2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
全5件 (5件中 1-5件目)
1
「正義、力」と題された紙片のなかでパスカルはおおよそこう書いている。力のない正義は無力であり、正義のない正義は圧政的だ。そのどちらも誤りである。だから、正しいものが強いか、強いものが正しくなければならないのだが、実際にはそれはうまく両立しない。そこで、人は正しいものを強くできなかったので、強いものを正しいとしたのだ、と。「正しいものに従うのは、正しいことであり、もっとも強いものに従うのは、必然のことである」。必然のこと、つまりそうしかしようがないという意味で、そこに「自由」の余地はない。そうだとすると、パスカルの言葉を引き継いで、それを裏返し、弱いものに従うこと、そこに「自由」がある、と言うことはできないだろうか。 鷲田清一:「老いの空白」
2006年05月27日
コメント(0)
そんな日に大学のアドレスでアクセスがあると、アー今日も、誰かが頑張っているのねぇって、ぽかぽか陽気の部屋の中で、はぁ~ぁ~~~~って、欠伸しながら思う私でした。って、そんな私も、明日は仕事。どうかしてるな。。。
2006年05月20日
コメント(0)
あきれてものが言えないのは、そのいきなりの批判的な態度だ。目の前に立ち現れる表層だけを捉えては、その責任の所在を見つけ出すことだけに鼻先を突っ込んでいるかのようだ。ないしは、誰のミスがどこにあるからどのような指導が必要だという、「教育的」または「精神注入的」なアプローチが好きでたまらないのだろう。そうした人物であることを知らないではなかったが、あからさまな態度で改めて示されると、開いた口がふさがらない。同じ時間を共有しているという幻想は、その実像を見れば、併走する列車に乗った各人が、同じ方向に向かって一瞬だけすれ違っているがために生じている大きな誤解にすぎない。そんな幻の中で、下手をすれば遥か彼方にしかその併走する姿を捉えることができない誰かのことを、理解しようなどと思うことのほうが無駄だろう。というか、はなっから理解しようなどと言う気持ちはさらさらない。いうなれば、職場と言う生活のぶら下がり先を同じくしたがばっかりに、悪い幻に惑わされている、と思っているほうがまだましだ。そして今日も、「はぁ?」とか、「ったく。。。」とか、「ばっかじゃないの!」とか、「・・・・。」とか、そんな言葉が開いたままの口からこぼれ落ちてくるのだ。ったく…
2006年05月19日
コメント(0)
昨日の日曜日は、一日中、認知症ケア専門士の試験だった。とはいっても、私に受験資格はないので試験を受けていたわけではなく、振り返ってみれば、とある大久保先生と2人して、一日中ちっちゃな部屋に閉じこもって終わった一日だった。せっかくの日曜日を過ごすのに、なんと素敵な過ごし方だったことか。。。考えてみれば、来週の日曜日も、もしかしたらその次の日曜日も、とある大久保先生と一緒だ。。。というか、お世話になりっぱなし。先生こそ、もっと素敵な日曜日の過ごし方がしたいですよねぇ。。。
2006年05月15日
コメント(0)
大学生のころ、北里倫子という女の子とサーカスを見に行ったことがある。北里は、いっつもツンツンしていたので、みんなから「ツン」と呼ばれていた。個人的には、そんなツンツン具合が好きであり、ツンツンしている割には乗りがいいため、サーカスデートがその先に発展しても、それはそれで僕の願わないことではなかったのだが、ツンとのサーカスデートは、フライングアロバトロスという、今となっては一体なんだったのかよく分からない言葉と、ひたすら笑いまくったことだけしか記憶には残っていない。その後ツンとは、特に何の発展を見せることもなく、一緒になれば、馬鹿笑いをする間柄のままだった。またツンやあの当時の仲間たちと、一緒に飲みながら、馬鹿笑いして時間を忘れたいものだ。サーカスと言えば、ずいぶんと昔に父親とどこだかに見に行った記憶がある。どんなサーカスだったのかはまるで思い出せないのだが、人体切断の手品のような出し物をしていたのだけは、鮮明に記憶しているように思う。大きな回転する円形ののこぎりの刃が、寝かされて縛り付けられた美女の腹部におろされていく。ぎゃぁ。。と言う叫び声とともに、腹部から真っ赤なちと肉とが飛び散るのだ。そして客を舞台の近くにまで上げ、実際におなかが裂けているところを見せていた。何を隠そう、私も舞台袖まで駆け上がり、飛び散っている肉と、なんともいえないいやぁ~な臭いとに、気分を悪くしたことを覚えているように思う。いまだにああいった出し物を見せているサーカスもあるのだろうか。その後美女は無事に何事もなかったように立ち上がり、出し物は終わったのだとは思うが、そんな場面を思い出すことができないので、もしかしたらあの美女は、あのまま死んでしまったのかもしれない。サーカスは、円形競技場で行われる曲馬や曲芸をもともと意味するらしい。そういった意味では、美女切断はサーカスではなく、場末に張られたテントの見世物小屋で行われるスペシャルイベントのような、そんな気がしないでもない。美女切断をツンと一緒に見ていたら、それでも2人で馬鹿笑いをしていただろうか。記憶の中にあるあのころの仲間達は、円形競技場であれテントであれ、そのグザイにかかわらず、何でも笑い飛ばしていたような気もする。記憶が定かではないので、思い出される物事も定かではないのだが、本当にツンや親父とは、サーカスを見に行ったような気が、しないでもないのだ。先日テレビで、サーカスの宣伝をしていたときに、そう思ったのだから。きっと間違いはないだろう。と思う。
2006年05月02日
コメント(1)
全5件 (5件中 1-5件目)
1


