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六本木・汐留のイルミネーション 今日はクリスマスイーヴ、キリスト教国でない日本では天皇誕生日の翌日のコマーシャルフェスティバルにすぎないそういう訳でイルミネーションもキリスト教にも関係のない世界それなのに多くのイルミネーションが12月25日で終わるのは不思議であるともあれ昨夜は暖かいので妻が見物に行くと言い出した少々風邪気味の私は外出したくなかったが人混みで心臓発作でも起こされたらと思い付いて行くことにした老人無料パスで都営地下鉄六本木へ、ここには六本木ヒルズ六本木ミッドタウンの二ヶ所にイルミネーションスポットがある後者に行くと5時過ぎだというのにもう人で溢れているすっかり葉を落とした街路樹はLEDで飾られ樹形がくっきり裸身をさらされたみたいでちょっとかわいそうな気もする ビルの谷間の公園には大きなワイングラスが並んでいる隣の広場は宇宙空間をイメージしたらしく、流星が流れたり銀河が出現したり十年前には考えられなかった青色LEDの洪水である。徳島のさらに田舎の小さな蛍光剤メーカーで中村さんという人が休日返上して、しこしこと研究したことが今こうして世界中で照明革命を起こしている特許裁判などもあったがこの光景はある意味で愉快なことであるこんなことを考えてみている群衆の中の一人は正しくこの光の海の電球のひとつ位かも知れない もうひとつこの光の海の横の小公園で確か真面目な某俳優さんが素っ裸になって話題になったことなども思い出された遠くにライトアップされた東京タワーがきれいに浮き上がっていた もうひとつのスポット六本木ヒルズは昨年も見たので新橋汐留に移動した。ここは狭いビルの空に溢れんばかりの色とりどりのLEDを飾り、色形を変えてのダイナミックな電飾である隣は浜離宮公園で昔のウォーターフロントらしく大波が押し寄せる光景をイメージした演出で、定時的にレーザー光線によるイリュージョンと音楽のショウなども交えにぎやかである 色とりどりの花園に囲まれた小島に白い波頭を作って押し寄せる大波、季節・時間によって変化する小島の情景を現している 六本木に比べるとここは小さな空間でのイルミネーションであるダイナミックなショウも良いがすぐ横のビルの谷間の静的イルミネーションの方が好きである。星降る空にそびえる提燈が美しく映えている バベルの塔やゴシック教会の尖塔のように神の国に一歩でも近ずこうとする人間の願望とはうらはらに、地下に伸びた生活空間のための排気塔もこのように飾ってみると人々の願望の尻拭いを神にお願いする声を天に届けるスピーカーにも見えてくる
2009.12.24
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続練馬の電飾電飾の庭は完全に童話の世界が繰り広げられている動物たちの世界にもクリスマスプレゼントが配達されている 三階の屋根には大空から舞い降りた大きなサンタさんの人形が ベルを吊るしてプレゼントの配達先はここですよここは動物たちの住む森 サンタさん一人では運びきれず汽車をチャーターしたみたい汽車は煙を吐いていて車輪も動いているように見える 動物たちも頭を上げたり下げたりして歓迎している緑の大地や雪の大地も表現されている 汽車に積まれたプレゼントボックスは蓋が開いたり閉じたり プレゼントをもらってうれしそうな森の住人たち プレゼントを配り終わり身軽になったサンタさんは橇に寝そびり、トナカイたちも軽々と暗闇を上ってゆきます
2009.12.23
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練馬の電飾一昨夜暖かだったので外食しようということになり近くの区役所の展望レストランに行きことにした。20階に有ってこの辺りでは高い建物なので都心の夜景がよく見えるそれに二人ともオーバー70で都内のバスは無料、このレストランはファミリーレストランよりも安いくらいである。せっかくだから近くの民家で毎年華々しくクリスマス・年末イルミネーションをしている家があるので見て行こうとなった一軒目の飾りは毎年同じで一年中飾り付けてありやや小ぶり 2軒目は毎年質・量ともに派手派手な家でここもほとんど一年中飾りっぱなしであるが庭がやや広いので夏も気にならない 動物や人形の飾りはみな小学生くらいの大きさである トナカイも重いプレゼントを軽々と引っ張っており、ホッキョクグマの親子も「サンタさん来るの遅いよ」といった感じ ホッキョクグマと南極ペンギンがジングルベルを歌っているキティーちゃんも踊りたそう 裏側に回ってみるとここもいろいろなキャラクターで超満員 覗いてみるといる、居るは居るは。 聖二コラスおじさん、 スノーマンおじさん小猫ちゃん ムーミン谷の住民達もみなパーティーに駆けつけているみたいだった どちらもほとんど一年中飾りっぱなしであるが配線はどうしているのだろうか、そうかといって飾り変えなどできそうにないスケールであるごく普通の民家なのだが庭が広く(東京基準)可能。まあうらやましい限りであるクリスマス前の日曜日とて静かな住宅街にも常に数名の人が見物していた
2009.12.21
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舎人(とねり)ライナー山手線日暮里駅から東京の最北部足立区舎人に向かう新交通システムが開通したのは昨年の早い時期である。もともとの地下鉄計画が破綻し、案内軌条式鉄道新交通システムになった。無人で運行されるこのシステムたしか神戸のポートライナーがそうだ見沼台親水公園、都立舎人公園 などあり、もうそろそろ整備されているだろうと探索に出かけた。池袋駅からこれまた都内でただ一本だけ運行されている路面電車の荒川線にのって熊野神社で乗り換えて舎人ライナーに乗るこの線ほぼ直線に延びる尾久橋通りの上を走る高架ライン大通りの上5階くらいの高さを走っているので極めて見通しが良いこの日はあいにく雲が多く富士山も頭だけ霞んで見えたが秩父の山々や筑波山は座席から何時も見えており、23区内を動いているとは信じがたい風景である線路の上はなにやらごちゃごちゃしているが上部は架線が無いのですっきりしている。 両側の2本のコンクリート上をタイヤ車輪の車体が走る横には電源線以外何も見えないので多分中央に見える白い軌道が車体の左右のブレを抑えているのだろう。これが「案内軌条式」と呼ぶ理由と思われる。舎人ライナーは殆ど直線走行なのでこの方式が適しているのだろう 運行は中央管制室で行っているのであろう運転手はいないフロントガラスの下には計器類がボックスに収まっているがすぐ客席である。わが相棒の両隣りには受験参考書を読む学生と携帯電話メイルにふける若い女性であった 「代わってよ」と言いたかったが彼らは振り返る由もない電車が来るまで客は閉じた乗車ホームの箱の中であるゴム車輪とあってさすがに車内は静かである ややあって埼玉県との境の毛長川のところで突然に終わる駅前から水辺の遊歩道が続く、これはかっての農業用水路だろう 今は人工的に水を流しテーブルや水車を配している 水生植物が植えられた水路には鯉も放流されていた 近くにはこの新交通システムの開通に合わせたらしい舎人公園があるが、まだ新しいらしく、木立ちも小さく全く風格が無い それでも池には満足そうな鴨の一群が日向ぼっこをしている 人間の子供達も人工芝の上を橇で滑っていた入口で記名をすると子供達や幼児ずれの大人は無料で橇を使える 園内を舎人ライナーが走りすぎるが鉄道の様な走行音が無いので気を付けていなければ写真も撮れない 音も無く荒川を渡り都心に向かったが静かでバスよりもゆったりとした快適な乗り物で有った
2009.12.17
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横浜三渓園横浜に出て亡くなった友人の墓にお参りした後三渓園を訪れた恥ずかしながらこの有名な庭園公園をまだ訪れたことが無かったのである。明治の開国期に関係が有ると思っていたが個人の邸宅跡と知って驚いた。何しろ池あり、山あり、寺あり、1960年代までは海岸もあったという。5万3千坪の広さ17.5万m2に及ぶ広大な敷地なのである生糸の貿易で財をなした横浜の実業家・原三渓(本名、原富太郎)の邸で京都や、鎌倉などから歴史的建物を移築し明治39年に三渓園として公開した。外苑と昭和33年に公開された原家の私邸であった内苑からなる公園で現在は財団法人の運営による国の指定名勝地である正門を入るとすぐ大池と蓮池に挟まれた堤通りがあり蓮池には望遠レンズを構えた人が何人かいる、見れば蓮の枯れ枝のなかに鮮やかな色のカワセミが一匹、私のレンズではこれが限界であるがしばしその動きに見とれる。800ミリ相当のレンズを付けた人のファインダーをのぞかせてもらうと見事に躍動していた やや進んで内苑に入ると西方寺から移築した御門が有り、そこから三渓の隠居所を通ってこの公園一番の建物「臨春閣」につきあたる日常的に使われた場所とあって馬車など出入り出来た広い場所 いくつかの建物がジグザグの形になって繋がったこの閣は紀州徳川家初代頼宣が建てた数寄屋風書院造りとかで八代将軍吉宗も幼少のころここで過ごしたと云うことである 月見でもしたのであろうか庭の橋の真ん中に桧皮葺の屋根が有る 庭とは小さな山を隔ててすぐ下図の様な崖に出る今は池として残っているだけであるが1960年代まではここまで海がいり込んでいてここから直接海に出られ、この崖の下の少し平らな部分に桟橋をかけて人々は月見を楽しんだとか今は残念ながら高速道路や工場に隔てられて海には出られない 園内で一番高い所に今は展望台が建っていて、キリンの首の様なクレーンが林立する輸出立国日本の基地、本牧埠頭が良く見渡せる。眼を右方に転ずると眼に入る遠くの低い山波は三浦半島であろうか展望台から少し下ると京都・燈明寺から移築したという三重塔1457年建立のもので関東では最古の塔とか、こんな所に有って良いのかと思う 初音茶屋とは言ってもわびさびの解せぬ輩には侘びしく映るだけ 白川郷から移された合掌造りでこの園内では破格に大きな建物 縁切り寺として有名な鎌倉・東慶寺の禅様式の建物である仏殿いかにも禅らしい質素な構造である。ここ建物に駆けこんでDVから逃れた鎌倉・室町時代の女性も多くいたことだろう 横笛庵とは何とロマンティックな命名であるが赤いモミジが無ければ寂しいかぎり 秋の陽はつるべ落とし、まだ黄昏には早かったが夕日を浴びた船べりの鴨に露出を合わせると山影の水面は暗く、急に夜の帳が降りた様子であった 寒かった12月10日の三渓園風景である
2009.12.16
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納骨堂陵苑今日のブログはちょっと変わった内容である戒名とか仏事を嫌がっていた友人が亡くなって一年以上がたつ大分経ってから遺骨を横浜の納骨堂に収めたとの知らせを受けていたいつかテレビでも紹介された納骨堂と云うことで急に墓参りに行ってきた街中のこじんまりとしたビルに入るとロビーが有り正面に受付があるこれからがハイテックなお墓、タッチパネルで名前を入力すると類似の名前がリストアップされる。施主の名前、住所、戒名などから選んでゆくと区画(花名)とコードが示され、墓が見つかると墓参料を投入するそうするとカードキーが出てくる、この一連の操作はすべてタッチパネルなので駅で切符を買うのと同じ感覚で手続きが出来る エレベータで礼拝堂フロアに向かう 左右に不透明なガラス張りの礼拝ブースが並んでいる指定されたブースのどれかに近づいて磁気カードをかざすとブースのガラス壁が動いて無くなる。カードをかざしてブースが開くまで約一分 ブースが開くと下の様な生花に飾られ小さな泉が湧く墓石が目の前に現れる。墓石は二つの部分からなり区画の印花や花壇は共通で銘版は個人のものがはめ込まれる仕掛けである磁気カードで制御されているのが銘版石だけなのか後ろに骨壷も来ているのか分からないが、迅速性から想像して石版だけの様な気がする。気が引けてそこまでは聞けなかった 礼拝ブースは数名が入れる広さである。右下の光っているのが磁気パネル、「礼拝が終わったらここにタッチしてください」とありここに触るとブースを覆うガラスの壁が出てきてスペースを覆う 建物のフロアに分かれてお休み処や式場などあり葬儀や法事もできる感心したのはホームページからインターネット墓参が出来るとのこと受付で伺うと、インターネット墓参を行うには登録料が必要でIDとPWが必要とのことである。海外赴任した家族とか遠隔地の親戚・友人の利用が多いとの由。パソコンの画面に向かって手を合わせるのもどんな気がするのか想像できないが。最愛の夫(妻)を亡くした一人暮らしの未亡人(寡夫)が毎日IDを入力して自室に最愛の人の墓を飾って一日中語りかけたり、相談したりするのも悪くない気がする
2009.12.15
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光のトンネルとオーロラ先が見えないくらい長い長い光のトンネルには人が溢れているここは6時の点灯らしいが一番乗りを目指して何十分も前から並んでいる人がいるのには驚いた。恋人たちには点灯の瞬間を共有すること自体が無上の価値を有するのだろう。羨ましい次第省電力のLEDの出現で可能になった光の洪水、確かに触っても熱くない有効に電気エネルギーを光に変えている、しかし電力ー化石燃料ーCO2排出していることには相違ない。人間の楽しみvs環境保持、難しい 良く見ると一つ一つの灯りは花びらの中にそして所々には赤や青の一等星や特等星が輝いている この光のトンネル昼間は無人に近くこれはこれで気持ちのいい空間その向こうはオーロラの極地、宇宙船から見るとこのように見えるのだろうか広大な青い海のうえには色とりどりの揺れる光の帯 水蒸気なのか水滴なのかテクニックは分からない。肉眼では気が付かなかったが、ズームアップした画像には何やら塔の様なものがみえる。光の海の中に人口雲を湧かせそれに照明をあてているのだ 紫、赤、黄色、緑、青とこれはテレビでよく見るオーロラそのものである(実物は見たこともないし、極地の夜の寒さには耐えられないので断念している)ある意味では実物よりきれいだがこれはこれでショウだと冷静に理解すべき、だが十二分にオーロラを見た気分にさせてくれる 最後に通りかかったのは「冬ホタル」、ここは木々に留って点滅するホタルの大群をイメージしている。これもテレビで見たことが有る大樹に留った無数のホタルの輝きをほうふつさせる 毎年クリスマスが近ずくと各地からイルミネーションの報道が続く神戸のルミナリエが有名であるがまだ見る機会が無い。同じものを何年か前東京京丸の内で見たが一つ一つのデザインはイタリアのそれで華々しいものであったが、「なばなの里」のそれはスケール・規模においてちょっと異質のものの気がする。今年は省エネと樹木えの気配りで中止していた東京表参道の電飾も復活するらしいし、六本木のイルミネーションもあるみたいであるがともあれ「なぼなの里」での孫達と過ごせた美しい夜であった。
2009.12.14
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湖上の電飾建物や樹木の電飾もあるが何といっても広い湖をカンバスに見立てた変色し、流れる河をイメージしたイルミネーションが見ごたえがある 河の流れは手前から彼方へと向かっている。この光景を目前にしての夕食はややがさがさした大衆レストランの雰囲気を差し引いても余る 教会や樹木の照明も綺麗、写真の中央窓辺で食事した 下の写真UFOが火焔噴射しながら舞いあがっているようにも見える 灯りの点いた橋の向こうに温泉が有るが橋のたもとの掘に映る紅葉が見事以下3葉の写真はみな真っ赤に燃えるモミジが池に移る様である 上半分は実像で夜間やや立体感にかける。その分、水に映ったモミジは深い奥行きを持って映っていて吸い込まれるような雰囲気、心憎い演出 ここの鏡池は昼も夜も水鏡に映ったモミジを見る仕掛けになっている鏡像でみると「鏡池」とはっきり読める
2009.12.13
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なばなの里 静岡に住む小1、2の孫達とはしばらく会っていない12月になると長島温泉・なばなの里のイルミネーションが綺麗なので12月最初の土曜日に現地で集まり一泊で見物に出かけたこの日はあいにくの雨模様、3時過ぎに入園したが人影はまばらでうら寂しく思った。ここは年中花園と云うことであるが今は一番寂しい時期広大なベゴニア園は子供は飽きるのでパス、ティールームとレストランでひたすら暗くなるのを待った。食事中、教会の鐘の音とともに一斉に園内の電飾がともった。 下の男孫は入園直後から富士山を頂いたUFOが気になっている巨大なクレーンで50メートル近く上がり回転する 暗くなるとクレーンの腕は見えず確かにUFOが廻っている 下から覗いてもやはりUFOにしか見えない。長い列に参加して乗り込む暗くなると昼間とは大違いで団体客もどんどん繰りこみ、週末の家族ずれで大賑わい。この時期みな夜のイルミネーション見物である上昇する時アドリブで外の列に向かって「それでは地球の皆さんさようなら」、空中からの眺めに孫は宇宙旅行の気分を味わっている UFOが回転すると地球の大空と暗黒の宇宙に輝く星群の間にオーロラ別項で報告するがオーロラは形を変え色を変え幻想的にうごめく また回ると弟孫が「イルかだ」と叫ぶ、遠くに水面からジャンプするイルカ 今度は姉孫が「クジラだ」と叫ぶ、写真を見るとなかなか凝っていていずれも水面に移る魚影まで表現されている(手ぶれが残念)
2009.12.12
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近江八幡・新町界隈この日は午後早く切り上げて米原まで出、新幹線を捕まえねばならない近江八幡の町歩きも終盤である。新町通りに出て江戸中期から全国にわたり隆盛を極めた近江商人の街並みを見た時間の関係で資料館などは次回の楽しみとし、今回は街並みを散見この豪華な邸宅は現在も使用中で公開はされていないが西川甚五郎宅この人布団の西川産業の開祖、蚊帳の製造販売で巨万の富を成す近くには重文の旧西川邸が公開されている街角保存で電柱は地下に埋めたのであろう見越しの松が目に着く 丁度ボランティアガイドの方が通りかかって説明してくれた下の光景この町の家々は皆繋がっていて各戸の境には?(うだつ)があるこれは家の境にある屋根つきの土塀で防火壁を装飾したものである徳島県脇町が?の街として全国的に有名であることはよく知られている脇町のうだつはさらに装飾的であると解説していた。そして塀の内側の空き地には必ず塀から身を乗り出すように見越しの松が植えられている誤って画像を削除してしまったので前回用いたものを再登場させるが格子窓の下の竹製の置物、新町筋の家のくぼんだ部分に必ず置いてある「犬矢来(やらい)」。街道を通る馬が蹴っ飛ばして建物を壊さないための保護柵だそうである。もっとも名前からして馬よりも犬の排尿を避ける「犬遣(やらい)(犬追っ払い)」だった気がする 下の写真はかって小学校としても使われたらしい旧伴庄右衛門宅この人は江戸にて畳表/蚊帳を商い巨万の富を得たとかである この辺りかって栄えた八幡の繁華街だったのだろう、京へ物資を運ぶ京街道も荷車や人の往来で賑やかだったに違いない この蔵造りの民家には今も普通の市民生活が息ずいているこれで長かった「近江の旅」シリーズも終りである。いつの間にか師走もだいぶ過ぎた、そろそろ年賀状でも書かなくてはなるまい。
2009.12.11
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近江路の旅・八幡掘 さて近江の街見物もそのハイライトである八幡掘の散策であるここでは和船のミニクルーズもあるが舟からは舟が見えないので堀端の飛び石伝いの歩道を散策することにした近江商人の蔵や住家が堀に面して建ち、彼らがここから世界に飛躍していった跡を偲ぶことが出来る美しい界隈である 向こうに懸かるのは明治橋、 近ずくと橋のたもとでスケッチ画に励む婦人達、 この辺りは時代劇撮影の常場所で、佇んでいたボランティアガイド爺は ここが「鬼平犯科帳」あちらが「水戸黄門」などと教えてくれた 筋も分かっており勧善懲悪の後者は肩がこらず私も良く見る長寿命の テレビドラマである。殆どの場所でカメラアングルさえ気を付ければ 江戸時代である、明治橋の上の電線はちと気に懸かる存在である 掘に映る蔵の影が美しく揺れている、飛び石の歩道が嬉しい この辺り掘り運河がやや広くなっていて船荷の上げ下ろし場、 いわば波止場で八幡山を背に昔の商家が並んでいる 界隈には凝った店が有る。ここの主産品の一つ瓦をDNAのように 積み上げたオブジェの土産物屋 琵琶湖の伝統フナずしの店、魚籠(びく)を掲げた格子窓 お寿司屋さんの格子戸には植木鉢が繰りこまれ、何やら地味な植物が こんな堀端の散歩は江戸情緒の新町へと続いている
2009.12.10
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近江兄弟社八幡の街の恩人と云えば豊臣秀次とともにW.M.ヴォーりズである新町筋の一画にあるヴォーりズの銅像には少女が生花を捧げている牧師のように見えるが彼は牧師ではなく、多面性を持つ伝道師である学生時代のキリスト教キャンプで目覚めた彼は伝道を使命を感じて近江商人が建てた商業学校の英語教師として八幡に赴任する。そして建築家でもあった彼は伝道の一環として各地に教会建築を設計したり、この町に幾多の西洋名建築を残しているこのほかミッションスクール近江兄弟社学園の創立、図書館、病院などの事業を展開し、帰化して終生この町に留まっている この銅像のむかいに1920年創立の近江兄弟社が有り、教育・福祉事業を支える事業としてメンソレータ―ムの製造販売をしている。その社名は「人類みな兄弟」に由来している由さてこれからが今日の主題メンソレータム/メンタームのお話近江兄弟社はアメリカ・メンソレータム社の軟膏を販売、後に製造も手掛けていたが1974年(S.49年)に倒産し、販売権を返上したメンソレータムの販売権は日本のロート製薬に移り現在もメンソレータムは広く販売されている。一方近江兄弟社は大鵬製薬の資本参加で再生したがすでに半世紀にわたって培ってきた「メンソレータム」の商号は使えない1世紀も前の創薬であり、もちろん特許など切れている。近江兄弟社はメンソレータムの製造設備を使って新たに「メンターム」の商品名を自社ブランドとして製造・販売している。まったく新しい会社なら商標権侵害の訴訟が有っても不思議ではないが、何しろ育ての親なのである「メンターム」はちゃんと医薬部外品として商号登録されている今回近江兄弟社を訪れ下のショウルームのマークを見た時、 昔懐かしいあの看護婦マークの小さな缶やパッケージを見ても、 効能書きを見ても、メンソレータムとメンタームの区別は認識していなかったショウルームでは販売も行われておりメンタームの外にいろいろなスキンケア商品が販売されているので懐かしい軟膏とスキンクリームを購入した。帰って袋をあけると「この商品の売り上げの三割を福祉に使う」と書いた紙片が入っていた。そうこうしている内に妻が昔買った軟膏を引き出しで見つけて何か違うと云いだした。そこで並べると確かに違う右が昔近江兄弟社、いまロート製薬のメンソレータムでそのロゴマークは「リトルナース」、左は現近江兄弟社のメンタームでロゴマークは「メンタームキッド」と呼ばれており、いずれも今竹七郎氏のデザインだそうである もう60年以上も前から私は「メンソレータム」の語が頭にしみついていた今手元のリップスティックを見ると"Omi brotherhood Menturmmedicated stick" とある。これも「メンソレータム リップ スティック」と言っていた。さらに言うならば近江兄弟社を兄弟で会社を設立したなんとかbrothersと同列に考えて、”Omi brothers" と考えていた。しかし”brotherhood" なのである。辞書を見てみよう、brotherhood は兄弟愛、同胞愛、人類愛とある、キリスト教精神なのだ。鳩山さんの「友愛」にこの概念が含まれているかどうかは知らないそして改めて見直すと 株式会社「近江兄弟社」 とある「兄弟社」の社は会社の「社」ではなくbrotherhoodのhoodに相当するらしい、つまりヴォーりズとその日本人兄弟分や人類愛を意味する 「兄弟結社」の意味の「社」 世の中些細なことでも裏に大きなドラマが有ることを再認識した次第である
2009.12.09
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近江八幡街歩き・日牟礼ビレッジ復元された昔の小学校で今は白雲館として観光案内所それにしてもこんなしゃれた小学校って凄いです ここを曲がって日牟礼の里に入ると洋菓子屋さん(らしい)のClub Harie 裏から見たほうが素敵、この電飾何色だろうか見ものである そしてその向かいにあるのが銘菓店 「たねや」、yorosikuさんのブログで お馴染である。東京にも西武や三越にお店が有ると知り、昨日有名な 最中を買ってきて食べた。上品な味である 建物の雰囲気と八幡様に続く地理的条件が緋毛氈を似合わせる このあたりを日牟礼ビレッジと称するらしい 甘いものは苦手なので二階でお昼のうどんを頂いたが、食前食後には ちゃんと甘味が付いてきた 一階のショウウインドウには芸術的な造りの和菓子がいっぱい 後学のため 最中と栗饅頭の組み合わせを購入し帰宅後頂いたが 渋茶に合う上品な甘さでした
2009.12.08
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近江八幡・八幡山今回の旅の宿は琵琶湖湖畔にこだわったので宮が浜の休暇村前日古来稀な人の仲間入りしたこの人の視線は遠い対岸「思えば遠くに来たものだ」と云う句が有るが近くの小さな舟のせいで対岸が外国のように見えなくもない、でもあそこはまだ滋賀県 町から遠いのでタクシーも呼べず(高いので)遅い時刻の路線バスを待つまずは八幡山のロープウエイに乗って町を俯瞰するが、その前にこの名高い近江商人の守り神日牟禮八幡神社に御挨拶この社ゆえに近江八幡市の名が有るのだろう。幾多の銘品も奉納されていると聞くが、きょうは帰京せねばならず先を急いだ ロープウエイ山上駅はすでに八幡山城址の一画、少し行くと二(?)の丸跡ここからは琵琶湖南部が望めるはずだがこの日はもやっていて琵琶湖大橋も視野には無かった。遠くの山は比叡の峰であろう、もうほとんど都市化した村落がまじかにありその先は広い近江平野が広がっている この城は悲劇の主人公豊臣秀次の築城したものである一時は関白にまでなった秀次は商業都としてのこの町の礎を築いた人であるあたら優秀な人材を自害させた秀吉の気持ちが読めない命を奪うまでもなくほかの道が無かったのであろうか多くの女性と関係した放蕩の士に57歳まで子供が生まれなかったのにはそれなりの理由があるだろう。大胆な推理をすると秀頼のDNAは秀吉のそれとは違う気がする その秀次の菩提を弔うため実母が京都村雲の地に建立したのが「村雲御所」とも呼ばれる瑞龍寺、それが後年この八幡山城址に移されている。 御所と称されるのも江戸幕府からは厚く遇され関白を弔う寺として宮家、時には親王までもが住職を務める門跡寺であったらしいが今は山上の小さな寺院に過ぎない。やはり豊臣家を断絶させた秀吉の誤算であろう 寂しい寺とは言え古刹だけに門に懸かる銘版は仰々しい 山上ゆえもう桜の葉も散りはて寂しい佇まいである ただ周りのモミジ葉今を盛りと燃えていた この辺りから下を眺めると眼下に広がる湿地帯が目に入るこの地は畳表の生産でも知られ、これで財をなした近江商人も多いすっかり秋色の芦原は野鳥の天国でここをめぐる水郷巡り舟も出ている ケーブル線の先には赤屋根の近江兄弟社社学園、手前が幼稚舎向こう側が高校だとのこと。ここには創立者のヴォーリズ記念館も有るらしいが、近江兄弟社については別項で記すことにするそしてケーブル下には先ほど訪れた日牟礼八幡宮の社殿が見える
2009.12.07
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湖東三山・百済寺 三山最後は百済寺、金剛輪寺で時間を使いすぎバスの時間に追われ余りゆっくりできなかったが、ここの紅葉は前二寺に比べやや劣り結果的には良かったと思う。歴史的には三寺中最古で聖徳太子の願いで、渡来した百済(くだら)人のために創建した近江最古の寺、百済の国の龍雲寺を模し、以後多くの百済僧を任じてきたと云う。後に平安時代天台宗の寺となり、湖東の小叡山と称せられた。多くの伽藍と三百余の塔頭を持つ大寺院であった後年反織田信長勢を後援したため信長に一山ことごとく焼きつくされた後年本堂、仁王門、山門が再建されたのが今の姿坂道の参道の両側の平らな地はすべてかっての塔頭跡だそうである参道も奥深まるまでは緑樹が多く、本堂近くに至って紅葉の道となる ここには喜見院の庭園が名園として知られている。この庭は横の広がりよりも 自然の山水を利用した縦の庭園のように見えた。この日一日モミジばかりを 見てきた目に寒椿の重厚で艶のある葉が輝いて見えた 上方に伸びた小路をたどり遠望台に達して、遠く母国百済を偲んだという 遠く奈良飛鳥の時代我が国の支配層が多く百済からの渡来人であった ことが此の事からもうかがえる。そう考えることによって日本人の正しい 古代観や歴史上の疑問も解け正しい認識も生まれ、理解されるであろう。 寺名を ”ひゃくさいじ” と読ませたのはいつの時代からなのだろう 此の質素な山門も悠久の歴史を伝える証人と考えるとこの寺を訪れた 感慨が湧いてくる
2009.12.04
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湖東三山・金剛輪寺8 (続)金剛輪寺の本堂に上がり僧の説明と祈りにしばし付き合って柱越しに外景色を見ると前報に書いた「地染めのモミジ」に囲まれていた 重文の三重の塔も地染めに合っている 落ち着かないだろうと思っていたらちゃんと淡色モミジも寄り添っていた レストランの「接待坊・華楽坊」で精進料理の昼食を頂くことにした運ばれた弁当仕立ての箱、蓋をとり二段造りを開くと下の写真そしてこれがすべて実に美味しいのである。テレビ番組の俳優さんならどんな表情と言葉で表現するのであろうか。演技力のない私は給仕の婦人に「お坊さんてなんて美味しいものを頂いているのでしょう」としか言えないのが辛かった 上の写真にもあるが土産に持ち帰った箸袋に記された「食事作法」とは食前観「吾今幸いに、仏祖の加護と衆生の恩恵によって、この貴き食を受く。つつしんで食の来由をたづねて味の濃淡を問わず。其の功徳を念じて、品の多少をえらばじ。いただきます」食後観「吾今此の貴き食を終りて、心ゆたかに力身に充つ。願わくば此の身心を捧げて己が業にいそしみ、誓って四恩に報い奉らん。ごちそうさま」そらぞらしくは感じたが、この辞を読んで食した。その食卓からの窓外の景色が下の三葉の写真 右の窓は石段に通じるガラスドア 正面には紅葉に囲まれた石灯籠 そしてその左はエントランスに通じる道筋のモミジの大木 こんな景色をまえに頂く洗練された精進料理が美味しくないはずがない
2009.12.03
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湖東三山・金剛輪寺この時期運行されているシャトルバスで次の訪問寺、金剛輪寺に向かう ここはバス停留所からでも下の写真、それはそれはモミジの大海である この寺は名僧行基によって奈良時代(741)開山された天台宗の巨刹現在の本堂は鎌倉時代のもので国宝指定。本尊は秘仏聖観音で奥深く祀られ姿不見。周りには十体の重文像によって護られている 写真の黒門から延々とつづく石段の参道はもうモミジの洪水であるここには独特の深紅に染まる「地染めのモミジ」が数多い開僧行基が本尊を刻んでいたある日その像から赤い血が流れその血で染まったのがこのモミジの木だそうである、尋常な赤ではない深紅、緋色、スカーレット、こんな言葉で伝わるであろうかその点digital画像はありがたい、ほぼ下の色である 余りに赤い色ばかり見ていると橙(だいだい)モミジがかえって新鮮 春にはさつき、アジサイ、シャクナゲが参道を彩るそうである喫煙所にも見事なシャクナゲをあしらった陶器の腰かけが 庭園の渡り石も苔むして落ち葉以外には踏まれることもない rakuten の落ち葉趣味ここに極まれり、小石の重しで風に舞うことをやめた血染めのモミジ一葉、蹴飛ばさなくて良かった 参道にはかっての塔頭跡にいたるところ千体地蔵が祀られそれぞれ花生けにはカラフルな風車が飾られ、きれいな涎かけがかけられている。年三回懸け換えられるそうで皆新しいがすべて信者の寄進とか、道理でクラシックな図柄からサイケデリックな図柄まで実に変化に富んでいる。 千体とは言ってもとても千体などと云うものではない。参道の左右に続く地蔵には番号が付されているがそれだけでも千体近かったので名前はそこから来たものであろう
2009.12.02
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