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歳月人を待たずとのたとえがありますが、ほんに早いものブログでお世話になって丸2年が明後日にきます。 人なみになんとか文化に浴せんものと、手だし、引込め思案と模索。 画面に文字が出てうれしき限り、就寝時間が遅れ、看病人からの文句を受けて。 わがブログ生活は船出しました。 100の散文が出来たら結構から1年が過ぎ慾がで、面白さ半分、真面目さはんぶん。 ルールが分かり始め、交流仲間ができはじめたら、文章がでなくなりました。 構想は浮かぶのに、いざキイにかかると先に行きません。 皆さんの立派なブログをみるにつけこんなものではと自虐の念に落ち込むのです。 これを振り返ってみたらバイオリズムにほぼ合致します。 バイオリズムで管理したら、暗示になってマイナス面ではよけいまずいものになります。 自分の性格を客観的に判断することもできました。 気取らず、ありのままに3年めをむかえてみます。 iswebのホームページを作らしてもらっています。 白い狼が三徳山と三朝温泉を結びつける証しをしてみようと思います。 これからもどうぞよろしくお願いします。
2007年05月31日
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覆水は盆にかえらぬが、2度とひっくり返さぬ教訓を与えます。 これを守っていたらと「みどり先生」のマガジンみて感じました。 私の次の方が覆水せぬように祈りながらお借りしました。 「脳卒中予防十ヶ条」 1 手始めに 高血圧から 治しましょう 2 糖尿病 放っておいたら 悔い残る 3 不整脈 見つかり次第 すぐ受診 4 予防には タバコを止める 意志を持て 5 アルコール 控えめは薬 過ぎれば毒 6 高すぎる コレステロールも 見逃すな 7 お食事の 塩分・脂肪 控えめに 8 体力に 合った運動 続けよう 9 万病の 引き金になる 太りすぎ 10 脳卒中 起きたらすぐに 病院へ 以上
2007年05月30日
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我田引水とは良く言った言葉と田植え最中の景色を眺めながら思います。 田んぼの上のほうから順々に水が漲って行きます。 豊富な川の水を標高にあわして取水口をとり用水をめぐらした祖先は偉大なものだと感心します。 散歩道のいたるところ音をたてて用水が流れておりここでは、我田引水のいさかいはないでしょう。 自分の田んぼに早く水を取ろうとして、ほかの田んぼは水が回らないことから我田引水はよくないたとえにされています。 最近の緑の森を作る我田引水騒動も、天下り、談合、献金の構図が根深いようです。 長年にわたり、便宜的なことが習慣化して気がついたら愛悪となっていたというんでしょう。 責任と恥で命を落とすしかないことになっています。 拝金結構だけど我田は2の次にしてせめて他田と同じ施策をトップの方は心掛けてもらいたいものです。 多くなった薄い頭を下げて誤る社長、重役、院長たちの格好はみっともよくないものです。
2007年05月29日
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散歩途中に草むらでホタルが1匹いました。 田植え機のわだち跡が残る田んぼにまだなれぬげな稲がおぼろ月かげに見えます。 かわずが時きたりとばかりに合唱をかなでます。 寒い、雨がない、不順だといいながらもホタルはきました。 でも1匹だけでした。 生まれるのが早すぎたのか、みんなが遅いのか、寂しいだろうな。 賽銭を入れる場所が右隅だと盗難べるが鳴り出す賽銭箱の天満宮は、拝殿に外灯をつけてありました。63段の石段の横も鬱蒼とした竹藪を切りすっきりとしていました。これなら化け物がいるかもなんて心配がいりません。 ガランガランと鈴の音は響き渡ります。 柏手も闇に響きます。 救急車で入院した時、お医者さんが今度ひっくり返ったら危ないから5年は用心してと言われたことを家内が先日教えました。 完全復活のつもりで山のぼりするので心配したらしいです。3年たったんで後2年は用心しましょうか。 天神さんにお祈りして帰路につきました。
2007年05月28日
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大相撲ではモンゴルの白鵬が優勝して横綱誕生が確実視されたようです。 二人の横綱がモンゴル勢になるようです。歩かにも外国のお相撲さんが増え国債色豊かになりました。 国技ゆえ日本人横綱が台頭しないなど不足を聞きますが、世界の力自慢腕自慢が押し寄せますので、中々むつかしいものです。まあ土俵が世界に通用しはじめたのを喜ぶべきでしょう。 奇しくも昨日は黄砂まで飛来して来て、おまけに10年ぶりとかの光化学スモッグ警報まで発令されて、運動会をとりやめた地方もあったようです。 黄砂が有害化学物質を誘導したというのが事実なら、もう自然界も境界はなくなっています。 砂漠化もひろがってるやに聞くと隣国の問題といっておれないようです。 温暖化しかり、自国の国益を主張しあう時代はもう過ぎ去ってるようです。 サミットも地球から飛び出して、宇宙船の上で、地球をみながら世界のトップが会談してほしいものです。 誰が上だか下だか分かりません。 原爆持つたって共に滅亡することがよくわかりましょうに。 こんなこと相撲みて感じました。
2007年05月28日
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循環型観光地計画を発表したのは、世界遺産登録に三徳山1300年を名乗り上げてる三朝町の観光協会です。 旅館から出る生ゴミや廃食油をリサイクルして堆肥やバイオ燃料としようという試みです。 総花的に観光を売り出す傾向の多い中、足元に視点をむけた地道な計画は画期的なものとして注目されます。 もともとここ三朝の湯はラジューム泉で低い線量の放射線が病気やストレス、疲労が早くよくなる「放射線のホルミシス効果」が顕著です。 「がん死少ない三朝温泉地域、全国平均の2分1、37年間の統計解析」と新聞報道がなされてから関心が一層高まったようです。 療養にきたお客に、やさしい環境、特に有機肥料による、ミネラル豊富な食物を提供することは、最高のサービスです。近隣の農家も地元、お客の食卓をまず安全な食材で満たし、波紋のように四囲に拡げてほしいものです。 久々の新しい観光計画の快挙に敬意を表し、成功されるよういのります。 そして同じ他の観光地が次々とこのような循環型で有機の食材を提供してくれることを期待します。
2007年05月26日
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潜在意識という強い味方があったのを忘れていました。 先日山にあがった時、きれいな草花、珍しいという植物を同行の博学者から教わりました。 登山の途中、下山しても復唱して記憶しました。 家にかえり、風呂にはいって、妻が聞いたので教えようとしたら全て忘却、ヒントもでない、やあ年かとがっかり。 所が潜在意識は記憶しているらしい。 忘れたという時は潜在意識がとりこんで、意識に手渡さないだけだそうです。 年取ったら潜在意識の棚に仕舞いこみやすいだけで悲観したら良くないらしい。 病気も治るんだと意識が信じ込めば潜在意識が記憶してその通りに治るようです。 もうだめだと見限りつけるとその通りになるものです。 来年の桜はみれぬかもしれないと言ったNさん、抗がん治療中にほんとうに桜の蕾で花をみずなくなりました。 ガンという呪縛が潜在意識を悪い方にもっていったんでしょう。 最近、気を重要し食養で血液の浄化、運動でガンが治るというお話を聞くのも潜在意識がなせる技が大きいようです。 建設的に、楽観的な潜在意識の力をかりて若さにむかいましょうか。 花の名もいつかは思い出せますかも。
2007年05月25日
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大永の五月崩れという山陰伯耆の国に、尼子の軍勢が怒涛のごとくなだれこんできて次々と各地の城を打ち破って凌駕しました。 城を枕に死ぬもの、勝算はじめから立たず、主従城から逃亡し唯落ちの城と末代まで評される武将まで出現しました。 大永4年(1524)5月緑滴る今の季節です。 昨日ふっと思いつき、羽衣石城跡に行ってみました。 羽衣石川の上流に急峻な自然要塞をそなえた山城です。 羽衣石城もその例にもれず5月崩れの餌食となりました。 貞治5年(1366)南条貞宗が足利尊氏に仕え所領をここに得て築城し1世紀と半ば室町時代を通じ栄華をきわめてきました。 尼子に領土を奪われ、時の8代南条宗勝は因幡山名に逃れました。 尼子が毛利に滅ばされ毛利の配下として帰城かない、秀吉の鳥取進出に誼を通じたため又毛利軍、吉川元春に攻められることになります。 小鴨城主小鴨元清は9代南条元続の弟ですが、吉川元春の標的にされ天正10年(1682)5月25日に落城し山道を伝い羽衣石城に逃れてきました。 本能寺の変で織田信長が亡くなると、秀吉は毛利と和解し、南条羽衣石城も吉川と和解、安泰かに思えましたが、慶長5年(1600)関が原の戦で石田光成の西軍について敗れたため廃城の憂き目にあってしまいました。 天下の情勢に翻弄されて数奇な運命を繰り広げ興亡の歴史がこもった南条家の古城跡です。 急峻ではありますが、今は整備した道が丁寧につけられていて20数分で天守閣のある頂上にのぼれます。 平成になって作られた立派なお城がありましたが、鍵がかけられていて入れませんでした。 みはらしが良く、正面、両側面からは何者も攻め登ることは不可能の安山岩塊が柱状をなした地形です。 後方の尾根伝いが弱所らしくここから進攻を許して敗北を喫しています。 尼子も5月に進攻してき、毛利吉川も時代は異なるが同じ5月の時期にせめて来ています。 時あたかも田植えの時人民はさぞ迷惑したことでしょう。 小さき谷あいながら異様に平坦に開けた所が多いと思ったら、花崗岩の真砂化した地で、たたら製法でもって砂鉄を取り鉄生産をしていた所でした。 鉄開拓者がこの地を開き、文化が開けたところに武家が入ってきて共存の形で、社会を構築したのでしょう。 頂上の天主閣はシンボルで谷あいすべてが家臣の居住があったのでしょう。 いたるところに苔むした墓があったり、馬術訓練所があり、たたらばがあったりしています。 裏山に通ずる虎口門跡の墨書が雨にかすれており、矢傷を負い助けをもとめて入ってきた小鴨城主小鴨元清の姿が悲しく浮かびました。 棚田の田んぼは水をたたえ子孫とおぼしき農家の方が田植えの最中でした。
2007年05月24日
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糖尿病のご主人を亡くして5年、めっきり年老いた知人のyさん、おしどり夫婦とみんなに評されていました。 ところが長い人生谷あり山ありいろいろあったようです。 期待をあの世の設計にかけたお話をしてくれました。 12歳の時に大阪から養女にきて、なんで私だけがと悲しみ何度も実家へ帰ろうとしました。 5人姉妹の真ん中だったそうです。 ようやくこの家の子になった時、ご主人が養子としてきました。 ご主人は5人兄弟の末っ子でした。 お店を商っていましたので、Yさん仕事のイロハから、気に入られる息子といわれるまで面倒をみたそうです。 ご主人はなんで女に指図されねばならんのだと怒って実家に帰ること2度3どの始末。その度に仲人さんが迎えにいったそうです。 何考えてるのか、話しかけてもしゃべらず困ると仲人さんは、愚痴をいいながらも連れて来たそうです。末っ子は自分の母さんの所がよかったみたいです。 実家の母さんがなくなってからは養子修行にはげんだようです。 仕事に早く慣れて、いい旦那さんになって欲しいつもりが、楽しかるべき新婚生活も苦痛をあたえました。自分がちょっと早くこの家にきてるからだけで。 今度は私の方が後だからあの世のことはあの人まかせで仲良く行こうと思っています。 Yさんは目をほそめてご主人の写真をみつめました。 にっこりとしたご主人の写真はOKといってるようでした。
2007年05月22日
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大将は馬にのり、家来は徒歩で行軍をします。 大将は楽チンのようですが、イザと言うときに適確な判断をして家来の安全を指示して行動をさせます。 指示が間違えば、攻撃にあい全滅します。 だから大将は肉体的に疲労せず、頭脳は冷静に判断できるようにしておくのです。 今の戦はこんなのんきなことでなくなりましたけど。 でもトップの大将が冷静、的確な判断で命令をしなければならないことは変りません。 そうでないと家来は不安で仕事に完うできません。 名古屋での立てこもり事件。 怪我した部下を5時間も目の前にして手もだせなかったのは批判されても仕方ありません。 いろんな事情がありましょうが、5時間は生きるものも死にます。 無法者に手も出せないことを証明しました。 その上有為な人材の犠牲者をだしてしまいました。 明らかに大将の判断ミスです。 横たわってる怪我人を救うことを第1に考え、それの障害を排除する作戦をすべきでした。 人権は大切です。 人3化7のならず者の他の人権を侵害するものには人権はありません。 強行しても批判はありません。 正常のものが異常者の心理をコメントしようと4苦8苦してる時代です。 親の頭を手提げにいれてカラオケに行く心理。 友の小指を切って、カレー鍋にいれた少年少女4人組。 コメントできますか。 鯨が脳に寄生虫が作用して方向感覚がなくなり陸に打ち寄せるとききましたが、こんな現象が人間世界にも来たんじゃないかとさえおもいます。
2007年05月21日
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朝から総事といって部落総出で街の掃除でした。 花壇、土手の草、排水溝の掃除みんなでしました。 午後はボランティアの川掃除で、缶広い、ごみ、草とりでした。 町内をながれてる2級河川ですが、行政では危険があるないしか関心ないらしく、汚れまで手出し余裕はありません。 それでも30人の人が集まってきました。 いつも集まる面々に加え、はじめての顔もみうけます。 散歩していて川のゴミが気になっていました。 掃除の日に参加しようと思っていました。 やはり善意はみなもっています。 そして川に缶、ゴミも依然としてなくなりません。 掃除してる人はきれいになる喜びを味わっています。 何故すてるのかとだれもいいません。 そこにゴミがあるから拾うのだといいます。 テレビみて寝転んでるより、汗かいてよかったといいます。 でも老人の作業にはちょっときついかもしれぬなあとももらします。 あなたは若いから大丈夫ですよと老がおだてられてもいます。 みちがえるほどのきれいな川になりました。 あしたは田んぼの田植えが又忙しくなりましょう。
2007年05月20日
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噺の咄の話なる会が、古民家の豊田家であるとさそわれていったのは2月でした。 日本伝統の講談、落語、民話を通して地元に縁のある話を中心に表現し、人と人との交流を図り地元の再発見をしようと言うもくろみでした。 談語の会なる愛好者が集まり、講談、民話を集め練習をしていた模様です。 好きこそものの上手なりの例え、玄人はだしの話し振り、題材が地元のこともあり観客を魅了しました。 落研の大学生も卒業したら、本業にするかと思う位うまいものでした。 これは、まちづくりの会の活動の一環でした。 その総会があるから来いと誘われ昨日行ってみました。 総会の前に講演会があり地元短大の先生が学生と地元の小学生との”わがまち発見!こんな視点がおもしろい”なる活動をスライドまじえて聞かしてもらいました。 観点をかえると新しい発見があるものです。 そして若者の真摯な生き方が伝わりました。 格差だ、過疎だと泣き言はききますが、その中にこんな新しい芽吹きがあることをひしひしと感ずる一瞬でした。河原の枯れた芦の原が足元から緑のわかめに変わる様相のようです。 夜はNHKで三宅さん司会で「止められますか地方の衰退」を論じていました。 コンパクトシティなど新論がありましたが農村ではどうも。 噺の咄の話には深いつながりがあることを知りました。
2007年05月20日
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内戦膠着の中東の銃撃戦だろうか、恩賞を預かる為の証拠がための生首かと時代場所が混線したようなニュースの続発に唖然とします。 目の前に怪我でよこたわってる警官を5時間も手出しできぬ上、救出に若い警官が命を落とす悲しい事がおきています。 ありがとうの敬礼がすみませんの最敬礼に代わった行政、企業トップの失態が多すぎます。 なぜなのでしょう。 サルは不幸にして死んだ乳呑子をミイラになっても抱いて離さないといいます。 愛人とのからみに邪魔とわが子を捨てる殺すの女もいます。 母親の首を手提げに入れて歩くなどこれはコメントできません。 サルに劣るといったらサルから文句がでましょう。 自己愛の変態極限状況としかいいようがありません。 戦争も自国の利益優先で相手国の利益など考えないというより破壊します。 命をとり、相手に致命傷を与えたら勲章がもらえます。 情報の急速伝播により善悪が混同して受け止める者が発生します。 わが国のため、わが県のため、わが家のため、わがための愛もショートするととんでもない愛悪になってしまうようです。 ここいらで世界のトップも気づいてほしいものです。
2007年05月18日
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図書館にいったら明治31年の5万分の1地形図がありました。 河川の流れをみたら区画整理前の姿がうかんできました。 用水路に姿をかえていますが昔の河川で、道路をあるいてみても高低が地形の名残をわずかながら残しています。 当地方は大山の火山砕屑泥流がフラットな平野を作ったのが始まりです。 雨水が集まって河川をなす時、定まったコースがなく、水道のホースを地面に放したように、蛇行を繰り返しあちこちに氾濫を繰り返した模様です。 堤防をへだてて内側の田んぼ面と川面が同じような所が散歩していて大分あります。 大きな河川が3本流れていて、1本に合流していますが歴史上にも1000軒流出したとか、部落が川底になったなどの記録があります。 水を治める者が天下を取るとは中国の習い、ここも同じく治者が荒れ狂う川にてこずったものでしょう。治者の名がついた堤防が多くあるようです。 2重に堤防を作って増量の水を緩和させる細工の跡もあります。 治水に信玄流と清正流があるそうですが、ここは清正流だそうです。 水路を使った交通にはうってつけの高低があまりない平野、水量は山陰の弁当忘れても傘忘れるなという位の雨が多く最適でしたでしょう。 国分寺、国庁ができたのも水路の成果でしょう。 近年倉庫の跡と思われる掘立柱がみつかり、米をつみだしたというのが国府川の大川と考えられていますが、現在の区画整理での地形から考えるといたしかたありません。 明治31年の地図には内陸に河川が記されていて、用水をひいた水が満々とたたえられ高瀬船がかよっていたとおもわれます。 この河川は今はちいさな用水に変じていますが両岸に遺跡が多くあることはかなり昔から利用されていたのでしょう。
2007年05月17日
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メタボリック症候群が現代人を襲い、ウェスト男性85、女性90cmを超えると危険サインで、心筋梗塞、脳卒中になりやすくなります。 そこでなんでだと涙ぐましいダイエットに励みます。 これが中々効果があがりません。 ダイエットは古代人にはなかった悩みです。 先進工業国の文化人が必要以上のカロリーを摂取するようになったのは、わずか50年位前からです。 約500万年の歴史を通じわれわれ人類はカロリーを有効に使い、余った分を脂肪として蓄える倹約遺伝子を祖先から受け継いできたんです。 人類史のわずか10万分の1の期間を飽食したので、倹約遺伝子が順応できずに肥満社会の危機を招く現象をかもしだしました。 長寿国の日本は、より効率的な倹約遺伝子を持ってる人が多く、これがあだとなり糖尿病になりやすい状態をかもしだしています。 倹約遺伝子を早急に変えることはできませんから、天則にあった食事をすることによりダイエット効果OK,メタボリックもなくなります。
2007年05月16日
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「わかっちゃいるけどやめられない」は植木等さんの一世を風靡した明セリフです。 「わかちゃいるけどふみだせない」は当時の私のブログ踏み出し時の気持ちでした。 「とにかくやってみなさい」と聞かされて久しく、皆さんの喜び、笑い、怒りにふれるだけでした。 思い切ってマニアルをたどり、とにかく飛び込みました。 幼稚園は幼稚園のページだよとわりきったら楽でした。 最初から先輩たちの様なページは望む方が無理。無理。 でも幼稚園は幼稚園のいろんな面白さがあるんですね。 自分に忠実に1年生をめざして頑張ります。 明日のましなページつくりをめざして、本当のラッキイセブンティにするために。 これがわがブログのスタート時の記録です。 殊勝な気持ちであったことを確認して再スタートをかけようと発起しました。 と申すのは、 最近ブログの文章がなんだか出てこなくなり、書く姿勢が定まらなくなってることを確認したからです。 原点に返ることは、己を見直す上にも必要なことでしょう。 初夏の密かな再スタートです。
2007年05月15日
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昭和18年9月10日地下15km震源震度6直下型マグネチュード7,4の鳥取地震、町並み一瞬にして崩壊、数分後にしない10ヶ所から火災発生たてものに9割の被害、死者1210人。 このとき地震断層として活躍したのが吉岡断層です。 戦時中報道管制下で発表にならなかったようです。 5万分の1地図に記るされた吉岡活断層線をたどって又現地に行きました。 畑に出かけていくおばあさんに聞いたら区画整理で分からなくなったが、田んぼと壊れた家並みの方向を覚えていて話してくれました。おじいさんが家にいるからと連れて行ってくれました。 おじいさんは北支に兵隊さんで行ってたので、当時のことはわからないが、向うの山からおじいさんの家から10m横の線に段差が付いていたことを説明してくれました。 当時女学校生で体験者のおじいさんの妹が吉岡温泉にいるとのこと、案内してあげると車にのってくれました。 5分ほど行ったら当時の女学生がいました。今は78歳。 その日は朝から何か陰気な天気で雨がふってたそうです。 水瓶のふたが踊り、足元は動く何があったのかわからなかったといいます。家にははいれず、余震が続き今でも思い出すと怖いといいます。 断層線にそって家が倒れ、お寺の山門、お堂とその現場に案内してくれました。 周囲も新しい家が立ち並び、お寺もきれいに建ち、此処が地震の跡かと思うだけでわかりません。 若い当時の兵隊さんも足が悪いと腰掛てばかりの84歳、兄妹が見ず知らずの訪問客に親切にしてくださって本当に恐縮でした。 おじいさんのお家まで車で送ったら、ちょうど国民学校3年生だったという隣の73歳のお父さんがかえってきました。 遊んでいたら石塔はひっくり返る、なにが起こったのかわからなかった。 清水が山から出ていたのが止り出なくなって、平野の真ん中のほうでは熱いお湯がでたそうです。 道は段差があったのを覚えてる。鳥取の火事被害はいってないので知らないそうでした。 吉岡は鳥取市街地地から離れており、2次災害はまぬがれたようですが4,5kmの地裂に見舞われたようです。今は痕跡はほとんどみうけられません。 断層線の延長をたどり部落の裏山の向うに車を飛ばしました。 幸いにも山の麓に道があり、それらしき場所を山頂の景観と見比べ確認、谷川の解析状況にあきらかに地すべりのあとと平原のブロック化に断層の痕跡がのこっていました。 64年前の激動痕跡の発見に安堵して帰路につきました。
2007年05月13日
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今日の散歩もとんだ変則コースになってしまいました。 平野の中に旧河川道が記された地図をいただきましたのでいってみました。 工業団地裏と高校のグランド裏の接点で、両方の藪がしげっているので今までわからなかったんです。 のぞきこんでみるとはば4mくらいの川があります。 護岸はコンクリートでかこってありますが高校グランドのフェンス面より1m下に60cm幅の草が生い茂った道らしきものがあります。 先は暗くて見えませんが、1歩2歩が50メートル位にきました。背丈くらいの雑木がおおくなり校庭のほうにはフェンスで行けないし、かえるのはしゃくだし、ええままよと進みました。 枯れ枝がバリバリと音がします。 団地の建物の裏だし、学校の裏だし守衛さんでもきたら弁解できなくなるぞと思うとすこーし反省。行けるを信じてすすみました。なんとながいこと、100mくらいありました。 橋のたもとにきたら鉄条網があります。上手にくぐってほっと一安心。 上流はまた団地の間を通って用水路になっています。 いままで全然きにしなかった大きな川の跡が用水路となってのこっていました。 今度は道路をつたって最初のところから下流をつたってみました。 田んぼの中を直線に延びて現在の河川へ向かっています。 散歩が興味と合わさると義務感がなくなり、どこまでも留まるところがありません。 いいかげんにして今日はかえろうと自分に言い聞かせてかえってきました。 旧河川道を押さえておくともし揚水の必要が出た時に役にたちます。 それと昔の景観を想像するとすごく楽しいものです。
2007年05月11日
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混浴っていいですね。 桜色になったおみ足がきれいですよ。 おじいさんもおばあさんも若いおねえさんもにこにこです。 5月のさわやかな風がほほをうち。 東郷池がきらきら光って見え、 向うに秀吉が陣取った御冠山と毛利吉川の馬の山がのぞめます。 そろそろ上がろうか。 公園にある温泉の足湯、とっても気持ちがよいものでした。
2007年05月10日
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3年前ホテルの湯の検査にOさんについて行った時のことです。 ふわりと軽いめまいがしました。 じっとしていなければならない。 壁にもたれながら安息の場所を探しました。 浴室の前に休憩用の椅子がありましたが、素通りして玄関に急ぎました。 次に今までのと違うゆれが大きいメマイがきました。 通路脇に洗面所兼便所がありました。 右は赤いスリッパです。みると女性用、すかさず左方に入り点灯。 洗面用水道で顔を洗う。まだふらつく。 落ち着くために小用を試みる。出る。ふらつきはとまらない。 又洗面にいき両手に水を掬い3ばい呑む。なんの効果もない。 濡れた右手の手の平に軽いしびれがきた。これはただ事ではない。 早く玄関に行こうと壁をつたう。右足がうまく動かない。軽いしびれが来た。 玄関まで行ける自信がなくなった。そこにしゃがみこむ。 ホールにOさんの声がします。「Oさーん」と呼びました。 ロレツがうまくまわりません。これは大変。 三回試みますが、大きな声がでません。 右目の視野が半分黒くなりスクリーンがばらつくようになりました。 どうも聞こえないようだ。どうしよう。 オープン前の旅館で病人がでるなど不吉なことだけは避けねばならない。迷惑この上ない。 漸くOさんが気付いてくれ来てくれた。助かったとありがたかった。 肩を貸してもらいとにかく外に出ることをたのむ。 Oさんは動かさずに処置することをすすめる。 だがそれを振り切りとにかく外にでて車にのせてくれとたのむ。 右足はうまく用をたさない。革靴もつっかけたままだ。 車に乗ったその時はほっとした。 Oさんはホテルに行き救急車を要請したという。 急いでホテルから車を外に出してもらい救急車に乗る。 酸素マスクをはめられごつごつと振動が伝わる救急車の「右にまわります」の放送が他人事にきこえていました。 3年前の入院3日目の朝3時の手記からです。 本当は動かないことです。 それからしばらく奈落の底に落ち込むようなメマイが時折襲いました。 今回は閻魔さんがかえしてくれました。
2007年05月09日
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大関栃東の電撃的引退ニュースが相撲界を震撼しました。 その原因が脳梗塞でした。 3月の春場所で頭痛を訴え休場し精密検査で過去に脳梗塞を患っていたことが判明し医師に引退を勧められ30の若さで引退決意したようです。 本人には自覚症状がなく、脳梗塞を起すのを隠れ脳梗塞といい最近多くなり、年齢も若年化したようです。 脂濃いもの、肉食にかたよる食の欧米化や、タバコ、酒の呑みすぎなどが原因のようです。 朝からテレビはこの隠れ脳梗塞のことを取り上げていました。 他人事でなく反省をこめて見ていました。 隠れ脳梗塞は自覚症状がないことはなくあります。 その時の症状が初めてのことなので気がつかないだけです。 後で思い出してみるとあの時のめまい、頭痛、しびれがそうだったんだと分かります。 3年前11月11日に出先で脳梗塞で倒れ、救急車で入院しました。 CTをとってもらったら前に起した梗塞の後がある、いわゆる隠れ脳梗塞でした。 その日の分は映像には出ないとのことです。 前をおもいだしますと、1月前の10月15日に車にのっていて目の前がちょうど映画のスクリーンがフイルムがとんでパラパラとする様な現象がありました。ほんの何秒かです。 急いで車列から離れ停車しました。 しばらくしたら治りました。 その3ヶ月前、8月九州にいきました。 昼寝していて手が痺れて目がさめたことがありました。 寝相がわるかったんだと解釈しました。 酒のんだらわすれました。 その1年半前、東北に行く時空港でバッグが重く感じ胸が息苦しかったことがありました。 その旅行は3日でしたが、酒は毎夜でしたが特別に感じませんでした。 3年間血圧降下剤をのんでいました。 この間医者にかかっていたんです。 1病息災なんて思っていました。 めまい、しびれがあったら早く対処してください。 2日酔い、草臥れがひどいと感じとれませんので無茶な生活をしないこと。 隠れ脳梗塞は症状がないのでなくそれと気付かないだけです。 大事に至ることのないように気をつけましょう。
2007年05月08日
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どうも黄金週間は後をひくようです。 先日国分寺まで日本海から舟できてたという川を探しだしました。 寺谷のお爺さんが教えてくれたお話で80軒の家の跡が山の中の川沿いにあったこと、どんど淵なる地名とそれらしき川があることで下流は大体わかりました。 幻川の上流は国府川であろう。 現在の国府川は流露変更して流れており、カーブした土手の下を伏流水が幻川に流れてると判断しました。 しかし今日の夕方、堤防を散歩して対岸の例の国府部落を眺めるに伏流水が、現在の川底の位置、水量からどうも無理があると判断しました。 橋を渡って向う堤防下のたんぼの高低差をみてそれらしきものがないか探しました。 月のうすあかりでたんぼが低い所があります。 近付いてみたら用水となって水が流れています。 上流に一直線にのびています。ここまできたら行くよりほかありません。 だんだん上に行くにつれて水量が多くなり、水門で調節して外に流しています。 国道を横切ってさらに上流までのびています。もう音を立てた立派な川のようです。 暗くてこれ以上みえませんがどうも国府川の側を流れていますが上流は違う方に伸びています。 昔、国府川は東側、秋喜の方を流れ、この幻川は西側で、上流の上福田のほうから流れてくるもので、今は用水となっていますが別の川である可能性大です。、東側にあった国府川を西の幻川に近付け上流で2本の川を合流さして平野の中を1本の国府の河川にしたもののようです。 この推量がどこまであたるのかたのしみです。 国交省河川局に記録があるかも。いってみます。 幻の河さがし
2007年05月07日
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ウラン鉱の火を日本につけたのは此処山陰倉吉の菅原です。 世界一の品位の放射能を持ったものが発見されたと有名でした。 冷戦構造厳しき中、日本にウランが発見されたことが重要でした。 全国の既成鉱山の坑道にカウンターをもって走り回ったのです。 銀の採掘をした坑道から鉱脈が発見され、国はかなり大掛かりの縦鉱を掘ったようです。 ウランが町おこしになると小唄ではやしたり、旅館にはウラン風呂までできました。 「イギリスから鉱区を2億でかいにきたそうな、でも日本人だから外国にはわたさんと断ったそうな」「さすがすごいな」 こんなひそひそ話しも噂されました。 鉱脈が小さく鉱量に期待がうすくなりました。 たまたまカウンターをつけっぱなしで中国山脈を越えようとしたジープが人形峠で堆積岩の中に計器反応が起こり、探査は鉱脈型から品位は低くても量が多い堆積型へ焦点が変わりました。 かくして菅原は主役の座からおりました。 堆積型のウラン鉱も探鉱、精錬しても採算があわないことで中止になり、掘り出した鉱石まがいとずりの始末で住民との紛争を残すことになりました。危ないものは持って行けというわけです。 危ない危険だ。低品位で危険でない。 学者もくわわり、意見は2分しての大紛争でした。 今日、ウラン発祥の地菅原に車を飛ばしてみました。 くねくねと細い道が谷川に沿ってのびています。 30分も車にゆられて両岸の山肌がひろがった地にいたりました。 まばらに4戸ほどの民家があります。 20年ほど前に見学にきたんですがどこか見当がつきません。 道が狭くなり間違いに気づき方向変しようと思ってもスペースがありません。 すると後ろから車が登ってきました。仕方なく上に向かって走行です。 トコロテン走行。 多分何しに、何処の人間が、と思いながら私の車をみつめて走ってたんでしょう。 そそくさに話しも少なく家に入ってしまいました。 ターンバックして田んぼで苗代のおじさんに聞きましたら、仕事をやめて案内するといいます。 仕事の邪魔だからというと、休もうと思ってたところだと親切です。 さっきの不機嫌なおじさんと対照的で奇妙な感じでした。 分からないはずです。たしかウラン発祥地の看板があったのに形もありません。 此処ですと指指されても本当?と言う位の藪です。坑口はおろかずりらしきものもありません。 構内水だと思しき水が染み出て前の小川に注いでいます。 風評被害があるので看板も取り外したようです。 動燃の放射能測定器がポツンと淋しげにおいてありました。 ここのお山はようおうお ウランの山さ 掘れば掘るほど宝と湧いて サッサウランがようサッサウランがよう サッサウランが花と咲くよ 車を操りながらのりの良いウラン小唄がさびしく思い出されました。 ゴウルデンウィークの最終日を終えそうです。 小雨が緑にやさしく降り出しました。
2007年05月06日
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天と向かいあってる、天と近いと表現さるような山道でした。 大山から船上山へむけての林道がよくぞこの高所につくったものだと感歎しきりです。 空海をへだててそそりたつ船上山、後醍醐天皇を守護したという天恵の要塞、これを同じ標高で眺めるのであるから感歎この上ありません。 しばし車をとめみとれます。 垂直にきりたった溶岩の断崖、100mもあるというが此処からは箱庭のようです。 道は急に降下し沢をまたぐに格好の場所を求めます。冬季の雪害、水流に耐える橋は頑丈で小さくなければなりません。 向うの山につくと山肌にへばりつくように急上昇していきます。 「ケキョケキョケキョケケケケー」 まだ一人前に鳴き方ができないウグイスが時折きこえます。 風音もない平穏の天気です。 名和長年公ゆかりの地で住雲時の6尺藤がみごろというので見学しました。 埼玉県春日部しからもってきたといい、庭一面に4本の株から藤棚に見事にさいていました。 藤棚の下は観覧客のごってかえし、部落の人が交通整理、接待に大童でした。 一挙思いつき名和長年公が後醍醐天皇を此処から船上山におつれされたのを慕っての道行でした。 船上山にはさすが駐車スペースがないほどの来客でした。 ここから、更に山上へは徒歩で登らなければなりません。 岩壁の下に行き100mの上を仰ぎ感慨を古に馳せます。 道は更に船上山から大山の高所ををとりまいて続いています。 山の崩壊を防ぎ、山林の管理を図っての道路でしょうが、よくぞこれだけできたものだと、先人の知力、企画、実行力に感心します。 杉檜の植林も見事にのびています。 どこまでも天空の道をいってたら私の街の上まできましたので山をおりました。
2007年05月05日
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”大永の五月崩れ”は大永4年(1524)の今ごろの季節に、山陰伯耆のこの地に突如血の雨、屍の山がきずかれた事件です。 尼子経久の軍勢がしまね石見から押しかけ次々と平定していきました。 篭城して最後まで戦う城あり、部下が身代わりになり裏山から主君を逃がす城あり、強きものの世界がまかりとおりました。 一旦城を落ちた城主たちは援軍を求め連合して奪回をいどみますが、又はねかえされます。 今度は尼子が留守にしてた本拠を毛利が突き、尼子毛利の戦いが山陰を舞台にして展開、適味方色分けが混迷して、兄弟親子が戦う様相になりました。 どちらについたら有利か、男の意地か。 昨日の味方は今日は敵。 猛威をふるった尼子も毛利にとどめをさされてはてました。 今度は羽柴秀吉がでてきて、毛利と織田、また敵味方を色分けしました。 信長の死により毛利との和睦でおちついたかにみえたのも関が原の戦でどんでん返し、城を追われ野党に命をとられる大将もありあわれです。 この中で今でも語られる”唯落ちの城”があります。 到底戦っても勝ち目どころか一蹴されると、試合放棄して戦わずに夜逃げしてしまった城主があります。一兵の血を見ず、戦火で村人を犠牲にもしませんでした。 武将らしく花と散る風潮をあがめる時代には、話題にもありませんでしたが、命を大切にしたことでほめる人が最近でてきました。 孫子の兵法にも”戦わずして勝つ”というのがありますが、反対からみると”戦わずして負ける”であります。 緑滴る山城の跡はあたりに同化して何事もなかったように五月の連休の風をうけていました。
2007年05月03日
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血液検査の結果を聞きにいってきました。 連休の間の待合室は、午後ともなれば閑散としていました。 「まあいいでしょう。この調子でがんばりましょう。」 総コレステロール208 LDL 133 HDL 59 中性脂肪 81 血糖値101 糖尿病の手帳を机に封印してから1年になります。 散歩しても坂道登るのも苦にならなくなりました。 玄米が体に合うようになりました。 風呂は半身翌です。 勿論タバコはのみません。 酒もビールも家ではのみません。 会合では前においてなめる程度です。 超ミネラル水をのんでいます。 ウマブドウ焼酎漬けを時々のみます。 ちなみに5年前の検査がでてきました。 総コレステロール 257 LDL 166 HDL 57 中性脂肪 171 倒れる2年前です。血圧が高いとお医者にかよっていた時です。今の医院と違います。 そのときはなんとも感じませんでした。 体あっての物種。普段の注意をしましょう。 自分の体は自分が一番知っています。 かならずなおります。
2007年05月02日
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水と灯のつくる夜色のめでたきを見しは都と渓あいの湯場 与謝野寛 清き背の岩にすがりて月待つと渓のかじかの吹ける口笛 与謝野寛 三朝川の川瀬を清美この夕べ旅人われは足をぞ浸す 斉藤茂吉 川の瀬に入日の雲のうつろうを愛しみおりぬ足をとどめて 斉藤茂吉 終戦のその年の秋を妻子率てなげきぞ来つる三朝湯はこれ 前川佐美雄 かにかくに三朝の里は面白し湯の香に伽羅のにおいこもれる 吉井勇
2007年05月01日
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