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諏訪大社御柱祭と黒曜石諏訪大社は武門の神として古くから武士の信仰が厚く、源頼朝、北条一族、足利、武田、徳川の歴代将軍や大名などの信仰を集めている。そのせいか全国各地にまんべんなく支社があり、言うならば信州の田舎発全国区神社である。まるで地方に本部を置く企業がITを駆使して全国を席巻している現代みたいである。さて諏訪神社の最大の呼び物と言えば御柱祭である。諏訪大社の神殿を中心に4隅にモミの柱が立っている。それを寅と申の年に山から切り出した新しい柱に建て替えるのであるが切り出しから山路・里路を曳き回して運ばれる。その際急勾配を引き下ろす時氏子の若衆が木に乗っかって掛け声をかけるのが「木落とし」と称される荒事である。かっての若衆にとってこれが出来て初めて一人前の男として認められる。世界共通の男子の通過儀礼である。その後多くの町衆が町内を曳いて諏訪神社に運ぶ。大木と言えどもすり減って平らな面が出来るそうである。タクシードライバーの話によるとすり減った面は人目につかない裏側に回して建ててあるそうだ。 我々も当然のように御柱探索をした、一之柱は社殿てまえ右側の石段近くにすぐ見つかり、二之柱も我々の拝観順に東参道脇に有った。 二之柱三の柱は深い木立の中に有り急ぐ時間では確認出来なかったが考えてみれば一、二之柱が分かっているのだからそれを一辺とする正方形を考えればすぐ見つかったはずである。四の柱も拝殿の横の隙間から木立の中にすぐ見つかった。もう一つ目を引くのが幕末の名横綱「雷電」の像である。雷電はこの地方の出身だとかでやはり地元出身の作家によるものでモデルはなんと柏戸、佐田の山、富士錦で勝負に強いご利益を願って建立された由。私は以前から相撲取りと言うよりはプロレスラーのような四股名が好きで誰か名を継がないかと思い津ず毛ているが今だにその話は聞かない。雷電像のすぐ横に無形文化財「十五夜相撲神事」が奉納される土俵がある。俸納相撲の後相撲踊りが披露されるそうであるがどんな踊りだろうか。二之柱の横にコブだらけのケヤキの巨木が立っている。 タクシーを待たせてある上に空が暗くなりぽつりと何かが落ちてきたので急いで駅に取って返した。駅のホームに出ると大きな岩が飾ってあり黒曜石の説明板があった。そう言えばここは黒曜石の有名な産出地で石器時代の遺跡が多いのも矢じりに使うあの硬い黒曜石があるためと聞いたことがある。北海道・東北や九州に産地は多いが本州の関東地方までは産地が少なく多くの地で霧ケ峰高原付近の信州産黒曜石が使われていたらしい。何時かテレビ番組で見たが先史時代にどうして石器材料としての黒曜石が各地に流布したのか大きななぞとしてて残っている。そう言えば松本清張の社会派推理小説の傑作の一つに「波の塔」と言うものがあり、冒頭部雲で主要人物の若い男女が茅野駅近くの竪穴住居で出会うシーンがあった。茅野駅の近くには縄文の里と言うのがあり、竪穴住居や尖石遺跡がある。次回はぜひそれらを訪ねることにしよう。
2014.07.28
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諏訪大社本宮白樺湖からの帰りホテルのシャトルバスで茅野駅に運んでもらったがブッキングした汽車にはまだ少し時間が有ったのでタクシーを使って諏訪大社に参観することにした。諏訪大社は勿論全国に2万社以上ある諏訪神社の総本社である。一口に諏訪神社と言ってもその社は4社ある。本宮(ほんみや)と前宮の上(かみ)2社は茅野駅からが便利で、春宮、秋宮の下2社は下諏訪駅からが便利である。時間の関係もあって今回は上社本宮の参拝である。交通が不便でバス便も週末しか動いていない、そこででタクシーに待ってもらっていた関係でゆっくりと言うわけにもゆかず、忙しない参観では有ったが脚が進んだ順に記録することにする。北参道から入って東参道の方へ回り込むと大きな神楽殿が目立つ、ここには直径1.8mの大太鼓が据えられている。一枚皮で張った太鼓としては異例の日本一の大きさとか。東参道から入ると直ぐに正殿に通じる布橋が見える、ここには朝廷からの勅使など特別な時だけ使われる勅使門もある。特別な用途の時絨毯の様に布を曳いたのが布橋の語源だとか。入り口に特異な神社紋が見えるがこれは梶の木紋で大地に下ろす根の数が上社では4本、下社では5本だそうだ。布橋を渡り切ると唐門を備えた勅願殿、門の正面に位置しており堂々としているのでこれを本殿と勘違いするほどである。神社本殿らしき垂れ幕の下がる社が左側に見える。だがこれは幣拝殿と言うものでご神体の鎮座する本殿ではないらしい。と言うよりも寺院の本堂の様に儀式の執り行われる場所が神の居場所にもなる諏訪造りと称するものそうだ。賽銭を投じ二礼二拍一礼して良く見ると正面の神殿は幕にかいた絵であった。何だか騙されたような気分であるが現在修復中なのだそうだ。でもこのだまし絵中々良く出来ていた。布橋から拝めるように小さな祠が祀られており、これは大国主を祀ったもの。諏訪大社は大国主の次男建御名方(たけみなかた)神とその妃神・八坂刀売(やさかとめ)神を主祭神とし、兄の八重事代主(やえことしろぬし)神を合祀するもの。大国主も息子たちの隣に隠居所を建ててもらったと言うことだろう。出雲の国を天照大紳に割譲したと言う国譲り物語の際腕ずくで倒された次男神がここ山岳地帯に逃れて信濃の地に開いた新しい国が諏訪である。今風に歴史認識すれば国家間の島統治権やパレスチナ人とユダヤ人の抗争にも通じる話であるが「国譲り」と平和裏に解決したかのようにまとめた日本書紀の作者に感謝するのみである。おかげで国内で争うこともなく終わっている。建御名方神にしても直接出雲から来た説や阿波の国を経て移って来たとか諸説があるが元々日本書紀はいろんな民話をまとめて日本の国体を作り上げたおとぎ話であるから諸説入れ乱れて語られる方がいいと思う。残念なのは我々世代は戦前に神話を歴史として刷り込まれたために異説に出会うたびに少なからぬ当惑を覚えることである。
2014.07.27
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白樺湖・湖畔景色JR茅野駅は標高700mそこからバスで約40分、白樺湖は1400mの高地に有る。リフトですいと上がれ、なだらかな草原の車山は1925m、普通の感覚で言えばそれはもう高山だ。蓼科山や八ヶ岳が霧に隠れているこの日、湖畔にその標高を思わせるものは何もない。ただ植生はさすがに高山を偲ばせるものがほとんどだ。そんな優しい湖畔景色の中、広く観光地に見られる乗合トテ馬車と言うよりは西部劇に出てくるワゴンに近い馬車が壮年夫婦を運んでいた。一般に温泉地のトテ馬車は農耕馬が引いているのに対してこれはサラブレッドに近い馬だ。ゴールデンアカシアや白樺の並木の下を闊歩しているのは絵になる光景である。ジーンズのドライバーもなんとなく西部劇風であう。60年近く前にここを初めて訪れた時白い木肌の白樺を初めて目にして感動したことを今でも覚えている。水面を黄色くそめるアサザが咲き乱れる小さな池にはスワンボートが似合う。子供用の遊戯施設も整っていて中には塔の上から落下するパラシュート(?)遊具だが良く見るとお父さんが必死になって自分を釣り上げている光景が見られた。多分何らかの助けが働いているのだろうがお父さんやるのも大変だなあと思った。その近くには二つの博物館があり一つはギリシャ神殿風のエンタシスをもつテディーベア博物館、そう言えばホテルにはテディーベアに囲まれた部屋もあるらしい。隣には影絵・オルゴール美術館がある、ホテル宿泊券に入場券が付いていたので入場することにした。。私は作者の藤城誠治さんについて詳しくは知らなかったが、そこにはもう老若男女誰でも感動する世界があった。色付きセロハン紙をカミソリで切りぬきそれを重ねて光を投影して、まさしくファンタジーの世界を現出させたいる。一部屋を占める「白樺湖の四季」など一日眺めていても飽きない。那須高原、昇仙峡にも類似の藤城博物館があるそうだ。あまり詳しくは見なかったが諏訪と言えば世界のオルゴール工場である、売店では半端ではない数のオルゴール原器が売られていた。外はこの時期黄金アカシアとユリの競演である。この時期黄金アカシアの葉はまだ緑気が抜け切れていないがそれでも遠目には黄金色である。コーチ馬車の過ぎる湖畔景色はこれらの木々に包まれてあくまでも優しい。
2014.07.26
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霧ケ峰高原の植物 2シナノナデシコかゲンノショウコに似ているが葉形が違うようである ?歩道の脇にポツンと咲いていたムシドリナデシコ、これはつい先日まで我が家の花壇にもあったので間違いない。花の下に虫を捉えるための粘液をつけている。歩道脇のコニファーガーデンには各種の針葉樹が植わっているが、coniferは丸い松笠様の実をつける針葉樹の一般名である。わが国ではどうも庭木用に改良された低木のものを指すようでここにも大木は無かった。庭木には縁のないマンション族にとってコニファーとはアメリカ西部の国立公園に茂る天をつく樹高の森を思い出すがこのコニファーガーデンにも大木は見当たらない。思い出すのは栂池高原自然園に見られる枝にとまった鳥のように見える栂の木(アオモリトドマツ)である。ここのコニファーガーデンには高山性の草も植わっている。下の写真はショウマの類である。調べた範囲ではトリアシショウマに見えるが「鳥の足」には見えないので自信がない。近年はショウマの園芸種で紅花のアスチルベがよく見られる。隣にあったのがオオバギボウシ、あの橋の欄干に有る擬宝珠(ぎぼうし)にこの花のつぼみが似ている所からの命名とか。残念ながらもう花期は終わっていて花枝は白い花柄を残すのみであった。ギボウシの若葉は山菜として広く食用されるが有毒性のバイケイソウの若葉と間違えて中毒を起こすことがあるようだ。「虎の尾」を冠する植物は多いがいずれも猫じゃらしのような花房を持っている。山虎の尾、丘虎の尾、沼虎の尾など多度済々、そう言えば我が家にもかって園芸種が育っていた。下の写真はイブキトラのノオに近い品種であるが花の色が少し違うのと穂が垂れている。忘れていたが今回の旅行の目的ニッコウキスゲを記録しない訳にはゆかない。前ブログにも記したように日光の特産ではなく、ここの綺麗に見渡せる山の草原霧ケ峰はキスゲの名所である。ところが前記したように鹿に食べつくされここでも青息吐息なのである。通電した電線に守られてその範囲だけになってしまった。人間も太陽電池を使ったりして鹿と知恵比べをしている。キスゲ(黄菅)に似た植物に佐渡などに着られるトビシマカンゾウ(飛島菅草)や今も我が家の花壇に咲いているのは園芸種のヘメロカリスなどがある。なお同じカンゾウでも薬草の甘草は全く別の植物である。花木園を出て湖畔に出てみると白樺湖に隣接して小さなボート池があり、その湖面に何やらびっしり水草が茂り見たことのない黄色い花が咲いている。案内板を見ると「アサザ」とある。絶滅危惧種に指定されている浮草である。
2014.07.25
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霧ケ峰高原の植物 1湖畔の散歩や霧ケ峰の草原で見た花を記録しておくことにするが大部分は私が名前を知らない。しかし良く見かける山の花である。今の時期鮮やかに高原を飾っているのは紅色のシモツケ全国の山野に咲くが名前は今の栃木県あたりを指す下野の国に由来するらしい。良く似た花にシモツケ草があり花もよく似ているが強いて言えば花が平たい集合花と言うよりは穂状のものが多い気がする。早い話がシモツケは木でシモツケ草は草なのだろう。 シモツケそしてそのシモツケと花はほとんど同じで区別しにくいのがノコギリソウ。ただし区別は簡単で名前の通り葉っぱがぎざぎざで繊細な鋸の様である。 ノコギリソウカラスノエンドウかスズメノエンドウのような葉形をしているが花の形が違う可愛い草花。オイランソウと思われる、園芸種はフロックスの名で知られている。園芸種の花形にはバリエーションがあるようだ。花魁との連想 ?だったが、この香りが花魁の白粉に似ているらしい。なぜか高原にハマナスの花が?黄金アカシアに縁取られた「ゆるゆるの丘」と称する草原は今ユリの時期である。大きなアザミのような草形で紫陽花くらいの黄色い大きな集合花は何だろう。紫色の穂花は調べた範囲ではラベンダーセージに限りなく似ている? その隣に有ったのは少々時期を逸した感のあるルピナス。その貪欲な求肥性から狼にちなんだこの名があるが種(豆)は大豆の代わりに食用もされるそうだ。花は藤に似、上向きに咲くことから「昇り藤」の名もある。園芸種としてもポピュラーであるが同じルピナスでも主幹が立たず地を這うような高山性の小形の種が個人的には好きである。そろそろ咲き始めたのがヤナギラン、日本語は葉が柳に似ているところからこの名があるが、英語ではFireweed。イエローストーンなどアメリカ西部の国立公園では常に自然発生的に山火事が起こる。火事の後最初に生えてくるのがこのこの草で、まず土地を甦らせて新しい植生を開始する。これが英語名の起こり。燃かすの残る黒い広大な焦土に最初はチラホラ翌年は一面に咲き誇るこの草花は圧巻である。私自身は火山噴火で焼き尽くされたセントへレンズ山山麓でその情景を目の当たりにした経験がある。
2014.07.24
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霧ケ峰・車山今回の旅の主目的は車山に登ってニッコウキスゲを見ることである。ニッコウとはいっても日光特有の植物ではなく広く分布している。昨年も車山に来たが時期が少しずれていたのと体調が悪く山頂には行かなかった。一日花なので最盛期を捉えるのがやや難しいがその点霧ケ峰は白樺湖湖畔から車山頂上までは約500mの標高差があり、どこかが最盛期に近い。白樺湖湖畔はもうとっくに終わっていて今は百合の時期になっているが、まずはバスで車山ロープウエイ乗り場に向かった。バスは草原をぐんぐん高度を上げて進んで行く、かっては一面の萱原であったが今はかなりクマザサにとって代わられている。日本全国そうだが今は茅葺の家が無くなり萱の需要が無くなったため野焼などをして萱を育てることが無くなった。そのためクマザサが根を張ったのであろう。箱根十国峠なども例外ではない、阿蘇の草千里などどうなっているのだろうか、気になるところである。リフトを乗り継ぎ一寸だけ歩いて1925mの車山山頂に着く、山頂だけはガラ場で草が無い。名前の通りひっきりなしに霧がやってくる。本来ここからは浅間山・蓼科山と北八ヶ岳・八ヶ岳連峰とその向こうに富士山・日本第二の高さの北岳を含む南アルプス連峰・木曽駒ケ岳を含む中央アルプス連峰・木曽の御嶽山・名峰穂高や槍が岳を擁する北アルプス連峰と360度数々の名峰が望める場所なのだ。しかし何しろここは霧ケ峰一年を通じて霧にに包まれる日が多くこの日も例外ではなかった。我々のような軟弱派とは反対に山歩きをする人達は本格登山のいでたちである。すぐ下には諏訪神社がある茅野や諏訪の町がひろがっている、当然のように車山の頂上には諏訪神社の分社が祀られている。そして諏訪神社の社は当然のように4本の御柱で囲まれている。この光景はトルコのイスラム寺院のミナレットのようにも見える。切り出した御柱を山から町えと曳き回す御柱祭りは信州の最大行事と言える。何年か前までは車山の頂上に展望ステージがあったが今はまん丸い形の気象レーダーが設置されている。隣接する美ヶ原高原の景観を毒している電波塔がここで見られないのは有難い。霧の合間に下の登山道を見ると黄色いキスゲが咲く横を団体登山客が行列を作っている。まわりの低い灌木は5月草原を赤く染めるレンゲツツジの群落である。鳥の鳴き声がすると思ったらすぐ脇の岩の上に岩ヒバリが留っていた。我が家の近くでもよく見かける背黒セキレイの類鳥も草原にはよく似合っている。頂上付近にはミネウスユキソウが処々に見られた、姿形はかなり異なるがヨーロッパアルプスの名花エーデルワイスの日本版として珍重されている花である。お目当てのニッコウキスゲは全山を黄色に染め上げるとまでは行かなかった。山麓では終わっていて山頂ではまだリフトを乗り継いだ中腹あたりが最盛期であった。テレビニュースでは霧ケ峰のキスゲが満開と盛んに報じているがどうも車山肩野辺りが良かったようだ。バスでもう少し先の肩まで行くか若い人の様に此方に下山すれば良かったみたいだ。上の写真でも見られるようにキスゲが咲いている所は緑のロープが張られさらにその内側に電流を通した細い線が張られている。ロープの外にはキスゲは見られない。かって全山を黄色く染めたキスゲも繁殖したシカによって柔らかい芽が食べつくされたのだと言う。そう言えば街外れでもバス道路の脇の草堤が時々はげはげになっている、聞けばこれは野生鹿の横断通路で夜間よく車と衝突事故を起こすそうだ。一時保護した鹿が増えすぎて森林や畑を荒らす害獣となっていることはここに限らず日本全体の問題となっている。ホテル送迎バスのドライバーの話によると今は猟をするハンターも歳をとり山歩きどころではなく鹿害が重大らしい。
2014.07.23
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白樺湖湖畔昨年出かけたが早すぎて見過ごしたニッコウキスゲを見に霧ケ峰高原に出かけてきた。昨年は山の中だったので今回は白樺湖畔のホテルにした。このホテルは大人から幼児までのレクリエーション施設を備えているので夏の始まりの連休前でも幼児ずれのファミリーで賑わっていた。初日は体調も良くなかったので軽く湖を半周する木道を歩くことにした。振り返ってみるとここを初めて訪れたのは58年前である、白樺湖は昭和25年(1950)に出来た人造湖なのでまだ出来て数年しか経っておらず、本来農業用なので観光施設はほとんどなかった。私の人生初の単独登山は2531mの蓼科山である、頂上から見えた北・中・南アルプスの山々、さらに遠くは富士山、目の前は八ヶ岳や霧ケ峰の山稜である。四国からやって来た若者にとって小説でしか読んだことのない日本を代表する峰々が一望できる蓼科山の頂上は賞嘆するに余りある光景であった。山の天気は移ろいやすい、早々に下山すべきところついつい長居をしてしまった。案の定下山途中でガスにまかれてしまった。山の雑誌にはこんな場合まずは動かず霧が晴れるのを待つとあった。一寸先も見えないガスの中じっと我慢して少し明るくなったので下山し始めたが秋の陽はつるべ落とし、バス道にたどり着いた時すでに最終バスは行った後である。何も無い山中であるが近くに夏だけ農家から預かった牛を育てている「蓼科牧場」があるのを知っていたので牛フンを頼りに番小屋にたどり着いて一夜の宿を乞うた。番人夫婦は快く泊めてくれ食事もご馳走になり、一升瓶に入った液体までご馳走になった。翌日バスで白樺湖に出たが予定外で地図などもなく、今の様に観光案内所など有るはずもない。美しい霧ケ峰高原を前にして逡巡していると5,6人連れの女子大生ハイカーがやってきた。事情を話して邪魔にならない距離で後をつけることを了承してもらった。暫くするとご一緒にどうぞと誘ってくれ、おにぎりまでご馳走になった、話してみると互いに共通の知人がいたりして奇遇に驚いた。そんな白樺湖も60年近い歳月を経てとても人造湖とは思えない霧ケ峰高原の山々に囲まれた保養地としてにぎわっている。ここから望む霧ケ峰は盟主車山を中心に柔らかい曲線の草原でまことに優しく美しい山容である。車山の頂上には白い気象観測用のレーダードームが草原にアクセントを添えている。イングランドの丘陵を思わせる光景であるが車山は1925mとこれはもう高山である。もう一つ今回の旅で目についたのは白樺湖一帯に植わっている黄緑の美しいアカシアの木である。Golden acaciaとか黄金アカシアと呼ばれるニセアカシアの変種らしいが私は始めて目にしたものだ。北海道から移植したものだと聞いたが、たまたま湖畔のボードウオークで一緒になった人は北海道出身ながら見たことが無いと言っていた。私自身ももう10回位は北海道を訪れているが目にしたことは無い。土地の人に聞くと新緑はやや緑が濃いが丁度今時期から黄色が強くなり段々と黄金色になるそうだ。そしてその種から育てた木はもはや普通のニセアカシアにすぎないとのことだ。湖畔や街並みを彩る柔らか色のアカシアは現在でも周りの緑に比べて十分に黄金色に見えてくる。秋には素晴らしい色になるのだろう。湖畔にはボードウオークも整備されていて水生植物も見られ快適な散歩が出来る。この日はまだ梅雨の中、幸い霧ケ峰は見渡せたがもう一つの景観をなすコニーデ火山跡の蓼科山は深く雲の中であった。ボードウオークを挟んで湖畔の白樺林の中には瀟洒なレストランやペンションが点在している。
2014.07.22
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花壇の目立たない花相変わらずの梅雨空、西日本ではまだ梅雨も明けないのに台風が大暴れ関東も明日あたりどうなる事やら。最近の予報の仕方で50年に一度の規模と言っているがそんな表現をされてもこの50年間でどれが一番強かったなど記憶にない。やはり馴染んだ表現にしてほしいものだ。台風は被害ももたらすが水と言う我が国最大の資源を運んできてくれることも否めない。芭蕉の様に梅雨時に旅をして五月雨を枕にするサビも持ち合わせない。我が家の屋上バルコニーにある植え込みは毎日眺めているが一昨日大発見をしたなんとねじ花が一本咲いているではないか。ねじ花は普通公園の芝生の中などで1,2本見つけることはあるが我が屋にあるとは知らなかった。何かの花株に付いてきたのだろう。2011年6月17日のブログに熱海の錦ヶ浦で発見したことを記している。その時の写真が3枚目の写真である。その容姿から言えば楊貴妃と田舎娘である。熱海のそれは私が今までに目にしたものの中では最高の部類に入るので仕方がないが、それにしても違いすぎる。とはいえ我が家に自生とは信じられない好運である。よく見ると我が家のは左巻きで、熱海のは右巻きである。Wikiで調べると左右ほぼ1:1だそうだ。日本語風にいえばディレハラ(方向による差別行為)だが、昔から世界中の言語で右は「正しい」の意味を持ち、左は「悪い」の意味を持つことが多い。日本語の左右は必ずしも差別的ではなく左大臣が右大臣よりも格上とされているが、これは中国の時代から王は南向きに座るので陽の登る左(東)が陽の沈む右(西)より上位と考えたようである。 我が家のねじ花 錦ヶ浦のねじ花ねじ花の巻き方が左右1:1と言うことは地球の回転や銀河の回転などの様に偶然が支配したのだろうか、ちなみに地球上の生き物はみな右巻き螺旋の遺伝子を持っているのはどうしてだろうか。左巻き遺伝子を持った人間が半数いたら世界の秩序は変わっていたのだろうか。ねじ花一つから大宇宙の法則や遺伝子の構造まで想像は尽きない。屁理屈を展開している間に目がねじ花の横の小さな花に移った。小ささの定義にもよるがねじ花の隣人たちをいくつか紹介して記録に留めることにする。アゲラタム 小さな花が集まって1cm位の丸い集落を作って一つの花のように見える。ア・ゲラタムはギリシャ語で「老いない」を意味するとか。。ハナツル これもどこかで拾って来たものだが一枝つまんで刺しておけば数年後には大変なことになる。トリアングラリス 葉っぱは濃紫で汚いが花は別格。トリアングラスは葉の三角形から。ネメシア^ 小さな白花が纏まって咲く。変化に富んだ花色が市販されている。地味は花であるが花期は長く花壇では便利である。マンネンソウ 昔我が家に有ったのは背丈が10cm位になるので別種の背丈2,3cmに植え替えた。表土の日よけと乾燥防止のため苔に見立てて這わせている。5-10mmの黄花。ニワセキショウ 全く覚えがないのに毎年何株か生えてくる。極めて小さいがアヤメ科だそうだ。文化勲章に似ていると思ったが勲章は五弁である。
2014.07.10
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カレッタ汐留先週の日曜日、孫娘が出場するピアノコンクールが築地の浜離宮朝日ホールであった。静岡から一家で上京してきたので横浜の長男一家も集まって一族9人で昼食会をすることにした。ランチバイキングでもと考えていたがネットで調べたところに電話しても皆満席。仕方なく新橋方面に向かって歩き、途中ホテルのレストランも当たったが満席とのこと、さらに歩を進めカレッタ汐留に行った。ここは旧国鉄新橋貨物駅・操車場跡でわが国の鉄道発祥の地でもある場所だが数年前に再開発され、東京で何番目かに高いカレッタ汐留という複合ビルが建った。47階にあるレストランでランチメニューにありつくことが出来た。総ガラス窓の室内や隣の展望室からは東京のベイエリアが一望のもとに見渡せた。展望室は無料で誰でもアクセスすることが出来る。高いところからの景色が好きな我々が色々話していると一人の紳士が眼前の景色の歴史や成り立ちを詳しく解説してくれる。このような場所でゆっくりしているとよく老紳士が現われ、我々はその餌食(?)になることが多い。どうやら毎日の様にその場所に現れウンチクを垂れるのを趣味としている人種のようだ。私はこのような人と会話を楽しむことが多く、そういう意味では同じ穴のムジナと言うことになる。上のパノラマ写真の窓左下部分の茶色のヘリポートを持ったビルが朝日新聞本社、その右の茶色のビルが少し前に孫娘が演奏した朝日ホール、その上部の緑屋根を含む湾曲した施設が本来もう無くなっているはずの日本最大の築地市場。平成初期にこの写真右上方の古い人工島の豊洲に引越すことに決まったが、東京ガスの工場跡地で土壌汚染がひどかった。除染・表土入れ替えなど多額の費用を使っていずれ近い内(?)に豊洲に引越す。写真中央の現在の築地市場から月島に架かる橋は元の計画で架橋されているが市場側に道路がないため使われていない、地図を見てもこの橋はまだ無いことになっている。 市場から濠を挟んでの緑地は浜離宮庭園である。甲州藩邸から始まり江戸時代は将軍家の別邸・浜御殿として整備され、明治時代には皇宮離宮として用いられた。 潮の満ち引きによる海水の流れを利用した回遊式庭園。庭園の左上に水門がありそこからは浅草方面への水上バスが出ている。そして右上隅の大型水門の脇には屋形舟のような遊覧船が係留されているのが見える。少し目を右に転じるとお台場脇のユリカモメの海上路線、地球儀をビラ下げたようなフジテレビ本社、その続きは右のレインボウブリッジで芝浦方面に繋がっている。 フジテレビの左後方に白く見えるのが東京湾横断道路の川崎と人工島海ホタルを結ぶ海底トンネルの中間にある換気塔で遠くから見ると青い横縞のヨットの帆に見える。さらに左後方には恐竜橋と愛称されるゲイトブリッジ、写真には橋の右半分しか映っていないが、左右から同時に恐竜の尻尾、胴体、頭、口と伸びて行って最後に二匹がキスをするというロマンあふれる工程で出来た橋である。この過程、完成後を見るツアーなどもあった。かく言う私もツアーに参加したことがある。大型船の通行を確保するため橋の中央部を高くする工夫である。横浜港も大型船はベイブリッジにぶつかり入港できず、ある船は干潮を待って出入港するそうだ。実際私も15階建ての船に乗ったことがあるがそれはもう大きなビルディングである。まだまだ続く梅雨であるがこの日は予報とは違ってこの時期には珍しく見通しの良い日であった。くだんのガイド小父さんも久しぶりの好天にやる気っ満々であった。孫娘もめでたく全国大会優秀賞を頂き、美しい景色と美味しいランチに笑顔いっぱいであった。
2014.07.06
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