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道路上の太陽系オブジェ光が丘団地のイチョウ並木の歩道には宇宙県・銀河郡・太陽系町・惑星集落(太陽系)の略図が描かれている。勿論惑星の大きさは誇張されているがそれらの相対的大きさや公転軌道の大きさなどはその比で描かれている。子供達が遊んでいる間にごく自然に宇宙における自分達の立つ位置を確認できる仕組みである。舗装に使われたタイルの大きさは一定なので星の大きさも分かる仕組みで更に各星の横にはその星のデータが埋め込まれている。 太陽に一番近い水星であるが子供の天性としてやはり宇宙の中心は踏んでおきたいのであろう、略してある太陽が乗っかっているタイルは貼り変えられた形跡が有る。そしてすぐ隣の水星は踏まれて変形していた。 水星 金星地球より内側を回っている水星と金星は地球の昼間の方向に有るので見る機会が無いことがよく分かる。金星は宵の明星・明けの明星として地平線近くに短い時間帯しか見えないがその明るさから子供にもなじみの深い星である。子供の頃金星が見えはじめたら家路に急いだものである。水星に至っては太陽の傍を回っているので地球から見えるとしたら更に見る機会は少ない。先週アイソン彗星が朝の五時過ぎに東南東の地平線近くに現れると言うので一度相棒に付き合わされたが、その際ちらっと見えたのが水星だったようだ。 地球地球は大気に包まれているため青い美しい惑星であることは宇宙ステーションの報道の度に映し出される光景である。我々の住んでいる惑星は本当に美しい限りである。 火星火星は地球より外側の軌道を回っているのでいつも見える星で馴染が深い。そして水星から火星まではタイルの大きさから見ても大きさは大きくは変わらないが木星と土星は桁違いに多き星である。木星には有名な5個のガリレオ衛星が回っており、以前我が家の寒い屋上から望遠鏡でよく見たものである。 木星土星の輪も印象的である。この美しい輪を双眼鏡で認めた時も感動した覚えがある。 土星外周を回っているのに意外と大きいのが天王星と海王星だ、あの大きさではよっぽど軽いかゆっくり回っていなければ(横のプレートを読めばわかるのだが)飛んで行ってしまいそうな気がする。 天王星 海王星上の海王星の写真は面白いことを示唆している。太陽は左上に位置し、その方向が光っている。そして右下には黒い影が出来ている。つまり左上が海王星の正午 で右下の影部分が海王星の夜、宇宙空間は広いので影の部分は小さくケヤキの枯葉は宇宙空間に広がった星である。影の部分に居る人(?)だけが星を見ることが 出来る。左にも一杯星はあるが影に居る人には見ることが出来ない。なんかいい勉強になった気がする。 冥王星冥王星は2006年までは太陽系惑星に算入されていたがそれ以後は外されてしまった。公転軌道が他の惑星と違っているし楕円の離心率も違うため海王星の外側を通ったり内側を通ったりするので科学少年泣かせの星であった。水金地火木土天海冥と覚えたが最後の二つは年代によって入れ替わると言う変な現象が有った。冥王星は2006年に太陽系惑星からはずされてしまい現在は準惑星と呼ばれて惑星とは違ったファミリーにされてしまったがこれですっきりした感がある。冥王星は非常に小さく地球の月の20%位の質量しかないのに5つもの衛星が知られている。
2013.11.26
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勤労感謝の日の公園散歩もう勤労感謝をされなくなって久しい、この頃は例年近くの光が丘公園のイチョウ並木が綺麗に黄葉するので散歩に出かけた。ここにはもう知る人も少ないが有楽町に有った都庁の周りのイチョウが移植されていて園内の歩道を飾っている。今年も信州や会津に紅葉見物に出かけたがどこも暖秋と初秋の嵐で葉が傷み紅葉はさっぱりである。ワシントンへ桜を送った返礼に贈られたと言うハナミズキは今では広く街路樹として植えられており、桜よりはちょっとだけ紅葉度が高い。アメリカでは幾つかの州がこの木を州花としている。東京の昔は火山灰の痩せ地、武蔵野はクヌギやケヤキの生育適地で、今でも東京近郊の農家の屋敷森では必ずケヤキの巨木が家主の風体である。この公園団地は広大で中央部には何重にも埴栽歩道が有りケヤキ並木が走っているがやはり今年の色づきは冴えない。こ こは巨大団地だけにゴミも現地処理である。かなりハイテックの装置らしく時折水蒸気の白い煙が見えるだけで過去に何度もあった有害排出物も報道 にはお目にかかったことが無い。それはそうだろう周りは高層住宅の囲まれ都立公園もあるのだから慎重には慎重をを期しているのだろう。紺碧の空・輝く黄葉・クラシックな街頭、ここを通りかかると必ずシャッタ―を切ってしまうアングルである。家 に帰って廊下から西の空を見ると日没直後であったがまだ太陽の沈む位置は富士山の北側であった、だんだん南に移動するのであと2,3日で頂上に陽が落ちるダイアモンド富士が見られるこ とだろう。先週山中湖まで行って湖面に浮かぶダイアモンド富士の写真を撮ろうと思っていたが天候と風邪ひきで諦めた。2,3日待って自宅からのダイヤモン ド富士を楽しみにしよう。
2013.11.25
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北原コレクション・懐かしの風景展 3北原さんと云えばブリキ玩具蒐集で有名で電車を含む色々なおもちゃが展示されている。何気なく見過ごしてしまったが下の写真の模型はは変わっている。大きな車輪、二枚の翼、プロペラ、尾翼まである複葉機のモデルである。現代のプロペラとは異なり船のスクリューみたいであるが、Webで調べてみるとライト兄弟の乗った複葉機もこんな形のプロペラを付けている。左上の遊具も随分古いものだろう、上の二人の子供客を動かしている動力は下の大人二人の足こぎである。初期のロボットは皆四角い形をしていたブリキで造り易かったのだろう。パーツを組み合わせるには一方の板に小さな穴をあけ、もう一方の板に小さな突起を作ってこれを他方の穴に差し込んで内側で折り曲げて固定していた。よくバラして子供なりに修理したものである。この様にして物を修理しながら使いこむ術を覚えたものだ。ロケットのような丸っこいブリキ玩具は板を圧延して作るので工程が複雑でなかなか子供の手には入らなかった。次は紙製模型、ブリキ玩具は雑誌の付録と云う訳にはゆかないがペーパークラフトなら可能で、中村星果と云う天才的付録製作者がいて昭和10年前後には雑誌「少年倶楽部」の付録として多くのペーパークラフトが世に出たそうだ。当時最新鋭の流線形蒸気機関車がトンネルを出るところの模型は機関車に繋がった2両目が今まさにトンネルを出るところでなかなか凝ったものだそうだ。瀬戸内海の海を渡ることもなかった私の少年時代、エンパイヤビルは世界の七不思議のひとつに数えられ、その写真や話は少年の私に大きな夢を掻き立ててくれたが、これは私よりも一世代上の少年雑誌の付録である。もう一つ艦上の部品まで忠実に復元された日露戦争の「戦艦三笠」、これを手にした少年たちは軍国主義の真っただ中に有っわくわくしながら組み立てて行ったことだろう。下の陽明門のペーパークラフトは「少女倶楽部」の付録だそうだ。少女用と云えば永遠の玩具キューピーも大小色々、材質もセルロイドから各種樹脂を移り変わり、着せ替えまでできる。「青い目をしたお人形はアメリカ帰りのセルロイド」と謳われたセルロイド人形は文字通り日本製で輸出品だったそうだ。セルロイドはニトロセルロースで「硝化綿」と云う火薬と同類の材料に樟脳を混ぜて作られた。私が子供の頃親戚の女の子がセルロイド製のキューピーを火鉢に落してしまいパッと音を立てて一瞬で燃えてしまっことを思い出す。プラスチック時代になると成形が自由で色んな商品や物語の主人公が次々とフィギュア化される。会社や商品のキャラクターとして長い期間頑張ってきたのがあのビクターの蓄音機に聞き惚れているイヌ君や不二屋のペコちゃん。レコードの衰退で犬の出番も少なくなり賞味期限や最近のホテルオークラまで巻き込んだ食材偽装に巻き込まれてペコちゃんも苦戦している今日この頃である。開高健さんがコマーシャルコピーを作っていたあのトリスも懐かしい。大躍進した寿屋(今のサントリー酒造)は高級酒のサントリーホワイト・レッド・ゴー ルド(角ビン)・オールド(愛称ダルマ)と質を上げて日本酒を駆逐してきた。一貫してそれらの宣伝をしてきたのがこのアンクルトリス。そして左からダルマ・レッド・角三兄弟もこうして生まれたキャラクターである。
2013.11.16
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北原コレクション・懐かしの風景展 2雪国の人は冬の間の仕事を創出しなければならない。そのうち最も有名だったのが富山の薬売りで、雪に閉ざされた冬の季節大きな桑折(こうり)を巨大な風呂敷に包んで背中に背負い、行商人宿に長逗留して地元から送られてきた薬を各家庭に配布して歩く。翌年同じ家庭を訪れて消費された薬の代金を徴収し、また新しい薬のセットを同じ袋に詰めて置いておく。日本全国の家庭に富山の置き薬業者の大きな袋が吊るしてあった。よく効きそうな名前の薬が詰まっており熱が出たり、お腹を壊したりした時まずはこの袋から粉薬を取り出して飲んだものである。富山の製薬はこの様にして発展したが写真を良く見ると製造は必ずしも富山ではなく各地に有ったようである。いかにも効きそうな「忍術丸(がん)」には「甲賀流忍術本家秘方」の肩書があり、甲賀の里で作られた胃腸薬である。私も子供の頃愛用した解熱剤の「ケロリン」は戦後全国の温泉宿の風呂場にあった風呂桶の裏に「ケロリン」と広告の入った風呂桶を思い出す人も多いことだろう。また富山のお薬屋さんは紙風船をおまけとして子供に配った、子供にとって風邪を曳いて薬を飲むと風船をくれる季節ごとに訪れるサンタクロースのような存在であった。キャラメルの紙箱の上部に小さな別箱が付いて、そこに小さな木製の玩具模型のおまけが付いたグリコも懐かしい紙箱には「一粒300メートル」と書かれており陸上選手が描かれていた。つい近年まで大阪道頓堀(?)にこの巨大なネオンサインが有ったことも思い出す。先日食料雑貨店でおまけ付きグリコを発見しておどろいた、今は何が入っているのだろうか。今度行った時には1箱買ってみようかと思ったりしている。エンゼルマークの森永ミルクキャラメルも懐かしくもあり、まだ今も見かけるような気がすり。キャラメルの時代から当時一寸高級感のする缶入りドロップが流行りこのブリキの箱は子供の宝物入れとしても重用された。有名なのは明治製菓の明治ドロップであった。前からドロップとは何語かと思っていたが英語でもあるが元はオランダ語らしく、砂糖と水飴を混ぜ色々な添加物を加て成形したものだそうだ。魚釣りゲームもお正月の遊びとしてカルタと共に人気が有った。他愛もないものだがこれで魚の名前を覚えたものである。1964年に東京でオリンピックをしたのに大阪で何もしないのは許されないと1970年に関西経済界が頑張ったのが日本で初めての万博。岡本太郎さんの太陽の塔が出来て「芸術が爆発」したのもこの時である。私には全く記憶が無いがナショナル(現パナソニック)がタイムカプセルを発売したみたいである。当時何かあるとすぐタイムカプセルを埋めたが来年はオリンピックからもう50年になる、或いは次のオリンピックの2020年まで待って掘り出して新聞種になったりするのだろうか。
2013.11.15
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北原コレクション・懐かしの風景展 111月初めの連休明けにいつもの石神井公園に散歩に出た。水面上に立った観音像と色ずき始めた樹映を映す池面はやはり晩秋の景色。池畔に古民家園が有り区内の古民家が復元されている。古民家と言っても古いものではなくついこの間まで近辺に点在していたものだが間取りや機能が手っとり早く分かり、天気のいい日には訪問者も入場して座り込んでいる。その並びに「ふるさと文化館」と云う歴史館が有って区内の資料から伺える有史以来現代までの民俗資料が展示されており、散歩の途中で休憩を兼ねて立ち寄ることが有る。この日ホールでは北原コレクション「懐かしの風景」というブリキ玩具の蒐集で有名な北原さんのコレクション展が開かれていた。区報で展覧会のことは知っていたし後期高齢者は無料と云うことで参観させて頂いた。この種の区立展覧会は貧弱な蒐集品が飾られていることは多いがさすがにテレビでも有名な北原氏のコレクションだけあて充実した展覧会で懐かしくも充実した時間を過ごした。展示は時代に沿って纏められていたがここでは順不同でブログ化する。1964年東京オリンピックの4枚セットポスター躍動感のあるポスターに出来上がっている。暇なのかボランティアの立会人が話しかけてくれ彼女はこの四枚揃いのポスターが懐かしく、苦しかった当時を思い出して涙が出ると話していた。下のポスターを見てすぐに「島津恵子」さんと言える年代はもう殆んどこの展覧会には入場無料の後期高齢者である。それにしても美顔クリームではなく「美身クリーム」とあるが、こんな高価なクリームを背中にも縫ったのだろうか。ヘヤ―スタイルと首筋まで締まったブラウスが当時を伺わせる。当時の私には美空ひばりさんも時代劇映画も縁遠い筈だが、なぜかこの映画は見たことが有る。1957-8年のことだが今は消息不明の友人に連れて行かれた記憶がよみがえる。昭和20年代前半には戦中抑圧されていた気分が一斉に開放されて劣悪な紙に劣悪な印刷で一気に今で言うポルノ小説風雑誌が発行された。当時私はまだ子供でこれらの雑誌は一つも見たことが無いが、表紙写真を見ると女性の胸元は大きく開き、肌あらわな女性が堂々と描かれている。これらの雑誌を「カストリ雑誌」と云ったらしい。言葉としては知っていたが「カストリ」の意味するところは知らなかった。説明文によると当時の安酒「カストリ焼酎」と関係が有るらしい。本来の「粕取焼酎」とは日本酒の酒粕に新たなもろみを加えたりして蒸し、蒸留した蒸留酒でアルコール分の高い高級酒である。しかし戦後の物資欠乏時代に得体の知れないアルコールの混ぜ物が出回り「カストリ焼酎」と称されたため粗悪酒を表わす言葉になってしまった。中にはメタノールを混ぜたものまで現れ、新聞にはこれを飲んで死亡した記事などもあった気がする。「三合」飲んだら潰れてしまうのが「カストリ焼酎」、新刊からから「3号」も出版されれば潰れて廃刊されるところからこれらの雑誌を「カストリ雑誌」と呼んだらしい。焼酎とは本来この様に酒粕の再利用が目的であったが、もう一つの目的はアルコール分を完全に除去して酒粕を肥料にするためだったらしい。いずれにしても現在は米、麦、そば、芋などから焼酎を作り愛飲されており本来の粕取焼酎も復活しているようである。雑誌も「カストリ」から出発して現代では多様なソースから作るようになった週刊誌が生まれたと考えると酒も雑誌も同じ道を歩んでいることがよく分かる。こんな時代考証が出来るのもこの展覧会の意義なのだろう、面白い展示で有意義であった。
2013.11.14
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裏磐梯高原 4五色沼の発色の原理については前ブログに記したが、火山灰から発生するミネラル成分が湧水に溶け込み、その後水温や特に酸性度に応じて微妙に異なる微粒子を発生させ水中に浮遊させる。その微粒子の成分や粒子の大きさによって反射する可視光の波長が微妙に異なる。したがって裏磐梯の五色沼の水そのものの色は殆んど変わらないと思うがロケーション、時間、植生などによって光の反射が違い微妙にバリエーションを生むのであろう。しかし私の目には大きな違い行した時、「赤青緑・・」と大きな期待が見事に裏切られたことを思い出す。空や湖畔の木々が水面に投げかける影まで色の変化に数えるなら無限の可能性がある。火山の噴火口に水が溜まった火口湖は実に美しい。今も噴火してるとも考えられる草津白根のお釜や活動を休んでいる蔵王山のお釜など神秘的で霊感を覚えることすらある。五色沼の秋は湖水の変化に木々の色どりが加わり一段と華やかさを増す。群青色の青絵具を水と牛乳で溶かしたような色も良く噴火湖で見かける色である。よくカレンダーに描かれるカナディアンロッキーのぺイト湖がこの色だ。草津白根の湯釜の色がこんなだった気もするが、久しく訪れてなくはっきりしない。もっと濃い藍色の沼もある、これは青インクを水で薄めた色調で夏の地中海の色に似ている。肉眼で水面を追って行くと対岸に2匹の鷺がいるように見えた、ズームで捉えてみると先っぽに白味がかった葉っぱを残した木の小枝が風に揺らいでいた。ズーム撮影を後悔した一瞬である。沼の岸辺は大型の枯れ草や水に浮かぶ落ち葉がゆれ夕暮れともなるとす寂しくなり、晩秋の湖水をそれらしく演出していた。
2013.11.13
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裏磐梯高原 3現在裏磐梯と言えば誰もすぐ連想するのは五色沼である。明治21年(1884)磐梯山は大きな水蒸気爆発を伴う噴火で北面の山体を吹き飛ばされ、その火山弾は低地を埋めて無数の湖沼を作った。この噴火では山村の11集落477人の犠牲者を出している。火山噴火の形としては高温のマグマの流れ溶岩流を押し出す三原山やハワイのキラウエア火山、火砕流を噴出して火山灰をまき散らす雲仙岳や桜島、そして地下水を多く含む山や海底火山が噴火して水分が一気に蒸気となり山体を吹き飛ばして山容を一変させる水蒸気爆発がある。前者が北海道・駒ケ岳や磐梯山、後者が北海道・噴火湾や童謡で名高い伊豆大島の波浮の港である。磐梯山の大爆発は五色沼と呼ばれる湖沼群を作り、今は裏磐梯で観光客を一番引き付けるスポットになっている。これらの湖沼には噴火口から湧き出す強い酸性の温泉水が水で薄められ弱酸性化して温泉水中に有ったアルミニウム化合物、ケイ酸塩、鉄化合物を沈殿させ微粒子を浮遊させる。少し難しい話になるが微粒子はそのサイズによって反射する光の波長に少しばかり違いが生じて異なる色調が生まれる。それだけでは五色とは言わないまでも沈殿した鉄分が浅い湖底を赤く染めたり、湖底の苔・藻が緑を演出したり、太陽の位置や光量やさざ波の方向などによって湖沼群の色調は無数の色に変化する。違いが分かる人にとっては分かるが一般人にとっては水色(?)、コバルトブルー、ペルシアンブルー、黄色い葦の影、赤い湖底、緑っぽい水面位であろうか。とに角湖の色を自分の感覚でで表現しながら散歩するのも楽しいものである。一番大きな沼は毘沙門沼、多くの団体客は観光客はここだけ見て過ぎ去る。この沼だけには貸しボートも浮かんでいる。残念ながら五色沼の紅葉は全く期待してはいけない。火山灰で埋もれていた土地に一人の男の努力で植林された林が主体で、観光地としての今の姿は想像も出来なかったことであろう。今日を思えモミジ、楓、漆、ナナカマドと云った鮮やかな樹種も植えたであろうにそれでも所々に赤い葉っぱも見られ火山灰性微粒子によって生じるエメラルドグリーンからペリッシアンブルーの湖面は美しい色調を奏でている。枯れた葦や倒木も水の青さにアクセントを添えている。立ち木に鮮やかさはなくとも足元を見ると意外と多様な自然の配色の見られることが多い。
2013.11.12
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裏磐梯高原 2五 色沼の散策の前後に檜原湖から小野川湖畔の黄葉を愛で裏磐梯高原で一番高所になるグランデコロープウエイ展望台からカラマツの林を眺めようと思った。もうマ イカーを持たないのでシャトルバスの拠点裏磐梯ロイヤルホテルに向かった。日本の観光地のホテルにしては珍しく国際ホテルですと言いたげに国旗が掲げられ ていた、左の3つは日の丸以外思い当たらない。前庭庭園の黄葉が素晴らしかったのでカメラに納めロビーバスを待たせてもらった。小野川湖畔の素晴らしい色ずきを車窓から鑑賞しながらバスライドを楽しみ、カラマツの紅葉が始まったロープウエイに乗り込む。山上駅周辺は残念ながらガスが立ち込め磐梯山の姿も見えない。ここには湿原を巡るトレイルもあるが一度行ったこともあるし、坐骨神経痛を抱えた今の私の足では無理なので茸の写真を撮って早々に下りのゴンドラに乗り込んだ。ロープウエイは本来スキー用なので山麓駅は広い芝生の傾斜地に有りその小さなゲレンデを昇るとホテル・グランデコの裏庭に通じる。ロビーに面した庭の小山に素晴らしく色ずいた木々が有った。苔むした岩に落葉した紅葉葉を敷き詰めた光景は私が最も好きな絵の一つだ。つい何枚も下手な写真を撮ってしまう。湾曲した枝に突き刺したようなモミジはやはり見ごたえがある。ロイヤルホテルとホテルグランデコは共にロープウエイへの無料シャトルバスのターミナルになっているので今回はトイレと時間待ちでロビーだけ利用させてもらった。なんだか申し訳ない気がするが以前泊ったこともあるので許して貰おう。
2013.11.11
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裏磐梯高原 1先々週の秋山郷の紅葉はちょっと早すぎで空振り、帰途立ち寄った苗場はまあまあであったが、リベンジを期して先週は裏磐梯に行ってみた。初日はうっすらと青い空が垣間見えることもあったが、曇り空やはり最盛期の紅葉の色も輝きを失なわせていた。バス運転手に聞くとやはり今年はいつまでも続いた暖気と台風で枯葉・落ち葉が目立ち色付きが悪いとの評価。宿泊したのは星野リゾート裏磐梯ホテルと改名した旧猫魔ホテル、今破竹の勢いの星野グリープの経営に変わったこの地区最大のホテル。ホテル周りの紅葉は美しく色付いている。入口正面のエスカレーター乗り場は寄木作りで覆われていた、ロビーの他の部分と違和感は有るが、昔流行った木調テレビのようだ。部屋に通されてみると檜原湖側の全面ガラス窓から錦の黄葉に彩られた小島を正面に見据えた素晴らしい景観が広がっていた。この構図は昔訪れたカナダ・ジャスパー国立公園のマリーン湖に浮かぶスピリッツアイランドそっくりである。瞬時に20年前の光景が甦がえった。と言うのもその光景のポスターが長らく我が家の壁を飾っていたからである。一つ上階に中央棟から突き出した展望ルームが有り、コーヒーも備わっていると言うので行ってみると何人かの人が椅子をテ―ブルから反転させて紅葉の湖を眺め入っていた。そこには実に美しい光景が広がっていた。展望室の反対側には主棟から反対側に突き出したレストランが有りそこから磐梯山が姿を覗かせていた。あいにくの天気ではっきりしないが二つ見える頂きの真ん中に有ったもと もと富士山型の山が明治の大噴火で吹っ飛んでしまい、残った噴火口の両端がこの二つの頂きである。よく見ると中央部に噴火口の縁を認めることが出来るだろう。この様に山の中央部が火山爆発を起こすと中央が窪み二つの山になる。北海道の駒ケ岳、筑波山、アメリカのMt.Helenなどがこの例である。富士山の噴火で富士五湖が生じたように磐梯山の噴火で多くの湖沼を有する裏磐梯高原が生じた訳で大惨禍をもたらした災害も後年の大観光地を作ってくれたわけ である。二泊してチェックアウトするときロビーで異様な格好のお嬢さんを見かけた。薙刀のユニフォームに羽織、銃を肩から掛けている。大河ドラマ「八重の桜」の主人公・女性砲術家八重さんの出で立ちでの客見送りだとか、そう云えばドラマの舞台は磐梯山の麓・会津である。(プライバシー保護のため柄の悪いサングラスのような蝶眼鏡で品を落としてしまったことお詫びします)。
2013.11.09
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苗場の紅葉 25千メートル以上もある一本のロープウエイの山頂近くなると山麓から見ると上の方に見えた雲が身近に迫って来た。そして山上駅に着くと係の人が広場の椅子をかたずけにかかっていた。どうも本格的雨模様である。元々の計画ではここから次のロープウエイまで軽い山歩きをしてもう一つのロープウエイで下山予定であったが、山上レストランで食事をして引き返すことにした。ゴンドラの窓には雨滴が付き写真撮影も難しくなってきた。雨の中でも美しい紅葉は目を楽しませてくれる。高度を下げるに従って赤、黄、緑の相対比が変化して行くのを見るのも楽しい。山麓駅近くまで下がると上ではもうすっかり落葉していた岳樺もこれから黄葉しようという段階である。もう少し下がるとススキが混じってきてすっかり様子が変わって来る。今年の紅葉はあまり芳しくないらしい、この様な異常気象では自然界の植物たちも例年とは勝手が違っていて、どのようにデビューするのか迷っているようである。
2013.11.08
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苗場の紅葉 1秋山郷からの帰りにホテルのシャトルバスで越後湯沢に送ってもらい苗場高原の紅葉を探索することにして路線バスで苗場に向かう、バスの運転手に聞くとロープウエイには「しゅねーでのり替えてください」という。しゅねーとはどんな字を書くのかと思ったら道の駅みたいな施設でドイツ語のSCHNEE(雪)だった。昔から山岳用語はドイツ語が多いがスイス・オーストリアアルプスあたりの近代登山法が我が国に移入されたためであろう。ロープウエイは愛称「ドラゴンドラ」で松任谷由美さんの命名だそうだ。山麓駅から山頂駅までは5481mあり、一本のロープで繋がれたロープウエイとしては世界一だとか。ゴンドラは8人乗りであるが、スキーの繁忙期ではないので大体グループごと乗せてくれ、片路25分かけたっぷり紅葉見物をさせてくれる。 このロープウエイは何度も尾根を昇り、谷を下り斜面を這うように運んでくれるので紅葉見物には最適である。最盛期の紅葉の渓谷の景観は言葉を失う位の美しさである。エメラルドグリーンの水を蓄えた二居(にい)湖も眼下に見える。多くのロープウエイは渓谷をまたぐ時、高い高度を綱渡りするがここでは地表に沿って進むので水の流れがはっきりわかる、苗場山の水は氷河からの流れでもなく火山の噴火口からの水でもないのにこの色はどうして生じるのだろうか。寺社の様にモミジの紅一色と言う訳ではないが白樺、岳樺、ブナ、ナナカマド、ハゼの木などをを中心にグレードの異なる黄葉・紅葉の不規則な配置は正しく錦模様で息をのむ美しさである。アメリカ北部・カナダの楓中心の燃える赤、ロッキー山脈の淡いアスペンの黄葉、ヨーロッパの黄葉に比べて何と素晴らしい錦模様であろうか。ロープウエイは尾根の南面や北面を昇り下りし、山と山頂では高度も異なるので多様な紅葉の錦模様を見せてくれる。苗場山は頂上に美しい湿原を持っていることは知っているが山頂の平らなこの山は登山の魅力には今一つ欠けるものがある。そんな訳で今回が初めての訪問であるがこれからも毎年来たいと思った場所の一つである。帰り長い列車待ちの時間になんとなく外を眺めているとすぐ近くに可愛い家を発見した。尖がった屋根、上階中央の破風屋根と鎧戸の小さな窓、地階の出窓と、白赤緑の色彩配列、背面の森、前面に一本の樺の木、そして完全左右対称な形。これはもうチロルかと錯覚を覚える佇まいである、どんな人が住んでいるのだろうか。
2013.11.07
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秋山郷 3津南町は日本一規模の大きい河岸段丘の町と言われている。信濃川に注ぐ支流の中津川の流れに沿って雛壇の様に何段かに分かれて台地を形成している。下の写真はそに最下段に広がる市街地である。段差部分は多くは森林地帯であるが美しいブナの林になっていたりもする。ブナと言うと複雑な枝ぶりの白神台地のそれを連想するが枝打ちをして手入れをすれば真っすぐ伸びた幹になることを知った。曲がり木で建材には適さず炭にしかならないと思っていたがそれは天然木の話のようだ。段丘の緩やかな段差部分は段々畑になっている。この地方のそれは段差が石垣で区切られ苔の生えた石垣はそれ自体で美しい日本の原風景を作りだしている。そんな段々畑と森の間にはススキなどが生え茂り、時に墓石が埋もれていたりする。また雨水や雪解け水を集めた水流は苔むした岩間を縫って流れ、静かな山の景観を作りだしている。いま町が公園として整備をしている台地の一画が有り、中津川を挟んで対岸は見事な玄武岩からなる岩壁を形成している。ズームアップしてみると玄武岩の石柱がはっきりと分かる。玄武岩と言えばアイルランドのジャイアントコ―ズウエイや東尋坊が有名であるが、溶岩がゆっくり固まって生成するこの岩は日本を含む世界中各地に広く見られる景観である。ちなみに玄武はあの四方神の青龍(東)朱雀(南)・白虎「西)・玄武(北)に端を発する命名で、兵庫県豊岡市の玄武洞公園に有る玄武洞の岩が玄武岩と命名された。この公園には東西南北にそれぞれの洞窟がありその北側の洞窟が玄武洞である。京都御所や奈良明日香の遺跡壁画の四方神は有名であるがジャイアントコ―ズウエイと明日香の遺跡壁画の相関となると見当が付かない人も多いことだろう。昨年訪れたときはまだ公開されていなかったがたまたまガイドが街の環境整備員でもあったため案内してくれ、この時は辺り一面正しく朱の世界であった。今年はまだほんの奔りにすぎなかった。
2013.11.06
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秋山郷 2前編に記した小さな前倉集落のすぐ近くに良く揺れる吊橋が架かっている。私には記憶が無いが「揺れる」と言う映画の撮影場所だそうだ。重量制限数人の橋であるが複数の人が乗ると動作がまちまちで実によく揺れる。揺れる橋の中央部から上流・下流をカメラに納めると素晴らしい渓谷美であるが色付きがいまいちなのが惜しまれる。橋の近くに「もえぎの里」と言う町営の宿泊もできる観光センターが有る。かって池に住んでいた蛇にまつわる民話が有るそうだ。此処は人工の庭園を思わせる風情で小規模ながら静かな素晴らしいロケーションである。こんなところで一日読書にふけるのも一興だろうがマイカー以外にアクセスの方法が無いのは残念である。丸太小屋の脇にはストーブ用の薪が綺麗に積まれている。少年の頃よく風呂焚きをやらされて薪割りをしたものである。丸い幹が二つに割れる時の快感を今でも思い出す。時代劇のチャンバラの最後に大将二人が睨み合い、最後の一振りでどちらかが倒れるシーンがよくあるがあのバサッという感覚は薪割りに通じるものがある。此処の紅葉もあと一週間で最盛期を迎えるだろう。
2013.11.05
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おめでとう!!東北軍団 Golden Eagles/Red Socks 何と云う快挙、そして私との関わりこの10日間はテレビ観戦で疲れる日々を過ごした。昼過ぎまではMLBのワールドシリーズ、夜は夜遅くまで日本シリーズをほぼ全部テレビ観戦した。旅先でも疲れた体に鞭打って夜遅くまで観戦し、最後は体調を崩してしまった位である。私は1955年に上京して以来東京暮しであるがその間1963-1967年の4年間前半を仙台で後半をボストンで過ごした経験がある。MLBはボストン・レッドソックス、日本のプロ野球は東北楽天・ゴールデンイーグルスの熱烈とまでは云わないまでも常に応援し続けてきたことは事実である。私の在住当時仙台をフランチャイズとするプロ野球球団など想像も出来なかったが、2004年に創設された「東北楽天・イーグルス」の初年度は26対0で敗れる珍記録や新聞や週刊誌は楽天イーグルス100敗なるかなんて見出しが躍っていたことを思い出す。2006年に私がこのブログを始めた時まだ常敗球団であったがいつかは楽天・イーグルスも日本一にと言う期待もあって本ブログでは「rakuten・・・・」を名乗って来た。それだけに今回の優勝は嬉しい以上に何かジンとするものを感じる。本当におめでとう。プロ野球にはフランチャイズ制が確立されていて正式にはそのフランチャイズが置かれている地名を加えなければならない。サッカーでは世界中どこでもこの方式は守られている。巨人と言う名称は正式ではない、「東京読売・ジャイアンツ」とか「大阪阪神・タイガース」が正式名で「巨人」はジャイアンツの翻訳でニックネームの読み換えに過ぎずこんな例は日米の野球界を通じて例外であろう。さてそのフランチャイズ名であるが、パシフィックリーグには都市名ではなく地域名を冠した「北海道日本ハム・ファイターズ」とか「東北楽天・イーグルス」がある。その東北のチームが頂点に登りつめたことは東北全体の喜びでありとくに被災地の人々に喜びと希望を与えたことであろう。一番新しいチームが復興の地に贈った「東北の底力」でいつまでも「全面復興」と言う不可能なことを言わないで「前面復興」に突き進んでもらいたい、東北楽天イーグルスの様に。レッドソックスが地元ボストンでワールドチャンピオンになるのはあのベーブルースが在籍した時以来の95年ぶりだそうだ。この優勝に二人の日本人選手が貢献していると言うのは特別な感慨を覚える。ヤンキースと共にアメリカ最古の伝統球団であるがその戦歴はヤンキースほど華々しいものではない。私が在住した50年前は去年までの楽天のような状態でビリ争いをしていたがそれでもフランチャイズ制が確立しているのでテレビではレッドソックスの試合ばかり放送されていた。私は全国にファンが居ると言うジャイアンツやタイガースより地元に根差してその地域の期待を背負って戦っている球団を応援している。広島、横浜、北海道、東北、埼玉などのチームが優勝しかかるとつい応援してしまう。今年の優勝チームに共通するのはいずれも東北地方の球団と言うことである。ボストンは意識しないかもしれないがアメリカ全体からみれば北東の隅っこの位置にある。東北と北東に違いが有るかどうか知らないが、東北>北東、North East>East Northが言いやすいことだけのような気がする。
2013.11.04
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秋山郷 1秋山郷といえば新潟県津南町から長野県栄村に通じる中津川渓谷に沿った道に点在する小集落地域で、津南町の山奥までは国道405号線が通じているとはいえ所によっては対向車のやり違いが素人には難しいところもある。今回は地元津南ニューグランピアが主催する半日バスツアーで訪れた。昨年も同じツアーで訪れたが紅葉には少し遅すぎた気がしたので今年は10月22日にしたが大外れで一週間以上早すぎた。昨年は11月初旬で客はマイクロバス一台に10名あまり、今年は何と小型・中型バス6台を連ねてのツアーで、ホテルではキャンプ場要員から支配人までガイドにあたっていた。我々のようなリピーターはほとんどおらず、殆んどの人は紅葉した山の端を眺めて満足していたが、天下に名高い秋山郷の紅葉がこんなものだと思ってしまうとしたら気の毒である。深い渓谷に懸る赤い前倉橋も渓流の白い流れと水の色は岩壁に栄える。ツアーは新潟県最後の大赤沢集落までである、ここには有名な木工所が有って巨大なブナの木などの根部から作る卓が有名らしい。森の哲学者だったであろう巨幹を輪切りにして卓板に加工するのだが現代ではこの大きな卓が似合う家もだんだん減っていることだろう。幹の洞には木彫の観音像が安置されて祀られている。すぐ脇の棚田では農家の人が草抜きをしていた。ゴム長靴、フード付帽子、肘あてと絵にかいたような農村ファッションで山村の原風景を表わしている。ミレーを想像するまでもな絵になる構図だったので思わず失礼してズームシャッターを押してしまった。この棚田の隣りは清流の渓谷である。4軒から成る見倉の集落は家屋も古い様式を保ち冬に備えて薪を積み上げ冬に備えていた。名だたる豪雪地帯なので冬は屋根に備えた三角窓が出入り口となることだろう。
2013.11.03
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