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石原結(ゆう)實(み)医学博士の著書は、大体3つの主張で成り立っている。(1)体を温めると、病気は治る(半身浴)。(2)小食こそが健康の薬(半日断食)。(3)人参・リンゴジュースと生姜紅茶健康法。ほぼこの内容だけで200冊以上の著書がある。昨年の参議院選挙で東京から無所属で立候補していたが、印税の使い途に困っているのだろうか。(1)(2)は僕も実践して推奨している健康法およびダイエット法。半身浴の効能は二つ。血行を良くする。副交感神経を働かせ、リラックスする。38~40度のぬるめの風呂に浸かり、20分リラックスすると心身の病気の予防および治癒に役立つ。さらに呼吸法を加えれば効果絶大。血の巡りと自律神経のバランスがよくなれば、かなりの病気から逃れられるはずだ。僕が半身浴を始めたそもそもがこちらhttp://plaza.rakuten.co.jp/sontiti/diary/200703010000/ 『「食べない」健康法』は、(2)の"少食健康法"についての集大成の本である。石原先生御自身は、1日1食+人参・リンゴジュース2杯+生姜紅茶3杯しかとってないそうである。しかしながらウエイトトレーニングを学生時代から続けているため、筋肉隆々。1948年生まれということで、63歳のはずである。先日テレビで、同年代のチャック・ウィルソンと藤原組長の相撲対決を見て、人間60歳を超えると随分筋肉が衰えるものだと思ったが、石原先生の肌はパンパンである。食べないことが筋肉を維持させるという逆説を証明している。少食の効用を次のように、項目別の実験データで証明している。 少食と寿命・老化米国ボルチモアにある国立老化研究所(NIA)では、回虫からサルまでの動物実験をし、「カロリーの摂取を抑えると、長生きをする」という結論を得ているが、「摂取カロリーを60%に抑えると、寿命は50%延びる」ことがわかったという。同研究所のドナルド・イングラム博士は、「年老いたネズミの脳内ドーパミン受容体(パーキンソン病の発症と深く関係)の量を測定し、その後、摂取カロリーを40%に抑えたところ、老化すると減っていくはずの、ドーパミン受容体の量が逆に増え、学習記憶能力も高まった。また、寿命が普通食のネズミに比べて40%延びた」との実験結果を発表している。米国カリフォルニアに断食病院を設立し、幾多の難病奇病の患者を救ったハーバード・シェルトン博士も「断食により皮膚は若々しくなり、色つやがよくなる、眼は生き生きとし、表情がよくなり、10~20歳も若く見られるようになる。この皮膚の若返りは表面には見えないが、体全体の若返りの表れである」と述べ、「断食」により、具体的には、以下のような若返り現象が起こるとしている。聴力の回復・視力の回復・味覚、嗅覚が鋭くなる・活力の回復・精神力の回復・体重減少・消化力の促進・。顔の小じわの消失・血圧の低下・心臓、循環機能の促進・前立腺肥大の解消だ・性的機能の若返り。 少食とガンドイツのガン学者・イセルス博士は、動物実験の結果、「食べたいだけの量の食物を与えられて育ったネズミは、2日おきに断食させられた動物よりも自然発生するガンが5.3倍も高い」と発表している。米国のカリフォルニア大学・バークレー・ヘラースタイン博士は、「断食すると、体内の細胞に、抗ガン効果をもたらす」「一日おきにネズミを断食させたところ、体細胞の分裂する速度が確実に減る」「細胞分裂自体が遅くなれば、ガン発生の危険性を減らすことができる」ことを実験で証明し、さらに「成長ホルモンやインスリン(たくさん食べると、分泌が促される)のような"細胞の成長を促すような"ホルモンは細胞の分裂を促し、ガン細胞の増殖のプロセスに深くかかわる」と述べている。米国のエモリー大学病院のS・ハイムスフィールド博士が、平均年齢50歳で同じ程度の進抗ガン患者100人を無作為に抽出して、A群の50人には病院の普通食を、B群の50人には、特別の栄養素を存分に入れたスープを加えた高栄養食を加えたところ、A群の平均生存日数は300日、B群は75日だったという。 少食と免疫米国ポートランドのオレゴン健康大学ワクチン遺伝子治療研究所のJ・ニコロク・ズーキック博士らは、「18年間、30%カロリー制限を行ったアカゲザルは、普通食を与えられたアカゲザルに比べて、年をとってもT細胞のレベルが高く(免疫力が旺盛)、細胞が若く、病気になりにくい」との研究結果を発表している。低カロリー食のアカゲザルでは加齢により、もっとも影響される免疫細胞であるT細胞の機能や産生能がむしろ向上し、逆に炎症物質の産生量が減少することを実験で確かめている。「カロリー制限が、免疫能の老化を遅らせ、感染症への抵抗力を維持することで、結果的に寿命を延ばす」とズーキック博士は述べている。 少食と加齢関連疾患米国シカゴ大学のC・M・チャイルド教授は「ある種の昆虫では、十分な食物を与えると3~4週間で生命が終わる。しかし、食物をかなり減らすか、断食を強いられた昆虫は、その活動性と若さを、少なくとも3年くらい保ち続ける」ことを発見し、「断食しているものは、まるで老年期から胎児期へ戻ったかのような若返りを見せる」と述べている。ある時、私のクリニックを受診された70代の男性は、もう5年近くも都内の某有名私立大の病院で通院し、投薬を受けておられた。しかし、よくなるどころか手足の震え、手足の筋肉のこわばり、体の動きの硬さ、無表情という同病に特有の症状が徐々に悪化しているとおっしゃる。1日の食事をお尋ねしたら、朝は食欲がないのに「食べないと健康に悪い」と思って、無理にパンと牛乳を口から流し込むように摂っている、とおっしゃる。「食欲不振は病気を治そうとする反応だから無理して食べず、人参・リンゴジュース1杯と黒砂糖入りの生姜紅茶1杯を朝食代わりにするように」とお話し、その他の食事療法の指導もして帰っていただいた。1ヵ月後に再来院された時は、びっくりするほどにこやかな表情をされ、手足の動き、立ち居振る舞いも随分とスムーズに柔らかになっておられた。おそらく、1食抜くことで多少なりとも若返られ、加齢病であるパーキンソン病の症状が軽減されたのであろう。 その他、心臓病、炎症性疾患、大小便の排泄、体のだるさ解消、頭脳明晰、性欲強化、ストレスに強くなる・・・等、実験データで検証が行われている。 煎じ詰めれば「食べすぎ」と「冷え」が病気の原因人間も含めて動物は、ガンや風邪・肺炎・・・などの炎症性疾患、脳梗塞や心筋梗塞の発作直後、痛みのひどい時など、ある程度以上の病気にかかったり、または、かなり疲れたときなどには、「食欲不振」と「発熱」という2つの症状を必ず発現してくる。実は、「食欲不振」でも「発熱」でも免疫力が上がる。我々が空腹になると、血液中の栄養物も少なくなっており、白血球も「空腹」になり、よく異物を貪食する。つまり、空腹の時に免疫力が上がる。よって、病気になると「食欲不振」という「強制的な空腹」状態を作り、免疫力を上げて、病気を治そうとする。体温が1℃上昇すると免疫力が5~6倍になるというのは、白血球の貪食処理能力が5~6倍に高まるということである。よって、病気すると発熱して、免疫力を上げ、病気を治そうとするのである。 石原式基本食朝(1)食べない または(2)お茶に梅干 または(3)人参・リンゴジュース1~2杯 または(4)生姜紅茶1~2杯に人参・リンゴジュース1~2杯昼(1)そば(トロロ、ワカメ、ザル)にネギと七味唐辛子をしっかりふりかける または(2)具だくさんのうどんにネギと七味唐辛子をしっかりふりかける または(3)ピザやパスタにタバスコをふりかける または(4)ごはんや弁当ならよくかみ、腹八分以下に夜アルコールを含め、何を食べても可 朝食抜きで、昼食は「捕食」という生活スタイルが理論的には理想だ。しかし、昼抜き、夕食抜きの方が自分の生活スタイルに合っているという人には、それでも構わない。 生姜紅茶は、ティーバッグをカップに入れて熱湯を注ぎ、これに適量の生姜汁と黒砂糖(またはハチミツ)を入れるとできあがる。簡単なものだ。紅茶のカフェインには利尿作用があり、排尿を促してくれる。また、紅茶(black tea)は、見た目が赤(黒)いが、これは漢方の陰陽論で言うと、体を温める食物である。色が青・白・緑の食べ物は体を冷やし、赤・黒・橙の食べ物は体を温める。同じく陰陽論で言うと、黒砂糖は、体を温め、低体温からくる不調を取り除いてくれる。東京農業大学の栄養学の教授が「黒砂糖は、血糖を下げる」との研究結果を発表されている。その上、黒砂糖には、ビタミンB1やB2、鉄、亜鉛、カルシウム、カリウム等々ミネラルが豊富に含まれている。生姜は、我々が使う医療用漢方約150種のうち75%に含まれており、「生姜なしには漢方は成り立たない」といわれるほどの薬効がある。人参には「万病のモト」と言われている活性酸素を除去するβ-カロテンが多量に含まれているし、同じく含有成分のコハク酸カリウム塩には血圧を下げる作用や体内の有害な水銀を排泄する作用がある。リンゴには、ビタミン類(A、B群、C)、同化されやすい糖類、種々の酵素、有機酸、ミネラルがバランスよく含まれ、血中のコレステロールを下げるペクチン、腸内の善玉菌を増やすオリゴ糖、活性酸素を除去するポリフェノールなどを含んでいる。 1日1~2食でにすると、はじめのうちは、空腹を感じることがあるかもしれない。しかし、空腹の時こそ、白血球の力も増し、免疫力も倍増するのだから、空腹になったら、次のように「思う」とよい。(1)この空腹が、免疫力をあげて、病気を防ぐ。(2)この空腹が、免疫力をあげて、病気を治す。(3)この空腹が、老いを防ぎ、若さを保つ。(4)この空腹が、ボケを防ぐ。(5)この空腹が、運を開き、幸運を呼び込んでくれる。
2011年01月28日
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数少ない本稿の読者ファンから誕生日の祝いに「図書カード」をいただいた。カードの図柄に、オランダの画家フェルメールの『真珠の耳飾りの少女』が描かれている。それを見た時ふと、最近フェルメールとすれ違った記憶がよぎった。映画に感動して原作本を買って、そのまま積読(つんどく)になってしまった本として『死ぬまでにしたい10のこと』を取り上げたが、もう一冊同じ状況で読んでいなかった本があった。映画『17歳のカルテ』の原作『思春期病棟の少女達(Girl,Interrupted)』だ。『死ぬまでに~』の次に取り上げようかと読んでみたが、うまくまとまりそうにないので(いつもまとまってないのだが)お蔵にしていたものだ。これも何かの"縁"かと書き始める。 『17歳のカルテ』は1999年、若きウィノラ・ライダーとアンジェリーナ・ジョリーの出演作で、このとき初めてアンジェリーナ・ジョリーを見た僕は、とんでもない女優が出現したもんだと驚いた。映画は、原作にほれ込んだウィノラ・ライダーが映画化権を買い取って生まれた。ウィノラ自身が20歳の時、"境界性人格障害"で精神病院に入院していた経験があったのだ。さらに、アカデミー賞&ゴールデングローブ最優秀助演女優賞を受賞したアンジェリーナ・ジョリーも、14歳の頃精神が不安定になり自傷行為をくり返し、自己同一性不安の経験があった。精神が不安定になったのは、浮気をくり返す父親のジョン・ボイドの影響である。(ボイドの代表作『真夜中のカーボーイ』の僕のコラムはこれ、http://plaza.rakuten.co.jp/sontiti/diary/200609210000/ )でも、あの頃のカッコよかったジョン・ボイドは、夫のブラッド・ピットにそっくりだ。女の子は父親似の男を好むというが本当らしい。ちなみに、僕の娘は向井理が好きなのだが、似ているだろうか?そんな訳で、アンジェリーナの演技は鬼気迫るものがあり、数々の賞を受賞しビッグスターにステップアップすることになる。一方作品に肩入れをしていたウィノラ・ライダーは、繊細な少女を巧みに演じていたが、アンジェリーナにすっかり評判を持って行かれ、「この役(リサ)を演じれば誰だってオスカーを獲れるわよ」と負け惜しみを言って一騒ぎがあった。 本には表紙のイラストをほとんど隠してしまう帯が巻かれていて、ウィノラの黒い目のアップと、二人のツーショット写真が収まっている。帯に惹かれて思わず買ってしまった本といってもいい。映画のほうはストーリーがあり、衝撃的な展開が待っている。しかし、原作小説は映画で盛り上がる後半部分はなかった。原作者のスザンナ・ケイセンの経験した精神病院での生活と、ともに暮らした心を病んだ少女たち、および医者・看護師などの描写が、散文詩のような美しい文章で脈絡なく綴られている。20年前を振り返って、鋭い分析が洗練された筆致が、心の謎を描く。 隣にある別世界どうしてそんなことになったの、とひとは聞く。でも、そのひとたちがほんとうに知りたいのは、自分もそうなる可能性があるだろうかということだ。その問いには、わたしは答えられない。ただ言えるのは、そうなるのはとても簡単だということだけ。隣(パラ)に(レル)ある(・)別世界(ユニヴァース)に移るのは、ごく簡単だ。パラレル・ユニヴァースはたくさんある。精神異常の世界、犯罪の世界、身体障害の世界、死にゆく者の世界、たぶん死者の世界もその一つだろう。こちら側の世界にそっくりで、すぐ隣にあるけど、内側にはない世界。パラレル・ユニヴァースでもうひとつ不思議なのは、こちら側からは向こうがみえないけれど、向こう側に行ってしまうと、こっちの世界がとてもよく見えるということだ。自分が離れてきた世界は、ときにはのしかかるように大きく不気味で、巨大なゼリーのように蠕動(ぜんどう)している。べつのときには、小さく魅力的で、きらきら光り、自転しながら軌道をめぐっている。わたしの自殺自殺は殺人の一種だ。それも計画的殺人。思いついたからって、すぐに実行するものではない。その考えに慣れなくてはならない。それに道具とチャンスと動機がいる。自殺に成功するにはきちんとした段取りと冷静な頭がなければならない。自殺しようという精神状態では、どっちもないのが普通だ。大事なのは、どうでもいいという気分になること。一つの方法は、死んだ自分や死にかけている自分を何度も想像してみることだ。窓があれば、窓から落ちていく自分の身体を想像する。ナイフなら、ナイフが身体に突き刺さるのを想像する。列車なら、車輪でぺちゃんこになった身体を想像する。どうでもいいという突き放した気分にうまくなるためには、こんな練習がいる。ほんとうのことを言えば、自殺したがっているのは、わたしの中のごく一部だけだった。その部分が自分を殺したがり、自殺しようかどうしようかという疑問に私を引きずり込み、窓も、台所道具も、地下鉄の駅も、すべてを悲劇のリハーサルの舞台にしてしまう。だけど、それに気づいたのは五十錠のアスピリンを飲んだあとだった。入院したわけそれに、人間の見方もおかしくなっていた。だれかの顔をみると、それぞれの道具立てがばらばらになってしまうことがよくあった。分解してみると、顔っておかしなものだ。ぐにゃぐにゃしてたり、尖っていたり、空気の通る穴や湿った点がいっぱい。でも、わたしは単純に狂ってまっさかさまに不思議の国へのほら穴を落ちていったのではなかった。現実の認知のしかたがまちがっていると完璧に意識していた-それが不幸で、たぶん救いでもあった。わたしは、自分が見たり、見たと思ったりしたことを一度も「信じ」なかった。それだけでなく、つぎつぎに奇妙な振る舞いをするたびに、その奇妙さを充分に理解していた。いまでは、こう言うこともできる。あなたはひとから疎外されている、自分は人とちがう、と思っていた、だから自分の不快感を外へ投影していたのだと。ひとの顔がゴムの塊にみえるのは、自分の顔がゴムの塊ではないかと心配だったからだと。こんな風に解明すれば普通に振舞えるようにはなるが、不思議な問題が生じる。みんなもそう見えていながら、そうでないふりをしているのだろうか。精神病って、演技をやめてしまうことなのだろうか? 何かが、わたしたちを守っている覆いか殻かが剥かれてしまったのだ。その覆いがわたしにかかっていたのか、それとも世界のすべてにかかっていたのか、どちらかわからない。失踪と緩慢精神異常には基本的な種類が二つある。失踪型と緩慢型と。緩慢なほうの精神病の最大の特徴は粘性だ。経験が粘りつく。感覚が粘りつき、鈍る。時の進行は遅くて、粘っこい感覚の目詰まりしたフィルターを通してじりっじりっと滴っていく。体温は低い。脈拍も弱々しい。免疫系は半分眠っている。身体組織はぼってりと薄い塩水に浸っているみたい。反射機能でさえ低下する。膝頭を叩かれても、脚のほうは恍惚状態から覚めて跳ね上がるのを面倒くさがっているようだ。疾走は細胞レベルで起こる。緩慢さのほうもそうだけれど。緩慢なほうの細胞の昏睡状態とは対照的に、疾走すると血小板から筋繊維までのすべてが独立した意識をもち、それぞれの行動を知っていちいち注釈をはじめる。知覚があふれ、知覚の過剰の先にさらに知覚についての思考や、知覚するという事実についての思考の過剰が起こりだす。消化のために死にかけたりする! 何というか、「消化している、消化している」という絶え間ない意識のためにへとへとになって死にかけるってこと。しかも、消化なんて、思考に勝手に侵入してくる脇役にすぎない。ほんとうのトラブルは、思考から始まる。思考の惰性的な雪崩は何日も続く。緩慢なほうの沈黙の麻痺状態が起こる理由の一つは、次がどうなるかを承知していて、それが起こるのをじっと待っていなければならないことにある。あたしってだめなんだ、と考える。その日はずっとこの考えがつきまとう。一日中しつこく、あたしってだめなんだ、あたしってだめなんだと滴りつづける。負荷が高すぎるほうが辛いか、低すぎるほうが辛いか、どっちだろう。さいわいわたしには選択の余地はなかった。どっちかが襲ってくる。疾風か滴りか、どちらかがわたしを通過していく。通過してどこへ行くのだろう。細胞に潜伏して、次の機会をうかがっているのだろうか。世界の外側の空間に蒸発し、状況が変化して再び出現するチャンスが訪れるのをじっと待っているのか。内因性か、外因性か、氏か育ちか・・・それが精神の病気の大きな謎。中断された人生フリック美術館(コレクション)のフェルメールは、三枚のうちの一枚だったが、最初に行ったときにはあとの二枚が目に入らなかった。わたしは17歳で、ニューヨークに英語の教師と来ていて、彼はまだわたしにキスしていなかった。わたしは、きっとキスされるにちがいないと考えながらフラゴナールの作品を見て、中庭に続くホールに入っていった― 薄暗い回廊の壁で、フェルメールが輝きを放っていた。額縁から、偉そうに椅子に手をかけているでっぷりした音楽教師を無視して、少女がこちらを見ていた。冬で明かりは薄暗いが、少女の顔は輝いていた。その茶色の瞳を見つめたわたしは、はっとした。彼女は何かを警告していた。音楽のレッスンから顔をあげてわたしに何か警告していた。唇を薄く開けて、はっと息を吸い込んで「だめ!」と言っているように。わたしは後ずさりして、彼女のせっぱつまった眼差しから逃れようとした。でも、彼女の警告は回廊いっぱいに広がっていた。「待って」彼女は言っていた。「待って! 行かないで!」わたしは警告を聞かなかった。英語の教師と食事に出かけ、彼はわたしにキスし、ケンブリッジにもどって生物で落第し、卒業はしたけれど、とうとう狂った。「音楽のレッスンを中断された少女」レッスンの途中で中断された彼女の生は、十八歳という音楽の途中で中断されたわたしの人生のようだ。彼女の人生は奪われてカンバスに定着された。ある一瞬が停止し、それでほかのすべての時が静止した。どんな時を刻もうとしていたのか、また刻むはずだったのか。そこからどんな人生が取り戻せるというのか。 原題の「Girl,Interrupted(中断された少女)」はこの絵の題名から引用している。スザンナは精神病院で青春の生活を中断した。ストーリーに関係ない部分の抜粋になってしまったが、彼女の分析に僕の中のしこりも解けていく気がした。社会の中で生活していた者も、規律の中で何かが中断されていたことに気がつかされた。
2011年01月25日
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僕がダイエットを始めて1年になる。きっかけはこちらhttp://plaza.rakuten.co.jp/sontiti/diary/201008030000/8月3日の時点ではまだ60キロ台だったが、その後も減り続け、10月29日に55.8キロという記録が出た。10キロ減に成功したわけだ。その後増減をくり返すも、56~7キロ台を維持している。僕の身長が172センチなので、56キロだとすると、BMI(ボディ・マス・インデックス)は、56÷(1.72×1.72)≒18.9標準範囲以内が、18.5~25なので、ギリギリまで落ちた感じだ。『死なないぞダイエット』は《計るだけダイエット》の考案者、NHK"ためしてガッテン"のディレクター北折一の著書だ。僕はテレビを見て始めたので、本は後から発見したものだ。《計るだけダイエット》についてはこちらhttp://www9.nhk.or.jp/gatten/qa/archive/diet.html ダイエットの方法については上記のページを見ればわかります。本著はダイエットを決意するに至ったメタボリックシンドロームの怖さが語られている。表紙には腹囲96センチの著者の、みごとな布袋腹の写真、裏表紙には腹筋の割れも鮮やかな、ひきしまった現在の写真が載っている。自らの使用前使用後で理論の正当性を立証している。本書は《計るだけダイエット》というダイエット方法に、突然死を防ぐという概念を加えた、あくまでも「死なない」ための本である。 働き盛りで死なないために厚生労働省の統計によると、30~50台のがんによる死亡者数は年間4万6946人(平成8年度)である。一方で同年代の心臓病、脳卒中での死亡者も以外に多く、年間2万4281人もいた。働き盛りで亡くなる可能性は心臓病や脳卒中も決して低くはないのだ。 「くも膜下出血」の場合は、1年間に亡くなるおよそ1万5000人のうち2割、およそ3000人は発症して24時間以内に亡くなっている。「生活習慣病」という名のせいで、日々すこしずつ症状が進んでいくような錯覚を起こす人も多いが、「昨日まで何事もなかったのに今日突然に・・・」、脳卒中とはそういう病気なのだ。 心臓病を引き起こす可能性は、あなたが「危険因子」をいくつ持っているかで割り出すことができる。危険因子とは、高い「コレステロール値」「中性脂肪値」「血糖値」「血圧」に「喫煙」そして「内臓脂肪の蓄積(肥満)」である。悪玉(LDL)÷善玉(HDL)コレステロールが〈2.3〉以下が理想で、これを危険度1とすると、比率が〈3〉の人は心臓病の危険度が2倍に、比率が〈4.7〉の人は3.3倍に、比率が〈6〉の人だと6.4倍に増えていく。さらに、高血圧、高血糖、喫煙といった要素が加わると、危険度はどんどん跳ね上がり、LDL/HDL値が〈6〉の場合、高血圧が加わると16倍、さらに高血糖、喫煙が加わると、危険度はなんと57.3倍にもなってしまうのだ。 心臓病の代表格・心筋梗塞は、心臓の表面を走る血管「冠動脈」が詰まってしまうことで起きる。冠動脈は心臓自体に酸素と栄養を送る血管であるため、そこが詰まると、心臓を動かす筋肉が死んでしまい、全身に血液を送り出せなくなる。一方、脳梗塞は脳の血管が詰まってしまうことで、その周辺の脳の細胞が死んでしまう。動脈硬化は、単に血管が狭くなっているから血栓が詰まりやすいというほかに、「その部分で血栓が生まれやすい」という性質を持っている。 血管の内側がグジュグジュになる、粥状(じゅくじょう)硬化部分は非常にもろく、ちょっとしたことで表面に傷が付きやすい。その小さな傷を「怪我」と判断した血小板が、それを塞ごうと一気に集まってその場で固まってしまう。これこそが血栓なのである。 血圧が高いということは、血液中の成分がより強い圧力で血管壁にこすりつけられながら流れることを意味する。そうしてできた血管壁の小さな傷は、通常ならばすぐに修復されるが、中性脂肪値やコレステロール値が高いと、その傷に悪玉コレステロールが入り込みやすくなる。さらに、血糖値が高ければ、そのコレステロールの酸化が進みやすくなり、動脈硬化がより速く進行してしまうと考えられるし、そもそも糖分は血管壁の細胞をいたみやすくするため、高血圧によって傷ができやすい状態を生み出してしまう。こうしてチョイ悪たちの共同正犯による「悪の相乗効果」が起こるのだが、ここにもうひとつ「悪の親玉」、内臓脂肪が加わると大変なことになる。 脂肪細胞に、(内臓脂肪が運ぶ)脂肪というお荷物が増えてしまうと、不良品を作り出してしまう。血液を固めて血栓をできやすくしたり、インスリンの働きを邪魔して血糖値を上げてしまう物質だ。また、インスリンの効きが悪くなることで、結果として血圧上昇も起こるとされる。内臓脂肪の肥大化は、高中性脂肪だけでなく高血糖、高血圧のチョイ悪トリオを活性化させてしまうのだ。 診断基準に高血糖が含まれていることからもわかるとおり、メタボの代表的な合併症は、糖尿病の合併症である。糖尿病は、尿中に糖がもれ出してしまうとういうだけの病気ではない。血液中に過剰になったブドウ糖の影響で血管の細胞がいわばシロップ漬けのようになって損害を受ける。まさに血管の病。血管がボロボロになることで、さまざまな臓器が次々と機能を失うのだ。 おもな合併症は、腎臓病、網膜症、神経障害による脚部などの壊死である。糖尿病を発症すると、5年目くらいから目の異常が始まる。眼球内のスクリーン機能を担う網膜の細い血管が破れる、眼底出血により組織が侵されてしまうのだ。10年目には腎臓に張り巡らされた血管が傷害を受け、腎機能が低下する。 腎臓病が日常生活に及ぼす影響は甚大だ。血液中の老廃物や有毒物質を濾過し、尿として排泄する機能が失われるわけだから、生命の維持自体が自力では不可能になる。こうなると人口透析を受けなければならない。指定の病院に入り、腕の血管から血液を体外に流し続け、濾過装置を通したのち、再び体内に戻すという大変な苦痛を伴う治療である。これが2日に1回5時間ほど、生涯の間続くのだ。 さらに恐ろしいことに透析を始めると5~6年以内に、足を切断するケースが多い。抹消神経がやられ、ささいな傷が原因で、組織が壊死を起こすのだ。そして相前後して、片眼あるいは両眼の失明・・・「ある意味、突然死よりもつらい」という人がいるのも理解できるのではないだろうか。 これらの病気は、発症する前に予防が可能な病気なのだ。残念なことに多くの人は何かしらの自覚症状が出てから初めて気がつき、治療を始める。だが、初めて受診してから2~3年、ないしは4~5年で透析患者になるケースがとても多い。失明して初めて糖尿病だと気づくケースも少なくない。喫煙者の場合、症状の進行はさらに速くなる。 単純な計算をしてみてほしい。人工透析や脚の切断という事態になるには、糖尿病を発症して20年ほどたっている。50歳、60歳でそういうことになるということは、その20年前はいつごろなのか。そう、30代40代こそが、まさに予防を開始するタイミングなのだ。 〔"がん"についてはまだまだ未知数の部分が多い。しかし、心臓病と脳卒中、糖尿病などは、原因と結果の相関関係がかなりハッキリしている。こんなことで死にたくなければ、あるいは"死んだほうがまし"というほどの状態になりたくなければ、肥満を解消すべきだ。食べるものが美味しいと感じるのは、その食品が身体に必要なものであるために、脳が食べることを促すためそう感じていることが多い。食べるのはかまわないが、問題は“量”と“バランス”である。生きていくのに最低必要とされる基礎代謝は、成人女性で1200キロカロリー、男子で1500キロカロリーといわれている。コンビニのハンバーグ弁当が750キロカロリーだから、後は想像してほしい。昨年のチリ炭鉱落盤事故で、閉じ込められた作業員は、48時間毎のスプーン一杯のツナと、コップ半分の牛乳で70日間をしのいだ。それでも体重は10キロしか減らなかったのだから、普段いかに無駄に食っているかだ。みんな(ダイエットが必要だと感じている人)は、ダイエットの知識を部分的にも持っていると思う。あとは、自分の置かれている危険な状態を理解して、本気で実行するかどうかのみである。〕
2011年01月23日
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2005年5月30日にこのブログを書き始めて、今回で300回を迎えた。これが記念すべき第一回。http://plaza.rakuten.co.jp/sontiti/diary/200505300000/懐かしくもあるが、実生活では精神的に追い込まれている、苦難の時期でもあった。今となっては忘れかけていた、あの頃のことを色々思い出した。そもそもブログを書き始めたきっかけが何だったか、何を目的にしたのかもよく覚えていない。何故かパソコンを買い、何故かブログを書き始めた。この半年後に、それまで15年勤めた建築の会社を発作的に辞めている。実のところ、この辺りの記憶がうまく蘇らず、あるいは消失している。"歳"のせいもあるのだろうが、やはり"うつ病"は脳にダメージを与えていたと思う。仕事上のトラブルや、会社内の人間関係で閉塞感に包まれた、つらい毎日を過ごしていた。身体に変調が現れていたのは、それより3年ぐらい前からだったと思う。小学生の子供のサッカーチームで知り合った、医者のお父さんに"血尿"のことを相談した覚えがある。生命保険の審査で、形だけの検査をした医者に「いくら俺でもこれは通せない」と言われた。"午後の紅茶"のような色の尿がずうっと出ていた。それで精密検査をしたのだが、尿結石でも癌でもなかった。いったいこれは何故なのかと。すると、チームドクターは「"ストレス"で血尿がでることもある」という。戦場ではよくあることだそうだ。まさに男の職場は戦場。じゃあ仕方がないかと納得してしまった。ブログは当初"健康"についてのコラムを書こうと思っていた。特に"ビタミン"については多少知識があったので、慣らし運転には都合が良かった。ところが身体の具合が日々悪くなり、健康を書くには整合性が取れなくなってきた。それで病気をカミングアウトして、闘病記にしようかとしたところ、その病気がどうやら"うつ病"であるらしいとわかった。仕事で失敗が続くのも(本人は良くわからないのだが、同僚に文句を言われるようになった)、会社に行きたくなくなって、逃げるように辞めてしまったのも、一瞬の開放感からすぐに"死に神"に取り付かれたごとく、自殺願望に引き込まれたのも、みんなうつ病の症状だったらしい。ブログにもその間の変移を残しているが、実は裏で本当の日記もノートに書いていた。それには、不安や絶望感がダイレクトにつづられている。もがき苦しんでいた毎日が記されている。何故そんな日記をつけていたのかというと、うつ病に関する著書の多い税所(さいしょ)弘の『うつ病はよくなる』に書かれていた《日記療法》という治療法の一つだったからだ。 一日の行動と、その感想を書く。起床時間、早朝散歩の前後の所感(感想)、早朝体操の前後の所感(感想)。朝昼晩、その時の症状でつらかったこと、あるいは自分自身に対するこだわりなど、人に話せないことを書く。それを期間ごとに読み返し、自分の症状や、そのとらえ方の変化を確認する。そして、行動と、行動によって得た自信を把握する。 ということで、実践してみたのだが、これが案外つらかった。机の奥底にしまった"リアル日記"をひっぱりだして読んでみると、ビックリすることが書いてある。冷静に分析している部分と、感情が爆発している部分が混在している。積極的に行動しようとする一方で、できない自分を追い込んでいる。そのあげくに破綻し、ついに遺書めいたことまで書いている。こんなことまで書いていたなんて。危なかった。 "税所式実践療法"は、【実践1】として、"行動療法"、まず「早起き」「早朝散歩」「早朝体操」がある。「早起き」については、僕は眠れないという症状だったので、起きてはいた。「早朝散歩」はしなかったと思う。とにかく朝は、吐き気と胸痛で苦しくって何もできなかったから。ただ、体操についてはヨーガをやった。ヨーガは経験があったので、理解と同時に行動に移せた。ヨーガで自律神経を調整することで、少し落ち着くのを体感した。これは今も続けている。 次に【実践2】として"心理療法"、「誓(うけ)ひ」というのをやる。「誓ひ」は字の通り、「誓う」という実践をする。自分が多くの人に生かされていることを感謝し、自分の弱点や短所について反省し、目的に対する祈り、祈願をする。これを踏まえて《日記療法》を行うわけだ。日記の中に、目標や誓いを書き、その進み具合を検証する。普通の場合これは、Plan・Do・Check なので当たり前の行動だが、それができないから苦しんでいるのだ。実際のところ、うつ病(うつ症状)の人が、これをひとりでやってひとりで解決することは無理だろう。誰かがアドバイスしながら、慰めたり励ましたり、少しずつ生活を変えて行くようにしないと、結局僕のように自分を追い込んでしまう。 税所式でも次のステップは《集団療法》になっている。「本を読んで、実践しているのだが効果がない」という苦情がよせられ、サポートシステムを作ったようだ。デイケアや土曜講習会を開いて効果を挙げているそうだが、逆に言えば、そういう場がないと行き詰ってしまう。とにかくひとりではつらいのだ。 うつ病(うつ症状)は本を読んだくらいで簡単に治るものではない。頭では理解できても、身体や心が自由にならないから。薬に頼らない方法ということで、参考にした本だったが、これがすべてではない。自立訓練法、内観療法、認知療法、さまざまな方法を試みた。あれから5年、自分と格闘して、ようやく今に至った。 人の"幸せ"は、考え方によって決まる。苦しみの中から、それが解った。考え方の誤りに気がついて、それを正すことが治療につながったと思う。巷間言われている格言の類も、考え方で映る景色も違っているはずだ。心の栄養になるような本も随分読んだ。その中から、誰かの役に立つかもしれないと思った本を、これからも紹介していきたいと思う。
2011年01月22日
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昨年、『般若心経』の翻訳を、宝彩有名の訳で紹介した。http://plaza.rakuten.co.jp/sontiti/diary/201010240000/なるべく分かりやすいものをと思って選んだのだが、さらに親しみのある訳をした先生がいた。一昨年、不帰の客となった、国民栄誉賞作曲家の遠藤実だ。『般若心経』という哲学的な“経”が、演歌歌謡の風合いにしっくり馴染んでいる。 般若心経 ―私はこう読む― あなたもそうですか。悲しみに泣きぬれるとき、その心の中に、ひとつのこだわりがあるのですか。私もそうです。苦しみにあえぐとき、やはりひとつのものにとらわれ、かたよった考え方がのしかかっているのです。人間の苦悩は、こだわり、かたより、とらわれることから始まるのですね。だから苦悩から逃れるということは、それらの心からいかに解放されるかということです。この地上にあるすべてのものは、刻々と色や姿、形を変えていき、やがて消え去るものなのですね。この世にあるもの(有形、無形に限らず存在するもの)とは、だれもが別れなければならない。これが現象世界(人の人生)の掟であり、摂理でもあります。人のさまざまな苦悩は、愛するもの、愛したもののすべてが絶対と思い込み、それらの対象のものが失われたとき、さみしさ、くやしさ、うらみ・・・等々に変わるのです。健康な人間は、食すればその味わいを楽しみ、花や光などさまざまな色彩になごみ、香りにひたり、人生の道々にはいろいろな人々と縁をもち、語り合い、歌を聴き、かつ歌い、思い出をつくり、またその思い出をこころの思むくまま自由に、意識の海に浮かばせ、それゆえにまた反面、罪もつくり、過ちも犯してしまうのです。しかし、この苦というものも思いようであります。痛みがあり、安らぎを知り、安らぐときを知って、また痛みを感じる。死があり、生のよろこびを知り、生の歓喜を知って、また死の悲しみを知る、人の世は輪廻、くり返しているのです。苦悩のとき、無になりなさいと御仏(みほとけ)の声がします。それは何もない無ではなく、地上にはまだ見えないが、大地の中に今まで以上に大きくなる種があり、その種を育てていけと言っているのです。本来、人間は白(びゃく)浄(じょう)の菩薩(ぼさつ)心を持っているはずです。ですから、早くそれに目覚め、心を開き、宇宙の宝光(神仏)を仰いで、その光をうけ、世界の人びとが拝み合う心がいきわたるような努力をみんなでしましょうと、神仏は語りかけているのです。丸い心,広い心、すきとおる心を求めて、いつも精いっぱい生きていきたいと念じています。 どの部分がどの訳なのか解らないほどの"超訳"だが、まぎれもなく「般若心経」である。遠藤実は終戦直後、17歳で疎開先の新潟から単身上京し、さまざまな職業を経てギターの流し演歌師となる。1956年作曲家として世に出、以来5000曲に及ぶ作曲をし、『高校三年生』『星影のワルツ』『北国の春』『せんせい』など、数々の名作を残した。アーチスト主導のレコード会社を立ち上げ、挫折と言う苦い経験もした。「トコトン苦しんだからこそ、人の痛みもわかる」と言う。 人を愛し傷ついてはじめて、他人の痛みがわかる。仕事に挫折してはじめて、他人の立場を思いやることもできる。壁にぶつかったら、思い切り悩めばいい。とくに若いうちは、苦しんで、苦しんで、苦しみ抜けばいい。悩み、苦しんだぶんだけ、自分と言うものがわかり、同時に、他人に対して優しい気持ちになれるのではないだろうか。般若心経の生き方とは、つまるところ、丸い心、広い心を持つということに他ならない。三角や四角で、あっちが出たりこっちが出たりしている心を、どんなふうに丸くしていくかが私たち人間のテーマと言えるだろう。 経営者としての失敗から作曲に専念し、あまたのヒット曲を送り出し、順風な人生を迎えた五十五歳の正月、病院の検査で"狭心症"が発覚した。心臓を養う重要な冠状動脈が詰まっていた。「自分はこのまま死んでしまうのだろうか」と、生まれて初めて死の恐怖を味わった。 手術を数日後に控えたある日、テレビで、『男はつらいよ(浪速の恋の物語)』が放映されていた。寅さんなら心がなごむに違いないと見ていると、渥美清演じる寅さんが、松坂慶子のマドンナとふたりで彼女の弟を探して、大阪周辺を歩くというものだった。ところがようやく弟の居場所がわかって会いに行くと、弟はすでに亡くなっていた。その原因が、何と心臓病で、しかもバイパス手術に失敗していた。同じ手術を受ける身には大変ショックだった。しかも、残された寅さんと松坂慶子が何度も繰り返し歌う歌が『星影のワルツ』だった。映画を見ながら「やっぱり、俺はもうダメなんだな」と暗澹たる気持ちに襲われた。 手術は無事終え、自宅にもどってはじめて般若心経を唱えようとした時、仏壇の鐘の音に酔いしれた。この余韻・・・この余韻の中に身を置き、安らぎを感じる毎日でありたいと合掌した。 病気を発見されるまで、私は自分の健康に絶対の自信を持っていた。その私が、こともあろうに、心臓病で生死の境をさまようことになったのである。般若心経では、「この世に絶対のものなどない」と教えてくれる。病気になって、私はその真実を実感せずにはいられなかった。同時に健康であることのありがたさも理解できた。「この世でひとつだけ何がほしいか」と尋ねられれば、私は迷うことなく「健康」と答えるだろう。 人間はだれでも世の中の力によって生かされている。もっと大きな見方でいえば、万物と関り宇宙に抱かれながら、この広い宇宙の中で、生を受けている。私たちには、かならず親がいる。生きとし生けるものの親こそ、この広い宇宙であり、神仏であり、父母なのである。そのことにはっきり気づいたとき、それまでの人生に対する見方も変わっていた。私は半生に何度もの危機が訪れている。辛酸をなめたことも何度かあった。それもこれも、神仏が私という人間を強くするために与えてくれた試練なのだと思えるようになった。「たくさんの試練をありがとう」と感謝の気持ちが持てるようになった。 今日は僕の誕生日だ。1月17日については、昨年解説したので、興味(?)のある方はこちらを。http://plaza.rakuten.co.jp/sontiti/diary/201001170000/ 今日で55歳になる。50歳で人生の幕をひくつもりでいたが、カーテンコールに誘われまた舞台に立っている。奈落を覗き込んだあの日から、もう5年が経った。生き続けることの恥ずかしさはもう薄らいだ。以来、随分本を読み、考えた。書かれているものの中で、自分の心にフィットするものとしないものがあり、フィットするものを繋いでいくと、なんとなく自分の形が浮かび上がってくる。その影を良く見ると、ずーと前から自分の中に育っていたものだと気づいた。なんだ、僕は、僕のままでいいんだ、って解った。だったらもう遠慮はしない。残りの人生を、人に尽くして過ごしたいと思っている。それが僕のしたいことだから。
2011年01月17日
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《身につける良い習慣》 サード・レッスン-精神的な実践1)「自主的に貢献する精神」の獲得義務はいやいややるものではなく、気持ちよく受け入れるものです。そして、決められたルールの中で、自分の役割を忠実に果たすことは、グループや組織、そして社会に貢献することです。〔どうせやんなきゃならないことは、積極的にやりましょうということ。どんな仕事も考え方で楽しくできる。アウシュビッツで生き延びた人は、考え方を切り替えた人だ。ロベルト・ベニーニ監督・主演の映画『ライフ・イズ・ビューティフル』の主役グイドのポジティブシンキングを見よhttp://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD1970/story.html.うっ、思い出したら涙が出てきた〕 2)「公正な精神」の獲得自分の中に誠実で公正な精神を確立していくうちに、どんな人も分け隔てなく受け入れ、ものごとを正しく判断して適切な対応ができるようになります。イメージやブランドに、ごまかされてしまうこともありません。先入観や偏見で、人やものごとを判断してしまうことのないように、まっすぐな心で現実を捉えましょう。自分だけの利益や考えに偏らない、公正な考えで現実を理解しましょう。そして、理性を失った感情やひがみで、現実を歪めないように、純粋な心の目をもちましょう。〔人間の考えには、必ず歪みや偏りがある。なぜなら、宗教や社会環境、教育によって判断基準がバラバラだからだ。つまり、自分の考えは必ずしも公正でないという前提をわきまえていなければ、公正な判断に近づけない。社会的立場で出す結論と、個人的感情の意見は違っていて当たり前だ。〕 3)「寛容な精神」の獲得被害者意識というのは、虚しさやわがまま、虚栄心から湧いてくるものです。見返りを求めない心配りや思いやりを深め、すべてに広い心をもつように心がけていきましょう。あなたの心に、何かに対する恨みや、誰かに復讐したいという思いはありませんか?過去の出来事にこだわって、みんなを見返すために、大きなことを実現して見せたいと望んでいないでしょうか。心に悪魔を抱いたまま、苦しみや悩みから逃れられるひとはいません。寛容に人を許す精神と、過去の出来事やつまらないことにとらわれない寛大な心でなければ、創造的な美しい生き方に近づくことも、理解することもできません。強くしなやかな精神を育んでいる人は、個人的な被害や、心に受けた過去の傷を引きずることはありません。〔みんなが寛容になれば、殺人事件などなくなるのに。通り魔殺人などが報じられると、犯人の心の闇を思い、暗澹としてしまう。こんなことになる前に、どこかで思いとどまれなかったのか。事件を起こしてから反省しても、被害者は戻ってこないのだ。親や学校はまず心の教育をしなければいけない。すべてを行政に託すのは短絡だが、世の中の求めるものに矛盾があったことは否めない。誰かが得をすれば誰かが損をするということがどうしても存在してしまう。幸福を測る物差しから、"損得"を外さなければならないが、それが難しい。結局、個人の考え方に委ねるしかない〕 心から生まれる「原因と結果」の関係自分の心と現実に向き合い、思いやりを高めていけば、心の知恵が高まります。自分を苦しめ悩ます思いを、美しい思いに置き換えていけば、心は晴れやかになります。幸せは、良い思いや考えとともに広がります。人生の流れを良い方向に変えるには、自分に悩みや苦しみを与えている「原因」に気づかなければなりません。その原因は、自分自身で気づいていない間違いや、思い込みの中に潜んでいるものです。心から人生を高めていくことを望むなら、まず、「悪い結果を招く心の原因」を捨てることです。そして、思い込みや感情に染まらないまっすぐな考えで、良いことを実行し続けてみませんか?〔ジェームズ・アレンの代表作である『「原因」と「結果」の法則』である。"因果応報"に通じるものがある。アレンの生存期間は、インドはイギリスの植民地だったので、仏教をはじめ東洋思想がイギリスに流れ込んだ。キリスト教(ユダヤ教、イスラム教)は、神との契約により運命が決すると言う考えなので、「神の思し召し」ですべてが決まっている。日本人(山本七平曰く「日本教徒」)には当たり前でも、一神教民族には異説なのだ〕 生まれ変わるあなたへのメッセージ 真実を求める人、美徳を愛する人、知恵を深める人。 悲しみに打ちひしがれる人、人生の虚しさを感じている人。そして、このうえない人生の静かで穏やかな輝きを求める人。 成長の扉を開けて、よりよい人生を体験しましょう。自分をごまかす考えを捨てて、あるがままの自分を見つめましょう。まっさらな心で、美しい道に目を向けてください。 真実に向かう怠惰な道は、ありません。時には、力を奮い起こすために足を留め、再び、山頂を目指して、根気強く、登り続けなければならないでしょう。 山頂へ昇る道が、けっして輝かしくなくても、一点の曇りもないその場所に向かうことこそ、輝かしいことです。 自分を鍛え、その道を登り続けることが、素晴らしいことなのです。そして、最後に、あなたは、本当の素晴らしさを心に知るでしょう。 朝、目覚めたら、静かに深く、思いを巡らせましょう。 過ちと弱さに流されない心で、その心に従う身体とともに、毎日を始めましょう。 誘惑にかられる衝動は、覚悟のない心にやってきます。静かな時の中で、心を調整し、態勢を整えましょう。 感じて、気づいて、理解することを覚えましょう。 正しい理解を進める心に、過ちも衝動も、姿を消します。 正しい理解は、たゆまぬ努力と実行がもたらします。心のレッスンなしで、真実にたどり着くことはありません。 根気強さも、努力と実行がもたらします。そして、継続する強さは、素晴らしいレッスンの成果を実らせるでしょう。 あなたの忍耐がなければ、レッスンにイライラするかもしれません。自分に甘ければ、うんざりしてやめたくなるかもしれません。でも、あきらめてしまえば、とりとめのない混乱に生きるだけです。 あなたが真実を好むなら、レッスンは、退屈でも何でもないでしょう。変化を見守り、心から取り組み、克服する限りない強さを、自分の中に見つけるはずです。 日々、成長する花を愛(いつく)しみ、楽しむように、あなたの心の神聖な花が、純粋さと知恵、思いやりと愛を開いていく姿を、じっと見守っていてください。 目的もなくダラダラと行く人生に、苦しみや不運から逃れる道はありません。 感情の激しいうねりの前に、成長を拒む心は、弱さと無力に陥るでしょう。 心の準備を、しっかりと整えてください。それでこそ、真実を愛する人です。注意深く、思慮深く、毅然と行きましょう。 救いの鍵は、その手に握られています。必要なのは、心の用意と実行です。 たとえ、十回失敗しても、がっかりしないでください。百回の失敗にも立ち上がり、あなたの道に取り組みましょう。失敗が千回におよんでも、あきらめることはありません。 正しい道を歩み始める時、成功は、確かに約束されています。あなたが、途中であきらめさえしなければ―。 つまらない争いや激しい口論は消えうせ、真の勝利だけが残るでしょう。苦労は、安らぎに、弱さは、強さに変わります。 成長を知らない心の人生は、険しい目つきで、不穏な争いにまみれていたでしょう。 そんな現実も、やがて、静寂と平和に包まれ、人生の美しさに触れるときが、きっと来ます。
2011年01月15日
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ジェームズ・アレン(1864~1912)はイギリスの作家であり自己啓発家の始祖である。このコラムでも紹介させてもらった。http://plaza.rakuten.co.jp/sontiti/diary/201010170000/デール・カーネギー、ナポレオン・ヒル、アール・ナイチンゲールなど、その後の自己啓発系作家にも多くの影響を与えた。オグ・マンディーノの『この世で一番の奇跡』の中でも、老人はアレンを引用しこう語る。 記念碑的な古典的著作『考えるヒント生きるヒント』の著者ジェームズ・アレンは、「人の心は、賢明になるよう耕すことも、あれるがままに放置することも出来るが、耕しても放置しても何かを生み出す、庭のようなものだ」と書いています。もし役にたたない種が植えられれば、たくさんの雑草の種が土地に根づき、その結果、有害で不純な植物がはびこることになります。別の言い方をすれば、心に入るのを許されたものがつねに実を結ぶということです。 本著『「思い」が現実をつくる(OUT FROM THE HEART )』は、"なりたい未来を引き寄せる10のステップ"という副題が着いている。 あなたは、あるがままの心を表すあなた以外の何者でもありません。そして、あなたの思いと考えは、「心にあるがままに」に行動にあらわれ、その行動のゆくえに、運命の流れを創っていきます。 あなたの心に映っている現実も、内側の「思考のプロセス」が創りあげた現実に過ぎません。 正しく現実をとらえて生きていくには、正しく生きていくとする努力と実行が必要なのです。 習慣は、第二の天性―後天的な性格です。自分からなくしてものは、なくそうとする努力を続けることでも克服できます。 ということで、「心を高める」レッスンをしてみよう。〔 〕内は僕のコメント。 上向きな人生を始める10のステップ《克服する悪い習慣》 ファースト・レッスン―身体の実践1)怠惰な心の癖やらなければならないことがあっても、なかなか手をつけず先送りするタイプです。優柔不断で、何かをはじめても最後までやることが出来ません。また、責任を持つことを嫌がり、義務を逃れるために、まわりの注目を集めないようにしています。〔やらなければならないことが発生したら、とにかく何でもいいから行動に移すことだ。メモを張る、必要なデータを集める、カレンダーに締め切りを書き記す、買いものリストに具体的に書く・・・少しでも手をつけると、その先の展開が自然に見えてくる。どうなるかわかんないけど、ためらわず始めてみようという思い切りが大事。始めたことが続かない人は、スパンを長く考えるといい。続かなかったんじゃなくて休んでいたと考え直し、機会があればまた始めればいい。再挑戦する気がないものは、それはやりたくないことだったんだと、見極める過程だったと判断する。責任ある仕事や、義務をのがれたいとつい思ってしまう人は、そんな波がこっちに向かってきたら、「楽しいことが起きそうだ」と無理やりでも思い込むことだ。僕の場合は、忙しくなりそうな時は"おまじない"の言葉を唱える―「It's Showtime ! 」〕 2)欲求を管理できない癖暴飲暴食は、動物的な欲求を満たしているだけで、食事の目的や身体に対する効果も考えていない証拠です。正しい食事の習慣をつけることで、自然に心の規律が生まれます。それが、「精神面の浄化」になります。〔食欲は、動物的な欲求ではあるが、身体の代謝に必要以上のものを食べてしまうのは、人間と家畜だけだ。野生の動物は絶対"暴飲暴食"をしない。食べすぎは生命の存続を危うくすることを、DNAが経験している。脳の安全装置が作動していない状態が"暴飲暴食"につながる。健康管理は精神状態にもおおきな影響を与えるので、食事の節制は心身ともに重要なテーマだ。〕 やらなければならないことを、先延ばしにしない。仕事や家事を、気持ちよくこなすことができる。朝の目覚めが、すっきりしている。食べ物を味わって、食事を楽しんでいる。こうした変化を感じることができるようになったら、よりよい生活の基礎ができた証拠です。 セカンド・レッスン―言葉の実践1)「悪口を言う癖」をなくす! ・自分の言ったことの影響を考えない。 ・人を傷つけて面白がる。 ・言葉に表裏がある。 ・誠実な気持ちで人とかかわることができない。このような心の習慣が、人をけなす行動に現れます。〔司馬遼太郎の奥さんの福田みどりさんが、「もし、司馬さんが戻ってこられたら、どんなお話をしたいですか?」というインタビューに、「人の悪口をうんとしたいです」と答えた。歴史の話とか人生の話を期待したインタビュアーの目論見を、心地良く裏切って見せた。知性の釣り合いの取れた、信頼出来る二人の間なら、それも楽しみではある。〕 2)「うわさ話、中身のないおしゃべりの癖」をなくす!あなたの話題は、誰かのプライベートなことや、過去に起きた出来事が多くなってはいませんか。精神的に成長している人は、おしゃべりばかりしていなくても、静かに、自分の心を治めることをしっています。〔僕は、おしゃべりが"悪"だとは考えない。他愛の無い世間話を誰とでも出来るとしたら、それは技術であり才能である。話のレベルがあるにせよ、話しをすることは"脳"を活性化させ、ホルモンの分泌を促す。話すこと、歩くこと、手先を動かすこと、これが老化予防の基本である。〕 3)「傷つける言葉、心ない言葉の癖」をなくす!人を責めて落ち込ませたり、嫌がらせをしたりする人は、自分を高める道から遠く外れています。激しく言葉を投げつけて、人を傷つけようとする行為は、ただ愚かなだけです。〔人の前でことさら強さを誇示するのは、その人の弱さの裏返し。弱い犬ほど良く吠えると言うが、吠えられる方の心は傷つく。相手の精神レベルはいかんともしがたいので、せいぜい吠えている内容だけを検討して、必要なら取り入れればいいし、お門違いなら無視すればいい。相手の言い方にいちいち捕らわれる必要はない。自分がそんな言葉を使わないのはもちろんだが、言われた場合の防御策も訓練しよう。〕 4)「軽率な言葉、礼儀知らずな会話の癖」をなくす! ・相手や周りにいる人たちを不愉快にする。 ・度を越した親近感で接する。 ・人をバカにして話題にする。 ・相手の立場を考えないで、あつかましい振る舞いをする。こうした分別のない行動は、下品なだけです。〔下品な人の集まりでは、自分も下品になることも必要である。気取ってばかりいてもね〕 5)「人のあら探しの癖」をなくす! ・重箱の隅をつつくように小さなことにこだわる。 ・屁理屈で言い逃れをする。 ・根拠のない推測や確信めいた意見で、人をやりこめるような無益な議論をしかける。人のチェックをするよりも、自分自身の言葉や発言を和らげて、洗練された伝え方を考えてみてください。人を抑えつける方法に心のエネルギーを使わずに、自分の考えや意見をいったん抑えて、人の考えにも耳を傾けてみることです。〔時々、偉そうに考えの薄い意見を語る人に、突っ込みを入れたくなる衝動に駆られる。しかし、それをしてみたところで、相手に恥をかかせるだけで何の得もないことに気づき、のどまで出掛かってやめることが多い。相手をやり込めるだけで、自分の成長につながらない議論は意味がない。〕 怠惰な身体は、怠惰な心から。欲望を抑えきれない不節制な生活は、節制のない心から。そして、人を傷つける言葉や会話は、傷つけたくなる感情や思いを持つ心から。思いやりや誠意のないコミュニケーションは、思いやりと誠意のない心から。 精神は、美徳を知ることで高められていきます。そして、美徳の精神を知らなければ、この世界の真実を、本当の知識として知ることはできないでしょう。 以上のような“悪い癖”をなくせとアレンは言う。さもないと、その行為はブーメランのようにいずれ自分に襲い掛かるからだ。紙幅の都合で、本日はこれまで・・・
2011年01月15日
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前回『天使の靴』を書きながら、若い女性が子宮がんで家族を残して命を落としてしまう、同じシチュエーションの話を思い出していた。映画、イザベル・コヘット監督・脚本『死ぬまでにしたい10のこと(2003年)』だ。http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD3593/story.html映画が素晴らしかったので原作本も買っていた。そのまま積んどいたのを開いてみる。コヘット監督が書店で偶然手にした短編集の中の1編である。100ページほどの短編なので、監督がどれだけイメージを膨らませたかに感心する。ストーリーはほぼ一緒だが、内容の深みを思えば映画の方をお勧めする。 小説は場末の病院の場面から始まる。初めて受けたレントゲンで、子宮に悪性の腫瘍が見つかる。映画だと、主人公は底辺に知的なものを感じる女性だったが、原作の主役ベリンダはもっと"蓮っ葉"なギャルだ。17歳で始めの子供を産み、六歳、四歳、一歳の三人の子供と、友達のままの仕事の無い夫・ヴァージルと、トレーラーで暮らしている。余命二ヶ月を宣告されたベリンダは、治療を放棄し、自分がやりたかったことを遂行することを選択する。子どもの学校のノートから1ページをはぎとり、リストを作る。 死ぬまでにしたいこと1.もう一度洗礼をうける2.次にシアーズに写真家が来るときに、自分の写真を撮ってもらう(みんなに焼き増ししたものをあげる)3.最低でも三人、ほかの人と愛し合う(どんなものか見てみるだけ)4.ヴァージルに彼女を見つける5.子供たちのために、みんなが二十一歳になる分までの誕生日のメッセージを、テープに録音する6.毎日、子供たちにアイ・ラブ・ユーを言う7.好きなだけ煙草を吸って、お酒を飲む8.好きなだけ乱暴な言葉でののしる9.言いたかったら、本当のことを言う10.十ポンドやせて、もっといいヘアスタイルにする そして、この項目を実行に移す。髪に天使のようなウェーブをかけ、ダンスホールにナンパされに行く。ベリンダはヴァージルしか男を知らなかった。それで他の男を知ってみたいと思ったのだが、ここで出会ったゲーブルの虜になってしまう。 家に着くと、彼女はまっすぐキッチンに行き、リストを隠した鍋つかみのひきだしの底からリストを出した。今のところ、チェックして消したのは「もっといいヘアスタイルにする」だけだった。それで「好きなだけ煙草を吸って、お酒を飲む」を消した。それから「最低でも三人」に線をひいて消し、その上に「ゲーブルと三回する」と書いた。 ベリンダは母親のクレジットカードでテープレコーダーを買う。それから、毎日こどもたちが成人するまでのメッセージを吹き込んでいった。 ペニー、きっと、かわいくなっているわね。いろんなことは、パパに説明してもらってね。パパは話したがらないだろうけど、でも聞き続けて。知らないふりをしてても、パパは知ってるんだから。もしパパに新しい奥さんがいるなら、その人に聞いてみて。女の人のほうが、人生ってもののあれこれをよく知ってるのよね。だってそのあれこれが起こるのは女の人だから。アイ・ラブ・ユー。 パツィ、ママは八歳のときにはね、「リリーってば、私よりずっといい思いをしてさ」なんて思ったの。上に姉さんがいるってけっこうきつかった。だから、あなたはそんな思いをしないで。パパったら、あなたのことをペニーぐらい大きい子みたいに扱って、いろんなことを大きい子並みにさせるかもしれない。そうかと思えば、ラマーぐらい小さい子みたいに扱って、やたらと、とろくさくなったりするかもしれない。でもそれはね、全部あなたが真ん中だからなの。パパはごちゃごちゃになっているの。ママはあなたを愛しているからね。 ラマー、あなたが「自分がほかの誰よりも、一番どなりつけられてばっかりいる」とか、「何でもかんでも自分のせいにされてる」って感じてるとしたら、それはね、あなたが一番小さいからなの。そのうち、家中で一番大きくなるかも。もし新しいママがいるなら、その人のことが好きだといいんだけど。私に悪い、なんて思うことないからね。愛をこめて。ママ。 それからベリンダは、ヴァージルにあてて、クリスマスのメッセージをいくつか入れた。 ハロー。ヴァージル、新しい奥さんのことなんだけど。もしまだなら、気をつけて選んでね。二回目なんだから、自分がいったい何をしているのか、よく注意しなくちゃだめなんだから。ヴァージル、これは、私が作る最後のクリスマス・メッセージ。あなたにメリー・クリスマスを祈る死んだ妻の声をテープレコーダーで聞くのはいや、って言う女の人と結婚しているはずだと思うから。私のこと、もう忘れちゃったわよね。でも、もし忘れちゃってても、「そう、忘れたよ」なんていわないでよね。エリク・リバーでの夜のことを考えたりする? ベリンダはシアーズに子供たちの写真を撮りに行く。すると、そこにヴァージルが昔好きだった女の子、キャンディが働いていた。キャンディは離婚をして独り身だった。事情を話し、住所を渡した。そして、まるでベリンダの後任者が、仕事のあれこれを学ぶためのようにキャンディはやって来た。 小説は、リストの一つ残っていた「洗礼をうける」シーンで終わる。 女性の書いた小説であり、女性の撮った映画であるから、これは女性の思考回路なのだろう。登場する男達は、夫も恋人も、映画版で存在する医者もみんなベリンダに振り回される。二ヶ月の命をどう使うかを考えた時に、ベリンダは未来を見た。夫のほかに恋人を作り、子供たちに送るメッセージを残し、夫の再婚相手を探す。男だったら(僕だったら)過去を振り返ってしまうだろう。せいぜい初恋の人に会いたいと思う程度。根本的な"種"の違いを垣間見る思いがした。 本の帯には、小雪がコメントを載せている。 正直に言うと、この本は私にとって特別な1冊になった。なぜなら、「いま」全力をつくすこと、それがなかったら「明日」の自分はないことを、いつも思いださせてくれるから。
2011年01月12日
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"読み友達"のN子さんがお勧めの本を貸してくれた。人はどんな本を好んで読むかで、人間性を如実に語るなぁとつくづく思った。何事にも前向きな、心の爽やかなN子さんらしい本である。アメリカ(欧米)にはクリスマスの奇跡というジャンルがあり、映画でも『クリスマス・キャロル(ディケンズの小説が原作)』を始め、『34丁目の奇跡』『素晴らしき哉、人生』など名作も多い。この小説も、クリスマスの夜に奇跡が起こる。 自分の身の上に起こっている小さな奇跡に気づかないまま、一生を過ごしてしまう人がいる。その奇跡というのは、毎日、神さまが与えてくれる喜びや、笑い、悲しみなどの小さな贈りもので、それによって僕たちはかけがえのない大切な何かに近づくことができるのだ。僕はずっと、そんな奇跡に気がつかないで生きてきた。 物語は二組の夫婦が同時進行でストーリーを作る。主役となるロバートは敏腕弁護士である。つまり学歴が高く、金持ちで、忙しい。妻のケイトとは学生結婚をし、まだ二人が貧しかった時代はそれなりに力を合わせ、快適な暮らしをしていた。それが、法律事務所に勤め、お金が入ってくるようになると、生活の質がどんどん変化していく。子どものためにと大きな豪邸を手に入れ、法律事務所の共同経営者となり、さらに大きな収入を求めて仕事に没頭した。 そして、数年後のクリスマスを前に、妻から凍るような言葉を突きつけられる。 「ごめんなさい、ロバート。でももう耐えられないの。もう、幸せな夫婦のふりをつづけられないのよ。ダメなの。ただ一つの屋根の下に住んでいることが、一緒に生きているということじゃないわ。それ以上のものが私には必要なの」「現実を直視しましょう。あなたは家族を何年も前に捨てたのよ。このクリスマスを最後に私たちの結婚生活は終わりにしましょう」 ジャックは自動車修理工で、マギーはスーパーで働いている。つまり貧乏な夫婦だ。雨漏りのするアパートに息子のネイサンと3人で暮らしている。マギーが二度目の妊娠を告げたとき、ジャックの目は涙で潤み、マギーは夫の愛を感じ、神さまがジャックとめぐり合わせてくれたことに深く感謝した。しかし、生活が苦しくなるのは目に見えていた。 ジャックは夜中に生活費のことが心配になると、胸が苦しくなり寝がえりをうった。そんなとき、マギーはいつも彼に言うのだ。「『欲しいもの』すべてが『必要なもの』ではないわ。私たちは必要なものはすべてもっているわ」また、ガレージセールや中古品店でしか買いものをしない妻を見て、ジャックは申し訳ない気持ちになることがあった。「みんなと同じように、たまにはデパートで買いものができればいいのにね」彼がそう言うと、マギーは夫の顔を自分の両手で挟んで笑った。「ジャック、そんなこと構わないわ。どうだっていいことよ。私たちは健康だし、幸せじゃない!ほかはみんな余分なことじゃないかしら。いつかはそういうものも持つかもしれないけど、今はいらないわ」そんな言葉を聞くと、ジャックは満ちたりた気持ちになった。マギーだけはいつでも彼の魂に安らぎを与えていたのだ。 両家が始めて接点を持つのは、マギーとケイトだった。マギーの産後、体調が優れず検査をうけた病院に、調査の仕事でケイトが来院していた。待合室で二人は打ち解けあうが、検診をおえたマギーは震えていた。いくつかの検査結果が、子宮がんであることを示していた。 ロバートが家族で実家に遊びに行ったとき、二人のよそよそしさを母親が感じ取った。ケイトを実の娘同様に愛している母親は、単刀直入に言った。 「あなたが愛したのは職場だけだったわけね。家庭のことは、全然考えていなかった。子供が初めて歩いたことも,壁にはってあるクレヨンで描いた絵も、初めて歯が抜けたことも、そういうことはあなたにとってどうでもいいことだったのよ。そういう瞬間、そういう毎日の愛の出来事が、あなたにとってなんの価値もないことだった。でも、ケイトにとっては、それがすべてなのよ」「あなたが選ぼうとしていることは、あなたがこの世を去るときにはなんの価値もないことだわ」「あなたとケイトはまだやり直せるわ、まだ間に合うわよ。でもあなたが自分自身をなおすことから始めないといけないわ。他人を変えたいと思うのはとても簡単だけど、難しいのは自分自身を変えることなのよ」「ロバート、誰かに自分を捧げるという経験を持たない人は、充分に生きたと言えないのよ」 マギーの病気は進んでいた。ジャックもマギーも残された時間については口にしなかったが、もうあまり長くないことはお互いにわかっていた。 マギーは八歳の息子に伝えるべき言葉を必死で探した。「もう少ししたら、大人の人たちが『かわいそうに、まだ若いのに神さまに連れていかれてしまった』って言うのを聞くと思うわ。でもそれは間違いなのよ。そういう人たちは間違っているし、あなたには、そういうことを聞いてほしくないの。そういうことを言われたら、私が今言っていることを思い出してちょうだい。神さまは私を連れていってしまうのではないの、私を受け入れてくださるのよ」マギーは息子のおびえた目を見つめた。彼にはまだ分からないかもしれない。「ママ、天国っていうこと?」彼はささやくように聞いた。その言葉を聞いて、マギーの心は痛んだ。「そうよ、天国よ」 ロバートは最後のクリスマスに贈るプレゼントを選んでいた。しかし、何を買っていいか分からない。一年前に、ケイトが大事にされている気がしないと文句を言うので、彼女に五千ドルもするダイヤのネックレスを買ってあげた。彼女のことをどれだけ大事に思っているかを見せたかったのだ。でも二人の関係は何も変わらなかった。 店を歩いていると、売り場を走り回っていた幼い少年がぶつかってきた。「気をつけなさい」ロバートはかっとなって子供を叱った。その子は、ジャックとマギーの子、ネイサンだった。ネイサンは女性用靴売り場の、安売りのラックにあった一足を持ち上げて、しげしげとみつめた。その靴は赤、青、緑のラインストーンとスパンコールで飾られ、銀色に輝いていた。 少年が前に進んで、レジ係が靴の値札をスキャンした。14ドル25セント。少年は古びたジーンズのポケットから小さく折りたたまれたお札と、小銭をばらばらととりだした。レジ係がお金をより分けた。「ぼうや、4ドル60セントしかないよ」 少年の目に、涙がたまった。彼が突然、振り向いた。「ねえ、おじさん。僕、この靴を母さんのために買わなくちゃいけないの」彼の声は震えていた。この少年が話かけているのは、僕だった。「ママの病気が悪くて、夕飯をたべているときに、パパが、ママは今晩イエスさまに会わないといけないかもしれないって」僕はカゴを持ったまま立ち尽くした。「ママがイエスさまに合うときに、きれいな靴を履いていてほしいの」彼はそう言って助けを乞うように僕を見た。 物語はメルヘンである。このあとロバートに訪れた奇跡が、現実に起こる可能性は低い。こじれた夫婦が修復するのは、容易なことではない。でも、まだ独身のN子さんは、結婚を夢見ていてもいいはずだ。少なくとも、ジャックとマギーのように、いつでも話すことがあって、一緒にいることが世界中の何よりも幸せな夫婦というものを、理想にするのはいい。僕だって今なら、そんな夫婦に憧れる。男はどこで勘違いをしてしまうのだろう。
2011年01月10日
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オグ・マンディーノは"小説家"と言うより"自己啓発書作家"である。娯楽として読書を楽しむ方には、少々凭(もた)れるかもしれない。自己啓発系の本が好きだという同僚の"読み友達"であるN子さんにお勧めを訊かれ、頭に浮かんだのが、世界で700万部以上売れたという『この世で一番の奇跡』。ナポレオン・ヒルやスティーブン・コヴィーでは、あまりにビジネス系で、20代の彼女にはふさわしくないと思ったからだ。この本は、オグ・マンディーノの2作目で、1作目は『世界一のセールスマン(邦題・地上最強の商人)』。こちらは未読である。なぜなら、1万290円という宝石のような高価本なのだ。しかし、2作目は1作目の続きになっている構成なので、1作目の内容がわかる仕組みになっている。高くて手が出ない『世界一のセールスマン』のエッセンスを嗅ぎながら、新しい物語を楽しめる。 主人公はオグ・マンディーノ自身、であるけれど私小説ではない。体験談に見せ掛けた寓話である。ある吹雪の日、マンディーノが駐車場で立ち往生していた時、鳥にエサをやる長髪の老人に出会う。「年はとっていますが、こう見えてもわしは力持ちなんですよ。それに、あなたが困っているのにほっとくわけにはいかんでしょう。『すべての高貴な仕事は最初、不可能に見える』とカーライルは書いています」教養深きヒッピー風老人は、この危機を救って消えてしまう。次に会ったのは春の終わり、同じ駐車場で、お互いに名乗り、老人は自分のアパートにオグを招待する。そこで山のようにつまれた蔵書を見た。「読書して・・・考えること以外、老人になにができるでしょう?どうぞ、お楽に。シェリー酒を注いできますから」不思議な老人との交際が始まり、"この世で一番の奇跡"とは何かと言う"謎"が繰り広げられる。 『世界一のセールスマン』をあてる以前のオグ・マンディーノは、深い人生の穴に落ちていた。挫折、借金、失業、離婚、アルコール・・・希望のない放浪生活。質屋のウィンドウには29ドルのピストル。「この銃がすべてを解決してくれる。・・・それで鏡の中の惨めな敗北者を二度と見ないですむ」自殺が脳裏をよぎるが、しかしピストルは買わず、気づいた時には図書館の前にいた。この朝を境にマンディーノの人生は大きく変わる。成功哲学の偉大な巨匠の本を読み漁ったのだ。その時の経験であろう、様々な薀蓄(うんちく)がこの物語の中でも繰り広げられる。 ウィル・デュラントの『シーザーとキリスト』、ジブランの『預言者』、プルタークの『英雄伝』、フルトンの『神経系の生理学』、ゴールドシュタインの『生体の機能』、アイズリーの『予想外の宇宙』、セルバンテスの『ドン・キホーテ』、アリストテレスの『形而上学』、フランクリンの『自伝』、メニンガーの『人間の精神』、ケンピスの『キリストにならいて』、そのほか『タルムッド』、何冊かの聖書・・・。 「そうです。それぞれの本は独自の方法で、"この世で一番の奇跡"のある面をあつかい、説明しているのです。ですから、これらの本をわしは"神の手"のかかった本と呼んでいます」 「ミスター・オグ、わしらのほとんどは自分自身を閉じこめる監獄を作るのです。一定の期間、その中に住んでいると、その監獄の壁に慣れてしまい、人生とはこんなものだという信念にとらわれるやいなや、人生をなんとかしようとか、夢を実現しようという希望をすててしまいます。あやつり人形になり、生きながらの死に苦しめられるようになるのです」 「ミスター・オグ、あなたはすでに一つの事実を忘れておられるようです。わしはこれらの人びとを生き地獄から引っ張りだすのだということです。彼らはすでに人生を捨ててしまっているのです。自分を救う道はないと確信しているのですよ。だから、救いの手を差しのべられれば、喜んでそれにしがみつくでしょう。それは希望の手なのです」 物語の核心は第9章に集約される。老人の発見した人生の病を解決する四つの法則『神の覚書』が明かされる。ネタバレになってしまうのだが、まとまりがつかないので、最後の部分を書き写してしまおう。ここにいたる物語の展開に興味を持った方は、本書を読んでください。 今日のこの日を楽しみなさい。明日は明日、楽しめばいいのです。あなたはこの世で一番の奇跡をなしとげたのです。生きながらの死から蘇ったのです。もうこれ以上、自分を憐れまないでしょう。毎日が、挑戦となり、喜びとなるでしょう。あなたはふたたび生まれ変わったのです。でも、以前と同じように、失敗や絶望を、あるいは成功や幸福を選ぶことができます。選択はあなたにまかされています。選択するのはあなただけなのです。わたしは前と同じように、誇らしく、あるいは悲しみながら、見つめていることしかできません。では、ここで幸福と成功の四つの法則を思いだしてください。 自分の恵みに感謝しなさい。自分のかけがえなさを主張しなさい。自分の枠を超えなさい。選ぶ力を賢く用いなさい。 そして、もう一つ、以上の四つを実現するために必要なことがあります。自分自身への愛、他者への愛、そしてわたしへの愛をもって以上のことをやり抜くということです。涙をぬぐいなさい。手を伸ばしてわたしの手をつかみ、背筋をピンと立てなさい。あなたを縛ってきた墓場の衣装をわたしに切り裂かせてください。今日あなたは知らされました。 自分こそ、「この世で一番の奇跡」であることを。 オグ・マンディーノの作品は、キリスト教に造詣(ぞうけい)が深くないと馴染めない部分がある。世界の知名度と、日本のそれとの差があるのはそのためだろう。僕がオグ・マンディーノの作品で一番好きなのは『十二番目の天使』で、日本ではこちらの方が有名なのでは。N子さんには2冊貸してあげようと思う。
2011年01月07日
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エーリッヒ・フロム(1900~1980)は、フロイトの心理学にマックス・ウェーバーとマルクスを融合して社会心理学を生み出した。 『自由からの逃走』『人間における自由』『正気の社会』など、社会学のベーシックな著書は多数読まれ続けている。『愛するということ』が出版されたのは1956年、僕の生まれ年である。とともに、今の僕の年齢で書かれたのではと、実感として通じる。テーマが"愛"なので、他の著書よりも読みやすいが、それでも難しい。何回か読んでいるが、そのつど発見があるのはそれだけ咀嚼できていないということなのか。{ }内は僕のコメント。 第一章 愛は技術か愛は技術だろうか。技術だとしたら、知識と努力が必要だ。それとも、愛は一つの快感であり、それを経験するかどうかは運の問題で、運がよければそこに「落ちる」ようなものだろうか。この小さな本は、愛は技術であるという前者の前提のうえに立っている。しかし、今日の人びとの大半は、後者のほうを信じているにちがいない。 {本書の原題は「The Art of Loving 愛の技術」。しかし、恋愛のノウハウ本ではない。人を愛すると言う行為には、知識と経験が必要であると説く。本能のなすがままに放って置けるものではない。}まず第一に、たいていの人は愛の問題を、「愛する」という問題、愛する能力の問題としてではなく、「愛される」という問題として捉えている。つまり、人びとにとって重要なのは、どうすれば愛されるか、どうすれば愛される人間になれるか、ということなのだ。 {白馬の王子を待つ乙女は、"愛される=幸せになる"と考えている。愛されることが重要であり、愛される機会に巡り合って後、相手を愛するようになる。愛されるために、自分を磨き、美しさを競う。}愛には学ぶべきことなど何一つない、という考え方の底にある第二の原則は、愛の問題とはすなわち対象の問題であって能力の問題ではない、という思いこみである。愛することは簡単だが、愛するにふさわしい相手、あるいは愛されるにふさわしい相手を見つけることはむずかしい―人びとはそんなふうに考えている。 { 結婚は"縁"である、と思っているのは西洋人も同じだ。フランス王妃マリー・アントワネットはオーストリアのお姫様だった。縁により巡り合った相手と結婚をし、うまくいけば"愛"が生まれるという、“運”任せの手順になってしまう。一方、恋愛結婚をしたはずなのに、愛の消滅した夫婦の数も多い。}ふつう恋心を抱けるような相手は、自分自身と交換することが可能な範囲の「商品」に限られる。私は「お買い得品」を探す。相手は、社会的価値という観点から望ましいものでなければならないし、同時にその相手は、私の長所や可能性を、表にあらわれた部分も隠された部分もひっくるめて見極めたうえで、私をほしがっていなければならない。{ あえて意識してなくても、恋愛相手は自分のランクに照らし合わせて選別している。『ある愛の歌』のようなことは、物語の中でしか起こらない。身分階級がきっちり分かれた社会においては、愛する相手はその枠を超えられない。日本はその垣根が低いが、それでも生活環境の著しく違う相手は、はじめから除外している。}愛について学ぶべきことは何もない、という思いこみを生む第三の誤りは、恋に「落ちる」という最初の体験と、愛している、あるいはもっとうまく表現すれば、愛の中に「とどまっている」という持続的な状態とを、混同していることである。 { ビビビッと一目ぼれした瞬間は、奇跡的な出会いをした感動がある。しかし、一瞬の感動は長くは続かない。頂点から発した恋愛は、徐々に失望と倦怠へと向かっていくものである。}愛することほど易しいものはない、というこの考え方は、それに反する証拠が山とあるにもかかわらず、いまもなお愛についての一般的な考え方となっている。これほど大きな希望と期待とともに始まりながら、決まって失敗に終わる活動や事業など、愛のほかには見当たらない。{ 愛は懲りない。失恋によって、ひどい痛手を負っても、また繰り返す。"DNAの指令"だからしょうがない。}愛することをやめてしまうことはできない以上、愛の失敗を克服する適切な方法は一つしかない。失敗の原因を調べ、そこからすすんで愛の意味を学ぶことである。そのための第一歩は、生きることが技術であるのと同じく、愛は技術であると知ることである。{ 何を相手に求めているのか、あるいは求められているのか。対価によって生まれる"愛"は、"愛"に見える"ご都合"であるかもしれない。"継続する愛"には別の理由がある。}技術を習得する過程は、便宜的に二つの部分に分けることができる。一つは理論に精通すること、いま一つはその習練に励むことである。{ 知識と実践は物事を身につける両輪である。"愛"の学校がない以上、自力で学ぶしかない。}しかし、理論学習と習練のほかに、どんな技術をマスターする際にも必要な第三の要素がある。それは、その技術を習得することが自分にとって究極の関心事にならなければならない、ということである。 { 本気で学びたいのであれば、真剣に取り組まなくてはならない。なぜ学ばなければならないかについては疑問を挟む余地はない。それが自身の"幸せ"につながるからである。} 第二章 愛の理論愛に関するどんな理論も、人間の理論から、つまり人間の実存についての理論から始めなければならない。動物にも、愛―というより愛に相当するようなもの―が見られるが、動物の愛情は本能的なものである。そうした本能的なものは、人間にもわずかながら残っているが、人間が動物と本質的にちがうのは、人間が動物界から、すなわち本能的な適応の世界から抜け出し、自然を超越したということである。{ 人と動物は違うのだということ。人間の愛は、人間としての理性に基づいたルールによって進行する。そうでない場合(動物的本能のみで迫った場合)、「ケダモノ!」とののしられる。}人間は理性を授けられている。人間は自分自身を知っている生命である。人間は自分を、仲間を、自分の過去を、そして未来の可能性を意識している。そう、人間はたえず意識している。{ 未来を意識することは重要である。自分の未来と、相手の未来を意識し、未来からの声に耳を傾けることが人間には必要だ。}愛は能動的な活動であり、受動的な感情ではない。そのなかに「落ちる」ものではく、「みずから踏みこむ」ものである。愛の能動的な性格を、わかりやすい言い方で表現すれば、愛は何よりも与えることであり、もらうことではない、と言うことができよう。 { 「愛は惜しみなく与う」 by トルストイ。愛は与えれば与えるほど、心の泉より沸き出でる。見返りを求める愛は、"商売"である。"犠牲"を強いられる愛は、"忍耐"を試されているだけだ。本来の愛を与えると言う行為は、もっと高度なものである。}与えるということは、他人をも与える者にすることであり、たがいに相手の中に芽ばえさせたものから得る喜びを分かちあうのである。与えるという行為のなかで何かが生まれ、与えた者も与えられた者も、たがいのために生まれた生命に感謝するのだ。―愛とは愛を生む力であり、愛せないと言うことは愛を生むことができないということである。{ ここで論じている"与える"ものは、物品ではない。自分の精神、感情、知識、人生、生命・・・自分を形成している人間性すべてのことだ。自分の心を満たしているものを、相手に与え、さらに相手の心から多くを与えられる。そうやって、おたがいに成長できてこそ、本当の"愛"が生まれる。}私は、愛する人が、私のためにではなく、その人自身のために、その人なりのやり方で、成長していってほしいと願う。誰かを愛するとき、私はその人と一体感を味わうが、あくまでありのままのその人と一体化するのであって、その人を、私の自由になるような一個の対象にするわけではない。{ 尊敬し、成長を願える相手でなければ"愛"を継続することはできない。恋人を愛玩物のようにあつかう者に、本当の愛を実践することはできない。}配慮、責任、尊敬、知はたがいに依存しあっている。この一連の態度は、成熟した人間にみられるものである。成熟した人間とは、自分の力を生産的に発達させる人、自分でそのために働いたもの以外は欲しがらない人、全知全能というナルシズム的な夢を捨てた人、純粋に生理的に活動からのみ得られる内的な力に裏打ちされた謙虚さを身につけた人のことである。{ 性的リビドーで愛を求める者は、動物の範疇にいる。本能のままに異性を追うものは、性的欲望が満たされた時に愛は消失する。過ちが繰り返されるのは、この部分の錯覚があるからである。成熟した人間は未来を見なければならない。未来へ向けて"継続した愛"を実践できるように、自分を高めていく必要がある。そのために知識を身につけ、経験を積んで、精神を成長させなければならない。}本著のまだ4分の1ほどだが、以下はまた次の機会に・・・ふう、疲れた。
2011年01月06日
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正月なので"愛"について語ろうと思う。"人類愛""親子の愛""友愛"、愛にもいろいろあるが、基本は"男女の愛"である。あなたも僕も"男女の愛"があったからこそここにいる。ご先祖様より、脈々と続く"愛の連鎖"があって、今を迎えている。遺伝子の伝達は、"愛"というシステムによって円滑に行われるのである。僕の"名言"コレクションの中から、『愛をはぐくむ世界の名言(名言発掘研究会編)』を引き合いにご紹介する。☆以下は、僕の解説。 愛がなければ、この世は墓場である。 ロバート・ブラウニング(イギリスの詩人)Take away love and our earth is a tomb.☆「君がいなければ、地球は墓石にすぎない」、なんてこと言って口説いたんだろう。「結婚は人生の墓場だ(ボードレール)」と言う格言もあるが、二つを照らし合わせると、結婚によって愛が失われると、地球が墓場状態になる、ということになるのかなあ。ロバート・ブラウニングは、恋人に2年間に574通のラブレターを送った。 愛するものは不可能を信じることができる。 エリザベス・ブラウニング(イギリスの詩人)Who so loves believes the impossible.☆ラブレターを送られたのがこちら、前出のロバート・ブラウニングの夫人。親の反対を押し切って、駆け落ちをして結婚した。一般的に周りに反対された結婚ほど、長続きする傾向が見られる。この二人も、エリザベスが55歳でロバートの腕の中で息を引き取るまで愛は続いた。詩人と言う職業柄、"愛"が生活の糧であったということもあるのだろうが。 恋をして失うほうが、一度も恋をしなかったよりましである。 アルフレッド・テニソン(イギリスの詩人)This better to have loved and lost than never to have loved ay all.☆恋を始めるものが、自分に勇気を与えるための言葉。恋をすることによって、人は人生の多くを学ぶ。老境に入り、生涯を振り返ると、恋をしたことだけが、イキイキと蘇る。恋をしていなかった時期が、実にもったいなかった。 愛はすべてに打ち勝つ。 ウェルギリウス(ローマの詩人)Love conquers all.☆『愛は勝つ』というKANの歌があった。♪ど~んなに困難で くじけそおでも 信じることさ かならず さいごに愛は勝つ~というやつだ。はやっていた当時は、類型的であまり好きではなかったが、今は結構好きだ。俵万智の『チョコレート革命』にこんな短歌が。 「愛は勝つ」と歌う青年 愛と愛とが戦うときはどうなるのだろう 愛のなかにこそ物事は存在する。体も、言葉も。 ジョイス・キャロル・オーツ(アメリカの作家)☆イギリスの動物行動学者リチャード・ドーキンスはこう語る、「生物は遺伝子によって利用される乗り物に過ぎない」。この体も、言葉も、遺伝子の"生き残り"と"増殖"のためのツールなのだ。男女が愛し合うのは、遺伝子のプログラムであり、愛を感じることで"脳"は快感を覚える仕組みになっている。"金"や"物欲"が満たされても、"愛"が欠けていたら、幸せになれないのはそのためである。 愛は支配しない。耕すのだ。 ゲーテ(ドイツの文豪)Love dose not dominate , it cultivates.☆ ゲーテに言われれば、はい、と言うしかない。愛し合う二人が、お互いを尊敬しあい、高めあうことが出来れば、時間が愛を熟成させてくれる。 愛とは、育てなくてはいけない花のようなもの。 ジョン・レノン(イギリス ビートルズ)Love is the flower you've got let grow.☆愛する人に、完成形を求めてはいけない。自分と同じ方向性のある資質を見つけ出し、育て合っていくものだ。相手も育つし、自分も育つ、そういう関係であってこそ"愛"を続けられる。 恋がいつ始まるか知ることはむずかしい。しかし、恋が始まったことを知るのはそうむずかしくはない。 ロングフェロー(アメリカの詩人)It is difficult to know at what moment love begins, it is less difficult to know that it has begun.☆恋は突然始まる。出会った瞬間、ビビビッと来る人もいるのが、たいがいの場合、身近にいた異性が、ある日突然変わって見えることに始まる。そして、恋が始まると、見るもの聞くものすべてが違ってくる。とにかく嬉しくて、楽しくて、幸せになる。"脳"がホルモンの作用で、快楽バージョンに変化するからだ。 愛とは決して後悔しないこと。 エリック・シーガル(アメリカの小説家)Love means never having to say you're sorry.☆映画『ある愛の詩(1970)』の名台詞である。http://plaza.rakuten.co.jp/sontiti/diary/200608140000/まだ生まれてなかった人のために、あらすじを。http://www.h2.dion.ne.jp/~mine/movie-0033.htm映画の中で、この台詞が二度出てくるところがみそだった。 愛するとは、自分の幸せを他人の幸せに重ねることである。 ライプニッツ(ドイツの哲学者・数学者・政治家)To love is to place our happiness in the happiness of another.☆自分も幸せ、相手も幸せ、WinWinの関係が理想の姿だ。相手の幸せのために、自己犠牲もいとわないことが"愛"であり、本当の"幸せ"につながる。 未熟な愛は「あなたが必要だからあなたを愛します」。成熟した愛は「愛しているからあなたが必要です」。 エーリッヒ・フロム(アメリカの心理学者)Immature love says "I Love you because I need you." Mature love says "I need you because I love you."☆「~だから愛する」と言うことは「~」がなくなれば愛は消えると言うことだ。"愛"はすべての始まりである。"愛"に理由は要らない。理由の着いた"愛"は不純である。容姿や経済力から愛は生まれない。名著『愛するということ』で、「愛は技術である」と言うフロムが、こうも言っている。「愛は自分自身の愛する能力にもとづいて、愛する人の成長と幸福を積極的に求めることである。(愛の実践の基本)」これが結論であり、すべてである。
2011年01月04日
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あけまして、おめでとうございます。昨年はこのブログの筆が進み、数えてみたら79本も上げていた。そのうち65本が8月以降で、なにかに取りつかれたと思われる。何かとは"幸せ"である。人を愛することが、自分を愛することにつながり、それが自分の持っている幸せに気づくと言う道筋を実感した。道筋をつけてくれたのは、マザー・テレサやジェームス・アレン、D・カーネギー、ランディ・バウシュ、A・スマナサーラ・・・様々なジャンルの賢者達。それから、僕の周りの友人知人、そして家族。みんなが僕の先生で、いろんなことを教えてくれる。体の成長はとっくに止まったけれど、心のほうはまだまだ伸びる。 ♪人と人の巡り合いこそ 人生の大きな喜びだと 教えてくれたあの人たちに 感謝の心を伝えたい 運命に立ち向かい 打ち破ることが 名もない私の 生き甲斐だった 情熱よ燃え上がれ この命の尽きるまで 高らかに呼びかけよう みんなやさしかったよ♪ 30年前に創った歌詩が、ふと蘇った。曲がりくねった人生だったと思っていたが、案外まっすぐ生きてきたのかもしれない。今年もこのままでいいのかな?このままで行こう。 駄歌凡歌 (12)初春や 手の中にある 幸せよ ゆっくり育て そのまま育てこの道は 迷い込んだる 道なれど 導かれたと おもう運命(さだめ)にあの日から 五年の時を 振り向けば 生まれ変わった 自分が映る苦しんだ ことはいつしか 忘却へ 不安の陰も 霧のかなたに愛すれば 矛盾の壁が 立ち塞ぐ されど心は 真実を見る神の社(やしろ) 君の願いは 知らねども そを叶えんと 吾も願わむアラビアの 魔人のごとく 念力で 君の願いは 僕が叶える朝ドラマ 利益(りやく)すさまじ 人の波 蕎麦屋の亭主 何を思わん風が少し 冷たくなって くれたから 身体寄せ合う 口実になりコーヒーに 哲学の名を かぶせおり 通りすがりに 謎をひろって
2011年01月01日
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