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湖東三山・西明寺いよいよ今回の旅行の主目的湖東三山の紅葉見物である近江鉄道のフリー切符を手にして尼子駅に急ぐ、近江鉄道は西武鉄道の子会社らしく、車両も西武のマークを付けたままの黄色い車体である内部には所沢車掌区などの字がそのままだと駅員は教えてくれた我が家の前を走り日常的に利用しているので違和感は全くない老朽車両が子会社に天下ったのである。車両を人間に置き換えると良くある構図、ちなみにこの辺りのバスも遊覧船も西武ライオンズの三本線とレオマークを付けたものばかりである 余談はさておき最初の訪問寺は西明寺、入口近くのうっそうとした木立からの木漏れ日が一枝のモミジをライトアップして期待感を膨らませる 山門をくぐる参道はモミジの海、ころ合いも良く赤、黄、緑と美しい モミジの下は一面の地苔、幹に這い上がろうとする苔、そして苔むした石垣 こんな美しい光景に合うと言葉を失い、かえって無の境地になれる しかし、そこにはちらちらする誘惑の紅色が揺れる 頭を震わせて誘惑を払しょくし、また木元の苔を睨む 苔にもいろいろな種類が有り、ついそのやわ肌に触れてみたくなるが石搭や地味な木花に我を取り戻す そして苔を頭に頂いた老僧とあどけなく美しい幼女の親しげな姿に心落ち着く 薬師如来(重文)を安置した本堂もこの時期は朱に染まっていた 裏には名勝「蓬莱庭」が有り、銘石に抱きつくような数種の苔そして石群に寄り添うモミジ葉、寺はかって庶民に贅を尽くして美意識を刷り込む場所でもあったのだろう やや感傷的な訪問記になってしまった。柄にもないことである。反省 !
2009.11.30
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彦根城彦根城天守の下、西の丸広場は紅葉まっ盛り、人も少なく落ち着いていられるそこから下ると内堀に映る樹影が落ち着いていて精神安定剤効果抜群空のグラデーション色が効果を強める 掘の外側に先ほど天守から覗いた大名庭園の玄宮園があるこの庭園はもと藩の下屋敷で欅御殿と呼ばれ井伊直弼生誕の地でもある今は建物部分を楽々園、庭園部を玄宮園と称している中国の宮廷に付属の庭園を「玄宮」と云ったことからの命名だそうだ数寄屋造りの「八景亭」が各所に、そして池中の島々を結ぶ橋などで構成され、近江八景を取り入れた作庭らしいが、ここに舟を浮かべての宴は優雅なものだろう 池の水は豊かな外掘りの湧水をサイフォンの原理で導水し小島の岩間から滝に見立てて落としていたということであるこの光景を見落としてしまったのは残念である。もうすぐ閉園ですのアナウンスが聞こえゆっくり鑑賞できなかったのが残念である再訪の折にはこの数寄屋亭でゆっくり茶一服など頂きたいものである タクシー乗り場へと堀端を急ぐ途中に井伊直弼公の銅像が有り戦乱の世を通り越し外交の時代に生きた直弼の像は甲冑姿ではなく衣冠束帯姿である 隣には「不断桜」が満開、この桜、電子辞書によると10月から4月まで咲き続けると云う。本当だろうか 彦根駅前には井伊直政の像、こちらは兜に巨大な前立てを付けた勇猛な甲冑騎馬像である。直政は家康の重臣で関ヶ原で武勲をたて井伊家を確立し、彦根の石田三成の居城佐和山城を貰ったが次の代で城は現在地に移転している その佐和山、高架駅の前窓から視呼の距離である。山上が平らな独立峰で防御中心の山城には適しているが発展性はない。平時には防衛よりも商業中心の町造りが重要になる、琵琶湖の水運を利用したり街の拡大を考える時平地城が良いことは明らかであるそれにしても三成の城がこんな処に有ったとは知らなかった この旅の帰路彦根から米原に移動するとき安土城跡を車中から見たが信長、秀吉、三成の築いた城がこんな狭い地域に有ったとは驚きであった
2009.11.29
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彦根・竹生島そろそろ関西の紅葉も良かろうと25-27日琵琶湖西岸の近江路を訪ねた25日の天気予報は雨、彦根の街中でゆっくりしようと朝遅く東京を発ったところが名古屋あたりから雲が去り、関ヶ原を超えると晴れてきた急げば竹生島遊覧船に間に合いそうなので彦根駅からタクシーで港へ10名くらいの西国札所周りの巡礼団と4,5名の客を乗せ静かな船出出航間もなくカメラを取り出しズームしてみると彦根城がまじかに見える鈴鹿の峰を背になかなかの雄姿である。天守閣の手前に西の丸の三重櫓 やや北方を見ると伊吹山、豊かな植生で有名だがこちら側から見るとセメント用に採掘された石灰岩のむき出しの山肌が無残であるもう少し山容を残す採掘法が有ると思われるが残念である 約40分で湖北に位置する小さな島竹生島に着く、そこにはいくつかの国宝や文化財を蔵する宝厳寺と都久夫須麻神社が見える。これが島の全てである本来神仏一体時代は一つのものだったのだろう、様式にしても境内にしてもどっちがどっちか良く分からない。 豊臣秀次により伏見城から移された国宝の神社本殿、赤い幕には菊の紋章が、そして屋根の上部には中央に菊紋、両脇には豊臣を表わす五七の桐紋があしらわれている 下の写真の国宝神社唐門と社殿をつなぐ舟廊下もまた重要文化財指定これらの社寺は古来都からの参詣者を集めたらしく、私は全く無知であるが辞典によると「竹生島物」と総称される琵琶曲、能・狂言、歌舞伎、義太夫浄瑠璃、河東節、長唄、地歌、箏曲、常磐津節と日本の古典芸能の全ジャンルに題材として登場するらしい。無知な私はここを訪れてもこれらの芸能作品から沸き起こる感慨を催さないのが残念である 竹生島から帰り港近くの宿に荷を預けて湖から望見した彦根城へと移動重厚な石積みの門から入って最初の大きな建物は天秤櫓中央入口が支点で両側に分銅皿と資料皿を備えた天秤型である 左側の櫓だけを見ても立派な佇まいである櫓の内部公開中とあったので覗いてみた。住居ではないので荒削りではあるが長い大広間なのには驚いた。屋根裏への通路にはこんな旗が多分これは城主井伊家が戦時に使う井型ののぼり旗であろう西の丸から天守を見上げるとさすが国宝、実に端正な姿である竹の矢来塀も美しい造形である 天守から隣の庭園玄宮園の全景が望める。この大名庭園は近江八景を模して造られた由であるがこの時期紅葉の最盛期である
2009.11.29
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続 豪農の館 博物館と同じ敷地内にまるで城壁の様な塀で囲まれた広場が有り野外舞台やカフェ、レストランなどが有る。待ち客が多く残念ながらレストランでのランチは諦めパンのブッフェで簡単な昼食をとる。越後平野の広い農地の中に忽然と近代的設備が有り、裏の駐車場には団体バスが止まっている。我々のように路線バスで来る人は少なく殆どがマイカーや団体バスの客であった昼食後また豪農博物館に戻る。三楽亭という妙な茶室が有った柱、建具、畳など殆どが三角形、菱形、台形からなる小さな建物である こんな茶室に招じられてお茶を頂く時の心はどんなものであろうか左側の鉢植えの影は硝子戸の反射像であるが雰囲気が良いんであえてこの画像を選んで載せておくことにする ここの当主は三角形のファンらしく敷地内の電話ボックスも三角形 近在の古民家も一軒移築されていて大八車の車輪と荷台が見事な外壁の文様を描き出している。柿の木には赤い実が欲しかった この民族館を出て二,三分で阿賀野川堤防上のバス停に出ると激しい風と時雨に見舞われた。ふと堤の下に目をやると民族館の屋根の手前の光景は寂しくはあるが豊かな光景であった そして堤の片側は当然ながら阿賀野川。バス停シェルターに居合わせた土地の古老は目前の河川敷きの五〇年前の様子、民俗館の旧大地主が土地の人を大切にしたことなど語ってくれた戦前、子供達にお菓子を配ってくれたことや大きな旅立ちには地元の人々が見送った思い出など、バスの車中かなり難解な訛り言葉での語りに送られて新幹線に乗って薄暮の新潟を後にした
2009.11.24
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北方文化博物館ー豪農の館今回の新潟旅行最後の日、市郊外にあるかっての豪農伊藤家邸が公開されている博物館に出かけた。バスで40分ばかりゆくとその家は阿賀野川沿いの農村集落にあった。見学者は脇玄関から入るが大きな車(駕籠)寄せに続く板間は畳2畳くらいのケヤキの一枚板 襖で7部屋に仕切れる大広間は畳100畳敷きの広さ、廊下は部屋全体に わたって繋がっており、これらを繋げての宴会は壮観だろう 材木の一本一本や視界を遮らぬよう柱のない吊なげしなどの解説を聞く 今ならさしずめ大きな一枚ガラスだろうが庭全体を見通す硝子戸 春秋その庭園見物は下のように赤もうせんでも敷いて楽しんだのであろう 良く見るとわたり石に粉ひき臼も用いられていて農家の庭らしい風情 部屋中の客人にはこんな風に目に映る 2階の資料展示室には越後の遺跡に多く見られる火焔型土器が飾られていた いつか機会が有れば触れたいと思っているがこれらの土器は実際に 煮炊きに使われていた証拠が有り、必ずしも祭祀用とは限らないようである
2009.11.23
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春日山林泉寺春日山神社からすっかり落葉して赤い実のみの柿の木など見ながら10分余りの散策で長尾・上杉の菩提寺、苔むした雨上がりの参道が美しい 先年訪れたが上杉家の米沢への移封によりこの春日山林泉寺も米沢に移されたがここは謙信が上杉を名乗る以前から長尾家の菩提寺であり謙信も幼少の頃ここに預けられ厳しく教育されこの時の学びが彼の仏への信仰を深めたと云われている 例によって本尊の脇には謙信公の像が安置されている 上杉移封後は跡を継いだ堀家の菩提寺となっている下の謙信公の墓や川中島合戦の死者供養塔などが苔むした墓地にある ビロードを敷き詰めたような柔らかな緑地に散らばった落ち葉は上を向いたり下を向いたり体を折り曲げていたりと戦の後の風情 堀家三代の墓も質素な石碑が柔らかな土塁の中にあり好もしい 上杉や直江、掘などのゆかりの品を収めた宝物館の前は禅寺らしい質素な石庭が有り、良く見ると瓦や灯篭石のかけら等を巧みに配したもの 謙信によって寄進された山門には「第一義」の額が掲げられている謙信はこの寺で学んだこの奥義を自ら揮ごうしてここに掲げた山門は江戸時代の地震によって焼失、大正時代に再建されたものである この山門に立ち春日山城から移築された総門を見据える光景は風雅である春日山城がその姿を残さない今、往時を偲ばせる只一つの門である
2009.11.23
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春日山神社・城址今回の「大人の休日切符」旅行は新潟駅前のホテルに泊まり弥彦・春日山を目指した。この日は週末だけ運行しているシャトルバス「天地人号」の一日券で謙信の居城春日山城跡を訪れることであった謙信公像の近くでバスを降り横の階段を昇って春日山神社へ境内は紅葉の落ち葉敷く静かな雰囲気、そういえばNHKのドラマ「天地人」も今日が最終回、御当地ブームもそろそろ終焉なのだろう この神社は上杉謙信を祭神としている。我が国は武将でも軍人でも手柄さえ立てれば簡単に神様になれる安易な国である。東郷神社、乃木神社、加藤(清正)神社など数えればきりがないこのことから考えると領民を大切にした上杉謙信が神様に叙せられるのは納得のゆく話。祭壇横にはご存じ謙信の像が安置されている 境内には地元出身で明治・大正期の童話作家小川未明の歌碑「雲の如く 高く くものごとく かがやき 雲のごとく とらわれず」が苔むしている。謙信の心境を歌ったものであろう歌碑はこの位古びてこないと有難味がない。ただもう少し輪郭が崩れないと「雲のごとく とらわれず」が空々しい 歌碑の横に丁度腰かけになるような高さにイチョウの木の切り株が有りそこからイチョウの葉が、イチョウは生きた化石と言われており太古の植物である。昔からイチョウエキスは物忘れ防止の薬であるこのイチョウ葉と紅葉の落ち葉に老人と若者を見、大いに感慨にふけるここに腰をかけてみたかったが小雨模様の湿りがそれを許さなかった ぬかるんだ登山道ではあるが紅葉の落ち葉が敷き詰められ快適な散歩道途中下の方を見ると謙信や直江兼続が毎日目にしたであろう直江津の市街 連山の頂上ではないが尾根筋の城跡にこのような井戸があり水をたたえていた10メートルくらい下の鞍部には大井戸も残っている。山城の立地には必須条件 小高い山の頂上の本丸・天守台跡には記念碑と謙信の心境に浸るベンチ 天守台下にはドラマでお馴染み出陣前に謙信が籠ったと伝えられる毘沙門堂現在のものはもちろん近年の造営、昔はもっと大きかっただろう 格子戸から中をのぞくと御存じ謙信公が崇めた毘沙門天の像 像は上杉景勝が会津・米沢へと移したが、後年高村光雲によって修理された その際源像の欠け損じをお腹に入れて副像を造った それが贈られていまこの祠堂に祀られている 毘沙門堂とは小さな庭を介して直江兼続の屋敷跡がある 若き家老の直江兼続が毘沙門堂のすぐ近くに居を構えたということは 異例であろう。ドラマで景勝と兼続の関係が特別なことが描かれており 不可解の念を持っていたが、なるほどこれなら納得である
2009.11.22
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弥彦の街歩き 弥彦の街も見収めだが神社から道草しながら駅に至る光景を拾ってみた順序は逆だが弥彦駅のこの改札口懐かしいですこの木枠の中にに駅員さんが立って暇な時には改札鋏をリズミカルにかちゃかちゃと鳴らしていた光景が懐かしい。しかしこの駅そんなに古臭いかと云うとそうではなく、絵の真ん中に券売機も見えるし、実際電子改札が別に設置されていた。 公園の端には京都の疎水運河を思わせるような流れに紅葉が 民家の庭には桜と紅葉が対に植えられている この町のシンボルツリーともいえる民家のイチョウ、町の写真では必ず見る あまり日本的ではないが古い旅館には真っ赤なアイビーも似合う道端には多分(ほぼ間違いなく)真弓と思われる赤い実が。果実包が裂けて中の実が見え、まるで花の様である。昔この木で弓を造ったのでこの名が どこかで散見した今を盛りのもみじの木 脇道に入り小さな祠に近ずくと巨大な枯れ木の幹、すくっと天を指す桧、吹き雑な枝別れのケヤキの巨木が並び立っていた 太さの基準に立ってもらったこの人もあと一週間も待たずに古来稀な齢に達するが、枝を切り落とされながら風雪に耐えたこの樹神とは比較すべきもない そしてこの町を離れるべく至った弥彦駅前にはもうほとんど役目を終え残り少ない桜葉が行く秋を惜しんでいた
2009.11.21
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弥彦山・神社紅葉はもう終わっているとはいえ弥彦町が弥彦町であるゆえんの越後一の宮弥彦神社と弥彦山に御挨拶しておかなければならない鳥居からは社殿は望めずうっそうとした森である 鳥居脇から横に目をやると小さな流れに小さな屋根つきの太鼓橋が見える浮世絵に見るような大きく曲がった太鼓は人が渡るには無理があるやはり神様のお身渡り用の神橋なのであろう 参道は途中で90°曲がり本殿社山門から見ると弥彦の山を従えての威容 丁度秋の菊祭りの最中で数限りない見事な菊花が飾られていたそのほとんどは一株一鉢のもので、最近はこの世界にも遺伝子操作が有るのだろう、見たことのない花びらの菊も散見した。 これも一株からの花で300以上の花がタイルを並べたように整然としている 社殿脇からロープウエイ乗り場へのシャトルバスが出ていた越後平野が海に尽きるところに湧き出たような弥彦の山である刈り取られた稲田が微妙な色模様のモザイックである 638Mの山頂は紅葉もすっかり落葉し、間もなく真っ白になる直前の装い天文望遠鏡には理想的は山容である 展望台からは近くの海は見えない、そこで展望室が天辺まで登る塔がある強風の中今にも倒れそうなので(? 本当は高いので(高さ/お金))パス写真を見ると雲がきれいで宇宙飛行みたいではなかったかと一寸後悔 展望台の望遠鏡の向うの肉眼で山並みがはっきり見えるのは佐渡が島 ズームで撮ったのが下の写真、古びた掛け軸の日本画に見える
2009.11.20
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続 もみじ谷もみじ谷公園はスケールが小さく谷筋は10分も歩くと尽きてしまい谷上の出口(入口)トンネルとなるので何度か谷を上ったり下ったりそこでトンネル入り口からもみじ谷にアプローチする光景を再現すると下の4枚の写真になる。常にターゲットは同じ紅葉の木である トンネル出口を出てこの移動景色に好感を持ち引き返したのは正解であった こうして谷を下ってみると同じ樹群が違った景色に見えてくる 上から見たり下から見たり、ときには全体像を、ときには部分像を見る必要がある そんな訳で谷下りの景色が続く、それにしても観月橋は人いきれがする ちょうど雨上がり舗装歩道には人が溢れているが谷川沿いの ぬかるんだ歩道には人がほとんどいない。靴の汚れは洗えばいい 樹下から見上げる光に透かして見える紅い葉は一段と美しかった
2009.11.19
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もみじ谷公園 人生の晩秋期にある人の晩秋は忙しい先々週は日光に遊んだが先週は知人のリサイタルが有ったり 97歳の義母のご機嫌伺などあり動きが取れなかった 週後半遅れたかなと心配しながら新潟の弥彦へと出かけた JR三日間乗り放題1万2千円の最終期間である 長岡で新幹線から乗り換え弥彦駅に着くと駅隣りは「もみじ谷公園」 公園に踏み入れた途端、亀の甲羅干している池畔に真っ赤な紅葉が 心配した通り盛りを4,5日過ぎてはいたがそれだけに紅は濃い 公園の中心、観月橋からは全体が俯瞰できるが見る位置が高いと どうしても枝先の落葉が気になる 上から見ると上部は落葉、中部は盛り、下部はまだ少し緑が見える 山の端を見上げると葉を落とした常緑樹の低地ながらの高山風情 歩道わきを見ると桜樹やつつじも並んでおりそれぞれの季節を彩るのだろう 紅には引き立て役としての緑が必要なことが良く分かる 小屋の屋根の苔と紅い落ち葉が赤枝を引き立てている 駅前の小さな渓谷にぎっしりと植えられたもみじの公園 余りに赤すぎてちょっと物足りないのは贅沢というものだろうか
2009.11.17
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日光画像落ち葉拾い日光旅行記の最後に文字どうり落ち葉拾い紅葉見物に出かけるとどうしても抑えられないのが落ち葉撮影、悪い癖である 桜葉の紅葉落葉樫の葉や可哀そうに赤く染まらない黄葉モミジ街路樹に多用される唐楓もここどまり 枯葉の脇には夏場地味で目立たなかったコケや笹が 軒下にははっとするような細葉モミジの深紅 駅前には東照宮参道の名残り「日光杉並木」 民家の鉢植えには茄子の木にトマトの様な実がなっている ホテルのエントランス程よい色づきのモミジが活けられているかなりの大枝であるが人目に触れぬ山からのものだろう傍らにはアポロンとダフネの像、アポロンの求愛を避けたがついに捕まえられそうになった時、月桂樹に変身してしまったこの像ではダフネの手足はもう月桂樹の葉になっているアポロンは恋人の変身したこの木を聖木とし、勝利者への冠をその枝で作ることにした(月桂冠、 お酒ではありませんぞ)のだそうだ。ノーベル賞受賞者を英語でNobe LaureatePoet Laureate(桂冠詩人)などもこの類でワーズワースが有名 神橋近く金谷ホテル入口にあるお土産屋さん軒下に木彫飾りのある古い建物で私が知っているここ数十年変わらない さてさて文字どうり雑文・雑絵、本来独り言に留めておくべき事項であるが、何分本ブログのタイトルが「つれずれ日記」である乞御容赦
2009.11.05
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中禅寺湖遊覧 続中禅寺湖遊覧の終盤湖東部にかかると所々瀟洒な建物がある下のものは旧イタリア大使館別荘を栃木県が買収して大使館記念公園として公開しているもの このほかフランスやベルギーの大使館別荘が見え隠れするそして立木観音社殿が見える。社殿周りの紅葉は素晴らしく何度か訪れたことがあるが今はもう宴の後の様である 下船して湖畔を去りついでに今年も華厳の滝を見ておこうと団体客でにぎわう望湖台へ。夏ほどではないとしても冬の渇水期に比べると十分な水量であったが下の棚から湧き出る白布の滝は見られなかった。明治36年18才の一高生藤村操は滝上の樫の木を削り次の「巌頭の辞」を刻してここから身を投げている 悠々たる哉天壤、遼々たる哉古今、五尺の小躯を以て比大をはからむとす、ホレーショの哲學竟(つい)に何等のオーソリチィーを價するものぞ、萬有の真相は唯だ一言にして悉す、曰く「不可解」。我この恨を懐いて煩悶、終に死を決するに至る。既に巌頭に立つに及んで、胸中何等の不安あるなし。始めて知る、大いなる悲觀は大いなる樂觀に一致するを。 生きることの意味を求めて哲学にふけり、結論は「不可解」「大いなる悲観」は「大いなる楽観」に一致するとして死もまた人を楽園に導く一手段と考えたのであろう就職に失敗したり失恋したりして自殺する人を時に耳にするが、そこにはどんな死生観があるのだろうか悲しみだけで人生を終わらせてはならない、生きて欲しい 多くの観光客はエレベータで滝壷へと降りてゆくが滝を人生の流れに重ね合わせて見るには全体を俯瞰するのが良い人生もwaterfallやcascadeやcataractのように各人各様である望湖台周辺にも青年期、壮年期、後期壮年期に相当するような植物の色どりがあった ついつい感傷的になってしまったが、最後にもう一度「いろは坂」の紅葉を愛でるため車上の人となり坂を下りた
2009.11.04
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中禅寺湖遊覧二日間有効のバスフリー切符を買った目的は「いろは坂」下部が最盛期の紅葉を見物するためである二日目もバスで紅葉を見ながら中禅寺湖まで往復しようという訳であるトンボ帰りと云うのも能がないので遊覧船に乗ることにした日光へは結構通っているが中禅寺湖遊覧船となると高校の修学旅行以来だから55年ぶりとなる 旧型新幹線のような形のアストリア号という小さな遊覧船に乗り込んで湖畔の紅葉見物、この季節紅葉をめぐるルートが就航していて大いに期待して乗り込んだ 湖上から見る男体山はすそ野にカラマツの黄葉を残すのみであるが最初見慣れた形よりも鋭角的に見えた。 だが少し湖頭の方に移ると下の様に頂上付近が広がって見える 湖を少し昇って行くと(?)と菖蒲ガ浜というロッジやキャンプ場 湖頭部のやまはもうすっかり葉を落とした岳樺や白樺の中に所々カラ松が黄色い。 後は少しばかり盛りを過ぎた錦秋の湖岸が続く さらに奥のほうには千手ガ浜と言うビーチが続き その上部には千手ケ原の草モミジ 後方に配するのは日光白根山(2577)、かってここに登り頂上で しのつく驟雨に襲われ濁流の登山道を滑り降りたことを思い出す 湖岸の色もまだまだ十分に楽しめた湖上遊覧であった
2009.11.03
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中禅寺湖畔早々に湯ノ湖を後にしたがこの行き帰りバスは光徳へ寄ったここには昔から牧場があり、光徳牛やミルクを生産している。今からちょうど50年前ここに初めての宿泊施設・光徳ロッジが出来て間もない秋、大学のゼミ旅行でここを訪れたことを思い出すその後子供たちを連れて何度かここでキャンプ生活をしたがそれも30年以上前のことである。牧場の広場もすっかり草モミジに覆われ、葉の落ちた唐松林からよく見渡せるこんな中アストリアという名の立派なホテルが営業していたので今度来た時は食事でもしようと思っている戦場ヶ原と中禅寺湖の間にはかなりの高度差があるがその間にかなり長い龍頭の滝がある。日光には華厳の滝のように一気に落下する滝(waterfall)とこの龍頭の滝のような「分かれ滝」(cascade)がある。ついでながら巨大な瀑布はcataract。 自然を表現する日本語は繊細で豊富な語彙があると言われるが滝の場合は貧弱国土の殆どが山地で傾斜がきつく、滝もほとんどがwaterfallである この龍頭の滝は奥日光の上地よりも早く紅葉する一説によると戦場ヶ原の冷気がここに集まり滝の上を中禅寺湖へと下る通路となり早く木々が染まるのだそうだ今はもうすっかり枯れ木だが下の写真の滝壺の両脇のモミジが色着くとテレビは毎年関東の秋の到来を告げてニュースにしている 中禅寺湖に下って湖の半ばに二荒山神社中宮がある中禅寺湖にはもう10回以上来ているがいつもここはバスで素通り二荒山とは男体山の別名で二荒山神社とは男体山を御神体とし頂上に奥宮があり、日光市内に世界遺産の本宮、そして中禅寺湖畔に中宮 がある。今回はこの中宮に詣でることにした立派は鳥居もあるが山門前の2本の杉の大木が立派な門構え 門前から眺めるとたしかに奥宮の男体山は後庭のようであるそして二荒山神社奥宮への参道はまさしくここから始まる境内に参拝受付があり、参道入口には立派な菱型格子戸がある春に開山し、秋には閉山するそうでこの季はもう閉山されて扉は閉ざされていたが、格子戸の向こうには千米以上も上の奥宮への参道(登山口)の始まり石段が見えていた 本殿脇に「幸運の杜」の案内板が有ったので足を踏み入れた 太い木々には神官が達筆で書いた人生訓がぶら下がっていた「まっすぐ杉、迷い解消の御神木、真直ぐな杉の先を見上げれば大空です。誰にでも気分転換が大切! ときにはのんびりと身心を休めることが必要です」 梢の先の青空を見上げ悩みをしばし忘れなさいと言うことらしい 「悩みカラ松 悩み無くさせる御神木 悩みは尽きませんくよくよしないこと 誰一人として悩みのない人はいません悩みを常に克服することが 大事なことなのです」社殿前で空を見上げればそこは青空、これからは気がめいったときなるべくまっすぐな大木の下、空を見上げることにしよう
2009.11.02
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日光画像落ち葉拾い日光旅行記の最後に文字どうり落ち葉拾い紅葉見物に出かけるとどうしても抑えられないのが落ち葉撮影、悪い癖である 桜葉の紅葉落葉樫の葉や可哀そうに赤く染まらない黄葉モミジ 多くの蔓植物は赤くなるのにこれもまた黄化も出来ず朽ちる街路樹に多用される唐楓もここどまり 枯葉の脇には夏場地味で目立たなかったコケや笹が 軒下にははっとするような細葉モミジの深紅 駅前には東照宮参道の名残り「日光杉並木」 民家の鉢植えには茄子の木にトマトの様な実がなっている ホテルのエントランス程よい色づきのモミジが活けられているかなりの大枝であるが人目に触れぬ山からのものだろう傍らにはアポロンとダフネの像、アポロンの求愛を避けたがついに捕まえられそうになった時、月桂樹に変身してしまったこの像ではダフネの手足はもう月桂樹の葉になっているアポロンは恋人の変身したこの木を聖木とし、勝利者への冠をその枝で作ることにした(月桂冠、 お酒ではありませんぞ)のだそうだ。ノーベル賞受賞者を英語でNobelPrizeLaureate、Poet Laureate(桂冠詩人)などもこの類でワーズワースが有名 神橋近く金谷ホテル入口にあるお土産屋さん軒下に木彫飾りのある古い建物で私が知っているここ数十年変わらない さてさて文字どうり雑文・雑絵、本来独り言に留めておくべき事項であるが、何分本ブログのタイトルが「つれずれ日記」である乞御容赦
2009.11.01
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奥日光の晩秋前日の冷雨も去り青空が広がったので日光駅まで出てフリー切符を求め、明らかに紅葉は過ぎている奥日光を目指した男体山にはもう木々の葉っぱも残っていない 奥日光まで登るとバスの前窓から見える路面にも唐松の落ち葉が車線を仕切っている 戦場ヶ原の男体山の麓の唐松がまだ色を残しているが後はもうすっかり落葉して冬の風情である 奥日光の最奥、湯ノ湖に着いてみると日光市内から千メートル以上も高い湖は人も少なく、背面の白根山にかかったと雲の水滴が金精峠から吹き下ろす寒風に乗って細かな雨滴を運んできている。手袋とマフラーで身を守った 白樺林に行きそびれた(今は禁句)モミジが色香を残している フリー切符のありがたさ、一区間だけバスに乗って湯滝へ雨後のせいか水量も豊かで元気である。黄色い帽子を冠った林間学校の小学生達が記念撮影をしては元気にハイキング滝下の流れには所々石鹸泡のようなビール泡のような大きな浮遊体が踊っている。透明度は高いがこの水が豊かな植生に潤されて森の成分リグニンやフミン質を多く含んでいることを示している。これが下流の水草を養い、 それが川魚を養い海に栄養分を運ぶのである。もちろん滝の水滴は枯れ木に生える苔にとっては必須 紅葉の主役モミジ、楓、ナナカマド、ウルシと云った主役が去った後にも冬姿のぶな、なら、樺の林に赤変する落葉樹
2009.11.01
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