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東寺 大師堂(御影堂)北面 (国宝)大師堂とも御影堂(みえいどう)とも呼ばれるこの建物は、東寺の伽藍の北西部分にあり、弘法大師が住まわれていたところだそうです。現在、堂内には秘仏の不動明王像とともに、弘法大師像(国宝)が置かれています。建物は康暦元年(1379年)に焼失してしまいましたが、翌年に再建され、さらに明徳元年(1390年)には北側に増築されました。大師堂 南面上の写真が、大師堂の南側です。こちら側が増築前からの建物のようですね。「高野山遥拝所」弘法大師は、承和2年(835年)3月21日、62歳のときに高野山でご入定されました。入定とは即身成仏、つまり生き仏になられたということです。東寺には、高野山遥拝所があります。ここから南方にある高野山奥之院におられる弘法大師を拝むことができます。高野山では紅葉の見ごろは過ぎたかもしれませんね。東寺の紅葉は、派手さはありませんが、きれいでした。
2014年11月25日
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東寺(教王護国寺)京都市南区九条町近鉄京都線 東寺駅より西へ徒歩5分東寺は、真言宗の根本道場であり、東寺真言宗の総本山でもあります。「教王護国寺」(きょうおうごこくじ)とも呼ばれています。本尊は薬師如来です。東寺は、平安京が造られた延暦13年(794年)の2年後、平安京を鎮護するために官立寺院として建立され、弘仁14年(823年)になって、嵯峨天皇より空海(弘法大師)に下賜されました。平安京の中心線、朱雀大路(現在の千本通)にあった羅城門(らじょうもん)(現在の千本九条付近)の東に建てられたので東寺と呼ばれました。(羅城門の西側には「西寺」もあったそうです)平成6年(1994年)、「古都京都の文化財」として世界遺産に登録されました。東寺 南大門 (重要文化財)大阪から北上してきた京阪国道(国道1号)が東に向きを変える「京阪国道口」交差点の近く、国道1号に面したところに、東寺の南大門があります。東寺 五重塔 (国宝)東寺といえば五重塔。京都のシンボルとも言えます。その高さは55メートルで、木造の塔としては日本一の高さです。元慶7年(883年)に完成して以来、4度にわたって焼失し、寛永21年(1644年)に徳川家光によって再建された現在の塔は5代目だそうです。背が高いだけに落雷を受けやすいのでしょうか。塔の内部は非公開なのですが、訪れたときは初層部分が特別公開されていました(10月31日~11月25日)ので、入ってみました。それほど広くはない内部には、五重塔を貫く心柱。その心柱を大日如来とし、周囲には、四体の如来様(阿閦如来、宝生如来、阿弥陀如来、不空成就如来)と八体の菩薩様がいて、四方に向いています。静かで厳かな密教の空間が広がっていました。 東寺 金堂 (国宝)金堂は東寺の本堂で、慶長8年(1603年)に再建されたものです。東寺 講堂 (重要文化財)文明18年(1486年)に焼失し、延徳3年(1491年)に再興されたものです。内部には21体の仏像が安置されており、「立体曼荼羅」とも言われています。(続きます)
2014年11月23日
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高瀬川(七条通西木屋町)かつての高瀬川は、京都の中心部と伏見との間を結ぶ運河として、江戸時代初期の慶長16年(1611年)から大正ごろまでの300年間、重要な物流の役割を担っていました。途中、鴨川を横断していたそうです。ここを通る船は長さ13メートル,幅2メートルほどの平底の小型船で「高瀬舟」と呼ばれました。この狭い水路を舟が行き来していたんですね。ここは森鴎外の小説「高瀬舟」の舞台でもあります。しかし、明治時代には鉄道が開通し、次第に水運としての機能を失い、大正9年(1920年)に廃止されました。昭和10年(1935年)に鴨川で洪水が起こり、その後の改修で鴨川の川底が2メートルほど低くなりました。そのため、高瀬川が鴨川に流入する地点が下流の十条通付近になり、高瀬川の下流側は鴨川からの取水が不可能となり、高瀬川は分断されてしまいました。下流側は「東高瀬川」と呼ばれています。
2014年11月16日
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市比賣神社(いちひめじんじゃ)京都市下京区河原町五条下ル一筋目(市姫通)西入ル京阪本線・清水五条駅より南西へ徒歩5分市比賣神社の御祭神は、市寸嶋比賣命(いちきしまひめのみこと)、多紀理比賣命(たぎりひめのみこと)、多紀都比賣命(たぎつひめのみこと)、神大市比賣命(かみおおいちひめのみこと)、下照比賣命(したてるひめのみこと)。すべて女の神様だそうです。女人守護の神社で、女性の厄除けに御利益があるんだそうです。天正19年(1591年)に現在地へ移転してきたといいます。創建は延暦14年(795年)と書かれていました。建物は近代的ですが、歴史があるんですね。
2014年11月14日
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渉成園(しょうせいえん)京都市下京区下珠数屋町通間之町東入JR京都駅より北東へ徒歩10分(東本願寺 御影堂門より東へ徒歩2分)渉成園は、真宗本廟(東本願寺)の飛地境内地です。寛永18年(1641年)、将軍徳川家光が土地を寄進し、そこに庭園が造られました。当初、外回りにカラタチ(枳殻)を植えていたため、「枳殻邸(きこくてい)」ともいわれます。東本願寺の阿弥陀堂や御影堂と同じく、渉成園も元治元年(1864年)の禁門の変で焼失し、明治時代に再建されたものです。11月の1~3日、秋の特別公開が開かれ、3日間で6,200人が訪れたそうです。園内の園林堂(おんりんどう)が初めて公開され、棟方志功氏が描いた襖絵や、漫画家の井上雄彦氏が描いた屏風『親鸞』が展示されました。門を入った正面の高石垣門を入ってすぐ正面に、石垣が見えます。よーく見ると、なんだか不思議な形の石がモザイクのように並んでいます。上の写真の真ん中あたりに丸い石があります。大小の穴が1つずつ開いていますね。これ、石臼なんだそうです。園内の池「印月池(いんげっち)」回棹廊(かいとうろう)「縮遠亭(しゅくえんてい)」の茶室「侵雪橋(しんせつきょう)」「傍花閣(ぼうかかく)」「回遊式庭園」なんですけど、池の周りを一周できるわけではありませんでした。それでも、都会の真ん中とは思えない広い敷地で、静かなたたずまいでした。
2014年11月04日
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JR京都駅から堀川通に沿って北へ行くと、すぐに左手に白い塀が見えてきます。真宗大谷派の本山、真宗本廟(東本願寺)です。阿弥陀堂門京都駅寄りの阿弥陀堂門から入ります。江戸時代に建てられたときには「唐門」と呼ばれたそうです。現在の阿弥陀堂門は、明治44年に再建されたものです。阿弥陀堂(修復工事中)阿弥陀堂(修復用の屋根の内部)阿弥陀門から境内に入ると、正面には阿弥陀堂があります。明治28年(1895年)に再建された阿弥陀堂ですが、現在は上の写真のように、修復用の屋根と白い覆いですっぽりと囲まれています。平成27年(2015年)に完了する予定です。それまでの間、本尊の阿弥陀如来は、隣の御影堂に置かれています。御影堂(ごえいどう)御影堂には、「御真影」すなわち宗祖・親鸞の坐像が安置されています。阿弥陀堂と同じく、明治28年(1895年)に再建されました。木造建築物としては世界最大の建築面積なんだそうです。こちらはすでに、平成21年(2008年)に修復を終えています。御影堂門(ごえいどうもん)(修復工事中)御影堂の正面に建つのが御影堂門で、明治44年(1991年)に 再建されたものです。こちらも現在修復中で、阿弥陀堂と同じく、平成27年(2015年)に完成の予定です。最初の阿弥陀堂は慶長8年(1603年)に、御影堂は慶長9年(1604年)に建てられたものです。しかし幕末の元治元年(1864年)、長州藩らの勢力が挙兵した「蛤御門の変(禁門の変)」から始まった戦いは京都の市街地に広がり、兵火によって大火災が発生しました。東本願寺も罹災し、これらの建物はいずれも焼失してしまいました。西本願寺の阿弥陀堂や御影堂は国宝に指定されています。東本願寺のほうは登録有形文化財に指定されていますが、もし幕末の兵火で焼失していなければ、国宝級の建造物だったのだろうと思います。京都市下京区烏丸通七条上ルJR京都駅より北へ徒歩7分
2014年11月03日
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