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豊島園イルミネーション2013年もあと2日となってしまった。元旦から恒例の家族合宿が横浜であり、孫に与えるお年玉袋と年越し蕎麦を用意して準備万端である。わが相棒は12月になるとイルミネーションに関心を示す。私はなんかと理由をつけてお伴を断っているが一度くらいは付き合っておかないと待遇が悪くなること請け合いである。この前の土曜日我が家からすぐ近くの豊島園のイルミネーションを見にゆくという、回り道する電車でも10分余りなのでお供することにした。かっての豊島園と言えばこれらの発券ブースに列ができる賑わいであったが今は見る影もなく一つあいているブースにも人影はまばら。スカイツリーの建築場所として今の場所と最後まで争ったのがここ豊島園である。ようは東武鉄道と西武鉄道の争いであった。30年前であれば圧倒的に西武に勢いがあったが堤一族の不祥事で今は断然東武に勢いがある。そんなわけで衰退する豊島園はどうなるのだろうか。ただ個人的には我が家の近くが喧騒の街にならなくてよかったと思っている。エントランス並木には無数の星が煌めいて通りを照らしている。シアターと称するところではくるみ割り人形の劇がELによる登場人物(動物)によって繰り広げられている。1907年ドイツで建造されヨーロッパを巡業した後長くニューヨークのコニーアイランドの象徴として愛されたメリーゴーランド「エルドラド」がコニーアイランドの閉園で1971年豊島園に引き取られ今も現役で動いている。木馬や柱の様式にもアールデコ様式が見られ、かってはルーズベルト大統領も少年時代楽しんだという現物が今も動いている。機械学会では歴史遺産に指定している。万一豊島園が閉園にでもなれば中国辺りに買い取られるのだろうか。来年は午年だそうでゆるキャラが多くの子供たちと写真に収まっていた。ミラーハウスもいろいろな色の移り変わる電飾でその存在を主張しているが何しろ客が少ない。年末の土曜日がこれではますます先が思いやられる。広場という広場には電飾スクリーンが設けられいろいろなショウガ繰り広げられているが客が少ない。そしてあらゆる建物や遊戯施設もけばけばしい電飾飾りで満ちているが電気代が出るのだろうか。いくつもある食事処も外壁はELで囲われ常にその様相を変えている。ともあれこんなに派手な飾りが出来るのもELの出現で電気代がかからなくなっておかげであろう。この間までの倹約ムードはどこえいってしまったのだろうか。原発がなくともこうだからなしでも十分やっていける。なにはともあれ今年も行ってしまう。近隣諸国との軋轢も互いに理解、譲歩する以外に解決の道はない。何時までも押し合ってばかりいてもエネルギーを消費するだけで何の結果生まれてこないだろう。来るべき2014年が全地球人にとって平穏であることを祈るのみである。
2013.12.30
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師走のバルコニー花壇師走に入って本来の忙しさとは関係ないことで慌ただしい日を過ごしブログをものする余裕を失っていた。そろそろ年賀状の準備をと思ってパソコンに向かったまでは良かったが宛名の差し込み印刷ができない。Yahoo知恵袋に相談してトライアンドエラーを繰り返しながらセッッティングを変えるがデーターを読み込んでくれない。MS・OfficeをKing・Officeにしても効果なし。CDから再インストールするも駄目、結局Windowsをディスクから再インストールと何日も浪費してしまった。この間のストレスは相当なものであった。結局何年間もいろいろなファイルをダウンロードしている間にゴミがたまりパイプが詰まった状態で、CPUメーターもほとんど100%働いて時間ばかり消費していた。こんなことをパソコン音痴の私がWebで調べながらの作業は時間をふんだんにつぎ込んで何とかリカバリーを果たしたしだい。さらに今月はWimaxの24ヶ月目で要領良く解約しないと解約料を取られる。新しいインターネット環境をどうするかも悩みのタネであった。代理店を通してなかったのでWeb・電話での解約に手間取ってしまった。いろいろ検討したが結局Wimax2+はまだ自宅がサービス圏にないしルーターが重すぎるので旧来のWimax にとどめて、昨日量販店で契約してやっと落ち着いた。そんな忙しい日々の中で時々は小春日和もあった - (晩秋・初冬の暖かい日、Indian Summer (米)、St. Martin's Summer(英))。 そんな日の屋外でのコーヒータイムの我が家のルーフバルコニーの花を記録しておこう。わが相棒は毎日のように園芸店の店頭を覗きにいっているが所詮冬は花の季節ではない。オキザリスと名がつくが普通にイメージするオキザリスとは姿形が違う紅い花のオキザリス・グラブラ。この栽培は実に単純で花が終わると春から夏にかけてはただ鉢を積み上げておき水もやらない。そして秋になって水をやり始めると芽が出て今頃に咲く。その左は黄花のオキザリス・フラバだがもう終末期で写真には耐えない。さらにその左のものはこれも変わったオキザリスで濃いえんじの大きな三角形の葉っぱを持ちこれも冬咲きである。学名はオキザリス・トライアングラリ(三角葉オキザリスと言うべきか)。我が家にはいつどうして住むようになったか不明である。そして一番左は園芸種のオキザリス・ボーウィ。最盛期その華やかさはオキザリスの中でもトップクラス。鮮やかなピンクいろのサクラソウのような花が咲いている。尋ねてみると春ではないがやはりサクラソウの一種だそうだ今花屋を賑やかにしているのはこれである。冬咲ではあるがこの時期このサクラソウがよく売られている。この色は冴えないベランダ花壇の景色を華やかにしてくれる。薔薇のコックテイル、何十年も前にバザーで買ったものだが一年中不定期に少数の花を咲かせる。千日紅は真夏から咲き続けまだ花穂を伸ばし続けているが、さすがにここのところの寒さで茎や葉っぱは見る影もない。百日紅はサルすべりと読むが千日紅は素直にセンニチコウ。この時期なんとか花壇に色どりを整えているのはいろんな色のビオラの花、相棒は園芸店の店頭で鮮やかに並んでいるのを見て次から次えと買い込んでくるが強風と寒さにさらされるマンションの屋上ではなんか元気がなくて可哀そうな様相を帯びてくる。我が家にも何色か並んでいるがぱっとしない。よく見ると意外に奇麗なのがさつきの紅葉、こんなに紅葉するとはあまり知られておらず、気にかける人もいないのが可哀そうである。
2013.12.19
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東御苑期限の迫ったJRホテルでの食事券が有ったので東京駅八重洲口のホテルメトロポリタンでランチをし、久しぶりに秋色の東御苑を散歩した。東御苑は江戸城の本丸、二の丸、三の丸、つまり江戸幕府の中枢だった場所で、松の廊下とか大奥とかドラマで馴染のある場所である。大手門前の大手濠には高層ビルの影が映る。かっては皇居を覗くのは恐れ多いとして丸の内界隈には高いビルは建てなかった。しかし最近はお構いなしである。まあその方が自然ではある。大手門から入り大番屋や巨大な石垣門を経て本丸跡の芝生広場に出てみると、辺りは開けて首都東京の中心にいるとは思えない情景である。葉を落としたケヤキの梢は青空によく似合う、芝生の周りにはちらほらと冬桜も開花している。天守台跡も復元されている。江戸幕府は最初天守閣を持っていたが江戸の大火の後もう建物で威嚇しなくとも幕府の権威は確立しているとして天守閣無しのお城であった。天守台跡から坂を下り大奥の有った方角を眺めるとそこはもう秋色に染まっている。大奥と本丸を隔てていた石垣も見事に復元されている。石垣がモザイク模様に見えるのは江戸時代の石、そに後の補修の石、最近の復元の石とそれぞれの歴史を石の濃淡で表わしている。隣には二の丸庭園の池庭が広がっている。寺社の庭で有れば相当なものであるが何しろ大きな江戸城とあって大きさは感じない。城内の女性にとってここくらいしか屋外の空気を吸う場所はなかったであろう。将軍の子供達もこの森や池で遊んだのであろう。飛び抜けて名園とは思わないがそれなりに名工達が腕をふるって造園したのだろう。勿論≪秘密保護法≫以上の掟が有った時代である、庭の広さや構造を漏らすことは命の懸る一大事であったろう。それほど大げさではないが現代でも皇居の情報が我々の耳目に入ることは無い。池の手前えに広がる二の丸跡は今雑木林になっていて都心にあって、とても貴重な空間である。昭和天皇の希望で武蔵野の風情を残す雑木林を再現しているそうだ。小路に踏み入れると正しく秋色の武蔵野もかくやと思わせる雰囲気が漂っている。
2013.12.10
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Zero Km Post (粁程基準標)数日前東京駅で乗降する機会があった。折角なのでゼロポストを探索した。ゼロポストとは勿論日本のJR鉄道の基準点の標識である。走行方向に関係なくこの点に至るルートが日本の[上り列車]である。昨年新装なっ た東京駅を見学したこともあり、その際駅長室に案内され駅長の執務机から引いた線が0キロ原点だと聞かされたがまだ確認したことがなかった。東京駅と言っても現在山手線、京浜東北線、東海道線、新幹線は地上ホームであるが横須賀線や京葉線は遠い地下だったりするので今回探索したのは1〜10番線つまり在来線の地上ホームに限っている。一つのホームから二つ見えたり一つしか見えなかったりするので幾らか間違いが有るかもしれないが一応プラットホーム番号順に整理してみた。 一番線は駅長室に最も近い中央線の始発であるが、線路の向こう側に凝ったレンガの台座、4号車乗車口のマークが有り、ゼロマークにはただKMの文字が有るだけで何の説明もない。2番線には実にあっさりと≪0 粁米≫とあるだけで結構新しい。この辺りは東京駅が改修復元されたばかりなので1,2番線のポストは新設されたものと思われる。3番線のポストはもうかなり年代物である。しかも普通は線路に平行に設置してある勾配標識(パーミル)が垂直に設置されている。他のホームではこう言うことはない、勾配標識ではないのかもしれない。4番線のポストも比較的新しく鋳造金属の立派なものである。大きなゼロの中ににはKMと彫られている。銘文には≪起点 国鉄キロ程 基準原標 東京駅開業55周年記念≫とある。これだけはっきりと銘が刻まれているのはここだけみたいである。5番線は上の4番線と同じものの裏側であるが写真の露出度が全く違っいて別物に見える。6番線と7番線には段差が有り標識は段差上に設置されている。臨時であろうがケーブルを収めたテューブが無粋だ。これが設置された1996にはもう国鉄ではなくJRとなっている。(1987年国鉄からJR東日本に民営化)7番線は6番線と同一物であるがこちら側の銘は≪km≫とだけある。8番線には標識が無い! 注意して見ると丸にクツワ印(バツ印、X?)だけ。注意深く見ると両側に左右に向けた矢印が描かれている。9番線には出発を待つ列車が停車しており車輌に遮られてか確認することが出来なかった。最後の10番線は何とも味気ないもので、これはもう基準原点表示と言えるものではなく、単なる距離表示にしか見えない。これで新幹線以外の東京駅地上ホームをゼロポストを網羅したつもりである。ばかげた探訪記かもしれないが自己流無料ツアーはそれなりに充実感が有ったことを付記しておこう。
2013.12.09
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西伊豆・駿河湾の旅戸田の別荘地をハイクしていて、たまたま出会った不動産業の社長さんの親切な申し出で戸田から伊豆箱根鉄道の長岡温泉駅まで送って貰った。道中細い道は時に尾根道を回り、崖の上の見晴らし台を通り、海岸線すれすれに幾つかの漁港・マリーナを通過しながらのドライブである。道中常にその日の旅の友・富士山がその秀麗な姿で付き添ってくれた。長い砂州に囲まれた波静かな戸田港。途中の見晴らし台は≪煌めきの丘≫と命名された道路脇の展望台。 煌めきの丘富士山の左側の駿河・遠州の山並みの上に雪を頂く山並みは南アルプス。中央部に聳えるのはわが国第二の高峰北岳(3193m)。何と西伊豆からは日本で1,2位の高山を見ることが出来るのである。そして南アルプスの下に見えるのは富士市の製紙工場群の高い煙突。富士山の右手前に広がる愛鷹山は地質学的には富士山よりも古い火山で、この位置から見るとほぼ左右対称に展開している。多分最初の噴火でできた富士山型の火山がその後の噴火で中央付近が吹き飛ばされ、左右の斜面の残りが二つの頂きであろう。ブログ≪愛鷹山その歴史≫に愛鷹山の噴火・変形のシミュレーションが有る。この型のツインピークをもつ山は世界中に数多くあり、国内では北海道の駒ケ岳、磐梯山、筑波山などが頭に浮かぶ。 愛鷹山: 左:越前岳 右:位牌岳 間に噴火口外国で思い出すのはアメリカのシアトルに近いセント・へレンズ山である。1980年に大噴火したがの爆発は正確に予測され、多くのカメラマンが待ち構える前で起こった。その様子は多くの動画で見ることが出来る。私は噴火後開放されて間もないこの山に1991年に行ったことが有る。道路脇にまだ噴気が有ったり、噴火で出来た堰き止め湖の湖面は巨木の流木で覆われていた。ツインピークの中央部はまだモクモクと噴気が立ち込め、まさに地球の息吹を感じたものである。辺り一帯には当分生き物は育たないだろうと言われていたが噴火から11年目出来たばかりの公園道路は一面焼き焦げた黒い平原の中を走っていたがすでに木々が芽吹き、野ウサギまで見かけた時は感動したものである。話を元に戻そう。伊豆西海岸次の展望台は井田の見晴らし台。村落の水田跡には井田の田んぼ文字が見え、岩に砕ける白波が美しい。こんな観光を伴った寄り道をしたのも大瀬崎と云うやはり砂州に囲まれた港を見下ろす場所にぽつんと建つ別荘が売り物件になりその実地検分をするためである。例によって不動産屋さんが実地検分をしている間私たちは別荘の居間のソファで時間を過ごした。この別荘のオーナーは海洋学者だったそうでそれらしき資料もあったがタバコの吸い殻がテーブルに有ったり部屋はかなり荒れ果てていた。それでも居間から望む湾、その向こうに延びる砂州や立派な神社、駿河湾内の白波など全く飽きの無い景色がひろがっていた。眼下の湾内ではこの日の強風にあおられて海面から湧き出る霧のような水飛沫が立ち上がり虹の色を見せては瞬時に消滅する光景が絶え間なく繰り返されていた。強風で見通しが抜群であったが船は出航出来ず、バスの便も少なくマイカー以外では殆んど陸の孤島と化した地で親切な人(アタミ土地開発社長)に恵まれ楽々としかも普通の観光旅行ではとても味わえない経験をすることが出来た。
2013.12.08
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はまゆうの郷西伊豆・戸田への旅でゲストハウス≪まほら≫に宿泊したが、今回は富士山を間近で眺めるのだけが目的の旅だったので2日めは予定がない。ホテルに隣接して≪はまゆうの郷≫と云う約半世紀前に開発され今だに殆んど当時の様相を留めている別荘地が有るので散歩(ハイク?)することにした。別荘地への入り口にはゲイトが有りカギがかかっているが何軒かの表札と郵便受けが有り、「横の通路から入って歩いて自由に見てください」との掲示が有った。別荘と言っても殆んどは空き区画で点在する家は殆んど山林に埋もれた一軒家である。このゲイトで不覚にも小さな落とし物をしてしまったらしい。別荘地内で道に迷っていたところ、ややあって一台の車がやって来た。手を挙げて止めると、いきなり「rakutenさんですね」と呼びかけられ驚いた。ここを管理している不動産会社の社長さんが年に何度かしか来ないがたまたま売り物が出てその確認に来たところ、入り口で私の氏名を記入した落とし物を発見したというのだ。そして2,3寄り道をするが途中の鉄道駅まで便乗して良いと親切な申し入れをしてくれた。何しろここは船やバスも午前・午後一便くらいしかないところでマイカーで来ないと殆んど陸の孤島的な場所であることを知っていての有難い申し出であった。お陰で普通の観光旅行では味わえない貴重な経験をしながら全く予期しなかった素晴らしい旅をすることが出来た。最初の寄り道はこの別荘地の売却物件である。これから売りに出るところとて屋内は荒れていたがまだ家具などもそのままで生活臭のする居間から外を見ると、戸田湾の向こうに富士山と愛鷹山がくっきり望めた。1854年通商を求めて来航したプチャーチン提督率いるロシア船ディアナ号が難破し全員救助された後、戸田村に3ヶ月間滞在し戸田の船大工に新しい西洋式帆船を建造して貰った。≪戸田号≫と命名し、その船で帰国した。ロシア人の技術師官が設計したものであるが、設計段階から戸田の船大工達が参加して建造した我が国で初めての2本マストの洋式帆船である。別荘のテラスに出て見るとディアナ号の船員たちが過ごした戸田港の雄大な景色が迫って来る。心細い遭難船員の心にこの美しい山の姿は大きな慰めであったことは間違いないだろう。社長さんがもう一人の同僚と色々確認作業をしている間、すぐ近くの県道脇に有るレストランで待つことにした。道路から海側の崖の上に建つこのレストランは実に奇妙な建造物である。眼と耳を有するユルキャラみたいであるが魚(ヒラメ?)だろうか鳥(フクロウ?)だろうか。ガラス張りのレストランに入ると崖の上だけあってコーナーに陣取ると視界を遮るものは一切ない。こんな待ち時間は全く退屈しないですんだ。実はここは≪フルーツランドギャラリー≫と云う名のフルーツパフェが売り物の店らしい。後から入って来た若いカップルが季節のフルーツをあしらった豪華なパフェを注文した。見ているとなんだか食べてみたくなり食事制限も忘れてクリームを殆んど使わない特注のパフェを作ってもらい、何十年ぶりかで味わった。このレストランには「ギャラリー」の名が付いているが疑問はすぐ解けた。屋内・屋外に所狭しと秋田杉の材だけで作った別荘モデルが飾られている。兄弟が建築家で秋田杉の建築を専門にしているみたいである。オーナーは猫を15匹飼っているそうで屋外展示の古いものは猫小屋として使われている。何と贅沢な暮し方をしている猫達だろうか、猫に生まれ変われるならこんな生活も悪くないと思ったしだいである。
2013.12.07
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ゲストハウス≪まほら≫西伊豆の戸田には学生時代から4、5度行ったことがある。今回富士山見物旅の宿は戸田(へた)の街から少し山に入って駿河湾が山に迫った所に位置するゲストハウス《まほら》にした。ここは海際の崖の上で山の尾根の突端に有り、見通しはこれ以上ないロケーションである。もう20年以上からその存在は知っていたがまだ泊ったことはなかった。山の頂上に瀟洒なログハウスのフロント棟、その隣に25年前ここが建設された当時の流行である表面打ちっぱなしの鉄筋宿泊棟、そして宿泊棟をはさんで大きな木組みのレストラン棟からなり、それらの独立した棟間に連絡路がある。フロントレストラン棟レストラン棟は巨大なカナディアンシダー材を組み上げたログハウスである。マネージャーによるとこれらの丸太材はカナダから対岸の清水港に運びここに持ってこられた由である。屋根、天井、柱、梁、なげし、仕切り壁と全て丸太作り、築25年と聞いたが香りこそ失っているものの木肌はまだ瑞々しい。カナダやアメリカ北部の国立公園内にはこれよりもはるかに大きなビルのようなログハウスのホテルをよく見るしMt.RanierやYellow Stoneを訪れたことが有る。宿泊棟の階段踊り場の壁には有名書家の大書墨跡で《まほら》と有り、他のコーナーにも書が多く掲げられている。ホールの窓外には坪庭があり大きな岩が盆栽風に仕上げられ一組の客のためにライトアップされていた。この階段踊り場ホールにはソファが置かれ、いろいろな資料が何気なく展示してあったが目立ったのはずらりと並んだ全て西村京太郎の推理小説である。この静かなホテルで窓一面の駿河湾と富士山を眺めながら西村京太郎にふけるのも一興であろう。壁面にはさらにそれらをドラマ化したポスターが何枚か貼られている。白いディレクターチェアーが置いてあったが階段からその裏を見るとそれらのドラマの主演俳優の名《WATASE》と記されている。ここは推理ドラもの出演が多い渡瀬恒彦さんが25年前に始めた部屋数18のゲストハウス《まほら》である。《まほら》は何語かと思っていたが純粋の大和言葉で、あの古事記に謳われた「やまとは国のまほろば・・」の《まほろ》で「美しい場所・住みやすい場所」を意味するそうである。渡瀬さんがなぜこの地を選び《まほら》と命名しゲストハウスを建て、大々的宣伝もなくこの地味な宿を経営し続けているのかその心境を知りたいものである。注意してみるとそれらしき資料に満ちてはいるが尋ねなければスタッフもそれを口にすることはない。それにしても部屋から眺められるここからの富士は美しい。そして伊豆西海岸は山の尾根が幾重にも海に延びておりその濃淡は一幅の墨絵である。
2013.12.06
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西伊豆・戸田へ富士山の頂上に夕日が沈む時それが指輪の台座に付いたダイヤモンドに見えると言うことから≪ダイヤモンド富士≫と云われている。11月20日頃山中湖を挟んだホテルから見ると湖面にそのダイヤモンド富士がに映り、ダイアモンドからの放射光の影が美しいと言うのでホテルを予約した。ところが天気予報は暴風雨の警報まで出る始末。これでは仕方が無いのでキャンセルした。仕方なく23・24日頃、我マンションの廊下からのダイヤモンド富士を写真に納めようと期待した。ところがこれまた雲に隠れて富士は姿を見せてくれない。ダイヤモンド富士を諦めて28・29日に駿河湾越しに富士を正面に見据える西伊豆・戸田に出かけることにした。ここはちょっとした因縁が有って過去に何度か訪れているが、三保ノ松原辺りまで延々と傾斜した富士の稜線全体がはっきり見られる地である。新幹線を三島で乗り換えて沼津港に向かおうとしてバス停に行くと隣には伊豆長岡温泉行きのバスが停車している。なんだか薄汚れた車体だと思ったが西武系の会社らしくレオマークの付いた≪らくがきバス≫とある。車体の横面もこの通り、窓ガラスも一面らくがきで埋まっている。そして何とタイヤもゴムやボルトにまで落書きされている。いつどこでこれだけの落書きを集めたのだろうか。さて沼津港に着いてみると富士山の上部が薄雲の下にくっきりと見える。気をよくして湾内を見ると白波が立っている。富士がはっきり見える日は風が強いことも意味している、案の定、船は欠航である。こうなると戸田へ行くのは至難の業、何しろバスは朝夕の2,3本しかない。だがそこは良くしたもので船で30分の処1時間かけて代替えの乗り合いタクシーが船と同料金で運行すると言う。時間になって大型バン型タクシーが来た、青いウインドブレーカーを着こんだ明らかに船員が運転手だ。要するに船を出せない時は船員がタクシー運転手に早変わりするみたいである。戸田の港まで予約しておいたゲストハウス≪まほら≫の方が迎えに来てくれていた。部屋に通されると窓は一面駿河湾と富士山で塞がれている。部屋の前には小さな樹木があり、一部視界が遮られていたが部屋の隣りのテラスに出てみるとそこはもう何も遮るものが無い。手前の視界に少し見えるのは美しい山容の愛鷹山(アシタカヤマ)であるしばし黄金に暮れゆく駿河湾と富士の夕映えを楽しんだ。風呂場の脱衣場から簾を通して見る山の夕焼けもなんとなく奥ゆかしい気がしてきた。≪山(香炉峰)に降った雪を簾を掲げて見ると≫書いたのは清少納言だっただろうかどの風呂場の浴槽・露天風呂からも窓一面に富士の姿が映っている。暮れゆく富士の姿を眺めながらの露店風呂もおつなものである。ちなみにこの日の客は我々老夫婦一組だけであった。
2013.12.05
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三島・楽寿園 2一昔前まではこの時期になると菊人形展というのが各地で開かれていた。各種の菊を針金の張りぼてに這わせて歴史上の人物や歌舞伎の名場面を造形した物を展示していたものである。今は殆んど見られなくなったが代わりに抽象画のような菊の造形が良く展示されている。楽寿園でもこの時期菊花のてんじが多い。これは何だろうか、ダンスするグループシンガーだろうか。クレーンを使えば菊花の造形もどんどん大型化する、今年は「八重の桜」にあやかって会津・鶴が城の巨大ジオラマが菊で作られていた。三島と云えば文字通り富士の裾野の町、富士山の大きなジオラマもあり頂上付近には本来白い菊が植わっており冠雪の富士が有ったらしいが今は白菊の季節が終わり本物の富士山とは逆に雪が無くなっていた。≪楽寿燈籠≫と云う固有名詞の燈籠。なかなか見事な自然石を使ったオブジェである。小さな池には色々な水鳥が泳いでいる。白鳥は世界中どこでも池の主役を張っている。五位鷺が一匹白鳥と会話をしている。も う一方では首の長い青鷺がヒョコヒョコ動いている。白鷺に次いで青鷺の姿態は優美である。一方五位鷺は首が無いに等しく、歳をとった平幕力士みたいであ る。五位鷺とは京都神泉苑にて醍醐天皇の勅に従順に従った鷺に天皇が五位の官位を与えられたことによる故事基づいて名付けられた。五位以上が貴族で昇殿を 許されていたと言うからこの鷺どうしてやんごとなき御仁なのである。そう云われて見直せば老力士と云うよりも哲学者に見えてきた。楽寿園に隣接する三島駅であるが日暮れの迫った新幹線のホームに立つと富士山が西日に照らされて西面が明るく、 宝永噴火口を正面に見据えて右側はなだらかな稜線が目立つ。やはりこの角度からの富士山が一番秀麗で昔から駿河の国の富士山が好まれた理由が理解できる。
2013.12.04
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三島・楽寿園 1数日前三島駅を通る機会が有った。乗り換え駅で時間が有ったので駅前の旧小松の宮別邸「楽寿園」に立ち寄ってみた。有栖川宮と小松宮は明治維新の際官軍の征夷大将軍や総督として鳥羽伏見の戦、上野の戦、戊辰戦争、西南戦争と官軍側で活躍し、前者は有栖川の宮公園に、そして後者は上野公園にその勇ましい騎馬像がある。小松宮は東伏見宮親王であったが後に天皇家の養子になったり、仁和寺門跡になったりしたが後に還俗して大部分は軍人としての人生を終えている。その小松宮が冨士の豊かな湧水を利用して池を中心とした庭を楽しんだのがこの楽寿園である。三島駅から見るとその楽寿園は今紅葉の真っ盛りで菊飾りもあるらしい。園内に進むと色鮮やかな世界が広がっていた。時間外で小松宮旧居を見ることは出来なかったが文化財の逸品が多くあるみたいである。付け加えておくと《宮さん宮さんお馬の前でチラチラするのはなんじゃいなトコトンヤレトンヤレナ≫と歌われた≪宮さん≫とは小松宮のことでちらちらするのは≪錦の御旗≫だそうだ。 宮様が楽しんだという小浜池は今渇水期で溶岩の湖底を露わにしているが富士の湧水が豊かであった当時は一年中万年雪から湧き出した水で池の四季をを楽しんだことだろう。園内には小浜池の他にも幾つかの池が有り、いずれも最盛期の紅葉に囲まれていた。池には鴨や鷺がのんびりと紅葉を愛でていた。
2013.12.03
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日曜日の公園 練馬区と板橋区にまたがって巨大な団地が有る。都立公園やショッピングモールを備え、おそらく何万という人口を抱えている高層住宅が林立している。どこも老齢化が進み若年人口の減少が問題視されているがここは将来は老人ホーム群となりうるマスタープランで出来ていると言う話である。首都防衛のための陸軍成増飛行場、米軍住宅Grantハイツ、そして住宅・公園へと変遷したところである。さすがに日曜日の公園は子供達で溢れている。週末の公園は避けてきたが若い子連れの動きを眺めるのも楽しいものである。鴨の泳ぐ池は後ろのマウンドに広がる野鳥の森を縁取ってもいる。落ち葉敷く園地の風景は人生で云えばちょうど私に年齢に見えてくる。広場に見慣れない立て看があり、小さなケージが並んでいた。その夜テレビを見ると災害時ペットをいかに避難させるかの講習会が有ったと言う。日頃から訓練しておくそうだ。下の写真を拡大してみてみるとなるほどペットの避難法についてのものだった。今やペットも重要な家族の一員なのだろう。公園rと商業施設は広い道路で隔たっており、陸橋とイチョウ並木で繋がっている。12月ともなると木々も寂しそうに冬の枝を晴天に突き刺したような風情である。また今年も暮れて行くみたいである。
2013.12.02
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晩秋の落ち葉今日からは12月!!歳をとると時間が加速度的に早く行きすぎる。私の人生はあと何日あるのだろうか、知りたいような知りたくないような気分である。Septenber, October, Novenber, Decemberはそれぞれ7番目、8番目、9番目10番目の月を表わしている。つまり実際の月とは2カ月ずれている。ローマ歴を制定する際最高神ジュピター(ギリシャ名ゼウス)の妻ジュノーの名とローマ皇帝ユリウス(カエサル)の名を強引に挿入し、June Julyにしたとも言われている。先週あたり都内のイチョウの黄葉も最盛期であった。モミジの木位の高さだと木全体を見るがイチョウとなると並木全体を見て個々の樹木を見いることは少ない。いきおい落ち葉が良い、と云うのも葉量が多く地面全体を覆ってしまう。オイリーな葉っぱが舗装に積ると気を付けないとすってんころりんとなる場合もある。イチョウはセコイア同様有史以前からその姿を留めていて生きた化石と云われている。地味な花壇も地面が黄色い葉で覆われると一段と映える。子供達は大量にすくい上げてはこれをふりまいたり、兄弟でかけあったりして遊ぶ。我が家の孫達も良くこうして遊んでいたが子供の動作はいつの世も繰り返され、こんな光景があちこちで見られた。蟻んことまでは行かないがダックスフント位の気分になってしゃがんで見た。小動物の見た都会の秋である。何と先週何度か早朝の東南東の空を見てISON彗星を捉えようと努力したが捉える事が出来ず、太陽の向う側を回って折り返してくる 12月初旬を楽しみにしていたのに、何と太陽の熱にやられたのか 爆発したとの知らせ。残念である。 飛行機に乗って追いかけるツアーは中止になるのであろう。
2013.12.01
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