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さきたま古墳公園・忍城の紅葉11月27日は数日来のぐずついた日和の後雲一つない青空が広がった。天気予報は次の日からまたぐずつくと告げている。出かけるにはこの日をおいてないと思い埼玉県行田に出掛けた。かっては足袋の生産地で全国の8-9割を占めていた「足袋の行田」も今は数軒を残すだけだとか。最近は「さきたま古墳公園」と映画「のぼうの城」で一躍有名になった「忍(おし)城」、さらに「古代蓮」が観光の中心である。このブログでは古墳公園・忍城周辺の紅葉を紹介する。 古墳公園は広大な芝生の中に古墳が散在しており、ケヤキはもはや葉を残さず、裸婦彫刻を思わせる優美な曲線の古墳が草紅葉を身につけてイチョウの黄葉と美しいはハーモニーである。武蔵野を偲ばせる疎林地帯にはまだ落ちやらぬ欅や桜の黄葉が美しく数少ないモミジもその華やかさで艶を競っている。 そして落ち葉散り敷く芝生地は上の樹種によっていろいろな錦模様を描いて広がっている。芝生上のモミジ葉草地上のモミジ葉草地上のケヤキの落ち葉 厚いイチョウの落ち葉絨毯古墳公園から忍城に移るとここにもモミジやイチョウが美しく色ずいていた。城跡の水城公園は古墳公園とはガラッと雰囲気が変わり池には釣り人が溢れ、無数の鴨が忙しく落ち着かない様子で無数の波が干渉して乱れている。忍城内も華やかに色着いていたが古墳公園に多く見られた山野木のケヤキに代わってここではお城らしく常緑の松が多くなっている。落葉樹のケヤキより常緑樹の松が永続性を願う大名跡の庭には相応しいのであろう。忍城資料館には無人の素晴らしいロビーがあった、一日の散歩で疲れた身を休ませるには恰好の庭景色であった。
2014.11.29
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公園広場のアクティビティー芝生広場は小さな子供連れの若い家族が思い思いの遊びをしている。広場の一本の銀杏の木が綺麗な色をしており, 枝の下端が水平に刈り込まれ人が根元まで潜れるようになっている、面白い刈り方である。森の裏の茂みの中で何人かの大人と多くの子供が遊んでいる。大人たちは子供を遊ばせるNPO団体らしく、区の許可を得て伝統的遊びを一緒にやり子供達を電子ゲーム機から解放している。昔とったきねずかと思い私も挑戦させてもらったがやはり盤の上に載せることはできなかった。隣ではシートの上で木工工作が行われていたが子供たちの力では梯子作りが精いっぱいのようだ。ところどころに短いロープを吊るしてもらって太い木に登る子供もいる。他にも樹木に帯を巻いて枝を保護しブランコやハンモックを作って遊んでいる。お姉さんが火を起こしてお芋やカボチャなどをアルミフォイルに包みトングを用いて焼いている。よくみると赤く焼いた太い鉄釘を大きなペンチのようなもので持った子が金床の上に載せて金槌でトンチンカンを始めた。何度か繰り返すと釘は平らになりナイフの様になる。横には見本が置いてあり、子供達の努力が続けられていた。長い時間を要するらしく弁当持参で腹が減っては戦は出来ぬとまず腹ごしらえをする子供もいる。このNPOは区の公認団体で頻繁にこの教室を開いているみたいで、この限られた区域では火を使ったり公園内の禁止行動が許されているとのことである。広い公園だからこそ可能であるが面白い活動である。広場と森林地帯を抜けてバードサンクチュアリーの裏側の池の端に出ると若いお姉さんが何やら準備をして綺麗なメロディーを奏し始めた。よく見ると小さなオカリナが掌の中に有る。縫いぐるみの黒猫が彼女の守護神として何時も同行しているみたいである。凝った衣装の母娘が近づきお嬢さんがこのネコちゃんに挨拶をし、次に演奏に耳を傾け聞き入った。そしてついに両の掌を丸めて自分も無心にオカリナの演奏をしている気分に浸っている。横の池ではシラサギが一匹不動の姿勢でオカリナに聞き入っていた。実は春の連休にここへ散歩に来た時もこのお姉さんの演奏を聴いた。このアーティストは「舞歌」さんで、東京都の審査を受け都の施設での公演を許可されている「ヘブンアーティスト」の一員で他にも幅広く演奏活動をしているなかなか魅力的な音大出のお嬢さんである。枯れ葉の舞う公園の片隅で思わず妙なるオカリナの演奏に出会って楽しいひとときを過ごすことが出来た。
2014.11.28
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光が丘公園の秋秋の三連休だが遠くへ出掛けるのも億劫なので近くの団地公園へ出かけた。ここには広い園地を結ぶイチョウ並木がありそろそろ綺麗に黄変する時期だ。この並木は旧都庁周りが東京フォーラムになるためにここに移植されたものだ。巨大団地なのいで廃棄物処理も敷地内で賄われ排熱利用で各戸に給湯されるその白い煙突・青空とイチョウの黄色が見事に調和している。イチョウ並木は下の絵の大通りを挟んで高層棟エリアと中層棟エリアに分かれ、中層エリアを貫く並木の黄葉はもう盛りを過ぎて落葉が目立つ。一方高層エリアの並木はまだ緑葉を少し残し盛りの少し前である。結局日照時間が紅葉を促す大きな要因であることが分かる。広い通りなので昼間はほとんどその差が見られないが朝夕の日照は周りの建物によってかなりの差が出るのだろう。山の紅葉でも日当たりの悪い谷間の滝の上などが早く紅葉することが知られているがこれほどはっきり認識したのは初めてである。
2014.11.26
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練馬美術館・Shakespeare展今月は色んな美術館に足を運んだ。ただそのほとんどは込み合わない老人は無料でアクセスも容易な区内の美術館である。その一つは「見つめて シェイクスピア 美しき装丁本と絵で見る愛の世界」という長い表題の展覧会で練馬区立美術館の催しである。ここはあまりポピュラーで無いジャンルの美術・工芸展が開かれるので時々見物することにしている。セロテープで作った大きな塑(?)像、銀と漆の組会わせ工芸、甲冑模型、アニメ下絵など多くのユニークな展示を楽しませてくれた。今回はShakespeare戯曲本の表紙・ページをいかに美しくユニークに装丁するかの競演である。実際このコンクールは定期的に開かれているようで、日本人も何人か参戦している。今年はShakespeare生誕450年に当たるそうで80点にのぼる皮革装丁本の展示である。勿論写真で記録する訳には行かないが、権威ある英国のDesigner Book Binder's Association が2013年に催したコンペティションの入賞作品の展示で実にみごたえがある。もう一つの展示はShakespeare作品を主題とする絵画の展示。多くの人が知っている作品の名場面を著名な作者が描いたポスターや挿絵でこれも実に見ごたえがあった。 夏の夜の夢 オフィリアの死(ハムレット)最近はもうカタログを買う元気もないのでポスターの写真しか記録できないのが残念であるが素晴らしい企画に感謝する。(余話)昔イギリスに滞在した時大学教授だった人の老未亡人の家に間借りした。間借り人とはいえ留守居役も兼ねており、居間なども自由にさせてくれた。マントルピースの周りには革背表紙の本が多かったがほとんどは痛んでいた。そこでそのお婆さんは装丁教室(book binding class)に通い始めた、彼女の願いは夫の遺した本を革背表紙に装丁し直すことであった。彼女が亡夫への深い思いを込めて私に語った時の顔を思い出して懐かしく北イングランドの路地の情景を思い出した。
2014.11.25
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日本大学芸術学部練馬区江古田にある日本大学芸術学部写真科が創立75周年を記念して「卒業生によるオリジナルプリント展」が開けれているので覗いてみることにした。この学科を卒業した写真家のオリジナルプリントを蒐集しており、その中から戦後の写真史に残る作品を中心にした資料の展覧会である。オリジナルプリントと言うことで殆どがモノクロ作品でサイズも現在のような大版印画紙も無かったので現在写真店とは少し趣が異なる作品群である。展覧会のポスターにも用いられている篠山紀信の「THE BIRTH 誕生」は砂漠にたたずむ裸婦の写真で展覧会の目玉作品である。撮影はアメリカの「Death Valley」で行われたようだ。あの灼熱の砂漠では人工照明など助けにならず、太陽の移り変わりを読んでの作品だろう。DeathとBirthの組み合わせにも何か承知宇的なものが感じられル作品である。他にも白川義員のヒマラヤの山岳写真など私でも名前を知っている25名の卒業生の作品が展示されており右妙なる無料展覧会である。勿論写真作品を写真に撮るなど出来ないが、それで無くとも印画紙に焼き付けられた作品の保存には気を使っており、温度・湿度管理だけでなく照明にも気を配っており、光源や照度に気を配っている。十数名の学生と先生が入ってきて私たちに断って授業の一環としての照明の効果を実験的に試していた。モノクロ写真は水墨画にも似て光と影の芸術であるから照明によってその印象が劇的に変化することを学生さんと一緒に楽しんだ。もう一つの会場では芸術学部の教員でもある鷲尾俊一の彫刻展が開かれていた。こちらは荒々しい塑像の数々である。フロアの真ん中には案内ポうターにもされている荒々しい裸婦像。最後になったがキャンパスの入口には総ガラス張りの常設アートギャラリーがあり、大型の塑像が展示されている。中でも目を引くのが大きな「サモトラケのニケ」の実物大石膏複製。本物は勿論サモトラケ島で出土したもので紀元前190年頃の大理石像。ルーブルで見る本物は圧倒的なサイズと首の欠けた勝利の女神像の巨大な翼が印象的だったことを思いだす。日本には30体近い複製品が美術系の大学や女子高等に飾られていると言うので大変好まれているようだ、さしずめミロのビナスと両女横綱であろう。ただミロのあの流れるような曲線美に対してこちらは胴太で男性像のような勇ましさである。他の塑像や頭像もここのは皆力強いものが多かった。芸術学部と言うだけあってキャンパスのあちこちに作品が置かれている。レンガ敷きそのものもアートで植木と組み合わせて超モダン庭園だ。私は部外者なので建物の上部には登れないが頂いたパンフレットに私が上の写真を撮った階段を含めた光景が下の写真である。階段がとても本物とは思えず紙細工のようである。今まですぐ脇を通る西武線で何十年も通っていたがキャンパスに足を踏み入れるのは今回が始めてであった。近所の散歩も意外と発掘すれば楽しいものである。
2014.11.24
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国立博物館土曜日の上野公園は賑わっていた.2,3年前に比べて外国人観光客の姿が目立つ。国立博物館にも多く入場しているがほとんどは観光案内書に記載されている本館常設展の方に向かっており、我々日本人の多くは平成館の「国宝展」にむかう。まあこの辺は建物もユニークなので外人には魅力的かもしれないがアプローチの公園が諸外国の美術館のような緑あふれる園地と言う訳には行かずコンクリートジャングルなのが残念である。日本の城郭風の博物館本館の屋根と中世ヨーロッパののような表敬館の緑青ドーム屋根が隣合ッていて面白い。平成館と本館の間からスカイツリーが望めれる。私は詳しくないが本館の車寄せは独立した寄棟作りである。一方特別展が開催されている平成館は確か今上天皇の即位を記念したものだったと思うが、いたってシンプルで工事現場のテント囲いのようで寂しい。オリンピック施設ばかりに金をかけないでリフォームしては如何だろうか。西洋かぶれと言われるかもしれないが私は表敬館の石作りと壁面の凹凸が好きである。こんなことを思いながら帰りは公園広場を通らず博物館の丁度裏側に有る鶯谷駅に向かった。元々上野公園は徳川家の菩提寺である輪王寺の寺領だったため、輪王寺の周りには多くの塔頭(タッチュウ、主寺の引退僧の為の寺社が多い)があり、それぞれは小さいながらユニークな建物が多い。勤め上げた僧たちは自分の小さな住居兼祈りの場に自己主張をしたのであろう。 博物館正面の人だかりに比べて鶯谷駅に向かう裏通りに人影はチラホラである。
2014.11.22
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日本の国宝展ここのところ立て続けに3つ美術館を訪れた。最初は上野の国立博物館の「日本の国宝展」。私たちに馴染の深い国宝美術品となるとどうしても平安以降、室町・江戸のものが多く、奈良時代となるとどうしても仏像中心となる。70年近く昔の中学校の「歴史」の授業で奈良時代すでにシルクロードを介してギリシャ・ローマ風の影響があり、仏像の顔にも「アルカイックスマイル」の風潮が現れていると聞いた覚えがある。しかし奈良や京都の寺で見る仏像はおしなべて丸顔ぺチャ鼻のものが多く、男仏もみな母親に見えてしまう仏像音痴である。正直言って私はこの種の仏像の観賞眼を持ち合わせていない、そこで私の今回の展覧会の関心事はもっと古い縄文土偶達である。奈良時代の仏教経典はみな当時の重要文化財である。当然それらを納めるための厨子は当時最高の工芸品であった。下の「玉虫厨子」は人の背丈以上もあるかと思われるもので屋根は寺社風である。コーナーはすべて金属の透し彫りでその透かしの裏に玉虫の羽が敷かれていたことからこの名がある。そうは言っても絵にも装飾にももはや玉虫は感じられず古びた道具箱のようである。下の二体は興福寺の多門天像と法隆寺の広目天像。如来仏のガードマンとしての「天」達は元々ヒンズーの神々が仏教にとりいれられたものと言うがよく寺の山門に立って頑張っている姿は好きである。第一会場の最後に目的の土偶ビーナスがいると言うので先を急いだ。本ブログの上から2番目の写真を前から気に留めていたので国宝に指定されている5体の土偶達に会えるものとばかり思っていた。いそいそと展示場に移動するとそこにいたのは2体だけであった。何だか騙された気になったが、よく見ると同時に別会場の東洋館で開かれて映像ショウのポスターであった。5体とも国宝展のパンフレットに詳しく記されているので係の人に不満たらしく尋ねると展示品説明書の項に虫めがね文字で短い展示期間が記されていた。上左は「合掌土偶」で八戸の遺跡から出土したもの、今回会えた2体の一人。右は「縄文の女神」で山形県西の前遺跡の出土品、高さ45センチで5体中最大。今回お会いすることなできなかったプロポーション抜群の女神。上左は「中空土偶」中が中空のこの土偶は縄文人の技術水準を示すものとして貴重であり、また北海道で唯一の国宝だそうだ。上右は「仮面の女神」で茅野市中ッ原遺跡出土品。今年国宝に指定されたばかりの新人土偶だとか。5体の中で一番下半身が安定した女神である。最後の五体目は「縄文のビーナス」、茅野市棚畑遺跡出土品。日本最古の国宝で、ふくよかなお腹やお尻の線は豊穣を象徴し、縄文人の崇拝の基だったのだろう。結局今回会えたのは合掌土偶と縄文のビーナスの2神だけであったが、十分に気持ちは満たされた。6月に茅野を訪れた時ビーナスに会うために訪れようと資料など集めていたのであちらから来てくれただけでも良しとしなければならないだろう。ついでに記すとあの卑弥呼と関連付けられる福岡志賀島の「金印」もパンフレットには例の虫メガネ文字で11月18日からと但し書きがあって見ることが出来なかった。しかしこちらは先年福岡博物館で見たことがあるのでそんなに残念な気はしなかった。
2014.11.21
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日光霧降の秋滝への誘導道から広い道に出てバス停・滝入口までの下り坂は見事な紅葉の道である。来る時は登りがきつく目をやる余裕がなかったが下りは足取りも軽やかで一歩進むたびに新しい景色が目に飛び込んでくる。広い道路に覆うように木々の葉っぱ一枚一枚が微妙な色合いの変化を見せている。紅葉の錦模様とは尾根や谷全体の情景を表現する言葉と理解していたがこうして見ると一枝にも一枚の葉にも錦模様が見て取れる。日本の紅葉を彩る緑・黄・薄紅・深紅が狭い視野に収まる絵画のようである。一寸した道路わきの園地にも異なる色どりのモミジがその艶を競っている。こういう中で見ると地味な薄黄色の葉っぱも高貴に見えてくるから捨てがたい。
2014.11.15
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日光霧降の滝3日目帰京の日、霧降の滝がまだ見頃という情報をゲットしバスで向かった。駅から10分もかかからず滝入口に着く。そこから歩いて10分余り紅葉の谷に白い筋が見えてきた。水量も多くなかなか美しい形をしている。紅葉に囲まれた観曝台は十分に絶景である。テレビの旅番組では旬を過ぎた俳優たちが大げさな演技で誇張するがここはまあ誇張しなくても映像だけで十分、まさしく日本の秋である。振り返ると葉を落とした落葉樹の枝を通してモミジや滝が目を楽しませてくれる。滝をぼかした背景にしてモミジ葉をクローズアップしようとしたがオートフォーカスではままならない映像となる。赤い小鳥の頭のようなモミジの画を撮影した。入り口に一軒だけレストランがあり高台なので多分窓辺からは滝とその周りの紅葉が一望できることだろう。気取ったレストランの込み合うお昼時なのでパスした。帰りのバス停までの短い道路の両脇は今を盛りと色ずいていた。
2014.11.14
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輪王寺・逍遥園の紅葉今回輪王寺を訪れたのは修復中の本堂を参観して三仏を拝顔しようよとしたのではなく宝物殿付属の逍遥園を見たかったからである。逍遥園は輪王寺宝物殿に付随した小規模な回遊式日本庭園であるが例年ここの紅葉は見事である。前回も記したが山野の紅葉とは異なり、あくまでも人工的庭園であるからモミジばかりが目立って山野に多い黄葉の色ずき種は少ない。それだけにモミジの紅はひつこい程の深い紅である。今回宝物殿には入館しなかったがその軒下のベンチにしばし腰かけて庭全体を俯瞰したり目やカメラをズームして細部の美しさを堪能した。年をとると良いスポットだと思ってもさっと駆け寄るのはしんどくなる。そんな時レンズ交換の手間も省け胸のポケットに収まるデジカメTZ30の4.3-86mmのズームレンズは便利である。(余話)上のデータから分かるように俗に言う倍率は20倍だが最近のデジカメ技術は素晴らしく画像の品質を落とさないで60倍まで、さらに画質が落ちるのをいとわなければ120倍と言うことは単純計算で 4.8X120=576mm と言うことになる。まさかあの大きくて重い500ミリ望遠レンズに相当するとも思えないがかなりの望遠度である。 これが胸のポケットに収まるのだから恐ろしいことになっている。実際私は双眼鏡など持たず、遠くの建物や字を判読するためにはこのカメラのズーム機構で済ま せている。(こんな単純計算で良いのだろうか少々疑問ではある)残念なことはコンパクト設計だけにマニュアルフォーカスはほとんど使い物にならず芸術写真には使えないことだ、芸術的センス皆無のrakutenには十分なのだが、最近もっと倍率の高い新機種が出てrakutenの心が動揺しているところである。
2014.11.13
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日光輪王寺いろは坂を往復してまだ午後早い時間だったので輪王寺周辺に紅葉探索に出掛けることにした。世界遺産バスは市内を巡って輪王寺のすぐ近くまで行くと思って乗車したが大猷院(たいゆういん)まで行ってここが終点とアナウンス。ドライバーに聞くと我々が予定していたような巡回バスはこの時期無いと言う。大猷院は徳川家光の廟でもありここにも美しいモミジがあるので入場はしないで外から写真を撮って輪王寺に歩を進めた。輪王寺本堂裏の五重塔や家光の発願で天海和尚が比叡山の宝塔に真似て建立したと言う相輪塔の周りの豪壮な甍や木の色ずきを愛でながら表に回った。そこには想像もつかないような巨大な白亜のビルが立っていると思いきや、なんと本堂は長い年月をかけて修復中でビルと思ったのは巨大な天幕であった。そして正面の天幕にはにはなんと実物大の絵が描かれている。その前の石段は本物でここに並んで団体客が記念撮影したりしている。実際に前に立っても本物と思ってしまう絵の出来である。その巨大な天幕の前の広場の反対側に庭園と宝物殿があり、外からでも大きなそして真っ赤に色ずいたモミジの林が見える。前にも入場したことがあるがこの色ずきを見ては今年も入園しない訳にはいかなかった。余話:そもそも日光は勝道上人が男体山の開山を目指して登山を試み14年目に成就する。その拠点として建立したのが輪王寺であり、二荒山は男体山の別名で梵語で観音菩薩の住むところを表す「補陀洛」(ふたら)に由来し、その二荒(ふたら)を「にこう」と読み、さらに「日光」になったと言うのだからまさに頓智問答である。さらに我々は日光と言うとつい家康の廟所・東照宮を連想するが輪王寺・二荒神社が本来の日光でその近くに東照宮を建てたと言うのが正しい。関東の人間はつい東照宮と言うと日光を連想してしまうが江戸時代多くの大名が幕府のご機嫌取りに東照宮を建てたので数十ケ所はあるはずである。私自身は栃木日光、東京上野、京都東山、駿府静岡の東照宮に参拝したことがある。
2014.11.12
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中禅寺湖・華厳の滝前日日光植物園の紅葉見物は失敗であった。そこで「いろは坂」の下の方ではどうかと中禅寺湖へのバスに乗った。いろは坂の上部はもうとっくに時期を失していることは分かっているが坂の途中で下車することはできないので仕方がない。下部はまだ枯野前の色を保っていたがさすがに中腹以上は落葉の林であった。ところが中禅寺湖畔のレイクホテル周辺にはまだ盛りのモミジが残っている。すぐ傍の華厳の滝はさすがに殆ど木の葉を残していないがそれだけに滝が木の葉にっ邪魔されずに詳細に見える。いつか見た時は渇水期だったのか水量に乏しかったがいまは水量も十分である。後ろの方で「元々一段だったのだよ」と言う声が聞こえた。振り返るとやはり私と同年代の人である。地震で岩が崩れ落ち一段の滝が二段になったのは確か昭和40年前後だったことを思い出す。かって華厳の滝と対言葉のように語られた旧制第一校生・藤村操の名を口にする人も今はほとんどいないだろう。バス停の近くの湖畔まで戻ってみると、湖尻に立つ赤い二荒山神社の鳥居を通して冠雪の山が望めた。白根山にしては低すぎるので少し移動して橋を渡ると昔その頂上で激しい雷雨に見舞われ難儀した日光白根山の真っ白い雄姿が望めた。振り返って目の前の男体山に目をやると、あちこちに表土が風雨に押し流されて出来た岩の小渓谷が出現している。こうして円やかな山形の山も尾根や谷筋を持つ山に変身するのだろう。それにしても10年くらい前まではこういった谷筋のいたるところに手術の後の傷跡のようなムカデのように見える小さな砂防堰が見えた。かなり見苦しかったが今はあまり目につかなくなった、税金を使って自然の行為に抗ったが結局はみな土砂にのみ込まれたのであろう。それにしても中禅寺湖畔には貧弱な街路樹を含めて今を盛りのモミジが目立つ、自然林はすっかり落葉しているのでやはり園芸種を植樹したものだろう。個人的には庭園種のモミジよりは自然種の方が好きであるが、前者もそれなりに見ごたえがあり、鮮やかさや持続性などはやはり園芸種の方が優れているようである。
2014.11.11
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ホテル周辺の景色日光での定宿は鳴沢の一番奥に有るJTCホテル、エントランス脇のモミジはもう終焉に近かった。我々の日光での紅葉標準木でこの状態では日光の紅葉が盛りを過ぎていることを物語っている。ホテルは谷間に突き出た高台にあるので敷地内に谷川が流れていて、小さなつり橋が何本かある。モミジは無いが黄葉は結構色ずいていると言うよりかなり落葉が進んでいた。今年は私が訪れた信州・越後・日光ともに紅葉する前に枯れ葉となって落ちる木が多い気がする。ホテルから西の方を見ると夕暮れの男体山は山肌がぼやけて滑らかに映り隣の女峰山よりもはるかに女性的である。南方の夕空を見ると広く夕焼け雲が見えた。はるか昔の少年時代こんな空を眺めながら友と別れ家路に急いだ光景を思い出す。さらに東天に目を映すと満月に近い月が紅葉しかけたメタセコイアの樹間に顔を出していた。前夜は暗くてはっきりしなかったが翌朝の総ガラス張りレストランや隣の枯れ葉を一杯貯め込んだプールサイドは美しい森の色に囲まれていた。
2014.11.10
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日光植物園日光紅葉旅の初日、駅前のホテルで昼食後、市街のはずれ田母沢に有る御用邸の紅葉か隣の日光植物園にするか迷ったが秋にはまだ訪れたことのない後者を選んだ。ここは東大理学部の所属なので入場料はせいぜい200円くらいと思っていたがなんと400円もする。国立大学が独立法人化されて料金を自己設定できるようになったせいだろう、結果的には実にコストパフォーマンスは悪かった。入り口の前に一本有るモミジは色ずき始めており大いに期待したが結果的に殆どこれ一本だけだった。少し進むともう一本色ずき始めたモミジがあったのであと少し経てば少しはましになるのだろう。下の写真に見られるように園内は木と言わず草と言わず植物名の名札の林立である。ラテン語の学名を知りたい人にとっては好都合だろうが、この時期草は影も形もないものが多い。貧弱な草紅葉に写る自影を写す、念のために釈明すると背中のふくらみはデイパックの影である。小さな池の周りの景観がこの時期の景色を代表している。要するに訴えるものが無く冬の林の寂寥感にも乏しい。ただ池に写る青空白雲、波で屈曲す落葉樹の幹の線が僅かに慰めてくれる。園内の端に有る一寸雰囲気のある落ち葉の階段を降りると、すぐ横を流れる大谷川の急流・憾(かん)満ガ淵が流れている。湯滝・龍頭の滝・中禅寺湖・華厳の滝と色々観光の仕事を終えた水たちの最後の舞台であろうか。植物園にしては気の利いた観瀑台が設営されており、なかなかの景観である。対岸には赤い頭巾と涎かけを付けた地蔵が並んでいる。これは化け地蔵とか並び地蔵とか呼ばれるもので奥に有る住職もいない小さな寺の参道である。何年か前にここを歩いたが奥の寺も含めて重々しい場所に行きついたことを^記憶している。結局植物園の選択は正解ではなかった、隣の御用邸公園を訪ねるべきであった。バスの中から見た感じでもこの時期の日光で紅葉が一番輝いているのはここだったようだ。以前訪れた時その庭は素晴らしい色ずきであったが庭園だけの見学はできないと思ったので選択を誤ってしまった。
2014.11.09
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日光駅周辺時間ほど性別・年齢・貧富に関係なく過ぎてゆくものは無いだろう、そして多少のずれはあるが自然の摂理たる紅葉も時間に支配されている。我が人生の持ち時間はあとどれほど残されているのだろうか。と言うわけで先週に続いて今週もまた2泊3日の紅葉旅に日光へ出かけた。実を言うと体調は芳しくなく無理を押しての旅である。そんな訳で旅そのものはゆったり旅である。まず池袋から湘南新宿ラインの各駅停車で宇都宮まで行き日光線に乗り換えてJR日光駅に着く。かって貧相だったJR日光駅も復元されて見違える洋館になっている。待合室もレトロな感じで大きなドアも手動式で実に重く、天井も寺社の格天井を模した作りで、ランプシェードのデザインも紋章みたいだ。皇族や外国の要人を迎えるための貴賓室も残っている。昔から日光には諸外国の夏の別荘が多く、大使の家族などの利用が多かったのだろうが今は不便な日光線に乗り換えてJRでやって来る人もいないと思う。歴史遺産として世界遺産の一部なのだろう。日本人観光客の大半は東武日光駅を利用する、しかし外国人観光客用のJapan Rail PassはJRしか使えないのだろう、やたらに若い外国人が多い。さびれていたJR駅も再開発されてわびしかった駅前にも日光では珍しい大衆的なStation Hotelが出来た。まだ利用したことが無かったので昼食をとってみたが、雰囲気は都会のビジネスホテルといった感じで、我が国で最も古い国際ホテルの一つ「日光金谷ホテル」とは異質のホテルである。日光の街全体を通してファミリーレストランが一軒だけあったがハムバーガーショップやスターバックスの類は一切見当たらなかった。駅から5-60mの所に旧日光街道の杉並木が残っている。街の中心部を離れた鉄道沿線には杉並木が多く見られるが市街地ではここが一番近く、ここから特別保護区域が始まっている。駅前の交差点の右側は100m位杉並木であるがここは現在も日光街道の一部として使われており、排気ガスに悶えながら徳川将軍も見たであろう杉たちが頑張っている。
2014.11.08
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八海山今回の越後湯沢への紅葉旅の最後の日、天候は思わしくないが以前から一度行きたいと思っていた八海山に行くことにした。湯沢の駅はいつも新幹線の駅からバスターミナルに直行するので駅構内も温泉街のある表口も素通りであった。今回時間があるので構内を見ると市場の様な広い面積に米屋から始まって湯沢の店がみんな集まったような商業施設があった。確かに雪国の湯沢ではこういう風に屋内に集中させたほうが冬季便利だろうが街の商店街はどうなるのだろうか。駅構内にお米を売っている店がいくつもあるのにはびっくりだが、考えてみればここは日本一の米「コシヒカリ」の産地なので土産に買って送る子人が多いようだ。奥まったところに吊るし雛のコーナーがあり、巨大な吊るし雛が飾ってあった。一つ一つが精巧で可愛い無数の雛のクラスターである。さて肝心の八海山であるがに二三年前にNHKの大河ドラマで毎回主人公の直井兼次がこの尾根を駆け越後平野を俯瞰するシーンが放送されていた。それ以来一度訪ねたいと思っていたところだ。紅葉も山麓では今を盛りである。ロープウエイに乗りこむと小雨が降り始め、山頂駅に降り立つと晴れていれば日本海まで望めると言う景色も曖昧模糊としてきたが日本一の米どころはこんなところである。そう言えばあの銘酒「八海山」の醸造元も山麓の街の米どころの中心に有る。最高のコメと雪解け水が越後に多くの銘酒を生むのだろう。毎週テレビで見ていた下の光景が甦ってきた。ロープウエイ頂上駅からすぐの展望台から見ると目前の八海山頂上は前夜の雪で今年の初冠雪である。頂上近くのがれ場の下には白い池のようなものが見える。この時の頂上駅の温度は2℃で風速8m、したがって体感温度は氷点下である。展望台は八海山4合目に位置すると言うから前夜の頂上はかなり冷え込んだことだろう。樹上の白いものも雪と言うよりは霧氷かもしれない?それにしても1778mの八海山にして下の写真に見るような山容はやはり豪雪で繰り返される雪崩によって山体が削られた証拠だろう。標高約1100mの展望台のすぐ裏側に避難小屋がある。冬季もスキー場として多くの人が集まる場所に避難小屋は不似合いであるが以前に建てられたものにしては痛んでおらず不思議な存在である。ナナカマドと白いススキの対比など楽しんでいる間に辺りが急に暗くなった。ほどなくかなり激しいみぞれが降ってきた。図らずも避難小屋の軒下で暫く避難を余儀なくされたのは皮肉である。暫く避難した後早々に下りロープウエイに乗りこむと山麓はまだ紅葉まっ盛りであった。
2014.11.07
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大源太湖の湖面大源太湖の湖尻には希望大橋がありその脇に四十八滝展望台と言うのがある。そこから眺めると両岸から岩が迫った淵が見える。さらに上流を見るとアーチ式ダムが見える。ダム滝の下流を見ると流れは白いカルケ―ド滝になっている。さらに小規模の堰などもあり、小さな滝の連続。結構大きなフタホシテントウ虫がその鮮やかな光沢を輝かせて滝の音に聞き入っていた。有名な赤目四十八滝をはじめとして全国に多くの四十八滝があるが、これは「いろは」四十八音に擬えたもので48の滝の意味ではなく、四十八=多く、 の意味である。英語には日光華厳の滝のようなwater fall と日光龍頭の滝のようなcascadeの区別があるが日本語ではみな滝なので四十八滝はいわゆる白波立つ急流を表す便利な語である。さて上の写真に見る最上段のアーチ式ダムは「大源太川第一号砂防堤」と言う登録文化財なのだそうだ。前ブログに記したようにここは戦国時代からある堰き止め湖であるが近代にはいると自然には任せておけないと税金の良い使い道となっている。上杉景勝がこの光景を見たら何と言うだろうか。湖畔を一周したため帰りは湖尻から対岸を歩いたが曇天にもかかわらず水の色が一段と美しかった。ただ川が堰きとめられただけなのにその色が異常にきれいである、まさに俗に言うエメラルドグリーン。これに似た色を裏磐梯の五色沼で見た気がする。赤いモミジを映したあたりでは特に美しかった。ホテルのすぐ近くと言う利点もあり去り行く秋を堪能するには絶好の場所であった。
2014.11.06
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湯沢・大源太湖湯沢・岩原のホテルから車で10分位の所に大源太湖と言う小さな堰き止め湖がある。紅葉の穴場でホテルの人が送り迎えをしてくれると言うので今にも降りそうな空模様だが出かけて見ることにした。湯沢の街から新幹線や高速道の上信越トンネルの上の地表の万太郎谷と尾根を挟んで左側のもう一つの谷には大源太山から始まる大源太川が流れそこに小さな堰き止め湖がある。近年まで観光案内書にも殆ど記されていないいわば隠れ紅葉名所であったが、ここ1,2年注意すればバスツアー会社のパンフレットにも散見するようになった。実を言うと前回このホテルに泊まった時秋には穴場スポットにご案内しますと言われて今回の旅となった次第。この湖には一周約30分の遊歩道があり、湖頭の小さなつり橋から始まる。少し石階段を登ると静かな湖畔の林間の道が続く、今年は熊がよく出ると言われているのでしっかり持参の熊よけ鈴を鳴らしながら歩を進める。赤いモミジ、黄葉のブナや樺の木が目を楽しませてくれる。時々湖頭や湖尻の駐車場にはバスも入ってくるが客は駐車場の周りを散策するだけなので遊歩道はいたって静かである。穴場と言うだけあって天気のせいもあるかもしれないが景色に対する人の数が圧倒的に少ない。駐車場の隣には古くからあったらしいキャンプ場がある。まだ営業しているのか何張りかのテントが設営されていた。ただそこに人影は無く前日の日曜日バーべキュウでもしたのだろう。林の合間に苔むした空き地なども広がる大人の風情である。殆ど人家も見当たらない湖畔に一軒のレストランが営業していた。タベルナ・ビッチーニと言う名の本格的イタリアン料理店である。ここで昼食にピッツァを食べた。お味はまあまあと言ったところだが写真の煙突の石窯で焼く本格ピッツァとの触れ込みで、素朴な銘入り皿で供された。この大源太湖は昔上杉謙信の養子・景勝など一族がよく舟遊びをしたと言われている。1564年景勝の実父政景が船上酒宴の最中に宇佐美定満に打たれた場所との言い伝えがある。ただこれには2説ありナウマンゾウの化石が発見されたあの野尻湖との説もあり定かではない。景勝の領地は大源太湖に近く定満の領地は野尻湖の辺りでどちらにも可能性がある。
2014.11.05
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ホテルからの景色今回の紅葉旅の宿は湯沢のSierraResortにした。湯沢の市街から離れた岩原スキー場のど真ん中に有り、2本のリフトの中継点に位置するコブのような小丘の突端に有り、前方が崖の為遠景が素晴らしい。夏に一度宿泊しその景色に魅せられてまた訪れることにした。残念ながら今回の滞在中全天の青空は無く上越の山々を綺麗に望むことは無かったが谷川連峰の奥に端を発すし両側を山に囲まれた谷間とそれに続く山間の街並みは見事である。新幹線はこの谷の奥の谷川岳目指して一直線のトンネルで何も見えないが関越自動車道は逆S字を描きながらゆるやかに関越トンネル目指して登ってゆく。夜間その灯りの流れはゆるやかに動いて気分をゆったりさせてくれる。あの川端康成の小説「雪国」の冒頭の景色「トンネルを抜けると雪だった」を思い出すようにこの日も山の向う側上州側は青空、越後側は冬なら今にも雪になりそうな曇天であった。夕方は本格的雨になったが霧雨に霞む谷の風景も何かしっとりとしていた。谷を見下ろす舞台のようなテラスに出てみるとその先はさらに2段の庭になっていて、上段には小さなプールがある芝生広場そしてさらにその下にはこんな石庭が作られている。この石庭と同じ段に露天風呂がありテラスからの景色と同じ光景を望むことが出来る。ロビーには珈琲やお茶がスナックとともに用意されておりセルフサービスでここからも同じ景色が望見出来る。翌日は雲の流れが速く厚い雲に覆われるかと思うと雲間に太陽が顔を出したりして眼下の谷の景色も目まぐるしく変化する。パノラマ撮影をしたがここではうまく投稿できないので3枚の写真で左から右えの景色を記録しておく。 直下の村の景色も何だかヨーロッパアルプスの麓にいるような雰囲気である。少々バタ臭いと言えばそうかもしれない。前夜の雨が山では雪で昨日は白いものが見えなかったのにこの日は谷川岳の左手前の大源太山も白くなっており、今年の初冠雪らしい。この日はこの山を源とする大源太谷(川)の固言うよう見物に出かけることにした。
2014.11.01
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