2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
全12件 (12件中 1-12件目)
1
夕方から我が家の小さな庭でバーベキューをしました。外で食べるのは気持ちが弾むもの。私はひたすらビール片手にお肉などを焼く係で、ほとんど食べると言うよりも飲んでいたような気もしますが。 次第に日が沈み、周りが暗くなっていくのもゆっくりと感じることができるのもいいなあと思いながら過ごしました。家の周りは住宅街の静かなところなので、登っていく月や星を眺めるのも趣深いもの。外で空を眺める夜、余裕のある時間を時には感じていたいなと思いました。
2007年04月29日
コメント(0)
今日からGWが始まりました。我が家では例年、ちょっとした旅行に行ったり、日帰りでも少し遠出をして普段ではなかなか行けないようなところに行くのですが、今年は特に計画をしていません。というのも、いつもなら主人が「旅行にでも行きたいなあ」というのですが、今回は仕事で疲れ切っていて「どこにも出掛けず家でのんびりしていたい」と言っているから。 今年、主人は1年生の担任をしています。1年生だから大変ということも当然ありますが、それ以上に、以前の日記にも少し書きましたが、主人の勤めている学校は地域的に難しいところというのが原因のようです。数年前に1年生の担任は他の学校で経験したこともありますが、その時は「大変だけど可愛らしくて楽しい」と言っていたのですが、今年はそんな言葉はなかなか出てきません。 その地域はまず、外国人(ブラジル人)の多い所。今まで保育園、幼稚園に行っていないので集団行動が分からない。2年生以上になれば日本語も理解してきますが、1年生なので日本語が理解できない。説明しても何をすればよいのか分からないので、個別に身振り手振りなどで教えるのですが、それが1人、2人ならば問題は無いのですが、主人のクラスは外国の子がクラスに7人もいます。(どこのクラスも同じですが)7人もいると一人一人に教えている時間もなく大変です。 そして、連日の子供達の親からの電話。内容は、えっ、そんなことで?と思うことばかり。例えば、曇っていたときに運動場で体育をしていた。すると小雨が降ってきたので慌てて授業を切り上げて教室に戻った。その日の夕方、ある親からの電話。「なぜ、雨が降りそうなときに外で体育の授業をするのですか?雨に濡れたら風邪をひくではないですか」 また、ある時は「子供が足を踏まれて上靴がとても汚くなっています」という電話。誰かにいじわるをされたかと思い事情を聞くと、休み時間に運動場へ出ようとした時に混雑している中で、誰かに踏まれたらしい。親は何をそのことで伝えたかったのかと言えば、「踏んだだけで上靴が汚れるなんて、余程学校が汚いのではないですか。もっときれいにしてください」ということ。 家への帰宅時間が5分遅いと電話が来て「5分遅れているんですけれど、どうなっていますか」心配そうな声ではなく怒った口調でです。 子供であれば、5分くらいは前後するもの。ロボットではないんだから5分くらいどうして待てないのかと思います。反対に5分早く帰ってくると「どうしていつもよりも5分も早いのですか。困ります」主人が「今日はいつもよりも早く帰りの支度などができたので、気持ち早くなりました」と答えると「そんな先生の都合で早く帰さないで下さい」だそうです。 他にもいろいろとありますが、そういう細かいことでいろいろと言ってくるのだから、さぞかし親もきちんとやっているのかと思えば反対で・・。忘れ物は多い、提出物は集まらない、家庭訪問に行っても家にいない・・などなど。例えば検便の検査。元々、2~3日ではとても集まらない学校なので1週間前に配り、その1週間以内であればいつでも提出出来るようにしているそうです。しかし、3日前になっても半分も出ないので、おたよりで“あと3日です”という旨を知らせます。それでも出ないので前日も“明日が締め切りです”ということをおたよりで伝えます。ブラジル人の子供向けにはポルトガル語で書いたおたよりを別に配布しています。ところが、締め切り日になっても出ているのは3分の2。10人以上の子が出ていないと言います。主人は「宿題をこれから出して言っても“勉強は家でするものではなく学校でするものなのでできません”なんていう親もまたいるのだろうなあ(実際に昨年はいたそうです)」とつぶやいています。 そんなこんなで、毎日気苦労が絶えないようです。しかし、仕事もたくさんあり、家でのんびりと過ごすわけにもいかず、休日の今日も学校へと仕事に出掛けていきました。
2007年04月28日
コメント(6)
今日は、子供達の家庭訪問がありました。娘が3時から、息子が3時40分からという予定でした。娘の担任の先生が見えたのは3時5分。玄関のドアを開けるなり「はあ~」と大きな溜息をつきながら「すみません、遅かったですよね」という第一声。「いえ、まだ3時5分ですから大丈夫ですよ。それより、先生何だか疲れていらっしゃるようですけど、大丈夫ですか?」と聞くと、一件目から迷子になり全然家が分からなかったとのこと。どうらや初めから遅刻してしまい焦りながらいろいろなお家を回ってみえたようです。娘の担任は新任の先生で、「お家の人の書かれた地図を頼りに来たのですけれど、さっぱり分からなくて~」っと言ってみえたので、「たぶん、先生にとっても初めての地域だと思いますので、お家の人の地図を頼りに住宅地図で位置を確認して印をしておいてから、その地図を見て回らないと大変だと思いますよ。親は土地が分かっている前提で書いていますからねえ」と言ってしました。先生は「はあ、本当にそうですねえ」と言ってみえました。私が以前、赴任して勤めた学校ではどこでも住宅地図で確認して行っていたのでそれが当たり前だと思っていたのですが、どうやらそうではなかったようです。大きなお世話だったかな。 その後、息子の先生は3時半からだったにもかかわらず4時になってもみえません。今日はスイミングが4時半からあり、車で10分はかかるので最低でも4時15分には家を出たいところ。しかも今日はテストの日なので休ませたくはありません。いつもなら駐車場が混むこともあるし、着替えもあるので4時には家を出ています。なので、さすがに4時になると焦ってきました。玄関に用事があって家を留守にするので、みなさんの家庭訪問が終わった後に来てもらう旨を伝える張り紙をして出掛けようか、でもその時間だとまた子供達の迎えの時間と重なってしまうしなあ。先生と連絡を取りようもないし。まあ、とりあえず、迎えの時間に間に合わなくなったら子供達に待っておくよう伝えよう、と思いながらとりあえず紙に書いていたところ、4時8分に先生到着。何とか間に合ってよかったです。先生からも特に話すこともなく、「場所確認だけですので」ということで5分くらいで終了しました。慌ててスイミングへと向かい、家庭訪問が終わったことと間に合ったことでようやくほっとしました。 どちらの先生も焦っただろうけれど、親も焦った家庭訪問でした。
2007年04月27日
コメント(2)
働いていたときの後輩と久しぶりに会ってゆっくり話をしました。彼女は私よりも5つくらい年下の子で、5月の末に結婚して他県に嫁ぐため、この3月で仕事を退職したのです。次にいつ会えるか分からないからということで連絡をもらって会うことにしました。 彼女から、務めていた学校の様子、教え子の様子をいろいろと聞き、子ども達のそれぞれの成長を知り、懐かしく、またとても嬉しくなりました。本当に人生の中の僅か1年のつき合いだけど、私にとってはとっても中身の濃いつき合い。いろいろなことを教えてくれたり与えてくれる子ども達の顔を思い浮かべて改めてその出会いの尊さを感じます。私が教え子を思い出すように教え子も私のことを思い出してくれるといいなあ。 独身の人とじっくりと話をするのは本当に久しぶりなので彼女から良い刺激を受けました。仕事にたくさんの時間をかけたり、それと同時に友達と映画を見に行ったり遊びに行ったりすることができる。仕事のこと、映画のこと、同じ同僚との会話の話、そんな話はとても楽しさに溢れ、笑いの絶えない時間となりました。 同年代で小さい子がいて教員をしている友人とも時折話をする機会がありますが、育児、家事、仕事をこなしていくことの大変さに話は尽きます。本当に大変な中でやっている、特に今まででも綱渡りの生活なのにそれに加えて、年々学校全体で仕事が増えてきていることで皆不安を感じています。それは、私が退職したとき時よりも深刻で、特に中学に転勤した友人は帰りも深夜になることもあり本当に大変そうです。 そういう話ばかり聞いていた中、今日は本来の仕事の楽しさやもたらしてくれるものの大きさを思い起こさせてくれました。 それと同時に子育てを終えた先輩の先生の話を思い出しました。“一番、この仕事をしていて辛かったのは、我が子がまだ小さかった頃。あの頃はどうやって過ごしていたのか思い出せないくらいで、とにかく毎日、毎日必死に過ごしていた。仕事が楽しいと一番思えなかった時期だと思う。余裕がなかったということだよね。お母さん先生はきっとみんなそうだと思うよ。でも、辛い時期は終わりがあるからこそ、みんな今でも仕事を続けているんだと思う。それだけ、楽しいこともやり甲斐もある仕事だし、その時期があったこそ分かることや感動の幅も広くなるものだよ。”そのようなことを当時悩んでいた私の表情を見て言ってくれました。 いろいろなことを経験することで人間としても深みが出てくる、そして、だからこそ余計に人との出会いの尊さや人から学ぶことの多さを知ることができるのだろうなと思います。 教え子の顔をとても見たくなりました。
2007年04月25日
コメント(0)
今日は、授業参観でした。1年生の娘の授業を見た後、3年生の息子の授業へ。どちらの教室でもみんな落ち着いて活動していて、我が子もしっかりやっているようで安心しました。息子はどんどんと自分から発言するタイプ。対して娘は保育園の時から外ではおとなしく手を挙げないタイプ。やはり学校でも予想していた通りでした。家ではどちらかと言えば、娘の方がおしゃべりしまくり、元気なので、そのギャップがなかなか面白く感じます。今後、どのように変わっていくのか、また変わらないのか楽しみです。 1年生の教室はさすがに保護者の方がいっぱい。学級懇談会でも3分の2くらいの人が出ていました。懇談会も始めに1年生、途中で3年生の方に行きましたが、3年生の懇談会は5人しかいませんでした。もちろん兄弟の関係もあるのでしょうが、ちょっと寂しいものがありました。明日から家庭訪問もあるので、先生方も大変です。 授業参観が午後からだったので、その前に教員をしているママ友達とランチに行くことにしました。彼女は先週の土曜日に学校行事があり、今日が代休だったので久しぶりにゆっくりと話ができました。普段なら授業参観の時だけ仕事を抜け出して、その後またバタバタと仕事に戻っていきますから。 彼女は保育園児と息子と同級の3年生の子どもをもつ母親。話からは本当に“小さい子のいる母親”ということは考慮されていない人事、仕事の割り振りがされているようで驚きました。とにかく年々仕事が増えていくこの業界。“小さい子がいる”というのは理由にならない状況なのも分かりますが、それにしても学級以外の仕事があまりに多く大変すぎます。たいてい高学年の担任を持っていれば、週に1~2時間の空き時間を作ってくれるものです。低学年と担任の授業時間数との差を解消するためであったり、高学年であれば学校を引っ張る存在なので学校行事に向けての準備もかなり時間を要します。いろいろな配慮から、書写や音楽、家庭科など専科の先生や教務、校務主任などの先生が入っていただけるようにしています。しかし、彼女にはそれがなく空き時間が全くありません。ちなみに学校は1学年1学級の小規模校です。 家にも早く帰宅したいけれど、相次ぐ会議の提案事項を背負っている上、その会議の資料を作成するパソコンを家に持ち帰ることができない。情報の保護事情などからどうしても学校で仕事をしないといけない。そちらの仕事に追われ、学級の仕事に時間を充てることができない。まあ、4月で忙しいということもありますが、連日、早く帰ろうと頑張っても帰れるのは8時過ぎ。子どものことを見て、お風呂に入れ、寝かせ、家事をやってから仕事ができるのは夜11時過ぎから。睡眠時間は3時から6時まで3時間。私も昔、同じ仕事をしていて忙しかったときはやはり3時間の睡眠でやっていたのでその大変さはよく分かります。 彼女はご主人のご両親と同居しているのでなんとかやっていっていますが、「毎日生活している気がしない」と言います。 実は、私は同居しているご両親とは習い事の送り迎えの時など話すこともあり、ご主人のお母様も連日孫の面倒を遅くまで見ることに、大変さも感じていらっしゃることは話を聞いていてもよく分かります。「“大変なのは分かっているけれど、子どもたちのためにももう少し早く帰ってきて”って言うんだけどねえ。」と溜息混じりにお姑さんも言われます。 「おじいちゃん、おばあちゃんも、私もダンナも子ども達もつらい思いをしている、でもそれを表立って誰も言えなくてみんなある程度我慢をしている、そして、どこかギスギスとしている。仕事も学級の子ども達のために働く時間がとれないなんて、何のために身を削って働いているのだろうと思っちゃうよ。」と彼女は言っていました。 私の住んでいる市では今年は新任の教員の採用がとても多かったようです。どの学校にも必ず1人、2人はいます。でもその中で、もう退職した人がいるそうです。まだ2週間くらいしか働いていないのに。毎年5月、6月頃には数人が辞めていきます。 もっと教員にとって働きやすい環境にしないと、いろいろなひずみが子ども達にも影響を及ぼしていき、ますますいろいろな問題が出てくるような気がしてなりません。
2007年04月23日
コメント(4)
今日は、全国の統一地方選挙後半、最後の日です。私の住んでいる市でも選挙があります。 今回の選挙は、学校のPTA役員の時や、地域の劇で息子が参加した時の縁で知っている方が選挙に出馬するということで、応援スタッフとしてお手伝いをしてきました。1ヶ月くらい前から週に2、3日くらいお手伝いをしていたのですが、この一週間は毎日、選挙カーに乗ったり電話でのお願いをしたり。慌ただしく感じた一週間でした。 この一週間で体感したのは、本当に選挙はたくさんの人の協力があってこそできるということ。想像していたよりもそれは本当にたくさんの人が時間をかけて動き回っていました。何十人ものスタッフが交代で動いています。私は子どもが学校へ行っている間の2~4時間くらいのお手伝いでしたが、朝から夜まで動きづめの方もたくさん。それが全て無償での働きです。 だからこそ、当選して議員となった方は、自分の力だけではない、たくさんの人の協力のおかげという感謝の気持ちや謙虚さ、そして票を投じてくれた人への責任をしっかり噛みしめて務めて欲しいと切に願います。 先頃、年金・退職金の減額を逃れるための前倒し辞職をした人が全国で相次いで発覚しました。 地方議員が退職した場合、全国市議会議員共済会から、3期以上の議員には議員年金、2期以下の議員には退職金が支払われます。しかし、今月1日施行された改正地方公務員等共済組合法で、同日以降に退職した議員の年金や退職金の給付水準が原則12・5%引き下げられたため、法施行前の3月までに“駆け込み辞職”したとか。 そういう話を聞くと、選挙のために尽くした人の思い、一票を託した人の思いを踏みにじられるような気がします。それは、やはり今回の選挙スタッフを体験したからこそ実感する思いです。市民の信任を得るということがどういうことなのかしっかり考えて、市や県、国の代表となる人は取り組んでもらいたいと、心から思います。
2007年04月22日
コメント(2)
国民投票法案が昨日、衆議院で可決されました。 安倍さんが総理になって憲法改正を目指していることを知ったときに、私なんかは“憲法を改正するには両議員の3分の2のの賛成を得た上、国民の過半数の賛成が必要なのだから、現実的にはあり得ないだろう”くらいに思っていました。それが、教育基本法改正等々など外堀から急速にさまざまなことが、しっかり議論されないまま進められていくにつれてそんなに悠長に構えていてはいけないことを感じさせられ、そして今回の法案可決です。 まず、今まで国民投票についての確たる案がなかったことに驚きました。それほど、今まで憲法改正は現実的なことではなかったということでしょうか。中でも驚くべきはやはり“賛成が投票総数の2分の1を超えた場合は承認される”というもの。投票率が50パーセントだった場合、25%の賛成、つまり有権者の4分の1の賛成で決まってしまうと言うことです。4分の3は賛成していない状態でも決まってしまうわけです。 近年の投票率の低下。愛知県では先週末に県議会議員選が行われましたが、投票率は全国で最低の43%。愛知県知事選が2月に行われ、自民党の神田氏が民主党の石原氏から僅かの差で逃げ切ったという結果があったばかり。それを受けての県会議員選なので有権者もいろいろと考えて投票すべきだと思うのですが。新聞紙面もそれほど大きく取り上げず、考える媒体があまりなかったように感じます。家の近所では、投票所が今まで近かった小学校から、少し離れた中学校に変わったことで「投票に行くのが面倒になって行っていっていない」という人も多数いたのです。 国民投票が、もし行われたとしたら、みんなもっと関心をもっていろいろと考えるのでしょうか。そしてよく考えた上で投票に出掛けるのでしょうか。みんなが真剣に考えていかないと、知らないうちに大切なことが時間をかけた議論もなされぬまま決められていくことになり恐ろしく感じます。
2007年04月13日
コメント(4)
主人は今年一年生の担任をしています。1年生の初めは提出物がたくさんありますが、主人が溜息混じりに、昨日こんなことを言っていました。「今日までの提出期限の書類(家庭環境表・健康調査票等々)を出していない家庭が4分の1、ぞうきんを出していない家庭に至っては3分の1もいるんだよ」 私も教師を経験していましたから、書類の提出期限を守れない家庭というのは当然それあります。うっかり忘れてしまうこともあれば、常に、という家庭もあります。でも、まあ1割程度が他学年でも通常。ましてや1年生であれば、この時期は学校から出されるプリント等をしっかりチェックしていて不備のないようにするのが自然なのではないかと思うのですが。我が家も今年1年生になった子がいますが、二人目とはいえやはりこの時期は親も子もドキドキとしているもの。提出物等も何度も見て、娘に嫌な思いをさせないようにも気を配ったりしています。だって、4月の初めのまっさらな連絡帳に担任の先生から提出物を出してくださいというような内容のことが書かれたら嫌じゃありません?1年生の連絡帳の一番初めはやはり我が子が初めて連絡帳を書いた文字というのを残したいと思うのですが。 主人の勤めている学校は経済的にも余裕がない家庭も多く、学校にもあまり協力的でない人の多い地域。(当然、協力的な家庭もたくさんありますが)例えば、PTA総会。当然参加する人も少ないですが、参加した人たちでさえ、当日配布したプリントを椅子の下などその場に置いて帰る人がたくさんいたそうです。片付けの時に出てくるのはゴミとなったプリントの山。今までももっといろいろな耳を疑うような話を聞いてきました。全体でこういう雰囲気なのですから、個人に至っては本当にいろいろとあるようで驚きます。 同じ市内でも、家庭が協力的な地域もあります。私が勤めていた学校は、陰山英男先生が実践されてきたように、「早寝・早起き・朝ご飯」に短期間ではありましたが取り組み家庭も協力して基本的な生活習慣を心がけようという時などなど、とても協力的でした。 ところが、「朝ご飯をしっかり食べてくる」というようなことを教室で話しただけで、親から「家のことにまで口出しをしないでください」と言う家庭がある主人の学校。「遅寝・遅起き・朝ご飯抜き」などを始めとする基本的な生活習慣をさえせてもらっていないという子もたくさんいる学校です。当然、宿題もやってこなかったり「家庭学習?なに?それ?」というような状態の家庭もあります。当然、学校側もただ見ている、あきらめているわけではなくいろいろな取り組みをしようと努力をしています。 こういう地域差がある状態のなか、私が住んでいる市でもし、東京の足立区が打ち出したような「学力テストの結果などによって教育予算に差をつける」を取り入れたらどうなることでしょう。 教育に関心があり、学校にも協力的な家庭が多い学校と、そうではない学校とでは、教員が同じ努力をしても結果に差が出てくるのは明らかだと思います。学力は学校内だけで培われるものではありませんから。教員が同じように努力をしてもその努力が報われる学校と報われない学校、そういうことが続いたら報われない学校は教員の士気も下がりますます格差が出るのではないでしょうか。 更に学力テストの結果を公開した上で学校選択制が取り入れられたら・・?例えば主人が勤めている学校でも、当然子どもの教育に関心をもっている家庭も多数あります。そういう家庭は少し遠くても学力の高いと言われている学校へと送り迎えをしてでも行かせるかもしれません。逆に経済的余裕や教育に対する関心がない家庭は、送り迎えもままならない状況などで今まで通り近くの学校に通うでしょう。そうなればまるで高校のような格差が広がることが考えられます。 そして今日の新聞には“教員査定で給与差”の記事。能力でで給与に差をつける案が済生会議案で提示されています。給与は学校内でなく市や県という単位で決まっているものなので、それが足立区のような学校ごとでの学力テストの結果という面も考慮されるとしたら?地域差という面でスタート位置が異なっている場合はどう評価されるのでしょうか。 教師を評価するということについては、言論の自由を奪う、管理職(校長・教頭)の気に入られるように行動したりする(ごますりなども含め)等々さまざまな問題も言われています。 教育は個人の能力と共にチームワークなどが大切とされる分野で、個人の能力のみが大切とされるところではありません。“共に学び合う”というのが教師同士、教師と子ども、学校と家庭の基礎となっているところなのですから。一部の企業のような成果主義ばかりで評価できるところではないと思います。 教師の評価を給与に取り入れるのであれば、さまざまなことを考慮に入れていくべきだと思います。国のトップの考え方がいろいろな面でじわじわと少しずつ変えられていく、愛国心の問題と教員の評価、教育の格差、いろいろなところがリンクしているように感じられてなりません。
2007年04月11日
コメント(4)
久しぶりに子ども達と近く(自宅から約1.5キロ)の河原まで散歩に行きました。ちょっとしたおやつと水筒、本を持ってピクニック気分です。通る道々には春らしい色とりどりの草花が咲いていていました。 河原にはナズナや菜の花などがずらりと並にでいます。そこは何だか周りに比べてゆっくりとした時間が漂っているようでした。 土手に腰掛けて、流れる水音を聞きながら、おやつを食べ、持ってきた本を子ども達に読み聞かせました。周りは誰もいないので気分も楽。少し自然に触れるとゆったりした気分になります。 その後、スーパーに買い物に行ったのですが、魚が並んでいるコーナーの一角に何故だか水の入ったビニール袋の中で5匹ずつ金魚(金魚すくいでよく見られる赤魚)が300円で売られていました。普段、生きている魚を売っているスーパーではないし、そういうのは今まで見たこともありあせん。普通に切り身魚などと一緒に並べられているので驚き、笑ってしまいました。金魚が並べられた奥には“これは観賞用の魚です。食べられません”という札が・・。買っていく人、いるのかなあ。
2007年04月08日
コメント(2)
桜もきれいに咲き誇り、晴天の日。今日は娘の入学式でした。 ずっとこの日を楽しみにしていた娘だったので、朝から上機嫌。娘の姿を見ているとこちらもワクワクとしてきます。 式ではどの子も立派に返事をし、どの子もしっかり校長先生などの話を聞いていました。息子の学年は結構入学式中に立ったりおしゃべりとする子もいたのでそれと比べても落ち着いた学年のように感じます。並んで歩く姿は本当に可愛らしくありながらも、やはり保育園時代とは違う頼もしさも感じます。 娘の担任の先生は若い女の先生。今日は随分と緊張した面持ちでした。担任の先生のもと、よい時間を過ごし、さまざまなことを学んでいって欲しいと思います。 主人は小学校の教員で、今年は1年生の担任。例年ならば入学式まで4月1日から3日までの3日間さまざまな準備期間があるのですが、今年はそれが一日少なく大変だったようです。例年なら3日かけてする仕事を2日でこなそうとする、その上仕事も今年は市内で2学期制導入、英語の導入など新しく変わる部分も大きいく増えるとあれば余計に大変なのも分かります。新しいことを始めるとなると、会議で、いろいろと意見も出てきて会議時間も延びます。年度初めはとにかく多い会議と学校内の担当の仕事。(通学団関係・クラブ、委員会活動・掃除担当区域・図書・給食・・・ 等々さまざまに分担されている仕事があります)その上に1年生の準備が加わりかなり忙しいよう。例年ならば4月の初めの学校が始まるまでの数日間くらいは校長が「これからいくらでも忙しくなるのだから、今は早く仕事を切り上げて家に帰ってください」なんて言葉も出るくらいで、皆、早々に帰宅するのですが、今年は初日から連日主人の帰宅は8時、9時。4月早々、かなり疲れた様子で帰ってくる主人です。 でも、そんな様子を見てちょっと羨ましくも。この時期になるとやっぱり働きたい、教育の現場にまた立ちたいという思いが強くなります。冬場になるとそういう気持ちも少し薄らいでくるのですが。やっぱり躍動の春なのだよなあ。
2007年04月04日
コメント(4)
『天国への手紙』 江原啓之 今回の本は死について。誰しもが将来迎える死に対してどうとらえるか、亡くなった人に対してどのような思いで供養していけばよいのかなど心に染みいる内容です。 亡くなった人が幸せになるのもならないのも(それは)身近な人の死だけでなく全ての人に対して)生きている私たちがよりよい生き方をするかにかかっている、そういうことが読んでいてよく分かりました。 私はある日義母を突然亡くし、周りの人間はそれをどうとらえていいのか途方に暮れた経験があります。それだけに、巻末についている「スピリチュアル・エンディング・ノート(遺言ノート)」のよさを感じます。この遺言ノートは、家族へのメッセージや自分の生きてきた記録、葬儀の希望や財産の記録などをメモしておくノート。実は私も家族へのメッセージや子ども達にいつか読んでもらいたいために取っておいて欲しい本のリスト、好きな曲、自分が亡くなった時に知らせて欲しい人のリストなど書き留めてあるノートがあります。それは何年かで身近な人を亡くしたりした経験などから、半年ほど前に書き留めたもの。改めてその内容をこの遺言ノートと照らし合わせて考えたいと思いました。『10代からのハッピーアドバイス』 明橋大二 いじめ、不登校、甘えと反抗など10代という難しい時期に起こりうる問題にどうかかわっていけばよいのか、また子どもはその時にどんな状態で、何を訴えているのかなど分かりやすく書かれています。子どもが10代になってから新しく起こる問題ではなく、小さい頃からの積み重ね、子育ての流れ、子どもとの関わり方の結果が大きく表れてくる時期。10代になってから対応を考えるのでなく、今できることをしっかりやっていかなくてはと改めて感じました。 『子どものやる気を育てる話し方 心をキズつける話し方』 海原純子 子どもに話すときの話し方、聞き方、言葉使い、子どもと関わるときの態度など具体的にどうするのがよいか、どうするのがいけないのかが示されていて、頭では分かっているつもりでも、できていない部分に改めて気づかされました。 後半には親自身が自分らしく生きるとはどういうことか、子どもと共に生きる喜びを大切にしようとする取り組みの方法、子どもの心を育むワークなど自分もリラックスできるような取り組みがいくつか書かれていて参考になります。 『もしもウサギにコーチがいたら』 伊藤守 コーチングについて書かれた本。具体的な方法でなく大まかな考え方、よいコーチなどについて記されています。 特に印象に残ったのは、“教育する側が、最初から「この人たちは何か足りない、完全ではない」というスタンスで教えていくのと、「この人たちは完全なんだ、素晴らしいんだ」というスタンスで教えていくのとでは、起こってくる結果が違うはずです。それは自分とのつき合いでも同じことが言えます”というところ。 “コーチはウサギが未来に向けて自分の物語を創るサポートをします” 家庭でも、友人関係でもそういう存在でいられるようになりたいです。どれも短い時間で読んでしまうことできる本ばかりでしたが、学んだことは多かったです。今月は8冊でした。
2007年04月02日
コメント(4)
桜も満開になり、野の花もきれいに咲く季節。新しい気持ちでいろいろなことをスタートしようという気持ちになる季節で、本屋さんに行っても読みたい本が盛りたくさん。こたつに入りながら本を読むのもいいけれど、外で本を読むのもいいものです。 『字幕屋は銀幕の片隅で日本語が変だと叫ぶ』 太田直子 著者は映画の字幕翻訳者。字数制限などがあるなか、字幕で伝えることの難しさや、業界の裏話などがユーモアを交えて書かれていて、とても面白い本でした。映画を見ながら常々疑問に思っていたこともこの本を読んで納得。すっきりとしました。今後、映画の味方が広がりそうです。映画ファンでなくてもおすすめの一冊です。 『ウチの子は恐怖の質問大魔王』 夏見モンド 著者とお子さんとのユーモアあふれる会話が書かれていて読んでいてくすっと笑ってしまいます。子どもの質問は奥が深いというか物事の核心をズバリと突いてくる。それにどう返していくかというのはいろいろと参考になるし、会話のキャッチボールの大切さを感じさせられます。 また、コーチングについても分かりやすく書かれていて、数ヶ月前からコーチングに興味をもっている私としては嬉しい本でした。 『書く力が伸びる!』 樋口裕一 書く力を伸ばすために家庭でも楽しく簡単にできることがいくつか書かれています。 書く力をつけるというのは時間がかかること。それだけに早いウチからコツコツとやっていくべきだと思います。それには、楽しく取り組ませるのが一番。この本はそのヒントになると思にも参考にもなると思います。 『オール1の落ちこぼれ教師になる』 宮本延春 “事実は小説よりも奇なり”とは正にこのことのような気がします。著者は現在高校の教師。しかし、中学生の時の通知票はオール1。中学を卒業する時は九九すら覚えていない、漢字で書けるのは自分の名前だけ。そんな著者が、働いていた時にあるきっかけから勉強するようになり、名古屋大学の大学院まで進むまでになります。そのきっかけは、つき合っていた彼女から借りたビデオ。それはアインシュタインの相対性理論を一般向けに解説した番組だったのですが、そのビデオを見て感動し、そこから物理に興味を持つようになった著者は独学で勉強、定時制高校に通うようになり、大学、大学院まで進んだというのです。 人にはさまざまな可能性があること、きっかけをどうとらえるかが大切ということを教えてくれた本でした。
2007年04月02日
コメント(0)
全12件 (12件中 1-12件目)
1