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2001年の出版本である。『がん患者として長期生存する医者たち』著者は菊池憲一、医療健康を中心としたノンフィクションライターだ。内容は、題名の通り、余命数ヶ月の末期がんの宣告をうけた医者が、それを克服し生還した記録だ。内容は次の通り。第1章 内藤康弘 61歳・住友記念病院理事長 大腸がん 闘病13年目第2章 星野仁彦 53歳・福島県立医科大学神経精神科講師 大腸がん、肝臓転移 闘病11年目第3章 前田華郎 67歳・前東京女子医科大学教授 前立がん、2度 闘病4年目第4章 稲垣元博 81歳・芝病院名誉院長 膀胱がん(移行上皮がん) 闘病8年目第5章 香川真智子 享年45歳・香川医院内科担当 炎症性乳がん(スキルスタイプ)最後の香川先生は亡くなってしまったが、それでも余命数ヶ月の宣告を受けてから3年半存命した。がんに対し、長きに渡って闘っているこの医者たちの共通項は、抗がん剤治療を拒否していることだ。自分が医者であるので、抗がん剤治療に効果がないことを熟知していた。よって自分ががんに侵されたときは、迷うことなく他の治療法を選んだ。そして、命を永らえている。さらに、その方法で多くのがん患者を救っている。彼らの選んだ治療法は、ゲルソン療法あり、温熱療法あり、円山ワクチンあり、健康食品ありと様々。抗がん剤治療と言うと、僕のイメージはリリー・フランキーの『東京タワー』における“おかん”の闘病生活だ。初めは副作用の苦しみから、抗がん剤を拒否するおかんを、周りが説得して再び受け入れさせる。結果、苦しみながら死んでゆくことになる。“がん”だからしょうがないと思っていたが、抗がん剤治療が寿命を縮めてたってことになる。『患者よ、がんと闘うな』(慶應大学附属医院・近藤誠著)によると、「抗がん剤は効かない」「抗がん剤は命を縮める」とはっきり書いてある。このデータを鵜呑みにすれば、抗がん剤の効果はほとんどない。抗がん剤治療をしてもしなくても、余命は変わらないという。だったら苦しむだけムダではないか。お金も掛かるし。お金儲けのために、医者は抗がん剤治療を薦めるとは考えたくない。がんに侵されている患者を、数パーセントの奇跡にかけたくなるのだろう。でも、ほとんどが苦しめるだけなのだ。僕の周りにも、末期がんで医者がさじを投げた状態から生還した人がいる。手術により臓器を失い、不自由をしてはいるが、ある治療によって復活した。初めからそちらを選んでいれば、体を削られずに済んだかもしれないと悔いている。他にも、自然療法を薦める本はもとより、抗がん剤治療に疑問を呈する本は数多い。さて、これらの情報から導かれた結論は、もし自分ががんに侵されたとしたら、抗がん剤治療は拒否しようとういことだ。TVドラマ『風のガーデン』の中井貴一のように、緩和治療を施して、遣り残したことを片付けて、果実が落ちるように寿命の尽きるのを待とうと思う。ただ、これが自分自身でなく身近な人と言う場合はちょっと困る。たぶんその人が入院している病院の医者は、転移が認められれば段取り通り抗がん剤治療に移行するだろう。それを遮るだけの信頼が僕にあるだろうか。ある分けない。では、せめて話だけはして、相手に選ばせるか。でも、信じて治療をすれば抗がん剤も効果があるかもしれないが、疑って掛かればその可能性も摘んでしまうことになる。僕の付け焼刃知識では役に立たない。去年、僕の母親が甲状腺がんになった。母は85歳だ。かかりつけの町医者が発見し、自分の出身である大学病院で精密検査を勧めた。大学病院の担当医は、高齢を理由に手術を渋った。町医者のほうは簡単な手術だからぜひやれと言う。母は迷い、僕も手術しなくても余命は変わらないだろうから、不安だったらやめてもかまわないと進言した。でも、絶えず不安に付きまとわれるのも嫌だと言うので、結局手術をした。手術は問題なく成功し、今は全く元気である。結果これでよかったが、次は解らない。これは手術の話で、問題は抗がん剤治療のことだ。しかし、抗がん剤治療がダメだとしても、代替治療に確信があるわけではない。『「がんに効く」民間療法のホント・ウソ』(住吉義光・大野智著)によると、科学的検証で認められた代替医療はほとんどない。だが科学的には認められないが、実際は治ったという例は結構ある。それは、心理的影響だと考えられる。“病は気から”というのは本当だ。これを飲めば絶対治ると思って飲めば、治ってしまうのだ。信じるものは救われる。人間の信じる力は途方もなく大きい。がんについての本は結構読んでいるが、効果がありそうなのが一つあった。それは“笑い”だ。笑うことによってがんが消えていく。笑う角には福来る。信じることと、笑うこと。とりあえずたどり着いた結論はこれだ。
2010年02月20日
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安岡正篤の「一日一言」と言う本をぱらぱらと見ていると、“幸福”という文字が飛び込んできた。幸福研究家(?)としては通り過ぎるわけには行かない。よく見ると“幸と福”になっている。原文を記すと以下の通り。『「さいわい」にも幸と福と二字ある。学問的に言うと、「幸」というのは幸いの原因が自分の中にない、偶然的な、他より与えられたに過ぎない幸いを幸という。たまたまいい家庭に生まれたとか、思いがけなくうまいめぐりあわせにぶつかったとかいう、これは幸。これはあてにならない。そうではなくて原因を自分の中に有する、即ち自分の苦心、自分の努力により勝ち得たる幸いを「福」という。ふくという字がそれをよく表しておる。示偏というのは神さまのことだ。示というのは上から光がさしている、神の光、叡智の光を表す。旁は「収穫を積み重ねた」という文字だ。農家でいうならば俵を積み上げるという文字。神の前に蓄積されたるものが「福」である。』確かに、宝くじに当たった家庭が破綻する例が数あると聞く。“幸運”は必ずしも“幸福”をもたらさない。玉の輿が、幸福な選択になるとは限らない。結果ばかりを求めすぎると、神風を期待してしまう。人ひとりの人生を構築するのならば、踏むべき手順は負わなければならない。まさに苦労は買ってでもしろということか。安岡先生は他の章でも“苦労”と“努力”を推奨する。幸せを手に入れるためには通らなければならない道だ。それにはずいぶん過酷な思いをしなければならないのかと言うと、僕はそういうことではないと考える。嫌な苦労や、辛い努力は避けたっていい。苦労を楽しむ、努力に喜べる、そういうところを目指せばいい。そうならなければ続かないし、たどり着けない。最終的に、平安な毎日に幸福を感じられれば一番いい。その境地に至るまでが、少々時間が掛かると言うことだ。
2010年02月18日
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「あなたの夢はなんですか?」本の題名である。初めは“自己啓発”本かと思った。しかし、本の題名にはまだ続きがあった。「そのとき少女はこう答えた。私の夢は大人になるまで生きることです。」全く解らなかった、いったい何の本なのか。その答えを探るべく開いた第一章が、〔ゴミの山で一生懸命に生きる子どもたち―フィリピン〕―フィリピンの スモーキーマウンテンで 出会った少女は 「あなたの夢はなんですか?」 と聞いた私に ニコニコと明るい笑顔を浮かべながら 答えました 「私の夢は大人になるまで生きることです」―ゴミの中で生計を立てる、大人になるまで生きられないかもしれない、貧しい子供達の話だった。著者は池間哲郎、NGO沖縄アジアチャイルドサポート代表理事。アジアの貧困地域の支援活動をしている。第2章以下の表題を並べると〔親のために売られていく娘たち―タイ〕〔スラム街に学校をつくる―カンボジア〕〔僕たちはマンホールの中で生きている―モンゴル〕貧困のどん底で、生死の境に生きているアジアの子どもたちの記録である。この子達のことをまったく知らなかったわけではない。が、改めて現実のルポルタージュとして目にすると、逃げていた自分といやおうも無く向かわざるを得なくなる。昨年、フィリピン人の不法滞在家族の強制送還が話題になっていたが、この過酷なフィリピンの国情を知れば、むげに追い返したのも“情”がなさ過ぎた気がする。正義をかざし、一家を非難していた人の薄っぺらなこころ。こっそり、戻って来れたらいいのにと思う。モンゴルの話は、首都ウランバートルのことだ。親が子供をここに捨てに来る。ひどい話だが子供は言う。「お父さん、僕を捨ててくれてありがとう」ホームレスになって残飯漁りをするほうが、マイナス30度の大草原より、生きていく確率が高いと言う。『ホームレス中学生』とは次元が違う。ソ連崩壊の余波は、こんなところに響いていた。モンゴル力士の強さは、後がない国情を背負っているところにある。品格がどうこう偉そうに言う文化人は、一度このマンホールを覗いたらいい。人間の格付けなんて、瀬戸際の世界では全く意味がない。日本における、すべての問題が、この子達の問題に比べると、なんと空々しく軽薄なものよ。“子供手当て”目当てに民主党に投票したのにと、支払いが怪しくなったニュースを見て怒っている子供二人の家族がテレビに映っていたが、この家族が受け取ることになる年額62万4千円で、いったいどれだけの子供の生命が救えるか。鳩山さん、やっぱり“子供手当て”はやめたほうがいい。財源がないから無理と言うことだけでなく、この政策は精神が間違っている。「命をまもりたい」と言うのなら、正しい危機とうわべの危機を見極めるべきだ。日本人の精神が“漂流”している。この子供達が直面しているのは“絶対貧困”であり、格差社会などと批判喧しい日本の問題は“比較貧困”なのである。“比較貧困”はよってたつ精神性に起因する。せっかく政権交代をしたのだから、堂々と価値観が変わったことを宣言すればいい。経済成長だけが国の目標ではない。“子供手当て”を世界の貧困地域に配れと言うのではない。日本人一人ひとりの、心の置き所を考え直す必要があると思う。池間氏が言う、ボランティアに大事なこと3つ。{一つ目は「理解する」こと。二つ目は「少しだけ分けてください」ということ。三つ目は、誰かのためとか、人のためとか、世の中のため、社会のために何かをすることではない、ということです。一番大事なボランティアは、自分自身がまず一生懸命に生きること。一生懸命生きる人じゃないと、本当の命の尊さはわかりません。真剣に生きる人じゃないと、人の悲しみは伝わってこないと思うのです。}この本の帯に「いま子どもに読ませたい本NO1」と書いてある。ぼくもそう思って息子に読ませた。反応は、―ない。高2の彼は今、色んな情報が流れ込んでいる時期である。整理がつくまで時間は掛かるのは致し方ない。
2010年02月16日
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娘の成人式の写真を見ながら、ぼんやり考える。いつか彼女は恋人を連れてくるだろう。その男はきっと言うだろう。「お嬢さんを必ず、幸せにしますから、結婚させてください」もしそんなことになったら、こう言ってしまいそうだ。「幸せにしますから、って言うからには、今現在、彼女は幸せでないと、君は考えているのかい?」なんて嫌な父親なんだ。さらに追い討ちをかけてこう言う。「そもそも幸せな状態とはどんなことかというと、まずストレスのない環境に居て、自分の行動に制限が加えられず、さらに自分を昇華させるに足る適度な刺激と喜びがある生活と考えるならば、生まれ育った家族と共に、親の庇護の中で自由を満喫し、多種な友人関係の中で楽しみを見出している今のポジションは、充分幸せであると思われる。しかるに、もし君との結婚を選んだとしたら、まず環境の変化は、どんなに恵まれたものであっても必ずストレスになる。さらに、現在手にしている自由の大部分を手放すことになる。それは結婚してみて初めてわかる、驚愕すべき事実なのだ。新生活の刺激と喜びは、あっという間に現実の壁に打ち砕かれるだろう。それでも君は、娘を幸せにすると言い切れるのかね。しかも、必ずまでつけて」僕が妻の両親に会ったときのことはよく覚えていない。緊張していたせいもあり、なにを言ったかなどは全く記憶にない。もちろん上記のごとき言葉も聞かなかった。これはただの戯言である。でも、舞い上がっている二人に言ってやりたい親もいるはずだ。『結婚』イコール『幸せ』ではないぞ。“悟り”を得るための“修行の場”だと思ったほうがまだ近い。そういえば、妻の父親はこう言っていた。「ほんとうにいいの?」今思えば、彼は娘を手放すのを惜しんで言ったわけではなく、実感として、確認したかったのだろう。「返品は受け付けませんから」とも言っていた。僕に欠けていたのは確かな『未来予想図』だった。舵を持たない小船が、荒波に翻弄され、流されるまま、ここにたどり着いた。“運命”という偉大な力に導かれたと信じるしかない。やっとこさ、今が幸せと言えるようになった。そのためには、どん底も見るのだぞ。「君はそこまで考えて幸せにすると言っているのか」なんて言ったら、かわいそうだね。そもそも娘に彼氏の影なんぞ見えないではないか。それはそれで悩みの種にもなろうぞ。もし、彼氏を連れてきたりしたら、僕も言うだろう。「ほんとうにいいの?」
2010年02月02日
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