019年05月18日
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――私には、やることがある。敢然と夜具を撥ねのけた。「コダマ様、コダマ様」と呼ぶ尼を置き去りにして、壁を伝って片隅の櫃にたどりついた。必死に底をさらえ、一巻の巻子を探り当てた。胸ににしと掻き抱いた両の手で擦り切れんばかりに撫でさすった。『大王記』。父の恵尺が丹精して記しあげた。この国の王たちの系譜。私はこの宝物の上に私が蓄えてきた物語を重ねて、この私による国史をつくってみよう。幼いころから愛してやまなかった、美しく、切なく、ときに狂おしくもあるお話たち。それらを加えて、おのれの国史をつくってみよう。それは国史であるけれども、もはや国史でもないのだろう。おのれが聞き、集め、おのれの胸に残った古事を集め紡いだ――古事記(ふることき)だ。(周防柳さん「蘇我の娘の古事記」P401)
2019年05月18日
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アレルヤ〜4つのモテット集【輸入盤】ユリア・レージネヴァ/アレルヤ〜4つのモテット集 [ Soprano Collection ]
2019年05月17日
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また、唐と白村江で戦った倭国を継承する近江朝廷を、壬申の乱で滅ぼして「新しく天下を平らげた」という遣唐使の説明が、中国の「革命」と混同されたのかもしれない。古代の国名は、「漢」にしろ「魏」にしろ、王朝の名であったから、国名の変更は一般に王朝の交替であった。ではなぜ、これまで何百年も用いてきた「倭」を「日本」と改めたのか、日本の国史はその理由を記していない。(中略)「日本への改称は、「倭」の字を避けるよりは、「日」の字をふくむ新しい国号を積極的に制定したとみるべきだろう。これは第六章でくわしく検討したい。ここでは、背景に、「日」のイデオロギーが想定されることのみ指摘しておく。(吉田孝さん「日本の誕生」P6)
2019年05月17日
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アリシア・キーズ:Songs in a Minor【中古】 【輸入盤】Songs in a Minor /アリシア・キーズ 【中古】afbアリシア・キーズ:ダイアリー・オブ・アリシア・キーズ【中古】 ダイアリー・オブ・アリシア・キーズ /アリシア・キーズ 【中古】afb
2019年05月16日
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七〇一年(大宝元)は、日本の歴史のなかでも、大きな画期となる年であった。正月一日、文武天皇が藤原宮の大極殿に出御して朝賀の儀式がおこなわれる。大極殿の前庭には、中心に太陽を象徴する三本足の烏の幢が、その東側には日像・青竜・朱雀の幢、西側には月像・玄武・白虎が立てられ、百官人とともに新羅使もこの日の儀式に参列した。『続日本紀』は「文物の儀、是に備われり」と誇らしげに記している。三月には、対馬から金が産出されたのを祝って、「大宝」の年号が建てられた。これまでにも断続して年号が用いられたことがあったが、年号の制度は、前年完成した大宝令で制度化されており、大宝以後、現在の「平成」まで続くことになる。大宝の年号とともに、大宝令の官制と位階の制がまず実施される。八月、大宝律も完成し、翌年、大宝律令がそろって全面的に施行された。「律令の興り、けだし大宝に始まる」とのちに回顧されるのは、大宝律令の歴史的意義をはっきりと示している。独自の『律令』法典を編纂し、独自の年号を建てた日本は、小さくとも中国から独立した帝国であることを主張したのである。(吉田孝さん「日本の誕生」P3)
2019年05月16日
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アリシア・キーズ:As I Am【中古】 【輸入盤】As I Am (Snys) /アリシア・キーズ 【中古】afb
2019年05月15日
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大津皇子は天武天皇の第三子で衆望の高い皇子であったが、先ごろ謀反の嫌疑を受けて成敗されたのである。姉の大来の嘆きはひととおりでなかった。「お気の毒な皇子様、皇女様も――」コダマは悲壮な眉になる。先年の秋、コダマたちにとって因縁の相手であった天武天皇が逝去した。その後には称制というかたちで皇后の鵜野が立った。皇太子は鵜野の実子の草壁である。が、草壁はひよわで影薄く、いっぽう、鵜野の姉の太田皇女が生んだ大津は才はじけて政界の花形であった。天武も生前、できることなら大津に位を譲りたいと考えていた。それが鵜野には気に入らなかった。ゆえに夫天武が亡くなるや、さっそく草壁の位置を脅かす大津の排除を実行したのである。鵜野は権力への志強く、すでに女帝として十分の貫録を発揮している。そのかたわらでは亡き中臣鎌足の息、不比等がじわじわと存在感を増しつつある。まつりごとは新たな局面へ進みゆこうとしている。(周防柳さん「蘇我の娘の古事記」P396)
2019年05月15日
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アリアナ・グランデ:デンジャラス・ウーマン【中古】 デンジャラス・ウーマン(通常盤) /アリアナ・グランデ 【中古】afbアリアナ・グランデ:スウィートナー【中古】 スウィートナー(スペシャル・プライス・エディション)(初回限定盤) /アリアナ・グランデ 【中古】afb
2019年05月14日
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若いきれいなかおばせと背後の湖とが、ぴたりと重なった。それは銀色の美しい鏡であり、ヤマドリ自身を映していた。皇子の姿がすうっと消え、ヤマドリは鏡の中のおのれの姿と対峙した。見つめていたそれがふたたび揺らいで大友皇子の姿に戻った。――そのとき、「船山鳥よ」名を呼ばれた。「許せ」そう言うや、若き皇子は勾欄から下へ向かって、「配置につけ」と鋭く喚ばわった。「もうじき来る。瀬田橋に向かうぞ!」きざはしを、ほとんど飛び降りるように馳せくだった。ヤマドリはその後ろ姿を呆然と見送りながら、いま聞いた言葉を反芻した。――船山鳥よ。――許せ。かちん、というような音がして、胸の中の寄せ木に似たものがぴたりと合わさった。突然に結論が出た。それは、運命と呼ばれるものにきわめて近かった。(周防柳さん「蘇我の娘の古事記」P369)
2019年05月14日
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アリアナ・グランデ:Yours Truly【輸入盤】Yours Truly [ Ariana Grande ]アリアナ・グランデ:My Everything【輸入盤】My Everything [ Ariana Grande ]
2019年05月13日
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遥かに広がる湖を見ながら思った。いつか誰かにここへ都が遷された理由を尋ねて、東国を扼している土地だからと教えてもらったことがあったのを。万一の敵襲のとき東国へ逃げ込めるから。東国から兵を集められるから。対岸に美しく鎮まっている三上山。その向こうは伊勢の国だ。北にそびえる雄渾な伊服岐山。その向こうは美濃、尾張の国だ。けれども、ここからそこへはつながってなどいなかった。そこへはむしろ険峻な吉野からつながっていたのだ。皮肉な話である。ここはどこへも行けないどんづまりの国。ここから先への立ち入りを拒む湖。明るすぎて粘るような空気の下で、大友皇子が振り返った。「船の」と、呼ばれた。「そなたはなぜ逃げぬのか。あらかたの者は逃げたぞ」静かな声だった。澄んだ瞳であった。この方はなにもご存じないのだとヤマドリは思った。吾は逃げぬのではない。逃げられぬのに。(周防柳さん「蘇我の娘の古事記」P365)
2019年05月13日
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ラフマニノフ:ピアノ協奏曲全集のうち、ピアノ協奏曲第4番、パガニーニの主題による狂詩曲【輸入盤】ピアノ協奏曲全集、パガニーニの主題による狂詩曲 リーズ・ドゥ・ラ・サール、ファビオ・ルイージ&フィルハーモニア・チューリッヒ(3CD) [ ラフマニノフ (1873-1943) ] シューベルト:ピアノ・ソナタ第21番、4つの即興曲【輸入盤】ピアノ・ソナタ第21番、4つの即興曲Op.90、他 カティア・ブニアティシヴィリ [ シューベルト(1797-1828) ]アヴリル・ラヴィーン:Under My Skin【中古】 【輸入盤】Under My Skin /アヴリル・ラヴィーン 【中古】afbアヴリル・ラヴィーン:ベスト・ダム・シング【中古】 ベスト・ダム・シング /アヴリル・ラヴィーン 【中古】afb
2019年05月12日
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菅浩江さんの「不見の月 博物館惑星2」を買書とつんどく。「地球の衛星軌道上に浮かぶ巨大博物館苑ー“アフロディーテ”。そこには、全世界のありとあらゆる美術品、動植物が収められている。音楽・舞台・文芸担当の“ミューズ”、絵画・工芸担当の“アテナ”、そして、動・植物担当の“デメテル”-女神の名を冠した各専門部署では、データベース・コンピュータに頭脳を直接接続させた学芸員たちが、収蔵品の分析鑑定・分類保存をとおして、“美”の追究に勤しんでいた。そんな博物館惑星に赴任したばかりの新人自警団員・兵藤健は、同じく新人で、総合管轄部署“アポロン”配属の尚美・シャハムらとともに、インタラクティブ・アートの展示管理や、強欲な画商などにまつわるさまざまな事件に対処することになるがーダニエル・キイス推薦の名作『永遠の森ー博物館惑星』、19年ぶりの続篇。」(「BOOK」データベースより)
2019年05月12日
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大海人皇子が反旗を翻したという報がもたらされたのは、数日前の六月二十七日のことであった。厳密に言えば数日前、大津に居残っていた大海人の子たち――高市皇子と大津皇子――の姿が見えぬ、という注進があった。よもや、とうっすら余震のようなものを感じていたら、どかんと超弩級の本震が起こった形だった。まず第一の早馬が宮に駆け込んできて、鈴鹿の関、不破の関が大海人方の軍勢によって封鎖されたことを告げた。鈴鹿と不破を押さえられたら、東国との連絡は完全に断たれる。首脳がえっと座を蹴って立ち上がったところへ第二の早馬が来た。大海人自身はすでに何万の兵を手中に収め、不破の関後方に陣取っているという。大津宮じゅうが蜂の巣をつついたような騒ぎになった。何万の兵だと――?たしかに尾張、美濃には大海人皇子の乳人族がおり、私領の湯沐邑もある。けれども、多くても千だろう。万などという兵をどこで?どうやって?だが、蓋を開けてみればなんのことはなかった。それは、おのれらが唐への軍事協力のために徴した兵であった。畿内と東国に号令をかけ、国宰が各地の拠点に集合させていた約三万の兵。その約半分を、大海人と意を通じた在地の首長たちが関を封鎖することによってそっくり横取りしたのだ。(周防柳さん「蘇我の娘の古事記」P338)
2019年05月12日
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ラフマニノフ:ピアノ協奏曲全集のうち、ピアノ協奏曲第1番・第2番・第3番【輸入盤】ピアノ協奏曲全集、パガニーニの主題による狂詩曲 リーズ・ドゥ・ラ・サール、ファビオ・ルイージ&フィルハーモニア・チューリッヒ(3CD) [ ラフマニノフ (1873-1943) ]アヴリル・ラヴィーン:Let Go【中古】 【輸入盤】Let Go /アヴリル・ラヴィーン 【中古】afb
2019年05月11日
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野谷文昭さん編訳「20世紀ラテンアメリカ短篇選」を買書つんどく。「ヨーロッパの前衛、熱帯の自然、土着の魔術と神話が渾然一体となって蠱惑的な夢を紡ぎだす大地ラテンアメリカーー。ガルシア=マルケス、バルガス=リョサなどはもちろん、アストゥリアス、パスなどの先行世代、アジェンデ、アレナスなどのポスト・ブームの作家まで、20世紀後半に世界的ブームを巻き起こした南米文学の佳篇16篇。」「青い花束(オクタビオ・パス)/チャック・モール(カルロス・フエンテス)/ワリマイ(イサベル・アジェンデ)/大帽子男の伝説(ミゲル・アンヘル・アストゥリアス)/トラスカラ人の罪(エレーナ・ガーロ)/日蝕(アウグスト・モンテローソ)/流れのままに(オラシオ・キロガ)/決闘(マリオ・バルガス=リョサ)/フォルベス先生の幸福な夏(ガブリエル・ガルシア=マルケス)/物語の情熱(アナ・リディア・ベガ)/醜い二人の夜(マリオ・ベネデッティ)/快楽人形(サルバドルガル・メンディア)/時間(アンドレス・オメロ・アタナシウ)/目をつぶって(レイナルド・アレナス)/リナーレス夫妻に会うまで(アルフレード・ブライス=エチュニケ)/水の底で(アドルフォ・ビオイ=カサーレス)」(岩波書店の紹介)
2019年05月11日
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「有慶がな、言うておった。近江の者たちは唐に対して弱腰すぎると」とたん、ヤマドリの顔がすうっと翳った。「唐に押されているのはほんとうだよ。かつての白村江のいくさ。あれは唐と新羅に負けたというより、唐に対する負けだった。でも、われらはとくにこれといったとがめも受けなかった。それは、彼らが強豪の高句麗に気を取られていたからでもあるけれど、やっぱり大王――中大兄様の駆け引きの力が凄まじかったからだ。われらがいくさに臨んだのはひとえに百済への友諠ゆえであった、ただそれ一途であったとかたくなにしらを切りとおした。韓土へ野心があったなんてことはおくびにも出さなかった。それを証するために、負担を承知で百済の遺民を何千と受け入れたし、向こうの高官をこちらのまつりごとの中枢に迎えもした。大王に逆らう人たちはそれを批判するけれど、その見せ方を貫いてきたから、倭国は唐の大軍に攻め込まれることを免れたんだ」「なるほど」「けれども、そうやって目こぼしされたからこそ、いまそれがあだになっているところもあるんだ。要するに、あのとき見逃してやったろう、その恩を返せ――という理屈になっているわけ。それに、いまは彼らとまともに渡り合える方がいない。大王は病重くあられるし、大友様はお若いし、大臣方の中にも鎌足内臣のようなかたはいらっしゃらない。唯一頼みになるとしたら王弟大海人様だけれど、最近はとんと姿をおみせにならないし」(周防柳さん「蘇我の娘の古事記」P290)
2019年05月11日
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アヴリル・ラヴィーン:Goodbye Lullaby【中古】 【輸入盤】Goodbye Lullaby /アヴリル・ラヴィーン 【中古】afbアヴリル・ラヴィーン:Avril Lavigne【中古】 【輸入盤】Avril Lavigne /アヴリル・ラヴィーン 【中古】afb
2019年05月10日
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気候の変動の影響を強く受ける海の世界のこうした特質によって、海に囲まれた前近代の日本国が外敵からの攻撃、異民族の侵攻を受けることのきわめて少なかったのは事実である。しかしそれは日本国、日本列島が海によって他の地域から孤立していたことを意味するものでは決してない。急がず慌てず、日和を十分に見定めて航行すれば、平穏な海ほど安定した快適な交通路はないといってよい。それゆえ、長い時間をかければ多くの人も膨大な物も、海を通じて運ぶことができるのである。荒れた海は、たしかに人と人を隔てる障壁になるが、こうした穏やかな海は、人と人を緊密に結びつける、太く安定した交通路であった。そして青森の三内丸山遺跡から新潟のヒスイや北海道の黒曜石が出土する事実、福井の鳥浜遺跡から船が発掘されたことなどによってすでに証明されているように、船による広域的な活動は縄文時代以前まで遡る。とすれば、日本列島がまさしく列島になった縄文時代以降も、さきにふれた周辺の海を通じて、多くの人や物がたえまなく、この列島に出入していたことは確実といわなくてはならない。実際、日本列島はアジア大陸の北方と南方を結ぶ巨大な架け橋の一部であった。(網野善彦さん「「日本」とは何か」P34)
2019年05月10日
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テイラー・スウィフト:レピュテーション【中古】 レピュテーション(通常盤) /テイラー・スウィフト 【中古】afbあいみょん:瞬間的シックスセンス瞬間的シックスセンス [ あいみょん ]
2019年05月09日
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