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本院からの連絡でS範士に連絡をし、福島県にあるスポーツセンターの武道場で審査をするべくむかったのは本日の朝八時半。私が範士の自宅に着くなり範士の姿がみえて運足を止めることなくそのまま福島浜街道へ方向を狙う。そしてエンジンは熱した。 途中、二度の休憩を挟む。ゆったりとしたペースで進んだ浜街道だったこともあり着いた時間もおおらかさがある時間だった。福祉大の幹部連中が駐車場で待機していた。学生の表情から見て取れるものは音楽のようなBGMだ。ようは、やる気がオーラの形でみなぎっていてこちらがリズムにのせられる。福祉主将の表情には特にゆとりがある。と、私には思えた。 昼食が先にあってその後に審査を行うといった形になった。昼食は静かなものであったがその静かさは緊張の炎が灯され始めたもののように思えた。その経験を私も踏み、気持ちもわかる。ただし、そこでのまれてはならない。それを裏づける証拠に範士はひょうきんさを表にだしていて、すでに審査をはじめていたように私には思えた。おそらく、競技を行った彼氏、彼女の動きを照らし合わせるために、なんらかの採点がなされていたのだろうと思った。あくまで個人的な見解。しかし、実際には審査を終えた後に、昼食では「あーだったのに……、こうだったのに……」といったふうに後々印象を裏付けたり、いい意味で裏切られたりしたことではないだろうかと思った。 審査の後、範士からの指導があった。私にとっては何度も聞いてる同じことであるが、白帯を卒業したばかりの人間も集う場での表現方法には、だれにも彼にも同じではない強弱も感じられ自分にとって共感する部分が内容と等しいほど話し方にもあった。 審査も終了。指導時間も時計の針はおおらかさはあったがほどよく終了し、福祉大主将の締めで区切りをつけた。 我々は、といっても範士と私の二人。帰りの車は国道6号を走り出した。 私が就職を県外に希望し山形、新潟、と現場移動をしていき最終的に福島浜通り地方で退職をすることになった。その経験、というと大げさになるがそのときのちょっとした道路を記憶した知識と食べ歩いた食堂の知識が範士を夕食に誘った。最終的には誘った私が範士からごちそうになったかたちにはなったものの、自信をもってすすめることのできる食道でラーメンを食べていただくことができた。 帰りの車内話題は行きとは表と裏。躰道の話題よりも競馬、競輪、笑い話が主体だった。その主体の陰には審査という形ではあったが合宿に参加し、学生から影響されたものがあったからだ。そう、確信している。 躰道。それは、心でするもの。誰かが鬼をしてくれれば、複数も鬼は存在しなくてもよい。ただし、鬼の存在が薄くなれば誰かがせざるをえない。そもそも、甘く楽しみたい、そういう気持ちを抑える己に鬼を飼えるようになってはじめてきづくことでもあるし、そうなってこそ鬼の影には暖かい日差しがあるというもの。 本来の自分は、こうなのだ。と言い訳をしてもなにもはじめられない。このままでは「不景気だから」などといった言葉に迷わされ、頑張っても仕方のない世の中と勘違いをされたくない。努力とは宿った新しい生命を産み、そして育てること。それを漢(おとこ)は永遠に追求していく。 男女の差別は、母の偉大なる存在にあるし、特に男はマザコンである。そのことを誰も否定する権利はないけれども、それを制御し武道を通じて彼女らを守る側になる必要があると私は思う。 波の打ち寄せる力というのは一つの産出で、同時に受精で感動でもある。感動に共感が加われば世界に一滴の統一がもたらされると思う。その統一とは、一人の存在にほかならないし、一つの団体にほかならない。一つの星にほかならなく、一つの宇宙にもほかならない。すると、ほったんは一人の人の思想にほかならない。それが性を、差別を超えた存在なのである。 創造というのはその後に口外され進歩がある。 風も温度の変化もなければ木の実は地上に降りえないし、後のことまでに発展しない。 力のない男性にも与えられた創造、進化を悪く言えば利用しない手はない。それでも母親の宇宙には打ち上げられた花火の一滴でしかありえないのであるから。
2006年03月25日
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空き缶を捨てないで机の上に置いたままなのはなぜなのだろう。めんどうだから。だったらもっとめんどうなことはたくさんある。おそらくは自分にとって何の支障もきたさないからだ。
2006年03月19日
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指導者講習会で誰かの疑問点によって、「私は最高師範からこう教わった」「いや、おれはこうだった」このように同じ目的(術技)の中に相違がみられることがポツポツとある。このことに対し私はどちらかが嘘を言っているとは思わない。 話は【ホヤ】の話に移る。 旅行にきて、三陸の旅館に泊まった男性が夕食にホヤを食べた。ホヤを食べたのは産まれてはじめてだった。おいしいと思った。生のホヤに少しの酢醤油をつけて食べたのだった。日本酒と交互に食べた。ただ、皿が片付いてくると、もちろんテーブルも寂しくなっている。吸殻のたまったガラスの灰皿とコップとつまの残った刺身皿くらいなものだった。横幅のある仲居さんが控えめに「おさげしてもよろしいですか?」ときいてきた。男性は黙ってしまった。「失礼しました……」と仲居さんがうつむいて顔をひきつらせた。男性は「いえ、あの……、ホヤを、ホヤをもう一つだけ食べたいのですが」と言った。仲居さんはホッとしたように息を吸い込んで顔をあげた。「ありがとうございます。ただいまおもちします」 男性は酒のぬけた舌でもう一度だけ味わってみたいと思ったのだった。まもなく仲居さんが戻ってきた。男性は言った。「ありがとうございます。すみませんね。この後片付けは明日の朝でもよろしいですから。あの、ゆっくりあじわいたいので」 そういうと、仲居さんは「このほやは私の弟が当旅館に卸すのですよ」と少し世間話をして、おやすみなさいまし、と語尾に余韻を残し襖を静かに閉めていった。仲居さんがホヤと一緒にもってきた新しい割り箸に手を伸ばした。それと一緒にもってきたのはコップに入った酔い覚ましの水だった。 男性はチェックアウトのときに旅館の受付の女性にあるものをお土産にもっていきたいといって空(から)のペットボトルをもちあげた。 男性は家に帰ってから家族にコップをにぎらせた。「どおだ?」 男性の家族の反応はいまいちだった。自分も飲んでみた。普通だ。思わず言葉をもらした。 旅行鞄からマッチをとりだして受話器を握った。仲居さんを、と頼んだ。「夕べの水はなぜ甘かったのですか?仲居さんがもってきてくれた水と同じものを汲んできたのに今飲んでみたら不通の水道水にしか思えないんですよ」「それは、おきゃくさま」言葉を止めて笑いをこらえたような感じだが、テンポがいい。「ホヤを食べた後は水が甘く感じるんですよ」仲居さんはそのあと笑いを殺した気配を隠しきれず、すみません、と言った。 受話器を持った男性の頬はホヤのように赤くなっていた。「お客様の御住所を教えていただけますか?」「どうしてですか?」「ご自宅の水にも感謝していただきたいたいと思いますのでホヤをお贈りいたします」 躰道の話に戻ると、このホヤの話と一緒で、その地域特有の人物に影響されて同じ味のものでも変化してしまうのはごく自然なことで、矛盾でもなんでもないということ。問題なのは、武道の躰道の武芸としての本質を忘れないことである。
2006年03月18日
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情報を集めて文章を作成します。あと創造で。
2006年03月17日
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以前もブログのネタにしたことのある『ピアノスーパーレッスン』というBSハイビジョンで観た番組のことについて言いたい。 ピアノを一生懸命ひく生徒。鍵盤を叩くことに夢中になりすぎてその生徒の頭の中からは大事なことが消えていた。そう、ピアノレッスンの先生の一言だった。「今あなたが行っているのは音楽ですよ。『音楽』」 大事なことというよにも、根本的なところを忘れていたのかもしれない。それでも、ものごとの段階として上達途中の者は音楽を苦しむときもあると思う。たぶん、この番組で演奏する生徒はプロになりかけ、つまり野球で言うなら甲子園に出場しドラフトの目玉になるような人物だと思う。 さきほど夕飯を食べながらこの番組を観ていた。レッスンが終了し、先生の単独演奏がエンディングだった。その指の動きは大雨の日、池の周りに群生した植物が一旦うけとめられて溜まった雨水が落ちて水面を揺らしているようだった。 めんどうな比喩を無視してわかりやすく言うと鍵盤を叩いた指が真上に上がっている。そのあがり方は小さかったり大きかったりするのだ。水面に水滴が落ちてはじけたように自然な指の動きだった。その動きはリズムによっても大小なのか、とも思ったが、もっとよく考えてみた。 一つ一つの音の【余韻】が次の音を求めて指先に重力を思いださせるのではないだろうかと思った。 自動車のタイヤを信頼できるのはなぜか。それは、重力があるからだ。ある一定の重みがあるからこそ自然になれる。重いものを持ち上げるときよりふわふわと空(くう)を舞うやわらかい水鳥の羽をつかむときのほうが緊張感が増す、と私は思う。 話をもどして、鍵盤を叩くことでみえてくる余韻。おそらく躰道では突き蹴りの【引き】がそうなのではないのだろうか。「そう」というのは鍵盤を叩いてから次をたたくまでの響きの余韻の時間。
2006年03月15日
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今大会で感じられたことを言うと、麻雀部屋をあけたときの煙たいのと同じ不満が多くなってしまう。けれども正直に言うことにする。 まず。中階以上の選手に頭脳の奥行きが感じられない。もしくは気の充実が間合いとよく絡み合うことなく技だけをだしている。渡波うんぬんというより、これはその他の選手にも同じ事を強く思う。「当てる」とひとことで言っても先の先を読み、これ以上ないタイミングで間合いを制し技をくりだすのと、相手が逃げるよりもとにかく速く当てようと意識するのとでは大きく違うと思った。小学、中学の諸君にこのような説明をしても理解しがたいことだと思うが、躰道を武道を長く続けていくにはこのような内面の躍動を楽しむ感覚が必要となってくると思うのだ。肉体面で壁を感じたり限界を感ずることはごく簡単に体験できる。そして挫折し、あきらめることも一瞬でできてしまう。ところが、人として内面の要素を高めていくことを重点において、人間力を高めることをするにつれ底の見えない充実が壁にぶちあたればあたるほど湧き出てくることだと私は思う。 初階の動きを審判としてみると、海開きをしたばかりの浅瀬に脛までをいれたくらいの感覚で判定を始める。というのは、ある程度年数を重ねて鍛錬してきたものは緊張にも慣れてある程度『こなせる』ようになってくる。ところが、初階の心持は慣れのない中で、進路を見失わないでものごとをできるかどうかが大きく勝敗を分ける。審判かけだしの私でも審判は審判で、人の人生に関わっているに違いない。海開きといったのは、その浅瀬に足を踏み入れたようにその競技者の中に入っていく私は、その沖はどうなるのか、つまりこの先はどうなるのだろうかということが気がかりになってならない。それは、判定のあと、大会の後、予選の後だったりの話になってしまうことなのではあるが、一番の楽しみになる階級である。宮城のこの連中はとくにそうだろうと思う。初階女子の一人に大きな変化を感じたことがあって私自身ヒントにもなり、手本にもなった。先が細く、ひょろっとしているのに鋭い芯がはいったな、と思えた。 中階は、『勢い』と『無難』の戦いになる。無難に戦い、その選手が勝てば「あー」というリアクション。勢いが有効技を放てば「おー」となる。私の目で無難と思うことがあっても本人は一生懸命なのだろう。しかし、それを判定するのは我々だ。周囲が覇気を感じなければそれまでだ。つまり、選手は初心に帰る気持ちを思い出す年代でもあると思うのだ。 上階になると一般を意識するもの、自分はまだ中学一年生だからと体格差に脅える選手など一様ではない。そんな思い込みは個人の自由であって、異性を気にする時期に自分の好きな子を意地をはって守れるのかおまえは!!と言いたい。思春期の不安定さの中でこそみいだせることがあるし、本当の挫折や憎しみを持つこともできる。問題は時間が流れても、なお、まだそうなのかどうか、だと私は思う。 個人的に載せてほしい写真があれば、メールをください。返信しアドレスを送ります。そうしたら画像を添付してください。コメントも受け付けます。渡波だけでなく、どこの協会のかたでもいいです。大会の写真がないのですー。
2006年03月05日
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