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ひととよう 極め技コラボで もらいなき
2006年02月20日
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客としてコンビニにのレジにたち恥ずかしいことがある。小銭を大量にもち支払おうとポケットからだしたとき、洗濯したティッシュのカスや糸くずが手のひらで小銭に入り混じっているときだ。もっと恥ずかしくて想像をかきたてられるのは米粒が混入していた場合で、店員に米粒をみられないように角度をとりながら一枚一枚カウンターに置く。手のひらで集めて一気につかまないのは銭以外のものをいっしょにつかみ上げてしまう危険性があるからだ。しかも、店員が手をだしてくると手渡しは避けられない状況になってしまう。レジに振り分けたあとはパンパンと振り払われるのか、それとも、客を気遣って一時五円かどこかのスペースに仮置きするのしかない。
2006年02月19日
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ここは侍たちや、その連れの美女が真ん中を歩いて、私のような者はすみに寄って歩かねばならないと、すぐそこのだんご屋のオヤジに聞いていた。聞いて初めてだが、そんな決まりがあることを私は知った。 その木でできた橋は私のような図体のでかいものが歩いても、きしむ音はしない。逆に弾む感じさえした。 何もかもが田舎とはまるで違う。 半円を描くような橋の中間地点、ここを山と見れば頂上にあたる一番眺めがいいところで腰をおろした。もちろん端に寄ってだ。歩けば腹が減るほどの長さの橋ではなかったが、高いところで見わたしていると、こんなところで腹ごしらえをしたくなってきた。 さっそく風呂敷を広げて、いざ食おうとしたとき、箸がない。こんな立派な橋の上で、しかも端に座っていて箸がないときては滑稽にもほどがある。手で食ってはそれこそ、はしたないってもんで、その辺をひとっ走り代わりの物を探しに行くことにした。 ここは大工の姿がやけに多い町で、代わりは案外すぐ見つかった。 箸にしてしまった木を手裏剣を連続で飛ばすようにこすりながら風呂敷まできて腰をおろした。 さぁ、食うかといったときにぬくぬくとした感じが消えて、薄暗くなった。まさか夕立が。猫背を伸ばして見ると、太陽を隠したのは子連れの若い女だった。 やせた女は、もっと痩せた女の子の手を引いていた。が、私の前で足を止めてしまったのだった。一目見て分かった。この子はただの痩せすぎではない。麻疹(はしか)による赤いぶつぶつが日陰よりも冷気を私に吹かせていた。 目の前の親子は私にものを言うわけではなかったが、その姿、格好がすでに言っていた。 私も貧乏だが──。おそらくこの親子、町のいい医者に診てもらおうと来たのだろうが、お決まりの台詞を並べられて帰されたに違いない。「安静にすることと、滋養をつけることだね」 商いは上場だったことだ。村までほんの一日歩くだけだ。私は仕方なく拾ってきた箸を渡して、風呂敷だけをたたんで「おあがりよ」と言った。親子二人がそろってすみません、ありがとう、と、頭を下げたが母親のほうが重病のような声だった。 さてと、と私は立ち上がり歩き始めた。しかし、その足は下るも登るもしなかった。無理に中央まで体をもって行って、周囲をぐるりと眺めてから肩をいからせて歩いてみた。見栄を張ったつもりが、渡りきるまでにお侍が来やしないかと膝がガクガクとしてあやうく転ぶところだった。 やはり私のようなものは人に頭を下げて手すりのある端のほうを歩くのが似合っている。 土を踏むと今のが嘘のように膝がしゃんとしている。どうれ、走って帰るとするかな。
2006年02月17日
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【足袋】足にはく方も呼び方は同じく「たび」。ただ、この足袋をみて足に履くものだということを知ってもらえなければただの布。はいて、使われて初めて足袋はその性格をだせるというもの。 今回、旅にきてくださったのはキンガーZさん。本当は先生と書くべきところですが、あえて「さん」にします。形式も大切ですが仲間はもっと大切だからです。 石巻にきてほんとうによかったなーと思ってくれたに違いありません。それは稽古、乾杯の「楽しもうぜ」のあの声、顔に答えはあるからです。 旅の宿では本当に楽しく熱く過ごせたと聞きました。サンファン館では動く椅子のミニシアターでの感動の結末。船の作り手との出会い。偶然だろうが、まぐれだろうが事実であることにかわりはない。 なんといっても食事が楽しい。日本人の悪い癖が一つもなく、バグバグ食っては「いぎなりうめー」を連発するキンガーZさん。それって本当に気持ちがいい。 一つ考えた私の今後。道着を持って躰道のないところへ旅をする。道着に着替えて本当に何かできるものだろうか。そして何かを感じてもらえるものだろうか。 一人の気持ちが嬉しい。一人がみんなに返すことっていうのはむずかしいことかもしれないが、どこかで活躍した話をきけば我々は嬉しいし、それが本当の創造と創造とでの会話だと思うのだ。苦しみの中にあるのか、そうでないかはわからない。思い出が一人歩きし、こっちとそっちで勝手にくりひろげられている創造というのが進化だと思う。 今回の旅、本当にお疲れ様でした。本当にありがとうございました。またみんなで、いっぺー食うべっちゃね。
2006年02月12日
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野菜ジュースを飲むと野菜不足にならないか?といったらどうだろう。即答できませんね。その中に入っている素材一つ一つの形、味がしっかりイメージできるものとそうでないものとでは体に入ってくる栄養素は同じでも心の中まで満足感はないと思います。 栄養のバランスというものは空気の中の元素ありかたと同じでキッチリでなくとも体調の信号を敏感に察知し整えていくものだと思います。「人生楽ありゃ苦もあるさ」のフレーズでもおなじみです。自分に多少の美貌があって、これからのいき方に満足していたのではその人は魅力的でしょうか?人間が生きるということは人のすることの根本なのですから人間として生きることの力を上昇させていかなければ差がでて当然だと思いますね。上昇している人になにもモーションをおこさない人が「まった」をかけたり、認めさせようとしてもそれはただのわがまま気ままであります。 海の向こうが気になれば泳ぐ。泳ぐことの限界に気づけば道具を用いる。その道具を開発するためには考える。その考えは何を基にして考えるのか?それは海や川、池もしくは湖の性格を判断することが必要であるとおもいます。判断するということは、ただ分析したことに終わらず、それを認めるということが動作を行う前の必要事項だと考えます。それから初めて海へ挑めるのであると思います。 それは海だけではなく、誰かの思想だったり宗教であったり。人間そのものへだったり自分自身であったり。よくそれを知って、道具をえらぶ。 海は自分を知ってはくれない。だからといってうけ入れてくれないわけではない。山もそう。自分を知ってくれはしない。海は船に意地悪をしない。雪山も同じだ。 海には表もあれば裏もある。その表裏も人間のかってな考えの一つにすぎない。すぎないが、しかし、山も海も人も宇宙も、みな人間一人の創造に大きく包み込まれてしまう。
2006年02月12日
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エンタの神様で初めて「やっくん」をみてカワイイとマジに思った。もう少しアゴがとんがっていればもっといいのに!と思った。 その昔も、今も、好みのタイプと聞かれて、すぐに答えられなかった。ちっちゃいころは、永井真理子やキャッツアイの長女。少し成長すると山崎千里。もう少し成長すると井上晴美(湘南女子寮)、荻野目洋子、斉藤慶子など。高校生くらいになると内田有紀のポスターを部屋にはったり、井上晴美もはったな。コロッコロ変わってた。英語で遊ぼうの羽生未来とかも。あーあと、マルシアと山口美江だ。その二人の名をだしたら周囲は顔面蒼白。その後爆笑(湘南純愛組)。数人は気を使っていた。マルシアと山口美江を足して二で割った顔がタイプというとみなさん想像しかねている様子だった。 あーあと、シェイプアップガールズの三瀬さん。 家電製品のように次々でてくるから記憶が奥にしまいこまれていって、なかなか伝統が続かない。芸人「やっくん」をみて、おちょこの日記をみて思い出したのが、マルシアと山口美江でした。芸能人でいうと好みの顔は「やっくん」。 以上。
2006年02月08日
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【やじろべぇ】を絵に描いてみる。左右のおもりと真ん中の軸。おもりにはそれぞれ、好きと嫌いでなりたつ。軸に何を持ってくるのかというと正直である。偽りの無い正直が軸となる。そうすると、好き嫌いがかたよってくる。結果バランスのとれないやじろべぇができる。 そのバランスを保つ方法は、理性をもってして「わがまま、気まま」を制御し、「挑戦、好奇心」などを追加する。肉と野菜のバランス。建物のバランス。水が水であるためのバランス、つまり気体になったり固体になったりの温度のバランス。バランスが崩れると形を変え、心を変え、見方も変わる。 大事なのは崩れかけても、大事な真(軸)の部分がゆるぎないことだ。偽っていてははかなくもろい。
2006年02月07日
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http://esearch.rakuten.co.jp/rms/sd/ekensaku/yk?id=24741 片方が「こーだ」と断言し、むこうが「いや、あーだ」と断言する。一つの物事に答えが二つあると、どちらかが嘘をついているか、もしくは勘違いをしている。そうなってくると、本来の目的である物事の進展はない。止まってしまう。何かの言い争いでもそうだ。考え方の相違で起こる意見の食い違いなど。 片方が折れる。と、よくいうことだが問題なのは「こと」を行った後に謝罪するのか、それとも「こと」が済む前の途中もしくは行動前に止められてしまったのかが問題だ。そのままでは物事の進展、展開がうまくいかないから人の行動を制するのか、はたまた、ただ単にムカついたから制すのか。それでは大きく違う。 頭にくるとテーブルをひっくり返す星一徹。 一家のルールが破られた瞬間だろう。 主体になっている人間のルール。その理不尽さ加減、矛盾の有無、その辺をひっくるめて認められたならば、それは受け入れられよう。怒った理由に後々反省があれば、それは成長のあかしだろう。 話題のニュースもいろいろあってしかたがない。ただ、嘘だけはいけない。だって、その嘘がとおったら、今までのストーリーは全部が闇になる。ムネオとマキコのこともそう。私がプロデューサーならそういう人間をまとめて有名な手相占い師のもとにつれてくな。 細木数子が出演するといつもならチャンネルを変えているのだが、この前たまたま見たときがあった。ホリエモンがでたときだ。ユー、佐藤藍子、ハナワらに言ったときよりもキツイことを言った。予言といったら大袈裟かもしれないが、いまにしてみればそのくらい的確な言葉だった。 細木がいう言葉はいつも正しいと思う。だから出演しているTVは見ない。そのとおりのことを言う。けど、これまでやってきた人間はなかなか直そうとしない。 それは正しいものを、妥協のレンズを通してみるからだ。「人それぞれ」これは、こういうときに使う言葉ではない。日本人として日本にいるのだからルールに従わなければならない。人に接触したいならその人のルールに従わなければならない。ということは自分の気持ちに嘘をついてまでルールをまもらなければならないのか?じゃあ、これまでのことは全て無? よその人の考えが厳しくとも、より自然に近ければ、これまでのことは環境と共に残っていて、良化していくのだと思う。ビニルハウスのようにいつも同じではどうだろう。 ■ゲーム市場 リンク先:http://directory.rakuten.co.jp/rms/sd/directory/vc/s1tz207641/ ■ゲーム市場
2006年02月03日
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★★★この塩を製造している社長の孫が渡波道場の会員でもある。実際に我が家でもこの塩をつかっている。本当に自然な味で、料理で塩加減を間違えて多く使いすぎてもしょっぱくない。自家製の梅干を作っているというかたにはおすすめします。まず、一袋つかってみてください。http://watanoha-kousho.com/【ホームページ】
2006年02月01日
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★★★この塩を製造している社長の孫が渡波道場の会員でもある。実際に我が家でもこの塩をつかっている。本当に自然な味で、料理で塩加減を間違えて多く使いすぎてもしょっぱくない。自家製の梅干を作っているというかたにはおすすめします。まず、一袋つかってみてください。 http://watanoha-kousho.com/【ホームページ】
2006年02月01日
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