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桜の開花 今年の桜開花予報は3月21日だったしかるに今日はもう29日、 寒い !!花見の気分ではない ・・・・ しかし、週末も終わってしまった昨日まで用事が詰まっていたので日曜夕方探索に出かけた 8階の我が家から川筋の開花は見えないが少し往くとちらほらでもこれはソメイヨシノではない これも違うようだ あったあった、今まで寒くって身を縮めていて、明日から温かくなり一気に登りつめ、次のウィークエンドは終わりではなかろうかと心配この寒空に花見の人が居る、根性あるなあ ところが歩を進めると結構咲いている個体もある桜にも慌ても者は居ると見える 夕刻の探索とてすぐに夕闇がせまり、結構白さが浮き立つ まあいずれにしてもこれからだ。今日あたり東京で桜を愛で、4月1日からは桜の名所(?)釜山に花見に行くことにしていた。あちらは正確にはソメイヨシノではないらしい楽しみにして出かけることとする。
2009.03.29
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遊歩道脇の展示品 先の散歩をしていると小さな児童遊園地がありそこに石の標本がいくつか隣に区立科学館がありその活動の一環なのか表示板なども設置されている まづ目に付いたのがさざれ石(細石)、君が代に歌われているあれである野菜の掻き揚げみたいなこの石意外に硬い。 そしておなじみ東尋望などに見られる六角柱状節理をなす安山岩このようにカットして磨いたもの、また小さいものは東尋望大きなものはアイルランドに見られる亀の甲状のタイルを敷き詰めたような岩床を作る 次は蛇紋岩、文字通り磨いた面には蛇のうろこ模様が見える 次は三波石、埼玉と群馬の県堺にある神流川の支流三波川に由来する名前である。またその次は神戸の御影の地名に由来する御影石 三波川と御影は日本列島の中央構造線付近に位置いている両者は断層と関係が有るのかもしれない。何の専門知識もない者の憶測こんなことを思いついたのもそこの掲示板に日本列島の中央構造線と糸魚川・静岡構造帯(フォッサマグナ)が書かれていたからである これらは下の図(Wikipediaより)で赤い線の中央構造線と青で囲まれたフォッサマグナである。裕次郎の映画「黒部の太陽」で有名な破砕帯フォッサマグナで帯状であるが中央構造線は線状になっている我々がこの掲示板に見入っている時小学生を連れたサイクリングの親子連れがやって来た。お父さんが坊やに教え始めたので我々も聞き入った。以下その要旨と帰宅後Wikipediaで調査したものこれら二つの構造線は日本で最初の地質学教授ナウマンによって発見命名された。ナウマン象化石の発見者である。フォッサマグナを境に日本列島は曲がっている。衛星写真を見ると中央構造線は熊本から始まって国東半島、伊予から吉野川流域、紀伊・松阪、渥美半島・東海、天竜から南アルプス西側北上して諏訪湖にいたる線がはっきりと認識できる。中央構造線(赤線) の北側は領家変成帯で花崗岩(御影石)などが多い南側は三波川変成帯で前記三波石などが見られる。中央構造線が露出している場所ではこれらの岩石が産出されておかしくない。どうやら私の推理は間違いではないらしい。先のお父さんの話によるとこの構造線を境に昆虫や小動物の生態に違いが見られ、どちらかが亜種として分類されるらしい(カマキリと蛙が例として話されていた)。 後半の話には息子は飽き飽きして上の空代わって老人二人が熱心な生徒であった こんな事を考えてしまったのは三波石と徳島吉野川流域の阿波青石の類似性からである。吾が故郷では後者は阿波特産石として建材に多用されている。一方何度か訪れた三波石峡では天然記念物として採石が禁止されている。両方をよく知る私には同じものにしか見えないまた何度か訪れた神戸六甲山や高松屋島台地の御影石が思い出されたなぜこんなことにこだわったかと言うと、私が生まれ育った四国の片田舎の場所はこの中央構造線の真上に位置していたのである 目的のない散歩がとんだことに発展して後始末に散歩よりもはるかに長い時間を要してしまったが、おかげで一つ賢くなった気がしている
2009.03.18
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散歩途中の寺昨日のブログで昔の小川を暗渠にした遊歩道の散歩を記したその遊歩道をたどってゆくと妙生寺公園という小さな公園に着いたそこには池があってかって小川はここに流れ込んでいたらしい公園の隣には妙生寺という寺があった。公園の名はこの寺に由来するなかなか格式のある寺と思えたので寺門の縁起書を読むと日蓮宗の寺徳川家光の鷹狩に尽くし、御朱印寺たなり三つ葉葵の紋所を許されている本堂前には左右に一対の見事なしだれ桜の大木がある桜の季節にまた訪れその写真を撮ることにしよう上の写真の瀟洒な横門を出て観泉寺という寺に向かう環状八号線をクロスして杉並区今川町に入る左右に長い土塀を巡らした広い寺域である。どうも都市計画により寺域が2分され道路が引かれたことが明白である 右には神仏混合時代の名残の小さなミニ社が二つ、そして観音堂馬頭観音、弓矢と農具をもち祈りを捧げる像の下に見ざる聞かざる話さざるの三匹 を描いた石仏。これは土着の農民信仰を表すものであろう 左側には今川家累代墓の石碑が見える山門を越えると白梅を配した立派な鐘楼がある正面には立派な本堂が見える 本堂前を左に曲がると石塀で囲まれた一角があり、今川家墓所の立て札ここはあの信長に桶狭間でまさかの不覚を取った駿府今川藩の墓所戦国の武将一族の墓所としては質素なものだがやはり戦は勝たなければならないのだ。観泉寺は義元を継いだ氏真を開基とする禅宗菩提寺であるがいつ訪れても薄暗く苔むして哀れを催す風情である 家康が幼少時今川家の人質として暮らしていた。待遇は悪くなかったのであろうそんなよしみで徳川幕府は今川家を武蔵野のこの地に封じて幕府官職を与えた。この地の町名は今も杉並区今川である。
2009.03.16
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近隣散歩中の花あっという間に今年も3月中旬9日からの週は台風並みの春嵐もあり、ほとんど雨または陰気な曇天続き15日日曜日久しぶりの快晴ぽかぽか日和こんな日は散歩に出たいが人ごみは嫌、公園も家族ずれに譲りたいそんな訳で東京に多い住宅地の昔の小川を暗渠にして並木の遊歩道にしたほとんど人の居ないところへ春を見つけに出かけてみた 街中の梅はもうほとんど終わりかけ、でもカメラを枝先に向けるとまだ立派な枝が空に溶け込んでいる 一方ソメイヨシノは蕾をかなり膨らませて予報通りあと一週間で開花だろう寒緋桜や下の桜(熱海桜/河津桜?)は今が真っ盛り個人的にはソメイヨシノよりは背景が透けて見えるこちらが好きである 春と言えば桜ばかりではない。節々で三又しているミツマタも素晴らしい和紙の原料として余りにも有名であるが色、匂い、形ともに良い 下はサンシュウ、本名は「春の黄金花」、えらい名前を貰ったものだ漢字を調べると「三茱?」なんとも難しい名前「庭の三茱の木、鳴るすず懸けて、すずの鳴る時や、出ておじゃれーー」忍ぶ合瀬の恋の合図としてこの花が鈴をカムフラージュしてくれるだろう これはマンサク、漢字で書くと金縷梅これまた難しい。でも花びらが縮れているいる糸に見えなくもない。もうそろそろ終わりだ確か早春の季語でもある 帰り道入り組んだ住宅街の一隅に花屋のようなコーナーが有った近づいて見ても値札が無い。ややあって花鉢を下げたおじさんが帰ってきた「いやーまた今日も買っちゃいました」写真の左に車一台、そしてその左はまた花鉢置き場。鉢台の下やあちこちに花の無い鉢が有る無節操と言えば無節操だが外え出ると花を買ってしまうらしい政府給付金は間違いなく花に化けるだろうこれなら一向にさもしくなんか無い
2009.03.15
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川崎大師 鶴見の総持寺を訪ねた後折角ここまで来たので同じ京浜急行沿線の川崎大師を参拝することにした。ここは初詣で常に全国ベストスリーに入る寺社なので不謹慎だが一度は見ておきたいと思っていたのである大師前駅からすぐ参道門前町通りが始まる。達磨屋と葛餅屋がやけに多い禅僧達磨大師が座禅を続けたことから足の無い達磨人形が始まったと言うのが私のうろ覚えであるが弘法大師を祭るこの寺になぜ達磨なのかはては一年中初詣なのか 山門に下がる大提灯は浅草寺のそれに似ている。そこで広重の浮世絵のようなアングルで大本堂を望む 当の本堂は規模は大きいが特に変わった特徴も無い だがモダンな室内の信徒会館には大きなステンドグラスがあり、これはお釈迦様の涅槃図だそうである。要するに難行修行の後悟りを開き難行のうちには女性の誘惑に打ち勝つ場面場面などもあり瞑想に耽る釈迦尊の周りにエロチックな姿態の女性像も見えるキリスト教教会の壁画ややヒンヅー教寺院のレリーフによく見られるモチーフである。仏教寺院の新しい運動になり得るのか興味が持たれる信徒会館の裏に回ると開山880年の記念で昨年11月1日に建立したばかりの薬師堂がある。インドの寺院を彷彿とさせる佇まいである そして振り返ると八角五重塔これもまだ新しく1984年建立のもの構造的に見ても素晴らしい出来栄えの寺院建築である 最後に薬師堂近くの鶴の池に寄った。小さいながらも釈迦像を拝し池畔には3匹の鶴の彫像が生き生きと見える。 そして目を少しく左に転じると小島の上に甲羅干しする8匹の亀の彫像鶴亀像の絶妙な配置に感心してじっと見つめていると一番右上の一匹が頭をかすかに動かしたとわが相棒が言うのだ信じられないがまた二人でじっと見つめていると何分かあって今度は右から3番目の亀の首が2-5度右回転した首を上に伸ばしきった亀もあり、一番上の亀など左後足と右前足は宙に浮いたままで頭をもたげている。短い時間でもこんな姿勢は難しいだろう5分以上は二人で観察したが動きは上記のものだけであった。 思い思いの姿勢で瞑想に耽っていたのであろう 今日その話を知人に電話で話したところ、彼女の話に驚いた彼女は2度ほどこの池に行ったらしいが、亀たちは甲羅干しの場所取りで熾烈な争いをしており、重なっては崩され、果てしなくその繰り返しだったそうである。その話で何だか今のパレスチナを思い出した。願わくばかの地にも私が見たような平和な世界が一日も早く訪れてほしいものである
2009.03.05
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総持寺・墓石総持寺本堂脇の回廊に回ってみると境内に広がる広大な墓苑が望まれたその中に木立に囲まれてひときわ高く聳える墓とも思えぬ石碑が望めるこの日墓地散策の予定は無かったが、そこは二匹の野次馬 足を向けない訳は無い。墓碑銘「天下無敵日比野雷風居士墓」とある残念ながら私の記憶には無い名前。帰宅後Wikipediaに聞くと明治の人、明治22年神刀流を開祖、この時代武闘術と言うよりは武闘芸と言うべきか。精神性の強い抜刀術・剣舞で一座を率いていた精神性を買われ東郷平八郎により軍部に取り入れられたそうであるこうして意図しない事ながら墓地を歩くことになったこの途中「裕ちゃんの墓」の案内札が時々目に入ったどこの裕ちゃんかと矢印に従うと有ったのは下の墓節分も過ぎこの日は桃の節句、彼岸にも早くどの墓にも供花・香は無いしかしここだけは別、高価な蘭や町の花屋では上段に置かれている花で満ち溢れ、線香台でも煙が立っている。ひときわ大きな墓所の字を見て理解できた。彼も生きてればもう70才位だろうしたがってファン層もそれに近いお金と暇に満ちたご婦人層なのだろう 脇には北原三枝の銘文「美しきものにほほえみ 淋しきものに優しさを たくましきものにさらに力を すばらしき友に思い出を 愛するものに永遠を 心の夢覚めることなく」 石原まき子 とある彼女は演技ではなく真の幸せがあったのだ嬉しくなる立ち入って卒塔婆を見ると戒名は「陽光院天真寛裕大居士」とある晩年の警察署長の印象よりは、太陽の季節、青い果実などごく初期の裕次郎を彷彿とさせる院号の付く戒名である 裕ちゃんの隣にはどう言う家にやあら、2メートル以上も有らんかと思われる東南アジアのパゴダ風の大きな墓石 さらに裕次郎の墓への往帰路多くの伝統的位牌型墓石に混じって変わり型もあった。2,3を示すと、下は何だかトーチカかカマクラを思わせるそして球体をモチーフにした格式あるもの忙中閑話 唐突で総持寺には関係ないが下のは私の生前墓でコンセプトは球/円である。どちらからでも同形同大、完全性の具象、そして平和の和、同和の和、和合の和親和の和、調和の和、温和の和、無限の和をこめて「和」花生け前面の紋も自作紋で紐で大きな輪を作りこれを折り重ねてできる紋様である。したがって一筆書きでき、数学的にも位相学の対象となるまた墓の周りの小石の中には過去何十年に亘って内外の旅行先から拾って帰った小石が沢山混じっており、中には貴重な化石なども混じっているあの世でもこれらを通して旅の思い出を語ろうとの気持ちを表している さて話を総持寺の墓域に戻すとカタカナと創作紋らしき墓石があった初めて目にした気がする 再び忙中閑話 これまた総持寺とは関係ないが埼玉県羽生市の寺に下の平仮名ばかり書かれた清水卯三郎の墓(志は変体かなの”し”)である 実は私はここ数年この人物の研究をしている。幕末の生麦事件に端する薩摩・英国戦争に巻き込まれ、大久保利通の依頼で和平交渉を行ったり第5回パリ万国博に幕府・薩摩とともに個人で出展、3人の芸者を伴い日本館では緋モウセンにて茶を立て振舞った日本婦人初めての渡欧、着物姿、茶道などパリっ子の度肝を抜いた人物こそこの人。かれはまた日本は漢字を廃し、仮名書き口語体を持って行うべしというのが持論。平仮名大和言葉で科学書まで翻訳しているしたがってこの墓碑も自筆仮名書きという次第
2009.03.05
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総持寺 2 総持寺境内では思いもよらず寒緋桜の花盛り尾長鳥がサラダ感覚で赤い花びらをついばんでいるそしてなんともうコブシが開花している、これが咲くと普通はすぐ染井吉野でもまだ春の桜は早い気がする。ここは特別暖かいのか そしてこれは花は咲かないがなんと豊穣を暗示する大樹ではないか禅寺特有の長い渡り廊下、空もまだ明けやらぬ早朝雲水達が体を温めるためにも必死で磨き上げピカピカにこの廊下横断路から正面脇門を見ると明るく春の息吹き ズームすると来訪僧か帰院僧か白足袋の僧を迎える作務衣の雲水が緋寒桜と白梅の正面参道を両手に白足袋僧の荷を持ち迎え入れている 禅寺の典型的な景色であるその極めつけは下の光景、これも修行の一つとて迷惑してはいけないかなりのズーム度での絵であるが「新到安下処」とある総門脇の小屋 雲水志願の修行僧達が全国から掛け参じ修行願いを行っている自分の番が来るまで荷物を持ち不動の姿勢で待っている先日見た映画「禅」でもこの光景があったが、映画では帰れ帰れと言われそこをまた無言で立ち続けるのであった。門の脇、小屋裏に来ると中の様子が伺い知れた一人一人土間に入ると何か次々と問いかけられているそれが終わると部屋に招じ入れられ長々と問答が続く諮問僧の言葉は聞き取れないが修行僧は応援団長のような大きな声で「ハイ」と答えて誓いを立てているこの日は晴れているとは言え寒風吹く寒い一日であった
2009.03.03
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曹洞宗本山・総持寺先週はほとんど寒い雨・曇り模様、予報によると今週も月曜を除いて曇り・雨・雪の予報。月曜も寒い風が吹き付けているが思い切って遠出する目指すは鶴見の総持寺、曹洞宗の本山である。元々能登にあったこの寺、明治後年鶴見に引っ越してきたもの永平寺と本家争い徳川家康の裁定で両方とも総本山をなったと言う決まらない話だが、先年永平寺は参詣したので鶴見は如何にと前から気になっていた地下鉄大江戸線・京浜急行を乗り継いであっけなく鶴見駅へ寺は指呼の距離本来正参道から参るべきだが目視で足が向いたのはどうも裏道だった特別な日以外は開かない勅使門。菊の紋が許された御醍醐天皇ゆかりの寺である。 勅使門の前庭には思いがけず寒緋桜の花盛りである 寺の本堂とも言える大祖堂は大規模である。木造建築であれば大変な規模であるがそこはまだ100年程の寺、鉄筋造り、屋根も緑青にしては色が白っぽいが? 正面屋根の鬼瓦もなんとなくひょうきんな雰囲気横に回ってみると見事な破風飾りと正面同じ破風瓦が美しい受付所や寺務所のある香積館の破風瓦は柔和な顔をして笑っていた この寺では一番古く、かつ開祖や前田候が奉られている仏殿は木造の大伽藍である。 庇を支える木組みが見事に見て取れる その破風飾りはいたって簡素で破風瓦も大きなものではあるが特に威圧的なものではない 少し離れて建っている鐘楼には大きな鐘が低く吊るしてあり鐘の真下に立つことが出来る。指で量ってみると10センチ位の厚みであるこんな大きな鐘に触ったのは始めてである。拳で叩いてみたがマンションの壁を叩くのと大差が無かった。まだ先の話だが来年のNHK除夜の鐘が楽しみになった。
2009.03.03
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