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蜂蜜採集今回の旅最終日ホテルを遅めにチェックアウトしようとした時、もうすぐ下の芝生広場で蜂蜜の採集作業が始まるので見て行ったらどうかと勧められた。急ぐ予定もないので見学することにした。バルコニーデッキから階段を下り芝生庭に出てみると、確かにそこには蜂蜜と書いた斗缶や遠心分離機らしいものが据え付けられている。ネットを頭から被った小父さんが缶に貯めた煙を巣箱に吹き込んで中の蜂を追い出し始めた。暫くしてそして巣箱から蜜の詰まった巣板を取り出している。煙にもめげず巣板にしがみ付いている蜂はブラシでかき落とされる。作業を始める前に小父さんは見学者に帽子を冠るよう指示する、帽子の無い女性はスカーフで髪の毛を覆うようにとに指示があった。腕などの肌は露出していてもかまわないと言う。なんだかイスラムの礼拝が始まるみたいであるが要するに蜂は敵でなければ刺したりはせず、髪の毛に紛れ込んで出られなくなるとパニックを起こして刺しまくるとの説明。後からもじゃもじゃ毛の頭の人が現われたが何も無かったのは幸いであった。ハニカムの六角形の個室が蜂蜜で一杯になると黄色い蜜蝋でカバーしてしまう、こうなると百年でも保存できると言う。千年以上も前の蜂蜜が発見されたこともあるそうだ。そんな説明をしながらナイフで蜜蝋をはがしてそこにくっついた蜂蜜をご馳走してくれた。蜜蝋はそのままのみこんでも良いとのことだが紙みたいでおいしくは無かった。巣板の一部のハニカム室には女王蜂が卵を産みつけてゆく。下の巣板で楕円模様の上部は雄蜂の蛹が、下部のやや大きな粒の所は女王蜂候補の雌蜂の蛹が生育しているゾーンでいわば蜂蜜の宮家。この中からだんだん淘汰されながらロイヤルゼリーを与えられて成長し、最後は一匹の女王蜂だけが選ばれる。蜂は蜜だけを栄養にして成長するものだとばかり思っていたが蜜からは主として糖類をそしてタンパク質は主として花粉から摂取するのだとか、花の交配を助けるだけでなく自分や子供達の食物としても花粉漁りは重要な仕事なのだそうだ。働き蜂は皆雌蜂で子育てや若蜂の飛行訓練、狩漁訓練などもこなしている。良く巣箱の周りを飛び回っている蜂を見かけるがあれはいわば蜂の学校で狩漁から帰った働き蜂から蜜のありかの方向・距離などの情報を解読する訓練も受けている。仲々高度な IT 教育が施されている。下の写真中央部の白いのは生まれたての働き蜂の幼虫、その下で蜜蝋の蓋が取れている所から羽化前の蛹が顔をだしている、そして黄色いのはまだ蜜蝋でカバーされている働き蜂の卵・幼虫である。意外だったのは蜂の命はたったの二週間だそうだ、この間に学び、体力を鍛え、労働をし、次世代を育て、教育をしてその命を燃え尽きさせるのである。スプーン一杯の蜂蜜にもこん大きな命のストーリーがあるのだ。それにしても蜜蝋で作り上げたハニカム構造は見事である。この構造を模倣した建築材や種々の構造物が人間の手によって利用されている。軽くて強いこの構造のため航空機なども金属の外壁の中はこのような構造物で満たされていることだろう。一匹の蜂が襟に留った人の夫人が必死に追い払っていたが本当はあまり刺激しない方がより安全らしい。巣板を遠心分離器にセットして回転させると受け口から採れたばかりの蜂蜜が滴り落ちる。前回の採集で残った蜂の死骸も一緒に出てくるがロートには細かい網フィルターが付けられているのでタンクの中は実に澄んだ蜂蜜である。アニメのハイジに出てくるような大きな谷を見下ろす草原でこんな牧歌的作業を見るのも一興であった。
2014.06.29
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Sierra Resort 湯沢今回の旅も最後の宿泊地越後湯沢のホテルシエラリゾートの人が駅まで迎えに来てくれていた。在来線にで隣の駅に「岩原スキー場前」と言う駅がありそこから冬季には2本のロープウエイがV字型に登ってゆき、2本のロープウエイ上部の挟まれた一寸開けた尾根の上に数件のロッジとホテルがある。結局この小さな場所はスキー場の中の島のような場所で周辺は四方がすっかりスキーゲレンデとなっており、上級者はさらにここから上の尾根筋までリフトで登る。ホテルは尾根の突端に位置しており、そこからは谷川連峰に向かって伸びている大きな谷間が望める。ロビーから外のテラスを通して外の谷を望むと新幹線は駅からすぐトンネルにもぐってしまうので見えないが逆S字形に伸びた高速道路を中心に旧道の並木や田園の村々がが点在する谷全体が望める。そしてその背後には谷川連峰や手前の山々が幾重にも重なる。雨が降ってないとはいえ梅雨空の下、谷川岳は隠れているが強い光の下では認識できない山の重なりが水墨画を見る様である。 シーズン外のホテルは閑散期で望外の良い部屋に案内してくれた。部屋に通されると尾根の先端に建つホテルのさらに飛び出した棟でロビーと寸分たがわぬ谷の景色。そして窓下の小さな子供用プールやバルコニーデッキ、破風窓を備えた別棟や崖っぷちの露店風呂を併設する温泉浴場棟が可愛い。有難いことにひろいロビーには珈琲・お茶・スナックなどが自由に供されている。暫く部屋でくつろいだ後さっそくコーヒーカップを手にバルコニーテラスからの谷間の風景を楽しんだ。少し離れた原っぱの中に一軒の瀟洒なレストランがある、多分この時期は営業していないだろうがスキーシーズンには賑わうことだろう。この景色を気にいった一つの理由は随分昔に2回ほど旅したことのあるチロル地方の谷の風景を思い出させてくれるからである。Stubaital谷の村Neustiftで夏の日をスキーホテルで過ごし、その後10年近く毎年季節の便りを頂いていたからである。もっともそこはバスで20分も谷に分け入ると4000メートル級のアルプスが聳え、真夏でも氷河上でスキーを楽しむ人がいた。そしてホテル前のロープウエイに乗ると数分で氷河を望む稜線に出ることが出来た。スケールは異なるものの谷川岳は昭和30年代には国内有数の名山で、一の倉沢では毎年数名の岳人がこの北壁に阻まれて命を落としている。私は岩登りをするようなクライマーでは決してなかったがまだ天神平にロープウエイがなかった私の学生時代2度ほど尾根道を登ったことがある。ロープウエイ開通後は何度か紅葉見物に訪れたことがある。そんなことを回想しながら一杯のコーヒーに思いをはせて至福の時を過ごした。野外バルコニーテラスの崖下にはもう一段庭があって、なんとそこは石庭になっている。白砂利には波紋が描かれ芝生と岩の小島が浮かんでいる。橋のようなウッドデッキの先には白いテーブルと赤い椅子が用意されている。向かいに見える石庭に浮かぶに小屋は白い小窓の有る脱衣場以外は青天井の温泉露天風呂である。浴槽から見下す谷間の風景は至福の時間を与えてくれる。谷間の景色と言い、ホテルの構成や園佇まいがヨーロッパのアルプス地方のそれに似ているが一つ決定的に違うのは窓辺に花がないことである。アルプスのシャレーやホテルであれば窓と言う窓には夏季溢れるばかりの花で飾られている。もっともアルプスの様に世界中から四季を通して観光客を呼べる状態には程遠くヨーロッパの夏のような花々を育む穏やかな気候も望むべくもない日本の事情ではこれが限界かもしれない。ホテルのPRになってしまったがフレンチディナーも上品で夏の時期、老人が憩うには絶好の場所である。
2014.06.28
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磐越西線旅の3日目は猪苗代から会津若松に出て阿賀野川に沿った磐越西線で新潟に出て新幹線で越後湯沢に向かった。猪苗代と言えば対句のように出てくるのが野口英世、駅待合室にも野口の等身大写真が飾られている多くの人が一様に驚くのは153cmの身長、今の小さめ中学生の背丈である。時々並んで写真を撮る観光客があるがこの時だけは野口博士を見下ろすことが出来、一寸だけ気分を良くする。ここはもう磐越西線であるが多くの汽車は会津若松止まりで新潟へは乗り換えなければならない。前日の米坂線と違って此方は列車編成も数輌と長い。反対ホームの郡山行き列車の赤いマークは有名な民芸品会津べコで会津のシンボル「赤べー」と言うキャラクターだそうだ。猪苗代を出ると直ぐに全容を見せるのが磐梯山、二つの峰の窪みのあたりに有った山体が吹き飛んでしまった。考えてみると最近の噴火は1888(明治21)年であるから民謡に歌われる磐梯山の山容は現代のそれとは違うものである。 若松からの列車も数輌の編成でりっぱである、実はこの列車は単なるローカル線ではなく新津まで磐越西線、そこから羽越線に乗り入れ新潟にいたる直結快速列車であった。車体のマークはオコジョに見えるが確かめてはいない。先頭車両に乗り合わせたがこの車輛の平均乗客数は5-6名、しかし写真の中年男性は始発から新津駅まで2時間余り揺れる先端に陣取って立ちっぱなしである。リュックザックから取り出した大判の分県地図と実景を検分し続けている、そして頻繁にボイスレコーダに向かっている。どんな作品が出来るのであろうか。汽車は五月雨で増水した阿賀野川に沿って静かな水面を讃えるダムや急流の渓谷、谷あいの集落などを縫いながら進んでゆく。いままで何度か雪見列車として乗車したことはあるがこの時期に乗車したのは初めてである。いつもゆったりとした心休まる時間をプレゼントしてくれる旅である。会津・越後と言えば日本の代表的豪雪地帯である、山間の集落の茅葺屋根は多く銅板で覆われている。かって緑青の滲んだ銅板の屋根は長者の象徴であったが今は普通の人にも手が届くのかもしてない。ただ緑青にしては色が均一でペンキを塗ったような外観である。ひょっとしたら新材料が出現したのかもしれない。磐越西線の駅標はレンガ模様に真鍮の銘板が張り付けられ、傍らにガス灯のような明かりが建っている。停まった駅は皆そうだったので統一されているのだろう。津川は「狐の嫁入り」民話の村で一種の自然現象である発光を超常現象(狐火)と理解し、この地方では夜間に結婚式が行われたのでその提灯の灯列と合わせて狐の嫁入り伝説となったようである。ここはかっては会津藩領、近代は新潟領で国境特有の山のあなたの物語の一つだろうか。ホーム傍らにはこの時期黄色い花が咲き誇っている所が多い、外来種のオオキンケイギクで有害植物に指定されて栽培は禁止されているらしいが今回の旅の間どこでも道端んで咲き誇っていた。新津近くなり山地を離れるとそこはもう日本の米どころの始まり、山裾では緩やかな傾斜の段々稲田が越後平野に近づくにつれて段差が小さくなり、ついには段差のない広大な稲田に代わる。
2014.06.27
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ハーブ園の巨木干支彫刻リステルホテルグループは他にも浜名湖やカナダBritish Columbiaでもスキーリゾートホテルを経営している。創業者がカナダを訪れた際チェーンソーアーティストGlenn Greenside の巨木彫刻を目にしGreensideを説き伏せて平成7年から干支の動物を毎年一体ずつ彫りあげてもらった。材は日本では「米杉」と呼ばれ、北米西海岸に多いDouglas fir, Douglas spruce, Douglas pine などと呼ばれる巨木である。下の写真は彫刻に用いた樹齢900年の株の切り口である。セコイア国立公園を訪れた時一本の巨木から作った長いベンチを備えたタバーンでの昼食を思い出す。「私の腕を試しなさい」といろいろなものを混ぜて炒め大きなパンにはさんだ独特のsubmaline sandwhich のような代物であったが実に美味しかった。小さなロッジの周囲は巨大なDoiglas firに囲まれていて珍しい鳥がけたたましい鳴き声を挙げて飛んでいた光景が甦った。。磐梯山を背にチェーンソーを用いて巨木彫刻を始めたGreenside,一体仕上げるのの何日くらい滞在したのかだろうか。残念ながら日本にはこの太さでまっすぐに延びる巨木はありそうにないがアメリカ西海岸の国立公園ではどこでも見られるもので材木としても汎用されており、日本でもホームセンターなどで簡単に手に入るそうである。頼りにされる干支の動物達が広大なハーブ園に点在して、その役割を肩書きにしてそれぞれの方角に向かって配置されている。厳しい雪国での屋外展示では傷みが速いことであろう、近い将来は屋内展示に備えてであろう記念館が計画されているそうである。 福ネズミ 開運べコ 成就トラ 子宝 ウサギ 開運タツ 長者ヘビ 壮健ウマ 豊穣ヒツジ 学才ザル 天下ドリ 守りイヌ 盛運イノシシ
2014.06.26
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ホテル・リステル猪苗代今回の旅はひたすら汽車に乗り、景色のよいホテルに泊まると言う趣向である。この日は山形・仙台・郡山・猪苗代と汽車を乗り継いでホテル・リステル猪苗代に宿泊した。結構有名なスキーホテルでフリースタイルのワールドカップが何度も開かれたとか、従業員のお兄さんに聞くとあの凸凹ゲレンデを作るのには足で踏み固めて大変な作業の由である。rakutenの悪い癖、リステルって何だ?方程式 Resort+Hotel=Restel が正解の様な気がする。山の中に聳える巨大な壁である。前面には広大なハーブ園・花木園がひろがっている。 周りに何も遮るもののない12階の部屋からは眼下に広がる広大なハーブ園や猪苗代湖そして猪苗代の町が望める。もっとも最高に靄の濃い梅雨の季節、遠くの景色はそれこそ靄の中である。日暮れ前薄雲の向うに太陽の存在があった、尖った山は磐梯山である。こちら側から見ると穏やかな山容であるが向う側・裏磐梯側は大変ながれ場である。火山の墳火には頂上から溶岩や火砕流が噴き出すもののほかにアメリカのセントへレンズや磐梯山の様に山腹から山が膨張し、一気に山体が吹き飛んでしまう山体崩壊がある。この崩壊で吹き飛んだ火山弾が川をせき止め、裏磐梯に多くの湖沼が生まれた、かなり離れた小野川湖にこの時吹き飛んだ巨大な岩が横たわっている。下のハーブ園に降りてみると時期が悪いのであろう終わりかけたポピーの花と最盛期前のラベンダーの畑がひろがっている。ラベンダーの摘み取りをしている客も散見される。咲き始めたジャガイモの花が懐かしい。ラベンダー畑から2,3匹の犬のような動物が現われた、良く見るとミニブタである。生の草をモリモリ食べている。ハーブ園でのミニブタの放し飼いは何か意味があるのだろう。ハーブ園の一隅にはバラの園があり、ここではまだ最盛期であった。大輪の園芸種ではなくの野バラに近い品種であるが、それぞれ微妙な色合いで美しい。 ホテル玄関の前はもうスキーゲレンデの始まりであるが横の林間にはいろいろな リクリエーション施設があり、高木の間にはネットが張り巡らされており鳥の 気分で林間散歩が出来るようになっている。
2014.06.25
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東京・米坂線・山形東日本に住んでいる人はJRの駅のあちこちで吉永小百合さんがほほ笑んでいるのを見かけることだろう(セクハラかもしれないが誰が彼女を69歳と認識するだろうか)。65歳以上に入会資格がある「JR大人の休日倶楽部」のポスターである。毎年梅雨の6月になると特別割引切符を発売する、要するに空気を運ぶよりは老人を運んだ方が収入になる計算である。昨年までは3日間12000円で丁度良かったが最近は4日間17000円になってしまった。新幹線・特急乗り放題とあって体力さえあれば良いのだがすぐにへ垂れこむ私にとっては昨年までの方が使い勝手がよい。乗り放題とあって従来はともすると青森・秋田・岩手中心の旅であった。もちろん近場を無視したわけではなく仙山線も磐越西線を雪見列車として何度か経験しているがこの時期はあまり経験がない。そこで今回は4日間なるべく汽車で時間をつぶしホテルに泊まり歩く下図のような計画を立てた。日本の本州は奥羽山脈を背骨にしてそこからあばら骨のように東西に小さな山群が伸びてその山群の合間に村が広がり、海側では都市が形成されて成り立っている。今回の旅は奥羽山脈を行ったり来たりする旅である。 上野から2階建て新幹線MAXトキの2階席で新潟に行き、そこで羽越本線の特急に乗り換えて坂町に向かった。特急でもこの乗車率、やはり空気を運んでいるようだ。坂町で以前から乗ってみたかった「米坂線」に乗り換える。山形県米沢と新潟県坂町を結んでいるので「米坂線」分かりやすい。准本線と思いきや現われたのは一両編成にパラパラの乗客、もちろんワンマン列車。さっそく新潟駅で求めた駅弁を広げる。佐渡の「朱鷺めき弁当」とSLの「ばんだい物語」、前者は朱鷺の形をした箸カバーが美しい、後者はSL列車が描かれている。どちらも味は十分満足できるもの。車両中央部からでもズームするとこんな先頭景色写真が撮れるのは良いが内装は新しいのに車体は古いらしくそのきしみ音は半端ではない。程なくよく時刻表の10月号表紙を飾る山間部を過ぎ、米沢の手前の今泉駅に着く。米沢まで行っても良いがここから新幹線の赤湯駅まで第三セクターの山形鉄道フラワーラインでショートカットすることにした。山形ほ大人の休日倶楽部切符で何度も訪れているので駅からコンコースで繋がったワシントンホテルに泊まった。ここは山形で一番高いビルの24階がロビーで客室が下の階と言う珍しいところだが、本来ビジネスホテルなので窮屈な部屋である。ただ山形盆地を見下ろす梅雨景色や珍しい再生館や城址公園を望む眺望は一回は良いかもしれない。泊まるのは初めてであるがレストランには何度か来たことがある。今山形ではどこでもベニバナが飾られているがホテルのロビーにも美しい鉢があった。翌日は山形と仙台を結ぶ「仙山線」で仙台に向かった。このルートで一番の光景は「静けさや巌にしみいる蝉の声」で有名な山寺である。もう数回は眺めた景色であるがいつみても芭蕉の世界、「五月雨」にけぶる景色もまたいいものである。この前登山した時宅急便のお兄さんが登って行ったのにはびっくりしたことを思い出す。思わず「特別料金ですか?」の問いに「いや」の答に感動した。もうひとつ何時も驚くのは畑の中に聳えるヨーロッパ中世の古城を思わせる建物、調べてみるとこれは山形県立医療大学と分かった、医大と医療大は違うものらしい。旅は続き仙台から東北新幹線で郡山へ、そこから磐越西線で猪苗代に着いた。駅前に野口英世三体像と言うのがあり、昔修身(今の道徳)で習った英世とその母そして英世の才能を認め支援した人の像である。
2014.06.23
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梅雨時の花2題前回の雨後の散歩ブログの続きである。梅雨の時期ともなればどこもアジサイである。そろそろ各所のアジサイ名所も賑わってくるだろうが、ここの写真は公園の池端に咲く、何の変哲もないものばかり。季節の挨拶として記録しておく。アジサイについてのウンチクはこの時期になると毎年のように記しているので今年は何も記さないことにしておこう。サイズが大きい西洋アジサイは派手であるがこの池端に有るのはほとんどが地味なガクアジサイである。良く見るとガクアジサイにもガクの色や数にバリエーションが見られる。西洋アジサイの中には大サイズでバレーボールとまではいかないまでもハンドボールくらいのサイズのもある。なるべく自然流のこの公園ではいたって小さいものばかり。西洋アジサイと言えば江戸時代、西洋のプラントハンターとしてのシーボルトが気に入ったものが多く、せっせとヨーロッパに送り、彼の地で園芸種として改良され逆輸入されたものが多い。後に撤回されたがシーボルトはアジサイの一つに愛妾「お滝さん」の名をとって「オタクサ」と命名した位である。紫陽花の字は白居易がライラックに付けた名前だが、それを間違って用いたらしい。ギリシャ語では「水がめ」を意味するそうだ。今を去ること70年rakutenがまだ小学生の頃梅雨時の通学路、橋を渡って田園の一本道を行くとT字路にぶつかり正面に一軒の家があった。明治時代まで水害に悩んだこの地方では家は石垣で囲んだ土盛りの上に建っている。その石垣から八つ手の葉と大木のアジサイの枝が垂れ下がっていた。梅雨時ともなるとたっぷり雨を受け取ったアジサイの花が無数垂れ下がっていた。ゴム長靴に番笠を差して変わりゆく様々な色のアジサイの花を見つめつつ左に曲がって学校に着いた。梅雨の時期アジサイを見るとまず浮かぶのはこの光景である。実はこの池にはショウブが群生しているのでひょっとしてまだ花がと思ったがもうその時期ではなく、無骨な実が目立つのみであった。花菖蒲・カキツバタ・アヤメはその色や大きさ形から区別するのは難しいが花びらの根元の紋で見分けがつくらしい。そうやって見てみるとこの池端見つけたのはいずれも黄色の目形紋があり、みな花菖蒲の様である。
2014.06.13
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雨後の散歩道梅雨入り以来閉じ込められていたが5月10日は一日水滴が落ちることは無かった。そこで久しぶりに石神井公園に散歩に出てみた。遊歩道はぬかるんでいる所も多く、快適とは言えないまでもそfれなりの新しい発見もあった。まず公園までの都営団地で下の鮮やかな花を見つけた。Webで調べてみると、矢車薄荷(モナルダ、ベルガモ)でほぼ間違いない。シソ科のハーブである。紫色、白色の花を持つ変種もあるそうだ。洋種ハーブとしてはベルガモの名がポピュラーであるが日本では園芸花としての方が有名らしい。一般にハーブは葉や茎に含まれるテルペン類が匂い、花は地味であるがこんな派手なハーブもあるとは知らなかった。我が家でも栽培してみたいものだ。ハーブで思い出したのが我が家の花壇にどこからか(多分腐葉土)紛れ込んだのが下の写真の花薄荷(オレガノ)と思われるもの、摘み取って食卓に置くと芳香が漂う。花を主とした観賞用も有るようだがこれはイタリア料理などに多用されるもののようだ。話を元に戻して道中、野生の品種に近い白いホタルブクロを何株か見かけた。野生種の多くは薄紫色であるが白のほうが可憐である。アブチロンはチロリアンランプとも呼ぶそうだが10年位前から多く見られるようになった。園芸鉢で購入したものが垣根などに移されて野生化したものが多い。浮釣木とも言われるそうであるが、なるほど糸で吊るされたようで、タイツリソウに良く似ている。池畔に着いてみると雨上がりを待ちかねたように人々が繰り出している。水辺を見ると多くのアメンボウ達が何事もなかったかのようにすいすい、良く見ると脚のある位置で水面が凹んでいる。足の裏から疎水性の物質が分泌され水の表面張力が働き、水のへこみがアメンボウの体重を支えている。少年の頃小川でメダカ群の上を泳ぐアメンボウ群にあこがれたものである。「水馬、飴坊」とも記される、前者はすぐ分かるが後者を私はアメ=雨と思っていた。実はあの臭いカメムシの仲間だそうで、捉えられると匂いを発するがその匂いが人間には飴の様な匂いだとか、ぜひ実験してみたいものだ。ただこの虫なかなか敏捷で捕獲できない。体を浮かせているのは前足二本と短い後ろ脚二本でこの敏捷さは一番長い中足によるジャンプで生まれるそうだ。大雨の後とて水面は静かであるが目の前でカイツブリの子供が潜りの練習に励んでいた。シャッターを切ろうとすると直ぐ潜って波紋だけを残してゆく。巣立って間もないらしくもう親鳥の被護信は受けていないようだ、そう言えば我が家の下を流れる石神井川で5月末から二組のカルガモの家族にそれぞれ5匹の鶏の卵大のヒナが育てられていたのだが、直前の大雨で流されたのかこの日は親鴨の姿しか認めることが出来なかった。コンクリート護岸の流れでは増水すると飛べないヒナは可哀そうにただ流されるだけだろう。遠い池の真ん中に何か浮かんでいるのでズームして見ると鴨の子供がただ一匹じっと浮かんでいる。見渡す範囲に親鳥の姿は無い。ひょっとしたら親にはぐれた子鴨ではなかろうか。社会インフラの整っていない野生動物達に自然の仕打ちは酷なものだろう。
2014.06.12
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雨露写真6月2日に南九州で梅雨入りしてからから3日四国・中国、4日近畿・東海、6日関東・ 東北と連日の梅雨前線移動による大雨である。普通九州から東北までには2週間位はかけて北上するものであるが今年の前線は韋駄天である。韋駄天に限って思い切りも悪くぐずぐずするのでちょっと心配。どこもこの3日間で6月一カ月の雨量を観測などと報道されているがその割に大した水害は無い。そう言った意味では日本の国土造りと言うか建設費はしっかり使っているのだろう。そんな訳でここのところ外出していないのでバルコニーの花壇で雨露を撮ってみた。それも大きなカメラは仕舞い込んでいて充電もしておらず、と言うかレンズ交換できるカメラを持っておらず、なんとコンパクトデジカメ(Panasonic TX-30)による冒険である。マクロレンズは付いておらずマニュアルフォーカスもない機種であるが撮影モードとして花一輪のモードがあるのでトライした。当然半分くらいはボケボケの画像であるが何とか見られるものを記録しておく。オートフォーカスではカメラは全体をきれいに撮ろうとするため総花的になっていわゆる焦点のない画像になってしまう。とくに赤がバックになるとボケてしまう。水玉の中に閉じ込められた景色を撮ろうとするがなかなか景色になってくれない。毛羽に付いた少滴はもっと難しい。やはりマクロレンズがないと!下の事例からコンパクトカメラでの撮影はなるべく少ない数の大滴、すなわち一滴を狙ったほうが成功率が高いように思われる。やっと風景らしいものが水滴に閉じ込められたものが出てきた。この程度の出来栄えの為に噴霧器を持って散歩に出ることもあるまいし、早起きをして朝露を踏むこともなさそうである。夕立が来て美しい虹が出た時がチャンスかもしれない。梅雨明けが待ち遠しい、と言ってもまだその端緒に就いたばかりである。
2014.06.09
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五月末花壇の花達予報では暫く雨・曇りが続く、九州四国で2日に梅雨入り後、梅雨前線は一気に北上してもう東北まで梅雨入りしてし待った。こんな韋駄天ぶりも珍しい。西日本は梅雨の初期特有の豪雨のようである。最近は「数日前に梅雨入りしていたようです」などとのんびりした報道がなされる。植物にとってはベスト、人間にとってはワーストな季節で暫くは外出もままならずブログネタにも事欠く日々が続く。そんなわけで今日は指呼の距離以下で部屋のドアを開けるともう目前に横たわる我が家のバルコニーの花壇に先週咲き始めた花を紹介する。あの有名なムラサキツユクサの変種・白花ムラサキツユクサ。変な命名である、この調子なら白花黒ユリなんて言うのもあり得る話である。マンネンソウ:多くのマンネンソウは10センチあまりの高さになるが芝生代わりには厚すぎる。そこで私はせいぜい2センチ位にしかならない種を数枝貰ってきて屋上花壇に植え付けて十数年、今では花壇一面に広がり乾燥防止と風による土穣の飛散防止にしている。ベンケイ草の仲間の多肉植物なので小枝をばらまくだけで発生してくれるので増殖はいたって簡単である。今新たに黄金色の葉っぱの新種を手に入れているがこれは繁殖力がいたって弱く増殖できるか心配である。写真は僅かに咲いた星型の小さなマンネンソウの黄花。これも植えた覚えのない腐葉土に交じって来たらしいフランネル草、葉っぱがフランネル生地に似ている。昔冬服の裏地として良く使われたネルはフランネルのことで今でも冬のシーツなどに使われている。厚手のものはフラノと呼ばれ外地としても使われる。黄花はヘメロカリスでキスゲの園芸種、同類の野生種として有名なのがニッコウキスゲ全国どこにも見られるが「ニッコウ」が付くことが多い。トビシマカンゾウ(飛島菅草)、蝦夷カンゾウ等も同族のようであるが薬草のカンゾウ(甘草)は別種らしい。多分私にはどれも見分けがつかないだろう。今のマンションに引越してきて以来36年間咲き続けているサツキが今年もやって来た。梅雨の先駆けでもありツツジのように温かく迎えられることもないが、私の実家にはさつきの巨大な株があり、田植えの時期(6月)になるとそこにモンシロチョウ、キチョウ、アゲハ、ミツバチなどが集まった。そんなことで70年前後もタイムスリップをさせてくれるサツキにはいつも感謝している。これもどこかの垣根から2,3本だけもらって増やしたハナズル草、松葉菊の親類の多肉植物でこの増殖も簡単、蔓の小枝を土の上にほっておけばよい。わが相棒は毎週何種類かの季節の鉢花を植え込んでいるが私が増殖させたものはグレープフルーツ、アボカド等食べた物の種や葉っぱを放り投げておくと増えるマンネンソウ、ハナズル草等である。ただし一度目を出すと愛おしく育てていることを付記しておく。続くのは珍しく私が植物園で見て気に入り大金をはたいて購入したもので多年木のキャッツテイルは赤くて小さな穂が可愛い。ただキャッツテイルの名はあまり可愛い感じがしない。花の名には良く分からないものが多いのだからいっそのことキトンテイルにしてほしかった。ネコ好きの方には申し訳ないが猫嫌いの私に言わせればcatには猫のほかに意地悪女、ナマズなどどちらかと言うとネガティブな印象がある。次はレッドボトルブラシ、我が家のものは貧弱そものであるが初めてオーストラリアのパースで見たものや、パースと姉妹都市の鹿児島市の公園で見た大木は他を圧して綺麗であった。最後はムシトリナデシコ、名前の通りナデシコの類縁種であるがほとんど野生化したしもので我が家へも腐葉土に混入してやって来た。葉っぱの下の茎部分が帯状に茶色くなって粘液が分泌され、ここで虫をとらえると言うが実際にここで捕まった虫を見たことは無い。虫と言うよりも蟻を花のところまで寄せ付けないための仕掛けらしい。それにしてもテープを巻きつけた様な 帯状の粘液で指につけるとべとべとになる。
2014.06.06
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ういろう (薬+お菓子)熱海からの帰り小田原に出て遅い昼食をとり「外郎(ういろう)本店」を訪ねることにした。昔の東海道、現在の国道一号線をバスで本町に向かう、そこにある老舗レストラン木の実を目指した。店構えは大きくないが内部は広く椅子や調度品も落ち着いたクラシック調で小田原では伝統のあるフレンチレストランで昼食ながら良いお店である。ランチの後目指すは目と鼻の先に有る「ういろう本店」、目的がそこだったので直行した途中道路の反対側で下の写真の様な薬局を発見して写真に収めておいた。看板に創業寛永拾年「小西薬房) とあった、あとで調べてみると小田原の「町かど博物館」の一つであった。小田原には古くからの店舗・地場産業が残っている。そこで店内に資料などを展示し、店主との対話などを通じて小田原に親しんでもらおうと「街かど博物館」制度を始めた。何代も重ねた店の店主が客と対話をしながら観光にも役立てようとするものである。そう言えば近くにも2,3それらしきお店があった。次回の小田原訪問ではぜひこの個人店舗博物館を巡ってみたいものだ。さてこの道路向かいが「ういろう本店、」堂々たる城造りだ。多くに人にとって「ういろう」は名古屋のお土産菓子にすぎないだろうが。実はその外郎もここ小田原・外郎家が発祥である。薬とお菓子の「ういろう」については前回の小田原訪問ブログに詳しく記したが、中国元から「外郎家」が渡来し室町幕府や小田原北条早雲に重用され、伝来の「くすり・ういろう」を作っていた。一方室町幕府の接客用に作った「お菓子・ういろう」が有名になり、後に京都の分家が兵火で断たれ使用人たちが各地に散らばって「お菓子の外郎」を販売したのが現在の名古屋などのお菓子のういろうである。一方一子相伝の薬・ういろうは今も昔も東海道に面するこの本店でのみ売られ、江戸時代を中心に東海道を旅する人の必携品として印籠に入れて愛用された。外郎家は朝廷から菊の紋と五七の桐の紋をあてえられ、お城の様な八つ棟創りの店舗を建てた。その時天皇から祝いのお言葉を貰った。以後度重なる地震で崩壊する度に八棟創りのお城風店舗を造り続けてきた。申し入れると明治18年築で関東大震災にも倒壊しなかったという蔵を利用して五百年に亘る外郎家の秘宝や資料を展示した博物館を案内してくれる。資料は撮影できないがわざわざカギを開けて案内してくれるのは有難い。二代目市川段十郎は咳と痰でセリフが言えず苦しんだが「ういろう薬」を飲み全快、感謝の意をこめて歌舞伎の演目「外郎売り」を上演し、自作の早口セリフが誕生した。落語の「寿限無寿限無」とともに有名な歌舞伎の早口長科白である。博物館では昨年亡くなった故12代団十郎の「外郎売り」の衣装が展示されていた。印刷された長い独白セリフも手に入れたが早口どころか香具師のセリフを何倍か難しくしたようなものでゆっくり読むのも大変である。「ういろ」うを服用すると舌まで滑らかになり早口セリフが飛び出してくるというのが歌舞伎の口上である。ただ案内してくれた女性によると実際には「ういろう」が外商されたことはなく、したがって「外郎売り」は2代目団十郎の創作でお芝居の上でのことであるとのこと。帰りに買ったお菓子の「ういろう」。広いお菓子販売コーナーの脇では細々と医薬品も販売され、店のに奥には「調剤室」と記された部屋もあり、白衣の薬剤師の方がいた。そう言えば小田原駅前にも「調剤薬局・ういろう」がある。薬の「ういろう」は天皇から「透頂香」の名を頂き二つの名を持つ仁丹の様な丸薬。東海道旅の友、「透頂香」を入れる薬入れの「印籠」も売っていたので記念に購入した。
2014.06.02
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MOA美術館 日本庭園・光琳屋敷MOA美術館には素晴らしい日本庭園がありそこに尾形光琳の屋敷が復元されている。展示室入口のホールから裏側に出ると緑に包まれ、苔むした石畳に導かれて風情あふれる小さな門がある。屋根の上にはよく見かける瓦模様が見えるるがこれは実際の瓦ではなくすべてミニアチュアーの瓦で何とも可愛らしい作りである。門を一歩入るとそこはもう静寂そのもの、美術館の開館直後とて人の姿は無い。順路左手に「片桐門」が置かれている。豊臣家の重臣片桐且元が奈良薬師寺の普請奉行を務めた時野宿舎の門で、且元は馬上のまま出入りしたので高い門構えである。奈良慈光院、神奈川大磯の三井別邸を経てここに移築されていると言う。背の高い戸板を補強する意味もあるらしい鉄の紋様が美しい。庇の付いた外縁を持つ大広間の「一白庵」では自然農法の抹茶が頂けると言う。前庭はまさしく白砂青松、ここでの一服は心休まることだろうrakutenには無縁?目を横に転じると中世ヨーロッパの城壁を偲ばせるような美術館の本屋、マルタ島の十字軍の砦を彷彿させるベージュ色の石積みである。庭続きには尾形光琳が自ら描いた図面に基ずく屋敷が復元されている。京都二条に有ったこの屋敷でこの美術館最大の収蔵品で国宝の「紅白梅図屏風」が描かれたと言われている。光琳屋敷居間濡れ縁の樹齢模様が実に美しい。光琳屋敷茶室。多くの茶室のにじり口の周りは陰気な壁構造であるが、ここは戸板の上部にも横にも光採りの障子窓が見える。客に頭を下げさせ暗い空間に閉込めるる千利休の考えには以前から不満を持っているのでこの作りには納得がいった。何年か前、堺に有る千利休の墓に詣でる機会があったが、墓の前に木枠の門があって、これがまた低い。思いっきりぶつけて頭から血を出した経験がある。以来、客に頭を下げさせるにじり口には反感さえ感じるrakutenである。日本庭園を辞して眺める光琳屋敷の佇まい。
2014.06.01
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