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かれこれ20年昔になります。 和太鼓の団体が地域おこしの一環として、結成されました。 そのとき指導者は第一人者の方を中央から招いて、太鼓も一流のものを購入しました。 Fさんは最年長者で若いもののなかで一生懸命についていきました。そしてまとめのりーダーになりました。 県の和太鼓団体の集まりに行くと、師匠はだれかと新参者扱いで聞かれました。 師匠の名を言うとみんな声をひそめたと言います。 太鼓界の第一人者を知らぬ人はいません。 Fさんはまだ未熟な技術の団体で師匠の名がでて恥ずかしかったそうです。 団員を集めて外部の関心事を知らせ、練習をピッチ上げようと話しました。 師匠はつきっきりで指導してくれる事はなく、スケジュールの合間をぬって飛行機で来て、課題をあたえて帰る状況だったそうです。 Fさんは次にこられるまで年長者として皆をひっぱりました。 ある芸能発表会で太鼓の発表がすんで、「そんな事教えたことはない」とFさんが師匠に怒られていた、と他の部門の方がいっていました。 責任者としてかなりきつかったようです。 人が3年かかることが1年、1年かかることが3ヶ月で習得したと過去を振り返ってFさんは言ってます。今では名実ともに第一人者の団体になりました。 今でも師匠にきてもらうのに予算を捻出しなければ中々来てもらえないといいます。 県の協議会の代表に選出され、みんなのお世話もし、地域の学校や児童、公民館などの太鼓の指導もして回っています。勿論作曲も手がけています。 市長さんが指導者は最高の者に付かねばならないと弟子はとらないというのを無理に頼んでくれたそうで、その意味が今わかりますとFさんは語りました。
2007年02月28日
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後ろ拳骨なる言葉があります。今は楽だがあとで苦しむぞって事です。 「もう雪はないでしょうね」が挨拶になりました。 ぽかぽかと春の陽気が漂いまだくちばしの先に黄色をつけた6羽の鴨が小川をおよいでいます。 驚かせないように川に面しない方の道端を皆通っています。温かい人ばかりです。 去年は3月18日に雪が降ったようですが、どうも今年はもうなさそうです。 寒冷地でもスキー場が休業したり、もうゴルフ場がオープンしたり、暖冬異変はさまざまな影響をあたえています。 水の貯蔵庫である雪山がないと地下水脈に変調をきたします。 今年の夏はよほどの水不足の覚悟がいりましょう。 20年、30年と地下に潜ってでる伏流水の地域は、20年先、30年先に影響がでましょう。 異変なのか、変調の周期に入っているのかも考慮にいれて考えねばならないでしょう。 魚の生態も変わり、みたこともない南の魚が北上してきてるようです。 ノロウイルスで学校給食がストップになったり、インフルエンザで学級閉鎖する中学校が当地にもではじめました。 注意をしてても上手の手をもらすように事は起きるようです。 公共の銅版や柵、ポールなどの窃盗も今までになかった犯罪が起きていますが、これも異変の影響でしょうか。早く不心得ものをつかまえねばなりません。 イラクは沈静どころかくすぶり続けています。 人災だけはもう止めて、天災を最小減に食い止めるように力だしあう時期にきているようです。 早く気づかぬとおおきな拳骨がきそうです。
2007年02月26日
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まちづくり協議会主催の噺の咄の話なる会に参加しました。 民話、落語、講談が町民で次次に語られ、素人ばなれした演技に驚きました。 講談は松戸からふるさと大使としてお師匠さんが指導なさって居られるようでした。 師匠さんの講談たるやさすが話に引き込まれ、天野屋利平衛の段では、「男でござる」の音声には感きわまりました。 会員さんも街に関係ある題材で話され思わぬ歴史の勉強にもなりました。 南総里美八犬伝のモデルといわれ、お墓がある里美忠義公とそれに殉死した八賢士にまつわる逸話、家忠の一字を貰う家柄でありながら権力のはざ間に翻弄された悲しい話しにホロリ。 世は下りて、淀屋清兵衛の盛衰記が当地の稲こぎ千羽にあり、新企業発祥で進取の気鋭がみなぎっていたことのお話、6分1と言われた山名公の気概なども取り上げてありました。 日本語を声をだして読み上げることがすくなくなった現在、郷土のよさを伝えることをしたいとの会長さんのご挨拶がありましたが、立派なことです。 大學の落研から2人きておられましたが中々うまいもので所作も堂々たるものでした。 29名の会員がいるそうです。 1期生だと紹介していましたが、あれだけの演技の練習時間と学業の時間はどう噛み合わせしてるんだろうと老婆心ながら思いました。 でもなにか地鳴りのような町おこしの空気が感じられた一時でした。
2007年02月24日
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雪の八甲田山でスキー客の遭難事故がつい先日ありました。 日露開戦の足音が近づいた明治35年、遭難現場の近くでは陸軍の雪中行軍が199人の犠牲者をだして、先週のニュースが100年以上も前の悲しい事故と重なったと新聞で報じていました。 そして八甲田山に散った陸軍連帯を率いた津川謙光連隊長は山陰倉吉の出身で、八甲田の事件後、日露戦争に従軍し退役してから三朝で余生をすごしてることを記し、牙をむく冬山でなすすべがなかった無念さは一生消えなかったことだろうとむすんでありました。 昨日津川少将のお話を聞いたばかりでしたので新聞記事にいささか驚きました。 重森三玲氏の作庭があるお家が取り壊し中だから庭を参考のために見学しないかとのさそいをうけました。NHKで重森三玲氏の特番があり日本庭園を作庭した有名なかたと知ったので後学のためでかけました。 重機が建物を崩していくその中に威厳を持った庭がありました。 その時、ここはかつて津川将軍がいらっしゃった邸宅だと教えられました。 栄枯盛衰時の流れのなか、奇しくも回顧と現代が同居した昨今でした。
2007年02月22日
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幸福への近道を行く人の反対が不幸をじぶんで作る人です。 心の暗い人 不愉快に暮らす人。 絶えず不満や愚痴の多い人。 やる気がなくよくさぼる人。 無責任な人 法規を守らぬ人。 時間も物も無駄にする人。 陰口が多く人の和を乱す人。 卑下する人自信なくあせる人。 信仰心がなく自我の強い人。 神仏に無理な願いをする人。 心が狭くすぐ腹を立てる人。 暴飲暴食し賭け事をする人。 悪友も道楽も多すぎる人。 公徳心なく迷惑を掛ける人。 利己的で気侭で自分本位の人。 迷いも取り越し苦労も多い人。 欲の深い人 自惚れの強い人。 依頼心の強い人 苦労に負ける人。 義理より権利を主張する人。 貴重な一生を無為に過ごす人。
2007年02月21日
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幸福への近道貴方行ってますか、私の尊敬する先生がどうやと試されました。 早起きする人、熟睡する人。 感謝して親権に努力する人。 仕事を趣味に能率を計る人。 義務も責任も果たす人。 時間を守る人 礼儀正しい人。 頼もしい人 融和を図る人。 人も自分をも尊敬できる人。 常に反省し素直に改める人。 何事も善意に解釈する人。 注意深い人 決断の早い人。 心身の健康を心掛ける人。 質素で金を活かして使う人。 孝心深い人 恩に報いる人。 親切で人の為によく尽くす人。 良心と優しい愛情に満ちた人。 恥を知る人 偽りのない人。 信念に徹した人 辛抱強い人。 どんな苦難にも悠々と耐える人。 生き甲斐を求め精進する人。 夢と希望に笑顔で生きる人。
2007年02月19日
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活断層の顔がみれるというので、友どでかけました。 図書館の断層線が記入された地図をコピーして、宝探しの態です。 鳥取大震災で8kmの鹿野活断層と4,5kmの吉岡活断層ができたそうです。 それは昭和18年(1943)9月10日17時37分のこと。 大東亜戦争真っ只中、鳥取市付近地下15kmを震源とする震度6の直下型、マグニチュード7,4の鳥取大地震がおこりました。数分後に10箇所で起きた火災で建物9割の被害、1,000人余からの死者がでたそうです。報道管制下で発表はされなかったようです。 民家背後の山の斜面にその断層面がみれるとありましたがどこかわかりません。 仕事中のややおじいさんに聞くと家の前の田んぼがわれて親戚の家が壊れたようですがなにしろ小さかったんで覚えてないとあまり関心ありません。あそこの山じゃないですかぐらいです。 64年むかしであれば、記憶もなくなるんでしょう。 行ってみたら山肌にありました。かんなで削ったような面が6mほどですがみえます。 この割れ目は東西性で幅が10cm深さは不明、断層線に沿って北側が南側にたいして最大50cm水平移動したと記録にあります。 断層肌面をさすり、この傷が地下深くつながってるのを感慨深く感じました。 地図を持ち、山はだ見ながら、断層追って車を走らせました。 それと思えばそうかなというほど位しかもう残っていません。 断層線がプロットされてるところの民家に又たずねました。 道が坂になっていたのは知ってるがなにしろ小さかったので、それと区画整理があったんで変わっていますとのことでした。 お寺参りをおえたおばあさんたち5人が帰ってきましたので聞きましたら、田んぼの水が溜まらず、稲が何年か作れなかったそうです。 断層線のことは記憶におないようでした。 やはり64年はわすれた記憶の範疇でしょうか。 忘れた頃に災害が来るのいましめを思い出さねばならぬ時期に来てるようです。 山並みはなにもなかったように悠然と暮色に包まれてわかれを惜しんでくれました。
2007年02月18日
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甲州武田家の軍師であった山本勘助が、戦乱に倦んで笏賀の山中に隠棲し、郷国浅間神社の祭神木花咲耶姫を華蔵権現として祀った。今も山本勘助の屋敷跡がある。 昭和43年町誌に記載された記事です。 山本勘助は、武田信玄の軍師で今NHKの大河ドラマの主人公です。 山陰三朝の地にようこそです。どのような経緯か興味そそる伝説です。 又さらに次のような記事もあります。 天慶の乱に敗れた平将門は漸く逃れて中津の山中に落ち延びてきた。 これを追い討たんものと俵藤太藤原秀郷は、今の俵原の土地に入って、中津に潜んでいる平将門の様子をうかがった。 こうして中津と俵原に入った両雄はともに戦さに倦み果てていたので、申し合わせたように、武器を捨てて両地に土着してしまった。 将門の子孫が中津では、平、政門、平井の姓をなのり、俵原では藤太のことを、俵様、秀郷公と敬称をつけてよんで尊敬している。 秀郷様の墓は、なだらかな山の斜面にあり、付き添ってきた家来の5人衆、里田右衛門、左近平八、松田喜右衛門、藤原藤右衛門、茶坊主藤金丸の墓所も部落内に点在して手厚く祀られている。 通説では平将門は、天慶の乱で俵藤太に弓で殺されたことになっています。 将門は京でさらし首になってもからから笑い、胴体をもとめて、神田まで飛んでいったという秘話まである人です。 一方俵藤太も将門征伐のほかに近江で山を7回り半もある大百足退治の秘話をもつ豪傑です。 藤原秀郷が罪を得て配流されたことがあり、その先が俵原らしいという史家もいると付記してありました。 判官びいきと言う日本人の優しさがあります。 真実はともかく言い伝えに託された心がなにか温かく感じます。 あるいは、史書の陰に別の真実が潜んでるかも。 検証散策の楽しさが又ふえました。
2007年02月17日
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72時間漂流の末延縄漁船転覆の3人が救助されました。 塗料から衝突したフェリーも判明したようでひとまず安堵です。 10倍の大きさの船にあたられてはひとたまりもありません。 全然気付かなかったそうですが、広い海上でもぶっかるんですね。 テレビのカメラマンも災難でした。 海になげだされた3人は生死の境を彷徨い、気付かなかったフェリーは悠々と航海していく。 6ケ国協議は一応の合意をみたようですが、北朝鮮の拉致は解決済みの言は変わらないようです。 米子の松本さんもようやく今になって、拉致と判断されました。 不合理に人攫いにあって、救助されない、助けがこないなんて現代にありえないと歯ぎしりしておられましょう。 自分の国が悪さしていながら、開き直り、自分の要求だけ求めようとする姿勢はゆるせません。 党派をこえて議会も真剣になってほしいものです。 揚げ足、言葉あそびの国会を見ていると切歯扼腕という気がします。 無党派層がのびるのがわかります。 日本の姿勢はき前としてほしいものです。 安倍総理の正念場ですし、麻生外相の行動では、次期の総理の座も吹っ飛ぶ恐れがありあす。 日本国民としても、同胞を助け出すまで変な妥協は許さないことを表明しましょう。
2007年02月14日
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東、東京へ550K。西米子へ40K。南岡山へ80K。北日本海。 十字の道標が建つた山頂にやっとたどりつきました。 狛犬さんが二段に2対鎮座している神社があり、車を止め参拝しました。 神社の裏に「あたごさんへ」の道標がありましたので火の神さんだと思い足をすすめました。 すぐだと思ったら、中々とどきません。 途中に800mと親切な看板がでてきました。ああ800mかと気楽に進みました。 道はだんだん険しくなり、雨で堀りこまれた道が両脇が3mぐらいあります。 大分歩いたのでもうすぐだと思ったら、700mの看板、まだ100mしかきてない、ひっかえすのもしゃくだ、道は尾根にでたみたいだからすぐだろうといきました。 木の間から空がみえるので頂上と思ったらまだ先があります。ひきかえすなら今だ、でもここまできたのにと自問自答です。先が分からないのは判断の指標がありません。地図でもあればよいのですが。 引き返す勇気が登山の原則などおおげさな考えもうかびます。事実日暮れのタイムリミットがあります。後もう少し登ろう。 この及び腰の後の頂上だったんです。 八方天宮、視界良好。東京も米子も岡山も見える気がします。 石の祠が大自然の中にぽつんと一つ。拍手を打ち参拝しました。 天に一番近いところに立ってる気分は又格別。 こんな所に神様が居られると昔から誰も思うんですね。 汗が冷えたら帰る時間が気になりあわてて下山です。 坂道は降りる方がむつかしいものです。 藪にはいり杖をつくり降りました。支えるものが一つで違うものです。 日が長くなったといってもまだまだです。 神社境内にたどり着いた時は、標識の字は読めなくなっていました。機器一発。 神社にもう一回最敬礼して「ありがとうございました」。 アクセルは又格別の気分でした。
2007年02月12日
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「昔は大川に魚がつれたが今全然つれない。魚がいなくなった」 「鮒川にも鮒がいないよ」 「農薬は少なくなったし、松食い虫防除はやめになったからいいはずだが」 「鉱山跡の水が流れてるんじゃないだろうか、銅山のあとがかなりあるから」 昨夜の会合の話です。 「なんだか救急車の出動が最近おおくなったようだが、水道が汚染されたんじゃないだろうな」 「いもりがどこにもいなくなって、ようやく1箇所だけみつかった。どこだと思う?」 彼がいうには、そこは、松林がなく雑木林で梨畑がないところだというのです。 つまり薬害にあってなかった所だというんです。 今は中止になってますが松くい虫の防除と梨の消毒が行われたところにいもりが絶えたようです。 川の掃除をし、田畑の消毒もひかえめになったので、魚が増えたとおもっていました。 山岳部の谷あいに不燃ごみがかなりすてられていて、腐食して赤い水が流れてるところがあることを示唆した方がいました。1箇所ならずかなりの場所に冷蔵庫、単車、ドラムカンまでなげられてるそうです。水源地の近くの谷もあるといいます。 水が怪しいことを理由にゴミすて現場の確認をしてみよう。 役所まかせでなく、われわれも勤労奉仕で水源地掃除をしようと言うことになりました。 捨てた人を究明することでなく、これからすてさせない環境つくりをするように。 町つくり委員会所属のAさんがいて、メモとっていましたから、波及が期待されます。
2007年02月11日
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医療費0円。 「いいですよ、」の意味は診療代はもらわないでいいと言う看護師さんへの先生の指示でした。 カルテをもって看護師さんは診察室をでていきました。 順番が次で診察室の前に待機していたので,診察室のやり取りが聞こえていました。 「熱はどのくらいありますか?」 「0,5度です」 「えつ、体温ですよ、36度とか37度とかですよ」 「それは、35度5分が平熱でして、5分おおいんです。」 「その位で?」 「2週間ほど調子がおもはしくなくこれ以上わるくならないようにと思って」 「休んでおくとか、そのくらいで、すこしは辛抱するものですよ」 かつては県庁の職員さんだった人です。 同級生が今朝なくなったとか、戦時中食物がなく無理した年代だから半数がなくなったとか、自分も風邪がなかなか治らないので来たが1時間も待たされていると待合室で私にしゃべっていました。呼び出し前に診察室にはいったようです。 用心のためにビタミン注射でもうって欲しいとおもってたんではないでしょうか。 意がつうじなかったのか、患者が多かったのでお医者さんが気がたっていたのか、「代金は入りません」という結果になってしまいました。 ご機嫌斜めかなと思いながら入室したらいつもの柔和な先生でした。 いろんな事がありますね。
2007年02月10日
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「喉元すぎれば熱さ忘れる」 病院のベッドで奈落のそこに引き込まれるあの苦しみ、そこに医師がいてもその過程がすむまでは一人たえていなければなりませんでした。一過性虚血状態だったんでしょう。 ベッドの端をつかんでも手を握り締めてもエレベーターで急速に落下する状態でした。 忘れることができるから幸せでしょう。 時々思い出しますが、実感は思い出せません。高血圧3年後の脳梗塞でした。 通院して薬を呑んでるから、一病息災などと安気でした。 救急車で運び込まれ、糖尿病のお墨付きまでいただきました。 糖尿病との付き合い方の勉強をビデオでナース室の横でうけました。 テープ7巻を体調が良い時にみました。そのときも虚血状態がやってきて奈落への旅でした。 「先生糖尿絶対治します。そのときは祝杯一緒にたのみます」 若い先生は、顔をこわばらせて返事しませんでした。嘘でもうんといってくれればいいのに大変な病気になったものだと落胆しました。 退院して玄米食、カロリー表による制限、散歩を毎日1万歩続けました。 歩いていても時々奈落の底がありました。 ミネラル不足が原因と知り、超ミネラル水を探し求めて糖尿病と戦うことにしました。 超ミネラル水を呑むようになり血糖値も平常になり、今近所の医院にいっていますが、糖尿の手帳は不用と言ってもらいました。血圧も薬はいらなくなりました。 入院のことはほとんど忘れています。喉もとも冷えっぱなしです。 発病前と違うのは、加齢したことととタバコ、酒がなくなったことです。 そしてつまみ食いの手が伸びてもブレーキが自然にかかるようになったことです。
2007年02月09日
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神倉の冠巌は、県道横に展望台があり、そこから60度ぐらいの仰角で見上げる岩山です。 垂直にそそりたつ山容に神々しさがただよっています。 蔵王権現さんの狛犬が狼であり、三徳山からこの冠巌まで天駆けりしてきて、巌上より吠えただろうと空想しました。途中妙見さんと知り合いになることも想定しました。 そして、白狼は妙見さんの使いで三朝に行き、大久保左馬之祐に射殺されそうになり、源家再興祈願中殺生禁物と助かり、妙見さんがお礼に温泉場所をおしえてくれた。温泉期限のお話。 この異説を読んで、神倉の方から電話があり、冠巌の尾根伝いに水が沸く所があり、そこに狼の足跡がある巌があると教えてくれました。冠巌に足跡があるとしていたのを訂正してくれました。 そしてこの冠巌に穴を穿ち経文を秘め置かれたという言い伝えがあるが、その穴がどこかわからないそうだとも教えてくださいました。 昔は冠巌から尾根伝いに三徳に坊さん呼びに行っていたそうで、今は茸とりが行く位で荒れており、年寄りが元気なうちに道を教えておこうと計画してる所だそうです。 暖かくなったら案内するからと約束までいただきました。 なんと今日は仮説が実証されたような気持ちです。 それにしても神の故郷の人は純粋で親切です。
2007年02月08日
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表現のまずさで、意が通じないのは不本意なことです。 真実そこまで考えていなくとも解釈のしようではとんでもない方向にいってしまいます。 柳沢厚労大臣の発言も無茶といえば無茶だが、深くそこまでうがった意ではありません。 大臣が一人で法案をつくるなら、不適格な大臣として罷免すべきですが、審議を先にすすめてからでも適非はきめれます。 発言する方もやぼなら言葉じりをあげつらうことに専念する野党も野党です。 法案でもっと論戦はるべきです。 土俵で闘うべき相撲が俵の外でつつきあってると同じです。 本場の相撲も八百長だ、違うと変な空気です。 異常気象は世界的です。 人類の殺し合いは早く止めて、地球環境の整備にかからねばならないときです。 鳥インフルも餌を見直さないともぐらたたきのように思わぬ所にまた飛び火の可能性があります。 人さらいにあって見世物芸人にされると怖がらしたのは昔ばなし、異国から人攫いされる現在の真実、こんな不合理もとりかえしの審議がまってます。 こんなことに議論焦点をあててほしいものです。 われわれは与党、野党じゃなく国会に付託してるんです。
2007年02月07日
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スズナ、スズシロは七草の中の栽培野菜です。 スズナはカブの古名で、根が鈴ににてることからきたようです。 スズシロは大根の古名で、スズは青を意味しシロは白であるそうです。 鈴と青のつかいわけの解釈がしっくりといきませんが、このことはさておき、とても気になったことがあります。 7草ってなに?の博物館での講師の先生のお話でのことです。 この立派なカブと大根から種を採って播いても2代目はできません。 来年は新たに交配で作った栽培用の種を買って播かねばなりません。 つまり食べるための改造種で、自分の種の保存をすることができない大根だというのです。 私たちがたべてるほとんどの野菜が、それから採った種では役にたたないそうです。 科学の発達はすばらしいが、反面子孫継承できないものに真のエネルギイが欠如しないだろうか。 量の確保と質の維持は両輪で考えないといけません。 原因不明の病気がふえるのも一因があるのではないでしょうか。 医食同源といわれます。 生産地がこれからの人類の活殺権を持っているといっても過言ではありません。 本当の作物つくりを考えて頂き、消費者もこれを支援するようにせねばならないでしょう。
2007年02月06日
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唐土(たいど)の鳥が 日本の土地へ 渡らぬさきに 七草なずなをそろえて ほおう ほおう ほおう〔河原町) 日本の土地に 唐土の鳥が 渡らぬさきに 七草そろえて ぺっとおさえて ほーい ほいほい 〔赤碕町) 日本の鳥と 唐土の鳥と すずめの島に 渡らぬさきに 七草をそろえて ぺすとおさえて ほーい ほい 〔赤崎町) 日本の土地に 唐土の鳥が 渡らぬさきに 七草そろえて ぺすとおさえて ほーい ほい ほい〔中山町) 唐土の鳥が 日本の土地に 渡らぬさきに ピストルさいて 七草そろえて はんや ほーい ほい〔大山町) 唐土の鳥が 日本の土地に 渡らぬさきに せりや なずなや 七草そろえて はんじょ ほーい ほい〔大山町) 日本の鳥が 唐土にわたる 唐土の鳥が 日本に渡らぬさきに 七草そろえて やっぽっぽ やっほっほ〔西伯庁) 七草粥ってなんだろうの博物館の催しにでかけました。 正月7日めにその年の無病息災と五穀豊穣を願って7種の若菜、セリ、ナズナ、オギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロを粥に入れて食べる風習です。 七草粥をつくる前日の夜、まな板の上に七草を置き、詩をうたいながら、包丁、すりこ木、火箸、杓子などで七草をたたいて神棚に供え、翌朝神棚からおろして粥にいれる行事が昔からおこなわれていることを知りました。 鳥の名をもつ県だけあって、鳥追い歌(七草囃子、若菜むかえ、七草たたき)の民謡があり、広く残っているようです。〔鳥取県の民謡 鳥取県教育委員会発行より) 冊子をわたされ電撃のショックを感じました。 今大騒ぎの鳥インフルエンザが渡り鳥ではないだろうかと追求に至っていますが、すでに奈良時代からはじまった七草神事にいつの頃からか歌われた鳥追い歌に渡り鳥がペストも持ってくると教えているのです。 先人すばらしものです。 渡り鳥が行き来するのは昔から変りません。 こんなインフルエンザの恐怖が突発するのは、免疫力の低下がもたらしたものではないでしょうか。食、つまり飼料がかたより、7草的な自然食の提供も考えねばならないのかもしれません。 ミネラルの不足は人間ばかりではなさそうです。
2007年02月04日
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三徳路に俵部落があります。 俵籐太ゆかりというお話は聞き及んでいましたが、三徳山三仏寺に俵籐太秀郷のお墓があることを写真集で知りびっくりです。どんな経緯があるのか知りたいものです。 俵藤太は藤原秀郷のことで940年平将門の乱で将門を弓で射て平定しました。 又とてもすてきな伝説の持ち主です。 近江瀬田の唐橋に大蛇が横たわりだれも近ずかなかった。 藤太は怖れなく背を踏みつけて渡ったそうな。 その夜美しい娘がその勇気をみこみ籐太のところへお願いに来ました。 それは昼間の大蛇で琵琶湖の竜神の娘でした。勇気ある人をまっていたんです。 三上山を7巻き半もする大百足に竜神一族が苦しめられているので、百足退治をしてくれないかとの願いでした。藤太は承諾して弓と3本の矢をもってでかけました。 2本の矢は跳ね飛ばされ、最後の矢に唾をつけて「南無八幡大菩薩」と矢をはなてば見事的中して退治できました。褒美に取り出しても尽きない米俵をもらいました。 そこで俵の籐太というとも言われとぃます。 尽きない俵の持ち主が三徳でどんな活動をしたんでしょうか。 人形峠に大きな土ぐもがいて通る人を苦しめていたという伝説があります。 あるいは、唾つけた矢で退治を頼まれたのかもしれません。 話は展開して、百足は鉱山のことで竜神は下流の水の汚染で苦しむ民のことだと記した説がありました。三上山に鉱山があったようです。 そして秀郷の郷里はあの鉱毒問題の足尾銅山の地だそうです。 ここ当地もウラン残土で騒いでいます。 伝説も現代の生活に教訓として息を吹き返しているのでしょうか。 籐太とウランも関係あるかもしれませんね。
2007年02月03日
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このまま花の春に行ってしまうのかと思わせる気候が、2月の声を聞くやそうわさせじと冴え返り大雪になってしまいました。 春の雪は水分が多く庭のヒバは両手を下ろしたごとき態で雪をかぶっています。 長い竿で朝から雪落としでした。 蕾をつけた木々が驚いています。 成長しすぎた野菜も急に雪に降られては、これまた大変です。 ノロウイルスと判明した鳥取の給食騒動、宮崎から岡山にきた鳥インフル、油断できない環境がせまっています。 どうもすんなりと花の春にはいかないようです。 年が明けてから風邪をひいて、ブログもやすみがちになり、復調にてまどっています。 バイオリズムをみたら1月10-12日をピークに体力、知力、感情みな下降にはいっています。そしてようやく上向きで2月になり水平線をぬけています。 我輩も冴え返るチャンスに到達です。 バイオリズムは当るようです。 予防に使うといっても逆に気になるのでみていませんでした。 間断なく屋根の雪ずりの音がバチャバチャとしています。
2007年02月02日
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