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北大で開学130年を記念したデザインを作ったのだという。大学の場所を中心点とし、北海道を130度回転させたデザインなのだという。その記事とデザインとを新聞で見たとき、北海道女子大学が北海道浅井学園大学と名称を変更したときのことを思い出した。あの時私は、ただただ、なぜだろう?何でその名前なんだろう?という疑問を、嘲笑と共に抱き続けていたことを覚えている。だって、ダサすぎる。北大のデザインは、記念の品々に用いられるのだという。そんなデザインがついたT-シャツなんかも売られるのだという。ってか、ダサすぎる。見た瞬間、やっちゃったんじゃないのぉ~?北大さん。といった思いがわきあがったが、何度見ても、やっぱりやってしまったとしか思えない。まあ、130年と言う記念の、いわばお祭りみたいなものなのだろうから、デザインの良し悪しではないのだろうが、それにしてもいなか臭すぎる。人事ながら、先行きが楽しみでならない。
2006年04月28日
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ある日の午後、とある学生が研究室にやってきた。「先生に、一言あって来ました」ドアを開けるなりこうきた。学生さんも、私の職務怠慢にはいろいろと腹を据えかねているのだろうと、真摯な姿勢で聞こうとしているぞ、という姿をできるだけアピールしたような面持ちをつくりつつ、「それじゃ、聞きましょうか」と、かなりドキドキしながらこたえた。あたまのなかでは、あのことだろうか、このことだろうか、そういえば、この間の飲み会のときに絡んできたの、こいつだっただろうか?などと、さまざまな思いが去来していた。「あのー」一言あってきた、と言う割には歯切れが悪い。「ん?なんだ?」と、ちょっとすごんでみる。すると、「えーっと、実は先生に、推薦書を書いてもらいたいんですけど。。。」と、満面の笑顔。。。「はっ????????」小学校の教育に、英語教育を取り入れるらしい。確かに英語がしゃべれるようになるのはいいが、その前に、正しい日本語のしゃべり方をマスターして欲しい。変な日本語に、変な場面で苦しめられなければならなくなる。しゃべっている本人が苦しめられずに、何で私が苦しめられなければならないのか分からない。そういえば、修論に変な日本語しか書けなくている学生を持って苦しめられているのも私だ。そういえば、答案を関西なまりの文章で書いていた奴もいた。楽しく読ませてもらった。だが本人は関西出身ではないのだと言う。。。わけわからん。。。
2006年04月24日
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中学生のころ、河合千恵と言う女の子と付き合っていたことがある。とてもキュートな女の子で、好きで好きでたまらなかった。ある日のこと、彼女から焼却炉に呼び出された。「あたし、ゐでっちのことが好きだから。」と言われたような、気がする。え”? っとおもうひまもなく、彼女は足早に走り去っていってしまった。そう、告られたのだ。素直にうれしかった。というよりも、明らかに舞い上がっていた。しばらくしてから彼女を屋上に続く踊り場に呼び出し、「俺も、千恵のこと、好きだから」といったような気もしないではない。自分の声も聞こえないほど、心臓の鼓動がバクバクしていた。彼女はにこっとかわいい笑顔をみせ、足早に階段を下りていってしまった。あのころ、すべてのことが新鮮で、あらゆることがキラキラと輝いていて、いたるところに夢があったように思える。あのころの、そんなあどけない自分に、ほんの少しでも戻れたらと思う。長く使っていれば汚れていくものだ。動かし続けていれば擦り切れていくものだ。心も、体も、人間自身も。汚れちまった悲しみに、なんて歌った朔太郎を引き合いに出せば、喧嘩っ早い彼に殴りかかられるかもしれないが、最近、しみじみ感じてしまう。汚れちまっているよなって。
2006年04月19日
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ばったもんの「ばった」とは、そもそも「投売り」を意味する古道具商の隠語であったらしい。ばったばったと、相手を投げ飛ばすかのように投げ売ったから「ばった」なのか、投売りで「バッタ」がぴょーんと飛んでいくかのように品物がなくなるから「ばった」なのか、そのあたりは専門家に聞いてみないと定かではないが、いまでは、正規ルートでの仕入れではない、いわゆる偽物だったり、海賊物だったりする物を意味して用いられていることが多いようだ。機械式の時計が好きで、好きついでに、いわゆるばったもんの時計を手にとって見ることがある。ちかごろのばったもんは、いわゆるかつての粗悪品のイメージを払拭する。素人の私などでは、どちらが本物なのか、質感や重さを比べてみても、いまひとつはっきり分からない。本物を見る目の問題なのかも知れないが、所詮違いが分からないのならば、私などには、ばったもんがちょうどいいのかもしれない。先日、自分の誕生日祝いに、ネットでパーカーの万年筆を購入した。定価はそこそこのお値段なのだが、ずいぶんとお安い値段で入手できた。多分、本物だとは思うのだが、自分では、なんともいいがたい。そこで、友人からもらったばったもんのモンブランと、この万年筆を2本並べ、どちらがバッタもんだと思うか?と、3人の先生に聞いてみた。結果、3人が3人とも、パーカーの万年筆を選んだ。大学で教員をしているが、自分は本物なのか、粗悪なばったもんなのか。鋭い学生ならば、私が本物をうわべだけうまいこと真似たバッタもんであることを、すでに見抜いているに違いない。身につけるパーカーやロレックスまでバッタもんなのだから、本物のばったもんと呼んでもいいだろう。そういえば、アメリカでもらったDの称号も、大学の生協で200ドルぐらいで買ったばったもんだったような気も、しないでもない。いったいそもそも、私のなかで、本物とは 何なのだろう。
2006年04月15日
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またしても、新学期が始まってしまった。 いやだ。。。
2006年04月14日
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先日、うちのが下の娘を連れて幼稚園に出かけた。年少組みに入園する予定である下の娘は、オムツは取れてはいるものの、まだ失敗がないわけじゃない。幼稚園で「おしっこぉ」と言い出した下の娘を、ここで漏らされては大変と、いそいでトイレに連れて行ったのだという。ところが、トイレには先客がいたらしく、靴を脱いでトイレに入った手前、ドアの前で待つことにしたのだそうな。だが娘に“気を使う”などと言う小技が出せるわけもなく、トイレの扉の前で、つまり、誰かが入っているトイレの前で、「おしっこぉ~」と叫んでいたのだそうだ。それはかなりのプレッシャーであったに違いない。トイレぐらいゆっくりさせろよ!と、先に使っている人が思ったとしても、決して不思議ではない。だが、使用していたのは大人の女性。つまり、どこかの園児のお母さんだったのだろう。気を使う、と言うことがわかっている女性だ。そそくさと用を足し、「ごめんねぇ~」といいながら出てきてくれたのだという。しかし、相手はうちの娘。思ったことをすぐに口にする抑制の効かない娘だ。お前にそっくりだ、とよく言われる、その娘だ。女性と入れ替わりにトイレに入るなり、大きな声で 「くさっ!」と叫んでしまった。あわてたのはうちの妻。歩き去る女性には間違いなく聞こえてる。おもわずトイレに中で息を止めた。。。。ではなく、息を殺したのだという。間違いなく、君たち2人が殺されるところだったよ。
2006年04月03日
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時間には、誰にでも同じように流れている時計時間と、その人によって違う流れを持つ体験時間とがあるのだという。子どもたちを見ていると、年とともにスピードを増して流れていく体験時間を、いやと言うほど実感させられる。昔は売るほどに時間は無限にあると思えたのに、この間生まれたばかりだと思っていた子どもが、もう小学校にあがる。自分が年とともに弱気になっていると感じるのは、このスピード感に恐怖しているからなのかもしれない。無理をすると振り落とされる。何をやっても時間が足りない。そんな逃げ腰な思いを、このスピードが抱かせている。かつてはかっとぶ事が好きでたまらなかったはずなのに。バイクで飛ばしたときに感じていた風を切るスピード感。スキーやボードで山を滑り降りてくるときのあの感覚。それらも、駆け回るフィールドをライフスパンに置き換えただけで、単なる恐怖だけにかわっていってしまう。子どもたちを見ていると、ひたすらうらやましさを感じる。子どもたちの日々は、大きく開かれた人生のフィールドを、思う存分、好きな方向に向かって、全速力で駆けぬけながら、スピードを楽しんでいるかのようだ。様々なものに規定され、抑制され、はめ込まれ、構築され、身動きが取れなくなった日々の中で、ひたすら自らの身体にしがみつきながら、なんとか振り落とされないようにともがいている。どうするんだ。これでいいのか。お前らしくいられているのか。楽しめているのか。そんな問いかけが、飛び去る時間の流れの中で聞こえてくる。この4月で43になる。まだまだスピードを上げていく気配だけが、ひしひしと感じられる。
2006年04月01日
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