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MOA美術館へのアプローチMOA美術館は山の下方に巨大は洞窟の入り口の様な口があいていて樹木で覆われた山の胎内にホールがあり、そこから両側にエスカレータを備えた長い階段が上に向かっている。天井はと言えば巨大なハーフパイプをかぶせた様な形をしていて、常に変色するイルミネーションで照らされている。エスカレータの踊り場には大きなドーム状の丸天井・円形ホールが見える。客は山の中の巨大パイプを登ってゆき、だんだんと異次元の世界に導かれてゆく。これはもう「映画・宇宙への旅」と言ったところである。エスカレータを登りつめると大きな丸天井の円形ホールに着く。ここではコンサートなども開かれるそうで刻々と色が変わるイルミネーションと中央の天窓の様な所は宇宙への脱出口と言ったところである。とにかく異様な雰囲気の場所である。何かこの新興(?)宗教に入信したくなるような気が起こっても不思議ではない。そしてこの円形ホールから美術館展示室へはまだここから続くもう一つの宇宙へ通じるハーフパイプ型のテューブを運ばれてゆかなければならない。空想映画で異次元にワープする時に似た光景である。そして足元を見ると綺麗な大理石のモザイック模様が敷かれている。さしずめ宇宙空間か霊界の地図のようである。いずれにしても世界救世教と言うこの宗教は病人への「手かざし」による「浄霊」で人を救うと言う。この世あの世のすべての現象は発信側と受信側の周波数が合って認識されなければ相互通信(魂の伝達)は存在したことにならず、浄霊の為の受け手と施主の一体化は出来ないだろう。神や仏との一体化には光、香り、音声ど人の五感に訴えるものや幻覚剤なども用いられるが、光と屋内環境や美術品までも布教には役立つものかもしれない。こんな穿った(ひん曲がった)見方をするrakutenに神仏の手は差し伸べられないだろう。
2014.05.31
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MOA美術館熱海のツーリストスポットとして有名なのがMOA美術館である。この美術館は大本教を始原とする宗教団体・世界救世教が運営する美術館である。この教団の特色は手かざしによる浄霊という儀式で病気を治療したり、自然農法の推進、芸術活動などを教義としている。教祖で美術館の創立者でもある岡田茂吉は美術に造詣が深く、東洋美術品の蒐集に努め、MOA美術館を開設している。ちなみにMOAはモアと読むのかエムオーエーと読むのか分からないがMokichi Okada Associationの頭文字からの命名だとか。光琳の 国宝「紅白梅図屏風」や豊臣秀吉ゆかりの「黄金の茶室」などが人目を引く。今回は美術品展示室はパスして施設と無料公開中の庭園散歩を楽しんできた。バス終点美術館前で降りると柔らかい色合いの砂岩を積み上げた人工滝と山林の中に美術館入り口だけがある。入り口ホールからは五色に変色する天国への階段の様な長いエスカレーターに乗り換える。エスカレーターの行く手にはホールがあり、その丸天井には天国の窓の様なものが見える。何回かエスカレータを乗り換えて4階ホールに出るとここはやっと美術館の展示室入口になる。ここからは地上部で前後全面にに大きな窓があり景色が大きく開かれている。南側の相模湾側を見ると錦ヶ浦手前の熱海城や海際のホテル群、伊豆の山、視角を少し下げると美術館の前庭が望め芝生広場とムーア広場がある。ヘンリー・ムーアの彫刻" King and Queeen" が絶景を眺めている。北側の窓からは美術館敷地の広大な竹林庭園が眼下に望める。ホールにはマイヨールの彫刻”Spring" が置かれ、柔らかいインド砂岩の壁にマッチしてなめらかな裸婦彫刻が栄える。入り口ホールから外階段に出る踊り場にはブールデルの「アポロンと瞑想」「走りよる詩神たち」と題する大きなレリーフ彫刻がはめ込まれている。踊り場には椅子も配置され石材の額縁を通して海景色を眺められる。巨大な建物全体がインド砂岩で出来ており、青空と芝生の緑に融けこんでいる。柔らかな色合い、切り出したばかりの様なざらりとした表面を持つこの石はインドの山奥から切り出されベージュ色の部分だけを使ったそうである時々リゾートホテルのテラスなどで見かけることはあるが建物全体をこの砂岩で覆ったのはあまり見かけたことがない。実に美しい。
2014.05.30
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伊豆山神社今回の熱海旅行は区の保養所に指定されている伊豆山のホテル割引券が手に入り、半額以下で宿泊できたことが大きな動機である。以前から伊豆山神社を訪れてみたいと思っていたので渡りに船であった。ホテルは洋室・和室・広い板床のリビングルームにキッチンまで備えた広い部屋、リゾートマンションの破綻後の再利用であろう。イタリア語で絶景を意味するホテル名に恥じず部屋やプールサイドからは相模湾に浮かぶ初島や遠く大島や伊豆半島がかすんでいる。今回の旅の目的の一つに伊豆山神社参拝があった。案内書には837段の階段を上るとあったので我々には無理と思っていたが今回のホテルからはほとんど高低差がなく10分位で行ける。神様のご加護は少ないかもしれないがこちらを選ばせてもらった。伊豆山神社と言えば言わずと知れた源頼朝と縁の深い神社、伊豆に流されていた時、北条政子と逢瀬を重ねたのがこの神社とされており、二人を見守ったと言う古木もあって恋愛祈願のパワースポット。そして頼朝が源氏の再興を祈願し旗揚げの戦勝祈願したのもこの神社である。当然神社の格も高く昭和天皇や今上天皇も皇太子時代ここに参詣している。そんな訳で大きな願い事を祈願するパワースポットとしては第一級のところ。頼朝・政子にあやかって恋愛祈願にも強烈なスポットらしい。失敗作の下の写真は頼朝と政子がデイトの時腰かけた石と言われている。腰かけ石近くのご神木らしき木の脇にある鳥居には「奉納 小泉今日子」とある。女優の小泉さんが恋愛のキューピッドかどうかは知らないが調べてみるとやっぱり人違いではないらしい。それにしても一人でこんな大きな鳥居を奉納するとは彼女の恋愛歴を知りたいものである。正参道の石段を上から望むとまっすぐ海に向かって降りている、我々は裏から入ったが恋愛祈願にはやはりこの階段を登らなければご利益が薄いらしい。海際からの段数は837段とか、現在ではその間に市道、国道、市道と3つの道路を横断しなければならないが、鎌倉時代は浜から登ったのであろう。案内板を見ていると毎日登っているらしい杖をついた古老が近ずいてきてこの看板の数え方はけしからんと盛んに立腹していた。なんでも階段がいくつかの数でグループ化されているのは宗教上の意味があるらしい。それを無視して機械的に数えるのは意味がないとのご託宣であった。ともあれホテルから平坦な道をたどって来たなどと言い出せる雰囲気ではなかった。ここからの景色は熱海の街並みは森に隠れて見えないが山上には観光用熱海城が望め、断崖の海際には大きなホテルとその前に広がる雄大な相模湾の景色が展望でき若くない人にも元気を分けてくれるパワースポットであった。
2014.05.29
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続アカオローズガーデンアカオローズガーデンには谷の最上部に日本庭園もあって、巨大な枯山水の庭がある。周縁部に見事な青石のテーブルセットが据え付けられている。青石と言えば国東半島・伊予・阿波吉野川・熊野・伊勢湾・伊那・諏訪にいたる中央構造帯上で2つの地層がせりあがった線上に見られる三波石が有名で、各地の名庭園に配されているが多分これも三波石だろう。白砂の海に浮かぶのは船に見立てた巨大盆栽・鳳凰の松。松の巨大盆栽は今まさに海から天に向かって飛び立とうとしている龍に見立てたものであろう。前ブログでアカオローズガーデンはイングリッシュ庭園風と記したが、自然の谷と言う地形もあってここでは対称性を重んじる幾何学模様のイタリア・フランス式庭園と違って、地形に合わせて自然にのびのびと成長させた草花を主体にしている。したがってローズガーデンとはいっても実に多くの多年草の草花が共生して互いに盛り上げている。ホタルブクロと同族のカンパニュラ。その形状から風鈴草、釣鐘草、ベルフラワーなどとも呼ばれる。よく見かける黄花のXXX(?)トラデスカンチャ属のムラサキツユクサ、我が家には今この白花が咲いている。ジギタリスは実に多くの種類が最盛期でここではいたるところでバラと共生している。この花、、細部を見ると綺麗と言うより少し毒々しい感じのする花である。小さな池には蓮の花も開いている。ガーデン下部は主としてハーブ園でこの辺りまで下ってくると相模湾が見え、熱海錦ヶ浦の断崖が美しい景観を見せている。足元は今ラベンダーがその最盛期にあり芳香を放っている。レンガ壁の前には紅白のフランネル草が咲き誇っている。こちらも今丁度我が家の屋上庭園で咲き始めたところである。我が家のフランネル草は植えた記憶がまったくなく、昨年から咲いているが間違いなく購入した腐葉土に交じってきたものである。
2014.05.28
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アカオハーブ・アンド・ローズガーデン年を重ねた女性は押し並べてバラの花が好きのようだ。バラの華やかさ・柔らかさ・色合いは彼女らの失われた青春の一ページを思い起こさせるのだろう。この日のバラ園の人はその80%が(熟+老)女達である。そしてあとの10%が付き添いと言うか連れてこられた老男、10%が薔薇より連れ合いに興味が有りバラは雰囲気つくりの小道具にすぎない人達。そんな訳で先週の神代植物園に続いて今週は熱海アカオローズガーデンに行って10%の一員となった。戦前は新婚旅行のメッカ、戦後は飛び込み自殺の名所・錦ヶ浦、その海崖から始まる山裾の一本の谷筋全体がローズガーデンとして作庭されている。見事な「バラの谷」である。スケールは異なるがカナダ・ビクトリアのBuchard Gardenに似た谷あいの花園。谷を満たす馥郁たる香りと色とりどりのバラは老男にも十分安楽と感動を合わせて運んでくれる。「黄金のバラの庭」には色合いの異なる黄色バラが咲き乱れていて見事。中に下の絵のようないくつもの花びらが一つの花びらの船に乗り合わせたような変わった形のバラが有った。ここの良いところはイングリッシュガーデンと銘打ってるだけあってバラの木そのものの形を整えたりせず一本一本はのびのびと育てている点である。白いバラはどちらかと言うとサイズの小さな野バラの系統に多いがここでは結構大きなサイズも見えた。上から見るとバラの塀に囲まれた一画には丸いパラソルが立ってそこでは昔の紳士淑女がバラのアイスクリームを楽しんでいる。こんなみずみずしい色のバラに囲まれてのアイスクリームは香り・色あい、そして値段もなかなかのものでした。アーチやゲートもバラをその形にはめ込んだと言うよりも無造作に柱にまとわりついたと言う感じに好感が持てる。老人がグループで大声を出すとこれはもうひんしゅくを買うが、たまたまごく若い娘5人衆が同じシャトルに乗り合わせた。”ウワアぁぁぁーー、キレイィー” とか ”スッゴーウイーーー” と叫んでも嫌味が湧かずむしろ快く感じる自分に驚く。彼女たち「超 綺麗!」よりも一つ上の綺麗さの表現なのだろう。紫色のバラは一重二重でもなく、八重多重でもなくバラ離れしたバラの花であった。入場すると谷の上までシャトルバスで運んでくれる、あとは溢れるバラを横に上にしながら遊歩道を下ると言う楽なコース。ちょっと遊歩道を外れてバス専用道に出るとどこからでもバスは止まってくれる。
2014.05.27
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神代植物園の草木急な暑さにあまりの人数、しかもシニア層が多い、無粋にもたびたびアナウンスが流れている。よく聞くと日差しが強いので水を摂取し日陰で休むようにとのご親切なお知らせが。我々も早々に草木・樹林ゾーンに避難した。最初に目についたのは「ヤブレガサ」、若い人は笠と言えばパラソルなのでピンとこないかも知れないが、竹骨に渋紙を張った日本笠は古くなるとよくびりびりと破れてこの葉っぱのようになったものだ。最後まで残ったのは温泉宿の置き笠だった気がする。昔は笠も大切な財産、それぞれ家紋を入れて大切にしたものだ。ヤブレガサに非常によく似た植物で隣に有ったのが矢車草、葉っぱの切れ込みが浅いことに気がつくだろう。紛らわしいが上の写真の花と下の写真の葉は矢車草。ヤグルマギクとは似ても似つかない植物なので注意が必要。鯉のぼりの上に付けるあの回転矢車からきている。フタリシズカの花期はもう済んでいるが花柄が二本に分枝している様子が分かるこれも花期が終わっているヒトリシズカは花柄が一本、大きさや葉からの区別は難しい。何の変哲もないムラサキツユクサであるが、ここではトラデスカンチャの名板が有り驚いた。我々がトラデスカンチャと言えば斑入りのつる性観葉植物しか連想できない。トラデスカンチャはツユクサを含む属名なのだからあの観葉植物をトラデスカンチャの園芸名にしたのはちょっと乱暴な話である。紫花はエンドウ豆かと思ったが灌木に咲いている、名板を見ると「ムラサキセンダイハギ」とある。紫花ははじめてお目にかかるハギである。それにしてもセンダイハギは普通初秋の開花である、今はまだ夏前。他に黄花の千代萩と言うのもあるそうだ。ちなみにこのムラサキセンダイハギは外来種でアメリカインディアンが紫染料としてと用いていたそうだ。素晴らしい色合いである。トリトマと記された巨大な蒲の穂みたいな槍の穂飾りの様な花は初めて目にした。アーティチョクはこの蕾をイタリア料理で良く使う。もともとは野生のアザミで実際葉っぱも大葉のアザミと言った感じである。Webで調べると花もアザミそっくりであるが何しろサイズが大きい。Wikipediaに面白い記述がある、オナラの回数と匂いを軽減する効果ありとある。一度是非実験してみたいものである。「赤花(紅花)栃の木」は日本では少ない赤い花をつける木である。ここでは一枝だけの開花であるが、足利フラワーパークでは満艦飾に咲き誇ったのを見たことがある。マロニエの近縁種。アーモンドの木に一個だけ実がなっていた。香料となる梅や桃の近縁種。栴檀の木は関東以北ではほとんど見かけないが私の郷里では校庭の周りには必ずこの木が植わっていて緑陰を作っていた。野球の対外試合で打ったわが生涯で一本だけのホームランがこの木を超えた、今の時期個人的に懐かしいのがこの栴檀の木である。ホウの木の花を見つけた。日本で最大級の大きさの葉を持っており、昔は食物を包むのに用いたことから「包の木」と呼ぶらしい。傍にボランティアの人がいてホウの木の花は3日しか咲かないとしきりに強調していた。一日目は中心部の赤い雌蕊だけが開花し、周りの雄蕊はまだしっかり閉じていて、この写真のように2日目になると雌蕊はもうすっかり店じまい。3日目には雄蕊もすっかり店じまいしてしまうそうだ。観察したい気がするがホウの木の花が咲く場所に3日間居続けることは至難の業である。それにしてもこんな大柄の花を2,3日で終わらせるのは何とももったいない話である。木版印刷の木版はこの材で作った。彫りやすく硬い木質が版木造りに適しているのだろう。またかっては桐とともに下駄材としても良く用いられた。硬くて摩耗しにくい性質から高下駄の歯として使われた。破れ帽子に腰手拭そしてホウ歯の高下駄姿は旧制高校の学生の定番姿である。伊豆の踊子の学生や金色夜叉の青年もホウ歯下駄のはずである。私も戦後中学生の頃背伸びして履いたことがある。もっともこの頃の田舎道では革靴など無用で雨の砂利道はホウ歯高下駄が活躍した。
2014.05.21
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バラ・ばら・薔薇植物園の正門を入ってすぐ簾の子で覆われた棚に国際コンクール入賞作品と言うのが展示されている、どう言うコンクールなのか知らないが金賞・銀賞・銅賞と入るれ劣らぬ美しい花の色・形である。期を同じくして西武球場では毎年「世界バラとガーデニングショウ」と題する豪華な催しも開かれている。バラにもオリンピックの様なものが有るのかもしれない。植え込みに植えられたものと違って鉢に植えられて蝶よ花よと育てられているだけにその貴賓さは例えようもない。バラ園は区画数も多いがその上かなり密植気味でまるで見物人の数を見透いた様であまり感心しないやり方である。したがって克明にメモを取り写真に記録する意欲も湧かなかった。ただ花の密度が濃いだけに辺りにはバラの香りが漂っている。これだけでここに来る価値が有るのかもしれない。結局どの花も特別な美しさなので、この花にはどんな名をつけるのかなどと想像しながら名札を楽しんだ。それにしても植物園だけあって実に多種多様な種類のバラを集めているのには感心した。
2014.05.20
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神代(じんだい)植物公園昨日の日曜日、寒がりの我々にもさすがに夏と言うにふさわしい好天気である。「後期高齢者は休日乗り物を乗り継ぐ外出はしてはならない」と言う我が家の憲法解釈を首相並みに独断で改変することにした。前回の経験で少し遅いのではと危惧しながら神代植物園に薔薇見物に出かけた。やはり憲法はダテに在るのではない、この日4台も並ぶ自動発券場には長蛇の列。薔薇園に直行するのをためらいながら睡蓮の池を眺める、アイロン掛けをしたような丸い葉っぱと水面に浮かぶ大きさと言い色合いと言い逆輸入だがジベルニーのモネの池の情景が甦る。道すがらに咲くシャクナゲも睡蓮よりもう一つ淡いピンクが良い。ボタンはもう咲き終わっていたが隣の区画に芍薬が咲き誇っている。「立てば芍薬 座れば牡丹 歩く姿は百合の花」は古い表現だが同じバスに乗り合わせた娘さんの中にまさしくそんなイメージの人がいて、植物園に消えて行った。小説に書きだしのようであるが残念ながらここでは彼女も花に埋もれてしまうだろう。確かに花だけを見ても牡丹と芍薬の区別はつかないが、牡丹は木で芍薬は草である。それでも分類学的には両者ともボタン科・ボタン属だと言うからややこしい限りである。実を言うと両者とも花弁が多すぎてやや清楚感に欠け私の好みからは少し外れる。さてお目当てのバラ園はと言うと写真のような人だかり、やはり憲法は重要な我が家の行動規範のようである。に暑い天気の上にこの人だかり、自分も含めて長い人生行路を旅した人たちの持つ雰囲気が眼前に広がる薔薇の色と庭園を包む薔薇の香りに融けこんでいるかと問われれば残念ながら答はノンである。
2014.05.19
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タラヨウ(多羅葉) 散歩の途中我家から数分のところにある寺に立ち寄った、先日ふとしたことからこの寺の植栽マップを手に入れたからである。目に留まったのがタラヨウの木、「ハガキの木」とか「郵便局の木」とも言われるとあったので興味がわいた。木はすぐに見つかったが何の変哲もない目立たない照葉樹である。Webで調べると雌雄異株とあるが花を認めることはできなかった。昔インドで葉っぱに経文を書いた多羅樹になぞらえてタラヨウ(多羅葉)と呼ばれるが、わが国でも戦国時代戦場でこの葉に枯れた小枝で符号を書いて情報伝達に使ったとか、僧たちが経文を刻んだと言う伝来もあるらしい。下の写真のように照葉樹なので東北北海道にはないが関東以南の寺社に多く植えられているそうだ。また「葉書(ハガキ)」の語源とも言われている。そんな訳でタラヨウは別名「ハガキの木」とも呼ばれ、JPでは正式に「郵便局の木」としており、東京中央郵便局の入口にはこの木が植えられているらしい。先日「キッテ」という新しいJPの局社を見学したがその事実を知らなかったので見逃してしまった。今度東京駅周辺に行った時確認することにしよう。今回は葉の裏側にシャープペンシルの芯を出さずに金属の先端で字を描いて経時変化を観察してみた。初めは何も認められないが直ぐに字が現われた。 葉の表 葉の裏・描字前 描字10秒後2,3秒後から黒い字が現われ始め10秒ではもう墨で描いたような黒さ。 20秒後 1分後 2分後葉っぱの裏側はやや白っぽく極微の粉を敷いたような感じがする状態であるが数秒の内に黒い字が浮かんでくる。 ボールペン・丸印今度は赤いボールペンで丸を描いてみると左が1分後、右が直後の状態。 赤丸印・5分後赤ボールペン字は描字直後は勿論赤いがすぐ黒赤色に変化する。ここでは赤インクの下の層が黒変するのでやや赤い色調を帯びた黒に変わってくる。 24時間後 48時間後 4日後4日後には枯れ葉の様子が色濃くなり、葉の表面も緑からだんだんと葉緑素が失われ枯れ葉色が現われてくる。 4日後・葉表発色のメカニズムには興味があるが、白っぽい表皮が圧力で壊れ内層の組織から葉液が浸み出てき、空気に触れて酸化され黒変するのだろ。黒い色素の生成は考えられないので何種類かの色素が出来てその混ぜ合わせが黒なのであろう。黒色インクには2種類あって顔料系と染料系が有る、前者は固体顔料の微粉末(墨)なのでタラヨウの場合問題外とすると何種類かの色素を混ぜて黒い色を出す染料系が参考になる。そこでWebで調べてもこれは厳重な企業秘密と見えてそれらしきページが見つからない。結局高価なプリンター用黒色インクの謎も不明のままである。サインペンをスポットしてクロマトグラフで色素分離をする実験はWebで良く見かける実験である。誤って湿った紙にサインペンをつけて周辺が紫っぽくなることは多くの人が経験したことだろう。
2014.05.16
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「医は仁術展」の医用具今も昔も人にとって薬・サプリは大切なもの。ましてや貴人・要人にとって健康維持は至上義務。茶道も煎じて飲む薬が起源となると貴人の持つ薬壺は美術工芸品でもある。上の写真は徳川家康愛用の薬壺、下はご存じ光圀公の印籠(ガラスケース内のオートフォーカスは難しい)。印籠は何段かに重ねてひもを通した携帯薬箱、初期の頃は紋などの印を刻んだのがその名の起こり。後に豪華な象眼・螺鈿細工が施され美術品となった。生薬を摺る薬研(やげん)も初期の物は木製。長崎出島のオランダ人達の使用したコーヒーミルを真似、マルチ人間の才人・司馬江漢が自作したと言うコーヒーミル。ちなみにお茶同様コーヒーも初めは薬でわが国では江戸の蘭方医達が愛用した。なおコーヒーに珈琲の字を充てたのは蘭方医でわが国初の化学者・宇田川榕庵で熟した珈琲の赤い実が紐で束ねられたかんざし玉に似ていることからの命名 - 珈はかんざしの赤い玉、琲は紐で束ねた状態を表す。生薬の抽出や液体の蒸留に使ったランビキは一種の蒸留塔。顕微鏡もろくろ作りの美術工芸品華岡青洲が使ったと言う手術用具。古く我が国では病気は加持祈祷によって治療した。江戸期に入って漢方薬を主とする東洋医学、解剖学を基礎とするオランダ医学が移入された。いずれにおいてもまだ合成医薬は存在せず、すべて天然物で賄われた。現代では考えられないが多くの植物のほか動物の遺骸や鉱物も使われている。展示品の中には乾燥人肉まであるのには恐れ入った。儒教思想に「五常」と言うのが有りそれが漢方医学に採りいれられ、「仁義礼智信」が守れれば精神が健全で身体も健全になるという思想。仁道に背いたりせず、義の道に反せず、礼儀を守り、知恵を養い、信用を堅持していれば精神状態のひずみが正され自然と病は治癒されるという考えが有った。 仁日本の近代医学の開祖・華岡青洲やオランダ医学の大槻玄沢に学んだ一関藩医・佐藤現民(王に民の字)の薬箱に見られる薬にはこの「仁義礼智信」のそれぞれ一字を頭にして材料名を付けた薬名を付けている。現代における「仁義」の意味と江戸の医学の奇妙な関係に驚き、資料説明には全く触れられていない事実を発見して嬉しくなった。 義 禮(礼) 智
2014.05.15
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国立科学博物館・「医は仁術展」・医書5月11日日曜日、先日前売り券を買っておいた「医は仁術展」に出かけた。老人が日曜日に出かけることは極力避けているがあまりの好天と、美術展でもないこの種の催しに大した人でもあるまいと思っての外出だったが、日本人の物好き、よくいえば野次馬根性は大したもので会場は老若男女で大賑わいであった。まずは喜ぶべし。医神と言えば西洋ではギリシャのヒポクラテス、東洋では中国の神農である。前者は呪術を廃し実証的医学を推奨し、医師の任務や倫理について説いており、欧米では医学校卒業時ヒポクラテスの誓い(Hippocratic outh)を行うそうだ。一方「神農」は中国の農業と医学を司る神格化された偶像神で世界最古の「神農本草経」にその名が出てくるそうだ。日本では東京神田湯島の湯島聖堂に祀られているということである。おおざっぱに言うと中国医学は実証的(臨床的)と言うよりはやや観念的で有るのに対してヒポクラテスの流れを尊ぶ西洋医学ではより実証的である。したがって前者は内科的医学を主とし、後者は外科的医学が主であった。中国医学では病は内から生じその根源を精神にまで遡るのに対して西洋医学では体の内的病も多く外からの因子で引き起こされると考える。一方西洋医学では内臓の病気治療も解剖で得た外的(視覚的)観察をもって治療法を編み出す手段とする。1993年発行の上の様な銅板図と活版印刷の医学書があり、類似の書物が出島商館から幕府に献上されていたと思われる。しかし太平の鎖国時代とあればこのようなオランダの献上物も江戸城の書庫でただ埃をかぶったままだったのだろう。ここから解体新書が出るまでにはまだ長い時間を要したことになる。上の写真はクルムスの解剖書と杉田玄白達の訳したその翻訳「解体新書」である。「解体新書」は先達の努力で当時としては破格の出来上がりであるが、銅板・活版印刷の前者と木版画・板刷りの後者を見比べる時そのみすぼらしさは歴然である。翻訳に於いて指導的立場であり、頭初は唯一オランダ語を解した理想主義の前野良沢が自分の名を著者欄に並べるのを拒否したのも理解できる気がする。私は今まで「解体新書」の出来に驚き、挿絵の小田野直武や刷り師の腕に感嘆するしていた、今回原本を見るとその出来の差に何とも言いようのない気分に襲われた。 玄白達が初めて目にしたのも「観臓」であって、自ら手を下した解剖ではない。したがって臓器の相対的関連や配置を自分の手と目で確かめたのではなく、「これは肝の臓」「これは心の臓」などと言って腑分け人が取りあげて示すのを見ただけである。玄白以後も並べられた臓器克明に巻物に書き残したものが多く残っている。今回私は個人的には江戸末期、の蘭学時代の資料を見ようと出かけたが、医学書以外にも興味ある展示がいくつかあった。下の物は杉田玄白の「蘭学事始」、この表題は「蘭東事始」となっている。杉田玄白没後(1817)この書は失われていが後の幕末期に神田孝平によって神田湯島の夜店で発見され明治2年福沢諭吉の手によって「蘭学事始」として出版され世に知れ渡った。今語られる蘭学の歴史はほとんど本書の記述によるものである。 医学書以外で蘭学で最初の書籍は大槻玄沢の「蘭学楷梯」である。オランダ語解説のほか天文学・自然科学に関する記述も多く、言うならばオランダ(西洋)学総合雑誌的存在である。また下の写真は「和蘭医事問答」で大槻玄沢の師で一関の藩医・建部清庵と杉田玄白との間で取り交わされた医学の問答集である。ここには両者が当時出版を望まなかったがその価値を高く評価した後進が出版に踏み切ったと記されている。鎖国の時代に有っても地方の知識人が知識に飢えていたことが分かる。最後に興味深い展示品を見つけた。横山由清による1857年訳出の「魯敏遜漂行紀略」で「ロビンソン(クルーソ)漂流記(略)」である。「略」とあるように原作の完訳ではなく絵本化された物の翻訳であろう。新書版より少し大きなサイズで木版画による美しいカラー挿絵が印象的である。横山と言う人物は本来は国学者で明治に入って我が国の法整備に大きな業績を残している。
2014.05.14
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富士山樹空の森連休恒例の家族合宿と言っても日ごろ別々の家族が一緒に時間を過ごすことが目的なので何をしなければならないということはない。管理棟のパソコンで探してみると昨年オープンした御殿場市の施設で「樹空の森」と言う富士山テーマパークが有ると言うので出かけてみることにした。富士の裾野の樹林地帯にあって広々とした気持ちのいい空間である。今丁度芝桜が綺麗に咲いており緑地ではレジャーシートを広げたりピクニックテントを張ったりしてグループで楽しんでいる。樹林の上に見える富士山は今年の大雪でまだ残雪が広がっており、この日も何人かの遭難者が出たとのテレビニュースが流れていた。痩せた溶岩地帯にも時間が経つとこのような大木が茂るものだ。高度が高いせいかまだ新緑は始まったばかりで八重桜もまだ十分楽しめた。芝生広場には大きな屋根付きステージがあり野外音楽会には最高の立地である。高地での青空コンサートは夏の時期最高の催しであろう。少し古いがアーサー・フィードラー率いるボストンポップスのサマーコンサートを思い出してしまった。それにしてもこの時期サクラソウが綺麗だ。ここから見ると反対側に聳えている愛鷹山の山容が美しい。海側から富士を眺めることが多いのでこの山はいつも富士山の手前に重なって見えるがここから見るとまるで離れた位置にある。この山も元々は富士山型であったが頂上部分が噴火して二つの峰になったと言う。富士山も大墳火を起こすと二つの峰になるのかもしれない。「樹空の森」は科学展示も兼ねてるので太古の巨大動物の模型が有ったり、富士山の地質学資料が上映されていたりする。孫に何か記念に買ってあげようと言うと小さな爬虫類の歯の化石を選んできた。なんだか最近抜歯した私の奥歯の様でもあったが買ってあげることにした。富士山に特有の雲のいろいろが分類されて示されていてなかなか面白かった。
2014.05.13
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時の栖での遊び「時の栖」には数面のサッカーグラウンドが有り、何時もハイレベルのサッカ合宿が行われている。この時期は全国大会級の高校チームが多く合宿をしている。彼らの多くは礼儀正しくすれ違う時挨拶をしてくれる。観客席もあるメイングラウンドでは常に試合が行われており退屈しない。サッカーのほかにもいろいろなスポーツ施設がある。大人は各種温泉や美術館などもあり退屈することは無い。家族連れは「ありがた山」、「おもしろ山」、「よろこび山」などへの丘登りを楽しめる。管理棟の裏に一枚だけ下の立て看板が立てかけられていた。今年の女子ワールドカップユース(U-17)で見事優勝した日本代表がここで直前合宿をしたと記されている。そう言えば福島に有ったサッカーアカデミーが震災で一時この「時の栖」に避難していた。以前ここを訪れた時彼女らの練習試合を見たことがある。そんな訳で時の栖は日本の女子サッカーの為にはかなり貢献している。お姉さん「ナデシコ」がワールドカップを制した時もここで合宿したはずで、室内にはカップを差し上げるよく知られた名の選手と全員のサインが額に収められている。ここはまた日韓ワールドカップのウルグアイチームの基地にもなっている。若者にはセグウエイ教室が頻繁に開かれている。丁度我々の部屋の前がロータリーになっていて、そこで開かれている教室を見ているとセグウエイとは方向ハンドルが有るだけだが体重を前に懸けると前進し、静止時は体重の重心が少しでも移動するとそれを修正するようにハンドルが前後して修正してくれる。したがってハンドルに手をつけている限り地面に立っているのと変わらない感覚のようだ。去年息子達は経験していたが年寄りは載せてくれなかった、骨折されたら大変だからだろう。セグウエイ教室が終わってしばらくすると一人の少年が現れ、セグウエイとは対極にある、推進力もバランスもすべて自分でマネージメントする2輪のスケートボードのようなもので滑り始めた。スケートボードの様にスピードは出ないが小回りはきくしこれは面白そうなスポーツだ。尋ねてみると「Brave Board」と言うものだそうで、Webで調べるとまだ日本に移入して数年も経たない新しいスポーツだとか。ボードの前方に一輪そして後方に一輪そしてボードの中央部は回転軸になっている。少年に聞くと脚を体の前後にこぐことで推進力を発生させて進み、体重移動させて方向を変えるそうだ。実際にやってみてくれたが半径数十センチで180度回転できる。他人への迷惑度もはるかに少ないので今後スケートボードに代わって大いに普及するだろう。それにしても少年の軽快な身ごなしに感心し、彼我の年齢差を恨めしく感じた。
2014.05.12
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「時の栖」Peter Rabbit House今年の家族合宿は長男一家が親子とも空手の昇級試験とかで今回初めて参加できず、次男一家の孫達はまだ小さいので「時の栖」でもPeter Rabbit Houseというゲルの様な形の棟に泊まった。一画全体がベアトリクス・ポターの「ピーター・ラビットのお話」の物語にちなんだ創りで、良く知られているようにイギリス湖水地方で繰広がられるいくつかの物語にちなんでおり、ここでは一棟一棟がその物語の1話1話にちなんだ置物や絵で飾られていいる。 家の周りにはウサギたちや他の少動物達が遊びに来ていたり、夜になると大人のウサギたちが周りを見はっていたりする。玄関ドアの横や外壁には多くの住人動物が描かれている。部屋の中はと言うと徹底してピーターラビットの絵で満たされている。カーテンや重なったレースカーテンもウサギの織り模様壁紙には全体に淡い色調で絵本の各ページが文章とともに描かれている。洗面所やトイレの腰回りにはニアソーリー村の様子が描かれている。トイレにいたってはペーパーケースから便器カバーやトイレマットまでピーターが付きまとっている。爺々としてはいい加減にしろと言いたくなるが小さな子供達は楽んでいる。
2014.05.11
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春の家族合宿・時の栖春の連休後半は我が家恒例の家族合宿である。最近は御殿場の「時の栖」で落ち合うことになっている。チェックインまで少し時間が有ったので「よろこび山」に行ってみる、この小高い丘には愛の鐘やいろいろなモニュメントがあり、なかにはこの辺りにごろごろしている富士山からの溶岩で作った球体が有った。私が自分で建てた自分の墓そっくりである。この日、靄っていて写真には表れないが正面に富士山が見えるところも良く似ている。ここに来ると妙に落ち着くのはそんなせいかもしtれない。丘から下を見ると今回宿泊するスロウハウスビラが並んでいる、一つ一つが独立した丸い家でイタリアのアルベロベッロの村のような光景である。ただしここはアルべロベッロの様に石積みの壁・スレート石の屋根ではなく、コンクリートの白壁とスレート瓦屋根である。ペットは連れ込めないがペットホテルがあり、ライオン以外は預かってくれる。孫が虎は預かってくれるのかと問うので文面からすると預かってくれるのだろうと答えておいた。今回我々はPeter Rabbit Houseと称する外も中もベアトリックス・ポターのウサギのピーター関連のデザインが施されたユニットに宿泊した。チェックインして見ると我々の棟は丘の直下なので翌朝朝食前に上ってみると富士山がはっきりと望めた。毎年風力発電を増やしているようで風車が増えていた。テグジュべりの星の王子様関連の区域もあり、その人形も立っている。丘には「愛の鐘」と称する大きな鐘があり、絶景である。この丘では毎晩「ベルサイユの光」と称する噴水とレーザーショウが見られる。昨年までは噴水や噴水の銀幕に写しだされるメルヘンの世界の映像が主であったが今年はプログラムが変わって噴水中心になっている。ただしそのスケールは圧巻でだんだんプログラムが複雑化している。私が今までに見た噴水ショウの中では問題なく最高の物である。当然のように教会が有り、祈りの場・結婚式場・観光の場を兼ねているのであろう花で埋もれており、安っぽいながら正面の壁いっぱいにステンドグラスが輝いている。夕食の後ここを通りかかると前庭にある浅い池に綺麗な模様が次々と描かれていた。どんなデバイスかと思っていたが翌朝この池を覗いてすぐ分かった。池の底に星型やハート型等に細いパイプが敷かれそのパイプに細い穴があいている。そこからプログラミングされて空気の泡が出たり止まったりするようになっている。池の側面からビーム光を真横に充てると光は水面から外へ出ないで水中を進むので外の人には見えない。そこで泡を発生させると光は泡に反射して反射光が水面から飛び出し泡の模様となって我々の目に映るようになる。これには水・空気界面の屈折率と言う原理が応用されている。簡単なようだがこの全反射の原理で光をガラスのケーブルで伝達するのが光通信なのだから結構難しい。このことから光通信ケーブルにわずかでも泡が混入すると光が散乱してしまうことが理解できる。泡を含まない超高純度のガラスファイバーがなければ光通信は成り立たない。^
2014.05.10
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春の屋上花壇 中学校のフラワーロードを通って帰宅して見ると、我が家の屋上花壇が 花盛りである。いつもの年なら今頃はもう花壇いっぱいにゼラニウムの花が 咲き乱れているが丈が大きくなりすぎたので昨年秋にばっさりと茎を短くした。 今年の冬の寒さは特別でこの花には春はまだまだの様である(連休のため 1週間以上投稿が遅れている)。サクラソウはもう終焉に近づいているが脇侍よろしく左右にあるのは美しいピンクを彩ったオキザリスの一種、数年前神代植物園で購入したので我が家では神代ゼラニウムと呼ばれている。初春の開花で今はさしずめ紅葉である。咲き始めたツツジの手前には紫のストックと咲き始めたナスタチウム(金蓮花)、確かに葉っぱは小型の蓮の様である。白色 ビオラ、 赤 ぺチニア、 後 ツツジ去年のシクラメン、 黄色ビオラ、 去年のアネモネ。迷い込んだスイセンアヤメ(スパラキシス)橙色ビオラぺチニア 白花ネメシア赤いビオラ白いノースポール、北極との関連は理解しがたい。2種のチューリップと黄花のムルチコーレ一種のバイオテクノロジーなのでしょうか、チューリップも常に新しい種が出来ているようです。花屋の店頭に並ぶチューリップなどとてもチューリップとは思えない物が多いのには驚きます。
2014.05.09
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道端のFlower road「照姫まつり」の帰途、我が家の近くにある中学校グランドのネット裏に花壇がある。歩道脇にPTAが管理しているものでその多くは多年草の花である。都会の学校の校庭はたいてい高い柱とそれに張り付けた緑のネットがある。野球のファウルフライがグランドから外へ飛び出さないためである。そのネットに這わせたモッコウバラが咲き始め、花壇は今が一年中で最も華やかな時期である。あっという間に高くなったモッコウバラだがあと2,3年もすればネットの上部まで届くのではないかと思うと、せめてそれまでは生きていたいと思っている。 通りかかったついでに今年の記録を残しておくことにしよう。モッコウバラの下にはこれも多年草(木)のユリオプスデイジーが黄花をつけている。1960年代に日本に入ってきた南アフリカ原産の低木でどこにでも育ちやすいと見えて今や多く見られる植物。濃い桃色のこれも多年草の芝桜も今を盛りと咲いている。ユリオプスデイジートほとんど同じ形状でピンクの花にはマーガレットの名札が付いている。気が付くと紫のアヤメも派手に咲いている。「いずれがアヤメかカキツバタ」は甲乙つけがたい美人を言うが花形からは区別できない。湿地に生えるのがカキツバタ、乾燥地に生えるのがアヤメだったと思う。そのほかにも季節の園芸花が一年中植えかえられているが今は主役をこれらの多年草に譲っている。池の周りで「時代行列」をやり過ごした後、池端の老夫婦が住んでいると思える家の庭を見ると「タイツリソウ」と「クマガイソウ」が見えた。タイツリソウに似た花で有るがアブチロンは花の色や木の様子がまったく違う。「クマガイソウ」は花形が「アツモリソウ」に似ているが色の違いと葉の形で区別できる。いずれにしても両者は源平一の谷の戦いにおける平敦盛と熊谷直実御逸話に由来する。さらに生垣の根元にはこれも今が盛りの「一重山吹」そっくりの黄花「ヤマブキソウ」の群生が見られた。これも前者が樹木で後者が草である。珍しい野草を見てきたついでに帰宅後我が家のバルコニー花壇を見ると珍しい花が咲いている。「ムラサキつゆ草」はちょっとした水辺などどこにでも見られるもので珍しくもないが、我が家の花壇に咲くのはほのかにピンク色をした「白花のムラサキツユクサ」。変な名前であるがあくまでも「ムラサキツユクサ」である。道端で良く見かけるつる性の紫花の「ツユクサ」、白花のツユクサである「トキワツユクサ」とは全く別種。白と紫と言えばムラサキツユクサの近くに「タツナミソウ」が2,3株自生している。確かにはるか昔に白花の「タツナミソウを植えた覚えはあるが、いつの間にかムラサキの花が寄り添うように生えている。突然変異したものだろうかそれともどこかから種が飛んできたのだろうか。次の花も余り見かけないもので「スパラキシス」、和名は「スイセンアヤメ」 これも比較的最近南アフリカから帰化したものらしい。同じ物が先の中学校の花壇に有り、その名札からその名を知った。白花ムラサキツユクサにしてもスイセンアヤメにしても自分で植えた覚えなどなく、一株ずつ自生したものである。我が家のルーフバルコニーはマンションの8階部分にある、したがってこんな珍しい種が風で運ばれたとは思えない。多分購入した腐葉土に交じって入ってきたものであろう。いずれにしてもそれぞれ私にとっては予期しないプレゼントである。
2014.05.08
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照姫まつり(2)・祭りのステージ時代行列が通っているところから反対側の池の向うを見ると露店のテントが林立している。一昔前の露店は自前のテントやブルーシートで統一がとれずばらばらで見苦しかったが最近はこのようなゲル(ティピ)型が多く放牧民の住処みたいである。時代行列を見た池の反対側に回ってみると数えきれない露店の数である。たこ焼き、いか焼きは勿論のことスポーツクラブや社会奉仕NPOまで色とりどり。 あまりの人いきれに早々に退散すると林の茂みの中に小さなステージが特設されて何やらパフォーマンス、しばし休憩を兼ねて腰かけた。 始まったのがなんと区内にあるスタジオのベリーダンス同好会の発表会である。 鼻の下を引っ張り下げてしばし見入った。 薄衣のお姉さん(?)達の熱演である。 ぜい肉をそぎ落とすのには適しているであろう、動きがなかなか艶めかしい。 陽光燦々とした公園の森で繰り広げられる饗宴にしばし見とれてしまった。室内のスポットライトの下であれば何倍も美しいであろうにと少々気の毒な気がした。10分余りのステージの間に枯れた花や塵がステージに散らかる。次のステージに支障が出ては困るのでボランティアの若者たちが丁寧に掃き掃除をするが人工芝に入りこんだ塵はなかなか獲れない。次に始まったのはヒップホップダンス。幼稚園児くらいの子供が音楽に合わせて活発に動く。同期しようとするあまりつい友達の演技を見てしまい、自分の演技が疎かになる。次のステージは小学生上級生くらいの子達、これはもうかなりの腕(脚)前である。最後は高校生レベルだろうかこれはもう本格的多分マイケルジャクソンと思われる人が主役で軽快な動きを披露していた。助演者も上手く息が会っていて初めて見る私にでも上手なことが分かる。最後は全員ステージに上がってフィナーレ、子どもたちはカメラを持った親御さんの方しか向いていない。したがって目線はまちまちである。ステージの出演者は区内の同好会やスタジオの人たち、自分たちの活動のPRと会員募集のための晴れの舞台であろう。
2014.05.07
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照姫まつり(1)・時代行列恒例の春の連休家族合宿に出かけており準備していたブログの投稿がすっかり遅れてしまった。連休前半で4月最後の日曜日あまりの好天に石神井公園へ散歩に出た。すがすがしい新緑である。水辺と新緑の組み合わせはどうしてこうも調和がとれるのだろうか。こんなに多くのボートが漕ぎ出しているのも珍しい、人の群れも半端ではない。池端通りの家には鯉幟が上がり、ツツジとともに華やかな雰囲気をかもしている。この日は「照姫まつり」と言う行事が行われており、「時代行列」がこの前を通る。ここの三宝寺池畔には昔武蔵野を広く支配していたと豊島氏の居城・石神井城があった。今でも濠の遺構が有ったり、記念碑が建ったりしている。最後の当主豊島泰経が太田道灌に攻められ落城、泰経は馬に金の鞍をつけて三宝寺池に入水、その時娘照姫がその後を追って池に沈んだと言われている。毎年ここで「照姫まつり」が行われ「時代行列」が行われている。初期の頃は区内に住んでいる芸能人などが出演して テレビタレントの御姫様もいたが近年は主役はもっぱら公募で決まっている。この日我々は池端の絶好の場所を通りかかったのでじっくり行列を見物することにした。大勢の出演者はなかなかの衣装装束である。先頭は玉持ち 続いて 龍神。 大名行列に中国風の龍やその前触れの珠持ちの意味は知らないが、中国ではよく狛犬さんが口に玉をくわえていたりするので何かいわれが有るのだろう。しかしここでは入水した豊島泰経が龍になったの言う想定である。雅楽隊 乙女武者 巫女 若武者。華やかさを出すため乙女武者とは良い考えである。今では警官のほうがずっと頼りになるが。照姫 警護武者。ここでは殿様は付属で姫が主役である。照姫姉妹 童姫 旗持武者。 実に可愛い妹姫であった。 豊島泰経 脇役になり下がった殿様警護武者 奥方 奥方 今年の奥方には輿の台が少々高すぎたようだ。疲れただろう。歌姫 旗持武者 雅な女人が外出する時のかぶり物はさしずめ現代のの日傘、スカーフ、フード、ヒジャブだったりするのだろう。白い二の腕など当時としてはセクシーは景色だったのだろう。
2014.05.06
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昭和記念公園(4)・こもれびの里日本庭園を訪れた後少し足を延ばして木漏れ日の里を訪ねた。ここにはかっての武蔵野の農村風景が復元されている。公園としては一番新しく造営されたゾーンである。未完の時に訪れたことがあるが完成後は初めての訪問である。 足を踏み入れると公園の他の部分とはがらりと雰囲気が変わり、里山に来た気分である。 用水路には水音、周りには春の田起こしのためにボランティアの人たちが鍬を入れている。公園には園芸用トラクターは数多くあると思われるがここは昔ながらの手作業である。声をかけるとて作業は大変だが楽しみでもあるとの返事。大農の屋敷構えが復元されており、白壁の大きな蔵を兼ねた門が見える。門の手前の水車小屋でもボランティアが水路掃除であろうか春の農作業の準備に忙しい。母屋の左半分は止めで生活用具や養蚕用の道具が陳列され、蚕飼育の様子が再現されていた。濡れ縁に腰かけて休む光景は昔の農村風景である。この農家はかなり裕福だったのだろう、漆喰壁の倉庫は茅葺屋根で二重に覆われている。季節は春、空には鯉幟が翻っている、昔の農家はその鯉のぼりの大きさでその家の勢いを世に示したものである。母屋のかやぶき屋根との調和が素晴らしい。実はこの民家園は公園の端に位置しており、とても歩いて駅前入り口まで歩く元気がなく園内を巡回している園内列車に乗って移動した。
2014.05.01
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